15,子曰く、孟之反(もうしはん)は伐(ほこ)らず。奔(はし)って殿(でん)たり。将(まさ)に門に入らんとして、その馬に策(むちうち)て曰う、敢えて後(おく)れたるには非(あら)ず、馬進まざるなりと。
先生がおっしゃった。「孟之反は、自分の功績を自慢をしない。軍が敗北したときに、殿(しんがり)を務めた。遅れて城門に入ろうとするときに、馬を鞭打ちながら言った。「わざとみんなのために殿を守って遅れたわけではない、ただ馬が前に進まなかっただけだ」と。
※浩→魯の猛勇な勇士として知られていた孟之反は、自分の手柄や功績を顕示して自慢することがまるでなかったそうです。孔子はその謙譲の徳に敬意を覚えていて、斉との戦争で一番苦しい殿(しんがり)軍を勤めた功績を讃えています。
“しんがり”というのは、戦いに敗れて撤退する軍の最後尾です。これは敵からの追撃があるので最も危険なポジションだということを、NHKの大河ドラマでも何度か見たことがあります。“秀吉もの”や“家康もの”でよく出てきます。確か、『功名が辻』で山内一豊がつとめたシーンがあったように微かに記憶しています。
私は大学ではボート部で、シェルフォアという艇の「2番」を漕いでいました。艇はもちろん後ろ向きに進みます。艇の最先端(トップ)を「バウ」と言い、その前が「2番」「3番」「整調」そして舵取り「コックス」という配置です。「整調」はクルーのリーダーで、頭の切れる冷静な人が最適で、向かい合わせのコックスと作戦を協議できる位置にいます。「3番」と「2番」はいわばエンジンで、パワーが必須です。「エンジンペアアホでも漕げる」とひやかされたりしていましたが、重要なポジションです。トップの「バウ」は対抗相手の艇と小競り合いなどになって緊張すると、クルーの戦闘意欲に影響しますから、これも動揺しない、根性の座った選手が最適です。全日本選手権(1962年@戸田)で準優勝したときのメンバーがまさにそうでした。コックス=新谷勝義くん(1学年下)、整調=水野久隆さん(主将、同期生ながら年齢は4歳上)、3番=今村穣さん(同期生、滋賀県甲賀出身だったのであだ名が「ドロン」)、2番=私、バウ=三宅一雄さん(同期生ながら4歳年上)。このうち、現在は新谷くんとドロンの消息はわかりません。三宅一雄さんは、7年ほど前に他界されました。水野さんは東京在住で、年賀のご挨拶を交わしていてご健在です。80歳ころまでマスターズに出場されました。今、水野さんは俳優の里見浩太朗さんと同じくらいの年齢です。私は石坂浩二さんと同い年です。お二人とも大河ドラマ「べらぼう」に出演されていて大活躍です。私もまだ頑張れそうです。
サンタクロース=Shen4dan4 lao3ren2 神丹老人
トナカイ=xun4lu4 驯鹿
クリスマスイブ=ping2'an1 ye4 平安夜
リンゴ=ping2guo3 苹果
クリスマスに贈るリンゴ=ping2'an1 guo3 平安果
<スポーツ>
桑田真澄=Sang1 tian2 Zhen1 cheng2 桑田真澄
尊敬する=zun1 jing2 尊敬
松井秀喜=Song1 jing3 Xiu4xi3 松井秀喜
ニューヨーク=Niu3yue1 纽约
福原愛さん、頑張れ!=Fu2yuan2 Ai, jia1 you2! 福原愛,加油!
卓球=pin1 pang1 jiu2 乒乓球
中田英寿=Zhong1 tian2 Ying1 shou4 中田英寿
特別である=du2te4 独特
イチロー=Ling2mu4 Yi1 Lang3 铃木一郎
※「私の好きなスポーツ選手は…。」
Wo3 xi3huan de yun4dong4yuan2 shi4 ...
我喜欢的运动员是...
<承知する>
いいですよ。 xing2 行。
承知しました。 Hao3 de 好的。
ではいいでしょう。 Na4 hao3 ba 那好吧。
了解しました。 Wo3 zhi1 dao le 我知道了。
わかりました。 Wo3 ming2bai le 我明白了。
あなたの言うとおりにしましょう。 Ting1 ni3 de 听你的。
<様態補語>
様態:物のあり方や行動のありさま
#肯定形
Ta1 shuo1 Ying1yu3 shuo1 de hen3 liu2li4.
她说英语说啊得很流利。
彼女は英語を流暢に話します。
@说=話す、 得=(様態補語)どの程度か様態をくっつけるマーク、
@流利=流暢な
#否定形
Wo3 chang4ger1 chang4 de bu4 hao3.
我唱歌儿唱得不好。
私は歌を歌うのが上手ではありません。
@唱=歌う、 得=様態補語 不好=上手でない
#様態補語のあるフレーズ
Han4yu3 shuo1 de hen3 hao3.
汉语说的很好。
中国語を上手に話す。
#他の成分が来る場合
Ta1 gang1 cai2 hui2da2 de dui4 bu dui4?
他刚才回答得对不对?
彼は先ほど正しく答えましたか?
成分=反復疑問文(正しいか正しくないか)
Da4jia1 xiao4 de du4zi dou1 teng2 le.
大家笑得肚子都疼了。
みんなはお腹が痛くなるほど笑いました。
成分=文(お腹が痛くなる)
<ピンイン> ian
ian:「イエン」
鼻母音anの前に“i”を短く添えて滑らかにつなげて発音。
“a”は例外的に「エ」と発音。
bien4qian1 変遷する、 xian3yan3 目立つ、 mian2xian4 木綿糸、
qian2mian4 前方、 tian1 xian4 アンテナ、 pian4qian2 お金をだまし取る
Yi3qian2 ta1 gen1 lian4ren2 mei3tian1 jian4mian4
以前他跟恋人见面。
以前彼は恋人と毎日会っていました。
<補足>
#様態補語によく似ている補語
Jin1tian1 tian1qi4 leng3 de hen3
今天天气冷得很。
今日は天気がとても寒いです。
@冷=寒い(形容詞)
@得很=(程度補語)非常に
※得を使わない程度補語
@好极了!hǎo jíle(非常に素晴らしい!)の「极了」も強調しているだけ
#干支
戌年=gou3nian2 狗年
私は戌年です。=Wo3 shu3 gou3 我属狗。
丑年=niu2nian2 牛年
午年=ma3nian2 马年
巳年=she2nian2 蛇年
14,子游、武城の宰となる。子曰く、汝、人を得たるか。曰く、澹台滅明(たんだいめつめい)という者あり。行くに径(こみち)に由(よ)らず、公事にあらざれば、未だ嘗て(かつて)偃(えん)の室に至らざるなり。
子游が武城の領主(城主)に任命された。先生が言われた。「お前は、誰か有為な人物を見つけたのか?」。子游はお答えした。「澹台滅明(たんだいめつめい)という者を見つけました。道を行くときは近道をせず、公事がなければ今まで偃(子游の実名)の城の部屋に来たことがありません」。
※浩→孔子が武城の領主となった子游に、「誰か有能な人物を見つけたのか?」と問うたところ、子游は澹台滅明(たんだいめつめい)という面白い人物がいると答えました。この澹台滅明の並外れた学識と才知を孔子は事前に見抜くことができなかったというが、その理由は澹台滅明の外貌が醜悪であったからだと言います。容姿が醜いということで魯国であまり重用されなかったというエピソードを持つ澹台滅明ですが、のちに儒学の南方布教に大きな功績を残していて、呉国で多くの弟子を育成することに成功しているそうです。
公務でない限り子游の自宅を訪問したことがないというのは、過去の中国では地方の紳士が地方官(まあ、お代官様)に種々の請託を行うことはしばしば見られたそうですが、澹台滅明はそれをしない潔癖な人物であったということです。そう言えば、以前、菅元総理のご長男と総務省の役人が会食したことがニュースになっていましたが、このお役人のようなことを澹台滅明はしなかったのでしょう。
容姿が「ぶさいく」だから要職につけないなんて、今の世の中ではありえません。“差別”です。六代目三遊亭圓生の『淀五郎』という古典落語の“まくら”に、器量の良い赤ん坊が生まれたら、役者にでもなればいい」「不細工な赤ん坊が生まれたら噺家にでもなればいい」とありましたが、現在ではこれでは大ブーイングでしょう。昔、「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」をもじって、「立てばゴミ箱、座れば火鉢、歩く姿はガスタンク」とふざけたり、「後ろ美人、前びっくり」を、「後ろびっくり、前卒倒」と言い換えて遊んだことがあります。井原市立高校在職中に住んでいたアパートの隣家の長男(亨ちゃん、当時小学校5年生くらいで、私はよく勉強を教えてあげていました)がお母さんを冷やかして、こんなことを言っていました。彼は私より一回り年下でしたから、今はすっかりおじいさんになっているはずです。井原市は私の最初の赴任地で5年間住みました。ちょうど父を亡くしたあとで、母と妹も同居するようになって、親子水入らずでわが家にとって最も幸せな一時期でした。やがて、ここから妹が嫁いでいきました。
<ジョブキソ48>
#テーマ
お会計の際「現金払いが助かります」とお願いするには?
If you don't mind, we very much prefer cash.
差し支えなければ現金が大変ありがたいのですが。
@ prefer = (~よりも)~を好む
very muchを直前に置いて強調している
#応答
Okay, no problem. I'll pay cash. Thank you so much!
問題ないよ。現金で払うから。ほんとにどうもありがとう。
13,子、子夏に謂(い)いて曰く、女(なんじ)、君子の儒となれ、小人の儒となるなかれ。
先生が子夏におっしゃった。「お前は君子のような器量と礼節のある学者になりなさい。小人のような偏狭で落ち着きのない学者になってはいけない」。
※浩→ここでは子夏に対して孔子が理想とする儒学者の姿が述べられています。「儒」の意味は、古くは「儒は優なり柔なり」と言われていました。古いゆったりした衣服を着て、みやびやかに礼儀作法を習っていた孔子の一門に対して、他の学派が「儒者」と呼んだことから、孔子の学派を「儒学」「儒教」と呼ぶようになったそうです。孔子は、有徳の士大夫(君子)となるための教育に心血を注ぎ、貴族的な鷹揚さと礼儀作法を身に付けた儒者になることを弟子に勧めていました。枝葉末節に過度にこだわる小人の学者を非難し、「大局を見通すビジョンを見た学者(為政者)」であることが求められました。子夏は文学には長じていましたが、行儀作法の枝葉末節にばかり精を出していたことを非難しています。
大局を見るということは、特に指導的な立場に立つ人には必須です。テレビで国会中継を見ますが、多くの議員や大臣の発言が枝葉末節にこだわりすぎていたり、過去の事件や過去の首相が関係するトラブルにしつこくこだわり続けている様子を見るにつけ、「この国はほんとに大丈夫なんだろうか?」と疑わしくなります。チコちゃんに「ボーッと生きてんじゃないよー!」っと、叱ってもらわないといけません。
昔、ある高校の校長先生が、文化祭の打ち合わせで次々に大まかなプランが決定していく中で、「当日は食堂でのうどんの注文数が変化するからその対策をきちんとしておくように」とおっしゃったそうです。校長の言葉とも思えない。こんなのを「ケツの穴が小さい」と言うんですね。古き良き時代の校長さんの中には、「責任は私が取る。しっかりやってください」と部下を激励したそうです。私の在職中にもいらっしゃいました。備前高校時代のN校長さんとか、岡山工業のW校長さんを思い出します。