27,子曰く、已(や)んぬるかな。吾(われ)未だ能(よ)くその過ちを見て内に自ら訟(せ)むる者を見ざるなり。
先生が言われた。「この世も最早ここまでか。私はまだ自分の過ちを認め、内面で自分を責めることができる人物を見たことがない」。
※浩→春秋末期に風俗が乱れ、自分の利益や出世ばかりを追い求める人材が栄耀栄華をほしいままにするようになりました。そういう憂うべき天下の窮状を見て、孔子は嘆息して「やんぬるかな(もうこの世はおしまいだ)」と言いました。自分自身の過失や責任を認めることなく、罪悪感を痛感する良心を失ってしまった人間ばかりになると、社会が混乱し「仁」の思いやりの心が滅びてしまうということを憂慮しています。
社会の実態に失望した賢者の嘆きがひしひしと伝わってくるようです。NHKラジオの早朝番組に「絶望名言」というのがありました。月に1度くらいの頻度で放送されていました。古今東西の著名人の残した「絶望フレーズ」を解説付きで放送していました。すぐに連想できる芥川龍之介や太宰治に限らず、もっと広範囲から著名人が登場していました。箏曲の宮城道雄さんも登場しました。彼は全盲で、妻のサポートがないと生きていけなくて、彼女に頼り切っているとかいうお話でした。わが家の本棚に『サルトルの世界』─絶望の裏側のいのち─(清水弘文堂書房)という1冊の本があります。パラパラとめくると、こんな一節がありました。
↓
われわれはドイツの占領下にあったときほど、自由であったことはなかった。われわれはわれわれのすべての権利を、まず第一にものを言う権利を、失ってしまった。われわれは、毎日真っ向から侮辱され、しかも沈黙していなければならなかった。われわれは、労働者として、ユダヤ人として、政治犯として、大量に流刑にされていた。……すべてこうしたゆえにこそ、われわれは自由だったのである。ナチの毒がわれわれの思考の中にまで忍び込んでいたがゆえに、正しい思考の一つ一つが戦利品だった。……一秒一秒、われわれは、《人間はみな死ぬものだ》という、このささやかな、ありふれた句の意味を、あますところなく、生きていた。しかも、各人が自分自身についてなす選択は、死を眼の前にしてなされるがゆえに、《むしろ死んだほうが……》という形で常に表現されえたであろうがゆえに、ぬきさしならぬ正真のものだった。……抵抗に関係するいくつかの細部をよく知っているものはすべて、《もし自分が拷問されたら、自分は堪え忍ぶだろうか?》と、苦悩をもって自問していた。かくして、自由についての疑問そのものが提出されていたのであり、われわれは、人間が人間自体について持ちうる最も深刻な認識のほとりにいたのである。けだし、人間の秘密とは、そのエディプス・コンプレックスあるいはインフェリオリティ・コンプレックスのことではない。それは実に人間の自由の限界そのもののことであり、苦痛と死とに対するその抵抗力のことだからである。
↑引用終わり
サルトルは、フロイトやアドラーにも通じていたようです。
<ジョブキソ42>
#テーマ
研修生の仕事をチェック。
「とても良くできてるね。特に○○がいいよ」と具体的にほめるには?
Very well done! I especially like the use of colours.
とてもよくできていますね。特に色の使い方がいいですよ。
You did a good job. もいいが、同じ表現ばかり使いたくないから、Very well done!がいい。
※まずほめてから理由を。まず謝ってから理由を。
※上手なほめ言葉の例
You have excellent taste. センスがいいです。あとにin ~で具体的に。
#応答
Thank you. I'm happy to hear that.
ありがとうございます。そう言っていただいてうれしいです。
26,顔淵(がんえん)・季路(きろ)侍(じ)す。子曰く、盍(なん)ぞ各々爾(なんじ)の志を言わざるや。子路曰く、願わくは車馬衣裘(いきゅう)を、朋友と共にし、これを敝(やぶ)りて憾(うら)みなからん。顔淵曰く、願わくは善に伐(ほこ)ることなく、労を施すことなからん。子路曰く、願わくは子の志を聞かん。子曰く、老者には安んじられ、朋友には信じられ、少者には懐かしまれん。
顔淵と季路とがお側に仕えていた。先生は言われた。「それぞれお前たちの志(こころざし)を話してごらん」。子路は言った。「車や馬や着物や毛皮の外套(がいとう)を友人と一緒に使って、それが痛んだとしても、気にしないようにしたいものです」。顔淵は言った。「善い行いを自慢せず、つらいことを人に押し付けないようにしたいものです」。子路が言った。「できるならば、どうか先生のお志(こころざし)をお聞かせください」。先生は答えられた。「老人には安心され、友だちには信用され、若者には慕われるようになりたいものだね」。
※浩→孔子の高弟である顔淵すなわち顔回と、季路すなわち子路の志望と、孔子の志望が語られた章です。まっさきに気の早い子路が答えました。彼の理想は、私欲を廃して自分の所有物にこだわらない鷹揚(おうよう:鷹が大空を飛ぶようにゆったりとして威厳があること)な気概というか、激烈な友情ということでしょうか。今ふうに言えば、自分の高級車やオーディオ器具を友だちと共有し、友だちと一緒に使って、潰れるまで使ってもくよくよしないということでしょうか、あるいは、友だちの車馬衣裘を自分がボロボロになるまで使っても気がおけない「交友の至り」を言っているのでしょうか。両説あるようです。
一方、老成な顔淵の理想は、善行をしてもそれを自分の手柄とし思うことなく、難しいことを人に押しつけない(あるいは、自分の骨折りを大袈裟に言わない)ことです。
そして子路から先生の志望は何かを聞かれて、孔子は「老人には安心してよりかかられ、朋友からは信頼され、若者からは慕い寄られる。そういうふうにありたい」と答えています。
私は年齢的にはすでにこのときの孔子を超えていますから、私よりも高齢の人とのつきあいはほとんどありません。同年齢かあるいはほとんど私よりも若い人とのおつきあいばかりです。したがって、「私より高齢の人から安心され信頼され慕いよられる」ようには、除外できます。でも朋友(これも少なくなりましたが)からは信頼され、若者からは慕い寄られる」、そういう存在にはなりたいです。「進撃の巨人」ならぬ「勇気づけの達人」でありたいですが、未熟者で現実はなかなか思いどおりにはなりません。教科書的な言葉面の「勇気づけ」でなく、事態に即してタイムリーかつ柔軟な勇気づけができればいいです。野田先生は、「勇気づけは生もの」とおっしゃっていました。しかも、「勇気づけられたかどうかは相手が判断するものだ」とも。ですから、正確に言えば「勇気づけられ」です。こちらは勇気づけたつもりでも、相手は著しく勇気をくじかれていることもありえます。ご用心、ご用心。
第3課 子音字
<基本子音字:平音>
k = ㄱ n = ㄴ t = ㄷ r = ㄹ m = ㅁ
a(ア)をつけて、
カ=가 ナ=나 タ=다 ラ=라 マ=마
p = ㅂ s = ㅅ 無音 = ㅇ ch = ㅈ
パ=바 サ=사 ア=아 チャ=자
<濃音> 直前に「ッ」を加えて、詰まらせたように発音。息を出さない。
ㄲ ㄸ ㅃ ㅆ ㅉ
アをつけて、
ッカ=까 ッタ=따 ッパ=빠 ッサ=싸 ッチャ=짜
<激音> 息を激しく出して発音する。
ㅊ ㅋ ㅌ ㅍ ㅎ
アをつけて、
チャ’=차 カ’=카 タ’=타 パ’=파 ハ’=하
<有声音化> 2文字目以降が濁って発音
부부=プブ
次の子音は、2文字目以降、母音字のすぐあとでは濁って発音される。
(ㅈch、 ㅂp、 ㄷt、 ㄱk)
※조 바 도 구 チョパトクはジョバドグ(乗馬道具)と濁る、と覚える。
<キーフレーズ>
ありがとうございます。
カmサハmニダ
감사합니다.
ごめんなさい。
ミアナmニダ
미안합니다.
<ワンポイント>
休みの日に家ですること
食べる=먹다 モkタ
洗う=씻다 ッシッタ
シャワーする=샤워하다 シャウォハダ
洗濯する=빨래하다 ッパrレハダ
服を脱ぐ=옷을 벗다 オスr ポッタ
着替える=갈아입다 カライpタ
居眠りする=졸다 チョrダ
寝る=자다 チャダ
シャベルを使う=삽질하다 サpチラダ
掃除する=청소하다 チョ’ンソハダ
勉強する=공부하다 コンブハダ
読む=읽다 イkタ
作曲する=작곡하다 チャッコカダ
25,子曰く、巧言・令色・足恭(すうきょう)は、左丘明(さきゅうめい)これを恥ず、丘もまたこれを恥ず。怨みを匿(かく)してその人を友とするは、左丘明これを恥ず、丘もまたこれを恥ず。
先生が言われた。「弁舌が巧み・表情が豊か・やたらに腰が低いというのは、左丘明は恥ずべきことと考えた。丘(孔子)もやはり恥とする。怨みの気持ちを隠してその人と友人になるのは、左丘明は恥と考えた。丘もやはり恥とする」。
※浩→左丘明は、孔子が敬意を抱いていた人物の一人ですが、詳細は不明です。『春秋左氏伝』の著者だとされています。孔子の先輩とも後輩とも考えられていますが、確かではありません。
孔子は言葉が上手くて容姿や表情が演技がかって(芝居がかって)いる「巧言令色」を嫌い、巧言令色によって他人の好意を得ようとする人には「仁」が少ないとまで言っています。過度に恭(うやうや)しくて、お世辞やお追従(ついしょう)ばかりする人物も信用ができない。また、孔子は左丘明と同じく、自分の内面にある憎悪や嫌悪を押し隠して接近し、うわべだけ仲良くするような人物は恥を知らないと考えました。
「巧言令色鮮(すくな)し仁」と、「学而編」「陽貨篇」にあります。いかにこのことを孔子が強調していたかがよくわかります。わが国でも、“慇懃無礼”というフレーズがあります。常に丁寧で礼儀正しいのも、過ぎると嫌みになり、かえって礼を失することになるという意味で、また、うわべは丁寧で礼儀正しいが、実は尊大であることを言います。
吉川幸次郎先生は特に後半の「怨みを匿して其の人を友とする」を重視されました。イヤな人物だと思いながら、いろんな関係でやむなくつきあうことが確かにあります。
アドラーの著作『人間知の心理学』の中に、「虚栄心」について解説があります。一節を引用します。2月の「岡工講座」のテーマでもありました。3月もこのテーマの続きです。
虚栄心はたいていの場合隠されており、いろいろな形を取る。一定の謙虚さを示しながらも、虚栄的であることもある。人間というものは非常に虚栄心が強いので、他人の判断をまったく意に介さないか、あるいは、それを強欲に求め、自分の都合のいいように利用しようとしたりする。(「人間知の心理学」、A・アドラー、高尾利数訳、春秋社)