子曰く、利に放(よ)りて行なえば、怨み多し。(2)
「大きな物語の崩壊」は、野田先生もポストモダン旋風が吹いていたころ、詳しくお話されていました。ネットの力もたくさん借りて、まとめてみました。
国連の機能が麻痺状態のようで、地域紛争が一向に解決の兆しを見せないことで、野田先生もよくおっしゃっていた「大きな物語の崩壊」ということを思い出しました。ネットの記事にもとづいてポストモダンの考え方を整理してみました。もちろん、アドラー心理学はモスとモダンの嵐にさいなまれないようにしっかりとアイデンティティーを確保してはいます。
リオタール「大きな物語の崩壊」について─
「大きな物語」とは近代のことです。16世紀のデカルトから、19世紀のヘーゲルをへて20世紀のフッサールまでの近代哲学の根底にある前提は、それ以前の神に代わって人間が世界の主役になったということであり、社会というものを個人を中心に考えることになったということであり、個人の自由や権利を守るために近代の法体系が作られたことであり、個人の私有財産制が始まったということ、です。私たちはその出来上がった社会の仕組みやものの考え方に馴染んでしまっているので、それが「物語」であり、人為的に作られたもの、制度であることがわからなくなっています。しかし、近代哲学が批判されて、その人間中心の仕組みに疑問が呈されるようになり、「大きな物語」が終わったのではないかと言われだしました。それを「ポスト・モダン」と言います。
1960年代から、公害問題や自然破壊の問題や、地球環境の排気ガスによる温暖化などの、人間中心の近代の弊害がたくさん出てきて、人間中心の考え方がどこかおかしいのではないかと言われて、近代哲学が批判され、その近代哲学にもとづく学問の体系が疑わしくなってきたことが背景にあります。
まず、社会主義は近代化論です。だから近代化が進んだ英仏では革命が起こらず、近代化に遅れた辺境であるロシアや中国で革命が起こりました。その社会主義も1968年にソ連の戦車がプラハに侵入したことで化けの皮が剥がれ、幻想が終わりました。
また文学は1980年代に終わったと言われました。それは18世紀の西欧の近代とともに始まった制度です。決して普遍的なものではありません。ただ、どこの国も近代国家を作るときに神話が必要でしたから、文学というものを過去にさかのぼって古い伝統を有していると作為しました。わが国も同様で、万葉集や源氏物語から文学の古い伝統を有していると学校で教えました。日本文学史なるものも作為されました。作為ということはフィクションだということです。そのフィクションが第二次大戦後、崩壊し、文学という制度が終わりました。ポスト・モダンとともに社会主義も文学も終わりました。こうしたことも「大きな物語」の終焉だと思います。
「大きな物語」は具体的にはたとえば次のようなものです。
科学による社会の進歩
資本主義
民主主義
労働の解放
教育による平等
民族独立
大まかにまとめると、理性的で自律的な主体が合意によって真理と正義を共有しながら、進歩思想を中心に社会を運営し、社会の進歩や人間の幸福を実現するといった物語だと言えます。このような物語を、リオタールは「大きな物語」という言葉で表現しました。
大きな物語はしばしば「メタ物語」と呼ばれます。メタ物語と呼ばれる所以は乱立するさまざまな理念を制して、大きな物語が絶対的な優位性を持つためです。「大きな」物語というとき、物語の内容が気宇壮大なものを意味するわけではない。「大きな」物語とは、「物語自体が社会に広く共有されている」ことを意味する。
大きな物語は現状を劣ったものとして、物語の提示する理念によってのみそこから救済されることを語ります。大きな物語とされる理念の内容はそれぞれ異なるかもしれませんが、そこにはこのような共通の特徴があります。
☆大きな物語の事例
リオタールは次のような事例を挙げています。
・啓蒙主義の物語
啓蒙主義は、認識と平等主義によって無知と隷属からの解放を示す物語。理性を獲得した人間は、合意形成をもとに普遍的な平和をもたらす
つまり、知識と訓練の不足による蒙味状態から人々を救済するという啓蒙主義の物語。啓蒙主義の物語には、先ほど説明した近代の理念の3つの特徴があることがわかると思います。
異なる事例として「搾取からの解放というマルクス主義的物語」や「富の蓄積と経済発展という資本主義的物語」があります。どの物語も人びとの圧迫した状況を解放する物語という点では共通しています。リオタールによれば、19世紀・20世紀における人間の行動と思想はこのような大きな物語に従っていたのです。
☆大きな物語の終焉
このように、大きな物語の樹立は近代における人間の思想と行動を説明するものでした。リオタールは近代以降の大きな物語がその自明性・信頼性を失った状況を「ポストモダン」という言葉で説明しました。ポストモダン論の一例としては、ジャン・ボードリヤールの「記号消費」といった分析があります。
従来の社会学は経済を中心にしていましたが、記号的な消費活動に注目してポストモダンな社会を消費社会と呼びました。
☆小さな物語
小さな物語の事例は「この物語だ」と特定することは難しいですが、大きな物語では語られなかった物語と考えると簡単です。
大きな物語はその性質上、普遍的な歴史を語ろうとします。例えば、啓蒙主義は理性を獲得した人間が、真の共同体を形成すると考えます。そこに人類の普遍的な歴史を語ろうとする姿勢が見えます。一方で、小さな物語は大きな物語の前提を疑問視し、自己の言説を表現しようとします。例えば、西洋中心史観を否定するものとしてポストコロニアリズムを小さな物語と言うことができるでしょう。植民者が語る歴史だけが歴史ではないという思想は抵抗から生まれたものであり、普遍的な歴史の自明性を失わせるものです。
ポストコロニアリズムとは、植民地主義に対する先鋭的な思想や理論です。ポストコロニアリズムで先駆けとなったのは、フランツ・ファノンです。代表作に『黒い皮膚・白い仮面』『地に呪われる者』があります。サイードの『オリエンタリズム』やスピバックの『サバルタンは語ることができるのか』はポストコロニアル論の代表的な理論です。
このように、小さな物語とは、大きな物語への不信から自らがメタ物語にはなろうとしない複数の言説が持つ異質性を担保し、そのような言説を増やしていこうとするといったこと特徴があります。
ここで注意しなければならないのは、モダニズムとポストモダンの関係です。リオタールは、モダニズムとポストモダンを時代の区分として捉えていないことに注意してください。モダンと断絶された時代があるのではなく、むしろ「ポスト」という接頭辞が示すように、モダンという土台を足場としてされるある理論的な運動です。
子曰く、利に放(よ)りて行なえば、怨み多し。
先生が言われた。「利益本位で行動すると、怨みを招くことが多い。
※浩→簡潔な文で、このことに関してはこれ以上の解説は必要ないでしょう。己れの利益だけ考えて行動すれば、「人は人に対して狼」になり、社会は「万人の万人に対する闘争」となります。そこでホッブズは『社会契約論』で、各自の権利(自然権)を絶対君主に委譲するアイディアを出しました。社会契約論はホッブズのあとロック~ルソーへと受け継がれます。哲学ではカントが、定言命法で「汝の意志の格率が常に同時に普遍的立法の原則として妥当しうるように行為せよ」と、道徳法則を示しました。功利主義のベンサムは、私利の追求がそのまま公利を実現するから、“最大多数の最大幸福”を目ざせと唱えました。続いてミルは、善悪の基準を快楽と苦痛に求めるベンサムの功利主義を継承しながらも、量的な快楽計算を批判し、快楽の質的な差を認め、人間の尊厳やや品位の感覚にふさわしい質の商い幸福を追求する質的功利主義を説きました。有名なフレーズ「満足している豚よりも、不満足な人間のほうがよく、満足している愚者より不満足なソクラテスのほうがよい」はこれです。また、人間の利他的な心情や同情心を重んじ、人類社会の向上のために尽くして利他的感情を満たすところに幸福を求める、理想主義的・人格主義的な功利主義を唱えました。道徳的義務に背いて同胞である人類を裏切る行為には、良心から生まれる苦痛が内的制裁を与えます。ミルは、各人の個性の自由な発展が、社会全体の進歩につながると考え、思想・言論・良心などの精神的自由の必然性を強調しました。だんだんアドラーに近づいてくるようです。ミルの言う「利他的感情」は「共同体感覚」を連想させます。1930年ころにアドラーが願った共同体感覚の普及のために、私たちは「小さな小さな」灯火をともし続けていかないといけないのですが、現状からはとても危ぶまれます。世界中、自己中蔓延です。紛争地域でせっかく停戦協議が成立したにもかかわらず、攻撃をやめない国が現実に存在します。またその国を国連も何ともできないし、大国が支援しているというのですから、まったく彼らには人間としての良心がないのでしょうか?リオタールの言う「大きな物語の崩壊」と関係があるのでしょうか?(つづく)
第39課 使役表現「让rang4」
<スキット>
Nin2 shen2me shi2hou rang4 wo3 zuo4 bao1zi ne?
您什么时候让我做包子呢?
いつになったら肉饅を作らせていただけるんですか?
Xian4zai4 hai2 bu4xing2, rou2 mian4 de lian4xi2 hai2 bu2 gou4.
现在还不行,揉面得练习还不够。
今はまだダメだ、生地をこねる練習はまだ足りない。
Ke3shi4, bao1zi xianr4 de zuo4fa3 wo3 ye3 xiang3 xue2.
可是,包子馅儿得做法我也想学。
でも、肉饅のあんの作り方も習いたいです。
Hai2 mei2 xue2hui4 zou3lu4, jiu4 xiang3 pao3 ma?
还没学会走路,就想跑吗?
歩くこともまだちゃんとできないのに、走りたくなったのか?
Dui4buqi3……
对不起……
ごめんなさい……
<単語>
@ 什么时候 shen2me shi2hou = いつ
@ 做包子 zuo4 bao1zi = 肉饅を作る
@ 让 rang4 = ~させる
@ 还 hai2 = まだ
@ 不行 bu4xing2 = ダメです
@ 够 gou4 = 「ある程度のレベルに到達する」「足りる」(enough)
@ 可是 ke3shi4 = 「でも」「しかし」
@ 馅 xian4 = あん
@ 做法 zuo4fa3 = 作り方
@ 学会 xue2hui4 = 学んだ結果(hui4は結果補語)
@ 走路 zou3lu4 = 道を歩く
@ 就 jiu4 = すぐに
@ 对不起 Dui4buqi3 = ごめんなさい(他に、不好意思Bu4 hao3yi4si.すみません)
<キーフレーズ>
Nin2 shen2me shi2hou rang4 wo3 zuo4 bao1zi ne?
您什么时候让我做包子么?
いつになったら肉饅を作らせていただけるんですか?
※文型=「A让B +動詞フレーズ」(AがBに~させる)
Wo3 rang4 nin2 jiu3deng3 le. 私はあなたを長くお待たせしました。
我让您就等了。
→「我」が省略されて挨拶言葉に:让您就等了。(お待たせしました)
Wo3 rang4 You3you duo1 ting1 lu4yin1. 私は友友にたくさん録音を聞かせます。
我让友友多听录音。 ↓
私は友友にたくさん録音を聞くように言った。
<聞き取り>
Rang4 wo 3 hao3haor1 xiang3xiang.
让我好好儿想想。
私にしっかり考えさせてください。
@好好儿 = 「しっかり」「ちゃんと」
<エクササイズ>
「誰々に何々させる」
医者は私にお酒を飲まないように言いました。
Yi1sheng1 bu2 rang4 wo3 he1 jiu3.
医生不让我喝酒。
<ピンイン> iの発音
・「イー」:ji, qi, xi, di, pi, mi, ti, ni, li
・「反り舌」:zhi, chi, shi, ri
・口を横に引いて「ウー」:zi, ci, si
※早口言葉
Si4 shi4 si4, shi2 shi4 shi2, shi2si4 shi4 shi2si4, si4shi2 shi4 si4shi2.
四十四,十是十,十四是十四,四十是四十。
子曰く、君子徳を懐(おも)い、小人土(ど)を懐い、君子刑を懐い、小人恵を懐う。
先生が言われた。「支配者である君子は道徳の世界を忘れない。庶民である小人は生まれ故郷を忘れない。支配者である君子は法の制裁を忘れない。庶民である小人は主君の恩恵を忘れない。
※浩→「懐(おも)う」は、「忘れがたいほど思念する」というのがもとの意味だそうです。荻生徂徠は別の解釈をしています。君子が道徳を心がければ、その結果として、支配下の小人は土地に安住する。それに対して悪い政治では、君子が刑罰を心がける。そうすると、その結果として、支配下の小人は、偶然の恩恵ばかりを心がける。つまり、「君子徳を懐えば、小人は土を懐い、君子刑を懐えば、小人は恵を懐う」と読みました。面白いことに、吉川幸次郎先生生は、徂徠の説をとり、貝塚茂樹先生は古来の解釈を採用されました。貝塚先生は、君子が道徳の世界に惹かれるということは、故郷を去ってどしどし有徳の君主や大臣のもとに仕えねばならないことだと考えられました。『論語』「憲問篇」に、「士にして居を懐(おも)うは、もって士となすに足らず」とあって、故郷に惹かれ、そこから出られないのは、小人すなわち一般の庶民のことで、士たるもののなすべきことではないというのが、孔子の時代の通念であると、今回ここで採用した解釈を支持されました。
私はどちらの説も納得できます。私は自分の出生県内に奉職して定年まで勤め、退職後も、生まれ故郷そのものではないまでも、地元県で余生を送っています。学友の故・行司伸吾君は、地元の岡山大学を出て、静岡県に奉職し、そちらで結婚し、浜松市に自宅を建てて永住しました。新卒で奉職した静岡県の三ヶ日高校にボート部を創設し、他校へ転勤するとそこにもボート部を作るといった具合に、静岡県のボート競技普及発展に献身されました。退職後の2005年には、故郷の岡山国体のボート競技を仕切って、その大役を終えるとあっさり他界してしまいました。私は、高校時代=演劇~大学時代=ボート~在職中=アドラーと舞台を次々転換していったのに対して、彼はボート一筋の人生でした。愛媛が舞台の映画「がんばっていきまっしょい」は高校ボート部を描いた映画でしたが、彼はこの映画のボートの専任指導者としてその名がラストのテロップに載っていました。わが隣家のご主人は行司君のお兄さんのお友だちだということがあるときわかって、それ以来隣家とも行司君の話題でつながっていました。今や隣家のご主人も他界されて、とても寂しい思いをしています。それにしても60歳台で他界するとは早すぎます。私は、来月83歳を生きています。アドラー心理学の相棒。K先生は、鹿児島出身ですが、岡山市内の大学を出て岡山工業高校に奉職され、備前、倉工、津山工業高校を経て今春また岡山工業に戻ってこられました。関連して、講座が31年ぶりに出発点の岡工に戻ってきました。不思議な縁を感じます。
<ジョブキソ26>
#テーマ
説明の途中で質問の嵐!
「すみません。説明をすべて聞いてください。あとでディスカッションできます」と注意するには?
Excuse me. Please wait for the whole explanation. We can discuss after that.
@「最後まで言わせて」=Hear me out.
#相手の応答
Pardon me, Chad. Please continue your explanation.
チャドさんすみません。説明を続けてください。