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論語でジャーナル’25

5,ある人曰く、雍(よう)は仁にして佞(ねい)ならず。子曰く、焉(いずく)んぞ佞を用いん、人を禦(ふせ)ぐに口給(こうきゅう)を以てすれば、しばしば人に憎まる。その仁を知らず、焉んぞ佞を用いん。

 ある人が言われた。「お弟子の雍さんは、立派な人柄ながら、惜しいことに弁舌が立たない」。先生が言われた。「弁舌というようなものは何の役に立つか。口給すなわち口先の機転で一次的に人をごまかし、そのために人から憎まれるだけだ。雍が仁者であるかどうかはわからないが、弁舌というものは、何の役に立つか」。

※浩→「雍」は孔子の弟子で、姓は冉(ぜん)、名は雍、字は仲弓です。孔子は、巧言令色の弁士を好まなかったように、弁舌爽やかな修辞(表現技法)を用いて巧みに人を言いくるめようとする人間を信用しなかったようです。ある人が、自分の家臣である雍が口下手なことを嘆いて孔子に相談すると、孔子は「弁舌が過度に達者であると人から恨まれやすくなるだけだから、仁者となるのに必ずしも雄弁である必要はない」と諭しました。ここでの孔子の反撥は大変激しいです。『史記』に、仲弓の父は賤しいとあり、この弟子は微賤な階級の出身であったらしいです。しかし孔子は、自信を持って彼を励まし続け、あるときには、「雍や南面せしむべし、大名にしてもいい男だ」と、極端な賞賛も与えています。あるいは家柄が良くないために、エレガントな言葉を流暢にしゃべることができなかったのかもしれません。そうして、そうした人物に対する孔子の特別な愛が、このように反撥させたのでしょう、と吉川幸次郎先生の解説です。
 「佞」は、弁舌が立つことです。「学而篇」に“巧言令色鮮(すくな)し仁”とありました。「巧言」は巧妙な飾りすぎた言葉のことですから、弁舌そのものへの批判でないことがわかります。訥々としていても、“意、誠なれば”人の心に響きます。そういえば、古代ギリシアでも、アテネの民主制が盛んだったこと、弁論術を教えるソフィストという人たちがいました。民主制では弁舌がとても重要です。彼らはのちには詭弁を使うようになって堕落して不道徳がはびこったのを、ソクラテスが正すことになります。乱暴な解釈ですが、ソクラテスの求めた「真善美」は、孔子の「仁義礼智」と重なるように思えます。
 アドラー心理学では、「主張的」であることを望みます。これは、「自分の要求をきちんと伝えながら、しかも相手を傷つけない」ことを言います。ただ弁舌巧みに言えばいいというのではありません。相手への配慮を考えていますから、「仁」にも通じると思います。

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中国語講座1/14

<疑問文のまとめと疑問詞>
#疑問詞疑問文
あなたは何を飲みますか?
你喝什么?  Nǐ hē shénme?

#“吗 ma”疑問文
あなたはコーヒーを飲みますか?
你喝咖啡吗?  Nǐ hē kāfēi ma?

#反復疑問文
あなたはコーヒーを飲みますか?
你喝不喝咖啡吗? Nǐ hē bu hē kāfēi ma?
#“吧 ba”疑問文
あなたはコーヒーを飲みますよね。
你喝咖啡吧?  Nǐ hē kāfēi ba?

#選択疑問文
あなたはコーヒーを飲みますか、それとも紅茶を飲みますか?
你喝咖啡,还是喝红茶?  Nǐ hē kāfēi,háishì hē hóngchá?

#疑問詞
何=什么 shénme  誰=谁 shéi/shuí  どこ=哪儿 nǎr
どの~=哪(+量詞) nǎ/něi  いつ=什么时候 shénme shíhou
いくつ=几/多少 jǐ/duōshao

<安心させる>
大丈夫です。
没事儿。 Méishìr / 没关系。 Méiguānxi
何をおっしゃいますか。
那儿的话。 Nǎr de huà
気にしないでください。
别在意。  Biézàiyì
考えすぎないでください。
别多心。  Biéduōxīn
どういうことはありません。
算不了什么。  Suàn bu liǎo shénme

<ピンイン> z(無気音)とc(有気音)
字=字 zì、  単語=词 cí、  レンタルする=租 zū、  太い= 粗 cū、
朝の体操=早操 zǎocāo、  再び/再度=再次 zàicì、  料理を作る=做菜 zuòcài
トイレは3階にはありません、4階にあります。
厕所不在三层,在四层。 Cèsuǒ bú zài sān cēng,zài sì cēng

<補足>
いくつか質問してもいいですか?
想问您几个问题? Xinǎg wèn nín jǐ ge wèntí?
(相づちで)そうでしたか。
是这样的阿! Shì zhèyàng de a!
どんな場所に行くのが好きですか?
比较喜欢去哪个地方? Bǐjiào xǐ huān qù něige dìfāng ?

<カフェ>
おしゃれなカフェ
有格调咖啡店  yǒu gédiào de kāfēidiàn
今どきのカフェ
时尚的咖啡店  shíshàng de kāfēidiàn
個性的なカフェ
有个性的咖啡店  yǒu gèxìng de kāfēidiàn
特徴のあるカフェ
有特色的咖啡店  yǒu tèsè de kāfēidiàn


<都会の交通手段>
電車=电车 diànchē
地下鉄=地铁 dìtiě
タクシー=出租车 chūzūchē
渋滞する=堵车 dǔchē
バス=公共汽车 gōnggòng qìchē

<買い物>
いくらですか?
多少钱? Duō shǎo qián ?/ 怎么卖? Zěnme mài?
高すぎます。 太贵了。Tài qùi le
少しまけてください。 便宜点儿。 Pián yí diǎnr
割引きできますか? 能打折吗? Néng dǎzhé ma?
1つください。 我要一个。 Wǒ yào yí ge

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中国語講座1/13

第5
<連体修飾語とマークの“的”de>
我的钱包  wǒ de qiánbaō 私の財布
wǒ de = 連体修飾語  qiánbaō = 被修飾語

#名詞が名詞を修飾
图书馆的杂志 túshūguǎn de zázhì 図書館の雑誌

※2単語以上のフレーズには“的”が必要
 とても良い方法=很好的办法 hěn hǎo de bànfǎ
 先生が薦めた辞書=老师推荐词典 lǎoshī tuījiàn cídiǎn

#“的”が付かない場合
1)人称代詞+親族名称
 私の父=我 爸爸  wǒ bàba
2)単音節形容詞
 白いシャツ=白 衬衫  bái chònshān
※2音節以上では必要;重要なこと=重要 的 事  zhòngyào de shì
3)人称代詞+所属機関
 私たちの学校=我们 学校  wǒmen xuóxiào

#さらに詳しく
 先生の本=老师 的 书  lǎoshī de shū
 (誰のかを限定している→“的”を付ける)
 中国語の本=中文 书 zhōngwén shū
(そのものが持ち合わせている属性の場合や「決まり文句」には付けない)
 狐のしっぽ=狐狸的尾巴  húlí de wěibā
 化けの皮=húlíwěibā

<励ます>
頑張って!=加油! Jiāyóu!
がっかりしないでください=别灰心  Bié huīxīn
気を落とさないでください=别泄气  Bié xièqì
次回頑張りましょう=下次努力  Xià cì nǔlì
くよくよしないで=想开点儿  Xiǎngkāi diǎnr
元気出して=打起精神  Dǎqǐjīngshén

<ピンイン> 反り舌音
 zh:無気音  ch:有気音
纸 zhǐ 紙、  吃 chī 食べる、 炸 zhá 揚げる、 茶 chá お茶
支持 zhīchí  支持する、  垂直 chuízhí  垂直である
正常 zhèngcháng  正常である
智齿长虫牙了。zhìchǐ zhǎng chóngyá le
親知らずに虫歯ができた。

<中国語のジャンケン>
「グー・チョキ・パー」
石头 剪刀 布  shí tóu jiǎn dāo bù (石、はさみ、布)

<スイーツ>
モンブラン  栗子蛋糕 lìzi dàngāo
シュークリーム  泡芙 pàofú
ようかん  羊羹 yánggēng
イチゴのショートケーキ  草莓蛋糕 cǎoméi dàngāo
フルーツタルト  水果蛋糕 shuǐguǒ dàngāo
おいしい!  好吃! hǎochī!

(つづく)

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論語でジャーナル’25

4,子貢、問うて曰く、賜(し)や何如(いかん)。子曰く、汝(なんじ)は器(うつわ)なり。曰く、何の器ぞや。曰く、瑚璉(これん)なり。

 子貢が先生(孔子)にたずねた。「わたくし(賜)はいかがでしょう?」。先生は言われた。「お前は器である」。子貢が言った。「何の器でしょうか?」。先生が言われた。「宗廟のお供えを盛り付ける瑚璉(これん)の器だよ」。

※浩→「賜」は子貢の実名です。先生に対して実名を言ったので「わたくし」と訳しています。「子賤こそ君子だ」と孔子がほめたので、子貢が先生に「自分はどのような存在か?」と自分の評価について問いかけているのです。孔子は「お前は、先祖をお祭りする宗廟の瑚璉のような器だ」と言いました。「為政篇」で「君子は器ならず」と言っていますから、子貢は自分は君子でないと言われたと思ったのでしょうか、さらに「何の器か?」とたずねたのでしょう。孔子は、自信家で自己過信の傾向のあった子貢をやや戒める気持ちを持って「汝は器なり」と言ったのでしょうが、孔子は才気抜群の優秀な子貢の実力を十分に認めていたので、「器は器でも、最高級の瑚璉の器だ」と子貢を評価しました。瑚璉は宗廟のお祭りのお供えに、黍稷(しょしょく:きびと高梁=こうりゃん)の飯を盛る器です。吉川幸次郎先生の解説によれば、『易』に「形あるものをばすなわち器と謂う。形より上なるものはこれを道と謂い、形より下なるものはこれを器と謂う」とあります。器とは目に見えない道理の具現として、目に見える形を持ったものである。また『易』には、「弓矢なるものは器なり、これを射る者は人なり、君子は器を身に蔵し、時をもって動く」ともあるそうです。そうそう、「形而上学」という言葉はここから出たのでしょう。案の定、ネットにありました。↓
 英語metaphysicsなどの訳。この訳語は《易経》の〈形而上を道と謂う〉の語にもとづき,《哲学字彙》(1881年)以来のもの。原語はアリストテレスの講義草稿を整理する際,編者のアンドロニコスが,自然学(フュシカ)の後に(メタ)無題の草稿を置いて,〈自然学の後に置かれた諸講義案(タ・メタ・タ・フュシカ)〉と呼んだことに由来する。第二哲学たる自然学に先立つ原理学としての第一哲学,神学のこと。最も基本的には,経験において与えられる具体的・個別的なものを超越して,全体的・究極的・絶対的にみる哲学の部門をいう。17世紀にウォルフが哲学を形而上学(理論)と実践哲学(実践)に分けて以来,カント,ヘーゲル,ニーチェ,ヤスパース,ハイデッガー,ベルグソンらによって批判を含む多様な展開が図られたが,一方で実証主義,マルクス主義,論理実証主義,プラグマティズムなど反形而上学を標榜する思潮もあって帰趨は定めがたい。(引用、以上)
 孔子は子貢の才能は十分認めていたのですが、子貢の人柄が貴族らしい温雅な人間である君子のイメージとは遠いと考えていたのでしょう。かつて、野田先生に認められたい一心で、自分のカウンセリングのケースをせっせと「事例検討会」に運んでいた自分と似ているようにも思えます。

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しごとの基礎英語1/11

<ジョブキソ34>
#テーマ
 同僚のユミが怒りで我を忘れている。
「落ち着いて話し合おう」となだめるには?
Yumi, please calm down. Let's talk it through.
ユミさん、どうかおちついてください。話し合いましょう。
(少し強めに名前を呼ぶと我に返る)
 @ through = 通り抜けて、始めから終わりまで
 ※speakとtalkは全然違う
  speak = (ただ)音声を出す
  talk = 話し合う
※あまり深刻でない場合なら;
Take it easy.「気楽にいこうよ」

#相手の反応
You're right. I need to think this through.
あなたの言うとおりだわ。よく考えなくちゃ。

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