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しごとの基礎英語12/21

<ジョブキソ30>
#テーマ
 上司の家族に「やっとお会いできて嬉しいです」とスマートに挨拶するには?
It's nice to finally meet you in person.
とうとうじかにお目にかかれて嬉しいです。
 @ finelly = ついに、とうとう
 @ in person = じかに、直接

※追加するとすれば、
Thank you for inviting me. 「お招きいただきありがとうございます」
I appreciate Mr. Miki very much. 「いつも三木部長に大変お世話になっています」

#相手の応答
Yes. My hasband has told me a lot about you.
まあ、夫からいつもお話を聞いているわよ。

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ハングル講座12/20

第39課 動詞の過去連体形、動作の順序
<動詞の過去連体形>
#キーフレーズ
過ぎたことは忘れてください。
チナガ ニルン イジョ ジュセヨ
지나간 일은 잊어 주세요.

#公式:動詞の過去連体形「~(し)た~」
・「語幹 + ㄴ/은 」(パッチム型)
・パッチムㄹは「ㄹを取って + ㄴ」
 @過ぎる=지나가다
 「지나가 + ㄴ」=지나간  過ぎたことは

<動作の順序>
#キーフレーズ
合格したあとに話してあげますから。
ハpキョカン ドゥィエ マレ ジュrケヨ
합격한 뒤에 말에 줄게요.

#公式;動作の順序「~(し)たあとに」
・「語幹 + ㄴ 뒤에/은 뒤에」(パッチム型)
・パッチムㄹは「ㄹを取って + ㄴ 뒤에」
@合格する=합격하다
 「합격하 + ㄴ 뒤에」=합격한 뒤에   合格したあとに
@飲む=마시다   飲んだあとに=마신 뒤에
@遊ぶ=놀다    遊んだあとに=논 뒤에
@受ける=받다   受けたあとに=받은 뒤에
@読む=읽다   読んだあとに=읽은 뒤에
@来る=오다    来たあとに=온 뒤에

<問題>
1,昨日会った人は誰ですか?
 @会う=만나다
어제 만난 사람은 누구예요?
2,ご飯を食べたあとに宿題をします。
 @食べる=먹다
밥을 먹은 뒤에 숙제를 해요.
3,窓を開けたあとに掃除してください。
 @開ける=열다
창문을 연 뒤에 청소하세요.

<ワンポイント>
おいしいです。
マシッソヨ
맛있어요.
おいしそう!
マシッケッタ
맛있겠다.
おいしかった。
マシッソッソヨ
맛있었어요.

<発音> ㅎ変則
どうですか?=어때요? オッテヨ?
 どうだ=어떻다
 どうですか?=어떻 + 어요? →(ㅎと어が脱落、때に変わる)
パッチムㅎで終わる語幹に아、어で始まる語尾が続くとき、パッチムㅎと아、어が脱落し、さらに語幹の最後の母音はㅐに変わる。さらに으が続くとㅎと으が脱落する。
 どうだ=어떻다 → どんな=어떤
 青い=파랗다   青いです=파래요
※パッチムㅎで終わる形容詞のうち、좋다(よい)以外は変則。

<料理下ごしらえの言葉>
切る=썰다
みじん切りにする=다지다
むく=벗기다
する(擦る)=갈다
薄切りにする=얇게 썰다

<フィナーレ>
映画を見たあとにご飯を食べましょうか?
영화를 본 뒤에 밥을 먹을까요?
そしてご飯を食べたあとにお茶を飲みましょうか?
그리고 밥을 먹은 뒤에 차를 마실까요?
仕事が終わったあとに来てください。
일이 끝난 뒤에 오세요.

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論語でジャーナル’24

 子曰く、父母いますときは遠く遊ばず、遊ぶに必ず方あるべし。

 先生が言われた。「父母在世の間は、遠い旅行をしない。旅行をしても、きっと一定の方角にだけ行き、別の方角へ勝手に行かない」。

※浩→上の解釈は「新注」によります。「古注」では、「方は常なり」で、「規律ある旅行をする」とか「決まった連絡先がある」と解釈されます。吉川幸次郎先生は、両説併記で、貝塚茂樹先生は、古注採用です。
 『礼記(らいき)』に「およそ人の子たるものは、出づるときには必ず告げ、帰れば必ず面(め)どおりす。遊ぶところ必ず常あり、習うところ必ず業あり」とあるのと似ています。
 私に関しては、就職して1年で父は他界し、親は母一人。しかもその母は人一倍の心配性で、この孔子の教えどおり実行するよう私に求めていました。仕事に出るときは、「帰りは何時?」と、出張や旅行では、「帰りはいつ・何時?」と必ず聞かれました。その日にちや時間を過ぎるときは、必ず電話で連絡を入れるようにと、それはそれは厳重でした。だいたいは守っていましたが、飲み会のときなどは、ときどきタイミングを失して予定時間を過ぎても連絡しないことがありました。そんなときはかなり苦情を言われました。大学時代は下宿生活で別居でしたから気楽でした。ボート部は年中ほとんど合宿で、年に数回、県外へ遠征に行っていました。中国五県内か、琵琶湖か、あるいは埼玉県戸田とか行きましたが、いつどこへ行き、いついつごろ帰るか、まったく連絡の必要はありませんでした。父が逝って母が同居するようになってから、この厳格な「帰宅縛り」が始まりました。自称“親孝行”の私は、それでもきちんと母の言いつけを守ったほうだと思います。最初の赴任地・井原市と続く高梁市(総社市在住)では、そんなに遠出することはなくて、たまに女子バレーボール部員や卓球部員を引率して、岡山市や津山市へ出張するくらいで、もっとまれには静岡県に就職した親友・行司伸吾君のところへ遊びに行くくらいでした。備前高校時代のボート部監督時代には、青森国体と佐賀国体が最も遠距離でしたが、これも問題なし。母もまだ若くて、心配性がそれほどひどくなかったのでしょう。岡山工業高校に勤めるようになって西大寺に住んだころから「帰宅縛り」が厳しくなりました。毎月開催のアドラー心理学の講座のあとは、「懇親会」があり、よく帰宅が深夜になりました。二次会なんかあると、あらかじめ伝えていた時刻を過ぎることがたびたびでした。余裕があれば会の途中で電話を入れるのですが、何しろお酒が入っているし、お仲間との楽しいおしゃべりが弾んていて、電話する暇のないことがありました。“午前様”で帰宅すると、当然、母はすでに寝ています。家は真っ暗です。自分用の鍵でそっと玄関を開けて入り、母を起こさないように気をつけますが、微かな物音で母は目が覚めて、いくらか苦情を言っていました。そんなとき素直に謝ればいいものを、何だかんだと言い訳をしていました。極楽浄土のお母さん、ごめんなさい。親不孝の報いがやってきましたが、観念して粛々と対処しました。

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新・中国語講座12/18

第0課 導入
<中国語>
 中国語=中文 zhōngwén
漢語=汉语 hànyŭ
 普通話=普通话 pŭtōnghuà

<声調>
第一声[ ā ](高くて平ら)
 船の汽笛が「ポー」と鳴る感じで、音が最後まで一定
第二声[ á ](上がり調子)
 「え-!」と驚くときのように
第三声[ ă](低く押さえて少しだけ尻を上げる)
 「あ~あ」とため息をつくような感じ。
第四声[ à ](下がり調子)
 カラスの「カー」という泣き声のように
軽声(けいせい)
 軽く、弱く、短く発音される。

<単母音>
a [a+ :]  明るく口を大きく
o [o:] 口を丸めて突き出す
e [ə:] 口を半開きでのどの奥から[ウー]
i [i:]  口を横に引く
u [u:] 口を丸めて突き出す
ü [y:] 「ウ」の形の口で「イー」
  j , q, x の後につく「ü」、「üe」、「üan」、「ün」では,「ü」の上の点を省略する。
  (例)局ju2,去qu4,学xue2,全quan2,许xu3
er [ə:ɹ] eを言いながら舌を反り上げる[アール]の感じ

<子音>
#唇を使う
b [p]=無気音(息を出さない)。
p [p']=有気音(息を強く出す)。
m [m]=口をしっかり閉じる。
f [f]=上の歯を下唇に当てて。

#舌先を使う
d [t]=無気音、舌先を歯茎にぴったりつけて、「ぴったり」の「た」。
t [t']=有気音、上と同じで息を強く吐く。t'aは「タハー」という感じ。
n [n]=舌先を上の歯茎にぴったりつけて。
l [l]=舌を伸ばして上げる。

#舌の付け根を持ち上げる、のどの奥から音を出す
g [k]=無気音
k [k']=有気音
h [x]=有気音

#舌面を使う
j [ch]
q [ch']
x [s']=日本語のsより息を強めに

#舌と歯を使う
z [ts]=無気音
c [ts']=有気音
s [s]=日本語のsとほぼ同じ

#舌を反り上げる(上の歯の後方へ反り上げる=↑)
zh [ts↑]=無気音
ch [ts'↑]=有気音
sh [s↑]=無気音
r [z↑]=有声音


<数詞>
一=一 yī
二=二 èr(序数:順番) 基数は 两liǎng
三=三 sān
四=四 sì
五=五 wŭ
六=六 liù
七=七 qī
八=八 bā
九=九 jiŭ
十=十 shí
百一=一百一=一百零一 yi4bai3ling2yi1

<指示代詞>
これ=这 zhè
あれ=那 nà
どれ=哪 nǎ
※話し言葉では
これ=这 zhèi
あれ=那 nèi
どれ=哪 něi
「どれがいい?」 哪个好? Něige hăo?
「これがいい」 这个好。 Zhèige hăo.

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論語でジャーナル’24

 子曰く、父母に事(つか)うるには幾(ようや)くに諫(いさ)む。志(こころざし)の従われざるを見ては、また敬(けい)して違(たが)わず。労して怨まず。

 先生が言われた。「父母のおそばで用事をしていて、誤りを見つけたときには、まず遠回しに諫言申しあげよ。諫めを取り上げられない意向と察したら、謹んでこれに違背しないようにし、心の中では憂慮していても、怨みを抱いてはならない」。

※浩→「志の従われざる」の「志」は父母の意志・気持ちで、父母の気持ちがこちらの勧告に従いそうにない場合」ということ。「労して怨まず」は、通説は「父母から労働を課せられても安んじて従い、怨みがましくイヤそうな様子・気持ちを持ってはならぬ」ですが、他説に「労」は「憂」とあるので、「心配はするが、怨みがましい気持ちは持たない」と訳すと、前後のつながりがよくなるので、こちらを採用しています。
 私が父を送ったのは1965年(22歳)でした。新採用で井原市立高校に勤務して1年の春でした。「夜間部」で授業をしているとき、病院(済生会病院)にいる妹から「父危篤」の連絡が来ました。井笠鉄道(現在は廃線)と山陽線を乗り継いで病院へ駆けつけましたが、ちょっと前に息を引き取ったところでした。享年55歳でした。母は父の入院時から病院に泊まり込みで介護していました。子どもから見ると夫婦仲は良くはなかったようですが、父は息を引き取るとき、母に「すまなかった」とひとこと言ったそうで、母は、「そのひと言で救われた」と述懐していました。
 子どもから見て、典型的な“頑固おやじ”だった父には、仮に誤りを見つけたとしても、たとえ遠回しであろうとも、諫言などできません。想像すらできません。ひたすら懼れて遠ざかり完全にマザコンになりました。2歳下の妹は、私から見ると、父にとてもかわいがられていました。今でも思い出すのは、妹は父にお風呂に入れてもらっていました。私は一度もそういう体験はありません。父はお風呂上がりには、「ぬくもって出るん?」とか、壁の傷を見つけてか「あっこ、破っとん?」とか、浴槽内で妹が語った言葉を嬉しそうに繰り返して、妹をあやしていました。記憶の不正確なところは、妹が訂正してくれるでしょう。私はは始終母親にくっついて、劣等感を補償したことでしょう。逆に父親から見れば、いつも母親べったりの私に好感をいだけなかったのかもしれません。私には5歳上の兄がいました。彼は10歳で病死しました。兄が誕生のときは、父は戦争に行っていなくて在宅でした。私が誕生のときは戦地でした。妹が誕生のときは在宅でした。そのため、父は私をかわいくないのだと勝手に思い込んでいました。
 母には甘えきっていて、ずっと苦労をかけてきました。それでも、87歳の天寿をまっとうしました。その母には「言いたい放題」を言って親不孝をしたと今では心から悔いています。私にできなかった分を相棒・K先生が、郷里でご健在のご両親に徹底して孝行を尽くされています。

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