11月句会を始めます。下記開催要領に従い奮って投句願います。
現在までの投句者は、えっちゃんあら、ヨヨ、ABCヒロ、コビトカバ、の皆さんの4名です。
11月度みんなのネット俳句会・開催要領
1・投句期間 11月5日(水)~11月10日(月)
2・投句 当季雑詠 5句まで
3・清記発表 11月11日(火)
4・選句 8句選句 11月11日(火)~11月13日(木)
5・成績発表 11月14日(金)
6・その他 投句代行可、投句後の訂正、差し替えも可
投句内容は幹事が確認次第、非表示にします。
句会開催中であっても一般の書き込みは制限はしません。
投句後の訂正依頼のやりかた
(誤) 古池や海豚飛び込む水の音 バショウ
(正) 古池や蛙飛び込む水の音 バショウ
コロナのの為延び延びになっていた都築邸への訪問がやっと叶った。自宅は豊明にある閑静な一角。3人の息子さん達もそれぞれ独立し北国など県外へ、正月にはお孫さんを迎えての楽しい一時を。自宅前にはおよそ100坪の菜園が。彼の半年の作品である採れたての空豆、豌豆など奥様の手作りの季節料理が並ぶ。テーブルには伊勢志摩サミットでの名酒「作」、やや甘口。口当たりが良く差しつ差されつしている内に空に。さらに秘蔵の銘柄が。彼は、地本の桶狭間研究愛好家の会員。会員の子供達を交えて作成した段ボール製の甲冑・兜が床の間に。興じてナチーサンが身に付ける羽目に。槍が無く缶ビールを持たされ写真に納まった。名目は俳句の研究会だったがそっちのけ。「子供の感性をいつまでも」で終わった。窓際の樹木に幾組かの小鳥が来ていたが知らぬ間に夜も更けていた。
和談さんご夫妻は豊明のお住まいでしたか。俳句研究にかこつけ、楽しいひと時を過ごされたようで何よりでした。ところで桶狭間の合戦をめぐる名古屋・豊明の争いはどう決着したのですかね。
どうしても気になった句:日光黄菅尾瀬へ空へ思ひ馳せ
5・7・5の定形から大きく崩れているんじゃないでしょうか?
にっこうきすげ/おぜへそらへ/おもひはせ で 7・6・5 「空」が余分みたい
私なら 尾瀬沼の/日光黄菅/への思ひ としますがね どうでしょうか?
日光黄菅尾瀬へ空へ思い馳せ
御指摘されて今気付きました。
日光黄菅尾瀬へ空へと思い馳せ
“と” が抜けてました。毎年庭に日光黄菅が咲きます。その度に尾瀬を訪ねた遠き思い出が蘇ります。どうしても夕菅と分けたくて日光をいれて上7にしました。尾瀬の空へとでは無く尾瀬沼へ更に尾瀬の空へとの思いを込めました。
束束子さん、ご指摘くださり有難うございました。アイビーさんにも、2句の講評、優しい解釈を頂き感謝しております。
なるほど、そうですね。
嚶鳴庵俳句教室は、今日の13時からです。
兼題は、遠足、蜥蜴です。兼題と当季雑詠の合計5句を12時50分までに提出してください。
(組み合わせは自由です。)
ひと月は、あっという間、予告が大変遅くなりました。新緑の嚶鳴庵もなかなか、風情があります。
どうぞ、お出かけください。
アイビーの俳句鑑賞 その4
鯉のぼりこわごわ触る子の笑みや (令淑)
鯉幟の句は沢山あるが、勢いよく風をはらんで泳いでいる様、少し斜に構えて無風状態のしょぼくれた鯉幟、役目が終わり地上に下りた鯉幟と多様で、料理のし甲斐のある題材だろう。掲句は地上の鯉幟を子が恐る恐る触る、その様子に焦点を当てたところが作者のお手柄だ。ただ座五に切れ字の「や」を持ってきたのはどうかなあ。俳句の坐りがもう一つよくないような気がする。納得がいくまで推敲したいものだ。
バードデー常の如くに雀どち (ナチーサン)
毎年5月10日から16日まで愛鳥週間に定められ、全国各地で催しが行われる。東京では宮様のご臨席の下、セレモニーが挙行され、野鳥団体のバードウオッチングが各地で行われる。ただしこれは人間社会の決め事であり、当の鳥たちは、人間の世話になろうなどとは端から思っていない。自然界の掟に従い、種の保存のための営みを行っているのだ。
フフフフフ我が小庭もや薔薇の園 (ちとせ)
丹精の薔薇が見事に咲いた。自分が手塩にかけたと思えば、なおのことで満足感にひとりでに口元が緩んでくる。「フフフフフ」に説明は要らないだろう。坪内稔典の代表作「三月の甘納豆のうふふふふ」を髣髴とさせる。
蔵町の運河彩る鯉のぼり (ちとせ)
半田運河の鯉のぼりを詠んだ。毎年晩春から初夏にかけ、運河べりに百旒ほどの鯉幟が泳ぐ様は半田の風物詩となっている。運河に沿いミツカンや清酒国盛、亀甲冨の醸造蔵が立ち並び、これらの蔵は黒を基調としたモノトーンで、落ち着いた雰囲気を醸し出している。そこへ真鯉、緋鯉の鯉幟が翩翻と泳ぐ様子は、対岸の柳の並木と相まって一際鮮やかだ。ちとせさんはこの景観を外連味なく綺麗にまとめた。
ふうわりと軽き嬰児や花祭り (ヨシ)
嬰児は「えいじ」ではなく「ややこ」「あかご」どちらかで読みたい。花まつりは言うまでもなくお釈迦様が生まれた日で、多くは4月8日前後に仏生会あるいは花祭りとして、甘茶を釈迦誕生仏にかけて祝う。「天上天下唯我独尊」という例のフレーズで知られる。仏教行事にありがちな厳粛さはなく、光明に満ちた喜びの行事でもある。嬰児と花祭り、この取り合わせが良いと思った。生まれたばかりの微かな存在ながら、生命の躍動を感じさせる。特選にいただいた。
止みさうな雨の日永を持て余す (中安田)
「日永」は春の季語。物理的に日が長いのは夏至の頃だが、心理的に日永を感じるのは春ということ。日脚伸ぶ、遅日、明け易し、夜長などの季語はいずれも心理的な主観に基づいた季語だ。日暮れまで間があり、一仕事片付きそうだがあいにくの雨。この雨、やみそうだが止まない。さてどうしたものか、思案投げ首の作者。誰にでも経験あることを巧みに詠んだ。俳味たっぷりの佳句。
春の蚊のどこかへ行つてしまひけり (無点)
惜しくも無点となったが、これも俳味を感じさせる句だ。春の蚊はそれほど執拗ではないから当方も真剣に追わない。これが夏の蚊となると、ただではおかぬとばかり必死に追い詰め、親の仇のように打つ。秋の蚊となると、弱々しく出てきて呆気なく打たれる。で、春の蚊。いつの間にか何処かへ行ってしまったようだ。
アイビーの俳句鑑賞 完
美しき兄の草笛聞きし、ありがとう御座いました。私は今風に言えばブラコンかも❢ もう、兄達はみな旅立ってしまいましたがどの兄にも大切にしてもらいました❢ でも、長兄が54才で旅立った時には立ち合う事も出来ましたし次兄の時は手術の度に説明にも立ち合いました❢ その後のホスピスにも幾度ともなく通い昔語りなどしました。兄嫁さんが40代で亡くなっていましたので❢ 隣の兄には義姉さんも娘も孫もいましたので少し遠慮しましたが私に会いたいと言ってくれました。父は厳しい人でしたが私には甘かったと思っています❢ 私の我儘を叱ってくれたのは長兄ですし好き嫌いの激しい私の食べ終わるのを待っていてくれたのは次兄でした❢ おかしいですよネッ❢ 兄達も妹にしか頼めない事も有り隣の義姉さんにどちらが年上か分からないよネッ❢って言われた事も❢_
アイビーの俳句鑑賞 その3
三段の夜行寝台昭和の日 (尾花)
着眼が面白い。昭和の寝台車は輸送効率を優先のため三段式ベッドだったが、窮屈で寝返りも打てないような有様だった。今でも三段ベッドがあるのだろうか。寝台車に限らず在来鉄道の旅は日本人の郷愁を誘う。新幹線や飛行機には無い、なにかがあるようだ。作者自身も寝台車に纏わる思い出があるのだろうか、それにしても昭和は遠くなった。
風薫る異動決まった帰り道 (コビトカバ)
人事異動の内示があった。これは私の勝手な想像だが、昇格を伴った異動と見たがどうだろう。ただ持ち場が変わるだけの異動と違い、より重要な責任のあるポストへの異動である。もとより内心ひそかに期していたことだろう。上五の「風薫る」がそれを暗示している。コビトカバさんはバリバリの現役世代とお見受けするが、なにも俳句は老人の専売特許ではない。これからも現役世代ならではの視点での句作に期待したい。
米寿など途中駅とて草を取る (てつを)
一転してベテランの味わいの句。米寿は八十歳のこと。私よりてつをさんは僅かに年上とお見受けするが、年配者の偽らざる心境として、時間の経過は一本の棒のように連続しているのであって、喜寿、傘寿の節目だからと言って格別の感慨は無いものだ。言ってみれば通過地点に過ぎない。周りは節目の慶事と祝ってくれる。それはそれとして素直に受け入れるのが年長者の分別だろう。この句は中七に切れを入れず、「とて」と接続助詞を入れ一物仕立てにしてあるが、句意としては二物取り合わせの句とも取れる。どちらがよいかは、好みの問題だろう。
道に土こぼし田植えの終わりたる (森野)
機械植えが普及した現代の田植風景は昔のそれとは趣を異にする。一族郎等が勢ぞろいした昔の田植と違い、拍子抜けするほど呆気なく終わってしまう。それでも道や畦のそこかしこに泥を落として、ああ田植が終わったなあと分る。昔も今も、田植が農家の一大事業であることに変わりはない。
美しき兄の草笛聞きし頃 (森野)
上五に「美しき」としたことにより、で森野さんとお兄さんの麗しい関係が分かる。それはただ草笛の音色が美しいに留まらず、幼い森野さんにとってお兄さんは、なんでも教えてくれた頼もしい兄であり、やさしかった兄を暗示しているのだ。長じて青年期、壮年期を経て、それぞれの家庭を持っても、会えば昔の兄妹なのだ。
小籠包の桜風味に春惜しむ (ふうりん)
ふうりんさんは季節それぞれの食べ物の句を出句される。しかも毎回違った趣向で読者を楽しませてくれる。今回は中華料理の定番ともいうべき小籠包の登場だ。桜風味というのがよく分からないが、おそらく色や全体の雰囲気を含めて桜風味としたのであろう。季語の「春惜しむ」が動かない佳句だ。
孫集ひ筍飯や背比べ (和談)
普段はなかなか行き会えない一族が、珍しく全員揃う機会があった。食べ盛りの子どももおり、掘ったばかりの筍で筍飯を炊いた。何時もの夫婦二人だけの食事と違い、どんどん減っていくから作った方も張り合いがあるというものだ。和やかで楽しい食事風景。ただ俳句は17音という制約があり、あまり色んな要素を盛り込むとせせこましい俳句になるので気をつけたい。掲句の場合、背比べを割愛して、孫たちの食べっぷりに焦点を当てたらどうだろう。筍飯一升炊いて孫を呼ぶ とか。
めがね屋に数多のめがね昭和の日 (無点)
めがね屋に眼鏡があるのに不思議はないが、何ともとぼけた味を出している。惜しくも無点句となったが、このとぼけた味わいは捨てがたい。季語の「昭和の日」にあっている。何があっていると聞かれても困るが、AI俳句には無いヒューマンな味わいを楽しみたい。
以下次号、不定期掲載
尾花さんへ
爽やかに働けたらいいなと思ってます。元気が出るお言葉ありがとうございます!
頑張ります(^_^)
コビトカバさんへ
新しい勤務先へワクワクしながら出勤するなんていいですね!
新しい職場で、仕事や人に慣れるまで、気苦労があると思いますが、初夏のさわやかな風の中、溌剌と出勤する姿とても素敵です。頑張ってくださいネ。
自分の句に感想を頂けるととても嬉しいです。
新参者で俳句も初心者なのでここでスレッドを挙げるのもまだまだ緊張します。
アイビーさん、異動が決まったのは私ですが栄転ではなく、働く内容は変わらず働き先がかわります!
新しい働き先にワクワクしている気持ちを風薫るに託してみました。
昭和42~43年と言えばわたしが二十歳になったっかならぬかの頃、これで尾花さんの大体の年齢が推定できます。前回の東京オリンピック、マラソンの円谷、東洋の魔女のニチボー貝塚ですね。昭和34年の安保闘争、同じく伊勢湾台風、これらをリアルタイムで体験した人は同世代人とみて差し支えないでしょう。
私らの若い時は右肩上がりで、少なくとも働く場所が無い、というようなことは無かったわけで、今の人はそれだけでも大変だなあと同情します。兵隊に取られる事もなく、恵まれた世代だったと思いますよ。換言すれば、親の世代より高学歴、高身長、高所得が常識でした。
それもここへ来てだいぶ怪しくなってきました。
三段式寝台車の話をするつもりが、とんでもない方に脱線しました。
米寿は八十八歳ですね、どこで間違えたんだろう。
・三段の夜行寝台昭和の日
この句を鑑賞してくださりありがとうございました。
昭和42~3年の頃、友人3人で東北へ旅行したことがありました。上野から夜行寝台で盛岡まで。
詳しいことは忘れましたが7~8時間かかったような気がします。 三段ベットの上段は少し余裕があったように思いますが中段下段は座ることも窮屈で寝るしかない状況。
朝早めに目が覚めすることもないので寝具など片付けようとゴソゴソやっていたら、回ってきた車掌さんに「片付けるには手順があるので余計なことはしないでください」と叱られて。
十和田湖から奥入瀬。青森から五能線で海岸線の美しい景色を堪能。深浦でも一泊。そして男鹿半島の入道岬へ。ユースホステルを使ったケチケチ旅行。半世紀以上前の昭和の思い出です。
米寿は八十八歳では。
アイビーの俳句鑑賞は現在、「その3」まで進んでいますが、近日中に「その4」を投稿し終わる予定です。ふと気がついたのですが、私が連載を続けている間、皆さんは投稿を自粛されているのでありませんか。どうかそんなことは気になさらずに、どしどし投稿してください。内容がかぶっても、まるで正反対の見解であってもいいじゃありませんか。積極的な書き込みをお待ちしています。
かをりさんへ
驚きです。かをりさんのメーンが短歌とは。歌会始へも出されているんでしょうね。私も一度だけ出したことがありました。
今年のお題は「和」ですね。
大府に来た頃入会したのが蕉風の句会でした。主宰の他界で解散しましたが、この結社の本部では短歌に対抗して毎年宮内庁へお題の
俳句を届けていたようです。
アイビーさん、こんばんは。
アイビーさんの書いておられることは私もうすうす思っていました。
投句数も100句を越える盛況、そろそろ私も古巣に戻り本腰(短歌がメイン)入れようかと。
私は落ちもありますが、感想を述べていただいた方にはご挨拶させていただいております。
それが常識だとおもっています。
まだまだ揺籃期、皆様の体調やお忙しさ、アクセス難等、お気持ち、重々承知しております。
ネット句会の手軽さもありますが、なるべくリアル句会のごとくコミュニケーションの場であればいいですね。
片減りの鍬を入れたる菜園や 傍に青めく蔦の勢ひ かをり
アイビーさん、最初は片減りの鍬、徐々に盛会になりますよ。
アイビーの俳句鑑賞 その2
嬰児は神の賜物子供の日 (ゆめ)
起きていても寝ていてもあどけない嬰児を見ていると、やはり神様からの贈り物のように思えてくる。現実の社会は世知辛くても、子どもだけは誰某の子というのでなく、社会全体の責任で育てなければと思う。嬰児はえいじ、ややこ、ちのみご、みどりご、と読み方が割れるが、4音に限定すれば、ちのみご、みどりごのどちらかになる。こういう場合はルビをふるのもひとつの方法かと思う。
原っぱの空無限大夏来る (玉虫)
空は無限大である。何を分かり切ったことを、と言う勿れ。障害物が何もない原っぱであったとしてもだ。空が無限大になったのは、夏が来たからなのだ。無理筋でもなんでも強引に断定すれば、そこに詩情が生まれる。俳句に因果関係を持ち込むのは不可だが、ハチャメチャな因果関係なら詩になる。
素麺が喉走り去り夏来る (ラガーシャツ)
口当たりの良い素麺を勢いよく啜る、よくぞ日本に生まれける、とつくづく思う季節になった。俳句の憲法1条は季節感、となればこの句などは申し分ないが、当然異論もあるだろう。素麺が夏の季語であるから、座五の「夏来る」は蛇足という指摘も。もっともな指摘だ。そこで 素麺をするりと啜り王手飛車 このように発想を展開させるのも面白いかも知れない。
降り注ぐ囀り亡骸のポーズ (弥生)
ヨガのポーズとは知らなかった。無知を恥じ入るのみ。
彫刻の龍の眼力山車過ぐる (弥生)
半田市は山車文化の栄えたところで、今年の秋には市内の山車31台が揃う山車祭りが計画されている。山車と言えば彫刻、彫常こと初代新美常次郎や立川流彫刻の粋を極めた彫刻が姸を競っている。彫刻の図柄では、やはり龍虎相撃つの図が好まれる。彫刻の龍に眼力があるとは、流石名人の腕の冴えはたいしたものだ。龍の目が死んだような目だったり、虎だか猫だか分からないようでは興ざめだ。
柏餅食べて日本に骨埋める (ABCヒロ)
この句の解釈は色々できるが、私は、おそらくブラジルあたりから働きにきているのだろうか、日本での生活が長く、生活の基盤も日本にある外国人家庭を想像する。日本の風習にもすっかり慣れ、言葉も不自由しない。端午の節句には、日本流に柏餅を食べ、子どもの健やかな成長を祈る。「日本に骨埋める」その覚悟たるやよし。
かたくりの叱られて花咲くばかり (無点)
惜しくも無点となったが、最初この句を読んで思わず吹き出した。かたくりの花(堅香子ともいう)は愛知県では三州足助が有名だが、どういう訳か花が俯いて咲く。というより、下向きに咲く。その様を「叱られて」と見立てたのがユニークなところ。
以下次号、不定期掲載
・かたくりの叱られて花咲くばかり
かたくりの花が楚々と咲いている様子が読めて好きな句です。
足助の飯盛山には何度か行きましたが、3年程前に行った時気になる草が生えていたので、土地の方に聞いたところその草は「キツネノカミソリです。」と言われました。では夏に来ればキツネノカミソリが見えますね・・・? と伺うと、実はその草はかたくりを次々と枯らしてしまう草なので困っているのです。かたくりを保護するためには、キツネノカミソリを排除しなければならないのですが、大変な労力のいることで観光協会と町も頭を痛めているところです。と。
「キツネノカミソリ」とはいかにも厄介者か嫌われ者の名前のようですが妙に納得しました。
名前の割には、花は彼岸花に似た黄色の綺麗な花です。茶臼山の近くで群生地があり山を少し登って見てきたこともありました。
足助のかたくりは、これからも是非守っていって欲しいです。大変でしょうが頑張ってキツネノカミソリを排除できますように。
素麺をするりと啜り王手飛車
特選に戴きます。もう、参ったなあ。先を越されましたわ。
アイビーの俳句鑑賞 その1
例によってアイビーの俳句鑑賞三原則に基づく感想です。異議、反論大歓迎です。
走り茶の風にもありぬみどり色 (えっちゃんあら)
新茶の出回る季節に相応しい、清々しい印象の句になった。風もみどり色と捉えた、えっちゃんあらさんの自由奔放な表現が冴えている。
雛罌粟や町の駐在いつも留守 (そらまめ)
7点を集めた、二句一章の見本のような俳句。駐在所の殺風景な佇まいと愛らしい雛罌粟の取り合わせに魅かれるものがある。そらまめさんは初投句だが、違うハンドルネームで投句された可能性はある。
西瓜苗植えて至福の時を待つ (茶々)
本職のお百姓ではなく、趣味で畑を作っておられるのだろう。西瓜の苗を植え肥料を遣り、収穫までの苦労は大変だが、それだけに収穫の嬉しさは一入だろう。「至福の時」に実感がこもっている。
鯉のぼり孤独の我を見下ろせり (茶々)
鯉幟の句はよくあるが、大抵は勇ましさ、元気を強調して詠むのが普通だろう。この句のように、わが身の境遇と引き比べて詠むのは珍しい。しかも、主体はあくまで鯉幟で、作者自身のことを客体視する手法がユニークだ。欲を言えば「孤独な我を」が深刻になりすぎるので、「淋しき我を」ぐらいに留めたい気も。
初夏を吐く鬼の一手の垂れ歩かな (かをり)
かをりさんの今回のテーマは将棋。全5句に将棋用語を使い、その言葉から派生するイメージを俳句にした。現実の世界、イリュージョンの世界が入交ってのかをりワールドが遺憾なく展開された。それがかをり流の俳句へのアプローチの仕方なのだ。さて、来月はどんな趣向で私たちを楽しませてくれるのか。
乗っ込みの大鯛斧をもて捌く (束束子)
産卵期の大鯛を斧で捌くという何とも豪快な句だ。もっとも斧では捌くというより、むしろ解体だろうか。もともと詩歌は白髪三千丈の世界で、嘘だろうが何だろうが大袈裟なほうがよい。リアリズムも時と場合によると心得たい。それにしても初夏らしく爽やかな句になった。
ワンピース原色の柄夏来たる (無点)
惜しくも無点となったが、雰囲気のある句。原色、柄、夏来たるがキーワードだから敢えてワンピースに拘ることも無いように思うがどうだろう。
原色の花柄模様夏来たる とか。
以下次号、不定期掲載
将棋尽くし、いけないなと思いました、
安易ですよね。ここのサイトへの忖度の一種でした。
私は棒銀しか指せないけど、だけど将棋は奥深いですねえv
将棋の格言はおもしろく深いです。
ト金寄り外は蝮の騒ぎかな かをり
早乙女ののちは真青のワンピース かをり
いいえ、上五はナチーサンの千日手いいかも。
私は蛇は大嫌いです!
おやすみなさいませ。
ちなみに違うハンドルネームで投句された可能性はある。IPアドレスチェックで、私は知ってますけど、個人の自由、まあ粋でないので、しらんぷりしてますw
私はいい句を浴びたい。
乗っ込みの大鯛斧をもて捌く(束束子さん)
迷わず特選で頂きました。「乗っ込み」という言葉、今回辞書を引いて始めてしりました。
束束子さんが80センチ余りの大鯛を鉈や斧で捌く様子がよくわかりました。
以前親しくして頂いていた陶芸の先生は(1年前に亡くなられましたが)お魚を捌くのが得意で、丁度鯛を捌いているところに遭遇したことがありました。その時は台所ではなく、庭の真ん中辺りに排水口があり、その上に大きな自慢の俎と自慢の包丁と散水ホースを置いて、40~50センチ位の鯛を捌いている最中。「イヤー、これを台所ですると鱗がとんでもない所に飛んで掃除が大変と女房に叱られたので・・・」と言われ庭でするのだそうです。その時鯛の骨の硬さは尋常ではないことを聞きました。もしかしたら薪割り用の斧を使ったのかも・・・?
私は頂いた鯛が鱗も頭も取ってくれてありましたので、有り難く美味しくいただきました。
「乗っ込みの大鯛」を拾って頂きましてありがとうございます。義弟が若狭湾で釣り上げた物で77cm,82cmの大鯛ですが、それ以外にも10匹ほど。 嫁さんと捌くつもりだったようですが、余りにも大きくて、道具が無いので私の所に持ち込んできました。
1尺程度の物ならば簡単に捌けるのですが、2尺を超えるとなると、普通の道具では如何ともし難く、鋸、ハンマー、鉈、斧を使っての、もちろん「解体作業」です。 鱗を剥ぎ取るところから始まるのですが、尻尾の部分の鱗は小さいが、腹部にもなるとい片が1円か10円硬貨ほどもあって、用意に剥がれない。やむを得ず物置に走り込んで農具箱から先の鋭い除草鍬を持ってきて力任せで剥ぎ取ること、約15分ほどで1枚目が終了。2枚で30分。 次の作業は頭を外すことなのですが、殊の外頸部の骨が頑丈で、出刃包丁などでは切れるものじゃない。 鋸を出して引いても切れないので、矢張り用意したハンマーと鉈、斧を登場となる。
嘘、偽りの無いこと。 鉈、斧でなければこれほど大きな鯛は捌ききれないのです。 結局、頭部を切り離したこの2枚の鯛、一枚は義弟の家、もう1枚は自宅分。 残りは義妹、娘、息子、甥、姪へと郵送ということになった。
まだ乗っ込みの季節なので、義弟はもう一回釣行すると言っているが、また2尺を超える大物を持ち込んでくるのだろうか。 ちなみに全部の鯛の処理作業に3時間たっぷりかかったね。