アイビーの俳句鑑賞 その3
竹の皮脱ぐ音風に聞き取れず (尾花)
竹の子がぐんぐん大きくなって、やがて立派な竹になる。その過程を「竹皮を脱ぐ」という夏の季語にした。しばしば少年や青年の逞しい成長ぶりに擬して句材にされる。ところで竹は皮を脱ぐ時、音がするものであろうか。はらはらと落ちて音あり竹の皮(正岡子規)、音たてて竹が皮脱ぐ月夜かな(小林康治)と例句があり、音はするのだろう。しからば、どんな音がするのか。作者の方が一枚上手で「風に聞き取れず」と逃げられてしまった。
草笛の音寂しくて一人っ子 (弥生)
草笛の練習をして、ようやく吹けるようになった。ここまではよくあるパターンで、なんと言うこともない。ところが中七から座五にかけて状況が一変する。自慢するべき兄弟がいない。両親も仕事なのか不在だ。つまり自慢する相手もおらず、一緒に興ずる人がいないのだ。視点を変えたことにより、類型化を避ける工夫が見て取れる。この上は、座五の「一人っ子」を言わないで読み手に「一人っ子」と分からせる工夫を望みたい。
老い二人名酒チビチビ春の宵 (和談)
人生の修羅場を潜り、酸いも甘いも嚙分けた老境二人が酒を酌み交わして来し方、行く末を論じている。座五の「春の宵」が良い味を出している。それはよいのだが、オノマトペの「チビチビ」は再考願いたい。折角の清談が、妙に貧乏たらしく聞こえるから。しみじみとした雰囲気に相応しい楚辞が望まれる。
シーソーのバランスくずれ揚羽蝶 (てつを)
シーソーの片方が重くてバランスが崩れた。揚羽蝶が出てきた。句意はたったこれだけのことだが、読み手の側からすればれば、バランスが崩れたから揚羽蝶が出てきたと思ってしまう。冷静に考えれば、そんなバカなことがあるわけがないのだが、一瞬でもそう思った時点で、読み手は作者の術中に嵌まっているのだ。
大谷のホームラン蛙喝采 (ちとせ)
理屈抜きに楽しい一句。野球を知らない人でも大谷翔平選手の大活躍は心ときめくものがある。まさに国民的ヒーローの誕生だ。ルックスがよくて、性格がよく、隆々たる体躯、おまけに億万長者ときては人気の出ない方がおかしい。何時もは煩いと感じる蛙の鳴き声も、大谷選手への喝采に聞こえる。
妹が飲む八十八夜縁起よし(無点)
惜しくも無点となったが、読み下してみて先ず感じたのは、春の時候の季語の八十八夜を詠んだのか、商品名の八十八夜なのかという疑問である。もし、商品名の八十八夜だとしたら季語にはならない。
以下次号、不定期掲載
No.3651アイビー2024年5月19日 16:35
弥生さんが私の駄文を真に受けて考えておられた由、恐縮しております。偉そうなことを言うなら、自分でやってみよと叱られそうです。
No.3666アイビー2024年5月23日 18:51
アイビーさん、「草笛」の句の鑑賞ありがとうございます。
「一人っ子」を連想させる工夫という事で、
母を待つ一人草笛吹きながら
と作ってみましたが、「草笛は吹くものでしょう」と夏井先生の声が聞こえてきそうです。
皆さま、これぞという推敲がありましたら是非お力をお貸し下さい。
弥生
No.3665弥生2024年5月23日 18:40
大谷のホームラン蛙喝采
アイビーさん取り上げて頂き有り難う御座います。正に解説どうりです。
親指程の小さな雨蛙なのに庭に響く程の声これが3匹程、他に蝦蟇もみかけました。大谷が10、11号を連弾した時は凄かったのです。一緒に喝采です。分かって頂き有り難う御座いました。選句して頂いた茶々さんにも感謝です。
No.3656ちとせ2024年5月20日 12:45
アイビーさん「竹の皮脱ぐ」の句の鑑賞をありがとうございました。
どの句に対しても深く広く鑑賞して下さっているので、私にはとても参考になり勉強になります。
これからもよろしくお願いいたします。
No.3654尾花2024年5月20日 08:42
アイビーの俳句鑑賞 その4
AIの功罪半ば薄暑光 (ナチ―サン)
AIの進歩というか進化というか、旧時代人間の私など理解の及ばないところまで行ってしまった感がある。全くどこまで行くのだろうか。作者のナチーサンさんは、功罪半ばと断じ、問題提起をした。功罪半ばとは言うものの、いくらかは否定的なニュアンスを私は読み取ったが、句は穏便な表現にとどめた。作者の真意はどうなのであろうか。季語の斡旋については賛否両論あるかも知れない。
藤咲くや吾にsorryと異国人(びと) (ヨシ)
藤の名所で、外国人にも人気のある観光スッポトとは何処だろう。道でも訊かれたか、くだんの外国人は作者にsorryと声を掛けた。俳句の表現方法は自由である。俗語、流行り言葉、外来語、オノマトペ、なんでもありだが、遂に横文字が出てきたかというのが率直な感想だ。勿論、私は容認というより積極的賛成派である。むしろ、sorryを出せば、異国人だとすぐわかるので、あえて異国人と言う必用が無い。
草刈機刃向かふ蝮切りにけり (大伏)
蝮にすれば大変な災難だが、作者は冷静な観察者の姿勢を貫いた。とりもなおさず、作者自身がそこに面白いと感じたにほかならない。一切の感傷を排し、突き放したのである。それがこの句に乾いた俳味をもたらした。ハードボイルドな俳句。
新茶の香おーいお茶買ふ翔タイム (茶々)
新茶の香、賞品名の入ったお茶、大谷翔平と盛りだくさんの要素を盛り込んだ贅沢な句となった。ただ、あまりに多くの要素を盛り込んだために、まとまりに欠ける憾みが残った。新茶の香と言っておきながら、固有名詞のお茶を出したのはいただけない。季語の働きを削いでしまっている。新茶の香と大谷翔平選手の活躍に焦点を絞った方がよい。
ふくよかな薫風のごと師は逝きぬ (ふうりん)
尊敬する先生が遺徳を偲んで詠んだ句。なんの先生かは知らないが、専門の技能ばかりでなく、人柄も慕われていたのであろう。先生を形容をするのに薫風と喩えた作者。麗しい師弟関係だ。人間の人格形成は、本人の努力もさることながら、それ以上に人と人との巡り合いということが大事だ。しみじみそう思う。
葉桜や華やぎ過ぎし過去のあり (無点)
惜しくも無点句となった。葉桜に、時間の経過を暗喩させる手法は私もよく使う。また俳句は説明過多になると余韻がなくなり、句が平板になる。これはどなたも経験されていると思う。しかしこの句の「華やぎ過ぎし過去」ではあまりに漠然とし、読み手に肝心なことが伝わらない。いろんな想像ができることも俳句の楽しみだ。
アイビーの俳句鑑賞 完
No.3663アイビー2024年5月23日 17:51
季語について茶々さんの投稿を拝見しました。商品名がそのまま季語にならないことは言うまでもありません。「八十八夜」という商品名のお茶が季語にならないことは当然です。夏に限らず一年中あるのですから。
よく引き合いに出されるのが虚子の「道の辺の阿波の遍路の墓あはれ」です。遍路は春の季語ですが、遍路の墓は年中そこにあるのですから季語にならないと私は思います。ただ、相手がホトトギスの総帥ですから、私ごときが何を言っても始まりません。
その句が一物仕立てか、二物取り合わせかで解釈が変わることはあります。同じ虚子の句で「これからは恋や事業や水温む」の句は二物取り合わせの句です。水に関係のある池や川が出てきません。句の内容と関係なく季語が存在します。これに対し「わが顔を映して水の温みけり(青柳志解樹)」は一物仕立ての句で、顔を映しているその水が温んでいることになります。
芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」最初は「古池に蛙飛び込む水の音」だったと聞きます。つまり最初は一物仕立ての句だったわけです。蛙が古池に飛び込んだ結果、水音がしたという解釈になります。推敲の結果、切れ字の「や」で切って「古池や蛙飛び込む水の音」と二物の句になりました。この結果、蛙が飛び込んで水音ががしたことと古池は関係ないことになります。結果的には蛙が飛び込んだのは古池だったかもしれませんが、二物取り合わせとはそういうことです。
No.3658アイビー2024年5月21日 17:47
アイビーさん懇切丁寧な解説をいただきましたのに、小生の老化現象か理解に苦しむ一面もありましたが、本日NTTさんのパソコン教室の授業がありましたので、話題にしましたら、すべて氷解いたしました。アイビーさんありがとうございました。
ゆっくりして夏井先生の解説も読んでみたいと思っています。また八十八夜の商品も掛川に売っていることがわかりましたので、買って飲んでみたいと思います。貴重な紙面をお借りして申し訳ありませんでした。重ねて御礼申し上げます。
No.3659茶々2024年5月22日 16:11
「八十八夜縁起よし」の無点句に季語の問題を提起してくださり、季語の視点がよくわかりました。アイビーさんありがとうございました。
「八十八夜」の名前を付けて売り出している商品がありましたら、買ってみたいものです。
パソコンで「J-platPat」の商品検索をすれば全国の商品名が検索できるらしいが、小生の能力では途中で混乱してしまい、手がかりの序の口にも入れませんでした。
地元もお茶どころですので市役所の農水振興会に尋ねて見ましたが担当者が不在でした。
この俳句を考えた日が5月朔日でした。「八十八夜とは、立春から数えて八十八日目のことを指します。その日に摘まれるお茶の葉は新芽で新茶や一番茶と呼ばれます。昔から八十八夜に収穫された新茶は縁起が良いとされ、栄養価や香りも高いと考えられています。」
(パソコンの要約)
八十八は末広がりで縁起が良いともいわれていますから、「縁起よし」に視点を置き、
八十八夜は季語になるのか(先達さんはOK)で作句を試みた次第です。
No.3657茶々2024年5月20日 23:58
次回の将棋名人戦第5局は北海道紋別市でした。お詫びし訂正致します。
No.3653ナチーサン2024年5月19日 22:49
将棋名人戦七番勝負第4戦は藤井名人の3連勝、豊島九段のカド番で大分県別府市で行われ大接戦の末95手で先手番豊島将之九段が勝ち名人位奪取に望みをつないだ。第5戦は5月26.27日北海道士別市で行われる。前半はと豊島九段がやや主導権を握ったが中盤からはほぼ互角で推移、終盤豊島九段が優位を築きそのまま逃げ切った。藤井名人も納得いく将棋だったようで取材を受けた後感想戦に。
No.3652ナチーサン2024年5月19日 21:21
嚶鳴庵俳句教室からのお知らせです。
5月は22日、13時からです。
兼題は、魚簗 焼酎、または当季雑詠です。組み合わせは自由です。合計5句を12時50分までに提出してください。
始めての方、初心者の方、歓迎いたします。句会とはどのようなものか、おためしでもいいので一度お出かけください。
名鉄、常滑線 聚楽園下車、東海市しあわせ村 茶室 嚶鳴庵、句会の後、お菓子とお抹茶をいただきます。
参加費 550円、持ち物、筆記用具、歳時記、国語辞典、電子辞書など
全国の俳句大会の案内なども配っていきたいと思います。三重県伊賀市の芭蕉翁献詠俳句の受付も始まったようです。
まずは、応募すること、入賞へのスタートはそこからだと思います。
みんなで、切磋琢磨して、腕を磨こう!!!
先回の句会の帰り際、嚶鳴庵のお運びの方が、「寄居虫の楽しいお話が聴けて、私も楽しませてもらいました」と
笑顔で送り出してくれました。兼題は難易度が高いかもしれませんが、とにかく一句は作ってみてください。
管理人さん、お邪魔いたしました。
No.3649ABCヒロ2024年5月19日 10:01
嚶鳴庵俳句名物の兼題は、今月は魚簗と焼酎ですか。手ごわいことは手ごわいですが、ここで怯んでは男が廃る、まあ、自信ないけどなんとかなるでしょう。
No.3650アイビー2024年5月19日 10:16
名人戦7番勝負第4戦、藤井名人に挑戦している豊島九段との運命の一戦は、大分県別府市で行われやや豊島九段の優勢のうち封じ手となった。明日は9時から再開される。カド番の豊島九段としては何とかここは凌いで北海道は士別市での第5戦に持ち込みたいところ。応援隊としても先手番豊島9段に一矢報いてほしいところ。九州から北海道と聡太八冠も大変だ。ここは若さで乗り切ってほしい。
No.3648ナチーサン2024年5月18日 20:11
アイビーの俳句鑑賞 その2
夏帽子デートプランは内緒です (コビトカバ)
季語に夏帽子を持ってきて大正解。この句の明るいイメージを決定づけた。それと中七座五と続く口語体がとても新鮮だ。若い世代が共感できる要素が盛沢山で、俳句に新しい可能性をもたらした。俳句は老人の占有物ではない。その意味で作者のコビトカバさんには、これからも当ネット句会に新風を吹き込んで欲しい。
はろばろとじゃがいもの花美瑛町 (ゆめ)
広々とした北海道の大地。果てしなく広がるじゃがいも畑。内地のじゃがいも畑とはスケールが違う。北海道旅行の印象を句にした。最果ての北の大地、その感慨が上五の「はろばろと」に凝縮されている。欲を言えばスケールの大きさを、もっと強調してもよかったように思う。じゃがいも畑にしても内地とは趣きがまるで違うのだから。
夏来る少女は白の足袋シューズ (玉虫)
世の中に足袋シューズなる物があるのを今まで知らなかった。親指とほかの指が丁度足袋のように分れているそうで、しっくりした感触が受けてトレンドなのだと言う。その足袋シューズの白が生きている。白い足袋シューズこそ初夏にふさわしい。まして履いているのが少女だからなおさらだ。
竹藪もビルへと変わる竹の秋 (ヨヨ)
開発が進み,、見慣れた景色がどんどん変わっていく。あたり一面、竹藪だったと思ったらいつの間にかビルが建っていた。その様子を詠んだ一句。竹は春に葉が黄ばみ、そのため「竹の秋」は春の季語とされる。あえて「竹の秋」を持ってきたからには、竹藪全部がビルになったのではなく、一部だけがビルになったという意味だろうか。あるいは、一般的な時候と考えれば、「竹藪」と「竹の秋」とは無関係ということになる。この辺が、少しわかりにくいので、別の季語を立てるのもありだろう。
焼け跡の輪島の空や鯉幟 (ダイアナ)
正月早々、能登大地震に見舞われた輪島。甚大な被害は勿論のこと、今なお復旧が思うにまかせず心が痛む。行政、ボランテイアの懸命な作業が続くが、ふと目を見やれば、悠然と鯉幟が泳いでいるではないか。困難の中に一筋の光明を見る思いだ。絶望の中の希望、被災地の復興を確信する一句となった。
砂風呂のスコップの音春惜しむ (無点)
惜しくも無点となったが、指宿温泉の砂蒸し風呂の体験を詠んだ句。自分の体を砂で埋めてゆくスコップの音に、ああ、今年の春も終わったなあと感懐を催す作者。少なくとも作者はそう感じたのであって、結果として入点があったか無かったかは二の次である。結果として入点が無くても、作者自身は愛着を感ずる一句になったのではあるまいか。
以下次号、不定期掲載
No.3642アイビー2024年5月16日 13:07
玉虫さんへ
夏来る少女は白の足袋シューズ
白の足袋にビックリでした。池井戸潤のドラマ「陸王」から商品化されたのかしら。車での移動が多いので若者のファッションに疎いです。ちょっと理解できませんでした。東京育の小生運動会の足袋嬉しく拝見しました。小学生の自分が蘇りました。奈良育ちの夫には通じなく、地方地方で文化が違うのですね。徒競走の前のドキドキが甦って来ました。良いお話有り難う御座いました。
No.3647ちとせ2024年5月17日 10:18
夏来る少女は白の足袋シューズ
を鑑賞して頂きました。
ちょっと月に一度か二度電車に乗ります。
平日昼間ですので、大抵は乗客の殆どは座れて、またその殆どがスマホを見ています。
対面に座っていた少女の足元に・・・???えええ?となりまして、長い足、ジーンズ、ショートヘア。
全部格好いい!で、靴。先が割れて足袋?だよね?ナイキ!のロゴマーク。
そう言う靴が世の中に有るんだそうです。
最近は足が・・・とか言ってヨロヨロしている私の履ける代物では有りませんが。
ワクワクドキドキ。俳句にするしか無いでしょう!
の一句。昔祖母に聞いたことが有りました。歳をとるってどんな心境?って。
身体はこんな風だけど、心は18位の侭だよ。その言葉本当だった。
足袋シューズの少女は、私の中で同化して、颯爽とホームを去って行きました。
電車は句材の宝庫!
今回の俳句の出来はさておき、こんな風に生れた一句です。
お喋りついでに、足袋と言えば、運動足袋!!
私の育った北海道のある地域では、運動会に運動足袋を穿きました。
足の裏は補強されてましたが、何しろ布ですから、一日で破れてしまいました。
年に一度の一日だけの”運動足袋”も思い出しました。
喋ると長い!
お許し下さい。
No.3646玉虫2024年5月17日 08:13
アイビーさん、輪島の鯉幟の句の鑑賞ありがとうございます。まさにアイビーさんの鑑賞のように、地震後の火災で輪島朝市が焼け野原となってしまいその地に鯉幟が希望のように元気よく青空に泳いでいる景を読みたかったのですが、自分では表現が物足りない気がしていました。
ついでに指宿の砂風呂はとても楽しかったです。わくわくしました。その気持ちを表すには「春惜しむ」ではなかったのでしょうか?もう一回入りたかったな~。
もう一つ、先月の私に句、コンサート終えて乾杯風光る、も鑑賞していただき、コンサート前後の私の緊張と喜びまで読み取っていただきアイビーさんの鑑賞力の深さに「凄い!」としか言えませんでした。先月は書きそびれてしまい、この場で御礼申し上げます。
No.3645ダイアナ2024年5月16日 20:22
アイビーさん鑑賞ありがとうございます!
イメージは今の20代のカップルで作句しました。
季語の選も良いと言って頂き嬉しいです(^∇^)
ちなみに焼酎を薄めている句(無点の)は私の父がとてもお酒強いので、同じ濃さでは到底ついていけない私を詠んでみた句です。
No.3644コビトカバ2024年5月16日 16:41
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