7月のみんなのネット俳句会は、管理人の白内障の手術と日程が重なるため、中止します。楽しみにしていた方には申し訳ありません。8月句会は8月5日開幕です。奮って投句願います。
6月句会の互選結果の記事のピン留を解除しました。ご覧になりたい方は、no,5695の記事までスクロールしてください。
将棋八大タイトルの一つ叡王戦5番勝負第4局が伊藤匠叡王1勝齊藤慎太郎八段2勝を受けて明日千葉県で行われます。伊藤叡王が対に持ち込むか齊藤八段が叡王位を勝ち取るか目が離せません。夜には勝負がつきます。
オリンピックに匹敵する「世界卓球2025」の男子ダブルス決勝で、篠塚大登・戸上隼輔のペアーが中国ペアーに勝利した香港に接戦の末勝ち金メダルを獲得した。
大相撲夏場所は大関大の里が14勝で連続優勝を成し遂げ横綱を確実にしました。待望の日本人横綱の誕生に相撲界は活気に包まれました。新しい装いの名古屋場所には二人横綱が実現しそうです。霧島など関脇3人もそれぞれ10勝し大関誕生の足掛かりを掴みました。
管理人さん、お世話になります。
俳句募集のお知らせです、投句料は不要です。
◎第79回芭蕉翁献詠俳句
締め切り 令和7年7月31日(木)必着
①一般の部 季節は問いません。
選者 稲畑廣太郎 他
②テーマの部 「百」
選者 片山由美子
*はがきのみ受け付け、一般の部、テーマの部は別のはがきに記入
一枚のはがきに2句記入、
一般の部とテーマの部、それぞれ10句まで投句可
同じ句を複数の選者に投句できません。
◎伊勢神宮観月会作品募集
締め切り 7月22日
詠題 「山」
一人につき1句まで
選者 三村純也
◎東北お遍路俳句コンテスト
締め切り 2025年9月30日
題 自由、ただし東日本大震災の被災地を思う句
選考委員 照井翠 夏井いつき
◎南知多の思い出を俳句にして詠んでみませんか?
締め切り 令和7年10月31日
選者 柴田鏡子
:詳細はそれぞれのタイトルで検索してみてください。
5月28日の嚶鳴庵俳句教室でも説明をしてチラシを配りたいと思います。
ご案内ありがとうございます。
「芭蕉翁献詠俳句」は運、不運がついて回ります。選者との相性が肝心です。「伊勢神宮観月会」の選者の三村純也先生はオ―ソドックスな選句、逆に「東北お遍路俳句」の夏井いつき先生は変わった視点からの俳句が入りやすいかな。「南知多の思い出」の選者の柴田鏡子先生は「笹」を主宰しておられた伊藤敬子先生の後継主宰で、案外狙い目かもしれません。
28 新調の切子のグラス夏来る (弥生) 4
初夏の清々しい様子が新調の切子グラスを通して余すところなく表現されています。季語とも程よく響き合った佳句と思います。
29 筍の茹であがる香や夕刊来 (楽) 6 ◎玉虫
直接句に因果関係はなく偶然と思われますが下五に惹かれました。何気ない生活を素直に表現し多くの共感を得ました。
68 鬣(たてがみ)を三つ編みされて祭り馬 (玉虫) 8 ◎アイビー
お祭りにありそうな風景、情景が目に見えるよう。さぞお馬さんも馬面を上下に振って誇らし気な気分でしょう。
70 ゼッケンのある子と無い子青葉風 (弥生) 4
スポーツの世界と思いますがこの世界も過酷、子供達はゼッケンを目指して切磋琢磨します。季語が切なく迫ってきます。
92 ごめんねと言へぬ夕餉の豆ごはん (楽) 4 ◎ナチー
主役は隠れてますが家族の一員でしょう。忖度無用。下五が切ないです。特選に戴きました。
93 卯の花や傘の雨音連れて行く (ダイアナ) 2
良いですね。中七、下五が何とも言えません。上五が主役。映画の一コマのようです。
101 真つ黒に灼かれた心黴の花 (コビトカバ) 1
梅雨時は黴のシーズン。疎ましい黴ですがいかにも日本らしい句材ですね。上五中七の思い切りの良さに惹かれました。 この
ようにはなかなか詠めません。黴の花は祷りの対象になるとか。
104 この国はこの子に託そ菖蒲風呂 (ABCヒロ) 4
思わす「そうですね」と共感してしまいました。季語が効いてますね。
ナチーサンさんへ
鑑賞ありがとうございます!
黴が主体の句は初めて投稿しました。
どんどん増える黴の花は、人の心が黒くなる時と似ていると感じました。
とっていただいて嬉しいです^ ^
72 真っ直ぐに生きる喜び燕子花 (ダイアナ) 4 ◎てつを
世知辛い世の中にあって真っすぐに生きることのむづかしさ、素直な句に共感を覚えました。季語の斡旋もいいですね。
73 街燈の灯に透き若葉なほ淡し
街灯の灯と若葉の取り合わせ。若葉が淡いのです。街燈の灯で。この辺に作者の心情が垣間見えますね。無点句ですが。
75 舫綱絡め甲烏賊目の当たり
烏賊漁の現場ですね。上五から状況が読み取れます。臨場感溢れる得難い一作です。無点句は惜しい。自解を求めます。
86 スタッフと麦茶分け合ふ風呂介助 (ヨシ) 2
医療ケア―の一つに風呂介助があります。医療機関か家庭かは分かりませんがスタッフと麦茶を分け合っているのです。句材は身近
にあるいい例です。好感が持てる句ですね。
106 雛罌粟(ひなげし)の一つ揺れれば百花揺れ
雛罌粟の絨毯でしょうか。小型で白、紅などあり阿片の罌粟とは異なる品種。楚王の項羽が戦死した際寵姫が殉死この花になったと
故事にあるとか。この句も無点句ですね。 心に残る句です。
アイビーの俳句鑑賞 その4
庭下駄の鼻緒の緩み芝青む (板波)
鼻緒が緩んだ庭下駄を見ている作者、ふと庭を見ると芝生が、洗われたように青々と鮮やかだ。この間、作者の視線は下駄の鼻緒から芝生へとスライドすればよく、きわめて自然だ。細かいところまで配慮が行き届いた佳句。
いい味を出しながら無点句となってしまった句が今月も沢山あった。少し手を入れれば、点が入ったのにと悔やまれる。ではどこをどうすれば良かったのか、一緒に考えてみたい。
万博へ値上り他所に皐月旅
物価の上昇する中、関西では万博がオープンした。この句を読んだ人が、まず不審に思うのが「他所に」というワードだ。ひらがな表記すれば何の問題もない。「万博へ値上りよそに皐月旅」
試飲して衝動買いの新茶かな
試飲して新茶を買うことは誰でも経験がある。そういう意味で無点となった理由が分からない。強いて言えば新茶を買ったぐらいで「衝動買い」は、少し大袈裟と言えば言える。さりとてそれが致命的な瑕疵とも思えないが…。
ゆたゆたと昇る乙女座春の宵
オノマトペが眼目の句。理屈もなにもない、ただ「春の宵」と「ゆたゆた」とが響き合うかだけの問題だ。この度は空振りになってしまったが、意気込みは壮とすべきだ。句会では試せないことも、当ネット句会はOK。是非、新しい表現方法に挑戦して欲しい。
ゴンドラを降りて松蝉耳に先ず
松蝉は一名をハルゼミと言う。文字通り晩春から初夏にかけて鳴く。筆者も十和田湖に旅した折に聞いたことがある。当該句は感動をそのまま詠んで好感が持てるが、正確さに拘り過ぎと感じた。「ゴンドラを降りるやいなや春の蝉」
逝く春のにじむ彩りそのままに
感動が先走り過ぎて、句意がよく伝わらなかったうらみがある。特に中七の「にじむ彩り」が具体的に何を指しているのか、分かりにくい気がする。もう少し推敲してみたい、というのが私の偽らざるところだ。
福願ひ猫と頬張る柏餅
肉食動物の猫だって柏餅を食べるだろうが、「頬張る」までは言い過ぎと思う。俳句の基本は描写することに尽きる。詠む対象を穴の空くほど観察したい。
あをあをと騒ぐは風か木々の葉か
季語が無い。強いて言えば若葉を連想させる「あをあを」ぐらいだが、これを季語と呼べるかどうか疑問だ。それと、これは作者の意図と思われるが、句の途中から視覚、聴覚が入り混じっている。このため読み手は混乱する気がしないでもない。
アイビーの俳句鑑賞;完
あをあをと騒ぐは風か木々の葉か 青葉騒を分解しただけ馬鹿な句です
生垣の葉が揺れているのを見ていたら風で揺れているのか葉っぱが踊っているのか分からなくなった
ナチーサン鑑賞ありがとうございます
筍の茹で上がる‥‥
の句はたくさんの筍を茹で上げるのに夕方までかかってしまった長時間の表現をどのようにしようかと苦労しました
ごめんねと言へぬ‥‥
の句の言えぬ相手は夫ですが
素直に謝れずせめて夕飯は夫の好物の豆ご飯にしようかと思った次第です
いずれも評価していただいてとても嬉しく思いました
ありがとうございました
アイビーの俳句鑑賞 その3
筍の茹であがる香や夕刊来 (楽)
朝掘った筍を茹でるまでが大変である。まず大鍋を用意して大量の水を沸かす、筍の皮を剥き米糠と一緒に茹でる。竹串に刺して茹で具合を確かめる。ようやく茹で上がるのだが、座五で「夕刊来」と軽く受けたところが素晴らしい。時間の経過も分かるし、軽さが良い味を出している。これが俳句の呼吸というものだろう。
スタッフと麦茶分け合ふ風呂介助 (ヨシ)
入浴介護の大変さは想像に余りある。麦茶といっても、介護者本人が自宅から用意してきたか、あるいは自販機なのかは分からないが、いずれにしても施設が用意したものではなかろう。飲みさしの麦茶を気にもせず飲む。これが老人介護施設の現実だろう。報われることの少ない仕事。携わっている方々には頭が下がる。
真っ直ぐに生きる喜び燕子花 (ダイアナ)
燕子花に託した作者の思いを、けれんみなく詠んだ。真っ直ぐに生きているのは燕子花もそうだが、作者自身の生きざまなのだ。鬼面人を驚かす表現よりも、自分の気持ちを素直に詠んだこの句の方が却って新鮮に映る。
鬣を三つ編みされて祭り馬 (玉虫)
玉虫さんは8点句を2句出したが、そのうちの1句。馬の鬣(たてがみ)を三つ編みにするとは初めて聞いた。冒頭から読み手の関心を引き付けておく、いわゆる「つかみ」の手法が鮮やかだ。ところで、この祭りは何処の何という祭りなのだろう。
「爪切り」も長き道連れ昭和の日 (ナチーサン)
「昭和の日」の俳句は、おおよそパターンあるようだ。根底に「ふるきよき時代・昭和」というものがあって、貧しかったが一つの目標に向かって頑張った、という気分を懐かしむ心情だろう。この句は懐かしむ対象が「爪切り」と言う。ありふれた道具でも長年愛用しているうちに、愛着が湧いてくるのは大いに理解できる。
鯉のぼり逆さ吊りするパリジェンヌ (茶々)
初夏の風物詩の鯉幟。日本人ならありふれた景色だが、外国人からすればエキゾチズムを掻き立てるもののようだ。外国人用のお土産の鯉幟かと思われるが、なんとつけ方が逆向きにつけているフランス人がいた。当の本人はそれで悦に入っているのだから、それで良いのかも知れない。
以下次号、不定期掲載
アイビーさん,コメントありがとうございます。
フランスのお嬢さん、ユウモアに溢れている。ジャポニズムの再来があるとよいですが。
私は鯉幟については、うろ覚えでしたのでパソコンで調べてみました。
鯉は、縁起物の象徴として中国・日本に伝説がある。中国の黄河に迷い込んだ鯉は激流に挑み、途端に黄金色に輝き竜に変身して天高く昇って行った。「後漢書」李膺伝に語られた故事では、李膺の推薦する人物は必ず後の高官に招聘された。所謂「登龍門」に登った。
日本書紀にも景行天皇の庭池に鯉の記述があり、鯉は高価で高貴な人のものであった。
子供を丈夫に育てたいがために鯉幟の意味も「守護」を願っているになった。昔は子供は7歳までは神様の子と言われていた。また出世を願っていた。「龍門飛躍」「龍飛鳳舞」など大きな困難を乗り越えて成功を収めることを意味する4字熟語を、鯉幟が風に吹かれて泳ぐたびに思い起こしたい。(何事も努力の結晶ですね。)
鬣を三つ編みされて祭り馬
鬣にふりがなを付けて頂きました。
この句の裏には、祭りという季語が有ります。
第二の古里北海道の祭りからの連想。
農耕馬がシッカリ働いて町で見掛けられた頃。
祭りに(ばんば競争)というモノが催されました。
普段目にしている地味な働く馬が、綺麗に飾られてビックリ。
素敵なリボンというわけではなく、紅い布を巻き込まれて。
物凄く大きな、太い脚の馬には近づけません。
離れて見ていたのですが、何故かその、三つ編みがおもいだされます。
北海道も今では馬ではなく、機械での農耕が盛んですから
あの馬達や、三つ編みに飾ってお世話した人たちも過去の事になりました。
私はばんえい競馬のような、競争は好きではありませんが
お祭りに飾り立てて、誇らしげな飼い主をたまに思い出します。
優しい馬の目も。
蝶結び達成したる子どもの日
此の句は、左利きの子が、何回もいや、何年もかっかって
やっと蝶結びが出来るようになったのが、奇しくも子どもの日!
たかが蝶結び、されど蝶結び。皆が出来て自分が出来ない蝶結び。
柏餅より嬉しい、記念日となりました。コーチした私もその子の記憶に生涯残る。
と秘かにガッツポーズ。
無口な玉虫です!をスタイルにしたいのですが、しゃべり出すと長くなります。
アイビーの俳句鑑賞 その2
子供の日目高ポロポロ卵産み (ちとせ)
孫が観察用に飼ってる目高であろうか、卵を産むのに「ポロポロ」という表現が面白い。とかく「子供の日」の句は、子供が喜ぶような催しとか子どもが好きな食べ物の句が多い。ところが作者は目高を持ってきた。このあたり、作者の見識が窺える。厳密に言えば季重なりだが、まったく気にならない。
置かれたる筍メモの走り書き (ふうりん)
筍は茹でるまで時間をおくと風味が損なわれる。時間との勝負だ。知人が朝掘って、その足で届けてくれたに相違ないが、早朝の事とて、あり合わせの紙にメモして置いたのであろう。もとより走り書きだから、乱雑な字でよく読めない箇所もある。それでも知人の好意が嬉しく、早速筍をゆがいたことである。
あの恋は桜散る間に天国へ (ヨヨ)
桜は人生の節目節目に咲いていたような気がする。中にはこの句のように実らなかった悲恋もあったであろう。俳句に恋愛がテーマになることは皆無ではないが、非常に珍しい。あえて挑んだ作者に敬意を表したい。ただ、この句の場合は、作者自身の体験なのか、あるいは別のモデルがあるのか判然としない。ヒントも無い。桜と悲恋の取り合わせは悪くないだけに、消化不良の感は否めない。
この家に住める限りと草を引く (尾花)
名も無い雑草といえど生命を持つ。抜いても抜いても後から生えてくる。おそらく自分の人生が尽きても、草は生え続けるに違いない。若いと思っていた自分も、そろそろ終末を考えざるを得ない年齢になった。上五から中七の「この家に住める限り」というフレーズは、作者の実感であると同時に、選句した人達も圧倒的に共感があったに違いない。
曼陀羅寺頬に触れゆく藤の波 (和談)
愛知県の曼陀羅寺は藤の名所として知られる。毎年、藤のシーズンともなると県内外の観光客が押し寄せる。当該句は一歩間違えば、ただの凡句になりかねないところだが、中七の「頬に触れゆく」の措辞に救われた。体に感じる五感のうち、肌で感じる触感に重点を置いたところが非凡。座五を「藤の波」として平仄も合っている。
豪快に風呑み下す鯉幟 (にゃんこ)
5月の空に初夏の風を呑み込んで泳ぐ鯉幟。見ている私たちの方が伸びやかな心持になる。子どもの健やかな成長を願って立てる鯉幟。そんな日本人の心情にピタリと合った鯉幟を詠んだ佳句。出来れば「豪快」という言葉を使わずに、豪快さを表現して欲しかった。作者の語彙力からすれば、無理な注文ではないと思う。
無風てふ風のありけり藤の花 (てつを)
無風というのは風の無いこと。論理矛盾も極まった表現だが、俳句の世界ではありうることだ。藤棚の藤がかすかに揺れている。おかしい、風は無いのに揺れている。これを科学的に説明するのが学者。俳人は俳句をつくる。「無風てふ風のありけり」と把握したのが俳人の俳人たるところで素晴らしい。
以下次号、不定期掲載
子供の日目高ポロポロ卵産み
アイビーさん選んでくださり有難う御座います。我が家は甕を並べ目高を飼っています。この時期布袋葵の根に驚くほどびっしりととびこのような卵が付着しています。そこで一句と相成りました。アイビーさんの句会は肩肘はらずどんなジャンルも受け入れて冒険も容認してくださると甘えてしまいます。これからも宜しくお願いします。コビトカバさんも有難うございました🙇♂️
アイビーさん
アドバイスありがとうございます。
素晴らしい句に、鯉幟の大きな口が目に見えるようです。アイビーさんのような句は、なかなか(まだまだ)作れませんが、精進します。
語彙力というより表現力と言った方が分かりやすかったかもしれません。豪快なものを「豪快」と言ってしまっては答えがすぐ分かってしまいます。すぐ分かる答えでは面白くもなんともありません。私の旧作に「鯉幟屋根職人を呑む構へ」というのがあります。参考になるのかどうか分かりませんが披露します。
アイビーさん、拙句を鑑賞していただき、ありがとうございます。
「豪快」という言葉を使わずに、豪快さを表現する…おっしゃるほどの語彙力はありませんが、もう少し考えてみます。作句に悩むのも楽しみのうちですね。ありがとうございます。
アイビーさん
「・・・草を引く」の句の鑑賞をありがとうございました。
抜いても抜いても絶えることのない草ですが、子育ての頃は「雑草のごとく強くあれ‼」と願いつついたもので心から憎いのではありません。この家に住める限りの草取りは実感です。