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コツコツ宿題をする小学生は将来小粒か

Q633
 野田先生には「将来小粒」と言われてしまいそうですが、うちの小学生2人は毎日コツコツ宿題をやっています(偉い子や。せん子も偉い子で、する子も偉い子なんです)。給食はとてもおいしいと言います。毎日、学校はとても楽しいと言います。これで問題でしょうか?真面目で明るく元気。学校に適応しすぎているようでちょっと恐いです(何でも恐がるなあ)。

A633
 何ひとつ恐くないです。われわれが子どもたちにあるムキになる姿勢、「クソーっ」って言って反逆的に反抗的になり、つまり「人々は仲間じゃない」と思い、「自分には能力がない」と思い、大きな劣等感を克服して競争に打ち勝たねばという状態に陥れなければ。子どもたちが「人々は仲間だ」とも思い「自分には能力がある」とも思い暮らせるなら、あとは子どもたちが自分の生き方を選んでいくんです。ある子は毎日宿題をし、ある子は絶対宿題をしないんです。ある子は多くの友だちを作り、ある子は友だちを作らないんです。どれもその子がスクスク育っているなら、まったくOKなんです。それを認めたい。表に出ている行動がどんなふうであっても、全部OKを出したいんです。裏にある子どもたちの「信念」ね、子どもたちの基本的な人生設計に問題が起こらないようにしたいんです。そこのところで、子どもたちが世を怨み、自分自身を憎み、親を憎み、人々を敵だと思い暮らすやり方をやめてほしい。そうならないように育てたい。今のやり方は、行動面の画一さを求めるあまり、子どもたちをそっちへ追いやってしまっていると思う。世の中には大物もいるし小物もいるんです。総理大臣も必要だし町の文房具屋さんも必要なんです。どっちもおんなじぐらい人類にとって重要なんです。最高裁判所の長官もいるし、町の交番のお巡りさんもいるんです。どっちもまったくおんなじように役割の分担があるだけで、社会に対する貢献という点で、そんなん量で計れるものじゃない。その人のあるべき位置にあれば、それがその人の一番貢献だと思う。それを社会的な地位とか身分とかを上から下へずらっと並べて、「ちょっとでも上へ上がりなさい」というやり方が間違っていると思う。そこから抜け出していきたい。抜け出せるお手伝いができるといい。まあ私の生きているうちにどうせ間に合いませんのでのんびりしておりますが、私はインド式ですのでまた生まれ変わってまいりますから、次生まれ変わってまた続きを言ってやろうと思っているので、何世かにわたって根気良くこういうことをやっていかないといけないと思っています。

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友人をはめているようなフシ

Q
 高校1年生男子のことです。自分よりも目立つ友人をはめているように思えるフシがあります。物がなくなる、証言が食い違うとかで、友人だけが処分の対象になるのです。あくまでも可能性が高いだけですが、どのように関わっていくことが大切でしょうか?(ああ、自分と違うんや)

A
 どのように関わっていくことが大切か、わかりませんねえ。ご本人の求めに応じてしか援助のしようがないと思っているんですよ。その子が何か困っていることがあれば、それに対して僕らは何かしてあげられるけど、その子が困ってない、その子自身が相談してこないことに対してわれわれが援助のしようがないと思うので、残念ながらわかりません。学校の先生がクラスの子どもたちとどうおつきあいしていくかで変わっていくと思う。その子が自分の悩みとか問題とかをしゃべってくれるような関係ができれば何か言ってくれて、何かできるようになるかもしれない。第三者的に客観的に、「あの子あんなことしている。何かしないと」という立場では援助の設計のしようがないように思うんです。

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やさしくきっぱり

Q
 迷っていたところへ勇気をいただいたと思います。ジェーン・ネルセンさんの言う思いやりがありかつ断固としていること、「やさしくきっぱり」というのを英語では何と言うのですか?

A
 Kind and firmです。

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倫理

Q
システム論からは倫理性かな、とバランスをとる…超越的存在は一切関係ないとなると、倫理的な領域はどうなるか?

A
 倫理というものは、どのみち科学からは直接は滅多に出てこないと思うんです。科学というものの向こう側に世界があって、世界の中で僕らが生み出されて、生み出されていることをみんなが学校で学び、親から学び、お互いどうし確認したときに、僕はラウエの縞模様と言うんです。パンティーストッキングを2枚履いたときにできる縞。あれは「存在」しないんです。でも存在するんです。あんなふうにみんなの頭の中にできてくるだろうと思う。今までは倫理的な根拠を作るためにだいたい三説ありました。一節は天国地獄説で、審判者がいて死んだあと天国か地獄へ送り届けられる説なんです。この説は今たぶん魅力を失っていると思います。私はあんまり恐がりませんもの。でも、『法然上人四十八巻伝』なんて読んでいますと、熊谷直実という人が平敦盛という少年の首を切るんです。その罪深さにおののいて、自分は絶対地獄に落ちると思ってノイローゼになって、法然上人のところへ行って、「私はたくさんの殺生をいたしましたが、私のような者が地獄へ落ちなくてすむでしょうか?」と言ったら、法然上人が「それは阿弥陀様のご本願であるので、念仏なされば必ず極楽往生しましょう」とおっしゃった。彼は刀を抜いて「もしも地獄へ落ちると言われたらもうしょうがないからこの場で死のうと思った。極楽へ行くと言うならこの場で出家します」と、その場で髪を切って坊さんになりました。彼なんかが持っていた地獄への恐怖というのは無茶苦茶リアルだった。中世の人が持っていたようなリアルティを僕らは持てないから、天国地獄説は今や倫理の根拠になりえない。もう1つは身分制度と関係がある。例えば、「君子はなんとかせず」と書いてあります。「君子は厨房に入らず」とかいっぱい書いてある。あれは中国のある階級の人たち、士大夫と呼ばれる人たちがそうであることの誇りとして、ある暮らし方をしようとしたんです。武士道というのもそうで、自分たちが武士であることを強調するためにある倫理観を守ろうとして暮らしたんです。ニーチェなんかがそれを凄い持ち上げるんです。そういう誇りのある人の倫理観、わかるけど、それって万人向きじゃない。君子であろうとか武士であろうとか思わないとダメなんで、そう思わない人間もいっぱいいて、だいたい犯罪するような人間はそう思わないに決まっているから、孔子聖人の教えは倫理的な根拠としてはあんまり強くない。実際、孔子の国・中国は極端な刑罰主義でした。犯罪した人をもの凄い刑罰に遭わせるのね。それでもって倫理性を保っていたでしょう。孔子聖人はあんまり役に立たない。もう1つが輪廻転生説で、因果応報説で、因果応報説というのは輪廻転生説をふまえないと成り立たないんです。というのは、この世で悪いことをしていて最後まで栄えるヤツもいるし、この世で善いことをしてても全然報われない人もいるから、それだと計算が合わないじゃないですか。それで、永遠の世界の中での輪廻転生ということを考えてはじめて成立する説なんです。たぶんねえ、この次の時代に僕たちが採用できるのは輪廻転生説だと思うんです。というのは、システム的にものを考えると、私のこの体と私の心を持った私は意味がないんです。システムに意味があるから。意味がないけど私は存在するわけで、1つの縞模様として存在するわけで、それが今の時代にある役割をするわけです。やがて私が消えますと、死にますと、次の時代に私の役割をすべき人が必要じゃないですか。それを世界が生み出すでしょうよ。そうやって私は転生するんですよ。別の体で別の心で、同じ役割で。私が世界をある方向へ向けておくことが、次の生存がやりやすくなる。あるいは次の世界の生存がやりやすくなる。そんなふうにしてすべてがネットワーク、編み目の中で関係し合っているから、だから私が倫理的でなければならないという、これはたぶん成り立つ根拠なんです。そういう方向で行けるんじゃないかな。

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地球ガイヤ説

Q
 地球ガイヤ説とベイトソンのシステム論の違い。

A
 さっきベイトソンの理論には神秘性がないと言ったんです。生命があるということは別に神秘でもなんでもないので、「生命に見られる諸現象がある」ということなんですね。ところが命があるとか心があるとか言うと、それはすぐエゾテリックな異教的な神秘的なところへジャンプするバカたれたちがいるんです。いつの時代にも。すぐ「ガイヤ」だと言い、なんじゃらと言い、エコだと言い、いわゆるディープエコロジー。エコロジーには3つあって、ディープエコロジーとエコキャプタリズムとスピリチュアルエコロジーとあるんです。そのディープエコロジー、「縄文式時代へ帰れ」運動へ飛び込んでいくんです。凄いバカげていると思う。ベイトソンのもの凄い科学的にデカルト以来積み重ねられた科学的な言葉を使うことで、科学の持っている根本前提を突き崩したんです。彼の『精神と自然』という本の中に、「誰もが学校で習うことでしょうが」というこれがめちゃめちゃ面白いんです。誰もが学校で絶対習わないことがいっぱい書いてあるんです。ごく中学校的知識で今の科学の根本前提を次々ひっくり返して見せてくれます。ベイトソンは一切神秘主義とか漠然とした生命とか精神への信頼とかから話をしているんではなくて、完全に醒めた科学者の目で話をしていて、しかも世界のシステム性を言っているとこが僕らの魅力なんです、もの凄い。ただ、ベイトソンの思想はそういうやり方をするもんだから、難解だと思うんです。ベイトソンのゼミナールに出ていた学生さんたちが、1年間ゼミへ出て1年終わって、ゼミのテーマが何だったかわからなかったって。ベイトソンはずっとしゃべり続け。ゼミでいろんなことをやったけど、結局何をしたか誰も理解できなかったという有名なエピソードがあるんです。で、ベイトソンという人は多弁・多芸な人で、凄いいろんなものに関心を持つんです。例えば蟹の甲羅とかね。例えば木の葉っぱとかね。例えばどっかの村の儀式とかね。例えば統合失調症者の親の性格特徴とかね。例えば映画とかね。例えば小説とかね。それらを全部同じ原理で説明するの。蟹の甲羅から統合失調症者の親まで全部1つの原理で説明するの。さすが天才なんですね。そこにはだから神秘性がないんです。一切そういう神秘性を持たない理論を、しかもデカルトみたいに世界が死んでいるんだという意味じゃない理論を、世界がシステムとして生きているという理論を、「生きている」という言葉の定義まできちっとして、成長すること、進化すること、学習すること、発展すること、やがて死滅することという定義までして、作るところがベイトソンの良いところだと思うんです。あんまり熱に浮かされたガイヤ主義者とつきあわないほうがいいと思う。

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