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先生の“脅し話”

Q 
 学校の先生が話す“脅し話”を聞いていると、とても疲れます。バカバカしいとは思うのですが、どうしたら疲れずにすみますか?
 妹がよくちょっとしたことで喧嘩を売ってきて、努力はしているつもりなのですが、喧嘩を回避できません。どうしたらいいでしょうか?妹に「じゃあこうしましょう」と言っても、妹に都合の良いように1秒後に変わってしまいます。ずるいです。でも「ずるい」と言うと喧嘩になります。どうしましょう?

A
 あ、これ、子どもさんですね。あのね、学校の先生はね、奥さんがいるんですよ。あるいは旦那さんがいるんですよ。子どもがいるんですよ。うちへ帰るとけっこうお父さんとかお母さんをやっているんですよ。上に女の人だとお姑さんがいたりするんですよ。男の人だと認知症になりかけのおじいちゃんがいたりするんですよ。隣近所のおつきあいも大変なんですよ。誰か結婚するとかいうと、「ほら、お祝いをあげなくてはね」と困っているんですよ。自分も「このごろちょっと血圧が上がってきたな」と言っているんですよ。ただのおっさんとおばさんなんです、あれ、要するに。いろいろ言うけど、あれ、ただのおっさんとおばさんで、それなりに人生の苦労をして生きてきていらっしゃるんです。赦してあげて(爆笑)。いろいろおっしゃいますが、あれは給料のためにおっしゃっているわけで、別に本気にとらなくていいです、はい。それはテレビでほら、ビタミン剤かなんか飲んで「元気になりました!」とか、ダイエットマシーンかなんか使って「痩せました!」とかいうおばさんと一緒で、絶対痩せてないけど、給料もらわなきゃならないからやってんですよ。あの人たち(先生)が本当に自分たちの言うとおりに勉強していたら、今ごろ学校の先生なんかやってないはず。僕そう思います。高校へ行ったときに、英語の先生が僕に「国立大学の医学部だって?そんなんだったら1日に13時間ぐらい勉強せんといかん」と言うんですね。僕が、「先生、学校で6時間やってそこに13時間足しますと、全部で1日に19時間とかなりまして、僕寝てる時間ないんですけど」と言うと、「なに?寝ようと言うのか。寝てるようなことを考えてはいかん。寝る時間惜しんで勉強しろ」と言うんですよ。「アホか、こいつは」と思いまして、「ところで先生はそれぐらい勉強なさいましたか?」と言ったら、向こうも引っ込みがつかなくなって、「したぞ」と言うんですよ。「して、高校の英語の先生ですか」と言ったら、その先生黙ったんです(爆笑)。だからみんなそんなに勉強していない。学校の先生というのは、良い人たちです、とっても。とっても良い人たちですが、経験がないと思うの。だいたい大学行かれて、すぐ先生になられて、ずっと先生やってられて、先生以外の職業をやったことがないんですよ。だから先生以外の職業になることに大変恐怖をおぼえていらっしゃるんですよ。でもね、先生以外にもいっぱいいろんな仕事があるんですよ。お勉強しなくてもなれる仕事もいっぱいあります。お勉強たくさんしてなれる仕事もあります。たくさんお勉強した結果大学院へ行って、ワーキングプアになることもあります。だから、そんなに先生の言うとおりだと思わないで聞いてあげて。
 それから妹さんとは長いつきあいですから、これからずっと一生つきあいますから、今勝たなくていいです。やがてきっと大人になったときに勝てますから。今は負けてあげておいても大丈夫です。(野田俊作)

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着信メロディ     野田俊作

着信メロディ
2002年04月01日(月)

 スタッフの一人が、「『ロード・オブ・ザ・リング』の音楽を、携帯の着メロに入れていただけませんか?」と言う。どうも、以前に約束したらしい。私は(とくに女性に頼まれると)「○○してあげる」と気軽に約束する癖があって、しかもそれをコロッと忘れてしまう。そのことは知っているので、実行不可能な約束だけはしないようにしている。
 サウンド・トラックのCDを聴いて、どれにするか考えたが、映画だと最後に物語が終わってから鳴る"May it be"という歌の、そのまた最後、歌が終わった後のコーダの部分を入れることにした。映画の最後の部分、客席が明るくなり始めるころに鳴る旋律だ。もっとも、ホビットのライト・モティーフなので、劇の中でも何度も鳴るのだが。
 着信メロディの音質と用途を考えると、美しいメロディだからいいというわけではなくて、適した旋律と適していない旋律とがあるように思う。ガンダルフがホビット村に入っていく場面とか、アラゴルンとアルウェンのラブシーンの音楽とか、"May it be"の旋律とか、きれいな音楽はたくさんあるのだが、着信メロディ向きじゃないと思う。ともあれ、CDを聴音して3声部の楽譜を作って、それを入れてあげた。せっかく作ったので、自分の携帯電話にも入れておいた。
 他のスタッフが「私にも以前に約束した」と言う。そうかもしれない。「曲を選んでおいで」と言っておいた。音楽に関する仕事はまったく苦にならないので、仮に約束していなくても、してあげるのはちっともいやじゃない。



未来予測
2002年04月02日(火)

 先日、ハインラインの『夏への扉』を読んだ勢いで、フレドリック・ブラウン『火星人ゴーホーム』(ハヤカワ文庫)とロバート・ハインライン『人形つかい』(ハヤカワ文庫)を読んだ。いずれも1950年代の作品で、舞台はおおむね2000年ごろ、つまり現在だ。小説の中に出てくる「未来」の生活は、われわれが生きている「現在」とあまり似ていない。人類が宇宙へ進出していることになっていたり、空飛ぶ自動車があったり、立体テレビがあったり、服装もすっかり変わっていたりする。しかし、実際には、そういう点では50年代と今とで、大きな変化はない。
 一方、はっきり違うのは、いわゆるIT技術だ。パソコンもインターネットも携帯電話も予測されていない。主人公が電話ボックスを探したりすると、ちょっとおかしい。政治的なことでは、今はソ連がない。小説の中では、相変わらずクレムリンが陰謀をたくらんでいる。社会的なことだと、喫煙する主人公が多いので驚く。そういえば『指輪物語』のフロドやサムも、小説の中では喫煙するな。そういうことを丹念に拾って読んでいけば、大学の卒論くらいにはなるんじゃないかな。
 ともあれ、未来予測というものが、いかに当たらないものかということがわかる。2050年の世界なんて、どうなっているのかまったく見当がつかない。世界が存在すればいいんだがね。ま、私はどうせいないのだが。



注意欠損
2002年04月03日(水)

 次の土曜・日曜にワークショップをする。同じワークショップを1月にもして、そのときプレゼンテーション用のスライドをこしらえた。パワーポイントを使うことを覚えてから、重要な話をするときは、要点をまとめたスライドを作ることにしている。今回も同じテーマで話をするのだが、部分的に手を入れたほうがいいかなと思って、ひさしぶりに見てみたところ、なんと、話の筋をよく覚えていない。前回、このスライドを作ってすぐに人々に説明したときは、細部までよくわかっていたのだが、今では、大まかな話の筋はわかるが、細かい論理のヒダが見えなくなっている。
 いつもこんな風なのだ。論文を書いたり講演をしたりしている間は、その問題について完全にわかっているのだが、書き終わってしばらくすると別の話題に興味が移ってしまって、その話のテーマに関心を失ってしまう。多動で注意欠損なんだ。ひとつの話題をじっくり煮詰めるということをしない。あちこちつまみ食いしながら、その都度その都度、そのときの話題に夢中になる。これは、浮気性ともいうな。女性とのつきあい方も、そんな風なのかもしれない。
 ともあれ、そうして、次々と関心が移っていくが、しばらくすると元の話題に戻ってくる。ただし、「しばらく」というのは、数年単位だ。(女性も、数年待ってくれるといいんだけどね)。今回は、数年後の「しばらく」を待っていられないので、無理やり思い出さなければならない。ちょっと苦痛だ。

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自閉症の子ども

Q 
 自閉症の子どもにはどのように関わったらいいでしょうか?

A
あのー、自閉症とかー、ADHDとかー、それからアスペルガー症候群とかいうのは、差別用語です。そんな子はいません。田中太郎さんとか山田花子さんとかいう子がいるだけなんです。だから子どもひとりひとりとつきあってほしいんですよ。「この子は病気だからこうつきあう」という発想をやめてほしいんです。それ自体が差別なんです。そのことによって僕らの目が曇るんですよ。世の中には、ゆっくり学ぶ子もいるし早く学ぶ子もいる。まっすぐ学ぶ子もいるし変わった学び方をする子もいる。みんなと交わりたい子もいるし、みんなと交わりたくない子もいる。それはみんな個性なんです。それが、「病気だから」と言って僕らがつきあい方を変えるということが、かえって病気であるということを固定していくと思うんです。だからひとりひとり違うつきあい方を工夫しなきゃいけないと思うけれども、「自閉症だからこんなつきあい方をしよう」という発想は間違いだと思う。(野田俊作)

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心を観る    野田俊作

心を観る
2002年03月28日(木)

 火曜日の朝、山を登りはじめた。心の中でなにを考えているか、観てみることにした。瞑想法の一種で、ときどきやってみると、面白い発見があったりする。
 そうすると、セクシュアルな内容が多いんだね。思い出してみると、山に入ったときは、そういうたぐいのことを考えていることが多い。男の子だから、そういうことを考えると元気になるのかね。女性はセクシュアルなことを考えるとうっとりしてしまうから、登山の助けにはならないだろう。山道をたどりながら、次々と想念が出てくるのを、すこし距離をおいて観て楽しんでいた。
 水曜日も山歩きだった。この日はセクシュアルな考えは出てこず、あれこれ音楽が聞こえていた。童謡だったり、演歌だったり、クラシックだったり、さまざまだけれど、聞こえたり消えたりしていた。桜が満開で、とても美しかった。
 木曜日、つまり今日は、朝から怒っていた。6時半に朝食だったのだが、6時20分ころには食堂に集合した。民宿のおかみさんが、「3人ほど、桜を見に出てゆかれましたよ」と言った。大日寺の前に、見事なしだれ桜があるのだ。その人たちは6時半寸前に帰ってきたが、それまで10分間ほど、私は怒っていた。時間までに帰ってきたので、その人たちには怒られる筋合いはない。だから当然、なにも言わなかった。歩き始めてからも、そのことだけでなく、あれこれ思い出しては怒っていた。今回のお遍路がはじまってからのこともあるし、もっと昔のこともある。次々と思い出しては腹を立てている。お昼には徳島へ出て解散した。その後、みんなは一緒に食事に行ったが、私は機嫌が悪いので、一緒に行くと迷惑をかけるかもしれないと思い、消えることにした。誰かに怒っているわけではなく、ただ心が怒りたがっているだけだ。それでも、周囲にいる人はかなわないだろう。こういうときは退散するのが人のためだ。



祈り
2002年03月29日(金)

 歩き遍路はハイキングではないので、参加者はそれなりに仏さまにお願いすることがあるのだろうと思う。もっとも、私自身は、ありがたいことに、仏さまに頼らないと解決できないような問題をかかえていないので、なにもお願いしていないが、一緒に行った人々の中には問題をかかえている人もいるので、きっとあれこれお願いしたことだろう。歩き遍路で仏さまにお願いすると、他の場合よりもよく聞き届けてもらえるだろうと私は思っている。
 もっとも、かなわないたぐいの願いもある。たとえば、「うちの子をいい子にしてください」だの「夫をやさしくしてください」だの「入試に合格しますように」だのは、かなわない願いだ。「私をいい親にしてください」だの「いい妻になれますように」だの「落ちついて勉強できる自分にしてください」だのは、かなう(かもしれない)願いだ。
 祈りというのは、要するに自己暗示だと思う。山中を歩くと瞑想状態になって被暗示性が高まるので、その状態で本気で祈れば、自己暗示にかかりやすい。自己暗示でもって他人を変えることはできない。変えることができるのは自分だけだ。
 もっとも、自分についてのことであればなんでもかなうかというと、そうでもないと思う。「羽根が生えますように」などという物理的に不可能な願いがかなわないのはもちろんだが、「自然にふるまえますように」などという抽象的な願いもかなわない。具体的なイメージを描けないと、自己暗示にかかりようがない。「よい母」だの「よい妻」だの「まじめな学生」だのというのは、具体的なイメージをもちやすい目標だから、虚心に祈れば願いは聞き届けられるだろう。
 仏さまにお願いしない人にかぎって、よく喋る。他の参加者に自分の悩みを打ち明けても、なにも解決しないよ。仏さまに打ち明けても解決しないくらいだから、人間に打ち明けて解決するはずがない。問題に注目せず、解決像に注目しなさいって、心理学も言っているでしょう。グチを言うのをやめ、口を閉じて、心から祈ることだ、そうすれば解決するだろう。



グリーン車
2002年03月30日(土)

 広島で仕事をしてから東京に向かった。飛行機にしようか新幹線にしようか迷ったのだが、空港が遠いので新幹線にした。しかし4時間もあの椅子はかなわないので、贅沢をしてグリーン車をとった。やっぱり楽だなあ。これなら、博多から東京までだって行けるよ。広島から東京へ行くことなどめったにないのだが、いつも通っている大阪・東京間もグリーン車だと楽なのになあ。しかし、毎回グリーン車にしては会計がもたない。残念。



ラーメン
2002年03月31日(日)

 東京は日暮里駅前の『馬賊』という店でラーメンを食べた。店頭で手打ちしている。長く伸ばしては二つにたたんで、また伸ばしてたたんで、1本が2本、2本が4本、4本が8本と、結局256本になるまで伸ばす。見ていてとても面白い。スープの醤油味が、関東風なのか、塩辛すぎる気はしたが、麺はおいしい。以前から入ってみたいと思っていたのだが、東京のオフィスから日暮里駅までの間においしい店がたくさんあるので、ここまでたどりついたときには満腹状態で、入ることができなかった。今日は、オフィスを出る前に決心をして、そこで夕食にすることにした。
 ラーメンはよく食べる。博多風のトンコツ味や札幌風の味噌味よりも、清んだスープのものが好きだ。あっさりしたむかしの中華ソバ風のものもいいし、うんと油濃い、たとえば尾道ラーメンのようなのものもいい。尾道ラーメンはマイナーなので食べたことがある人が少ないかもしれないが、清んだスープの中に豚の背脂がたっぷり入っていて、ものすごいボリュームだ。麺は固めに茹でたのがいい。細い麺よりもやや太目のほうがいいかな。あまりあれこれトッピングしたものより、チャーシューとメンマ程度のシンプルなものを好む。
 尾道ラーメンの他に、おいしいと思うのは、東京は有楽町にある『客家』という店のラーメンだ。清湯が絶品で、あれほどおいしいスープは他に知らない。東京のオフィスの下の階は『かむなび』という超有名ラーメン屋で、いつも待ち行列が並んでいる。ちょっとあっさりしすぎていて、私は物足りない気がする。概して、東京のラーメンはおいしいと思う。大阪にも有名なラーメン店はたくさんあるが、残念なことに、あまりおいしいと思ったことがない。
 塩分をとりすぎると血圧があがるので、そうしばしば食べることができないし、食べてもスープをたくさん飲むことができない。これはとても残念なことだ。ま、ラーメンと心中することもないので、ときどきにしておこう。

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高学歴ワーキングプア

Q 
 長男は26歳。東京で一橋大の大学院でドイツ文化論を専攻しています(ヒマ人だなあ)。しかし博士課程を出ると30歳になり、今の状態を聞くと、その年から大学で安定した職を得ることは極めて厳しく(ほんとにそうだ)、いわゆる高学歴ワーキングプアとなって、不安定な条件の中で生きていかなければならない可能性が大とのことです(そうですね)。先日私もテレビで高学歴ワーキングプアがたくさん存在し、悲惨な生活を送っていることを報道した学歴を見て、びっくりというかガックリしました。それで本人に(おー、過保護)「大学院に残るのをやめて就職活動をしてみたら?」と言ったのですが、本人は「やることはやってみるよ。お父さんも知ってのとおり、今は100年に一度の世界的経済危機で、やりたい仕事は簡単に見つからない」と言います。確かにタイミングは最悪。「どうしたい?」と聞くと、「この経済危機の中では大学院で研究しているほうがまだマシかな。社会状況の変化を見ながら進路を考えていく。とにかくまだ院に残る」と答えました。なるほどとは思うけど、博士を出てから職のないいわゆる野良博士になってしまいそうで、こちらの経済的援助も覚悟しないといけないかなと思うと、しんどい気持ちになってしまいます。野田先生、どうか良いご助言をお願いします。

A
 えー、ミスキャスト。私は一種のワーキングプアです(爆笑)。僕の同級生たちは大学の教授とか公立病院の院長とか開業医とかになって、いわゆる健康保険というものとか国というものからお金をもらって、とてもまっとうな職業に就いていますが、私は健康保険にも国にも企業にもお世話にならず、零細企業の親分をやって、こんな所へ来て人々を言いくるめて騙して暮らしているわけで、でもこれは僕のほんとの仕事じゃなくて、ほんとの仕事というのは誰も読まない論文を書くという、世のために人のためにまったく役に立たないことをするというのが本来の業務ですから、立派に高学歴ワーキングプアなんですよ。プアのほうも大変誇りがありまして、なんでこんな所へ(講演に)来ているかというと、金がなくなったから来ているわけで、私に聞くのはまったくのミスキャストだと思います。ちゃんと生きていけます。僕もたくさんそういう友だちがいます。非常勤講師しながらときどき本を書いて、誰も読まないような本を書いて、いっとき売れてすぐ売れなくなって、まあしょうないわと、学生向きの教科書を書いて自分の講義を採る学生に無理やり売りつけて、みんなブーブー言いながらそれ買って、それで暮らしている人がいて、そういう人たちが社会の底辺を支えているんですよ。大学院出た博士たちが。次の時代の一番底ならしをしてるんだから、誰かがそうしなきゃいけないので、そりゃあ会社へ勤めて、ほんとに生産的な現場でね、日本の総生産を上げるのもとても立派な仕事だと思うけど、学生たちに向かって一生何の役にも立たないような講義をして単位をあげる、で、ときどき試験していじわるするいうのも、これも立派な仕事だと思うんです。人それぞれ向き不向きがありますから、あんまり子どもの職業に、この年になってから介入しないほうがいいと思います。皆、親の世話にならないで、貧しいながらで暮らしていますので、何とかなるでしょう、はい。きっと大丈夫だと思います。だから、お任せしたら。「子どもを信頼しなさい」とさっき言ったでしょう。(野田俊作)

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