Q
新しく始まっている「パセージ」で「愛のタスクの問題を抱えている人優先」と聞きました。でも社会で働いている職場での人間関係が大きくウエイトを占めるということもあるでしょう。教職員の人は生徒のことで「パセージ」を受けられそうですが、生徒とは1,2年のつきあいですが、職場では下手すれば初老のころまでつきあいます。こういった人間関係を改善するプログラムを作ってください。
A
イヤです(爆笑)。なんでイヤかというと、それはアドラー心理学の首尾範囲外なんですよ。アドラーは、家族関係とか学校での教師-生徒関係とかに限定してずっと話をしたんです。なんでかというと、子どもを育てないといけないから。次の世界は子どもたちが作るから、子どもたちに感情を使わない問題解決法とか民主的な考え方とか横の関係とかを、体験を通じて教えておきたいからなんです。そうすると、次の世代の職場問題は解決するじゃないですか。今の職場は人を育てる場所じゃないでしょう、基本的に。そこでの対人関係プログラムは、要するに「人の操り方」になるわけです、どうしたって。他人をどうやって自分の思うとおりに動かすかということになるし、それ自体は悪いことじゃないんですけど、アドラー心理学の首尾範囲外なんです。アドラー心理学は、人を操作しないで支配しないで援助する方法を考えているけど、それは職場ではあまりいらないでしょう。それはアドラー以外にいくらでもそういうふうなタイプの心理学があるから、そっちへ学びに行かれるといいし、そういうタイプの人たちがセールスマン・トレーニングとか職場の人間関係トレーニングとかをやっているから、僕らはそれに反対しません。ある種の偽アドラーの人が「職場の人間関係をアドラー心理学の立場から書く」という本を出していますが、あんなん全然アドラーと違います、どこも。だって本来無理なんだもの。
Q
月に一度くらい2,3日家族と交流以外ずっと1人は何か虚しいです。いろいろ選ぶこと・したいことをやっているのですが、やはり人の役に立っているという実感が必要なのでしょうか?多くの人は毎日ショッピングかお昼食べるときおしゃべりをして普通に過ごしているように思われます。何かを習っても理想が高すぎるのか無能な自分が情けなくなります。これから明るく生きるための考え方を教えてください。勝手かもわからないのですが、ときどき共鳴してやるときが欲しいと思います。少しだけ寂しいです。
A
友だち作らんとしょうがない。やっぱり自分が何かの形で役に立っていて、この世の余計者じゃないんだよ厄介者じゃないんだよという感じが、生きていく上で必要だと思うんですよ。どこでそれを得られるかはわからない。その人ごとに違うから。だからそういう場面を求めて、とにかく考えてないで行動を起こすことだと思うわ、いつも。で、ダメだと思ったら引っ込んで、また別のことをやればいいんだから。考えは頭の中にしかないから何も事態を変えません。
Q
「パニックもすべて生存のためだ」と言われましたが、映画などでパニックを起こして事態を悪化させて死んだり、逃げりゃいいのに硬直して殺されたり車に轢かれたりしていますが、あれはどうしてでしょうか?気を失うという場合もありますが、あれも事態に対処するための良い方法とは思えないのですが。
A
実はね、良い方法であることもあるんですよ、だから。いつもリスクテイキングがあって、冷静だから100%問題解決できるわけでもないし、パニックだから問題解決できないわけでもないんです。というか、パニックは結構成功しているんですよ、家庭生活などで。奥さんがパニックに陥るとたいていの要求が通るじゃないですか。それと同じで、よそでもいけるかなと思って失敗しているだけなんです。その場その場に応じて細かく対処方法を使い分けるというふうに人間は設計されてなくて、だいたい自分の生まれ育った家族の中で使ってきた対処法を、結婚して相手に向かって使ってみたり、自分の子どもに向かって使ってみたり、職場で使ってみたりするじゃないですか。それがうまくいったりいかなかったりするんです。
Q
支配と依存に感情を使うことはわかりましたが、無関心にも感情を使ってますか?
A
ありますね。無気力な感じとか憂鬱でやる気がないとかいうのは、無関心のために感情を使うわけでしょう。関わらないために。
Q
気分と感情と感じとは違うものですか?
A
気分と感情と感じは、名前の定義次第なんです。言葉の意味が同じか違うかというのは人々が勝手に決めるんです。精神医学では、感情と情動と気分と3つ区別しています。これは精神医学者がお互いどうし言葉を使うときに、こういう定義で使おうねと決めているだけで、世の中全般に通用しているわけじゃないんです。だからあんまり気にしないでください。