Q
7月の子宮胎盤検診で異型細胞が見つかり、8月に再検査を受けることになりました。仮に癌であったとしても初期の子宮癌は手術で治るほうが多いと聞いていますので、また年齢的にも年を重ねてきているので心配していないのですが、できたら手術をするという負担を避けたいと考えています。
A
近藤誠氏の著書によりますと、放射線療法も有効かもしれないということです。
Q
癌と決まったとき現在の出産を主とした個人病院ではなく、私学の総合病院で手術を受けるか慶応病院で見てもらってからこちらの放射線治療を受けられる病院を紹介してもらうのがよいか、ある程度気持ちを決めておきたいと思っています。癌ではなかったらラッキーです。最終的には自分の判断で決めることですが、何かアドバイスをお願いします。
A
私、婦人科は成績が悪かったんですよ。産科婦人科とあと整形外科と成績が悪かったんです。何か関心が持てないんです、あれ。だって大学の医学部の講義って、暗くしてスライドで講義するんです。女性器の大写しを12分見続けてごらん、どれだけ興味が薄れるか。もひとつ関心持てなかったんですけど、だから今から言うことはかなり無責任ね。手術はね、もしも医者が「手術します。これ切ったほうがいい」と言ったとしますね。そしたら医者に訊くんです。「五年生存率はどれくらいありますか?」って。「5年後に私が生きている確率は100か50か20か0か?」。「まあ結構いい線です。この段階だと五年生存率あります」と言われたら切ります、どんな癌であれ。「切っても5年はちょっと難しいかもしれない」と言われたら切らないかもしれない。放射線療法とか抗癌剤についても同様に訊きます。放射線するとしないとで、5年間生き残る確率がどれくらい変わるのか。僕思うのに、手術したあとに放射線を併用するのは効果的だけれど、放射線だけで効果あるかなあ?ないんちゃうか、どっちかというと。ものによって違うからわかんないけど。だから、手術療法を中心に考えたほうがいいんじゃないかしら。癌は、政府が統計研究に凄い金をかけているんです。ある手術をしたら5年後いくら生きているかというのを、きちっと統計を出していまして、患者さんがしつこく食い下がれば、医者は言わないわけにはいかないんです、インフォームド・コンセントで。だから「五年生存率はどれくらいありますか?」って。自分のはわからないです、もちろん。一般的な統計でこの段階の癌で今手術したらと訊いて、希望を持てる数字だったら、あまり迷わないで手術を受けたほうがいいと思います。婦人科の手術ってそんなに大手術じゃないしね、どっちみち。病院はわかんないけど、癌の手術を受けるんだったら開業医さんはやめるな。まあ大きな病院を紹介してもらって、そこでやると思います。大学病院はもひとつ感心しません、どんな病気も。大学病院というのは、あれは治療施設じゃなくて研究施設ですから、医者の関心が治療のほうに向いてない。大阪だと、大阪大学とか大阪市立大学で手術するよりは、例えば国立病院とか府立病院とかで手術するほうが、医者の気がずっと臨床のほうへ向いているからずっといいと思う。
Q
テレビでお騒がせの「サッチー」についてひとことお願いします。
A
わからん。これも僕、アドラー心理学を学んで良かったことなんですけど、自分と利害関係のない人に興味ないんですよ。彼女には金も貸してもいないし借りてもいないし、あの人が生きていようと死んでいようと別にどっちでもいいから、私の課題じゃないと思えるので知りません。
Q
昨日こんなことがありました。夫がスーパーへ車で連れて行ってくれることになっていたんですが、昼食が済んで少し過ぎてから夫に「まだ買い物に行かない?」と聞かれました。私は夫に「早くして」と責められたような気がしたので、「だって今お昼ご飯が済んだばかりでお茶碗を片づけないといけないでしょ」と言いました。すると夫は「私は単にまだ買い物に行けないなら今のうちにタバコを買いに行こうと思って聞いただけで、あなたを急(せ)かしたわけではない」と説明してくれました。間もなく夫がタバコを買いに行って戻ってきたときに、「あなたは最近よく、『僕はこうこういうつもりだった』とよく説明してくれるようになったわね」と言ったところ、夫は「だってちゃんと説明しないとあなたはすぐに誤解して怒りだすもの」と言いました(これが夫婦が理解し合うということですね)。私はその夫の発言に深く感動したのですが、私はすぐに人の言うことを曲解してしまうので、「これって訓練して治せるかしら」と聞いてみました。すると夫は「無理でしょう。それは死ぬまで治らん」と言いました(私もそう思います)。完全に治すことはできなくてもある程度は改善すると思うのですが、やっぱり死ぬまで治らないのでしょうか?
A
治らないと思う(爆笑)。治らないけど、「私はいつも人の言うことを曲解する」ということを知っているということはできると思う。自分の「感じ」をそのまま信じないで、「これ間違っているかもしれない」と思うことはできる。だから「こんなふうに感じる。違う?」と聞いてみることはできるんですよ。でもやっぱり治らなくて、次また曲解するんですよ。だから諦めて、それは。でも、ある性格があるということとその性格を知っているということは別で、知っていればその性格を無意識に野放しにしなくていでしょう。
Q
午前中はお話ありがとうございました。質問ですが、アドラー心理学は40年ごとに変化すると前におっしゃっていました。アドラー心理学といっても「古典的アドラー心理学」と「現代アドラー心理学」と表現が違うこともあります。シャルマンやドライカースなどの人物像も出てきます。アドラー心理学の中での流れの変化や時代背景を参考にしたい。有名な人が強調したことを教えてください。またアドラーニュースに、1990年代に入って新しい動きがあって、コミュニケーションに焦点を当てた新しいアドラー心理学が書いてありますが、そのことについてもどうしてそんな変化があるのか教えてください。
A
そんなん、アドラー心理学史をやったらこんな時間でしゃべられへんで。90年代に入ってアドラー心理学の方向がというかトピックが変わったのは、心理学全体のトピックが変わったからです。臨床心理学の中にありますのでね、アドラー心理学も。大きな臨床心理学の流れの中でみんな研究をしています。例えば私だって心理臨床学会というカウンセラーさんたちの学会にも入っているし、精神科医の学会にも入っているわけで、そっち側の情報だってしょっちゅう入ってくるわけだから、そっち側からの影響は絶えずあります。臨床心理学全体がいろんな意味で新しい考え方に変わったんです。なんで変わったかというのは、もの凄い複合的な要因があるので、あまりちゃんと言えないけど、1つはアメリカの家族の構造が変わった。一夫一妻制で離婚せずに子どもをちゃんと育てるというやり方から、どんどん離婚して、子どもが何人もの夫の子どもが同居するというような状況があったりする。それから社会の根本的な方向性がベトナム戦争の前みたいに楽観的じゃなくなった。このまま行けば世界は、きっと幸せな明るい世界が来るだろうと思えない節がある。それが社会科学・人文科学全体にいろんな影響を及ぼしています。そんなのを心理学も受けるんですよ。それで90年代から話題が心理学がコミュニケーション、家族コミュニケーションとかを扱う方向へ変わりました。詳しいことはあんまりめんどくさいからこんなとこでお話しできません、とても専門的なお話なので。
Q
生まれつき幸せな家族に恵まれた人と、いろいろ困ったことを次々と起こす家族を持っている人とがいると思うんです(そうかねえ?)。私は後者ですが、とても重いものを抱えてしんどい思いをしています。どのように考えて暮らせばいいのでしょうか?少しでも気が軽くなる考え方がありますか?
A
軽くなるかどうかは知らないけど、生まれつき幸せな家族はないんです。生まれつき次々と問題を起こす家族もないんです。それはみんなで作っているんですよ。家族全員が協力して明るい家族とか、協力して暗い家族とかみんなでこしらえあげているわけ。協力の中には当然私も入っているわけですよ。で、私のパートはたぶんかなり大きいですよ。こんなところへ来て質問しようとする人は業が深いから、暗い家族を作ることに対する寄与率が大きいと思う。だから自分のあり方が変わればきっと変わるはずなんです。私がもし鬼婆だったら、まわりの人はきっと私が鬼婆だと思ってつきあっているから、私の鬼婆性が出るように出るように挑発しているんですよ。挑発に乗っている限り変わらないので、挑発に乗らないで。これもある日みんなが寝ている間に夜中に魔法使いが現れて、私はとても良い人に変わってしまっていたのだが、朝起きたときはそれに気がついていない。いつものように子どもが私を挑発して、私は怒ろうと思ったがなかなかそうはいかない。魔法がかかっているから。では何をするかをしばらく考えてください。