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男の子3人、それぞれ悩みの種

Q
 アドラーを学び始めて7か月がたちました。その間家族の中でいろんな問題が起こりましたが、その都度相談して何とか切り抜けてきました。男の子3人の子どもがいます。長男は今東京の専門学校に行っていますが、噂で彼女と2人で生活していると聞きました。私は「えー!」とびっくり、良かったねえ。頭の中で子どもができたらイヤだ(おばあちゃんになりたくないんだ)。次男は高校2年生だったんですが、6月に退学し非行少年たちと毎晩遊び歩いています。バイトもせずに(憎しみをこめて書いてあるな)。三男は6年生。上2人と違い引っ込み思案で、人とつきあうのが苦手でよく悩んでいます。人にちょっと何か言われても、すぐ傷ついて悩み「どうしよう、どうしよう」と私に泣きついてきます。私は3人の子どもを思うと不安な材料ばかり思い浮かべて、ひとりで「あー」と溜め息をついています。子どもたちは「母さんは母さんの人生を楽しく生きればいいんだ(なんて素敵な子ども)。母さんと僕は別の人生を生きているんだから」と好き勝手にしています。家族から離れているときは、自分の人生を楽しくやっていますが、家に一歩足を入れると心が暗くなってしまいます。そんな私を改革しようと(素晴らしい!)すれば、まずどんな決心を始めたらいいでしょうか?

A
 世界は自分が作っていると思う。この暗い家族は、実は私が願い願い、私の全精力をこめて作り上げた丹精の賜物だ。川はこう流れていて、私がその瞬間その瞬間にやっていくことが私の住んでいる世界を作っていくんですよ。アドラーの考え方はこのへんが凄い面白いんです。アメリカのアドラー心理学会がありまして、そこでも雑誌が出てるんです。そこから「こんな話を書いてくれ」と言うから、「よし書くぞ!」と今英語で書いてるんですけど、家族というのは10年とか15年とかつきあってくる中で、お互いどうし作り合っていくわけです。家族が私を作りもしたけど、私が家族を作りもする。特に母親は他の人を作り変える力が大きいんですよ。子どもが母を作るより、母が子どもを作る力が大きいと思わない?夫が妻を作るより、妻が夫を作るほうが力が大きいと思わない?母が一番力が大きいんですよ。だから実はこの暗いどんよりした空気は78%くらい母が作ったんです。残りは残りの家族が一生懸命作ったものなんですよ。だからそう思うこと。ということは凄い展望は明るいんだ。ということは、私が変われば全部変わるんだ。78%は変わるわけだ。だから、「この世界は私が作った」と思う。どうやって作っているかというと、「信念」でもって作っているんですね、根本的には。1つ1つの行為を後ろで動かしている法則は「信念」です。「信念」は何かというと、「子どもを作らないかしら」とか「バイトもせず」とか「引っ込み思案で暮らしている」とかが「信念」なんです。これをやめよう。「女の子にモテてよかったわね」とか「いろいろ経験しておくとスケールが大きくなるかも」とか「親不孝をたくさんなさい。そしたらきっとあとで後悔して親孝行するようになるから」とか、良い「信念」に入れ替えれば、家族も変わっていくと思います。良かったじゃないですか、女の子と同棲できて。僕、婚前同棲推奨論者で、とにかく「若いうちに籍入れるまでにたくさんの女の人と一緒に暮らしてごらんなさい。暮らさないとわからないことがいっぱいあるから」と言うんです。特に、この子、男の子3人の長男でしょう。女性というのを知らないんですよ。女性というのは、特に若い女性というのは、一緒に暮らすととんでもない代物(しろもの)で、「さ、行こうか」と言ってから、最低30分、長ければ3時間くらい時間かかったりするんですよ。意外と欲喰ったり、1日しゃべってないと気がすまなかったりする。側で観察して、女性に対して失望すべきところは失望し、感心すべきところは感心し、女性の虚像じゃなくて実像としっかり出会って、何人かの女性としっかり出会って、それから結婚するかどうか考えたほうがいいんじゃないかしらん。ただデートのときだけつきあって、「こんなもんかね」と思って暮らしていたら、結婚したときに唖然とするんですよ。「こんなだったのか」と。昔、お釈迦様は出家なさる前、たくさんのおネエちゃんたちとパーティーをして、夜中に酒飲みすぎておしっこしたくなって目が覚めてまわりを見たら、美女たちがヨダレ垂らして寝ていたので、深く失望して世の無常を嘆いて出家して悟りを開かれたんだそうですけど。ヨダレ垂らして寝ているところもやっぱり見ておかないといけないと思うんです。若いうちに女の人と一緒に暮らして、いい目にもひどい目にも遭ってくださいよ。
 それから非行もね、僕たくさん非行の知り合いがいるけど、彼らなりにきちっと限界を設けて非行してるんです。していいこととしていけないことというのが完全にあります。それは、彼らに信頼して任せておけば、だいたい大丈夫だと思います。向かいの机の上に「ぼくんち」という漫画があります。あれなんか読みますと、非行少年の母として大変根性が入りますから、ひとつああいうものを読まれたらいかがでしょうか?
 小学校6年生の「内気」はアテにならないぞ。そのうちコロッと変わるかもしれない、友だちできたら。今の「内気」は全然信用できない。

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人と人との理解

Q
 アドラー心理学は言葉、コミュニケーションを大切にしていると思うんですが、そしてそれは「人と人とは理解しえない」ということを前提としていると私は理解しています。私の友人はたわいのない会話なら、お互いの解釈が多少ずれていてもいいから会話が続くけど、自分が大事にしているところを話したとき、相手の解釈がずれていたら、「もうそのところは話したくない、言いたくない」と言います。(わがままなヤツだな。)ずれていたら話したくないというところが、私には理解できません。人と人との理解についてお話ください。

A
 世間では、人と人とはわかり合えると思っているんですよ、一応ね。でもアドラー心理学は、人と人とはわかり合えないと思っているんですよ。例えば、ハゼという魚がいまして、秋になると川を上ってきて、みんなでハゼを釣りに行ったりするんですよ。僕、ハゼ釣りは今から40年くらい前にやったきりなんです。40年くらい前にやったという子ども時代の体験が1つ僕にはあるんです。で、さて今10月か11月になりまして、川のほとりを歩いていると、橋の上からハゼを釣っているおじさんがいたとしましょうよ。で、誰かもう1人の人と歩いていたとしましょうよ。で、僕「ハゼ釣ってるな」と言うんですよ。「あ、ハゼ釣ってるね」ともう1人の人が言うんですよ。絶対違うことを考えているんですよ。だって僕は今から40年前にハゼを釣ったんですよ。隣の人は40年前に僕とハゼを釣ってないんですよ。体験を共有してないから、同じハゼという単語にこめているニュアンスが違うんです。これはいくら説明しても、絶対に40年前にどんな風が吹いたのかどんなお日様が出たのか言えないから、説明できないんです。ということは、ハゼ釣りみたいな簡単なものでもそうだから、男女の情愛という類いのことになると、今までの自分の人生の経験のいろんなことが全部そこに乗っかっているわけだから、そんなん話してわかるとは思えないんです。話してわかるとか思わないから、じゃあ話しなくてもいいのかというと、だから話をしないといけないんですよ。わかんないけど、どうしても相手に伝えておかなきゃならないことは、工夫して、「ああ言い、こう言い」と話をしないとしょうがない。チラッとほのめかす程度に言ってわかってもらおうと思うのは、間違ったライフスタイルの2番目「依存」です。「ああこの人わかってもらえないな」と思ったら、その日にわかってもらえなくていいから、時間かけてゆっくり話してわかるように工夫しようと思わないとしょうがないと思います。

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仲良くコミュニケーションするには?

Q 
 人と話すのが恐いのです。何も話すことのない自分を知らされるので用事がないとなかなか話せなくて、人を避けてしまいます。人と仲良くコミュニケーションするには?

A
 あっ、話そうと思うからいけない。聞こうと思えばいい。聞こうって。対人恐怖とか引っ込み思案とか赤面恐怖とかいう人たちが私のところへカウンセリングによく来まして、私はきっとそんな人たちにいくつかのことを言うんです。まずカウンセリングしてて「あんたの話は面白くない」と言うんです。「あなたみたいな人がもしもう1人いて、その人があなたの側へ寄ってきてあなたとおんなじ話をずっとあなたに聞かせたら、あなたは聞くか」と。「そんなの聞かない」とその人も言うんですよ。だから、「そんな話、私はどんなに不幸か、しゃべるのが下手だとかをいくら言ったってみんな関心を持たないから、人に話をしてわかってもらおうと思うのをやめなさい。あなたはわかったところでみんな不幸になるだけだから、ひとりで不幸になってなさい」。これが1。2は「とにかく他の人の話を聞いてらっしゃい」って。家族の話とか友だちの話とか電車の中で隣どうし話している人の話とか、それを聞いて、絶対あなたはつまんないと思う。なんでかというと、あなたは人にわかってもらいたいけど、人をわかりたくないから。もらいたいけどあげたくないから。そのもらいたいけどあげたくないという基本的な姿勢がある限り、人の話は面白くないし、人生も面白くないんですよ。人生というのは困った原理が1つあって、与えたものが返されるんです。与えない人には何も返されないんです。だから「人に何もあげません。私にひたすらちょうだい」と言う人は、そのうちまわりの人にうんざりされるんですよ。だから、うんざりされた状態で神経症なんですよ。そうなると、自分が人に何を与えるかが問題なんです。与えるというのは、くだらない話でもないし付け焼き刃の冗談でもないので、一番与えてほしいのは、他の人の話を面白がって聞くということね。興味を持って他の人の話を聞くということが、一番与えられることだと思うから、それをお稽古しなさい。

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人間不信

Q
 人間不信はどうしてなるのでしょうか?その直し方、ならない方法は?

A
 使い道があるんですよ、何だって。だから、自分の人間不信というものをどう使っているか観察してくださいな。だからけっこう何だって良いことがあるわけ。人間を簡単に信じるよりは簡単に信じないほうが例えば安全だとか、損しないですむとかいうことがあるわけですよ。人間を信じて暮らすというのは投資するわけだから、投資するということは回収できない可能性もあるんです。人間不信だと投資しないわけだから、得しない代わりに損しないんですよ。人間が暮らしていくには得しないで損しない方法と、損するかもしれないけど得する方法と2つありまして、そのどっちでも好きなほうを取ればいいんです。どっちでも好きなほうを取ればいいんですけど、アドラーさんはよく「リスクテイキングしなさい」って、「危険を引き受けなさい」って。だってそうしないと面白くないもん。投資しないで誰にも何も与えないし何も害も与えないでそーっと生きていると、人生の誤った3つ目のやり方、無関心、関係しないやり方になりまして、これは一応人に迷惑をかけないから、支配するとか依存するとかに比べればマシな生き方かもしれないけど、少なくとも面白くない。それからまあある意味で穀潰しで、他の人の役に立ってないので、できたらリスクテイキングして楽しく投資もし楽しく損もしたほうが面白いんじゃない?そう思えば人間不信なくなるわ、使い道がなくなるから。

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占いからの脱却

Q 
 私は六星占術という占いにはまっています。物事の判断をこの占いで決定することが多くあります。しかし「所詮占いは占い」という気持ちもあり、早くこの占いから脱却したいと思うのですが、どうも気になって仕方ありません。どうすれば脱却できるのか教えてください。また野田先生は占いをどうお考えでしょうか?

A
 えーとですね、未来はどうやって決まるかというと、こう考えるんですよ。インド人がこう考えるので私もこう考えます。普通は時間があって、こう過去があって未来があって、で人間が現在こう歩いていると思うでしょ。こう考えるとこのへんに未来の何かがあったりして、歩いて行って出会うと思うじゃないですか。家があったり木が生えていたり。ところがインドの人たちはそう考えなくて、こう川が流れているんですよ。川はこっちからこっちへ流れているんですけど、上流から下流へね。で上流が未来なんですよ。下流が過去なんですよ。私は川の中に立っている棒っくいみたいなもんで、時間が向こうから来るんです。ワーッて突然来るから何かするんですよ、私が。何かすると下に波が立つんですよ。この波が立ってるあとに残ってる波をカルマと言うんです。「業(ごう)」ね。こっち側・未来には何もないんです。ただ「出来事」が次々起こってくるので、初めから家が建ってたり木が生えたりしないんです。私がパッと時間に出会って何かをする結果、世界が形づくられるわけ、私のカルマで。だから占いはないんですよ。未来は一切予言できないんですよ。というのは未来のある時点で私が何をするかでその時点が作られるから。全部私の行為だけで決まると思っているんです。で、占いというのは、人間が不安だからその不安から逃れるために編み出したまじないの1つですね。未来のことが知れるといいなと思うんですよ。その未来のことは一番根本的なところでは知ることができないだろうと思うんです。ただ、知ることはできないけど、何が起こっても自分のすることをしようと思ってさえいれば、そうビクビクしなくてもいいと思うんです。最後どっちにしても死ぬだけだし、最悪の場合。死ぬのは何してても死ぬしね。占いは僕、まったく信じてません。別に占いでお商売している人の邪魔しようとは思わなくて、そういうので助かる人がいるなら助かってもらっていいけれど、私自身は占いに助けてもらおうとは思いません。

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