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上諏訪の呑みあるき

秋になってイベントがまたいろいろと動き出しています。
そんななか上諏訪駅近くにある五つの酒蔵が一斉に開放される、
『上諏訪街道まちあるき呑みあるき』が、
9月30日、四年ぶり(のはず)に開催されます。
100%のお客さんが幸せな表情でお酒を楽しむイベントです。
 ※参加チケット4,000円(税込)限定3,500枚先着順!

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小田様の情報を拝見し、ついチケットを買っちゃいました。
さっそく明日午後、茅野駅から電車で利き酒に行ってまいります。
初めてなので、沿道にどんな酒のアテが並んでいるのか楽しみです。
お祭りや縁日に並ぶようなものばかりでなく、日本酒に相応しいものがあると良いなあ。

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一ノ瀬汐について

石村様 美濃戸HPの「美濃戸の魅力」原稿を書いたY45の加留部です。一ノ瀬汐の真横に住んでおります。当時連絡会の事務局長をしていました。一ノ瀬汐について小田様の記述に補足させていただきます。美濃戸に定住を始めて4年後の2006年8月28日に八ヶ岳総合博物館主催による「坂本養川堰について」という講座があり妻が参加しましたので当時の資料を基にご報告いたします。
江戸時代になって八ヶ岳地区は新田が開発されるようになりましたが初めは湧水や小河川を利用しただけで水は不足しており、1660年に中新田向けに柳川一ノ瀬より水が引かれました。小田様記述の古一ノ瀬汐です。前後してあちこちで多くの汐が出来、畑の水田化{畑直ーはたなおしと言います)が進みました。
18世紀の中頃には水不足が深刻化し、畑直停止となり新田の開発は困難になり水紛争も多発して水体系の再整備が必要となりました。1786年坂本養川によりそれまであった古一ノ瀬汐は幅7尺に改修され、現在の一ノ瀬汐になりました。HPに記述した約350年前というのは1660年の古一ノ瀬汐開発からのことです。
茅野市出身の会員の方から小学校の授業で一ノ瀬汐について、開鑿の時杖突峠から一ノ瀬汐からの提灯を見て測量したと教わったとお聞きしました。ロマンあふれるお話しで本当に良い所に住んだと感動しました。

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加留部さま、
貴重な補足情報をいただきありがとうございました。
たった今、小田様にご紹介いただいた茅野図書館で資料を拝見しており、なかなか紐解くのに時間がかかりますが、提灯の話も含めて、壮大な先人の構想、ご尽力に頭が下がると共に、ロマンを感じます。
未だに謎なのは、養川殿が幅7尺に改修したあと、そのままが現況になっているのではなく、明治以降に自治体が改修したように思われるところです。
一ノ瀬汐を遡って散策してみると、耐久性に難がありそうなところは、コンクリート埋設水路に改修された箇所があったり、トタンで漏水を防ごうとした改修跡が見られますが、養川殿の頃には流石になかった工法ではないかと勝手に訝ったのですが、これは、市役所に聞いてみようかと思っております。
その先人のご尽力の積み重ねのお陰で、いつも沢のせせらぎに家の脇で癒しをいただいていることを思うと感謝が溢れると共に、ますます興味が湧いてきました。
まずは、御礼まで。
NK-15 石村

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どなたかご存じありませんか?

連絡会のホームページに、会員の石村様から以下のお問合せが入りました。どなたかご存じの方がいらしたら、ぜひ教えてください。
この掲示板に書き込んでいただいても良いし、HPにメールいただいても結構です。よろしくお願いいたします!

”美濃戸の魅力”のページを拝見し、改めて本別荘地にまつわる地域の歴史や情報に興味を持ちました。そこで、下記、情報をお持ちの方がいらっしゃれば、ぜひご教示いただきたく存じます。
1.一ノ瀬汐の開削は350年前とも220年前ともいわれているようですが、この開削の歴史について知りたくなり、どこかに記録など残されていないものかと調べましたが、ネットでは到底限界があり、地元の方ならご存じではないかと思いました。市役所などに記録があればとも思いましたが、情報をお持ちの方はいらっしゃいませんでしょうか。
2.北の展望台の記載がありましたが、50年も通いながらその存在を知りませんでした。フォレストリゾートの地図を見ると2か所展望台があったので、期待して共にさっそく昨日行ってみましたところ、両展望台共成長した木々に囲まれ、八ヶ岳の各峰も柳川もまるで見えず、展望台としての機能は過去(30年以上前?)のもので、今は寂しい場所になってしまっていました。茅野駅方面から別荘地へ車で上ってくるときは八ヶ岳が望めますが、別荘地内で現在、展望が良い場所はございませんでしょうか。

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小田様、

ご親切に詳しく書き込みをいただき、大変ありがとうございました。

先日、汐を美濃戸山荘まで辿ってみたところ、1900年代に改修されたのではないかと思われるような造りのようにも思われました。
どのように流れを堰き止めずに改修工事を行ったのか不思議に思いました。

まずは、図書館を尋ねてみます。

石村

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小田様

詳細な情報、ありがとうございます!

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一之瀬汐に関して、ちょっとだけ調べたことがあります。
茅野市図書館や原村図書館に行って『茅野市史』をご覧になるのが一番かと思います。汐・・・揚げ堰とか繰越し堰と呼ばれる用水路に関してはさまざまな資料があり、中でも坂本養川が私財を投げ打って多くの汐を作ったことが有名です。ただ一之瀬汐は養川よりも古い時代のもので、『茅野市史』に「万治三年(1660)是年 美濃戸川の一ノ瀬より引水」という記載がありました。つまり360年以上も前のことです。また「明和四年(1767)是年 古一ノ瀬汐開削(ぶどう日影より)」と『古』という文字が入っているので、現在美濃戸に流れている汐とは違いがあって、養川以降の整備の中で改善がなされたのかもしれないと思います。ところで万治の記載については『原村誌』にも載っていて、いずれにも「美濃戸川」とあります。柳川はかつて「美濃戸川」と呼ばれていたみたいです。
坂本養川に関しては八ヶ岳総合博物館にコーナーが設けられていた記憶があります。尖石縄文考古館の駐車場には銅像と、簡単な説明看板があります。さらに地元の在野歴史家である五味省七さんが自費出版された資料がたくさんあって、こちらは茅野市図書館に収蔵されています。いくつかはいただいているので、ご希望があれば私のものをお貸ししますよ。
それから茅野市図書館と書きましたが、いずれも2階の郷土資料室にありますので、受付カウンターで席札をもらって上がっていってください。

2の「美濃戸内で八ヶ岳が見えるところ」はないと思います。実践農業大学の大芝生か、御柱道を降りて行って右でも左でも途中で入って農地の間からとか、鉢巻道路をチェルトの森方面へ進んで、分かれ道の手前で振り返るのもいいかと思います。

以上、私の知ってる範囲のことを書きました。ご参考になれば幸いです。

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ホームページの写真

美濃戸高原連絡会のホームページでは美濃戸やその周辺で撮られた写真を募集しています。

今回(2023.8.23)は会員の加留部様の奥様がお庭で撮られたお花の写真です。一緒にメッセージも送っていただきました。
タムラソウ:立派に咲いたのは撮りそこないましたが可愛いのが一本咲いていました。
アサマフウロ:種が落ち増えました。
マツムシソウ:昨年野ウサギに食べられましたが今年一本だけ咲きました。

みなさまの素敵な写真をお待ちしています!

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CONTACT 情景をひらく

茅野市美術館で、美濃戸在住の写真家・山内悠さんが出展されている「CONTACT 情景をひらく」を観てきました。
諏訪地域ゆかりの現代作家4人の展覧会。会場の様子しか写真に撮れませんが、絵画、フェルト画、写真、陶芸、どの作家さんの作品も素晴らしく、価値ある500円でした。
9月3日まで開催されています。

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