◆ここは「MY DEAR掲示板」です。
詩をある程度の期間書いている方、詩に意欲的に取り組みたい方、詩人に向け成長を目指す方はこの掲示板をご利用下さい。
あなたの詩をしっかりと読み、評や感想を、しっかりと書かせて頂きます。
ここから詩人として巣立った人は数知れず、です。あなたの詩を継続的に見守り、詩の成長を助ける掲示板です。
(あのーー、私が言うことでもないんですけど、詩は自由を旨としていますから、どこにでも投稿しようと思えば、投稿できないところはないんですけど、いきなり大きなところに挑戦しても、世の多くのものがそうであるように、ポッと書いて、ポッと通用する、ポッと賞が取れる、なんてことは、まずありえないことというか、相当に稀有な話なのです。
やってみることは止めませんけど、大きなところのノー・レスポンスにがっかりしたら、
あきらめてしまう前にMY DEARに来ませんか?
MY DEARは投稿された作品全部に評をお返しします。
本来、こつこつ実力をつけてから、賞などに挑戦するのが、スジだと思いませんか?
MY DEARはあなたのこつこつを、支援するところです。)
なお「MY DEAR掲示板」では、新規ご参加の際に、ペンネームとメルアドの届け出が必ず必要です。
これは掲示板内の安全を守るため、管理人に限って把握させて頂くものです(他へは一切出しません)
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◆初めて詩を書く方や、おっかなびっくり詩を書いてみようかなあーという方、
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誰でも、どんな人でも、気軽に詩に親しんでもらうための掲示板です。学生さん、小中学生の方も歓迎です。
投稿された詩については、詩を読んだ感想を、レギュラーメンバーの誰かが、手短なコメント(5行程度)で返してくれます。
どうぞご希望に応じて、各掲示板をご利用下さい!!!
ひゅぅらり ひらり 湖面にて
ひとりの少女が踊る 踊る
真白のスカート翻し
片手に揺らすはワイングラス
中身ははてさて毒かしら?
いえ いえ ただの甘味です
でも でも 誰も信じない
毒だと信じて疑わない
クラスメイトも友達も
実の親でさえ信じない
ほんとがうそに成るのなら
嘘をつくほかないでしょう
なので本当にすることに
中身はすり替えておきました
からぁん かぁらり
堕ちるは涙?
季節外れの雨かしら?
少女の煽るワイングラスの
中身は猛毒 ああいたわしや
湖面に頽れる白い布の
なんと優しすぎること
駆けつける者はひとりとおらず
しっとり湖中に沈み行く
いずれこの水は毒となれ果て
多くの者をば地獄へと
それでもそれは自業自得
たったひとりの少女をあやめた
我々の罪でございましょう
ためしに一口 ひとすくい
ひゅらりと逝った彼女の遺した
苦い 苦い 雨の味
約2年ぶりの投稿となりました。
再び励みたいと思います、どうぞよろしくお願い致します。
水兵ソデビーム氏は
今日もその勤めに粛々と励んでいる
アスファルトグレーの海原が広がる
彼の担当する区域は
船の行き来が絶えない場所にある
船に乗った小人たち
一人一人の顔をうかがいしることはできない
船首とマストが強く自己主張している
没個性で人間がそこに描かれていない
ソデビーム氏は休みなく立ち続けながら
そんな船たちを眠らず見送っている
何もないことが多い
何もなければいい
自分はここにいるだけでいいのだ
何もないことを祈り
そこに立ち 見守り続ける
人からは名前を忘れられ
人からは目的を忘れられ
感謝の言葉などかけられることもなく
それでも立ち続ける
勤めとはそういうものかもしれない
有事の際に 彼は「守る」ために立つ
暴れ狂った船を受け止める役として
暴れ狂った船が人を傷つけないように
暴れ狂った船の中の小人をより傷つかないように
誰かを被害者にも 加害者にも
これ以上させないために我が身を犠牲にする
彼は知っている
起こってしまったことは取り消せないのだと
小人たちは仲間同士で花をみせあう
アスファルトグレーの海が
太陽にせせらぎ光に満ちた日には
彼だって 彼等だって 小人だって
同じように目を細める
鉄面皮の下で何よりも敬虔に愛を信じているのだ
酷暑にも 厳寒にも 耐えて
彼がそこにいるのは
彼の務めであり、愛であり、信仰に他ならない
※ 本来、ここまで書かない方がいいとは思いますが、評がしやすいよう明記しておきます。
袖ビーム……ガードレールの画像に乗せた丸くカーブした部分です。
小さな祐はお魚が大好き *1
きらきら光るバリゴが欲しかった *2
祐のおじいちゃんは悲鳴を上げた
それ触っちゃ駄目!
背びれに鋭い毒針を隠しているバリ
バリゴは小さくても凄腕の殺し屋だ
小さな祐は半べそで
必死になって叫んだ
たけすて〜(助けて) *3
*
あれから三十年の歳月が流れた
ここは房総半島 野島崎
祐と ひぃさん(祐のお嫁さん)と 私
三人で釣りに来た
バリゴが一匹サビキにかかった
お〜い 祐
たけすて〜(助けて)
祐は苦笑いしながら
駆け寄ってバリゴをはずしてくれた
台風の余波もあって風強く
釣りにならない
場所を変えて
風の当たらない小さな波止場に来た
潮は大潮 潮通しがよく
濁りがあって海中がまったく見えない
餌取りの小魚もいない
二時間ばかり粘ったが当たりがなかった
祐とひぃさんは
腰を落として何やら相談をしている
そのとき
ボチャ!
あっ とひぃさんの悲鳴
祐がスボンの後ろポケットに差し込んだ
スマホを海に落してしまった
・・・
・・・
おもむろに
祐はタモ網を取り出し
海中を探り始めた
水深は二メートル余
タモ網がようやく届く深さだ
ああっ まずい!
タモ網の首から先の部分
ネットが水中で柄から外れて
海底に沈んでしまった
万事休す…
だが
祐は諦めない
短い釣り竿を取り出し
鈎のついたルアーを括りつけ
海中を探った
何度も何度も
私も助勢しようと
ルアーを海へ放り込もうとしたところ
祐がうまくネットを探り当て
引き上げた
ネットを再び柄の先に嵌め込み
海底をまさぐった
何度も何度も
繰り返し
繰り返し
人間の焦りを横目に
小さい海亀がのんびり泳いでいる
海水がますます濁り中はまったく見えない
潮も絶え間なく動いている
スマホの位置もよく分からず
とても掬えまい
私は
諦めろ スマホは買ってやる
と祐に言った
祐は無言
位置を変えながら さらに
海底をタモ網で掬っている
二十分くらいたった
何度海底を探ったことだろう
タモ網に光るものが入った
スマホだ!
凄い
凄い
凄い
ひぃさんは夫に飛びついた
私は倅に言った
たいしたもんだ
なかなか出来るもんじゃないよ
*
最悪の事態に直面し
諦めることなく
自分の出来る最善のことを考え
冷静に行動する
愚痴や悪口も言わず辛抱強く
善後策を考え
実行する
私は
小さな祐が成長し
立派な漢(おとこ)になったのを知った
釣りはボウズだが
祐の成長は
父にとって
素晴らしい釣果だった
*1 祐 私の長男
*2 バリゴ バリ(アイゴ)の幼魚
*3 たけすて〜 助けて
幼い祐は言葉がひっくり返った
「どうしようもないこと」と「変えられないこと」の間を 電車が走っています ふたつのことは同じなので 電車は環状に走っています 電車にはたくさんの人が乗っていて 少しぴりっとしています そんな中でも人々は わずかな隙間を見つけて そこを居場所にします
電車は毎日走ります 昨日も走りました 明日も走るでしょう 同じところをくるくると 同じ大きさの円をくるくると 一日に何回も描きます あまりに毎日おなじところをなぞられるので 線路はときどき 竜巻になりたいと考えます でも人がたくさんいると 上昇気流は起こりにくいのです
途中の駅で降りてもいいのです 電車を降りて 改札を抜けて 駅舎を出て だれでも どこへでも行けるのです でもたいていの人は そのまま電車に乗りつづけます
電車は今日も走っています 見慣れた景色 見慣れた顔ぶれ 電車は環状にくるくるまわります 車輪もくるくるまわります いつもと変わらない今日 変えられない今日 せまい車両のまんなかで ひとりの人の両の目からとつぜん 涙があふれ こぼれました どうしようもないのは知っている 変えられないのも知っている でも涙はとどまることをしらず 次から次へとあふれ出ます その人は 自分が泣いているのを人に見られるのは かまわないと思っていました ただ 「大丈夫?」ときかれることを何よりおそれていました でもその車内で その人にそう話しかける人はいませんでした
電車が駅に停まったときに その人は その涙と同じように いっぱいに いっぱいになった器から 外に飛び出しました
外は晴れていました でも 空は泣いていました 霧のように細かな雨粒が ひとつひとつ光をつつみ込んで 幾億も幾兆もふりそそいでいます それらが黄金色のカーテンを織り 陽の光はそれを透いて 目に飛び込んできます
その人は しばらくそれを見ていました ながくてみじかい間 それに見とれていました
もう行こうと振り向くと その方向には虹がかかっていました 消え入りそうに淡い色彩を塗りのばし 非現実的な壮麗さを空に掲げています
これはだれのしわざだろう あまりにできすぎているこれらの現象との邂逅に その人は笑いました 笑いながら泣きました
このできごとが 毎日も自分もなにも変えないのを その人は知っています
でもその人は 駅を出ることなく 次に来た電車に ふたたび乗り込みました
電車は今日も くるくるまわっています
11/18からMY DEAR 344号に切り替わらないといけないのですが、
前日が地元詩人会の総会と重なっていることがあり、なんとか迷惑かけんようにとがんばっていたんですが、
私の方の作業がどうしても間に合わない感じです。
11/18 0時更新のところ、1日遅れる模様ですので、何卒ご容赦下さい。
本当に申し訳ありません。
なお、レギュラーメンバーの原稿提出については、いつもどおりによろしくお願い申し上げます。
吹奏楽という音楽ジャンル・バンド形態がある。小中学生から社会人まで、アマチュアにおいて盛んである。俗に「ブラスバンド、通称ブラバン」などというが、この言葉はあまり正確ではない。なぜなら「ブラス(brass)=真ちゅう=金管楽器」―つまり「金管楽器バンド」となる。しかし実際にはバンドの半分は木管楽器(woodwind)で成立しているからだ。まあ、硬いことはここまで。
ともかく「吹奏楽」である。これはもしかすると日本の西洋音楽演奏の基礎であり、きわめて重要な装置かもしれない。例えば高校生が吹奏楽部に居て卒業後のことである。もしも音楽を続けた場合、その人の好み・傾向に応じて、そのまま吹奏楽をやってもいいし、交響楽団も可能。ジャズに行く人もいるだろう(その場合、ビッグバンドジャズに行くケース多し)。ロックでもJ―POPでもいい。
要は吹奏楽では音楽の基礎が身につく。従って多くのジャンルに出ていくことができるのだ。基礎が手を振って人を応用へと送り出す。この吹奏楽というジャンル、その源流を辿ると軍楽隊の存在は欠かせない。さて、前置きが長すぎた。ご容赦を。ここまで書いて来たのは日本吹奏楽の起源を考えたいからなのだ。
* *
その嚆矢としてのペリー黒船来航
ペリーが初めて日本の土を踏んだと同様
西洋音楽も初めて上陸したと言っていい(諸説あり)
彼は軍楽隊を率い自らの威厳を誇示した
日米親善の宴でも演奏したことが記録にある
その十六年後
明治二年(一八六九年) 明治維新後の横浜
維新の時代作用だろう
薩摩藩士たちが大挙して横浜にやって来た
結果として
彼らが日本吹奏楽の始祖となる
尚武の気風ある薩摩人が
“やや軟弱な”音楽に取り組んだのは異風でおもしろい
それとも維新を推進した進取の血が騒いだか
ペリー来航や長崎の影響か
それとも外国商人から啓蒙されたか
当時 横浜には外国人商館が多く
西洋文化の窓口のようなところがあった
だが 彼らにしてみると 音楽への動機は
文化よりも軍事の要素が濃かっただろう
ここは横浜郊外 本牧山(ほんもくざん)妙香寺
その薩摩藩士が三十人ほど 寺で合宿しながら楽器演奏を学んだ
指導者はいた
イギリス陸軍軍楽隊長 ジョン・ウイリアム・フェントン
斯界では「日本吹奏楽の父」と呼ばれているようだ
その指導のもと 彼らは「伝習生」と呼ばれた
写真が残っている
制帽・制服を着け
喇叭(ラッパ)などを携えて整列している
みな若い
まだ書生然としている
小太鼓や大太鼓をベルトで吊っている隊員が印象的だ
行進曲などを練習(伝習?)したのだろう
お世辞にも音楽的華やかさがあるとは言えない
雰囲気は楽団というよりどう見ても軍隊である
武器を楽器に持ち換えたと言ってもいい
それ自体は平和的で喜ばしいことだ
このようにして音楽は生まれた
「―楽団 ―バンド」
当時 何と呼ばれていたのだろうか
英字新聞では
「SATSUMA BAND」と紹介されたらしい
ともかく
日本初の西洋音楽演奏集団と呼びたい
彼らは演奏技術を得て
将来の陸軍・海軍軍楽隊創設に貢献する
このようにして吹奏楽は発展した
* *
ここは横浜郊外 本牧山(ほんもくざん)妙香寺
そして現在
世の常の寺だが
一風変わっているのは
「日本吹奏楽発祥の地」記念碑があることだ
先生に引率されて
中学・高校の吹奏楽部員がよくここを訪問するという
記念碑を前に先達を想い
来るべきコンクールの成果を祈るのだろう
彼ら学生は華やぎながらも一様に礼儀正しい
挨拶 受け答え 立ち振る舞い
音楽と共にそういったことも指導される
精神形成期にはあっていいものだ
吹奏楽草創期の気分が受け継がれている
私はこの音楽分野を離れてすでに久しい
だが
今を考えると
離れてはいても
想いは変わらない
当時への感謝が残っているのだ
***********************************
付記。
本作で触れた寺は国歌「君が代」誕生の地でもあるという。寺のすぐそばに石碑がある。
現在歌われる「君が代」は、実は二代目で、初代は薩摩藩士を指導したジョン・フェントンが作曲した。讃美歌調で日本には合わないというので、二代目が作られたという。毎年十月には、この寺で吹奏楽顕彰を兼ね、初代「君が代」の演奏会が開かれる。警察や自衛隊の音楽隊が行うそうだ。さらに個人趣味で書いてしまうと、戦中の軍楽隊員二人が戦後ジャズに転向し、日本を代表するビッグバンドジャズの両巨頭になった。宮間利之と原信夫である。
このいまいましき
古めかしい衣よ
恥ずかしさというブランド
値引きされたプライド
脱ぐことが出来れば
今からでも
日常茶飯事の中で
何気ない一編のうたから
書物や経験から
学ぶことができる
そして脱ぎ去ったら、
価値が上がればまた纏えば良い
ある日、お前は「てんぷらだ」と
言われた
怒ることなかれ
老いの衣、善の衣
他人を衣で判断するその声も
所詮また一つの衣
たまに偉そうに
目の前で揚げて貰う
天婦羅屋で食べる
身に付けた衣を脱いで
「旨い」
俺も、真の自分を揚げて貰い
人に味わってもらいたい
そのための謙虚さ——
へりくだるのではなく、
本来の姿で生きるために
滝本様
こんにちは。
詩の評、お礼です。
コツコツさんは、私が信用している方をモデルに作ってみました。何でも1人で抱えて胸の風船、割れそうになったりしてもコツコツ頑張る方です。ある意味、メッセージ的な詩になりました。
今後もよろしくおねがいします。
伝統ある職場対抗草野球大会
キャプテンでピッチャーの小池さんが
ファーストのカバーに入る
キャッチャーの悪送球
思いっきり開脚して
逸れたボールをぎりぎり捕球した
ランナーはアウト!
そこまでは確かによかった……
小池さんは起き上がれず
皆に抱えられてベンチに
大丈夫 大丈夫
つくった笑顔
誰かが言った
大谷翔平なら
スポーツ新聞の見出しになるけどな
小池さんが言い返した
大谷だって今俺が抜けたほどのダメージは
チームに与えられないぞ
そのとおりだ
小池さんがいないと棄権するしかない
ピッチャーがいない
あれだけ言ったのに
今日9人しか来なかった
車に乗せられる前に小池さんはつぶやいた
ああ でも詰めが甘かったなあ……
いつもの口癖だ
チームはこれまで3年連続で初戦敗退
小池さんは 職場で意見を堂々という人
そのせいかはわからないが
リストラの標的とされ
不本意な退職勧奨を受入れ 今年引退
職場では誰も声をあげられなかった
いや あげなかった
せめて野球大会だけでも
「最後に1勝を」と皆で誓った
はずだった
病室で小池さんが言った
大体において
大体の人は
大体のことに対して詰めが甘い
俺も詰めが甘かった
会社も詰めが甘いだろう?
国だって詰めが甘いだろう?
だから 俺は言う
どうせお前らも詰めは甘いんだから
最後は無理してあがかないことだ
それにしても
俺はあの球を逸らしても良かったんだ
なんで捕っちまったんだろうなあ
難しいなあ
なあ おい……
悪送球をした
入社2年目のキャッチャーが言った
俺 まさかあの球を
小池さんが捕ってくれるとは思いませんでしたよ
俺の中ではあの試合は勝ちですよ……
ライトとセカンドが責めた
お前 何カッコつけてるんだ
だいたい あんな送球があるか
お前元高校球児だろうが!
副キャプテンのセンターは言った
いや 要するに 俺たちみんな守れなかった
いや 守らなかっただけだ……
若いキャッチャーは泣き出した
センターはキャッチャーの肩に手を置いた
ライトもサードもショートもうつむいた
小池さんは何も言わず
枕もとのリンゴを取って
投げるふりをした
まだ夜が明けぬ間にハルピンへと旅立った母
異郷で歌を届ける為だ
新入りだというだけで白い目で見られながらも
欠かさずレッスンへ行き
家でも家事をしながら
テープを流して歌を歌っていた
その姿が娘である私には眩しく見えた
今はもうハルピンに着いたところだろうか
日本とは違う異国で歌う度胸は私にはないけど
どうか無事に成功して帰ってきて欲しい
そしてまた明るいトーンで
私に土産話を聞かせて欲しい
美しいソプラノの音色で
私の知らない思い出話を