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内緒

僕には誰にも言えない事がある。
家族にも友人にも決して明かせない時間と空間がある。
何十年も通い続ける とある居酒屋。ある事を終えた後の儀式とも言うべき格別の杯。
カウンター越しの お店の大将も歳を取ったものだ。背中が少し丸くなって 白髪が増えた。かつて新人店員をどやしつけていた威勢はどこへやら。かくゆう 今の僕も大将と同じく 似たりよったりだ。
本当の事を言おうか。何を隠そう 僕は買淫していたのだ。
ここだけの 内緒の話。誰にも言えない内緒の話。

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青島様、御礼  秋冬

こんばんは。この度も温かな言葉を頂き、ありがとうございます。

出張帰りの新幹線で青島さんの丁寧な評を読ませて頂いたら、疲れが心地良さに変わりました。

引き続き、よろしくお願いします。

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三浦様 詩の評のお礼  エイジ

三浦様、詩の評をありがとうございます。
出来上がってみれば、なんてことのない詩になってしまったのですが、今僕の中で書くべきことの一つであるような気がして、思い切って書きました。
それを「好感が持てる詩」とご評価いただき、大変うれしく思います。
そうですね、詩は精神によるところが大きいですね。その精神を病んでしまっているのですが、今後もいい詩を書くために精進したいと思います。

三浦様の詩、「ベイシー夫妻のメリーゴーラウンド」拝読いたしました。
ジャズをあんな風に書けるのって本当に素晴らしいなあと思いました。

また今後ともよろしくお願いいたします。

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青島様、評のお礼  cofumi

青島様、「見える永遠」への評をありがとうございました。
とても丁寧に読み解いて頂き感謝いたします。

物事の入り口って、実は永遠への入り口。詩の中にも書いてますが、そんな気がして書いた詩です。
そしてそれは、きっと何らかの解決がなされないと来世への課題となる。そんな事を思っています。

タイトル「永遠」が、作中にうまくはまっていると思って頂き嬉しいです!ありがとうございます。
気になった部分に関しては、再度検討してみたいと思います。
そして、二連目の「躓いて/跪いて」ですが、私自身も実は気になってた部分でした。汗
ご指摘ありがとうございます!
また宜しくお願い致します。

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評の御礼  Osada

 青島江里様。拙作にご批評をいただき、ありがとうございました。

 今回のは、新幹線駅の並びの、窓から駅前広場のクスノキが見える定食屋で、カレイ煮つけ定食を何度か食べた時のことを書いてみたものでした。
 ご指摘のとおりで、最後の白ご飯をどうするか、書きあぐねたということがありました。一応この形にはしてみたものの、可笑しな、少しシュールな世界として、果たして読者は楽しめるのだろうか、どうなんだろうか、分からないまま出してしまったところがあります。やはりあれでは無理だということですね。
 投稿後、食べている話者の口中で、白ご飯が「しつこくないか」と言っているという設定にすればいいかななどと、修正も考えたのですが、すぐにうまく書けるとも思えず、幾つか矛盾も出てくるようで、やはりじたばたせずに現行の形でご批評をいただく他ないなと思いました。今後も完成を目指してあれこれやってみます。
 それと、実際のおかずは、赤だしの他は豆腐と沢庵だけだったのですが(生姜は細切れがあったかも知れません)、第七連はもう少し行数が欲しいと思い、写真などを参考に筍と小松菜と生姜を加えました。しかしこういった料理には全く詳しくないので、適切なのかどうか分かりません。つまり沢庵もあるしお新香関係が多過ぎるかなと。でもまあ許容範囲内だったのかなとも思っております(笑)。
 では、またよろしくお願い申し上げます。

編集・削除(編集済: 2022年06月27日 23:26)

不思議な朝  江里川 丘砥

なんの前触れもなく
初恋の人が
夢に出てくるだなんて
不思議な朝だ

もう随分前に別れてから
また会うことはなかった
最近誰かとそんな話をしたわけでもなかった
それなのに突然
あなたはこうして
夢に出てくる

そして
目が覚めて
あの頃のことを
思い返す

あなたはもっと
そばであなたのことを見ていてくれる人が
よかったのかな
だけど
私はあの頃
もっと遠くへ自由に飛んで行きたかった

あれから時は経ち
見る影もなく変わった
世界も
周囲も
私も

ある日を境に飛ばなくなった私を見ても
きっとあの頃のように
困りながらも
「大丈夫」
そう言って
あなたは笑って励ましてくれただろう
笑った顔が好きだった
あなたのことを思い出す

きっとあなたも
どう愛するかなんて分からなかった
だけど
一生懸命に好きでいてくれた
やさしくて明るい心根に惹かれた
あなたのことを思い出す

手を離さなければと思うこともあった
だけどきっと
ずっと一緒にはいられなかったね
そのことも分かってしまうくらい
時は過ぎ
もう会うこともないのだろうけど

その暖かな心が
今もあなたを幸せで包んでいることを願う
どこにいるのかも
わからないけれど
笑っていた顔を
やさしい心根を
「楽しかったね」そう言って別れた
最後に隣にいた時まで
あの笑顔で笑っていてくれたことを

心のどこかに
いつまでもある
初恋を
思い出す

きっと
誰にでもある
不思議な朝だ

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青島様、評のお礼。 プラネタリウム

お忙しい中、感想をありがとうございました。

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三浦様へ、評のお礼  cofumi

三浦様、お忙しい中「雨の声」に評を頂きまして、ありがとうございます。
実は2マス空けの春~夏~秋~冬の雨の表情は、おっしゃる通り、雨の“声”とした雰囲気が伝えたかったんです。
なのでそう受け止めて頂き嬉しいです!

「グチャグチャ」これは、最後まで自分でも書いていて、その後読んでも、憂鬱でした。何と表現しようかと、、それこそ頭の中でモヤモヤと。
でも、部品交換先程完成しました。
ご指摘ありがとうございます。
終連は少し他方面に振りました。
気づいて頂くととっても嬉しいですね!
佳作という言葉に敏感になってきました(苦笑)今cofumiの好物です。ありがとうございました。

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三浦志郎様、評のお礼です。  妻咲邦香

三浦志郎様、「裸の胸」に評をいただきありがとうございました。
書き終えた時は逆の意味で攻めているつもりだったのですが、今思えば確かに、もう少し肉付けしても良かったかな、という気がしています。今回はシンプルなものにしようという狙いはあったのですが、階層をもう幾つか増やした方が良いみたいですね。題材に関しては、あまり今まで自分が手を出して来なかったものを、口直しに、とう感じで選びました。
やっぱり詩にはある程度の解けない謎を残しておく方が良いと感じました。ご指摘ありがとうございます。またよろしくお願いいたします。

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◎6月14日(火)~ 6月16日(木)ご投稿分 評と感想です。  青島江里

6月14日(火)~ 6月16日(木)ご投稿分 評と感想です。


☆見える永遠  cofumiさん


十代の頃、「永遠」という文字や響きに魅かれたことがありました。進路に関しに、結構なプレッシャーや不安を抱えていて、閉塞感から、どこか広くてやわらかい光を感じるところに行きたいという思いがあったのかもしれません。

cofumiさんの描かれた永遠は、「天国を旅立つ」というような永遠のように思いました。人としての命を終えて、輪廻転生というものが存在するとするなら、そこからまた新しい命への生まれ変わりが始まります。それがずっと繰り返されるとしたら、それは永遠という言葉に続くと思います。

命を終えることをひとことで言ってしまえば、「死」という言葉になってしまうのですが、この言葉に対するイメージは、怖さや闇を伴いそうです。命を終えた先のことなど、誰にもわかりません。ただそれぞれに信じたい世界があります。できることなら、怖さを感じず、やわらかい光のようなものを少しでも感じられる方がよいですよね。


今回の作品は、そのような死後の世界の暗くてわからない部分を、反転させる力のある言葉を選びながらつくられた作品になっていると思いました。「永遠」という言葉は、作中にうまくはまっていると思いました。

ただ少し気になったのは、「永遠」という言葉が「永遠」という言葉のままで終わってしまっていることでした。例えば、「永遠の入口」・・・実際にはどのようなものを彷彿させるのかという部分があれば、読み手としてももう一歩深く、想像の世界に踏み込むことができ、開かれていく世界に、もっと深い興味をそそられていくのではないかと思いました。

ちょっと細かいことになりますが、このままでもOKなのですが、二連目の「躓いて/跪いて」ですが、普段あまりこのまま用いない言葉ですよね。できれば読みやすく、ひらがなに変えてみてみることもありだと思いました。

作品全体がやわらかな雰囲気で、安らかという言葉が似合いそうな作品。今回は佳作一歩手前で。





☆転がるスイカ  もりた りの さん


「名前をまちがえてすみません」と、ご丁寧になご挨拶をいただいていたようで。ご存じの通り、前回はPCの故障の件があり、ご返信が遅れてしまい、どうもすみません。名前のことなど、どうぞお気になさらないでくださいね。私もたまには、そういうことがありますから。公式の何かの行事でもなんでもないし、部屋着のままリビングでくつろぐ感覚で、お気軽におつきあいしていただければと思います。


さて、本題の詩について、話題を変えさせていただきますね。

う~ん。なんて言っていいのか、とっても不思議な感覚に陥りました。現実と幻想のはざま。そんな空間に放り投げられたような、そんな気持ちになりました。内容は「スイカがどこかから転がってきた」一択。そこがすごいなと。連分け無しの散文詩的な形になっていますね。一見、長いように見えますが、読みだすと、ひたすら「え?}という気持ちの連続。次が読みたくなってしまうのですよね。一気に読み終えてしまいました。

詩の終着地点は、「わたし」の叫びで終わっていますね。これがまた、現実であるのか、はたまた夢という幻想なのかわからなくしています。それがまた、読み手の想像力を掻き立てさせてくれるというか。読み手側からすると、この作品は、あちらこちらに想像させてくれる場面が続くので、読んでいて、ハラハラした気持ちが浮かんでは消えるの連続なんですよ。

ただ単純にスイカが転んでくるシーンだけですが、「わたし」の浮かんでくる感情は一行一行にあり、同時に読み手にも反映されます。一行一行に込められた「わたし」の気持ちと、読み手が掻き立てられる想像力。そして、「スイカがどこかから転がってくる」の一択。この三点をワンセットにして組み立てた設定が、この作品の魅力なのかなと思いました。作中での押しの一行はラストの「誰かスイカを止めてくれ」になるのかな。いつのまにか「わたし」の気持ちと同化されている私がいました。

ひとつのスイカが最後には川のように流れてくる設定。本当にどうしてなんだろう。ある意味、恐怖を感じさせてくれました。ひとつのアクションから次々と転がるように浮かんでくる不安と恐怖。物理的な一コマのひとつひとつに気持ちを感じさせてくれるところや、現実と幻想のはざまのようなもの、リアルのような嘘。嘘のようなリアル。どちらともとれるもの。あるいはどちらともとれないものかもしれないもの。そう思わせるものが、私の中では、どこか新しい感覚に思えました。秀作を。



☆ネットの中の創作者 プラネタリウム さん


「電子の海」・・・そうですね。ネットの世界って海のように広いですね。実態としてみることはできないから、それはもう、果てしなくといってもいいくらい、とっても広く、また、水深の実態も推測できないほどの深いものだと思います。

およそ20年くらい前になると思います。うちに初めてPCというものが来て、初めてネットにつながった時の驚き。そして、探っていくと、ネットの中にも創作の場があったということの驚き。それから現在に至り、今では、ラインやツイッターやユーチューブまでできて、誰にでも発表できる機会も増えました。しかし、作者さんのおっしゃるように、問題点や悩みにぶち当たることも増えたように思いました。

「実態のない僕」・・・私の周辺でも、ネットで芸術関係に参加している方がいますが、ネットにはイイねという制度があり、いいと思ったら投票できるシステムがありますが、お返し前提のイイねだったり、義理のイイねだったり。押したのに押してくれないとかなんだかんだのイザコザをみかけることもありますし、最初は自分のやりたいことをやるためだったのに、いつのまにか周りの人に受けそうな作品をつくろうとしている自分に嫌気がさしてきたと言っていることを聞いたこともあります。また、五連目にある「空っぽでないフリ」という言葉から、思い出しましたが、マウントという行為をされるということも聞きますね。


プラネタリウムさんの作品からは、ネットの中で創作していく人間の苦悩がリアルに生々しく描かれていると思いました。ネットの海はとてつもなく広くて、色々な人が住んでいます。全員に評価される作品なんて誰にもできません。でも、その中に入って溺れてしまうと、そんなことも忘れてもがき出してしまう・・・そんなことも感じました。サイトによっていろんな雰囲気があると思いますが、どこで創作をするにせよ、一番大切にしたいことは、自己表現できる自分の居場所であることなのではないかと思います。優劣や勝ち負けをする場所になってしまっているのなら、私だったら、きっと、そういう場所からは離れていくと思います。思うように創作できないこともあると思います。そんな時は、いったんお休みして、創作とは全然別の場所に身を置いてみることもいいと思います。おいしいものを食べたり、スポーツをしたり、旅に出たりなど、その時々に感じたことが、いつか創作の意欲に続いていくことだってあります。

最終連で「灰になっていく」とされていますが、灰にならないでほしいと思いました。創作のために、そこまで命を削ってしまわないでほしいと思います。生きるために好きなことを支えにしていくこと。創作を始めた頃の気持ちを思い出して、ますは、失いかけた自分を少しずつ取り戻してほしい・・・。そう願わずにはいられない作品でした。




☆風と父と  秋冬 さん


人は亡くなったら何になるのだろう。「千の風になって」という詩にもあるように、風になるのではないかと思う方も多いと思います。どちらかといえば、私もこちらよりの考えです。

風に背中を押されるという気持ち。それはどういう感覚なのかと、この作品を読んで考えたくなりました。そして浮かんだのは、自転車の練習でのこと。後ろを支えてもらって、いつのまにか手を放していて、一人で自転車に乗れるようになった時の感覚。それが一番近いように思いました。そんな気持ちを胸の片隅におきつつ、ゆっくりと拝読させていただきました。

子供の頃から大人になるまで情景が、説明的な言葉にならず、きっちりとまとめられた無駄のない言葉で綴られていますね。特に、八連目の手を離した父が私の背中を押すきっかけとなる推測の部分。心のこまかいところまで、深く読まれていると思いました。


詩の進行の部分でのキーワード。「父を背中に感じること」なのですが、こちらも順序だてて、とても丁寧に描写されていますね。実際に、父の手を背中に感じる幼少期。そして、実際に父の手を背中に感じることはないけれど、触れられなくても、感じることのできるようになった大人の時期。一人の人としての成長を感じさせてくれました。

思えば、いつも自身のことを支えてくれたいいお父さんだったな。自身も子を持つ父としてがんばろう。・・・そう描かれる方が多いのですが、こちらの作品には、まだまだもっと向こうの世界がありました。


出番がなかったと、成長された息子さん達のことをねぎらいつつ、自身は、まだ定年が近づくというのに子供のように立ち竦む日があるといってしまうところ。うすいベールをめくってみれば、そこには、「僕は、ずっとお父さんの子供です。」という気持ちが感じられました。

そして何よりも深いものを感じさせてくれたのは、ラストです。

父の人生を
超えても
父は超えられそうにない

この言葉の中には「ずっと支えてくれてありがとう。」という気持ちと、お父さんに対する、深くて大きな尊敬の気持ちを感じずにはいられませんでした。そして、当たり前のようにある風を、今はもう会えないお父さんに重ねつつ「持つ少しだけ、そばにいてほしい。」という、大人になってしまって、人前ではなかなか口にできない寂しさを、ほろりと感じさせてくれる作品でもありました。秀作を。





☆BPM125  佐々木茂雄 さん


とても奇妙で恐ろしい空気を感じました。なんて言っていいのでしょうか。

この作品は、自身の中でつくられた世界の中に、サイコパス的なものを表現されているような、そういう風にも思いました。サイコパス的なものに関しては、映画に関しても、鑑賞したことのある率は、ほぼほぼ100パーセントに近いと思われます。アニメやTVドラマなどにもあると聞いたことがありますが、おそらく見たことがないので、とんちんかんで意味の分からない感想になってしまっていると思います。とてつもない無知ゆえ、悪しからずご了承ください。

サイコパス的なものについての特徴と重ね合わせてみていきますと、一連目は「凝態」という状況から「嘘をつくことの罪悪感のなさ」が表現されているように思いました。

二連目では、「蝋人形」や「抑えつける」というシーンから「支配的」なものを表現されているように思えました。

三連目では、「切り刻み」という言葉の連続がなされる場面から「冷徹」というものを表現されているように思えました。

異次元のような闇の空間の一部で起こる、狂気のような恐ろしい世界を感じる作品だと思いました。




☆カレイ煮付け定食  Osada さん


静かな環境の中で、ひたすらおいしいカレイの煮つけ定食を食べている光景。読んでいて食欲がわいてきました。作中でひたすら繰り返される「窓の外ではクスノキの/梢が風に揺れている」ですが、拝見している私も、四回目を過ぎた頃から「さすがに多すぎない?」と思っていたら、詩の方から私の心を見透かしたように「さすがに少ししつこくないか?」の言葉。これは予想外の展開で、驚きと共に、笑いまでこみあげてきました。

詩の主役的なものは、カレイの煮つけ定食なのだと思っていたら、まさかの窓の外のクスノキが風に揺れる様子になっているとは、まさかのどんでん返しに、ただただ驚かされるばかりでした。

展開としては、面白いのですが、最後の方に急に出てくる白ご飯の自問という言葉との関連は、定食ということで、その中のご飯ということはわかるのですが、自問するのは食する本人ではなく、白ご飯というところの結びつきが、わかりにくい感じがしました。そのため、読後、すっきりとしない気持ちが、幾らか残りました。


リフレインを多用しつつ、周りの状況に意味を持たせていくという点を考えると、まだまだ手を加える工夫が必要な気がしました。

拝見していると、ドラマの「孤独のグルメ」での様子が浮かんできました。ただただひたすら、食を堪能すること。味わい楽しむこと。そのような気持ちが作品の中に感じられました。

七連目の食する様子は、とてもおいしそうでした。ただ「口に運んだ」や「食べた」するのではなく、「つつく」「かじる」「いただく」「味わう」など、色々な言葉を使用することで、音や香り、味や食感が、読み手にも伝わってきます。ちょっと油断すれば、そのようなことは通過して、「食べる」に落ち着いてしまいがちです。言葉への気配りが感じられました。

涼し気でゆったりと食する様子は、読み手にも心地よい気持ちを与えてくれました。今回は佳作一歩手前で。






☆異常個性 白宵 海琴 さん


個性とは何か? ときどき感じることがあります。個性という言葉は、元々は、日本には存在しなかった言葉らしいです。

明治も半ば、明治20年(西暦1887年)頃にindividualityという英語が翻訳されたことで、初めて日本に「個性」という言葉が登場したようです。夏目漱石『吾輩は猫である』の文中より、個性は、流行語のひとつとして蔓延していたと推測されていたりします。

作品のタイトルは「異常個性」です。「異常」の捉え方としては、二つの見方があると思います。①医学的な病名関連を起点とする捉え方。②いじめなどによる、いじめる側が勝手にいじめている側に押し付ける意味合いの「異常」です。医学的な意味合いのことは、かなり難しくなると思うので、今回は②の方の視点から、感想を申し上げたいと思います。

作品から感じたことは、呟きのような作品だということ。そこには、我慢して、悩んで我慢して・・・。言い知れぬ日々の閉塞感から、思わずこぼれてしまった思いのような気がしました。誰かに言いたくても言えない自分だけの悩み。それを、詩という形を借りて、綴られた、そんな気がしました。

「同調圧力」や「多数決」の言葉がよく聞かれるようになり、、個人個人の置かれている状況の考慮なく、みんなと同じようにすることが、正しいという風潮が年々強まっているようにも思え、世の中は、大変生きづらいものになってきていると思います。

流行もそうです。本来、個性とは自分の外側にあるのではなく、内側にあるものだと思うのです。流行の服を着て、自分が心地よいと思えるのならそれでいいし、逆行しているもので心地よいのであれば、それでいいのだと。

ありのままの自分を表現した結果、目立ったり変わったりしているなら、それは自己の現れとしての個性になるのだと思います。。最も大切な意味合いは、一人の人間として存在しているとと感じられることなのだと思います。

詩を書くということは、自身の存在を確認したり、生きているから書けるんだということも実感できたりします。詩の内容は、本人さんのことについてなのか、他の人のことを思ってのことなのかは、特定できませんが、勇気を出して自己表現に挑戦できたことは、自分解放の一歩前進になっていると思います。どこにも投稿せず、自分対自分という方法もありますし、こうやって掲示板に投稿する方法もあります。何かに踏み出す時は、とっても勇気がいって、達成後は、ものすごく疲れると思います。白宵さん、お疲れさまでした。どうぞ、ゆっくり休んでくださいね。



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気が付けば、六月も終盤にさしかかっていました。

雨降りの多い時期になりました。激しい雨降りは堪忍してほしいですが、しとしと雨ならどうにか歩いて行けそう。
この時期の雨上がりの道の匂いと、雲の切れ間の青空は、この時期のスペシャル!!

湿気の多い毎日。どうぞ体調にお気をつけてお元気で。

皆様、今日も一日おつかれさまでした。

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