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また、詩人に向け成長を目指したいという方もこの掲示板をご利用下さい。
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ここから詩人として巣立った人は数知れず、です。あなたの詩を継続的に見守り、詩の成長を助ける掲示板です。
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編集・削除(編集済: 2026年05月30日 02:08)

三浦志郎さま 評のお礼です  相野零次

三浦志郎さま 評ありがとうございます。
最終連だけひねった比喩がなかったなあ。
と自分でも思ってました。
一考の余地があったかなと自分でも思いました。

人真似を繰り返していろんなバリエーションが生れたのかなあと思います。
最近は最果タヒさんしか読んでないのであんまりバリエーションはつかないような気がします。

編集・削除(未編集)

盲ていない友人  長谷川ひかり

やはりカーテンを閉めるようにサカ区に住んでいた俺が8つの頃の畳部屋とおなじふうなすがたで食事をしていた。


俺の名前と兄貴の名前を母親は混同する。知人には丁度よい話。でも吐き気がしながら話した。
レトルトのボロネーゼパスタが旨い。



お母様を呼ぶ
お母様は来ない
一人暮らしだから来ないさ
お母様
お母様と呼ぶように
彼女から言われたか父親から言われたか


考えながら劇薬を使ったりもした
それは今も思い出せない
兄は生きていても、もういない
あれさあどっちに言われたんだっけ
お兄様 なんちゃって
と言ったとき背後で犬がわらった


俺が髪を乱して歩くことは
犬が走り出すこと
延びたリードがちぎれる程
犬はいつも俺を見ている


犬は夕陽によって
きれいに見えると
仕事先の人が
言うのだ


俺のうでの先にいる犬は
甘い香水を口から放った
犬はこう言った
早く病院に行け
だから私は誰よりも____________


レトルトのミートソースを湯せんしていると玄関のチャイムが鳴った。
犬じゃない。ステッキを携えた斜視の男がやって来て
おはよう と言った。 

編集・削除(未編集)

詩の評、お礼です。  じじいじじい

三浦様

こんにちは。
詩の評、ありがとうございます。
今回は季節の変わり目を子供目線で表現してみました。

今後もよろしくお願いいたします。

編集・削除(未編集)

感想と評 9/4~9/7 ご投稿分 三浦志郎

1 相野零次さん 「愛の詩集」 9/4

自らのペンネームとの相乗効果のようなタイトルですね。冒頭の挑発的な連がなかなか面白いです。2連「死んでも生き返って」も飛躍的な比喩があって読ませます。初連、2連とも凄く良いと思います。
「一度死んで、もう一度生き返ったら、~~しよう」。人はみんな、こんな風に思ったことがあるでしょう。これはそんな想い~想像を下敷きとして、個性的に書かれたものと推測しています。
そして3連。大変気高い志。大賛成。こうあるべきであります。いっぽう書法的側面を、評者のやや趣味領域で書かせてもらうと、前2連とのタッチの微妙な違いです。もし、それらに合わせるのだとするならば、”大意を充分担保“しながら”気持ち“抽象や飛躍的に振ってもいいかな?と思ったしだいです。佳作半歩前を。ところで相野さんは此処も長く、いろいろな趣向、いろいろな記述で書かれています。そのレンジの広さを思います。


2 じじいじじいさん 「もう と まだ」 9/5

なるほど、大人でもこういった気づきは日常に追われて、なかなかないものです。良いところを狙って来ていると思う。しかも子どもが思い、書きそうな雰囲気を上手く伝えていますね。3連はリズム感が素晴らしい、何度読んでも気持ちいい。「わからないあついひばかりでまようから」ですが、
「わからない」が直接「あついひ」に係るなら別ですが、そうでなければー、

わからない
あついひばかりでまようから

―のほうが通りがいいでしょうね。最後は子どもらしい感想です。でも9月になったら、きっぱり秋になってもいいかもしれない。
佳作半歩前を。タイトルは付け方が面白いです。他にも、こういう事ってありそう。


3 小林大鬼さん 「祖父のこと」 9/6

宮沢賢治の言葉の暖簾といった家の風景をそのまま章の区切れに使っている、なかなかイキな計らいです。(ここでは、話の都合上、「章」という呼び名で書かせて頂きます)
最初の章ですが、何故泣いたのか、何故祖父に叱られたのか、がよくわからず、今一歩話に乗り切れない気がしました。あとは順調に巡行していると思います。
海外青年協力隊の話は結果はともかくとして、その意志の強さ、固さは凄いものがありますし、満州引き揚げも当該世代、当該人々にとっては共通の歴史体験です。どちらも読むに充分値するものです。そして亡くなり家が残った。終わりの連はやや方向を変えながらも、昨今の千葉大雨被害に触れて印象深いです。読み終えて感じることは、祖父の行動、その来歴は宮沢の「雨ニモマケズ~」に沿うもののようです。そう考えると、この言葉は単に暖簾にあらず、単に章毎のブレスにあらず、祖父の生き方の代名詞のような役割を果たしているようにも思えてくるのでした。祖父への追悼に佳作を。


評のおわりに。

じじいじじいさんの詩のように「もう と まだ」が交錯するような9月です。
このところ、雨が多かったり、妙に寒い日があったりする(関東レベル)。
月日の流れ方も「もう」だったり「まだ」だったりする。こちらは気の持ちようですね。
ですが「もう」の気はしますね。 では、また。

編集・削除(編集済: 2026年09月12日 17:36)

水無川様 お礼です 上原有栖

今回も深く読み込んでいただき、誠にありがとうございます。
様々な解釈が許容できる詩と言及してもらえたのが嬉しいです。
「幽霊」のはなしだけに、見えること、見えないことも含めて、読み手の皆様には自由な解釈をして頂ければ良いなと思い書き上げた詩なので励みになりました!
また投稿させて頂きますので、次作もどうぞ宜しくお願いいたします。

編集・削除(未編集)

#一途 ス喜一

キスをする時に瞼を閉じるクセ、変わってないね。
唇から離れる時に瞳を開けるのも。

そこに私の居場所が無いことも。
華奢な左手、綺麗に窪んだ薬指。

何一つ変わってないね。

「今までありがとう」

温かかった彼は、もういない。
今度は私が優しく包むから。

すぐに行くよ。

いつもみたいに、待っててね。

編集・削除(未編集)

水無川 渉様  御礼  三津山破依

ご講評ありがとうございます。
特に「細部まで作りこまれた」と感じていただけたことが嬉しかったです。
連作形式の各章の繋がり具合については、まだ試行錯誤しているところですが、より効果的に読者へ届く方法を模索していきたいと思います。
この後もよろしくお願いします。

編集・削除(未編集)

御礼です 水無川様  虹乃 衣里絵

今回も、拙作をお読み下さりありがとうございました。
折角の観覧車という喩えを充分に活かし切れなかった口惜しさがあります。
今後は、頂いたアドバイスを糧にし、レトリックに磨きをかけて詩作に励んでみようと思います。ご講評感謝いたします。

編集・削除(未編集)

感想と評 8/25~27ご投稿分  水無川 渉

お待たせいたしました。8/25~27ご投稿分の感想と評です。コメントで提示している解釈やアドバイスはあくまでも私の個人的意見ですので、作者の意図とは食い違っていることがあるかもしれません。そもそも詩の解釈に「正解」はありませんので、参考程度に受け止めていただけたらと思います。
 なお私は詩を読む時には作品中の一人称(語り手)と作者ご本人とは区別して、たとえ作者の実体験に基づいた詩であっても、あくまでも独立した文学作品として読んでいますので、作品中の語り手については、「私」のように鉤括弧を付けて表記しています。

●上原有栖さん「よく見る幽霊」
 上原さん、こんにちは。この作品はタイトル通り幽霊について書かれているのですが、いわゆる怪談に出てくるような恐ろしげな幽霊ではなく、どこにでもいる普通の人々が描かれているのが興味深いですね。
 語り手はそれらの人々が「幽霊」であると主張するわけですが、これを額面通りに受け取るのかどうかが解釈の分かれ目になるかと思います。評者としては、これは生身の人間であるけれども、内面が「あの世にいる」人々を表しているのではないか、と解釈しました。その中でも肯定的な解釈(憂き世からいわば「解脱」した人々)と否定的な解釈(社会によって精神的に「消された」人々)にさらに分かれると思いますが、私にも現時点でどちらを取るべきか決断がつきません。
 肯定否定いずれの解釈を取るにしても、最終連は単にすべての人がいつかは死を迎えるのだ、という常識的な真理を語っているのではないのだとしたら、自分たちもいつかこの世の住人でなくなるかもしれないという、非常に重大な実存的転機を表していると読めてきます。このことは読んだ後に長く残る余韻をもたらすと思います。
 以上の解釈は著者の意図したものとは異なるかもしれません。けれどもいろいろな解釈を許容する味わい深い詩ではあります。「幽霊」たちを描写する連の行の長さがすべて揃えられているのも意図的なものかと思いました。評価は佳作です。

●三津山破依さん「誰かのいない夏」
 三津山さん、こんにちは。私の担当期間ではこれまで二部構成の詩を投稿してくださいましたが、今回は三部構成になっていますね。「朝顔」「夕顔」「昼顔」のタイトルが示す通り、これらの三部は花のモチーフで統一されていますが、その時間帯は異なります。この違いは花の色の違いにも表されていますし、各パートが描き出す感情の違いにも対応しています。
 これらの三部は車を運転する「ボク」の視点から描かれている点でも共通していますが、一部の出会い、二部の別れ、そして三部の回想という流れになっているかと思います。特に一~二部と三部の間にはかなりの年月が流れている印象を受けました(ラヂオとスマートフォンの違い)。語り手が遠い昔の失恋の思い出に浸っている、それがタイトルとなっている「誰かのいない夏」ということなのでしょう。さらにそれは、スマホから知っている曲しか流れてこないような閉塞感をもって表現されています。
 個人的には、野球中継のサヨナラホームランと別れを絡めた表現が気に入りました。今回も丁寧に細部まで作りこまれた読み応えのある作品をありがとうございます。評価は佳作です。

●虹乃衣里絵さん「時の観覧車」
 虹乃さん、こんにちは。この主題については評者も以前詩に書いたことがあるのですが、夏から秋に移り変わる時期というのは、一年の中でも特に感傷的になる時期ですね。「詩的な季節」と言ってもいいかもしれません。この詩はそんな感情を描いた作品と言えるでしょう。
 本作品では、そのような季節の移ろいと循環を観覧車に喩えています。このメタファー自体は比較的ストレートで分かりやすいものです。そして、どこにも行かずにぐるぐる回り続ける観覧車は、毎年繰り返される季節の変転をよく表していると思います。ただこの比喩が分かりやすいものであるからこそ、それが最後の2連にだけ出てきて終わるという構成では、詩としてのインパクトが弱くなってしまう気がしました。それに先行する部分でも、観覧車のイメージを準備するような何らかの仕掛け(たとえば高みに上って、そこからまた下りてくるとか)があるとさらに良くなるかと思います。ご一考ください。評価は佳作半歩前になります。

●トキ・ケッコウさん「一枚」
 トキ・ケッコウさん、こんにちは。大人になるとあまり使わなくなってしまうとはいえ、消しゴムと鉛筆、そして紙という、最も基本的な文房具は、依然として私たちの人生の中で何らかの重要性を占めている気がします。
 さて、本作品はまず、月の鉛筆で書かれた闇を太陽の消しゴムで消すという基本的なイメージが提示されますが、このイメージはとても味わい深いものであると思いました。これは文字通りの自然現象としての昼夜の交代を表しているのではなく、語り手である「わたし」の内面を表しているのだろうと思います。心の中の闇を何らかのポジティブな心情で消していくということでしょうか。けれども月日が経つごとにそれがうまくいかなくなり、「鉛筆」も「消しゴム」もすり減っていく……このイメージはボールペンや電子機器では表現できないものですね。
 「鉛筆」と「消しゴム」が自らを消尽してなくなってしまう時点が「死」ということになるかと思いますが、「わたし」はその向こうに何らかの超越的な地平を見ているようです。それが「一枚の紙」ですね。鉛筆も消しゴムもない、一枚の白い紙というのはなんとなく禅的な印象を受けましたが、それが「空の向こうで/ひらひらと揺れている」という最終2行のイメージはとても印象的な終わり方でした。
 哲学的な味わいの作品でとても楽しめました。ありがとうございます。評価は佳作です。

*

以上、四篇でした。今回も素敵な詩との出会いを感謝します。

編集・削除(編集済: 2026年09月10日 22:50)

鬼婆 青山杜甫

食卓に
三つの茶碗を置く

───「いただきます」

いつも決まって

汚れる箸は
一膳だけ

夫のために
娘のために
毎日、ご飯をつくった

いまは、誰のための茶碗なのか

張りついた米粒に
問いかけた瞬間

母親は鬼婆になった

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