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(あのーー、私が言うことでもないんですけど、詩は自由を旨としていますから、どこにでも投稿しようと思えば、投稿できないところはないんですけど、いきなり大きなところに挑戦しても、世の多くのものがそうであるように、ポッと書いて、ポッと通用する、ポッと賞が取れる、なんてことは、まずありえないことというか、相当に稀有な話なのです。
やってみることは止めませんけど、大きなところのノー・レスポンスにがっかりしたら、
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編集・削除(編集済: 2025年01月02日 01:55)

水無川 渉様 お礼  ゆづは

はじめまして。よろしくお願いいたします。
このたびは拙作「漆黒の薔薇」を丁寧にお読みくださり、素敵なご感想をありがとうございます。
タイトルをお褒めいただき、また世界観に惹かれたと仰っていただけたことが、何より嬉しく思います。そのお言葉が、これからの創作にとって大きな支えとなりました。
闇に沈む言葉が、ほんの一瞬でも誰かの中で息をするなら、それが私にとっての再生です。今後も、自らの内に沈む声を丁寧に掬い上げていけたらと思います。

編集・削除(未編集)

感想と評 10/21~23ご投稿分  水無川 渉

お待たせいたしました。10/21~23ご投稿分の感想と評です。コメントで提示している解釈やアドバイスはあくまでも私の個人的意見ですので、作者の意図とは食い違っていることがあるかもしれません。参考程度に受け止めていただけたらと思います。
 なお私は詩を読む時には作品中の一人称(語り手)と作者ご本人とは区別して、たとえ作者の実体験に基づいた詩であっても、あくまでも独立した文学作品として読んでいますので、作品中の語り手については、「私」のように鉤括弧を付けて表記しています。

●ゆづはさん「漆黒の薔薇」
 ゆづはさん、こんにちは。初めての方なので感想を書かせていただきます。
 この作品、まずタイトルが良いですね。自然界にも黒薔薇と呼ばれるものは数種類あるようですが、どれも黒っぽい濃い赤の薔薇であって漆黒のものはないようです。けれども詩においては漆黒の薔薇が実在するかどうかは問題ではありません。読み手のイマジネーションを掻き立てる、良いタイトルだと思います。私は暗く神秘的な、でも高貴でロマンティックな世界を想像しました。
 詩の本文で中心的な役割を果たしているのは「言葉」です。主体の特定されない心の中から生まれた言葉は、しかし誰にも届くことなく葬られていきます。連が進むごとにそのような「言葉の死」がさまざまな表現で描かれていきますが、最後には将来における「再生」の希望が語られて終わる構成になっています。
 この詩では何を描こうとしているのか。恋愛その他の人間関係におけるコミュニケーションの難しさを伝えようとしているのか、あるいは詩をはじめとする文学の営みの困難について語っているのか……。いろいろな解釈が可能だと思いますが、言葉を用いることの難しさを痛感しつつ、それでも言葉に信頼し続ける作者の強い意志が伝わってくるように感じました。
 暗く硬質な文体と世界観は個人的にとても惹かれるものがありました。また書いてみてください。

●つるさん「老いらくのフレーム」
 つるさん、こんにちは。初めての方なので感想を書かせていただきます。
 人生のフレームというのがこの詩の主題ですね。英語のframeという言葉は「枠、骨組み」等を表しますが、この詩の中では、人生を縁取り、意味を与える参照系あるいは解釈レンズのような枠組みを表しているのかと思いました。人は歳を重ねるごとに、自分の人生にさまざまな意味付けをしていきますが、過去の体験の意義や自分という存在の捉え方も時の流れとともに変わっていくものですよね。
 特にこの詩では老境に入った「私」の人生観が描かれていますが、最終的には「私」というエゴが消え去り、人生に意義を見出そうとする欲求そのものがなくなっていく究極の境地が(理想として?)描かれているのではないかと思いました。作者ご本人が実際どのような年齢の方なのかは存じ上げませんが、人生の後半にさしかかった評者にとっては、心に染みてくる作品でした。
 「愛らしく人生を枯れてゆく」「~記憶が/私にデジャブする」等、日本語の文法としてはぎこちないのに不思議と印象に残る言葉遣いにも魅力を感じました。またのご投稿をお待ちしています。

●喜太郎さん「赤ずきんさん」
 喜太郎さん、こんにちは。有名な物語をパロディにして独自の視点で語り直すということは文学の世界ではよくある試みですが、この作品はペロー童話集やグリム童話などで有名な「赤ずきんちゃん」を下敷きにしていますね。そして、この詩では狼(詩中では「狼」とは一度も呼ばれませんが)の「赤ずきんさん」に対する恋心が一人称で語られるという、興味深い設定がなされています。「ちゃん」ではなく「さん」と呼びかけているのも、狼の恋心を表していて良かったです。
 「男は狼」という使い古された喩えを持ち出すまでもなく、愛する者を求める思いと飢えた者が食べ物を求める思いはしばしばパラレルに描かれます。この作品でもこの2種類の欲求が渾然一体となっている気がして興味深かったです。それが「食べてしまいたいくらい愛していたから」の一行によく表れていますね。
 けれどもそんな狼たる「僕」の思いは赤ずきんには通じず、狩人に殺されて地獄に落ちていく……。切ない幕切れですが、読み手には強い印象を与えると思います。
 一点だけ、第2連2行目だけ主語が「僕」ではなく「俺」になっているのはおそらくケアレスミスだと思われますが、意図的なものでなければ直していただければと思います。全体的にはとても良い作品であると思いました。評価は佳作です。
 
●トキ・ケッコウさん「二人乗り紙飛行機」
 トキ・ケッコウさん、こんにちは。
 この作品を読んでいるうちに、子どもの頃に遊んだ「人生ゲーム」を思い出しました。プラスチック製の車に人物を表すピンを差していって、結婚し子どもを持ち、億万長者を目指す……と今から思うと非常に資本主義的・アメリカ的なゲームでしたが、この詩では車ではなく紙飛行機に乗る「二人」が描かれていきます。
 この「二人」はおそらく結婚やそれに類するパートナーシップ関係にある人たちだと思います。紙飛行機での旅が人生を表していて、人生につきものの様々なできごとが比喩的に語られていきます。一つ一つのメタファーが何を表しているのか、具体的には分からなくても、全体として二人で歩む人生の冒険が描かれているのは確かだと思います。
 この詩で一番読ませるところは最後2連ですね。幾多の困難を乗り越えて共に歩んできた人生の行き着く先は「地平線いっぱいに広がった、……おおきな一枚の紙」だと言います。ここで「二人」は紙飛行機を降り、「ふたたび、二人それぞれの紙へと切り分けられる」……。このイメージは本当に美しくて心を打たれました。茨木のり子さんは言葉が離陸する瞬間を持っていないものは詩ではないと言っていますが、この詩はまさに最後2連で言葉が空高く飛び立つことに成功していると思います(詩の内容的には紙飛行機の着陸を描いているので反対ですが……)。
 「二人」が紙飛行機を降りるというのは死を表していると私は解釈しました。熟年離婚等、パートナーシップを解消してそれぞれ第二の人生を歩んでいくということではないと思います。けれども語り手は「そこは目的地ではないし終点でもない。補給地でも経由地でもない。」と言います。ここには作者の死生観が表れているように思いますが、不思議な明るさを感じました。
 この「二人」あるいは「あの人たち」が誰を指しているのかは分かりません。作者の親しい人々(両親等)なのか、作者自身とパートナーのことを言っているのか、はたまたまったくのフィクションなのか……。いずれにしても、人生に対する温かい眼差しが感じられる、味わい深い作品でした。評価は佳作です。

●多年音さん「水の本性」
 多年音さん、こんにちは。初めての方なので感想を書かせていただきます。
 水というのは不思議な存在ですね。どこにでもあるありふれた物質であり、人間が日々生きていくために欠くことのできない存在ですが、様々な形態を取り、時には命を脅かすものにもなり得る。では水の本性は何なのだと言われてもなかなか答えるのは難しいですね。エイチ・ツー・オーと化学式で答えても、それが水の本性を表しているわけではありません。
 この作品で作者が本当に言いたいことは、最後から2番目の連にある、人間の本性についての考察だと思います。日常の具体的な物事に注意を向けるところから人間存在の本質に関する考察に向かっていくという展開はオーソドックスですが説得力があります。
 最終連で再び水(雨)の話題に戻ってくるのは、作品全体の統一感を高めると同時に、その前の連にあった「人間の本性」に対する語り手の問いかけに対して一定の答えを与えているようにも思いました。すなわち、「一人でいる」状態ではなく、他者と関わる(離れて暮らす「じいちゃん」に思いを馳せる)状態にこそ、人間の本性があるのかもしれませんね。
 とても興味深い詩をありがとうございます。またの投稿をお待ちしています。



以上、5篇です。今回は初めて担当させていただく方も多くて、新鮮な気持ちで読ませていただきました。新しい詩、新しい詩人さんたちとの出会いを感謝します。

編集・削除(未編集)

トキ・ケッコウさんへ。 三浦志郎

訂正の件、了解致しました。

編集・削除(未編集)

よい わるい  じじいじじい

わたしのあたまには2つのわたしがいる
よいわたしとわるいわたし

キッチンにある おとうとのチョコレート
「だれもみてないよ たべようよ」
「おとうとのだよ!たべちゃだめ!」

いそいでいるとき しんごうがきいろ
「くるまきてないよ わたろうよ」
「きいろはあぶない!わたったらダメ!」

よいわたしとわるいわたしが
まいにちケンカしている
でもでもね
わたしは わるいわたしにまけないよ
わるいこになりたくないから

編集・削除(未編集)

三浦様 訂正のお願いです。 トキ・ケッコウ

三浦様 もしもまだ間に合うようなら、先日投稿いたしました
「食卓バリケード」の一連の三行目の箇所

「イワシのようなすばしこい魚と泳ぎたくなった」
⬇️
「イワシのようにすばしこい魚と海のなかを逃げたくなった」

に、変更したいのですが。可能でしょうか?

お手数を煩わせ、申し訳ありません。

編集・削除(編集済: 2025年11月06日 07:22)

喫茶店 #ノスタルジア  Ema

ガラス窓のついた
アンティークの重厚な扉

初めてそのドアベルを揺らした日から
いつしか二十年以上の月日が流れていた

小さな町に息づく
ごく普通の喫茶店

いまどきのカフェ でないのは言わずもがな
昭和にタイムスリップしたような茶店(さてん) とも違う

艶のある羊羹色の椅子とテーブル
席と席のあいだに置かれている
年季が入ったメニュースタンドは
旬をうたうことも
流行りを奏でることもない

ラテ、マキアート、季節のタルト、とか
ナポリタン、フルーツパフェ、昭和レトロな食器、とか
そういった類のものは一切なく
食事を目的に席に着いた人が
あっさり踵を返して店を出て行くような
あくまで 喫茶 がメインの喫茶店だ

春も 夏も 秋も 冬も
一年中
何ひとつ変わらないメニューで
廻り続けている

氷入りのお冷やのグラス
パイル地のおしぼり
今日は常温だが
おしぼりは夏は冷たく冬は温かい

ずっと
変わらない 

ホットコーヒーを待つあいだ
値段だけが書き替えられた
メニュースタンドをぼんやりと眺める

ふと
今となっては縁遠い存在となった
メリーゴーランドが脳裏に浮かぶ

種々様々の装具が施された
少し古びた
美しい白馬たちと
豪華な馬車が数台

仲間が増えることもなく
減ることもなく

ずっと同じ顔触れで
優雅に
廻り続けている

天幕が据えられた円筒状の空間は
天井をびっしりと覆う電飾が放つ
煌めきを纏っている

そのまわりだけ
季節が流れて 
時代が流れていった

サイフォンのほがらかな音色が響いて
その演奏を確と見届けたマスターが
フラスコから丁寧に注いでくれる

白磁のカップで揺れるコーヒー

ぽってりとしたガラスのシュガーポットには
真っ白なグラニュー糖がたっぷりと

ステンレスのピッチャーには
よく冷えたフレッシュがなみなみと

ずっと
変わらない

疫災にも 
情勢の波にも
呑まれなかった

変わらない を維持することは
決して楽な道ではなかったはずだ

この目に映らない誰かの仕事が
弛まぬ努力を重ねて
繋がり続けて

何ひとつ欠けることなく
懸命に
回り続けている

その熱さを
コーヒーを啜るこの瞬間に
享受する

香りを味わおうと無意識に目を閉じると
光の中でメリーゴーランドがまだ
廻り続けていた

きっと この先
自ら選んだ白馬に乗ることも
メリーゴーランドをこの目で眺めることも
ないのだろう

ずっと変わらなかったこの場所も
いつか 
懐かしむ日が来てしまうのだろうか

その いつか が
できるだけ 遠く 
手の届かない場所にあることを願って

一杯のコーヒーを
ゆっくりと飲み干した

編集・削除(未編集)

秋月夜 喜太郎

障子を通して部屋を仄暗くする月明かり
花瓶から一輪の露草を手に取り
畳の上 横になりそっと傍に置く

浴衣の裾が少しはだけて
湯上がりの赤みを帯びた足があらわになる
少し涼しいと感じる

仰向けになり暗い天井を眺めて
露草を胸元に置きなおす
あなたが私に似ていると言った花だから
愛しくて仕方ないの

このまま花に抱かれたなら
私は息さえも忘れてしまっていいのに

逢いたい

この火照りはあなたしか癒せないのに
それでもこの寂しさは心の中を愛で満たしていく
満たされないのはこの身体だけ

なんて卑しい女
なんて素直な女

秋の夜は長いのね
秋の夜は切ないね

想いを寄せるには素敵すぎる夜だから
そっと露草に両手を寄せる

編集・削除(未編集)

リサイクル  荒木章太郎

古い日記を
古紙に出す
思い出は同期する
悲しみを整理して
喜びも整頓して
リサイクル

過去は捨てても
時は集まる

未来は光
闇を照らし
今を賛美する
窓の外に投げ捨てた溜め息を
拾い集めてうたにする
リサイタル

**現実はフラクタル
海岸線
雲の形
雪の結晶
ロマネスコ**

誰もいない空っぽの
部屋には
ありとあらゆるものが
土足で足を踏み入れてくる
持ち込んだものは
持ち帰ってほしい

僕の部屋の柱につけられた傷は
知らないふりをするには
あまりにも目立つから
別なものに例える
サバイバル

僕が主語を引き受けることにした
主体性を引き受けて名を記す
監督として引き受ける
僕の物語を終わらせる
リバイバル

この先は誰かが引き継いだり
辿るから人の世は続いてきた
これまでもリサイクル
これからもリサイクル

編集・削除(編集済: 2025年11月04日 22:05)

aristotles200さんへ。三浦志郎

訂正の件、了解致しました。

編集・削除(未編集)

コーヒー・タイム  つる

お湯を沸かして
紙ドリップでコーヒーを淹れることにする
午前4時半過ぎ

昨夜は比較的眠れたので
心身も爽やかな秋の朝

外はまだ真っ暗
部屋はひんやりとしていて胃を温めることにしよう

お水を入れた薬缶をガスコンロの火にかける

じょじょに薬缶の金属の匂いを感じ取り
お湯が沸いて湯気がよく立つと
薬缶と湯気の匂いが台所で一緒くたになって
私の鼻に立ち込めてきた

人から聞いた話に従って
湧いたお湯を72秒ほど煮沸消毒する

薬缶から細口ポットにお湯を移して
いよいよ淹れる
器機はマグカップに設置してある
コーヒーの粉も入れてある

1度目
30秒ほど蒸らす
コーヒーの匂いが立ち上り
匂いと温かさを鼻や体に感じ取る
鼻がまず起きる心地のする

2度目から
「おいしくなあれ」と唱えながら淹れる
これも人から聞いた話で
そうしながら淹れるとおいしくなるそうだ

軽やかにコーヒーの湯気は立ち
粉は下へとゆっくり沈み込む

飲む為に待っている訳だけど
実際は待っている時間自体も
コーヒーを飲む行為の内と気付いた

3度淹れて器機を外して
上白糖をスプーン一杯分マグカップに入れる
スプーンでマグカップの底から掬い上げるようにして
数回混ぜ合わす

自分の部屋にそれを持ち込み
炬燵テーブルの上に置いた

少し冷ます為にこれを書いている
熱過ぎると味が分からないので

そうしてゆっくりとひと口飲んだ
今朝の最初の味と香りを
ほんのひととき楽しんだ

後はすっかりと飲み終えて

胃の温まった事を確かにして
一日を始めます

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