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たぶんその時は昼食前で
学生だった私の眠気も大人しくしていたのだろう
生命科学の講義の最後に
髪をコンパクトにまとめた教授が言った
「生物の定義とはなんですか?」
空気が必要なこと
程よい温度や圧力があること
他の生物を食べること
学生たちは次々に答えて言ったが
どれも例外のような生物たちが紹介されて定義は成り立たなかった
「私にもわからないのですよ」
そう言うと教授は
「誰かわかった人がいたら教えてくださいね」
と講義室を出て行った
それから私の頭の後ろの方にその問いは常にあって
同時に
それじゃ私たち人間の定義とはなんだろうと思うようになった
それから時が流れて
私の苗字が変わった頃に
動的平衡という言葉が
生物の定義になりうるのでないかと
一応の答えを得て
もう一つの問いが残った
朝が来て夜が来て
その繰り返しのうちに
夜明けを待ち侘びる悲しいことや
夜更けを恐れる恐ろしいことや
眠いなぁと目を擦る穏やかな朝や
幸せを感じる夜があるうちに
底が抜けたような残忍な事件を
食器を洗いながら思い出して
あっ、と気付いた
人が全てのものに名前をつけるように
定義するのも人間だ
人がどこから来てどこへ行くのかという問いがそのまま答えのように
人間が定義する人間の定義
そこから外したい者を人でなしと呼んでみたりするけれど
そう呼ばれる者でさえ
定義する者なのだから
否応なしに付け加えられた定義に
激しく怒りが湧くのだ
私のすること全てが
あなたのすること全てが
人間の定義を決めていく
だから私は私に問う
私は同種を殺めますか?
そしてあなたに問う
あなたは同種を殺めますか?
痛いの痛いの飛んでけと
空に飛ばしていいのだろうか
痛みが誰かに落っこちて
入ってしまったりしないだろうか
ジャングルジムの下で
片膝を抱えて少年は思う
人に当たらなければいんじゃないか?
そんなに狙いをつけて飛ばせるのか?
分からない
雨に裂かれて分裂するんじゃないか?
大きさが増して帰ってくるんじゃないか?
分からない
不思議に答えはない
そんななぞなぞに
ズバッと閃ける程の齢でもなく
ただ時間が過ぎて
公園にいるのも自分一人になった頃
少年を頭の世界から引き戻したのは
冷たい風だった
少年は気づく
それは砂漠の風だと
霜を越え海を経てきたのだと
近くじゃなくて
遠くへ飛ばせば
そのうち冷たくなるだろう
だから少年は高く高く飛ばした
空に浮かぶ少年の痛みは
今日も綺麗な色に見える
スポットライト照らす舞台の中央で
姿勢を正して深々とお辞儀をした
見知った顔ばかりが並ぶ観客たちの
スタンディングオベーションは鳴り止まない
たった今 終幕のベルが響き渡り
人生の幕が降ろされた
重みのあるベルベット生地の緞帳が
天井から音も無くスルスルと滑り落ちてくる
此方(こちら)側と彼方(あちら)側に線が引かれ
各々が名残惜しむ姿が隠れてしまう
それでも耳には延々と続いている拍手の音と
よくやった そんな労いの言葉が聞こえていた
折り曲げた腰はそのままで
視線は床模様の木目を見つめている
ここまでの生き様は如何だったか
後悔や心残りは無かったか
顔を伏せたまま今までを振り返った
頭の中で途切れ途切れに流れる映像
これが走馬灯というものなのかもしれない
完璧では無かったかもしれない
けれども 満足のいく人生だった
もうすぐ退場の時間が迫っている
ずっと前に同じように去っていった顔なじみたち
彼らと同じところに行けるのだろうか
顔を上げて舞台袖へ歩を進めた
スポットライトが一つだけ照らす空間を
少女が舞台袖から見つめている
ステージに立つのはひとりの老人
全ての仕事を終えた主役は
床をきしませてこちらに向かって歩いてくる
彼女は手を差し出した
相手はその手を優しく受け取った
***暗転***
(さあ「次」の演目の準備に取り掛かりましょう)
*********
電球色の照明が部屋を照らしている
暫しの眠りについた舞台と観覧席
演目が終わった
観客は退場した
主役も去った
そして 誰もいなくなった
それぞれの人生の後にはきっと「次」がある
(カチッ)
どこかで照明のスイッチが消される音がした
品性のかけらもない街に生まれ
知性のかけらもない街に育った
誠実さは能力であると、
優しさは技術であると、
薙刀の祖母は教えてくれた。
生き抜くためには愛が武器になると、
花を売る君が教えてくれた。
心はあとからついてくると、
歯車を回す父は言った。
目に見えるものを疑え。
目に見えぬものを信じろ。
神経質な母はそう呟いた。
夜になれば百鬼夜行。
飲んだくれの遠吠えが響き、
撃たれた母鹿の子が哭いている。
子持ちの鹿を撃ってはいけない——
約束を守れない友達が、
それだけは知っていた。
時代が進み、
象徴的に手が震え、
抽象の中で右目を失い、
物語の中で右足を失った。
欲望に取り憑かれたあとの酬いだと、
心理学をかじった嘘つきの学生は笑う。
遺伝かもしれない、と
医者だった祖父は糖尿病の話をした。
燃えるごみと燃やせないごみの
分別すらできない街。
みんな、永遠ばかり探していた。
不老不死を求め、
さようならの仕方を知らない人々が
街を満たしていた。
血眼で何かを追い回していた。
牧師の兄は、何事もひとのせいにするな、と
教えてくれた。
だから僕は、安息日に留まることにした。
不完全であることを祝福し、
終わりあることを賛美しながら。
赤ワインとチーズのひととき、
君と別れを惜しむ幸福。
絶望の淵にも、
祈りだけは残っていた。
人間になるには
悪い街ではなかった。
瞳に吸い込まれて。
瞳みつめて。
瞳を見ないのはきっとキスする時だけ……
待ち合わせに向かう電車の中、ネット発信のライトな恋愛小説を読んでいた。瞳の描写が多くそんな感想をもった。
電車の中は適度に空いている。誰もが車窓越しの日差しを浴びながらシートに静かに座っている。
家族連れもいるけれど、座席から車窓を眺めて看板の字を読み上げるような子どもはいない。親から渡されたスマホのゲームに夢中だ。
周りの人もうつむき加減。ニュースサイトなどを見たりしているのかもしれない。職場の休憩所に似ている。
電車から降りれば、子どもも、性別も、年齢も関係なくうつむき加減に歩く。
周囲を見ず操作するスマホをいじる人もいる。
前を歩く人にぶつかるギリギリになり慌てて避ける。待っている私もうつむいている。
相手が来て手を振る。笑顔。チャットアプリで他愛ない話もするけど、久しぶりに会う気持ちになる。
SNSで投稿が流行った喫茶店に着き、座席に案内される私たち。おもむろに2人してスマホをいじり始める。料理と店内をSNSに投稿する。
それから……お互いへの愚痴。
一週間の操作時間が表示される。
私たちの顔を見合わせての時間はどのくらい?
それを教えてくれる機能はないみたい。
整体師の彼が話し始める。最近、腰痛の訴えの人が増えているらしい。それと同時にスマホ首の人も。
人間を重たい頭を支える首から臀部へ繋がる脊椎を守るためにも同じ姿勢を長時間維持するのもよくないらしい。そんな話をされた。
これは役立ちそうだとSNSに発信する。今日も頑張って魅力ある発信を心がける。誰かに見てもらいたくて。誰もが発信できるようになったからこそ、一定ペースの発信が必要なのだと私は発信のネタをアンテナを張る。
彼の愚痴が始まった。
整体師にとっては色んな人がいて話題を合わせるのも大変なのが悩みの一つでね。
色んなジャンルが分化していくから尚更だ。スマホで手軽にチェックできるけどさ。
彼も首をさすっていたことを私は知らない。積極的に首を痛める私たち。
知見は広くなるどころか狭くなっていく。
インスタントな情報の取捨選択
深めていくと同時に広がる世界を知らない。
先ほどの小説が頭によぎる。
瞳の奥に広がる世界
小さな瞳に、眼前を映す人間のレンズ
私は写っておらず
反応がなかった私ではなく
スマホをいじり始めた彼氏。
私たちすれ違っている。
誰かにぶつかりそうになって。
顔を見合わせた会話をしないで。
連絡ツールとして便利過ぎるから
休日に職場からの連絡に使われて。
電源がオフになることなく
切り替えられない画面と気持ち。
そんな常ならぬ努力を重ねて
首や眼精疲労を訴える。
そして
お互いにスマホをを見る時間を
伸ばしたがるように声だけ発信する。
だからと言って、やめられない。
誰もがうつむいた軸をもっている。
歪な背骨
、歪な構造
分かりつつも
誰もが、誰かに見てもらいたいから
刺激的な画面内の深みにはまっていく。
後日、彼氏と別れた。
お互いの言い分は
「自分が見られていないから」
「自分がいなくて、いい気がしたから」
ということだった。
やがて、彼の顔も消えていく。
「バードランドね!」
そう言われると私は少し身構える
ウエザー・リポートというバンドの代表曲にして
やや難曲
「ごめん タイトルに“子守歌”が付くほう―!」
アルトサックスの相棒がそう言う
それならば 馴染みのスタンダード
少しホッとする
「じゃ 行こう」
*
ジャズファンのくせに
私はこの曲を知ったのは遅かった
娘が五歳くらいになった頃だろうか?
覚えたばかりのこの曲を
(♪ Lullaby of Birdland That’s what I―)
娘を寝かしつける時に よく歌って聴かせたのだった
(こんな歌が好きで 歌える女性に育ってほしい)
そう思ったかどうか
今となってはもう思い出せない
*
私にとっては
ついこの間のようにも思える
そんな感覚のまま
娘の前で歌ってみせた
もともと 乏しい音程力と歌唱力で
しかしまじめにー
「この曲聴いたことないか?」
「う~ん ないね!」
「そ そうか……(汗 涙)」
*******************************
歌ってよし、器楽でよし。(自己満足的に) あ~いい曲だなあ!
歌姫サラ・ヴォーンが定番か!?
ああ きょうはいい天気だね
その服 とても似合うよ
あらそう あなたのネクタイも 素敵
洒落たレストラン 午後のひととき
そして 奥の toilet へむかう
ズボンを下げ 便器にすわり
力むのだ 力むのだ
なあがいウンコが 出てくる 出てくる
ティッシュで丁寧に拭いて
ああ スッキリしたぞ スッキリしたぞ
彼女が 待ってる 待ってる
どこかの先生が
今後の世界情勢について
熱く 熱く 語っている
おお ちょっと まって
お腹が ぐるぐる オナラが でるぞ
もよおしてきたぞ きたぞ
哲学や 思想の話は
その後に その後に
・・・・・・・・
糞ぶくろが ふたあつならんで
まあるい まあるい お月さんを
ながめてる ながめてる
儚く 切ない
想いを 胸に
無言で交わす
美しく 愛おしい
言葉の 数々
・・・・・・・・
これは
夢みる 夢みる
糞ぶくろたちの
ものがたり ものがたり
拙作「リサイクル」を読んでいただきありがとうございます。佳作の評を頂き本当に嬉しくを思います。前作「母の惑星」で描きたかったシステムについて、小難しい理屈をこねくり回さないで音やリズムや動きで表現することができました。ご助言頂いた、第二連の「過去は捨てても時は集まる」を最終連に組み込んでみますと、「循環」と「フラクタル」という二つのシステムの関連性がより明確になり、メッセージが分かりやすくなったように感じました。連を移動させると新たな発見があるものですね。推敲する際の勉強になりました。今後ともよろしくお願いしたします。
拙作「母の惑星」を読んで下さりありがとうございました。佳作の評を頂き嬉しいです。しかし、分かりにくさについてのご指摘を受けて、改めて振り返ると、個性では済まされない課題があると感じました。どうやら私には、「自分が思っているように相手も同じように感じている」という傲慢な思い込みと、読み手が「私の言いたいことは汲み取ってもらえる」という甘えがあることに気づきました。
最終連の愛の形(システム)がこの詩の主題です。「母の脳、家族、社会、惑星、宇宙は全てシステムで、これらは互いに関係している」「システムは異質なものを排他するか取り込んでしまいがちである。システムの変化は痛みを伴うので避けがちである(旧態が安定を目指す理由=天動説が複雑になりながら長い間生き残った理由)」これら二つのテーゼが私の中のコモンセンス(共通認識)となってしまい、今回の欺瞞な思い込みの一つとなりました。そしてシステムがそういうものだからこそ、家族が愛する母を見捨ててしまう恐れや罪悪感は、きっと読み手が読み取ってくれるという甘えの部分となりました。この詩とは、今後も向き合ってみたいと思います。