◆ここは「MY DEAR掲示板」です。
詩をある程度の期間書いている方、詩に意欲的に取り組みたい方、詩人に向け成長を目指す方はこの掲示板をご利用下さい。
あなたの詩をしっかりと読み、評や感想を、しっかりと書かせて頂きます。
ここから詩人として巣立った人は数知れず、です。あなたの詩を継続的に見守り、詩の成長を助ける掲示板です。
(あのーー、私が言うことでもないんですけど、詩は自由を旨としていますから、どこにでも投稿しようと思えば、投稿できないところはないんですけど、いきなり大きなところに挑戦しても、世の多くのものがそうであるように、ポッと書いて、ポッと通用する、ポッと賞が取れる、なんてことは、まずありえないことというか、相当に稀有な話なのです。
やってみることは止めませんけど、大きなところのノー・レスポンスにがっかりしたら、
あきらめてしまう前にMY DEARに来ませんか?
MY DEARは投稿された作品全部に評をお返しします。
本来、こつこつ実力をつけてから、賞などに挑戦するのが、スジだと思いませんか?
MY DEARはあなたのこつこつを、支援するところです。)
なお「MY DEAR掲示板」では、新規ご参加の際に、ペンネームとメルアドの届け出が必ず必要です。
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投稿された詩については、詩を読んだ感想を、レギュラーメンバーの誰かが、手短なコメント(5行程度)で返してくれます。
どうぞご希望に応じて、各掲示板をご利用下さい!!!
誰が好き好んで
住み慣れた
故里を離れるものか
言ってくれ
もし他に
やりようがあるというのなら…
仕事もなく
食うものもなく
人殺し、強盗が
我が物顔にふるまう国で
この先、どうやって
生き抜けと言うのか?
こうして
故里を旅立ったのは
ただただ
追いつめられたから…
ところが
年老いた親、
乳飲み子を抱えて
密林を越え
大海を渡り
命からがら
やっと豊かな国まで
たどり着いたのに
その国境の壁が
どうにも越えられない
入国を拒否され
犯罪者なみの扱いを受け
収容所に入れられたあげく
強制送還されるありさま
運よく
入国できたとして
今度、立ちふさがるのは
偏見の壁
言葉の壁
結局、俺たちに
この地球上で
約束の地はどこにもない
「きっとあの国に辿り着ければ
なんとかなる」
そんな甘い期待を
ほのかに抱いてきたけれど、
いや、なんとかなりはしない―
まず何よりも
俺たちは
歓迎されざる客なのだ
どうにもならないから
同じ故国からやってきた者どうし
かたまって暮らすしかない
それがまた
もとから住んでいる人間たちの
警戒心を掻き立てる
彼らの気持ちもわからんではない
俺たちとは
文化も風習も違うのだ
お互いに分かり合うためには
気の遠くなるほど
長い時間がかかるに違いない
だが
そんな長い時間を
待ってる暇はない
俺たちは
まず目の前の一日一日を
生き抜かなけりゃならないから
幸いなことに
こうして故里から
この国にやってくるまで
幾つもの危難を越えていくうちに
俺たちが身に着けた逞しさは
ちょっとやそっとの
半端なものじゃない
今に見ていろ!
この国の人間たちの
弱みにつけこんで
したたかに生き抜いてみせるとも!
人手不足の工事現場で
重機を自由自在に操れるのは
もう俺たちしかいない
そうとも
彼らが嫌がる仕事こそ
世の中に
なくてはならないのさ
やがて
俺たちに頼らなくちゃ
この国は動かなくなるだろう
大きく出たな、
と思われるかもしれない
たしかに
俺たちは
資本の暴力と
グローバリズムとやらが
産み出した鬼子には違いない
だが、決して
ただの鬼子ではない
なぜなら
この国に安全に住んでいる
定住民諸君よ
よく思い出してほしい
人類の八百万年の歴史は
あらかた
非定住民の歴史だったってことを!
大地殻変動が起きて
ジャングルからサバンナに
心ならずも追い出されたあのときから
大型肉食獣に脅かされたあの時代から
人間たちは食料を追い求め
移動し続ける運命を
負わされたのだ
それ以来
どれほどの民族が
安住の地を求めて
広大な世界を旅したことだろう
環太平洋を股にかけたモンゴロイド、
出エジプトのユダヤ人、
ヨーロッパに押し寄せたゲルマン人、
枚挙にいとまがないではないか
そのどれもが
歴史に大きな足跡を
残したのではなかったか?
まさに
今、世界中で起きている
移民たちの大移動が
国境線を無効にし
やがては国の形そのものを
変えてしまうかもしれないのだ
それこそ
俺たちの物語だって
ひとつの“Exodus”として
数百年後まで
語り継がれるかもしれない…
だからこそ
この国に定住する人たちよ、
俺たちの問題に関心を持って
正面から向き合ってほしい!
それだけじゃない
時代が変われば
逆に諸君が
俺たちの立場に
立たされるかもしれないのだ
なぜなら人類とは
もともと
決して定住することなく
永遠に旅することを
宿命づけられているのだから
あまりに まともなので
彼女の言葉は 疑われる
あまりに純粋なので
彼女の言う事は気味悪がられる
あまりに単純なので
彼女の日本語は理解されない
時々 同じくらい
まともで純粋で単純な人が
分かる気がすると思うのだが
それを言うのは憚られる
あまりに真っ直ぐな愛を
告げられた人は
こんなことが本当のはずが無いと疑い
はぐらかして逃げてしまう
彼女の愛を受け取れるのは
よほど度量の大きい人か
愚かなほど純朴な人か
彼女に惚れ込んだ人
そんな人は滅多にいやしない
彼女の言葉も愛も受け取らず
すれ違って行った人達は
神様からのギフトを
気づかぬうちに捨ててきたことさえ
知らぬまま生きている
この度は拙作『「しにたい」の底に』に、あたたかく真摯なご講評をありがとうございました。
5年ぶりにも関わらず、覚えていてくださって感激いたしました。体調までお気遣いいただき恐縮です。自覚はあまりしていなかったのですが、ちょっと堪えていたのかもしれません。
連のメリハリ、これからは意識していこうと思います。機会があればまた読んでいただけると嬉しいです。本当にありがとうございました。
初めまして。拙作「風土、違う四季の一景を切り取る」の感想ありがとうございます。
アックア・アルタ。写真集ではじめて知ったので気の向くままに書いてました。
海外に行ったことがないので、イタリアに関する知識は……「ミラノ風ドリアはないらしい」くらいしか知らなかったり。あとは……図書館で写真集を借りるようになったのも、つい最近という……汗
自己紹介的な作品としては写真で見て憧れの景色に想いを飛ばすのもありかな?と思い、書かせていただきました。温かい感想の言葉をありがとうございます。
また機会がありましたら、よろしくお願いします。
秋冬さん、こちらこそはじめましてです。このMY DEARと繋がるコトが出来てとても嬉しいです。
秋冬さんが一行目にお書きいただいた「これは詩ではないですよね。そして藝術でもないです」を読んで、どばッと汗が吹き出しました。うわあ、一気に否定された、と思ったからです。でも次行で「これは詩で、藝術です」で息が詰まる思いです。
詩には孤高の姿勢が必要であると思います。でもやはり「共感を求める」側面もあり、私はそれを重要視しているな、と思うコトしきり。でも詩は、ハッキリと言えないもどかしさの中にあり、それは詩が語られる中にありつづけるものなのだと思いますぜ。
私は68歳、老人初年兵、70歳以上の古参兵から「かわいがり」を受けてます。ウソです。しかし秋冬さん、詩においては、藝術もそうかもしれませんが、先輩、後輩は、ナイと考えています。もちろん個人的に師匠、弟子の関係はあってヨイと思いますが、詩は作品こそが全てちゃうかな、とも思います。極論であるは承知してます。でも詩作品では、私は秋冬さんと同じスタートライン。68歳は14歳とスタートラインは同じやと信じてます。
秋冬さんのおっしゃった「私は詩の定義に興味がない」は、やられた~~と思いました。この長編の詩を一言でまとめられたアと思ったからです。「今度の投稿、長い詩ィやねん。でもな、一言で言うたら『私は定義に興味がない』ちゅうコトやねん」です。クッソー!です。ウソです。
蜂飼耳氏の言葉、ありがとうございます。「詩は説明ではない。単なる行分け散文の鈍さから離れたところにしか詩は成り立たない」は良い言葉ですね。だから果たして私のように、詩を説明、あるいは取説みたいに書いて行く者もいていいかと思うしだいです。秋冬さんはまず詩に寄り添ってから感想を述べられ、そこから批評に入られるので、私は心地好かったですよ。若い詩人には、必要なスタンスやと思いました。今回は長い詩をご覧いただいてホンマにありがとうございました。
独り言には、やられた~~と思いました。そうですねえ、あれほど詩ィにこどわったなら、最後の一行はおっしゃる通り「僕は詩ィで今、旅が出来ればそれで充分だ」にすべきやったと思うしだいです。このMY DEAR 投稿分は、このままにしておきます。私に取っては『負の遺産』ですね♪ ありがとうございました!
そして、島さん。ホンマにホンマにありがとうございました。操作がわからず三度目にはいらつかれて、投稿禁止、とされたのは当然やと思っています。でも「四度目の正直」をお許しいただいたコトには涙流すほど感謝しております。そして私の詩友である滝本政博さんの「とりなし」なくしてはその四度目はあり得なかったコトは、礼どころではない。ホンマにありがとね。このMY DEAR誌面でも、詩の分野は全く違うのですが、共に詩の投稿が出来るコトを喜びとします。重ねて島さん、ホンマにありがとうございました。
秋冬さん、また、批評をお願いしたいと思います。失礼しました。では。
詩の評価をありがとうございます。
指摘されたように、壁は安易に使用するものではないと思いました。
島先生のアドバイスを参考にしながら、次回作は、もう少し長く書けるようにしたいと思います。
次回も評価を宜しくお願い致します。
ある時
ふと襲われることがある
不安という霧に
他人が発した何気ない一言
忘れていたことを思い出した時
どれも些細なことだ
きっかけは
霧が自分の周りを漂い始める
両手で払おうとするが消えない
ますます濃くなる
色も白から黒へと変わってゆく
もがけばもがくほど
辺りは見えなくなり
身動きがとれない
焦りばかりが募る
自分を見失う
途方に暮れて仰ぎ見る
霧の切れ目から
空がわずかに見えた
すかさず飛び上がる
心は高く昇ってゆく
眼下には
霧が広がっている
一目でわかった
濃さや色が
上から
静かに眺めていると
やがて風が吹き
霧は晴れていった
そうか
これが
自分の心を
冷静に
見つめる
ということか
再び大地に降りた
霧はもうどこにもない
吹いていた風が止みました
さっきまで 僕のことをずっと呼んでいたのに
おーい おーい
小さな声で呼びかけても
風は返事を寄越しません
急に静かになってしまうと
なんだか寂しくなります
もう僕のことなんて
どうでもいいのかもしれない
扉に耳を当てて外の様子を伺います
ピタリと風が止んでしまうと
体の内側からさざめきの音がします
まだ僕の左胸は
早鐘を打つことをやめません
胸に手を当てて鼓動のリズムを確かめます
ふと窓から外を見てみると
シャボン玉がいくつも浮いていました
空に昇っていくわけでも 地面に落ちることもなく
視線の先に浮いている 虹色の球体
僕は瞳を閉じて 心にもシャボン玉を浮かべます
風はもう吹くことはありません
けれど 僕はもう寂しくもありません
おーい おーい
どこからか
小さな声が聞こえた気がしました
ご丁寧な感想をいただき、ありがとうございます。
母のことと父のことを並べて書くのがむずかしかったです。
最初これは、母の部分だけを短歌にして詠みました。それで十分だったのですが、二年後に父も逝きまして、その時、父や私の気持ちを察して、姪達が茶の木の枝を取ってきてくれました。
最後の部分は私も悩みました。これは無くても良かった気がします。
死んだ後のことは遺った人に委ねればいいので、自分の希望を言ってしまってはいけない。これは心に秘めて置くべきだったのかも知れません。
2025年6月6日(金)から6月7日(土)までのご投稿分の評と感想です。
○「しにたい」の底に 樺里ゆうさん 6月7日(土)
こんにちは。樺里ゆうさん。
お久しぶりです。樺里ゆうさんの詩を拝読するのは、5年前の「泣くこと」(2020年8月17日)以来です。
まず、二連一行目の投稿エラー対策の件、承知しました
ご自身の心情と誠実に向き合いながら書かれていますね。
口から漏れる「しにたい」は、「(漢字の)しにたい」という感情とはどこか異なる。なぜその言葉が出てしまうのか、その背景の出来事や気持ちを振り返りながら向き合い、言葉にしていますね。この振り返る作業をここでは自己覚知と名付けてみようと思いますが、この過程は、著者の置かれた状況によっては、大変苦しいことかもしれません。樺里さんは自身との対話を経て、咀嚼し、このように作品として昇華したのはすごいなと思いました。
そしてたどり着いた一つの答えが、五連。迷子だった感情を見つけましたね。
また、この箇所を一行で描いたのはとてもいいなと思いました。メリハリが付いています。
全体的に内容も構成も読みやすく気持ちが入りこみやすかったです。
この詩は、自分自身を抱きしめてくれる大切な作品ですね。
これからも素敵に磨きあげていただきたいです。
評価は佳作です。
ただ体調はご無理なさらないでくださいね。
今回も真剣にご自身と向き合っている詩をありがとうございました。
○ 風土、違う四季の一景を切り取る 松本福広さん 6月7日(土)
初めまして。松本福広さん
松本さんの作品を拝読するのは初めてなので今回は感想を書かせていただきます。
一冊の写真集を手に取り、想像と想いをめぐらせ、言葉に綴る。個人的にこの体験そのものがとても貴重なことだと感じました。補足で参考文献を載せてくださったので、近所の図書館で借りて観ようと思ったのですがありませんでした。でも、それで良かったのかもしれません。松本さんがこの作品で描いてくださっている。
いきいきとした冠水した水の都の人々の様子、表情、営みが。そして写真には映らない冠水の影響を受けた街や人々の姿、復旧活動を行う人々のことも、「うん。今日はいいかな」と観光客(写真の読み手)の視点から丁寧に描写されている。知識任せではなく、心で書かれていますね。最後の最後まで読み応え十分でした。
個人的に、僕は20年前に一度イタリアに行ったことがあるのですが記憶力が悪くてあまり覚えていなくて。ただ「青の洞窟」だけは覚えています。
松本さんの作品を拝読して、僕も何かの作品を読んでじっくりと想像と想いをめぐらしたいなと思いました。そしてヴェネツィアに行ってみたいなと思いました。ただ流石に実際行くのは難しいので写真集を手に取ってみますね。
素敵な作品をありがとうございました。
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以上です。
お二人とも詩に心が乗っていたと思います。
僕自身が学びになりました。今後とも学ばせてください。