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編集・削除(編集済: 2024年09月10日 18:37)

三浦志郎様 評のお礼

拙作「僕の名前をご存じですか?」の評ありがとうございます。

誰も書かないだろうモチーフで書いてみました 笑
こういう試みが好きなのです。
調べ物に準拠し過ぎのご指摘。確かにこの連だけ浮いちゃってますよね。うん。表現を変えてみるなり工夫したいと思います。
気づけば、案外人の名前を呼ばなくても、なんとなく過ごせてしまったり、自分もやってしまうことがありますが主語を省いて話す方がいるのは日本ならではなんでしょうね。
励みになります。また機会があえばよろしくお願いします。

編集・削除(未編集)

☆2024年9月3日~2024年9月5日ご投稿分、評と感想です。 (青島江里)

☆2024年9月3日~2024年9月5日ご投稿分、評と感想です。

☆「幸せな爺さん」 森山 遼さん

昔話のような「じゃった」という語り口がユニーク。このまま朗読しても楽しめそうだなと思いました。日がな一日呆けた顔だが至って幸せな爺さん。その様子を見て悪魔が狙ってくる設定。どこか漫画っぽいところが親しみやすいと思いました。

一日中、呑気に幸せそうにしている爺さん。欲を持たそうと悪魔があれこれと狙いをかけてくるけれど、ある程度満足すると、すぐにもとの生活に戻ってゆく。作者さんは、このような描写を通じて、人間の幸せとは?という問題を読み手に投げかけていると感じさせてくれました。欲にまみれると人間が終わってしまったり、変わってしまうという恐怖は、欲を持たず、自らを飾らず、ありのままに健康に生きているのが一番だということや、それがあたりまえのように何も考えることなく、この爺さんのように暮らしていけることができたらなということも、伝えてくれているようにも思えました。

あとは、文字がらみで訂正した方がよいと思う点が三点ありました。

◆雨の日だ爺さんが→雨の日に爺さんが
◆するるのじゃった→するのじゃった
◆思わ宇→思わず

誰でも誤字などはあるのですが、短い一作品の中での三点は、少し多めだと思うので、間違いが云々というよりは、作品が完成したら一呼吸おいて読み返す癖をつけることをお勧めしたいです。リラックス、リラックス。

呑気でおだやかな雰囲気を表現できているところがよかったです。あとはもう一歩踏み込んで、欲にとらわれているとロクなことはないということや、欲を気にせず生きていけることの強さとは?というような、裏側に隠された意味を伝える、蜂の一刺し的なアイロニーがあったらいいのではないかと感じました。今回は佳作一歩手前を。



☆上書き  喜太郎さん

電車で二人旅ですか。ドラマのワンシーンのようで、とてもロマンチックな雰囲気です。好きなもの同士なら、疲れさえも幸せという感じが伝わってきます。

登場する彼女はとっても「僕」のことが好きなのだと思います。私だけの彼でいてほしい。私だけを見ていてほしい。そんな気持ちが他の人の数倍高い方なのだろうって思いました。

作中に何度も登場する「上書き」というキーワード。機械なら簡単に行えることですが、生身の心をすべて上から塗りかえるってことは、どこまで可能なのだろうか?ということを考えさせてくれました。テーマは「恋」についてということを考えると、さらなる難しさを感じさせられました。詩の内容が実話であっても物語的であっても、「彼と元カノとの思い出の場所を全部一緒に行って、思い出を塗りかえる」という行為は、なかなか特別な事例のように思えます。作中で気になったことはこの一点でした。読み手にいかに、この一点の中に引き込むことができるのかということが、この作品の注目すべき点であると、私は感じました。

特別な事例であるから、「上書き」というタイトルのためにつけられたエピソードだと誤解される可能性がないように、できる限り、特別なこととは感じさせないほどの自然な流れや表現が必要になってくると思いました。

最終連では、彼女に対する彼氏の気持ちがいっぱい溢れています。このままでもいいのですが、せっかくのロマンチックな雰囲気の電車の二人旅です。この場の空気を借りてこのようにしてみることも可能かと。

だからいくらでも上書きすれば良い
だってもう僕の心は
君への想いで上書きされているから

次々と音を立ててかわりゆく
車窓の外の
あかるく流れる景色のように

二人には、たくさん上書きをして、しあわせになってほしいなと。そのように思わせてくれる作品でした。今回は佳作一歩手前を。



☆太陽の匂い  理蝶さん

五感の中の視・聴・嗅(きゅう)・触の四つの感覚をふんだんに使って表現された作品。晴れの日に布団に顔をうずめるという行為。誰もが経験していそうな行為。気持ちのよさが読み手の方にも伝わってきました。

こちらの作品のすごいなと思う手法は、この心地を起点に、さもすれば生きづらく感じさえる世の中の仕組みや考え方について、少しずつスライドさせながら、言葉を難しくすることなく、ご自身の意見を展開させていっている点です。

どうしてこんな匂いがするかなんて 
その仕組みなんて
多分知らない方がいい

日光のやさしい香水が
布団にのこったのだ
そう考える方が 
世界はゆたかに
流れるはず

なんでもかんでも答えを求めがちな世間の空気を覆すような、優しい言葉たちと表現。
私たちにはもっとイマジネーションの世界が必要だと、そのような思いを感じました。

後に続く連には名言にもなりそうな言葉がありました。

いつだって
無知のもやの奥から
魔法はやってきて 世界に灯される

五感をもって 
世界をめいっぱいかきあつめて
それに 意味を与えつづける
そんな せわしない定めならば

ただしさより うつくしさ
定理より 物語
僕はそれを信じたい

超大真面目に語ったその先には、今度はジョークを持って太陽の匂いについての強い愛情をしるしています。豊かな表現の数々。どこにでもあるシーンから広がってゆく世界がとても印象的な作品。秀作を。



☆マジックアワー  人と庸さん

初めてのお方ですね。お名前の読み方は「ひととよう」さんで、よろしいでしょうか。それでは作品の感想をお伝えしますね。

視点が面白いですね。人を中心にしてみている空ではなく、太陽を中心とした中に人がいるとしているところです。なので、雲が太陽を見つめているとなったり、一番星も見つめているとなったりしています。人から見て雲が流れているとか、一番星が光っているとならないのです。一番面白いと思ったところは、太陽が沈んでいく情景を儀式としてしまうところです。星も、雲も儀式に参加しているので、「私」も洗濯物を取り入れる手を止めて参加しようとする展開には驚かされました。と、おもいきや「夕餉の支度もまだ」と現実に引き戻されています。この場面は、クスッと笑いを運んでくれるみたいで、かえって、重くなりすぎなくていいなと思いました。

儀式とされている表現を関連づけるとすると、最終連の「その空は/あなただけのものなんだよ」は少し意味合いがずれてしまう気がしました。空の儀式→個々が参加する→空はみんなのものになってしまう気もするからです。「あなただけのもの」とするならば、逆の視点、人が空を見つめるパターンの方がしっくりといく気がします。ですが、せっかく面白い視点から書いてくださっているので、この場合は、みんなという意味も込めて「あまたの空/その空を/あなたも愛していいんだよ」のような感じにするといいかなと、個人的には思いました。

情景描写について「低いところにある黒い雲は/嵐からはぐれてきたんだろうか」には、作者さんの優しさを感じました。また、「一日の最後に/ありったけの光を発して/二つと同じ混ざりぐあいのない色彩を/それぞれの空に残して去っていく」には、絵を描くような光の色合いを感じさせてくれました。マジックアワー。魔法のような空の時間帯を独自の豊かな視点で表現してくださった作品だと思いました。



☆何もない日曜日  秋乃 夕陽さん

風に揺れる若葉の様子がきれいに描かれていますね。ただ揺れていると思うだけではなくて、討論しあっていると感じているところがユニークです。討論するというワードから、比較的、強い風が吹いているのだなと感じさせてくれるところもよかったです。

それとは正反対のような自分がいる窓の中。時だけが過ぎてゆくという表現から、何を持って生きていいのかを考えることもないまま、時に身をまかせるだけの虚しさが感じられました。

ひとさびしさからくる口さびしさか。パンをかじって飲み物を飲むという行為が、なにかをしなくてはという、無意識の焦りを感じさせてくれます。そして、窓の外の現実が絵画のようだとしています。ここで最終連についてなのですが、一連目は「討論」としているところから、「動」のイメージが浮かんできます。ですが、「絵画」としてしまうと、「静止」のイメージとなり、一連目とは食い違ってくるように思えます。「討論」の方を取るとしたら、「絵画」ではなく、「風の景色」など、動きを感じさせるワードにする方がよいと思いました。

また、最終連では眺めているだけで終わっているのですが、窓の外はどうであるということを述べていることに対して、自分はどうであるや、どう思うなどを表現する部分が、一行でもいいのである方が、個人的にはよかったかなと思いました。たとえば、最終連のあとに、「何も話せない私/何もない日曜日の私」のような表現をもってくれば、タイトルに、私の虚無という意味も持たせることもできるのかなって思いました。

窓の外と窓の中。2世界に切り分けて読み上げてゆくアプローチは面白いと思いました。今回は佳作半歩手前で。



☆あこがれ  埼玉のさっちゃんさん

切ない恋心と憧れに踏み出す一歩を表現しようとしてくれていますね。輪の中に入れないけれど思い切って手紙を渡したなんて、なんという勇気と行動力。恋の力の大きさを感じさせてもらえました。

全体的に見渡して感じたことは、同じようなテンポで詩が進んでいるので、恋のドキマギを考えると、心の上がり下がりを表現する助っ人として、この作品に限っては、体言止めや倒置法を用いるのもありなのかなと思いました。また、連分けすることで、沈黙や余韻をより多く醸し出すことができるかもとも思いました。あと、下記の一例の、一連目から三連目の「ただ」の繰り返しについては、つのる思いを強調したくて追加で使用しました。説明するとすごい量の文章になりそうなので、私ならこんな感じにするかなというものを書き綴ってみました。何かのお役に立つことができればさいわいです。

憧れを抱いていた
ただそれだけだった

貴方の姿
逢いにきてしまった
ただ声を聴きたくて

遠くから眺めている
ただそれだけでいい
でも駆け寄って話したい

私の心の中で巡っている
この二つの想い
じれったい自分がもどかしい
映画のような恋は夢のまた夢
手が届きそうで届かない
そんな距離感もいい

恋焦がれている人が多い
貴方の周り
その中に入りたくても入れない

けれど大きな進歩
一通の手紙を渡せた

これから先どうなるか分からない
モヤモヤしながら
期待している
来ることのない手紙に

こんな気持ちは久しぶりだ
秋風が少し薫る午後の一時
夏の終わりの空を眺めながら
頬杖をついている

最終連の、スマホでなんでも簡潔にすんでしまう時代には、少なくなっているシチュエーション、「待つ」という行為。そして、「頬杖」というワードが、登場人物さんの淡い期待と不安を健気に支えているようで、甘酸っぱいような切ないような気持ちになりました。今回は佳作二歩手前を。



☆本当のことって残酷 紫陽花さん

本当って言う言葉は、とっても立派な言葉のように思えますが、実は残酷な一面もある。反対に嘘って言う言葉は、残酷なように見えて、本当よりも優しいこともある。この作品を拝見して、自身のいろんなことが走馬灯のように巡りました。

紫陽花さんの作品は、暮らしていく中での光や影を独自の方法で投影してくれます。ある時は、リアルすぎるほどリアルに現実を描写し、ある時は、少し重すぎるかもと思えるテーマに童話チックな表現の魔法をかけて、近づきやすい空気を持つ作品に変えてしまいます。

今回の作品は、微妙にですが、そのどちらでもないような気がします。人間の光と影という心にスポットライトをあてて、どこにでもある言葉で、現実をしっかりと表現し、どこにでもある言葉で人間の憂いを和らげています。そこには、魔法の表現もなにもありません。よりひとはだに近い言葉で全部を表現してくれようとしています。

あかるい陽ざしの下は永遠の憧れだけど、はみだしてしまって、居心地が悪い。だけど、それだけがすべてじゃなくて、陽ざしのない夜にだって、明るい光は存在するんだよ。

人間の世界には、本当と嘘のという言葉があるけど、本当が優しいとは限らないよ。嘘が優しい時だってあるんだよ。

そんな思いが作中のあちらこちらに感じられて、じわりとくるものがありました。

作品のラストの「嘘だから 全部嘘だからという/あの少し冷静な声だけを待っていた」
この一行は、タイトルに込められたすべてを物語っていると思いました。人生の光と影の時間。そして本当と嘘という言葉について。この二つのテーマをうまく織り合わせて、人生について考えさせてくれる時間をいただける作品に。秀作を。



☆So long 津田古星さん

スマホが便利すぎて、人と人の連絡のやり取りは、ほぼ電子メールが主体の時代となりました。手紙と違って即日到着であり、二十四時間いつでも投稿OKの世界。とても便利です。その前に中心となっていた手紙。ある程度の日数はかかりますし、郵便代の値上げもあり、電子メールをひっくり返すことは難しいかと思われます。しかしながら、作者さんの作品を拝見していると、効率ばかり考えている人間ということについて気づかされることが多々ありました。電子メールは便利ということについて長けていますが、手紙の「心」についての部分には、まだまだ追いつくことは難しいのでは?そう思いました。手紙もはがきも自然由来のもの。紙でできています。手にするとなにかしら、書き手の分身のようなものも感じられます。

二連目のアドレス帳を持って海を渡ったという表現の仕方がひとはだの温みを感じさせてくれます。そして現地で絵はがきを買い、そのアドレス帳をみながら、気持ちを文字にしている場面についての表現も、作者さんの、相手の文字を見て思い描くむくむくと沸き上がるような真っ白な想像力が感じられて素敵でした。

三連目の「エアメイル」は通常なら「エアメール」ですね。特に意味がなければ後の方がよいと思います。今まで絵はがきだったけれど、封書になったという表現は、はがきでは書き込み切れない、或いは、誰の目にも内容には触れられず、二人の間だけでやりとりしたい、日常の様々な感情が、その中に溢れているように思わせてくれました。日本に帰って働くという手紙の「また会おうね!」の意味の言葉。ペンの文字としるされたところから、込められた人の優しい文字のかたちが伝わってきました。

終盤のだんだん疎遠になっていくシーンは、とても切ないものを感じました。「私への返事が届かなくなる」……手紙しかできない切ない表現。すぐにくる電子メールとは違って、もしかしたら明日?って、幾日も待ってしまいそうだから。そして、「あの夏」を振り返る「私」の、予想外の彼を思うおだやかな気持ち。すぐに結果がわかる電子メールにはない、一度に一気に傷つけない時間の満ち引きを感じさせてくれました。そしてラストの「信じていいんだよ」の言葉。それは残された手紙の中の、世界に一つだけの、やわらかな彼の筆跡や筆圧がそうさせているのだろうと思わせてくれました。ものがなしいものを感じさせつつも、手書きの世界の独特な美しさを感じさせてくれる作品。佳作を。



☆スマホの電波事情 司 龍之介さん

スマホは、本当に場所によってうまくつながらないところがありますよね。状況も考えず、何か急ぎの際には、「もしかして、私のスマホ壊れた?」なんて焦ったこともありますし。
Wi-Fiがなくて低速になってしまうことも、最初の頃はわからなくてオタオタしたこともありましたね。そういえば(笑)

スマホの困ったアルアルを、楽しく拝見させていただいたのはよかったのですが、読み終えて全体を見渡してみると、七連目の「これを」をうけるまでに六連を要していることに気が付きました。こちらは前置きが長いように思うので、詳しく書いてくださるのはいいのですが、省略できそうなものが、まだまだありそうなので、整理してみる方がよいかなと思いました。

あと、細かい点をお伝えしますと、五連目の空白プラス「でも」なのですが、改行して「でも」もしくは「けれど」にした方が自然かなって思いました。そして「動画再会」についてなのですが、意味があって故意にしているのでなければ、「動画再生」もしくは「動画再開」にする方がこちらも自然なのかなって思いました。

作品のメインテーマになる所作は、低速になって動かなくなった動画を、あちらこちら、高さを変えて、動いたり停まったりする様子を楽しめること。それを詩にすることができるって面白いなって感じたことなのかと思いました。八連目なのですが、この詩で読み手に感じてもらいたいことを自らネタあかししているようになってしまっているので、できれば、ストレートに書いてしまわず、ある程度伏せた表現にすれば、読み手の詩を味わう楽しみも倍増すると思いました。

最終連の、動いたり、停まったりすることが面白いって感覚、些細なことでも楽しいものは楽しいから、人が何て言おうが僕は楽しむよっていう気持ちには魅かれるものがありました。このような感覚を受け入れる器の広さって、詩には必要なのだろうなぁと感じさせてくれました。そんな作品、今回は佳作二歩手前を。


++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

連日、まだ真夏のような温度が続いています。信じられないです。
もう一度、夏休みの気温に戻ったかのような空気の流れです。
まだまだ熱中症にお気をつけください。

みなさま、今日も一日、おつかれさまです。

編集・削除(未編集)

三浦志郎様  御礼  静間安夫

今回も私の詩にお目を通していただき、誠にありがとうございます。佳作
との評をくださり、とても励みになります。

最近、私の住む密集地でも身の回りの昆虫の種類が増えてきたように思います。
空き家のまま残された家屋が多くなり、植物が繁茂するようになったからでしょうか?
いずれにせよ、これまであまり見かけなかった虫たちにも出会うようになり、
小学生の頃の自分に戻って、ついつい彼らの後を追いかけてしまいます。

その中には、かなり大型のトンボもいます。胴の長さが6~7センチくらいで明るい
緑色をしています。ギンヤンマでしょうか?

今後とも、どうかよろしくお願い致します。

編集・削除(未編集)

三浦志郎様、「鴉」に関する評と感想をありがとうございます。  秋乃 夕陽

三浦志郎様、「鴉」に関する評と感想をありがとうございます。
確かに鴉って抜け目がなく、自宅前のゴミ集積所を荒らしては私を含む家族や町内の者を困らせる厄介者なんですよね。
その鴉がある日、集積されてしまった後のゴミ集積所の前でポカンと口を開けて佇んでいる、そのある意味間抜けな姿がなんだか愛らしくて詩に描きました。
それでも私たち人間にとっては毎回ゴミを荒らす憎っくき存在であることには間違いないので、今回に限っては餌にありつけなくて哀れだと同情はしつつも、我が家で栽培している家庭菜園のプチトマトは断じて差し出さなかったわけです。
それに差し出したら差し出したで次からはそれを目当てに毎回やって来そうで困るからです。
まぁ、そういうことで、まるで人間のように呆気に取られる鴉を描きたかっただけなので、なにとぞお許しください。

編集・削除(編集済: 2024年09月16日 16:11)

青  秋さやか

空が濃くなってきたから
もう海が近いね

車を運転しながら
あなたが言った

空が濃いってどういうこと
とわたしが問うと

海に近づくと空の青が
濃くなっていくでしょ

と当たり前のように答える

初めて聞いた
その新鮮な感覚にときめいて
遠い空を見つめる

小学生のころ受けた色覚検査で
色弱だと告げられて以来
わたしの見る世界は
人と違うと知った

眼鏡屋さんの
補正メガネで見た世界は
鮮やかで
明るくて
美しすぎたから
このままでいいと買わなかった

曇天に溶けてしまう桜の輪郭も
黒と深緑のワンピースの区別も
火が通りきらない
肉の赤さもわからないけれど

すべてあなたが教えてくれるから
わたしはこの色褪せた世界を
安心して
いつくしむことができる

ここはわたしが思うよりも
鮮やかで
明るく
美しいのだと

分かち合えないものを
分かり合うために
想像する

海へとつづく道の途中

絵筆からこぼれる
一滴のように

あなたの詩情が
わたしの空を

青く深めてゆく

編集・削除(未編集)

三浦志郎様 評のお礼です 上田一眞

お疲れ様です。上田です。
拙作「清人伯父のこと」を精読下さり、ありがとうございました。
暫定佳作とのこと、僕はAを取りたいと思います。清人伯父との確執についてはもう書かないつもりです。ここの登場人物は従兄弟以外みな亡くなりましたから死人を鞭打つことは止めておきます。

三浦さんご指摘のように本作には三つの要素があります。
1.清人伯父との確執
2.隆志伯父の仕事振り、北鮮での生活
3.北鮮からの脱出行
当然連作も可能ですし、魅力を感じますが、一番力点を置きたいのは清人伯父の北鮮行きと一家の内地への帰還ですから3を独立させ、タイトルも変えて書き直したいと思います。書き直し作にて再評価をお願いしたく存じますが、如何でしょうか?
MYDEARの投稿ルールがありますから、それにはしたがいます。暫定を解消するには如何したらよいかお教え下さい。

編集・削除(未編集)

ノコンギク  温泉郷

ちぎられ捨てられていた
ノコンギクを
公園で母が拾って
水差しにいれておいたら
根が出て 葉が開き
白い小さな花が一輪 咲いた

鉢植えにして
ベランダに置いたら
ノコンギクは地下茎を
盛んに伸ばして繁茂し
鉢植えは 2つ 3つと増えた
ただ 
花はだんだんと
咲かなくなった

そのころから
母は 少しずつ
昔話をしなくなった

母は 関西に引っ越すことになり
ノコンギクを
もらってくれる先を探しだした

一鉢は近くの信用組合に
一鉢はヘルパーさんに
もらってもらった

最後の一鉢…
私が面倒になって
公園に植えてはどう?というと
これは もともと
公園でちぎられて
捨てられていたんだよ……
と怒った

もう一鉢は
私が近所のKさんに頼み込んで
もらってもらった

引越しの前の晩

それにしても
ノコンギク ノコンギクって
息子のことは心配じゃなかったの?
と笑って聞くと 母は

だってあんたは
ちぎられてもいないし
捨てられてもいなかったからね
と笑った

ふと
その瞳が暗くなった
視線の先には
もう鉢植えのなくなった
夜のベランダ
四角い黒い窓

しばらく聞かなくなっていた
母の昔話
母は朝鮮半島からの引揚者

ちぎられて捨てられて
黒い四角い穴に葬られた
今半島北部に眠る遺体の
母の幼い記憶

編集・削除(未編集)

三浦志郎様 評のお礼です 温泉郷

三浦志郎様
 評をいただきありがとうございました。お調べいただいたとおり、この作品の素材は、博物館で展示されていた縄文時代の子どもの足型なのですが、1,2連の情報や説明が不足しており、読む人にとって不親切な内容になっていたことを反省しております。注釈を付けたり、散文調にするなど、一般的に了解されていない特殊な事象を扱う際の助言をいただき、大変ありがたく思っております。これからの詩作の際に、留意していきたいと存じます。今後とも、よろしくご指導お願いいたします。

編集・削除(未編集)

感想と評 9/6~9/9 ご投稿分 三浦志郎 9/16

1 上田一眞さん 「清人伯父のこと」 9/7

「やぁ 義姉さん/兄貴はどこですか?」―僕にとってのこの詩は、このセリフから始まったように思います。本来、深刻で困難なのにこの呼びかけです。一般論で言うと、次男さんはこういったハシハシした面や、すばしっこさやあっけらかんとした面があるようです。そんなことを思っていました。この脱出行もこの天真爛漫さが成功に導いた、そんな気がしています。系図を考え地図を確認しながら読んでいました。ある意味、それらもこの詩の醍醐味なのです。脱出行の様子は微に入り細に及び、記述として申し分ないように思われます。結果、小説や映画に接するような気分になります。手に汗握るものがあります。大佳作、としたいところですが、この作品は多少問題を抱えているように思います。

A……1、2連と最終連―つまり一眞さんと清人さんの行きがかりの件です。この話の行方がない。
ぷっつり切れて全くわからないのです。本作を単独作とするならば、又、プライベートに属するもので、これ以上語らないならば、この件は全く要らない。削除すべきです。脱出行のみに見合ったイントロを振るべきです。ただ清人氏はこの作ではキーパーソンなので、慎重・丁寧な扱いが必要ですね。

B……そうではなくて、これは連作予定作で、くだんの清人さんとの件も継続させるならば、次作以降で明かされるか?Bはあくまで僕の推測です。もしそうであるならば、この件は伏線のひとつとして本作でキープされていい。ただ、Bにも問題はあって、もし、そうであるならば、今度はタイトルが考慮の対象になりそうです。壮大な詩なので、総タイトルは別途、修辞的に高みに持って行って、「清人伯父のこと」は章タイトルに降ろすとか……。

A or Bの判断、それに伴う再加工を条件に暫定佳作と致します。

アフターアワーズ。
参考までに。 過去にこのサイトで連作はたまにありました。最近はないですね。僕も本にした分は全て此処で連作(連載?)しました。僕の場合、例えば1作品が5つの小詩予定として、5つ全部出来てから、日を決めて小出しにしてました。分野は違いますが、新聞や週刊誌の連載小説だと、その都度書くしかないのですが、僕の場合、その都度だと方向がブレたり、行き当たりばったり、
支離滅裂になりそうなので、そのようにしてました。


2 詩詠犬さん 「あさの そら」 9/7

物事の二面性、裏表を表すのは対象の周辺にあって、部分的に使うことが多いのですが、全篇、それで通したこの詩は珍しいケースと言えそうです。その分、賛否も出やすくなる気はするのです。当然、空にも多彩な表情があって、個人によって見方は違うし、一個人でも見方は各種変わるものです。この詩はまず空の多彩な表情・属性を洗い出して、二面軸の中で整頓してみせた、と言えそうです。少し気になるのは、大部分が空の形容ですが「だから あさのそらは」以降は自己の最終的意見・感想になります。形容と違って感想だとこの書き方だと―下世話な言い方ですいませんが―「じゃあ、どっちなの?」といった読み手もいるかもしれない。ここはそういったことは避けたいので、たとえば―。

あさのそらの表情は 多彩で
時に違って見える時もある
わたしの気分に合わせて
見せてくれる
そんなそらが
やはり すきだ        (あくまで参考例です)

要は最後は予定調和的に着地するのが良いのではないか といった示唆です。 佳作一歩前で。


3 荒木章太郎さん 「空白の街」 9/7

タイトル、一発で好きになりましたね!―して、中身は? 
シャッターがキーワード。最近、閉店・閉鎖している小売店など不景気な商店街をよく「シャッター街」と呼ばれますが、タイトルと共に、そんなイメージがまず浮かびました。9行目と終行が、その傍証のように思えました。そんな環境+自己の内面を感じて読んでいました。2番目のシャッターのみがカメラ関連のようです。(後に来る監視カメラと呼応するかも?)

「シャッターを開けなければ、生きられない」―その通りです、しかし―
「ヒソヒソと、人が遠ざかっていく」 このあたりに苦悩は存在するのでしょう。
いつも通り想像力が飛び交っていますが、僕なりに受け取るものがあったのです。佳作。


4 秋乃 夕陽さん 「鴉」 9/7

大変申し訳ないのですが、この詩の成立の背景とか製作意図がちょっと掴めなかったのです。
2連まで読むと、餌にありつけなかった、アホでかわいそうな鴉と読めます。本来、鴉は抜け目ない鳥ですし、例えば二羽で餌を争って負けちゃった、そんなわけでもないですし―。あと3連。プチトマトをあげてもよかった。なぜ衝動を抑えたんだろ?そんな疑問も残るわけです。もう少し何がしかの意図を盛り込んでほしい気はするのです。それには、この倍以上のスペースが必要になりそうです。「あ、そうですか」で読み手を立ち去らせない。しっかりつかむ感覚とでも言いましょうか。佳作一歩前で。


5 じじいじじいさん 「へんなきもち」 9/8

え―と。全てひらがな篇と漢字混じり篇がありますが、これはいったい!?便宜上ひらがな篇で書きましょう。まずは登場人物二人の歳を考えていました。小学校5~6年か中学1年生。モチーフ年齢を少しあげたのが、この詩の特色だし目新しい点ですね。エピソードもそれに見合っています。
漢字篇のほうから「いつも無口で目立たない~」「わたしどうしたんだろう」をひらがな篇のほうへ移植してもいいかもしれない。
よりくっきりするかもしれない。ビックリ感と、もやもや不思議感がこの場面の気分をよく表しています。ホント、どうしたんでしょうね?思春期の入り口に立って、この詩価値あり。甘め佳作を。


6 温泉郷さん 「縄文の足型」 9/8

この詩はちょっと辛い部分があって、殊に1,2連あたりは、調べて写真で見てみないと「えっ、どういうこと?どんなしくみ?」と戸惑う読み手はいそうです。僕もどうも釈然としなかったのです。簡単に言うと、死んだ子供の足型を粘土の板のようなものに写し取ったもののようです。2連目の「紐を通す小さな穴」は紐で、その粘土板を吊るして死者を偲んだようです。親も死ぬと一緒に葬られたようです。ただ謎なのは、この風習が函館・石狩地区に限られているそうです。
―ここまでが調べた結果です。思うに、生まれて間もない子どもは弱く、医療の思想も場所もない時代に多くは死んでしまったのでしょう。その事がこの詩の骨子になると言っていいでしょう。詩は現代と4000年前を共に考えることで進んでいきます。子への思いは時を越えて共通のものがあります。詩にもそう書かれています。ただ縄文の昔は、“ただなす術もなく”死なせてしまった、その悲しみでしょうね。そこが現代とは違う。4連の「~できない」に、それを感じました。
この詩の為のアドバイスとしては、1,2連の読み手の理解を促進すべく注釈をつけるといいでしょうね。今の僕だと、2マスほど下げて散文で書いちゃいますね。そういったパーツは説明調になることを厭わないことでしょうね。レベル高の為、一歩前で。


7 松本福広さん 「僕の名前をご存じですか?」 9/8

これは面白い! 調べた結果、名前がわかりましたが、ここで書いてしまうのは粋ではないでしょう。 書きません(笑)。
業界用語で「ニッチ」というのがありますが、市場の「隙間」を狙っていく戦略ですが、この詩も“詩のモチーフ業界”の隙間を上手く狙ったものでしょう。
1連の終わり4行はすこぶる貴重です。「あるある!」と同時に、ふと忘れていたことに気づかされます。この道具を出した詩の精神にも通底しています。5連以降の謙虚と優しさは貴重。最後の一句が凄くいいです。逆に4連の、その他用途は”調べもの“に準拠し過ぎ?甘め佳作を。

アフターアワーズ。
初連最後4行に関連して。「なあ、JOE。それは〇〇〇〇さ」などと、外国人は誰と話してるか、わかりきってるのに名前を言うのが、日本人よりも多い気がします。日本人の曖昧さ、外国人の具体性でしょうか。


8 相野零次さん 「愛しい君へ」 9/8

これは二通りの解釈があって、ひとつは生身の人間への思いを高踏的に書いたもの。もうひとつは人間ではない無形の対象―例えば神とかー。後者を僕が考えたのは、以前のコメントに「神については書き続けていく」といったものがあったからなんです。僕の中では前者:後者=4割:6割みたいな感覚です。たとえば「偶像崇拝」といった言葉も脳裏にちらついたんですが、神として代表されるキリスト、その教えでは偶像崇拝は禁じられているんです。ここで僕は袋小路に陥るわけです。前者にしても、もう少し具体に降りて来てもいいように思うんですが。―といったわけで結論はつきませんでした。従いまして、評価は保留とさせて頂きます。


9 静間安夫さん 「虫たちとわたし」 9/9

いやあ、虫の勉強をさせて頂きました。やはり読みどころは、カマキリとバッタの件で父に諭されたこと、その父が事故に遭ったくだりです。ただ読み手としては「わたしが無力な小さな虫に対してしたことと、父を見舞った災難が関係ない、とはどうしても思えなかったのである」のくだりです。
ここは読み手はたぶん(そうかな?)とか思ったりするんです。ただ書きの主導権は作者にあるので、ここは静観します。と同時に、僕は以降の詩行にその因果関係を見出したい。
すると、ありました、ありました。劇作家の名セリフです。バッタがカマキリに喰われたのも、大局からみれば運命、神の摂理。父上の交通事故も神の仕業。繋がりました。読み応えがありました。佳作を。

アフターアワーズ。
良い趣味をお持ちです。


評のおわりに。

静間さんに触発されてオオスカシバを調べ、その姿を鑑賞(?)しました。なんか可愛い!
僕は飛ぶものはたいてい好きです。僕はトンボが好きです(特にギンヤンマ)。井嶋さんも
トンボが好きです(蝉と共に)。 では、また。

編集・削除(編集済: 2024年09月16日 20:13)

雨音様、批評のお礼です  U.

ご批評ありがとうございます。
久しぶりに詩が書けたので投稿しました。
切ない気持ちが言葉になり、それを書き記しました。
本当に久しぶりに言葉が生まれました。

編集・削除(未編集)
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