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(あのーー、私が言うことでもないんですけど、詩は自由を旨としていますから、どこにでも投稿しようと思えば、投稿できないところはないんですけど、いきなり大きなところに挑戦しても、世の多くのものがそうであるように、ポッと書いて、ポッと通用する、ポッと賞が取れる、なんてことは、まずありえないことというか、相当に稀有な話なのです。
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水無川 渉様
拙作「夢」の感想と評、ありがとうございます。
佳作との評をいただき、嬉しいです。
詩作の励みとします。
T・S・エリオット、未読ですのでさっそく手配しました。楽しみです。
本作、ご指摘の通り荘子からイメージを膨らませました。
最後、一斉に目を覚まして、ストーリーをナニカに変えようかと思いましたが、今回は放置した不自然さを狙いました。
次回も、ご指導のほどお願いいたします。
お待たせいたしました。9/23~25ご投稿分の感想と評です。コメントで提示している解釈やアドバイスはあくまでも私の個人的意見ですので、作者の意図とは食い違っていることがあるかもしれません。参考程度に受け止めていただけたらと思います。
なお私は詩を読む時には作品中の一人称(語り手)と作者ご本人とは区別して、たとえ作者の実体験に基づいた詩であっても、あくまでも独立した文学作品として読んでいますので、作品中の語り手については、「私」のように鉤括弧を付けて表記しています。
●喜太郎さん「悲しみの向こう側」
喜太郎さん、こんにちは。悲しみに打ちひしがれ、出口の見えないトンネルに入ってしまったような体験は誰しもあるのだと思いますが、この作品ではそれが川の流れにたとえられています。向こう岸に渡りたいと願うけれども、眼の前の流れを見ると渡り切れるとはとても思えない……。そんな絶望的な思いに駆られてしまうというのもよく分かります。
悲しみをどう乗り越えるのか、そこにはマニュアルのような決まった方法はないと思われます。けれども、この作品では二つのことが語られているように思いました。一つは時の流れ、もう一つは本人の主体的な意志です。おそらくこのどちらが欠けても「僕」は向こう岸にたどり着くことはなかったのでしょう。これが唯一の正解ということではないのかもしれませんが、少なくとも「僕」にとっては、それが真実なのでしょうし、多くの人の共感を呼ぶ詩だと思います。
一点だけ気になったのは最終連下から2行目「僕は渡りきった」です。ここがなぜ過去形になっているのか分かりません。全体的な詩の流れから言っても、最終連の内容から言っても、この時点では「僕」はまだ向こう岸にたどり着いていないように思えるのです。また詩の終わり方としても、希望を持って向こう岸を目指している途中で終わる方が良いように思いました。ご一考いただければと思います。評価は佳作半歩前となります。
●トキ・ケッコウさん「髪の毛」
トキさん、こんにちは。別れたパートナーの髪の毛を保存しておくというのは艶めかしくも切ない行為ですね。戦時中に特攻隊員などが遺髪や爪を家族に送ったという話も聞きますが、故人やもう会えない人の一部を手元に置いておきたいというのは普遍的な願いなのかも知れません。
この作品の前半では友人から聞いた話が語られ、後半では「私」が同じことをするかしまいか逡巡する構成になっているのが面白いですね。結局「私」もパートナーの髪の毛をラップに包むのですが、冷蔵庫に入れるまではしない。けれどもその過程で髪の毛に対する妄想がどんどん膨らんでいくのが読んでいて引き込まれました。一本の髪の毛が夜になるとアメリカ原住民のドリームキャッチャーのように広がるという不気味なイメージが強烈でした。最終行も「これからゴミ箱の一番底に捨てようと思うのだ」と「私」の強い決意が語られながら、実際に捨てることができたのかどうか、語られないまま終わる終わり方が不穏な余韻を残していて素晴らしいと思いました。「友人」と「私」それぞれの「奥さん」本人が最後まで登場しないというのも何となく不気味です。
幻想的な雰囲気の、読み応えのある作品をありがとうございました。評価は佳作です。
●aristotles200さん「夢」
aristotles200さん、こんにちは。この作品はaristotles200さんらしく、哲学的な思索がベースになった不思議な詩ですね。私は読んでいて「胡蝶の夢」という話を思い起こしました。古代中国の思想家荘子が蝶になった夢を見て、自分が蝶になった夢を見ているのか、それとも蝶が人間になった夢を見ているのか分からなくなったという話ですが、夢の中では現実を生きているように思いつつ、でも同時にこれは夢ではないかと疑っている自分もいる、不思議な感覚になりますね。
この作品ではそれが極限まで複雑に展開されていって、夢を見ている主体が無数に増殖していくところで終わります。私も読みながら頭がくらくらしてきました。この詩を読んでいる自分も、そういう夢を見ているだけなのではないか……そんな不思議な気持ちになりました。
T・S・エリオットは「思想をバラのように嗅ぐ」と言いましたが、aristotles200さんの作品も抽象的な思索を肌感覚で感じさせる魅力を持っていると思います。今後もこの方向性の詩をもっと読みたいと思わされました。評価は佳作です。
●月乃にこさん「Losing Yellow and Gaining Yellow」
月乃さん、こんにちは。初めての方ですので、感想を書かせていただきます。
この作品には写真も添えられていますね。おそらくご自分で撮られたものでしょうが、実際に去年の写真を見てインスパイアされた詩なのかもしれませんね。植物の葉が黄色くなる9月の風景を描いた詩かと思いきや、その黄色の前には8月の黄色いひまわりがあった。一つの黄色が終わり、もう一つの黄色が始まる、そこに作者の感動があったのだと思いますし、それがタイトルにも現れているのでしょう。
細かく語り手の心情が描かれていくわけではありませんが、自然の移り変わりの中で浮かんできた一つの感慨をスナップショットのように切り取った作品かと思いました。個人的にはエズラ・パウンドの短詩に似た味わいを感じました。また書いてみてください。
●荒木章太郎さん「カッコウの餌食だ」
荒木さん、こんにちは。この作品はまずタイトルからして諧謔味に満ちていますね。本文でも鳥の「カッコウ」と「格好」、「いと惜しい」と「愛おしい」などの言葉遊びが多用されていますが、そのような表面的な軽さとは裏腹に、内容はシリアスです。このギャップはとても効果的で良いと思いました。
この詩では托卵というカッコウの習性が一つのモチーフになっていますが、カッコウに自分の「子」(=記憶や夢)を奪われ、見知らぬ他者の「子」を育てさせられている「俺」の悲しみや悔しさが歌われていきます。これは現代社会で主体的に自分らしく生きることの難しさ、他者に容易に搾取されコントロールされてしまう悲しみを描いているのかと思いました。
けれども詩の後半は、求めることをやめて与え、捧げることに力を注ぐようになって、逆説的に自己が満たされ、他者の餌食になることを免れるという境地が開かれていきます。これは本当にそうなのかもしれないですね。
深いメッセージ性とユニークな表現を兼ね備えた良い作品だと思いました。評価は佳作です。
●温泉郷さん「青の孤独」
温泉郷さん、改めまして免許皆伝おめでとうございます。この作品はまず設定からしてユニークです。最初は何のことを書いているのかよく分からなかったのですが、読み進めていくうちにようやくこれは虹のことを描いているのだと分かりました。虹の弧を7つのレーンからなる半周だけの陸上競技のトラックにたとえ、そこを7色の選手たちが走っていくというイメージはとても楽しいですね。ユーモラスでほのぼのとした描写からしんみりとした結末まで導いていく構成も良いと思いました。
一般に虹の七色は赤、橙、黄、緑、青、藍、紫とされますが、各色がそれぞれの色を持つ野菜や果物で表現されている中で、青だけが異色です。この第五走者だけが人工物(青色ダイオード)であり、「エース」や「シリウスの水滴」と呼ばれるように強い輝きを放ちますが、他の6色とはなじまない様子が描かれていきます。
全体としてこれは雨上がりの空にかかった虹がやがて夕空の中に消えていく様子を描いていると思われますが、なぜ青だけ異質なものとして描かれているのか、いろいろ考えましたが結局は分かりませんでした。実際青い花はありますが、青い野菜や果物は思いつきません。虹は人間社会における多様性のシンボルとしても使われますが、多様化していく社会における孤独を表そうとしたのか、とも思いました。様々な解釈の可能性に開かれているという意味においても、味わい深い詩であると思います。
私が温泉郷さんの評を担当させていただく最後の作品となりましたが、締めくくりにふさわしい、読み応えのある詩をありがとうございました。評価は佳作です。
*
以上、6篇でした。今回も素敵な詩との出会いを感謝します。
太陽の方ばかり見ていたから
花が終わって首が垂れるまで
自分の影がこんなに長いなんて
気づかなかった
花の頃は夕日に
また明日会いましょうと言えたけれど
今は自分の影を見て
こんなに長かったのだと
こんなに濃かったのだと
驚いて
一人で笑った
花の頃の鮮やかな黄色と緑
そして今は全身黄土色
でもあの頃も今も不思議だけど
自分が好きよ
無くしたもの
いっぱいあるけど
見つけたものも
いっぱいあるの
そんな私の黄土色の秋を
誰かが見つけてこう言った
黄金色の豊かな季節だねって
なじみの古書店で物色していると、電話で応対する店主の声が聞こえてきた。先方は
故人の蔵書の整理をしたいらしい。画集・美術全集の類を多く持っており、そこそこの
値がつくことを期待している様子だ。店主の返答は、丁寧ではあるが、つれないものだ
った。昨今は、インターネットを通じて、数々の名画・彫刻に触れることができるので
図版を売り物にした美術関係の古書はさっぱり売れない、と言うのである。学生時分、
高価な美術書に手が出せず、図書館で閲覧したり、知人から貸してもらったりした経験
と比べると、ずいぶん手軽に作品にアクセスできるようになったものである。
ただ、同時に漠然とした疑問も浮かんでくる。今や複製技術全盛の時代にあって、一人
の鑑賞者が一つの作品と出会う体験は、ますます希薄に「味気のない」ものになっては
いないだろうか。もちろん、インターネットであれ、書籍であれ、複製されたものを鑑
賞するのだから、大した違いはない、とする向きもあるだろう。確かに、それらは「本物」
と実際に向き合うことへと導く、通過点に過ぎないかもしれない。
そういった意見も承知の上で、書籍を通して出会った作品と、その受け手の間には
インターネットでの鑑賞に比べて、遥かに親密な関係が生まれやすい、と敢えて言いた
いのである。広く公開されたWebサイト上で見つけた絵画や彫刻を「自分だけに送ら
れたメッセージ」と思い込む、いや、誤解することがあり得るだろうか。やすやすと見
つけて手軽に入手できるようになった半面、失われたものがあるとすれば、この「誤解」
ではなかろうか。
無論、書籍も公に出版されたものである以上、自分一人にだけ向けられたものではな
い。しかし、そのことを十分にわかってはいても、ようやく手に入れた大判の美術書の
一ページ、一ページをめくりながら、それぞれの作品につけられた解説者のコメントを
頼りに、画家や彫刻家の秘められたメッセージを受け取ろうと熱中するとき、この作品
は自分だけのもの、と思いたい「誘惑」から逃れるのは難しい。自室で本物の絵画を愉
しむ個人コレクターの心理と似ているかもしれない。そして、はるか昔に遠い国で創造
された芸術作品と自分がめぐり逢ったことに「不思議な運命」を感じるだろう。
冒頭にかえって、結局、店主はできる限りの値をつけて、画集と美術全集を引き取っ
たとのことである。その話によると、故人は家業を顧みず、道楽で絵を描いていたが、
死後、家族にほとんど処分されてしまった。ところが、ただ一枚残された自画像を見る
と、とてもアマチュアが描いたとは思えず、大胆にデフォルメされた構図の中に、世俗
に背を向けた故人の意気地が、鬱勃と脈打っていたそうである。
当時とすれば、相当高価な美術書の収集にも余念がなく、日本の仏像彫刻から西洋の
近代絵画まで、幅広い関心を持っていたと見え、技法の習得と背景知識の摂取に役立て
ていたようだ。
ただ、所蔵していた他の全集には、欠本がなかった中で、唯一、全二十巻のうち、数
巻しか残されていないものがあった。各国の美術館ごとに、名品を訪ね歩くシリーズで、
ちょうど最初の五巻まで配本されたところで途切れていたのである。その旅が、フラ
ンス、イタリアを経てギリシアにさしかかったとき、当人の突然の死で、購入が中断さ
れたらしい。
そして、最後となったギリシアの巻には、あるページに紙片が挟まっていた。海底か
ら見つかったゼウスのブロンズ像を掲載したページで、紙片には次の詩が書かれていた
という:
ゼウス像
果たして、古代の彫刻家は
想像できたであろうか?
丹精込めて作り上げた
ゼウス像が、こともあろうに
エーゲ海の底に沈み
やがて二千年の時を経て
再び地上に蘇るなどということを…
それだけではない
まさに、その
大胆で力強いゼウスが
書物の翼に乗って
彫刻家の母国から、はるか遠く離れた
極東の島国の
武蔵野の中に棲む
孤独な絵描きの わたしに
めぐり逢うなどということを…
そして
雷霆を投げようとして
左足を前方に踏み出し
右腕を大きく振りかぶる
ゼウスのダイナミックなポーズに
わたしが見惚れている、ちょうど今このとき
アトリエに差し込む日差しが
にわかに弱まり
窓外に見える空には
黒雲が湧き起ったかと思うと
高き欅の木々の梢に
稲妻が閃いている
どうやらゼウスが
この草深き野にも
春を告げる雷を
投げ放ったと見える
思うに、店主が蔵書を引き取ることにしたのは、芸術と書物を愛した故人への手向け
だったに違いない。(了)
底なし沼のような公園の砂浜の上で泣きながら座り込んでいた。
僕は今、
人生の砂漠に焼け焦がれされて、
皮膚がじゅくじゅくとただれはじめていた。
僕に課せられた業火の重荷を感じていた。
もう来なくていい、
鬼火のような閻魔の一言が、
永遠に消えないロウソクの火のように、
僕の脳内で燻り続けていた。
僕はほんとうに存在するのか、
僕の見ているものは本当に他の人と同じなのか。
物思いを火花のような歓声が打ち破った。
黒点のような人だかりができていた。
青年がギターを片手に、
燃え盛るように熱唱していた。
熱気が広がり、歓声は花火大会のように大きくなった。
僕は生まれてはじめて真の意味で生きている人を見た。
記憶が火炎放射器の放つ炎のように溢れてきた。
仲間とバンドを組んでいたこと、
ロックスターを夢見ていたこと、
夢を諦めて就職したこと。
僕は聖火リレーのランナーのようなダッシュで部屋に引き返すと、
押し入れにしまっていたあざやかな赤いギターを取り出した。
生まれたてのりんごを齧って僕も君もご満悦
生まれたてのりんごは初々しくて恥ずかしがっていたけど
そんなことは関係なしに一番にかじりついたのは僕だった
この世界のイルカの好物はりんごで君から与えたりんごで
イルカは見事なショーを見せてくれた
世界の中にりんごがあるから世界が齧ったりんごの隙間から
朝焼けが見えて神様がそこから覗いているような厳かな気持ちになった
りんごのある世界の僕とりんごのない世界の僕がお互い見つめ合っている
なにもかもがおなじに見えて少し違うその違いは今から数十年後にわかるかもしれない
わかったとしても気づかないほどの違いだろうからあまり意味はない
君にとってりんごは重要だ 君の好物はりんごだから
りんごは甘いか辛いかりんごを食べる前の君にはわからない
君は不安がっているが結局思い切ってかぶりついた
それはとても美味しいりんごだった
君は喜んでそれを平らげ学校へ向かう 今日のテストの結果はきっと良いだろう
世界は君にはやさしくて僕には厳しいようだ
僕の齧ったりんごには虫食いの穴があって
そこから虫が顔を出していた
僕は顔をしかめてりんごを放り投げた
ゆっくりと放物線を描いたりんごは生ごみを入れるくずかごにすとんと入った
僕は世界を少し呪わなければならなかった
そのころ君はテストの結果がよかったらしく神様に感謝していた
世界がりんごを好きなのか嫌いなのかはどちらの可能性も秘めているとしか言いようがない
井嶋りゅう様 祝辞をいただき、ありがとうございました。私の最初の投稿の評者が井嶋さまでした。こんな作品を送っていいものかと迷いつつ、思い切って投稿したら、とても暖かくも深い感想をいただき、以降投稿しようという勇気をいただきました。今後とも、よろしくお願い申し上げます。
温泉郷さま。
この度は免許皆伝おめでとうございます!
温泉郷さまは、初めていらした時からお上手でした。
あっという間の皆伝、頷けますね。
これからもどうぞ宜しくお願いいたします。
島秀生様、富士伊真夜様、秋冬様、澤一織様、山本葉月様、三浦志郎様、水無川渉様、荻座利守様、まるまる様、山雀ぐり様、瀬未様、かすみじゅん様、滝本政博様、秋さやか様、上田一眞様、田志健斗様、青島江里様、じじいじじい様、皆様
この度は、免許皆伝をいただき、暖かい祝辞を頂戴いたしまして、誠にありがとうございました!島様をはじめとする評者の皆様には、実に丁寧なご指導をいただき、心より感謝申し上げます。また、いつもすばらしい作品を読ませていただいているMY DEARの諸先輩方、同伴いただき、大いに勉強させていただいている投稿者の皆様にも、厚く御礼申し上げます。投稿して評をいただくという緊張に満ちながらも楽しかった時間が終わってしまうのは、不安で、寂しくもありますが、これからは、MY DEARの投稿作品として、恥ずかしくないような詩作を心がけたく存じます。なお、今後は、筆名を「杉森ひでお」と改めたく存じます。今後とも、よろしくお願い申し上げます。