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藁葺き茶屋のお昼時
輪切りにされた
せごしのやまめ
ぴくぴく動く
ぴくぴく動く
消えゆく命
ぴくぴく動く
骨切りされた
せごしのやまめ
口をぱくぱく
口をぱくぱく
食われる切り身
口をぱくぱく
紅葉過ぎて 人気も疎ら
淋しい冬の長門峡
尾頭のみの
せごしのやまめ
遠い山里 時は流れて
お待たせいたしました。12/16~18ご投稿分の感想と評です。コメントで提示している解釈やアドバイスはあくまでも私の個人的意見ですので、作者の意図とは食い違っていることがあるかもしれません。そもそも詩の解釈に「正解」はありませんので、参考程度に受け止めていただけたらと思います。
なお私は詩を読む時には作品中の一人称(語り手)と作者ご本人とは区別して、たとえ作者の実体験に基づいた詩であっても、あくまでも独立した文学作品として読んでいますので、作品中の語り手については、「私」のように鉤括弧を付けて表記しています。
●ゆづはさん「夜明けの狭間」
ゆづはさん、こんにちは。今回の詩もゆづはさんの他の作品に見られるような、ややダークで幻想的な雰囲気のものですね。内容的には夜明け前の夢うつつの状態の意識を描写しているのだと思います。
夜の夢の中で「私」を訪れる暗いイメージや感情が「猛獣」と表現されているのでしょう。それは「私」の無意識から湧き上がってくる、「私」自身の潜在的な思いではないかと解釈しました。
「私」は不思議と「猛獣」に恐怖は感じず、それを鎮めようとします。それは一度は去っていきますが、またこっそりと忍び寄ってきて、身を寄せてくる。その「猛獣」は朝が来て日常の生活が始まるといなくなりますが、孤独な「私」はその温もりを愛おしく思っているのではないか、と感じました。最初から最後まで「猛獣」の姿は見えず、ただ声や気配、温もりといった視覚以外の感覚を通して描写されているのも、そのとらえどころのない存在感をよく表していると思いました。
1箇所読んでいて引っかかったのは第5連の最後の2行「朝の淡い光に/瞳を細めながら」とある部分です。前の連では「私」はまだ闇の中にあり、次の連で初めて目を開けますので、5連で「朝の淡い光」が出てくるのは時間的に順序が混乱しているように感じてしまいました。また、もし上に書いた私の解釈が正しければ、「猛獣」は夜の闇の中でしか棲息しない生き物ですので、ここはたとえば「朝の淡い光が/差し込むその瞬間まで」のように変えてみると良いのではないかと思いました。ゆづはさんの意図と違っていたらすみません。一つのアイデアとして参考にしてください。
全体的にとても好きな作品です。これまで拝見させていただいた作品より、詩の焦点がはっきりしている気がします。上の点を考慮していただくことを条件に、佳作とさせていただきます。
●aristotles200さん「存在の螺旋」
aristotles200さん、こんにちは。今回もaristotles200さん節全開の哲学詩で楽しませていただきました。
この作品は3部構成で、I.「帰還」、II.「否定」、III.「肯定」となっています。第I部では人間を含めた生物全般が生きることは必然的に他者を犠牲にする悪を含んでいるという考察がなされますが、第II部では第I部で提出されたような善悪の観念そのものを否定するメタ的な論理が展開され、すべては無意味だと主張されます。最後の第III部では、これまでの考察を受けて、すべての存在は無意味であるとの理解に立つ時、逆説的にすべてを肯定することができるという洞察に落ち着きます。これは世界の不条理を認めつつ、それを引き受けて生きることを求める、実存主義的な思想を表しているように思いました。タイトルの「螺旋」はそのような、一周回って別のレベルに立っている状態を言うのでしょう。
aristotles200さんの作品の良いところは、抽象的な思考を出発点としながらも、必ずどこかで具体的な生活の場面に話を着地させてくるところだと思います。今回の作品でも最後の部分では朝の駅の通勤風景につながって終わっているのが良かったです。ただし、なぜ大阪駅を「Gare d’Osaka」とフランス語で表記したのか、そもそもなぜ大阪駅なのか、その真意までは掴みきれませんでした。同じ大阪の心斎橋のビッグステップという施設にはカーブしたエスカレーターがあるそうですが、それも完全な螺旋にはなっていないようです。もちろん、たまたま「私」がそこにいたということかもしれませんし、本作品の内容からすると、そこに「意味」を求めてはいけないのかもしれませんが……
今回読んでいて違和感を覚えたのは、第I部の「帰還」というタイトルです。このタイトルだけ読むと、このパートでは語り手がどこか別の所から帰還してきたことを描いているのかと思いましたが、そうではありません。パート最終連に「カオス、混沌の世界よ/私は戻りたいと思うのだ/世界が始まる前の、原初の存在へ」とあるように、生物(それに伴う悪)が生まれる前の始原の状態への帰還を願っていることが分かります。では第III部でその「帰還」が果たされるのかというと、そうでもないように思います。第III部で描かれているのは始原の状態への帰還ではなく、現にあるがままの世界を肯定するということだからです。
したがって、第I部の「帰還」は別のタイトルに変えたほうがいいと思います。ただそうすると、面倒かもしれませんが他のパートのタイトルも連動して変える必要が出てくるかもしれません。いっそのこと、各パートはタイトルなしでローマ数字だけでも良いかもしれないとも思います。とても読み応えのある良い作品だと思いますが、タイトルは大切な詩の一部ですので、この点考えてみてください。評価は佳作一歩前です。
●トキ・ケッコウさん「或るカナリアの歌」
トキ・ケッコウさん、こんにちは。この詩の主人公は炭鉱のカナリアですね。昔の炭鉱では有毒ガスの発生を知らせるためにカナリアを坑道に入れておき、鳥の元気がなくなると危険を察知した坑夫たちはすぐに避難したそうです。文学の世界ではカート・ヴォネガットが炭鉱のカナリアのたとえを使って有名になりました。彼によると、作家や芸術家は社会の歪みを敏感に感じ取って知らせるカナリアのような存在だということです。
本作品ではカナリアの「僕」と坑夫長のセバスチャンの心の触れ合いを描く部分が大半を占めています。「セバスチャン」という名前から、外国が舞台として想定されていることが分かりますが、これはおそらく現代日本社会のさまざまな矛盾に苦しむ敏感な人々(もしかしたら詩人でしょうか)を描いているのでしょう。そのことは、*で区切られた第4部で突如日本の駒込の描写が挟み込まれることから分かります。作者の意図とは異なっているかもしれませんが、私はJapan Tokyo komagomeやsushi barという英語表記から、戦後GHQに接収され、東京裁判の被告人を収容していた巣鴨刑務所を連想しました(巣鴨刑務所は駒込のすぐ近くにありました)。したがって、この部分に出てくる男女は直接戦犯として裁かれているとは言えなくても、何かしらの形で連合国の支配の影響を受けていた人々と言えるのかもしれません。(ところで、komagomeの語頭のkが大文字になっていないのは意図的なものでしょうか? sushi barも行頭に来るのでSushi barとした方が良いと思います。)
この作品では人称表記が使い分けられています。メインの語り手であるカナリアは「僕」と表記されていますが、第5部では「ボク」が「あなた」に語りかけています。ここの「あなた」が死んでしまったカナリアの「僕」であり、「ボク」は「僕」に代わって新しく有毒ガスの見張り役を務める別のカナリアではないかと思います。社会においてカナリアの役割を果たすのは弱くて繊細な人々であり、ゆえに誰よりも先に犠牲になる存在ですが、一人が倒れても、その働きは世代を超えて受け継がれていく、そんな希望を感じることができました。
細かい形式的なことをコメントしますと、この作品は基本的には行分け詩の形式で書かれていますが、ところどころ非常に長い行があります。行分けパートと散文詩パートに意図的に分けているわけでもなさそうですので、あまりアンバランスにならないように行分けしてみるとぱっと見渡した時の印象も良くなると思います。詩においてはレイアウト的な部分も作品の一部ですので、ご一考ください。また、「‥‥」の表現は三点リーダーを2つ重ねて「……」と表記するのが一般的だと思います。
感動的な大作をありがとうございました。評価は佳作です。
●荒木章太郎さん「戦争」
荒木さん、こんにちは。この作品はそのものずばりのタイトルで、戦争についてストレートに書かれています。ところで、MY DEARではさまざまな政治的立場の方がおられると思いますし、各自がそれぞれの立場に基づいた詩を投稿するのも自由だと思います。したがって、私も評を書く際には思想信条への賛否によって詩の評価を上げ下げすることはしないように心がけています。そのことをお断りした上で個人的な感想を書きますと、戦争というものが単純な悪意からではなく、自分を守るための「正義感」が醸成されていった結果もたらされる、ということはまさにそのとおりだと思います。
本作品で「専守防衛の癖がつくと」というフレーズが繰り返されますので、作者にとっては鍵となる概念だと思います。2回繰り返されるどちらの箇所でも、「専守防衛の癖がつくと」結局は戦争になると語られます。「専守防衛」なのになぜ戦争になるのか。一見意味をなさないように思えますが、「自分たちは他国を攻撃しない。自らを守るためだけに軍事力を保有しているのだ」という論理は成り立たないのだ、ということかと思います。実際には攻撃を受けていなくても、他国に潜在的な「脅威」を見出して先制攻撃するということは十分にありえますね。
内容的に語られていることは一貫しており、説得力もあると思います。異論はあるかもしれませんが、個人的には賛同さえします。けれどもその上であえて申し上げると、詩作品としては何らかのプラスアルファがほしい、と思うのです。これは島さんも常々評で言っておられることですが、抽象的で一般的な「論」だけだと詩としては物足りないものになってしまいます。もちろん「論」があっても良いのですが、その上でそれをより具体的な個人の人生や感情に結びつけていくと、詩としてより力強いものになっていくと思います。ご一考ください。評価は佳作半歩前になります。
●喜太郎さん「雪国」
喜太郎さん、こんにちは。この詩はこれまでの喜太郎さんの作風とは少し異なるユニークな作品ですね。昔話に出てくるような、地方のお年寄り風の語り口で北国の冬について語られていきます。私は知りませんでしたが、詩中で使われる「ほだども」は秋田弁のようですね。この手法は人によって評価が分かれるかもしれませんし、多用しすぎるとくどくなりますが、私は今回の作品に限っては新鮮で良いと思いました。
内容は、北国の冬の厳しさについて語られていきます。私自身そうですが、北国を知らない他の地方の人間は、雪国の厳しい冬について、どことなくロマンチックな幻想を抱いてしまいがちなものだと思います。けれどもこの作品は冒頭から
北国の冬はな
白くはないんじゃ
灰色
空は灰色で
海も青くはないんじゃ
灰色に白い波頭が混ざるだけじゃ
とそんな甘ったるいイメージを打ち砕いてくれます。この導入はとても良いと思いました。これだけで北国の寒々とした暗い情景が目に浮かんできます。実際に作者が北国出身なのかは分かりませんが、とても説得力があるように思いました。
実際の北国の冬の暮らしは厳しく辛い。けれどもそんな寒さの中で心が熱く燃えるような恋愛がある……。この部分は、喜太郎さんがよく書かれる恋愛詩にもつながる気がしました。ここをもっと膨らませていただいて、北国の厳しい冬の中で育まれる恋物語も読んでみたいと思いました。
一点だけコメントしますと、タイトルが「雪国」となっているのに少し違和感がありました。本文には「雪国」という言葉は一度も使われず、一貫して「北国」と書かれています。たしかに雪についても書かれていますが、それがメインでもないようです。したがって、タイトルを「北国の冬」とするか、本文で雪についてもっと書き加えるかした方が良いと思います。ご一考ください。
短いけれども印象に残る作品でした。寒いこの季節にもぴったりだと思います。評価は佳作です。
●相野零次さん「終わらない世界」
相野さん、こんにちは。「世界の終わり」について書かれた作品はいろいろありますが、この詩は「終わらない世界」について書かれていますね。
この作品では異なる人称が使い分けられています。詩のメインの語り手は「僕」です。「我々」もこの「僕」を含んでいるのでしょう。これとは別に第4連では「私」が使われていますが、この「私」は世界のことであると思います。
この作品は端的に言えば(少なくともメインのパートでは)世界観について語っている詩であると私は解釈しました。私たちが自分たちの生きる世界をどう認識するかによって世界はその様相を変え、恐ろしい場所にも安心できる場所にもなります。このことをこの詩では「世界が来る」と表現しています。そして私たちの認識が変化すればそれについて世界も変わる。たとえ世界が永遠の昔から定められていたかのような顔をしてやって来たとしても、実際には世界に対する見方は瞬時に変化することもあります。第6連の「世界は三分で出来上がり/宇宙を回し続けるんだ」という詩行は、このことを表したユニークな表現と受け取りました。この連では「三分」をカップヌードルやウルトラマンに結びつけるといった、あえて陳腐な表現を用いて軽みを出しているのも良いと思います。
このようにして私たちが世界を繰り返し認識し直していくたびに世界は新たな顔で私たちを訪れる。その繰り返しは終わることがない……というのが、この詩のメインの部分で語られている内容だと思います。けれどもこの詩の面白いのは、それで終わらず最後にどんでん返しが来ることです。
最後から2連目で「僕」は目を覚まし、これまでの内容が夢であったことを悟ります。しかもそれは「キーボードを叩いて」創り出す(詩)作品であった、と語ることで、これまで語ってきた内容から二重に自己を遠ざけています。
そして最終行「僕は背中に世界からの視線を感じた」。ここで、詩の大部分で語られてきた主観主義的な世界観がひっくり返されます。それまでは「僕」が世界をどう見るかが問題だったのに、「僕」は逆に世界から見られていることを感じます。「世界は本人のものの見方次第だ」という単純な考えでは捉えきれない形で、世界が思わぬリアリティを持ってたち現れます。「僕」が世界についての考察をやめても世界は終わらない。では世界とは何なのか? この詩はその答えを宙吊りにしたまま終わりますが、これは意図的なものなのでしょう。
世界の認識についてユニークな視点で切り込んだ作品として、面白く読ませていただきました。評価は佳作です。
●多年音さん「雷鳴」
多年音さん、こんにちは。この作品は、表面上は黒雲から雷が落ちてくる様子を眺めているだけのように見えますが、これは人間社会のメタファーになっているのだと思います。そのことは2連目に出てくる「空に浮かんだ人々の穢れ」という表現が暗示しています。
社会の矛盾、不正や腐敗が溜まりたまってくると、最終的にそれは何らかの形で暴発するようになるのだと思います。そしてその犠牲になる人も出てくる。実際に雷に撃たれて死ぬ人は少数でしょうが、たとえば戦争や革命のような大激変が起こると、多くの人々の人生が狂わされてしまいますね。その影響が自分の身に及んでこないとは限らない、そんな不安が冒頭の「無防備でなくとも/自分に落ちる予感がする」という2行に表現されていると思います。
語り手はそんな暗い思いで雷雲を眺めながらも、その後に青空が広がり鳥の声が聞こえるようになることを期待しています。私は最初この詩を読んだ時に、少し受動的な印象を受けました。悪い社会を主体的に変革することをせずに、ただ時局が好転するのを待っているというのは消極的すぎるのではと思ったのです。けれども何回も読み返しているうちに印象が変わってきました。
多くの人々にとって、自分が何をしても社会は変わらないという諦めに似た絶望感や無力感があるのかもしれません。そうであればできることは、ただ時代が良くなっていくことを願いながら「待つ」ことしかできないのかもしれません。たとえそのような「解決」が、社会の悪が限界に達して爆発するということによってしかもたらされないのだとしても。最終連は、そんなやるせない諦念を表しているのかもしれない、と考えると、この詩はより深い味わいとともに読めるようになりました。
短いですが印象に残る詩をありがとうございます。評価は佳作です。
*
以上、7篇でした。今年もMY DEARでは島さんはじめ多くの方々にお世話になりました。たくさんの素晴らしい詩との出会いを感謝します。みなさまにとって新しい年が幸多き一年となりますよう、祈念いたします。
同じ漢字をなぞる。声に出して読む。ノートに書き写す。間違った問題を見返す。地道な努力が嫌いな僕はどれも出来なかった。
再現性がなければ、それは学んだと言わないのだ。誰かの厳しい声がこだまする。
なだらかな朝日の色を
絵の具で作るように
あの日作れた色に
僕は満足した。
あの時は
何色と何色をどのくらい混ぜたのか
思い出しながら重ねていく。
あの朝色を超えた先の色を夢見て。
ゆっくりと横に広い成長曲線
一般に示される
急に勾配が高くなる曲線とは
だいぶ違う成長曲線だ。
少しでも上がって欲しい
少しでも
そんな気持ちのまま作った
朝日の色は
優しい赤色と悔しい赤色を
混ぜたような気持ちをにじませた色。
また朝を繰り返す
また朝に戻るような
そんなことばかり繰り返しながら
行ったり来たりしている。
朝日色の海から筆で今をなぞる。
書き上げた後に
右肩上がりに書いた筆名が誇らしげ。
そんな時はきっと新しい朝なのだ。
【挨拶】
評者の皆様、他の投稿者の皆様。今年もお世話になりました。
来年もよろしくお願いします。
二月から本格復帰したいと思いますので、その際はよろしくお願いいたします。
良いお年を。
皆様、体調に気をつけて、良い新年をお迎え下さい。
皆様の頭上から、たくさんの幸せが降り注ぐ事を心より願っております。
来年もまだまだ未熟者ですが、よろしくお願い申し上げます。
初めての恋
初めての彼
初めてばかり
付き合い始めても
なんで不安なことや
切ない気持ちは
消えてはくれないの?
束縛?嫉妬?こんな私が嫌になるよ
あなたの心の中がもしも見えたなら
そこに私の居場所は出来ましたか?
少しでもいいから
私の事を思ってくれたりしていますか?
不安も感じない実感も消えないまま
初めて二人で出かけた人混みの中
「あの………逸れないように手を………繋いでいい?」
俯きながらあなたが小さく呟いた
そっと差し出した私の右手を
あなたの左手は優しく包んでくれた
大きくて温かくって少し震えてて
ぎこちなくあなたはそっと指を絡めて握ってくれた
あっ!わたしはこの人に好かれているんだ
繋がれた手と手から伝わる不思議な感覚
あなたの心の中が見えた気がしたの
そこには私の居場所がちゃんとあって
あなたは私の事を好きでいてくれて
手を繋ぎたいと形にして伝えてくれた
私の頬を自然と涙が流れてる
嬉しくて嫉妬も何もかも吹き飛んで
私はあなたに好かれているんだと心が感じてる
あなたが心を伝えてくれている
驚いたあなたは人混みの中
あたふたしてるけれど大丈夫だよ
私の心の中であなたが溢れてる
きっとあなたの心の中も
私が………
時代のスピードにも、値上げラッシュのスピードにも、置いてけぼりを食らいそうな、
激動の一年だった気がします。
ともあれ、今年も一年、乗り切りました。皆様お疲れ様でした。
そして、一年間、MY DEARとMY DEARの掲示板ご利用、ありがとうございました。
心より御礼申し上げます。
皆さん、どうぞ良いお年をお迎え下さい。
2026年が、皆さんに幸多き年でありますように。
眩しすぎるイルミネーションの日々
夜空に広がっていた神話は
更新されないまま
静かに消去された
白夜仕様のベッドに
僕はうつ伏せに飛び込んだ
眠りは浅く闇に沈めない
魂が跳ねている
存在は軽量化されて
数値に変換された
比較可能な単位へと解体された
哲学を重石にして
沈もうとする
だが
深度は制限されている
そこは
無意識と呼ぶには
あまりに明るい
巨大な企業が空を覆い
名もなき群れが
互いを評価し
互いを是正し
互いの正しさを
黙って見張っている
監視カメラに守られていた
光は安全で清潔で善意だ
感情でさえ
最適化され
記録され
効率よく
流通してゆく
底は糠床になっていた
前世紀までの記憶は黄ばんだ鉄屑となり
意味も由来も失ったまま
絶望の縁で発酵し続けていた
現実と本能が混ざり
酸味とカビの匂いが立ちのぼる
実存と認識が溶け合い
涙と血の味が
言語化を拒んでいた
ここはこころ
だが
内面ですら完全には
照らしきれていない
魂は
肉体に宿るのではない
心に宿る――
どこかで
まだ信じている
心は宇宙
測定される前の
沈黙を抱え
光の届かない
あたたかな襞が
蠕動している
母親の手で糠床を
掻き回しているような動きだ
そこは魂の通り道
そこでは
管理も
評価も
まだ
息を潜めている
そして
名もなく
声もなく
それでも確かに
希望が胎動していた
⚪︎都合によりお先に失礼致します。
「むぐつちよ」萩原蔵王さん
萩原さん、こんにちは。お待たせいたしました。こちら青空の一日です。
ご投稿ありがとうございます。作品拝見いたしました。
こちらは古語調の作品で、そのためひらがなで統一して書かれたのかなと解釈しました。古語調で書くことについて、この掲示板のルールには特になかったので、このまま拝見します。和歌が得意な方だともっと深く読み取れるかもしれませんが、私の知識の範囲で読ませていただきましたのでその点はご理解いただけると嬉しいです。
「むぐつち」が何かということが実はわかりませんでした。ただ、これは呼びかけになっているため、固有名詞なのかなと想像します。そうするとこれが何かよりも、これに何を伝えているかの方がこの作品の核となると思います。
一連目、この連はどんな荒波からも守って、という言葉から始まります。真砂という儚さをもつ浜辺をも守って、そうしているうちに春が訪れるのかしらという問い。そして二連目には喧騒の中で耐える桜の蕾や泣き出しそうになりながらもほころんでいこうとする梅の花に心を寄せながら、それでも万物に自然に春は訪れるのかしら、という風に解釈しました。この作品には直接書かれていませんが、心の揺れがとても美しく見え隠れしています。それと日本語の持つ特有の美しさと細やかな心の機微が込められています。さまざまに解釈できますが、例えば、受験期にも当てはめられますし、もっと大きな世界への祈りと考えることもできます。古語というのは本当に美しい日本語だなと改めて感じました。「むめのはな」「あにかなしや」などなんだか色彩までもが日本古来の色が重なるようでした。
「傘花」上原有栖さん
上原さん、こんにちは。お待たせしました。
とても素敵なタイトルですね。これもまた日本語って美しいなって思える「傘」という漢字です。そして、私事ですが、最近とてもきれいな傘をいただいたんです。花模様なんですが、骨の形が花になっていて、それで、このタイトルとピッタリあっていてとても嬉しくなりました。
そしてそのタイトル以上に素敵な内容の作品で、これはなんだか年末に大きな花束をいただいたような気持ちになる作品です。佳作です。とても素敵です。
直すところはないです。このままで。
内容ももちろん素敵なのですが、姿の良い詩ですね。さっと上から下まで最初に眺めたときに「きれいな作品だな」という印象を持ちました。これは行の長さ、連のバランス、そして漢字の位置やひらがなとの配分、などいろんな要因が重なった結果だと思いますし、そこまで意識せずに書かれたと思います。ただ、なんとなく書いてもそういう感じになるというのは、やっぱり上原さんの実力だと思います。詩自体が美しく咲く傘花たちのようになっていて、そこに雨の粒、虹、光、そして希望が見える作品でした。
:::::
明日は大晦日となりました。今年も大変お世話になりました。
スケジュール帳(にメモがある)をさっと読み返しながら、今年もたくさんの方の良い作品と出会ったなと感慨深いです。皆様、本当にありがとうございました。
年末に悲しいお知らせをいただきましたが、今日は評を書きながら、気付くと「Kazu.さん、今回も良い作品を拝見できて幸せなだよね」なんてKazu.さんに心の中で話しかけていました。きっと他の評者の方も同じお気持ちかななんて思っております。私たちはずっと忘れませんよね。
皆様、お幸せにお健やかに新しい年をお迎えになるよう心からお祈りいたしております。
こんばんは
わたしはドリー
女の子の姿をしたお人形
大きな瞳が可愛いでしょう
身体は球体関節だから
他のお友達より驚くほどしなやかに動くの
ご主人様が思い描く
どんなポーズだってとれるわ ほらね
ドリーの名前の由来は
人形の英語 ドール(Doll)からきてるの
みんな可愛いと褒めてくれる
でもね
所詮は人の姿を模したもの
どんなにお顔が可愛くても
どんなに衣装を着飾っても
わたしの腕に血液は流れていないし
わたしの髪は化学繊維を束ねたかつら
微笑みは蜘蛛の巣みたいに張り付いている
ドリーも聞き役じゃなくて
ご主人様と一緒にお話ししたいな
ドリーもお留守番しないで
ご主人様と一緒に旅行したいな
ドリーも素敵なドレスを着て
ご主人様と一緒にディナーを食べたいな
あのね
人の身体の中には
重さ21gの魂があるんだって
とても軽い 軽いわね
でもそれが
ヒトをヒトたらしめているのね
わたしたち人形には決して無いもの
魂が抜けた亡骸は
ドリーと同じ人形みたいに見えるのかしら
その姿はわたしみたいに可愛いかしら
魂って
どんな形をしているの
どんな色をしているの
ドリーの話を聞いてくれてありがとう
もうすぐ夜明け
ご主人様が部屋から降りてくるわ
わたしはドリー 人形のドリー
夜中にやって来たあなたは
わたしの声が聞こえるのね
夜中にやって来たあなたは
あなたは、だあれ?
*********
・球体関節人形:BJD(Ball Jointed Doll)人形
手足などの関節部分が球体になっていて
ゴム(テンションゴム)やSカンで繋ぎ合わされ、
人間のように滑らかにポージングできる人形。
カスタマイズ性がとても高く、メイク、目の大きさ、
かつら、衣装などを自由に取り替えて自分好みの
人形を製作できる。
・魂の重さ21gについて
米マサチューセッツ州の医師、ダンカン・マクドゥーガル(1866〜1920)が提唱した。
死にゆく人間の体重変化を記録することで「魂の重さ」を計測しようとした実験から。
オカルトの一種。
参照リンク↓
https://www.discoveryjapan.jp/news/k5d7eiub2cie/
鍋に沈めた黒豆から
水面に色が溶け出し
音もなく 滲み広がる
じっくりと時を重ね
立ち昇る湯気の向こう
色は淡く 輪郭を失い
記憶の底へと透けてゆく
ことこと 静かな熱の調べ
ふつふつ 豆の独り言
満ちる蒸気が
冬の家の体温を灯す
冷たく硬かった芯も
やがてほどけて
ゆっくりと緩んでゆく
煮込まれた黒豆は
再びその色を纏うけれど
もう以前のような
頑なな黒ではない
一粒一粒が
内側から柔らかな光を放ち
新たな艶を湛え始める