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青島 江里さま 評ありがとうございます
君や君たちのなかには人間に限らず花や木、虫や小動物たちも含まれています。
どちらかというと自然に関連する名前に対する詩です。
人が両親から授かったというよりも子供も親も含めた全てのものたちが
誰か……例えば神様から授かったものという感じです。
人間よりずっと偉い神様が全ての存在に授けた名前といえばいいのかな?
人間を中心にすえると解釈が違ってきて、
青島さまの解釈が正しいといいますか、僕の解釈が描き切れていないのだと思います。
自分が書いた詩に対して、雰囲気だけで解釈してしまう癖が僕にはあるんだと思います。
もっと細かい部分をしっかり見つめていこうと思います。
こんにちは。上田です。
今回の三浦さんから頂戴した評にはたいそう勇気づけられました。
自分の中にも「聞き書き」が果たして詩になるのか。詩的純度を捨てた詩に価値があるのか。疑問があります。抒情を醸す才能に乏しいことからこのような作品に向かう、ということもあります。
一方で昭和精神史を大学で専攻したこともあって、父母の時代を知りたい、あの時代の人間の精神構造を知りたいと、強く思ってもいました。
大学時代、「荒地」の詩人達を知り、詩を持って自分のこころを表現することに思い至りました。長い社会人生活中ではできなかった詩作、ようやくペンを取るとテーマやはり父母の時代に戻っています。そんな折投稿をはじめましたが、評者のお三人に恵まれたとも思っています。
この度のアフターアワーズに書かれた励ましの言葉を糧に頑張りたいと思います。ありがとうございました。
まずは佳作ありがとうございます。
無電柱化の是非を問う姿勢ではない旨も読み取ってくださりありがとうございます。
そうです。肯定も否定もする気はないのです。
それは三浦様があげてくださった是非を語る上での三要件のうち二つは意識的に取り上げていない。
視覚のノイズが減り空が広く見える。その感じ方は間違っていない。
ただ電柱があったことでその恩恵は受けていたし、1連目の風景に懐かしい風景と感じられる思いだって嘘ではないはずで、感じ方は人それぞれになってしまう。
無電柱化を肯定するにしろ、否定するにしろ景観に対する感じ方は人それぞれ……だからこそ、伝え方には工夫が必要だよね。誰だって心の中の青空を悪いものと
誰かに強い言葉で評価されたくはないだろうう……とだけの肯定する気も、否定する気もない姿勢で書きました。
あくまでも、文学的な領域にとどめたいので自分のスタンスはここでは明らかにしませんし、他の方にももちろんお伺いすることもありません。
お互いに同じ青空を見上げて生きる生き物どうし、澄んだ気持ちで好きな空を描けますようにと締めさせていただきます。
ありがとうございました。励みになります。
1 佐々木礫さん 「淡い自我の君」 11/29
大変失礼ですが、具体的には、あまりピンとこなかったのです。 そこで「恋とは不思議なもの」といったひとつのテーゼを用意して読んでみました。事実、この詩には一種の不思議感は漂っていると思います。感知されるのは、この語り手、お相手に対して、遠慮がち、もっと言うと、やや優柔不断。遠くで見つめている感じ。ただし真面目で誠実で丁寧です。それは行間から常に垣間見えます。
それが彼の美点であるかもしれない。ただ、相手の心の不思議、自分の心の不思議、ひいては恋の不思議を考えているかのようです。最後のセリフ。ここに行き着くわけですが、それに至るまでの自分の心の整理、そんな風にも感じています。この詩はあくまで感覚的ということです。
語り手もさることながら、僕はここに綴られた、あるいは語り手にこのように語らせた「君=女性」のポートレートのようなものにも興味がありました。おそらく、無口で静かで水のように心が澄んでいる、そんな女性。タイトルからも、そういったことが知れるのです。これも感覚の世界です。うーん、僕自身は、どうしても“モヤモヤ感”がぬぐい切れず、佳作半歩前で。しかし美しい言葉、行間を持った詩であることは確かです。
2 司 龍之介さん 「心の声を」 11/30
残念ながら、というか、ちょっと淋しいながら、人はこの詩の通りです。正論だと思います。
この詩は順を追って書かれています。初連~2連ですでに結論めいた事が提出されます。以降、各論といった展開。これは良いと思います。3連に来るのが言葉の問題。4~5連では感情の問題。そこで考えられているのがその背景にある、生い立ち、育った環境などから来る先天的・後天的属性の違い。こう考えてくると、初連、2連が充分納得されるのです。そして、「だからこそー」といった感じの総論的最終連です。これを踏まえた上で他者と関わり、社会と関わる。そうすれば、失敗も失望も少ないことでしょう。僕は、この順を踏まえた書き方がとても好きです。噛んでふくめるような説得性を感じます。唯一、惜しいと思うのは正論というか、“まっとう”過ぎて、少し平板なところはありそうです。
具体的事例でも1、2連入れてみると、少しテンションが利くかもしれないです。佳作一歩前で。
3 上田一眞さん 「養母の記憶」 11/30
以前に満州のことやその引き揚げの作品群がありましたが、本作もそれらに連なるもの。連作風な趣があります。もしも詩集を出した場合、ひとつのグルーピングができるでしょう。始まりと終わりがいいですね。何か映画を観ているような心地がします。この詩は回想を綴ったもの。「1」は松脂=航空機代替燃料は聞いたことがあります。「2」「3」は憲兵のことがらです。この兵隊は「泣く子も黙る」、人々を震え上がらせる存在だったでしょう。「3」の事例は、たしか吉村 昭の戦記小説(題名失念)にも、似たようなことが記述されていたのを思い出しました。
「5」 そう、B29は本土以外でも意外と使われていた話は何処かで聞いたことがあります。偵察や雑務ですね。文中「まぁ綺麗!」は、ちょっと不謹慎ですが、夜間飛行中の当機を同様に感じた人はけっこういたようです。実際、記録に残っています。これはリアルで説得力があります。
松脂~B29あたりからすると、戦争も末期という気がします。その割に淡々と書かれているのは、軍部と新聞・ラジオが真実を伝えなかったせいでしょうか。それと本土と満州とでは戦争への皮膚感覚が微妙に違った気がする。むしろ満州の人々が辛苦を味わうのはソ連参戦~引き揚げだったかもしれない。すなわち「6、7」です。僕はこの作品で、ある種、日記を読んでいるような感覚を得ました。この事は当作品に有利に働いていると思います。それと上記した映画的な構成力ですね。それと、もうひとつの意義(アフターアワーズに記述)をプラスして佳作とします。
アフターアワーズ。
(以前もちょっと書いたかもしれないけど)リアルタイムの戦争を語る世代が一人もいなくなる時代がすぐそこまで来ております。
誰が伝えていくのか?たとえ聞き書きでも聞き伝えでもいい、僕たち世代が中継していかない事にはどうにもなりません。そういう意味で、今までの一連の聞き書きの詩は充分支持できるものです。当サイト主宰・島 秀生氏はその志を高くお持ちのかたです。
上田さんにおかれましても、ぜひ伝え続けられますよう。 (時あたかも十二月八日、日本が戦争に突入した日、来年は戦後八十年)
4 松本福広さん 「空の線」 11/30
とても今日的な話題を含んだ詩で興味深く面白い詩です。簡単に言ってしまうと、
「地上電線か地中電線(無電柱化)か」に尽きると思います。この件は防災・景観・コストの三領域で語られるように思います。どちらも一長一短ありで、日本では欧米ほどには無電柱化が進んでいないようです。ただ、東京や観光地では地中電線が推進されつつあります。僕の住む市も観光地を抱え計画案が成立しました。すでに市の中心部の観光で有名な通りは約1キロにわたって無電柱です。
さて、ここまでを予備知識として詩を考えます。
出だしの抒情味がいいですね。3連あたりから本論に入っていきますが、上記したような一長一短をさりげなく述べているようです。「小指に結ばれた~」の表現は秀逸です。僕は電気の技術論は門外漢なので、できません。あくまで文学的なこと。この詩もそういった路線で描かれるのがわかります。確かに電柱・電線は明治の昔から生活に馴染み、風景として馴染んで来た。その恩恵を目に見えるかたちで、日本人は受けてきたのです。この詩はその事を言っている。それはあくまで文学的なこと、です。「どちらか?」の論議は、また別の次元に属するでしょう。佳作です。
5 詩詠犬さん 「わくわく缶缶」 12/1
はい、可愛く、微笑ましく、おもしろく読ませていただきました。こういう詩があっていいんです。
こういう詩には、理論だの精神だのは似合わない。ただ読んで、ハッピーになれば、全てはOKというものです。お子さんでも読めるし、大人は比喩、隠喩といったレベルで楽しめます。ドラえもんの“どこでもドア”と並びそう。いや、それ以上か? ここには、生活、人生で必要なものが殆ど入っていますからね。缶缶に託した人生賛歌と見ました。内容に合わせて、リズムも考えられてる。こういう詩はリズムもいのち。
ホント、わくわくします。また絵が可愛いじゃありませんか! ”挿絵も入ってわくわくと“ お、おもわず、甘め佳作―と。
アフターアワーズ。
僕たちの子ども時分、サ〇マのドロップというのがあって、頑丈な缶缶に色とりどりのドロップが詰まってました「最初はどの色?その次は?」などと、おいしく楽しんでました。おそらく、しあわせの缶缶だったのでしょう。
6 森山 遼さん 「あいさつを しない おじさん」 12/2
「最近の若者はあいさつをしない、できない」とはよく言われることですが(あ、僕だけがそう思ってた?)、年配だろうおじさんがしないのは、良い悪いを通り越して珍しいかも?(まあ、やっぱりしたほうがいいんですがね)何か確固としたポリシーがあるのかもしれない。突然、ラジオ体操に来るようになったのも、ちょっと妙。この書きぶりだと詩の語り手もラジオ体操に来ているのだと思います。語り手の意識の流れを見ると―
「嫌悪→好意→共感」
となるでしょう。どうしてこうなったか?おそらく、自分との共通点が挙げられそうです。
「同じラジオ体操・似たような来歴?(サラリーマン)・同じような年恰好」などでしょうか。
ゆえにー
「嫌悪≦好意・共感」みたいな感覚でしょうか。あいさつは(そういう人なんだ)と割り切ってしまえば、別に腹も立たないレベルかもしれません。それよりも共通点でしょう。
実際にあったことを、正直に、あるいは少し脚色して書かれたものと想像されます。久し振りなので、すみませんが評価はパスとさせてください。
7 じじいじじいさん 「コミュニケーションツール?」 12/2
これ、バレンタインデーのほうがしっくり来る気がしますが。あれはチョコレート会社が仕掛けたもの、という噂が根強くあるし、義理チョコはまさにコミュニケーションツールの役割を果たしていましたが、最近は「やめよう」傾向にあるし。それと同じで、「義理~」=「コミュニケーションツール」とするならば、「義理チョコ」ならぬ「義理クリ・プレ」はこの詩の通りNGでいいと思いますが。世間は省略化・簡素化に向かっていますし。好きな人にはクリスマスもバレンタインもプレゼント、じゃんじゃんあげちゃってください!(まあ、交換が理想的か?)対象年齢を子供から中高生にシフトしてきました。そうですね。高校女子らしい考え方と文の感覚がよく出ていますね。ちょっとオシャレで可愛いです。 甘め佳作を。
アフターアワーズ。
そう考えると、お中元・お歳暮・年賀状などもけっこう縮小傾向にありそう?
(絶滅危惧種とまではいかないと思うけど)
8 静間安夫さん 「絶滅危惧種」 12/2
冒頭佳作。少なくなっていく秋への愛惜が情感たっぷりに語られ胸を打ちます。抒情に包まれながらも、本当にこの通りなのです。
文中「いや増すのだ」←この表現いいですね。年配のかたでないと、こうは書けないものですね。そして思いは秋だけにとどまらず、滅びに瀕しているものたちへの優しい眼差しへと移って行きます。そして作者、静間さん自身気づくのです。ふと(他ならぬ自分自身がその危惧対象なのだ)。ここまでの意識の流れ、呼吸感、行間がとてもいいですね。少し話を大きく取ると、日本人はこういった対象について、とても繊細な想いを持つことができます。この詩によって、今、静間さんはそういった国民性の中心にいるのです。そして終わりの2連です。どうやら結論が出たようですな。そう、書き残すことができる。時代状況や媒体は変わっても文字は無くならない。これは「書く者」の希望、矜持、責務でしょう。その意志表明としてのフィナーレ部分はとても深く美しいのです。
アフターアワーズ。
「わたしそのものが/絶滅危惧種のひとりなのだ…」 あっ、評者ミウラも仲間に入れといてください(笑)。
評のおわりに。
クリスマス音楽はその時期しか聴かないので、どうしても集中的(義務的?)に聴いてしまいます。
僕の場合、毎年決まっていて、あくまで参考に、軽いお薦めに書いてみます。
どちらもちょっと古いのですが―、(知ってる人もいるでしょう)
1 CHRIS REA「DRIVING HOME FOR CHRISTMAS」
この曲は「MY DEAR」のある皆伝者さん(今は退会)から教えてもらったものです。
2 VANESSA WILLIAMS 「STAR BRIGHT」 FULL ALBUM
こちらは全てクリスマス曲あるいは、ちなんだ曲集。祈りのように誠実に丁寧に作られたのが
よくわかります。仕立ての良い洋服みたいな感じ。
では、また。
※都合によりお先に失礼いたします。
◎11月26日(火)~11月28日(木)ご投稿分、評と感想です。
☆「谷川では瑠璃色の美しい鳥が朝をつげる」 森山 遼さん
【転輪王】については、よく知りません。作品の後に注釈をつけてくれたのは、読ませていただくうえで、参考になりました。こちらの作品は、いままで投稿していただいたことのないパターンの作品でしたね。よく知らないことを用いた作品でしたが、比較的スムーズに読ませていただけました。
力づくで、或いはお金の力で。権力というものを振り回して自分の思う通りに、満足できるように行動するアクドイ人たち。好き勝手に飲み食いし、好き勝手なことを言い、どんちゃん騒ぎをする。悲しい思いをするのはいつも弱い立場の人たち。許せないと思うけれど、力が及ばす泣き寝入り……。なんだか現代にも通ずるものがあるような気がしてなりませんでした。このまま終わってしまうのかなと思ったら、ここで転輪王が登場!やってくれましたね!どこか水戸黄門という時代劇にも通じる、正義の人の登場でした。現代の世界にもそういう人がいたらいいのになって思ってしまいました。
並行して綴られた括弧書きの自然の風景の描写も美しかったです。最後にまとめの言葉の「谷と山はいつものように美しかった」という言葉。静かな言葉のように思えますが、転輪王の成敗の後に置かれたことで、とても力強い言葉になっています。自然はいつも美しい、つまり、いつも変わらず信じてくれるものたちの味方だという意味にも汲み取れたからです。
どこか現代の問題にも通じる作品。現代のことを現代のままに書くよりも、このような古典を思わせるような雰囲気に仕上げたことで、より詩の世界に入りやすくさせてくれたようにも思えました。真っ白な長いひげをはやした仙人のような、優しいおじいさんを彷彿させてくれるような語り口。とてもユニークなアプローチでした。佳作を。
☆ 本当の名前 相野零次さん
名前。一般にいうと、誕生した時に親につけてもらった名前、戸籍上にある名前などが思い浮かびますよね。現在では、インターネットの世界でのアカウントという名前もあったりして、いろんな名前があちらこちらに浮遊していますね。「本当の名前ってなんだ」……よいテーマだと思いました。深みを感じさせてくれるテーマだと思いました。
表現について気になったところを。
名前って授かるイメージがあって、個人的には、とても大切なものというイメージがあります。なので、二連目なのですが、「どこかに落ちている」とすると、大切なものという感じが薄れてしまいそうな気がしました。木の葉が落ちるに掛けての表現だと思いますが、個人的には、宝探しのようなイメージで「隠れている」や「埋もれている」という感じにした方がよいのかなとも思いました。
あと、四連目ですが、名前を大切なものとして拝読させてもらいますと、「たくさん見つけているのです」となると、名前は生まれた時に授かる一人ずつ一つのものというイメージとは違ってくるので、見つかったと思えるような機会がたくさんあったというようなことを表現される言葉を選ぶ方が無難かなとも思いました。あとは、最終連。ずっと「君」できていたのですが最後には「君たち」になっています。そろえた方が自然かなと思いました。
ところどころ気になるところはあるものの、全体的にはとても詩的な雰囲気が漂う作品になっていて、澄んだ気持ちになれました。
今回は佳作一歩手前を。
☆サーチライトを躱して 荒木章太郎さん
一連目では「広告塔」のみでどういう場を差しているのかがわからなかったですが、二連目では「いじめに関すること?」となり、そこから徐々に視界が開けてきて、最後にはスマホの世界についてのことなのだと、個人的には感じました。だんだんわかっていく段階の間の取り方がユニークでした。こうなのかな?ああなのかな?と手探りして拝読して一気に最終連で開けていく表現方法、なんだかすっきり感を呼び起こしてくれました。面白いことに、一気に開けたあとで「そうだよな。ブロックすればするほど、しつこくされたりとか聞くよなぁ」など、一気にいくつかの感想がドミノのように浮かんできたりしました。
「嫌よ嫌よも好きのうち」とは
なんて暴力的な思い込みだろう
スマホに夢中になっている場合ではない
電子音の讃美歌が嫌で
プロトコールという監獄から
脱走を試みている最中だ
以上二点、印象に残った作者さんの心のさけびでした。スマホの世界のことを頭に置いて考えると、納得でした。またもう一方の「電子音の讃美歌」「プロトコールという監獄」という表現もインパクトありでした。
スマホの世界ってこうだよなぁって書くのではなく、独自の色々なアイデアを作中に織りこんで読み手に手探りすることの面白みを感じさせてくれる作品でした。佳作を。
☆地下道 温泉郷さん
歩行速度、ありますよね。ただ単純に歩いてゆこうと思うけれど、ついつい周辺が気になりだし、変に気を使ったりすることも。「コツコツ/コツコツ」という音。合間に入れることで、詩の流れについての良いアクセントになっていました。また、字面だけでは伝わりにくい、速度を感じさせてくれました。多すぎると、くどすぎてしまいますが、そう思わせないように考えているなと思わせてくれるところもよいと思いました。
コツコツに関して、二行目の「コツコツ歩く」という表現ですが、この部分は二連目のコツコツで充分伝わると思うので、コツコツ以外の別の表現にしてみるのもよいかと思いました。
「歩行速度は人間関係」と、初行からズバッと言ってしまった後、どこにもズレずにまっすぐに書ききったところもよいと思いました。八連目の歩いているシーンは、この作品の中で一番印象に残る場面でした。いつのまにか、たった一人で歩いていたといて、後ろからまた靴音が聞こえていたというところ。ここに「地下道」を持って行ったところがよかったです。一人で歩くというところのなにげない不安、そして後から誰かがどんどん近づいてきたと感じるところ。地下道では通常よりも足音が響きます。足音の強調、近づいてくるという歩行速度、歩行する本人の気持ちの度合いなど、読み手に印象付けさせてくれるという面でも、もっていきどころがよかったです。全体的には、足音、歩行速度に重ねて、人生、生活していくということも感じさせてくれる作品になっていると思いました。すっきりと整理されつつ、伝えたいことは、しっかりと伝えてくれる作品。佳作を。
☆夢のまた夢 ふわり座さん
「夢のまた夢」……。作品を拝読する前にタイトルだけみて想像したのは、憧れの夢に向かって頑張っているけど、なかなか手に届かないというようなことでした。そして読後に思ったことは、やられちゃったなぁ~(笑)でした。夢でさらに夢を見たということだったのかぁ~と。想像外の展開でした。
夢を描写していく、生活の様子を事細かに描写していく点、タッタッタと読めるのですが、どこか単的に感じてしまいました。夢を描写しているという表現に集中してしまうからなのかなとも思いました。ですが、「僕」のドキドキ感はたっぷりと伝わってきました。
作者さんが楽しんで書かれているなぁという姿がたくさん伝わってきました。楽しむということも詩を書くことを続けることでは、よい要素なので気持ちの片隅に置いておいてほしいなぁとも思いました。今回は佳作二歩手前で。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
急に寒くなりました。あっという間に師走になりました。
急いでいると見失いがちな自分をいたわる気持ち。
どうぞ、あったかく、あったかく。ご自愛ください。
紗野玲空様 今回も丁寧な評をいただきまして、誠にありがとうございました。また、佳作をいただき大変うれしいです。ネコにインタヴューしてみましたところ、「その日によって違うけど、今日は紗野先生と同じで15番の気分」と申しておりました(笑)。16番のベートーヴェンの書き込みのアドバイスありがとうございました!これを作品にうまく盛りこめることができていたらなあと思った次第です。「ネコにとっては、この曲でなければならないのだ」など、推敲にあたって、工夫してみたいと思っております。この作品は投稿するか迷ったのですが、「ようやくついた決心」で投稿させていただきました。「人に気を使うネコ」というのは、私の好きなモチーフでして、またこのテーマで投稿させていただくこともあろうかと存じますが、これに懲りずにお付き合いいただけますと幸いです。本年は、本当にお世話になり、ありがとうございました。
この頃 もの忘れが酷くなったと
零しているけど それは
神様が
あなたを守ってくれているんです
いま このときを忘れるってことは
この世の哀苦
そして 死の恐怖から
あなたを解き放って
黄泉の入り口に導いているんです
大丈夫 おかあさん *1
認知症でも大丈夫
人は 生まれるときも
死ぬときも
ひとりぼっちだというけれど
そのときは ぼくが
手をとって
黄泉の路を明るい光で照らすから
体重九十五キロ
いくらぶっ叩いても倒れない
頑丈な息子がいるから
安心して
修羅の道を歩んだわれらだけど
もう 悪態はつかないし
もう どこへも行かないから
安心して
大好きな
アルビノー二のアダージョや
カヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲を
聴かせてあげるから
いまは ゆっくりおやすみ
蝶々飛ぶ
温かいこころのふる里
光輝く
懐かしい故郷へ
安らかな気持ちで戻ってください
おかあさん
*1 おかあさん 私の継母(養母)
ありがとうございました。
与えられたテーマ、指定された条件……配られたカードで勝負するしかないのは誰でも平等だと思うので頑張ります!
今回、投稿でも触れていたのですが
感想の中で特に「あー……やっぱりなー……」と思ってしまった部分を引用させていただきます。
>この詩の表そうとする雪の静謐さをいかすには、やはり、紙面の白と無の力を借りた方がいいように思うのです。
絵画や書も、余白が大切ですよね。
>しかし、レイアウトをぱっと見た印象…雪玉を作ろうとして、掴んだ雪をギュッと固めてしまったような〜そんな印象を受けてしまったんです。
>個人的には、詩句の美しい結晶がくっついてしまって、美しさが損なわれてしまわないかしらとふと思ってしまいました。
雪を音とにおいで表現した上で
レイアウトで雪を表現したい……で勝負してみましたが……うん……(苦笑)みたいになりました。
これはこれで、試みとしては「まぁ、こういう作品もありか?」ということで……今回投稿させていただきました。
ご指摘の通り、改善点が多く見られる作品であることは違いないし、他の表現、レイアウトの工夫もしたいところです。
ありがとうございました!
割れた柘榴を見つめていた
夕焼けを吸うたびに
満ちてゆく内側に耐えきれず
割れてしまったのだろうか
ぎっしりと詰まった一粒一粒の
赤々と透きとおる果肉が
わたしの脈と共鳴しあうように
輝いていた
それは小学校低学年のころ
毎日の習い事が
幼さを味わう余白を
塗りつぶして
頼りなげに寄れた紙を
鞄に詰めてゆく
そうして帰り支度をしていると
個人塾の玄関に飾られた
割れ柘榴が
目に飛び込んできたのだ
無性に喉が渇く
初めて見るその瑞々しい輝きに
釘付けになったわたしは
おもわずひとつぶを
口に含んでしまった
ちいさな果肉が
口の中で弾けると
罪悪感が
からだじゅうに広がってゆく
その種をどうしたか
覚えていないけれど
おそらく一緒に
呑み込んでしまったのだろう
幼い腑に撒かれた
罪の種は
波紋をおこし
沈めていた渇望を露わにしてゆく
みんなと遊びたい
みんなと遊びたい
放課後の校庭の
広さと自由さのなかで
蘇る遠いチャイムの音
さっきまで
無邪気に駆け回るためだった靴を履き
逃げるようにその家を後にした
夕闇の迫りくる下り坂
加速してもつれそうになる足
自分の影に責められながら
自分の影に飲み込まれてゆく
母の胸で告解し
泣くことができていたら
どんなに良かっただろう
烏たちはわたしを見放すように
逆光の山々へと去り
沈んでゆく夕陽はもう
昇らないような気さえした
その日から幾度
ただいま、と言っただろう
いずれ腑の底で
この種が発芽して
血のような花が 開いてしまう前に
渇望を押し殺した
その声の翳りに
母が気づいてくれることを
ただ願って
紗野玲空さま 評ありがとうございます。
苦心して書いた……と言いたいところですが、これも人まねです。
粕谷栄市という人の詩集を買いました。
とてもシュールな散文詩がたくさんあって、面白いです。
最果タヒに続いてお気に入りの詩人となりました。
人まねでも僕の自我が出て僕なりの作品になるのでしょうか。
詩のものまねをするってあんまり聞かないんですけど、どうなんでしょうかね。