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水無川 渉様
拙作「門」への評とご感想、ありがとうございます。佳作とのこと、嬉しいです。
ダビデの胸像、理解っていて書きました。
わかる人にはわかる引っ掛けです。無難な表現にするか悩みました。ご指摘、嬉しいです。
イメージ的には地獄の門が倒れた後の、巨大な穴を埋め尽くす人間(不死者)たち、無数の赤く光る目の恐怖、そして汎ゆる世界は理不尽である、という思いを描きたかったです。
『抽象的な思想を単なる抽象として提示するのではなく、アイデアで読ませる』
とのお言葉、今後の指針といたします。
次回もご指導のほど、お願いいたします。
おはようございます。
今回、投稿されている方が多かったので悩んだのですが、評者様のお名前の字面から投稿してしまった次第です。そうやって慌てて投稿したものの、もっと推敲した方がよかったのだろうと内省しております。たくさんの意味を抱える「line」を活かせていなかったように思います。お手を煩わせてしまいましたが、大変お忙しい中、長い詩をお読みくださりあたたかなご感想をくださりありがとうございました。またどうぞよろしくお願いいたします。
このたびは丁寧なご講評をいただき、ありがとうございました。
作品のテーマや構造を深く読み取っていただき、大変励みになりました。
さらに表現を磨き、今後の作品に活かしていきたいと思います。
丁寧な評をいただき、ありがとうございます。生と死の対比や逆説をテーマにしたこの詩の世界観や着眼点についてお褒めいただけたこと、とても嬉しく、また励みになります。生者の描写についてのご指摘も、具体的なアイデアをいただき、非常に参考になりました。今後の詩作に活かしていきたいと思います。
これからも詩を磨いていきたいと思いますので、引き続きよろしくお願いいたします。
会計を済ませながら
「浴槽のキャパ超えるから
その映画はやめとくわ」
冗談混じりに
振り返って
笑ってみせた
君の
平らすぎる
後ろ姿が
夜の中空に
ほろほろと
こぼれていった
晴天が続く並木は
君の姿など
まるで眼中になく
ノイズ処理をするように
君はトリミングされて
背景の奥で保留のまま
時折
店がたち並ぶ路地から
コーヒーの香りが
漂ってくる
君の世界には
まだその香りを
吸い込む肺はない
単調に
歩き続ける
無機質な歩幅は
豪胆な青葉の
葉脈まで静止させている
水の入ったグラスを
じっと見つめる
その癖は
あの時からだろう
それは今でも
喉元に溜まり続け
君の口から遊びを奪っていく
君の機智に富んだ
合いの手が好きだった
今の君は
精巧な時計のように
駅裏から
自転車置き場までの
アーケードを
周回する秒針
けれど
あの時の作り笑顔は
とうとう
君の世界に
わずかな亀裂を生んで
ほら
店を出たあと
君は初めて
夜を見あげた
その時
君を捉えたのは
未来へのほころびだろうか
それとも
過去への残滓だろうか
遅くなり申し訳ありません。11/18~20ご投稿分の感想と評です。コメントで提示している解釈やアドバイスはあくまでも私の個人的意見ですので、作者の意図とは食い違っていることがあるかもしれません。参考程度に受け止めていただけたらと思います。
なお私は詩を読む時には作品中の一人称(語り手)と作者ご本人とは区別して、たとえ作者の実体験に基づいた詩であっても、あくまでも独立した文学作品として読んでいますので、作品中の語り手については、「私」のように鉤括弧を付けて表記しています。
●ゆづはさん「死者の息吹」
ゆづはさん、こんにちは。この作品は前回の作品とよく似た雰囲気、世界観の詩ですが、主題的にも繋がっている気がします。
今回の作品では全体的に暗い情景の中、生者の住む街と死者のいる墓地が対比されていますが、詩の重点は明らかに死者の方に置かれています。
この詩の面白いところは、死者のほうが逆説的に生者より存在感があり、まるで生きているかのように死者の「声」や「祈り」、「見守る」視線、そしてタイトルにもある「息吹」が語られていきます。そして最終連にあるように、死者の息吹が新しい命を生み出すことが暗示されて終わります。
この生と死の対比と逆説がこの詩の主題であり、魅力でもあると思います。とても良い着眼点だと思うのですが、個人的にはもう少し生者の側についても書き込んでいただければ、よりこの対比が生きてくるのではないかと思いました。あくまで一案ですが、たとえば街に住む人々が生きているとは名ばかりで死人のように暮らしている様子、などです。
基本的なテーマや全体の雰囲気はとても良いと思いますので、もう少し手を加えていくと、素晴らしい作品になると思います。そのことを期待して、評価は佳作一歩前とさせていただきます。
●佐々木礫さん「在りし日の君の、名はテロル。」
佐々木さん、こんにちは。この作品はとても重くシリアスなテーマを扱っていますね。若くして世を去った(自死でしょうか)「君」に対して、生き残った「俺」が語りかける形式になっています。おそらくこの「俺」は「君」と同年代ですが、「君」が死んでから歳月が経ち、現在は大人になっている設定かと思います。思春期の絶望の中で死に急いだ「君」と、死を選ぶこともできず今日まで生きながらえている「俺」の対比が心に迫ってきました。
この詩はそれだけにとどまらず、「君」の死をより大きな社会的コンテクストに位置づけようとしています。その鍵となる言葉が「テロル」ですね。それは何らかの理由で社会に不満を持つ個人や集団が、その怒りや改革の意志を暴力的な形で表出させるものと言えるでしょう。ただし、この作品における「テロル」は必ずしも文字通りのテロを指すと捉える必要はなく、より象徴的な社会変革の意志と考えることも可能であると思いました。
けれども、この詩における「テロル」は実際には起こっていません(少なくとも私はそう思います)。「俺」は「君」が生き延びてその絶望を怒りに転化し、社会への破壊的異議申し立てに至ることを願いますが、「君」は結局その道は選ばず死んでしまうからです。したがって、「***」以降で描写される「テロル」は「俺」の想像の中のテロル、ついに実現しなかったテロルと言えます。だからこそ、「在りし日の」と記されているのでしょう。もしかしたらこの詩の結末は、「君」がなしとげられなかった「テロル」の夢を「俺」がどう受け止め引き継いでいくのか、と問いかけているのかもしれないと思いました。
読み応えのある作品をありがとうございます。細部の表現も光るものがありました。評価は佳作です。
●aristotles200さん「門」
aristotles200さん、こんにちは。いつもながら非常に興味深い着想の詩ですね。冒頭はいかにもといった地獄の描写から始まります(ところで2連目に登場するダビデは旧約聖書に登場する古代イスラエルの王であり、あまり地獄と結びつけられることはありませんが、もしかしたら現代のイスラエル政府に対する批判が込められているのでしょうか)。ところがその地獄が攻め落とされる。そして押し寄せてくるのはなんと、死ぬことのない、いや死ぬことを許されない人間の群れだった――この発想には参りました。不死の人間たちは天国を陥落させ、そして地獄も攻め落とす。彼らが求めるのは、ただ死あるのみ――。
この作品では、現代人の死生観に対する風刺が込められているのではないかと思います。医学の進歩によって死の現実は(最終的にはまだ乗り越えられていないとはいえ)どこまでも遠くへ押しやられていく。また社会の世俗化によって、かつて宗教が提供していた死後の世界という概念を(地獄の恐れも天国の希望も)人々は持たなくなる。その結果もたらされるのは、少なくともこの詩の最終連によれば、終わることのない「生」の苦しみなのかもしれません。
なんとも暗鬱な人間観ですが、ある意味非常に説得力を持って迫ってきました。いつもながら、抽象的な思想を単なる抽象として提示するのではなく、ユニークなアイデアで読ませる工夫がなされているのはさすがです。評価は佳作です。
●上原有栖さん「(The choice is yours)」
上原さん、こんにちは。この作品はコンパクトで非常にわかりやすい構成になっています。つまり、1連目で書かれている5つの願いと、3連目にある5つの否定的な結果はそれぞれ同じ順番で対応しています。そして4行目でそれについての教訓が語られます。願うだけで行動しなければ結果は得られない。思い立ったことを行動に移すかどうかは、本人の選択に委ねられている。それはまさにタイトルで述べられていることでしょう。
この詩のメッセージは非常に明快であり、しかも多くの人が賛同するものであると思います。けれども詩作品としては、もうひと工夫ほしいと思ってしまいます。誰もが一度は聞いたことのあるメッセージを、誰も読んだことのない斬新な表現で提示する、そこに詩の醍醐味があると思うのです。少なくとも私にとって詩とは、世界を新しい目で見ることを可能にしてくれる眼鏡のようなものだと思っています。
その方法は一つではありません。比喩を工夫することもいいでしょうし、詩の中に何らかのストーリーを織り込むこともできるでしょう。いずれにしても、現状のテクストを元にさらに「ひとひねり」加えていただくと、詩としての輝きは増すと思います。ご一考ください。評価は佳作一歩前となります。
●さんぷくさん「あかくなるまで」
さんぷくさん、こんにちは。初めての方ですので、感想を書かせていただきます。
この作品は冬の夜明け前の山歩きを描いたものですね。家々が眠っている一方で、山は起きていて、語り手はさまざまな動物たちと出会っていきます。ただの散歩なのか、それとも他に目的があるのか、語り手が何のために山にいるのかは語られていませんが、私にはどことなく楽しげな雰囲気が感じられました。
この詩のポイントは夜から朝への移り変わりを描くことにあるのかと思いました。眠っていた家が起き出して光り始めると懐中電灯のスイッチは切られる。小鳥がさえずり始めると(詩にははっきり描かれていませんが)夜行性の動物たちはねぐらに帰る。そしてもちろん、朝の太陽が昇ってきます。
タイトルの「あかくなるまで」は世界が朱い朝日に染められるまで、ということかと思いました。あるいは懐中電灯を握っていた手が寒さで赤くなるまで、ということでしょうか。この「赤」は詩の前半で2回出てくる「白」と対比されているのかもしれません。
個人的には、最終行で朝日が昇る場面があっさりとしすぎている気がしましたので、東の空がだんだん白んできてついに地平線から朱い曙光が差してくる様子を、もう少し膨らませて書き込んでもいいのではないかと思いました。全体的には、冬の朝の山の情景を丁寧に観察して描いている、良い詩だと思います。また書いてみてください。
●喜太郎さん「堕天使」
喜太郎さん、こんにちは。この作品は悪魔や堕天使が登場するファンタジックな設定の中に、恋愛、誘惑、そして悪の主題が描かれている興味深い詩ですね。
作品では男たちを誘惑しその魂を抜き取る堕天使が、自分自身は悪魔に魂を奪われる様子が描かれます。どちらの場合もすべてを捧げた相手に裏切られ、命を奪われるわけですけれども、喜びをもって死んでいくという点でパラレルに描かれています。
悪に仕える者が悪から受ける報いは結局のところ破滅でしかない。けれども本人にとってそれは喜びとして受け止められるということでしょうか。もしかしたら同様のことが現実の社会でも起こっているのかもしれないですね。シンプルなストーリーですが、いろいろなことを考えさせられました。評価は佳作です。
●荒木章太郎さん「白く濁った眼球」
荒木さん、こんにちは。この作品は作者の実体験に基づくものなのかは存じ上げませんが、冒頭にお断りしているように、荒木さんご本人とは切り離して独立した文学作品として読ませていただきました。
眼球(の水晶体)が白く濁ってくる、いわゆる白内障を患った「私」が手術を受けるか受けまいか逡巡している様子が描かれた詩ですが、その「濁り」は文字通りの物理的な視力の低下を意味しているのみならず、「私」の思考の濁りのメタファーにもなっています。特に前半でそのような「濁った」思考が丁寧に描かれているのが良いと思いました。そのような思考の濁りは夜明け時に海亀の産卵を見ることで澄みわたり、正しく判断することのできるようになった「私」は手術を受ける決心をします。
ここでは「私」の思考が晴れわたっていく様が、海辺で夜が明けていく情景と重ねて描かれていますが、そこに海亀の産卵、つまりいのちの誕生という主題が織り込まれてさらに厚みを増していると思います。「海」と「うみ」(産み)の言葉遊びなど、細部まで丁寧に作り込まれた、とても良い作品であると思います。
一つだけ気になったのが、冒頭の2行「白く濁った私の眼球は/もう手の施しようがない」というところです。ふつう病気が「手の施しようがない」と言う時には、手術も含めたあらゆる手段が効果を期待できない状態について語られると思います。この詩では手術を受ければ治ることが前提となっていますので、この後の内容とうまく噛み合わないような気がしました。重箱のすみをつつくような指摘で恐縮ですが、ご一考いただければ幸いです。評価は佳作とさせていただきます。
●埼玉のさっちゃんさん「月の灯り」
埼玉のさっちゃんさん、こんにちは。MY DEARでは以前から作品を拝見していますが、私が評を担当させていただくのは初めてですので、感想を書かせていただきます。
夜明け前の街で始発電車を待つというのは、いったいどのような状況を想定しているのだろうと考えましたが、「急ぎ足で流れる日々」とあることから、終電後まで残業するような過酷な労働環境を想像しました。語り手は仕事の手を休めてふと窓からビルの谷間に顔を出した月に目を留めたのでしょうか。あるいは仕事は終えたけれどもまだ始発電車までは間があるので、夜明け前の街をあてどなくぶらついているのかもしれません。
「月の灯り」というタイトルから、月がメインテーマとなった詩なのかと思って読み始めたのですが、月が主役で語られるのは冒頭部分だけで、その後すぐ星が登場し、さらに太陽や風といったさまざまな自然の事物へ語り手の思考が広がっていきますので、ややタイトルとの違和感を覚えました。もっと月を主役に書き込んでいただくか、または別のタイトルを考えていただくとよいのではないかと思いました。ご一考ください。
慌ただしい都市生活の中でも自然と触れ合いほっとするひとときのありがたさを思い起こさせてくださる作品でした。またのご投稿をお待ちしています。
●トキ・ケッコウさん「アインシュタインの羽根アリ」
トキ・ケッコウさん、こんにちは。「神はサイコロを振らない」というアインシュタインの有名な言葉は、量子力学の確率論的な考え方に反対して語られたものと記憶しています。つまりこの言葉は、世界に起こるできごとで偶然に支配される部分はどこにもないという、決定論的な世界観を表していると言えるでしょう。ところがこの詩の中では、アインシュタインの確信とは裏腹に、神のサイコロによって、つまり偶然に「オレ」の家にやってきた羽アリたちとの出会いが描かれています。
そう考えると、タイトルは「アインシュタインの羽根アリ」ではなく「アインシュタインと羽根アリ」とした方が良かったかもしれない、と思いました。アインシュタインが否定した「神のサイコロ」によって羽アリたちはやってきたからです。ついでに細かいことですが、タイトルでは「羽根アリ」と表記されていますが、詩の本文では「羽アリ」となっていますので、どちらかに統一したほうが良いと思います。いずれにしても、アインシュタインと羽アリという奇抜な取り合わせがとても魅力的で、タイトルからして読者を引き込む力があると思います。
詩の内容について言えば、「オレ」の羽アリたちに対する視線は終始あたたかです。ふつう家に入ってきた虫について、とくにそれが多数の場合、いちいち何匹いるか数えたりしないと思いますが、「オレ」は丁寧に一匹一匹数え、しかも「◯◯人」と数え直します。偶然に生まれてきたかのような小さないのちにも無限の価値がある、そんな作者の思いが伝わってきました。ちなみに初連2行目で羽アリのからだが「8の字」と形容されていますが、8を横向きにすると∞(無限大)になりますね。
全体的にはとても興味深い、また心温まる作品でした。評価は佳作となります。
●多年音さん「遭遇」
多年音さん、こんにちは。「ミミック(mimic)」という言葉は「模倣者」を意味しますが、この作品ではある「ミミック」との「遭遇」が描かれています。
「ミミック」はおそらくピアノの模倣者だと思いますが、それが何なのか、何のために模倣しているのかについては描かれていません。その「遭遇」がどのようなものだったのかについてさえ、「僕」の記憶はあいまいです。ただその一度きりの「遭遇」は「僕」に忘れがたい印象を残し、それを追い求め続けさせる……。
この詩は非常に難解でしたが、私は次のように解釈しました。「ミミック」は私たちの身の回りのありふれた事物が果たして私たちが考えるような存在であるのかという哲学的な問いを投げかけているのではないかと思います。ピアノのように見えるそれは、もしかしたらピアノではなくて、別の何かが模倣(ミミック)している擬態なのかもしれない。これは他のあらゆる事物や人間についても言えることでしょう。「ミミック」との「遭遇」は、そうしたありふれた「現実」の背後にある、もう一つの(本物の?)リアリティがふと顔を出した瞬間、と捉えることができるかもしれません。それは当然「僕」の世界観をゆるがせ、実存そのものを脅かすものでもあります(だから「ゲームオーバー」や「絶命」と表現されています)が、同時に「僕」にとって世界に対する新たな認識の地平を開き、その意味で再生に導いてくれるものなのかもしれません。そして、そういった認識の転換は、音楽のような芸術体験を通してなされることもあると思います。その意味で「ミミック」がピアノの模倣者だという設定はとても説得力があります。
非常に凝縮された表現の中に、とても意義深いテーマが込められた作品だと思います。評価は佳作です。
●Emaさん「ライン(line)」
Emaさん、こんにちは。初めての方ですので、感想を書かせていただきます。
この作品の中心となっているイメージは「道/路」ですね。精密機器を制作する「私」が微生物や細胞のために作る「路」と、その「私」が通勤のために通る「道」(両者は異なる漢字が使い分けられていますが、意図的なものでしょう)。大きさからしてまったく異なる二つの道/路ですが、「私」はそこに不思議なつながりを見出していきます。
人は
目に見えないものを生かしながら
目に見えないものに生かされている
そうやって共生しているにも関わらず
そのほとんどについては未知の領域だ
この部分はこの作品の核であると思いますが、とても印象的でした。すべてのいのちに対する作者のやさしく温かい眼差しが感じられます。
最後に私の思考が晩ご飯の献立にシフトするところで終わる終わり方も、哲学的な思考と日常生活とのつながりが感じられて良かったです。またのご投稿をお待ちしています。
***
以上、11篇でした。今回は投稿数が多くて評に時間がかかってしまいましたが、読み応えのある詩との出会いを感謝します。
都心の
大通り
車道も 歩道も
遠くむこうまで
黄金色で 縁取られて
視界の色づきに
思わず天を仰ぐ
気圧されるほどの
黄葉がさんざめく
その余白に
清々しい み空色
足下から 頭上まで
全身で 晩秋の煌めきを浴びる
ところどころ 照葉に滲む やわらかな緑
心ならずも 一足早く落ちてしまったであろう
数多の扇形の葉が 散り敷かれて
アスファルトを 円(まど)やかに彩る
その葉が爽やかな緑色だった頃には
春も 夏も 秋も
年々 きつくなっていく陽射しをやわらげてくれて
そして 冬をむかえるまでは
変わらぬ日常の風景をやさしく照らしてくれている
大きな交差点 長くつづいた銀杏並木が途切れて
信号を渡り切ったところで振り返ると
まるで秋の出口であったかのような 金色のトンネル
あの ひしめく無数の葉が たった一日で散ってしまうという
申し合わせたかのように とめどなく さらさらと落ちつづけて
瞬く間に 道一面に 降り積もる
陽の光を浴びて きらきらと舞い散る その光景を
まだ一度も 目にしたことがない
そのさまは 美しいのだろうか 儚いのだろうか
それとも
日中の過ごしやすさとは打って変わって
気づけば肩を窄めて歩いている
冴ゆる夜空に コールドムーン
今年最後の 円い月が映える
一夜一夜を重ねて 少しずつ欠けて
月がその光をなくす頃には
銀杏並木は色を落として
冬の入り口となっているのだろう
そら
さむく
ふゆと
なる
物寂しい
薄墨色の
空に
銀杏の
枝々が
茨道を
描いて
冬を
告げる
お世話になっております。
本日投稿いたしました詩について、二連目と四連目を改稿いたしました。お手数をおかけして申し訳ございませんが、再度お目通しいただけますでしょうか。よろしくお願い申し上げます。
1.
アメリカの写真家が僕の問いに言った
「写真で嘘をつくならどうするか」だって?
そうだな。地中もしくは海中に潜れ。
化石になった恐竜の嘆きを写せ。
できないのか?
シャッターが切れたって映ってないはずだ、そんな調子では。
光というより気持ちが届いてないのだから、な。
(英語だったからどうにか聞き取れた)
2.
イタリアの絵描きが僕の問いに答えた
「絵で嘘をつく方法とは」
……おお、なんて恐ろしいことを!
心のなかに入ってゆきたまえ
そこに流れる時間の行き先を追いたまえ
……できない?
それは君がただ筆を握っているだけだから
要はあの御方の指先に
君がまだ触れていない!
(まったくわからなかったが翻訳機で理解した)
3.
ドイツの作曲家が僕の問いに回答した
「音楽で嘘をつきたい」ですって?
音を鍋に入れて火をつけたらいかがです?
和音の感じが破綻しているところの湯気が上がってきたら
それらをよだれで音符に落としていけば
作業はほぼほぼ終了といったところでしょう
無理ですって?
それはあなたに音が見えていないからです
あるいは楽譜から音楽が聴こえていない
下手なバオリンみたいにキイキイと悲鳴が上がっているだけってことです
(古い学生時代の辞書を引っ張り出して訳した)
∴
(途中の、結論)
知らない外国語だろうが
日本語だろうが
ことばで嘘をつくのが
きっといちばん簡単なのだ
本当のことになるまで
本気で受け取られるまで言えばいい
そうしてしまえばいくらだって
嘘は歩く
駆け出す
空を飛んで地に落ちる
その時
ことばは
ことば自身と遊び回ってしまった挙句
あのぐるぐるの「ちびくろサンボ」でそうなった
「溶けた虎」に なることだろう