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雨音様、今回も評と丁寧な感想を誠にありがとうございます。
この詩の始まりの言葉たちは、わたしのなかでもとてもお気に入りの言葉で書けました。
嬉しいお言葉、ありがとうございます。
歌詞のような詩、心当たりがございます(笑)
色々と挑戦してみて、これからも詩の世界の奥深さを感じていきたいと思います。
次回は日本からということで、また宜しくお願いいたします!
夏の暑さにはどうかご注意くださいませ(毎日とても暑いですね……)
「ミラージュ」上原有栖さん
有栖さん、こんにちは。お待たせしました。
詩の始まりの二連がとてもいいですね。「あなたの嘘」が両手では足りなくなった、ことから、さよならは紡ぎ出されていきます。おまけの佳作です。「おまけ」の部分なのですが、心なしか歌詞のように感じられるんです。これは有栖さんは意図されてないかもしれないのですが、少し形を崩したり、体言止めをなくしたりすると、この「ぽさ」は消えると思いますし、それ以上にこの作品に流れている芯の強さのようなものにとても惹かれました。さよならをいう、それだけのことだけど、それは全然それだけではないんですよね。そうした気持ちが間接的に描かれていく部分に有栖さんの筆力を感じました。
良い作品だと思います。
「強靭に言う?」森山遼さん
森山さん、お待たせしました。夏ですね。
そうですね。強靭ですね。でも強靭っていうより、強情かもしれませんね。可愛らしい作品だと思いながら読みましたが、実はとても深い思考が「強靭に」描かれていたのですね。この大部分を占めていた軽やかさがこの作品の最も良い点だと思います。というのも、「人間はひとり」「ひとりで生きていく」というのを重々しく書くよりも、君の腕の白さから始まった方がずっと心に残ります。佳作一歩手前です。一歩、の部分は血を吐くからの最後の部分に少し違和感があったこと。森山さんの構想にはあったかもしれませんが、読み手からすると、急転換に感じました。この辺りは急転換しても「あり」だなと思える工夫がちょっと必要かもしれません。
「人間」相野零次さん
相野さん、こんにちは。夏バテされてませんか?
とても大きな世界が描かれています。壮大なテーマです。相野さんの死生観、人間の創造、すごく面白いし、ポテンシャルはすごく高い作品だと思います。よくまとめましたね。それだけですごいですね。応援の意味も込めて、佳作一歩手前です。テーマが大きいため、時間をかけて推敲して欲しいなと思いました。冒頭、これはもう何もない。心もない。思考はあるのかな。思考はあるんですよね。じゃなきゃ、言葉は存在しませんから。心もないようなあるような感じがしますね。それがちょっと残念かな。心なしっていうのを徹底するといいかもしれません。そこに矛盾があると成立しなくなってしまうので。
二連目に出てくる「彼女をみていると何かが生まれる」というのも少し唐突です。彼女、どっからやってきた?とふいをつかれます。そして生まれたばかりの心の成長早すぎるような、もう少しそのたどたどしさが感じられるといいかな。
後半はすごくよくまとまっていると思います。こうした作品をまとめるときは、自分に厳しいくらいに「独りよがりになっていないか」と問うことが大切です。ですから、足し算よりも引き算が肝心かもしれませんね。
「近所のポスト」こすもすさん
こすもすさん、こんにちは。お待たせしました。
近所のポスト、私にもあります。そうですね、最近はポストから手紙を出すこともぐんと減りました。お手紙をいただくことも減りました。なんだか寂しいですね。
この作品は最終連への繋げ方がとても素敵だなと思いました。応援の意味も込めて佳作一歩手前です。次回から少し厳しくなります。
例えば、たまに受け取った手紙、実際にどんな字だったのかそこを少し掘り下げてみたりすると良いかもしれません。それを、こすもすさんの個性がある表現で書いてみると良いですよ。例えば、「タコが9本足になったような字」とか、まあこれはちょっとやりすぎですが、それってどんな字だろうって思えるような表現です。ちょっとやってみてくださいね。作品の流れやまとめ方はとても良いので、こうした変化のようなものを作ってみてください。
「あの雲」月乃にこさん
月乃さん、お待たせしました。
雲を空の波と捉えた作品、二人のあなたたちと私はどんな関係なのかわかりませんが、孤独感が作品を通して流れています。まず、雲を波ととらえて書いていることがとても良いですね。一貫してその視点がぶれていないためつい空を見上げてみたくなりました。心象風景を忠実に書き出していこうとしていることもとても良い点でした。
二つアドバイスさせてください。
ひとつめ、少し体言止めが多いように感じます。ふたつ目、一行が少し短すぎるかな。この二つを合わせて、詩の中で自分が一番フォーカスしたいところ、目立たせたいところに、この体言止めや短い行を使うのが良いと思います。もしくは、逆に長い行をわざと持ってきてもいいかもしれません。印象がはっきりして、メリハリがつくと思います。
四連目の「にんまりと」がとても効果的でいいですね。その時 から連を分けてもいいかもしれませんね。色々やってみてくださいね。
「ゲームが嫌いだったあなたは」多年音さん
多年音さん、こんにちは。なんだか面白いペンネームですね。
作品、とても興味深く拝見しました。視点がとても面白いと思います。ただ、「あなた」で少し混乱しました。あなたは誰だろう。僕がいて、あなたがいる。父なのかな?それとも過去の僕なのかな?ゲームが嫌いだったあなた、なのでやっぱりお父さんかもしれませんね。その辺りがもう少しはっきりわかりやすくなるといいと思いますので、そこを意識しながらもう少し推敲してみてくださいね。ゲーム、という題材からこんな風に広がっていくということが目から鱗でとても新鮮でした。
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六月はお休みさせていただいてありがとうございました。
改めまして、秋冬さん、澤さん、ありがとうございました。
次回は日本からお届けできそうです。
みなさま、夏バテせずにお過ごしくださいね。
その性、人を許せない
自らにも厳しく、学識を究めようとする
氷の塔の様な
どんどん高くし、居住まいを正す
孤高を示す
市場の流れに親しむこともなく
世間からのズレを、内側からの鍵で答える
感情は分析し、冷徹に処理する
孤独を深める相は
日々、鬼気迫る
普遍的な存在は認める、しかし
この世に、期待することはない
立ち位置は
常に観察者、批判者にある
彼は世界を冷笑する
馬鹿どもめ、と
そして
氷の塔を、また一層高くする
※
細い氷の塔が、一本ある
高く、高く聳え立っている
入口はなく、扉は
内側から鍵がかけられている
コミュニティとは交わらない
誤解を恐れない
分かってくれなくても構わない
今日も、氷の塔を高くする音が聴こえる
独り、学識を究めようとしている
鬼、という言葉が浮かぶ
ある日、氷の塔は雲上に達する
祝う者など誰もいない
外界を見下ろす鬼は、感慨深げにいう
まだまだだ
と、塔は激しく揺れだした
重みに耐えかねた、低層階が崩れだす
瞬く間に、鬼は地表に落ちてしまった
鬼なので無傷
周囲を見回すと、氷の塔は砕け散っていた
全てを失った鬼は、既に老いていた
小さな庵を
塔の跡に建てた
近くの村の子供たちに、読み書きを教えつつ
そこで、死ぬまで暮らしたという
好々爺然とした物腰から
誰も、鬼とは気づかなかったらしい
拙作「痛みは」を丁寧に読み取ってくださり、また佳作という評価を頂き、ありがとうございました。
ご講評から、私の表現したかったことの多くが読み手に届いたことを実感し、創作の喜びと励ましをいただきました。
特にご指摘くださった箇所は、私にとって大きな気づきとなりました。
本作は、最近ヘルニアの痛みを温泉で癒したという私的な体験から生まれたものです。最初は五連で完結していたのですが、推敲を重ね、タイトルが決まった頃には、詩の世界が個人的な痛みを超えて、身体的な痛みから創作における「成長の痛み」へと変化していき、最終連が加わりました。しかし今回は、「人とのつながり」というテーマへの執着が強く、作品全体の変化や成長に見合った推敲ができていなかったことに、気づくことができました。まさに、成長に合わせて「花がら摘み」をすべきでした。私的体験を最後まで残してしまった結果、第2連2行目「痛み止めを飲み 温泉に入る」が、唐突で場違いな表現となってしまったと受け止めています。
今回のご指摘を通して、「間引く」ことの大切さを学ばせていただきました。心より感謝申し上げます。
今後ともご指導・ご助言のほど、どうぞよろしくお願い致します。
水無川様、はじめまして。
詩作や掌編を始めてまだ半年ほどの者です。これまではSNSやnoteに気ままに投稿しておりましたが、このたび貴サイトの存在を知り、ぜひ専門的な視点からご感想・ご指導を頂きたく、初めて投稿させていただきました。
「安定剤」について、丁寧なご感想を賜り、誠にありがとうございました。
平易な言葉の中に哲学的な問いが潜んでいること、またそれに対して安易な結論を出さないという点を汲み取っていただけたこと、とても嬉しく思っております。
ご指摘いただきましたように、最後の一行には、分からなさを引き受けながらも、ふらつきながらでもまっすぐに、道を間違えないよう生きていこうとするささやかな決意を込めたつもりでした。こうして受け止めていただけたこと、光栄に思います。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
今回も丁寧にお読みいただき、ありがとうございました。かなりお手をわずらわせてしまったようで、恐縮しております。実は、注をつけるべきか、悩みました。映画のラストシーンにインスパイアされた作品ではありますが、かならずしも映画全体から想を得たわけではなかったので、却って分かりにくくしてしまうのではないかと思っておりました。にもかかわらず、映画の評などまで参照いただき、かつ、深いところまで読んでいただき、大変うれしく思いました。今後、どのような基準で注を付けるべきか、他の詩集なども参考に、考えていきたいと思っております。今後ともよろしくお願い申し上げます。
水無川 渉様
評とご感想、ありがとうございます。
ご指摘の通り、題に負けました。
いいカッコして、収められずです。
力不足で、最後は詩がバラバラになってしまいました。反省します。
及び、まだまだ推敲が足りてないことも、気づきを得ました。
2行1連に、1行1連の混入、
風、のご指摘、きちんと推敲していれば防げたミスです。
今回は悔いが残る内容です。
拙作、失礼しました。
ご指導、ありがとうございました。
これからも、宜しくお願いいたします。
お待たせいたしました。7/1~3ご投稿分の感想と評です。コメントで提示している解釈やアドバイスはあくまでも私の個人的意見ですので、作者の意図とは食い違っていることがあるかもしれません。参考程度に受け止めていただけたらと思います。
なお私は詩を読む時には作品中の一人称(語り手)と作者ご本人とは区別して、たとえ作者の実体験に基づいた詩であっても、あくまでも独立した文学作品として読んでいますので、作品中の語り手については、「私」のように鉤括弧を付けて表記しています。
●荒木章太郎さん「痛みは」
荒木さん、こんにちは。これはとてもしみじみと心に沁みてくる作品でした。人が感じる痛みが「感受性の根となる」という表現は言いえて妙ですね。痛みが悲しみに変わり、それで終わりではなく他者の悲しみと共鳴していくところに言葉が生まれ、物語へと育っていく……植物が成長して森になっていく様子と、個人がつながってコミュニティ(「むら」)ができていく様子が重ね合わされて美しく描かれています。そしてそのような営みは個人の生を超えて受け継がれていく、ということかと思います。
個人的にはこの詩は、詩(あるいは文学全般)がどのように生まれていくかについて考えさせてくれる作品でした。詩は個人の内奥にある「感受性の根」から生じてくるものだと思います。そして(すべてとは言いませんが)多くの場合、それは痛みや悲しみの体験にルーツを持つものではないかと思います。けれどもそれは決して個人の内面で完結するものではなく、他者との関係性へと広がっていくのでしょう。
全体的にとても素晴らしいと思いましたが、一箇所だけ分からなかったのが、第2連2行目の「痛み止めを飲み 温泉に入る」という一行でした。この部分が前後とどのようにつながるのか分からず、唐突で場違いな印象を受けました。作者の深い意図があるのかもしれませんが、もしかしたら推敲の余地があるかもしれません。そこだけご一考いただければと思います。評価は佳作です。
●喜太郎さん「筆箱」
喜太郎さん、こんにちは。これは筆箱を人間にたとえた面白い視点の詩ですね。鉛筆や消しゴム、定規の入った筆箱は小学生時代に誰もが持っていたものですので、幅広い層の共感を呼ぶ道具立てになっています。まずこの着眼点が良いと思いました。
道具は使ううちに古びて傷だらけになり、汚れていきます。でもそんな内面の人生経験を覆い隠すように「筆箱」の外側だけをきれいに磨いて他者にアピールする。これも多くの人が共感できることでしょう。語り手はそんな中で、自らの内面を率直に開示して裏表なく生きていく生き方を呼びかけています。
ストレートな人生応援歌のような詩で、読んでいて心が暖かくなりました。主題としてはそれほど特異なものではありませんが、人生を筆箱と文房具に喩えた視点が私には新鮮でした。
一箇所細かい点ですが、6行目「定規もメモリも掠れてヒビも入っている」の「メモリ」は他の箇所からすると定規の「目盛」のことですよね。初めて読んだときにUSB等の記憶媒体としての「メモリ」と勘違いしてしまいました。ここは他の部分と表記を統一して「定規も目盛が掠れてヒビも入っている」としたほうが良いと思います。その点を申し上げたうえで、評価を佳作とさせていただきます。
●aristotles200さん「そして風は甦る」
aristotles200さん、こんにちは。この詩は初行「風に記憶があり、匂いとともに甦る」がすべてを言い尽くしていますね。この詩行自体はとても良いと思いますが、最初に結論を持ってきてしまったので、後はこの内容をどこまで具体的に説得力のあるものとして展開していけるかが、作者の腕の見せ所になると思います。
2連目以降は基本的に2行1連の形式で幼少時から人生の歩みをダイジェストで辿っていく内容になっていますが、一見ばらばらに見える出来事をつなぐ縦糸となっているのが、折々に感じた「匂い」の記憶です。
途中に挟まれる、〈 〉でくくられた2つの行は語り手の人生における大きな節目を表しており、同じパターンの繰り返しで単調になりがちな詩にアクセントを与えていると思います。特に2つ目の〈そして未来、あと十年、二十年くらい〉は語り手の立っている現在を表しており、これ以降の部分は自らの死に至る未来の人生を想像で描いている部分なのでしょう。
この詩で特に興味深いのは、最後の3連です。それまで自らが感じた匂いを通して人生の記憶を紡いできた語り手はついに呼吸が止まり、したがってもはや匂いを感じることができなくなります。それと呼応するように「焼き場で昇る無臭」とあるのもとても印象的でした。実際には火葬した遺体から立ち上る煙には匂いがあるのでしょうが、本人はもはやそれを感じ取ることができない、ということでしょうか。
そして最終行「全ての匂いと記憶が繋がり、風が甦る」はそれを更に逆転させて、死を超えた希望を暗示しているように受け止めました。ひところ流行った「千の風になって」という歌を思い出しました。この終わり方は感動的ですね。
全体としてとても興味深く読ませていただきましたが、2つコメントさせていただきます。一つは小さなことですが、基本的に2行1連のパターンで人生が描かれる中で、「転職初日~」と「慣れぬ満員電車~」だけは長い1行で1連を構成しているのが気になりました。何か特別な意図があるのでなければ、他の連と同じく2行に分けた方が良いと思います。
もう一つ、より大きな問題と感じたのは、この詩における「風」の位置づけです。最初この詩を読みながら、人生の各場面に吹いていた風がその場の匂いを記憶していて、語り手の人生の最後にそのすべてをつなぎ合わせて彼(詩の内容からして語り手は男性と思われます)の人生を総括する、ということかと思いました。しかし、細部を読んでいくと、そこに風が吹いていたとは思えない場面も描かれています(エレベーターの中など)。重箱の隅をつつくようで申し訳ありませんが、私は読んでいてその点が気になりました。すべての場面で風が吹いていることを明示的に描く必要はありませんが(それはくどくなりすぎます)、少なくとも風があってもおかしくないシチュエーションを選んで描いていくと良いのではないかと思いました。
そもそもこの詩では繰り返し言及される「匂い」に比べて「風」の存在感が今ひとつ感じられず、風を中心としたタイトルとアンバランスな印象を受けました。特に後半では風がほとんど出てきません。本文中で風を描く比重をもう少し増やした方が(特に人生描写の最初と最後)良いのではないかと思いました。ご一考ください。
評価は佳作半歩前となりますが、もう少し推敲すると素晴らしい作品になると思います。
●筑水せふりさん「安定剤」
筑水さん、こんにちは。初めての方なので感想を書かせていただきます。
冒頭に書いていますように、私は投稿された詩は作者とは独立した文学作品として読んでいますので、作中の語り手である「わたし」と作者ご本人とは切り離して考えていることをご承知おきください。私自身は安定剤を使ったことはないのですが、身近に何人も使用している方々がおり、ストレスフルな現代社会で多くの人々にとってなくてはならないものになっていることを感じます。
この作品は平易な言葉遣いで書かれていますが、人間の精神の、あるいは世界の「安定」とは何か、いろいろと考えさせてくれます。いくつもの哲学的な問いが投げかけられますが、結局それに対する答えは与えられません。でも、そういうものなのでしょうね。最後の一行「でもね そうやって 生きていくの」から、安易に結論を出さず、分からないことを分からないままに引き受けて生きていく決意(あるいは諦め?)のようなものが感じられて、強く印象に残りました。
短いけれども、とても読み応えのある詩でした。またのご投稿を楽しみにしています。
●温泉郷さん「泉の長い角」
温泉郷さん、こんにちは。この作品は正直言ってどのように読んだら良いのか、とても悩みました。最後の注にあるように、この詩は映画「ナミビアの砂漠」にインスパイアされていることが分かりますが、私自身はその映画は未見であることをお断りしておきます。インターネット上であらすじや解説などをいくつか読んでみましたが、限られた理解をもとに書いていますので、見当違いのことを言っていたらおゆるしください。
この作品は現代の都市生活に埋没していく個人の葛藤を描いているように思います。社会の流れに逆らって進もうとしても困難を覚えている「わたし」は、ついに向きを変えて群衆と行動を共にし、流れに従って生きることを選びます。
詩では朝の通勤ラッシュの描写が、映画に出てくるナミビアの砂漠の水飲み場に集まってくる動物たちと重ねて描かれます。この作品の鍵になるイメージは、タイトルにもなっている「長い角」ですね。これは具体的には砂漠の水飲み場にやってくるオリックスの角をさしているようです。都市に住む大衆を動物にたとえる時、牛や豚といった家畜になぞらえることが多いと思うのですが、この作品では野生動物にたとえられているのが新鮮でした。
都市文明に対して自然を対置する時、前者を否定的に、後者を肯定的に描くことが多いです。けれどもこの作品はそのようなステレオタイプに挑戦しているように思えます。映画の中で主人公が見ているナミブ砂漠の水飲み場の映像を私も見てみましたが、これは自然のオアシスではなく人工的に作られた水飲み場だそうです。そしてそこにはカメラが設置され、24時間ライブ配信されている。一見自由に生きているように見える野生動物もまた人間の管理下にあり、疲れた現代人の「いやし」のために「鑑賞」される存在となっていると考えられます。そうだとすると、詩の中で長い角を生やした群衆が向かう「静寂の泉」もまた、単純な「心のオアシス」のようなものではなく、もっとダークな意味合いを持ったものなのかもしれません。
このように、どこまで行っても管理社会から逃れられない近代人の絶望を描いた作品と受け止めました。評価は佳作です。
*
以上、5篇でした。今回も素敵な詩との出会いを感謝します。
今回も読んでいただきありがとう、誠に有難う御座います。
思い描いたままの作品で、そのままのご感想が頂けたこと、とても嬉しく思います。ありがとうございます。これからも自分の思いや感性を大切にして頑張ります。
いつだって風は吹いていたんだ
ただあの頃は
向かい風も追い風も分からないまま
ただ自分の足で思うがままに走っていた
風が心地よくて笑顔になれた
風に抗って顔をしかめた
ただ自分の思うままの前を見て走っていた
それが風に良いように流される事を覚えて
風に身を任せ落ち葉のようにふらふらと流されるがまま
それが右向け右で安全だと言い聞かせてた
風に任せていたんだ何もかも
風のせいにしたり周りばかり眺めていたり気にしたり
やがて落ちゆく先が見えてきた時に気付く事があって
今も風は吹いているんだと
向かい風でも追い風でも
ならばもう一度思うがままに
あえて追い風に向かって足を踏み出したくなる
風は気まぐれ先が見えた今だからこそ
あえて抗ってみるか
いつかは追い風になるかもしれない
髪は乱れても心は乱れはしないだろう