私の名前を覚えていて下さりありがとうございます。
実家が近所なのですが、たまにしか行かれない申し訳なさを詩に書いてみました。
アドバイスをありがとうございます。
詩も、日々勉強だと思い精進致します。
朝起きて顔を洗う
鏡を見ればいつもの男が
もの憂げに僕を見つめる
またおまえか 僕が言う
またおまえか 彼も言う
これが僕のルーティーン
虚ろな朝のルーティーン
もう何年やってるだろう
二十歳からとして三十年
回数にしてもう一万回!
今日もまた過ぎるのか
いつもと同じ一日が
一万分の一の一日が
いや待てよ
万が一って言うでしょう
ごくごくまれな出来事を
今日かもしれないよ
もしかしたら今日こそが
万が一かもしれないよ
そうか
きっとラッキーなんだ
幸運な人の万一は不運を言うが
不運な人の万一は幸運なんだ
左右が逆の鏡のように
来るだろうか
やっとその日が
またのぞく
鏡をのぞく
グッドラック
彼が笑った
悲しい瞳をしているから
もう君は幸せになってもいい
苦しい瞳をしているから
もう君は楽になってもいい
冬の空は凍てついて暗い
峻厳な冷気に
世界は自らの罪を問う
そんな中にいて
君はまた世界と対峙する
世界はあるいは永遠の凍結を欲する
君もあるいは
永遠の対峙
あるいは
永遠の直立を望む
世界の凍結はあるいは春によって溶解する
君の対峙と直立もあるいは春によって終焉する
それは
四季
朝と呼ぶには
かなり、照度が低すぎる
冬、5時、じゃあ仕方ないか
最近、頭髪が額から後ろに向かって
生え際が後退していっている
退却の合図はまだ、してねえよ
昨日、死ななかったんだから
まだ、終わりじゃねえじゃん
鏡を見る
もっと、目に力をいれろよ
これから、棺桶にでも入る気かよ
口角あげろとまでは言わねえよ
もっと、目に力をいれろ
しかし、
それにしても
生え際が気になる
よく考えたが、
暢気に
詩をしたためている場合ではないような気がする
そういえば、
職場の近くにドラッグストアが
新しく出来たんだよな
今日、仕事帰りに、なにか、そういった
育毛剤を購入しよう
今週、金曜、
三年前、働いていた職場の元同僚たちとの飲み会がある
このままでは
元同僚たちの視線が
ちらちらと、俺の額に向けられるはずだ
そうなったら
俺も、元同僚も会話なんて
うわのそらに決まってる
鏡を見る
かなり生え際を凝視する
目に力がある
だが、俺はそういう事が言いたかったわけではない
もっと、今のお前、男としてどうなのっていうか
なんか、こう、奮い立て、自分。
みたいな事を書いてたんだけど
鏡で自分の事、よく見ると
前髪がなんだか、思ったよりも地肌が透けて見えるから
それどころじゃないんじゃないか
と、思ってしまった
前髪を、右に流す
ゆっくり、撫でつける
金曜の夜
俺は、何回、前髪を右に撫でつけるのだろうか
左腕の袖口をまくりあげ、腕に
育毛剤
と、書いて
玄関のドアノブに手をかけた
金色の折り紙へ共感していただいてとても嬉しいです! 日常の中での些細な出来事を言葉にしてみると、時々こうした“共感”を発見することがあって、それが本当に面白いなと思います。話題転換の部分、なるほどなぁと納得しました。気付きや指摘など、色々なものを少しずつ自分の中に取り入れながら、ゆっくりと書いていきます。
本当にありがとうございました!
この度も評をいただきまして誠にありがとうございました。いただいたお言葉がうれしくてうれしくて身に余る思いで何度も読み返していました。これからもひとつひとつ書いていこうと思います。
また投稿をすると思いますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
御評価有難うございます。今回はあまり定形に拘らず書いた結果今度は詰め込み過ぎ失敗したように思いました。
空にクラゲというと突飛な感じがするんですが、引用の八木重吉や、最近も空に浮くクラゲの歌を見かけたりと案外普遍的なイメージなんだろうかというのが書き始めの動機。もとい私が「海月」という漢字を「空月」と書き間違えてしまったことがこの詩のきっかけとなりました。
かなり突飛な詩の投稿で困惑された面もあるかもしれないのですが、本当にある意味で気楽に書いた詩なんです。何気ない会話の中で出すナンセンスな話のよう書いたのですが、そこの点も読み手に気付かせる配慮が必要だと反省したいです。
ありがとうございました。
南国育ちの彼女の上には
いつの頃からかずっと
冷たい雪が降っているという
ひらひらひらひら
音もなく
きりりとした青空から
ひらひらひらひら
止むことを知らない雪が降り続く
ただ困ったことに私には
その雪が見えない
今日も私と彼女は
同じ空を見上げている
けれど もしも私に
その雪が見えたなら
私はその雪と踊ろう
その雪の中で踊ろう
ららららなんて歌いながら
銀の小鳥が降りてきて
私と一緒に歌うでしょう
銀の子うさぎやってきて
私と一緒に遊ぶでしょう
雪が冷たいから
見える景色もあって
雪が冷たいから
会えることだってある
暗沢さん、本当にごめんなさい。見落としてしまいました。
ちょうどページの分かれ目に当たってしまったようです。
「空月」暗沢さん
人は私を呑気と言いますが、多分本当なんだろうとこの作品を読んでそう思いました。
一連にあるように空一面にクラゲが浮かんでいたら、どんな風だろうと想像したら、
なんだかぐっすり眠れそうだなあというのが一番目の感想でした。
そしてなんだか安心だなとも。そうそう空気も綺麗になりそうです。
そんな風に思いながら、暗沢さんの作品を拝見すると、自分の能天気さを痛感したのですが、
でもそれでいいのかもしれませんね。暗沢さんはもしかしたら共感を求めているのではなくて、
自分にはどんな風に感じられるのか、それをまず伝えたかったのだろうと、身勝手な想像を
しながら、さらに身勝手な共感をしました。
そういった幅のようなものがこの作品にはありました。
一番良いなと思ったのは、後半の浮遊する 空月からの部分でリズムが変化する点です。
空の下と海の上、それぞれがそれぞれ素知らぬていで生きている、それは愚かな人間への
批判でもあり、同時に愛おしさでもあるような気がします。
全体的に、もう一息推敲して下さると大きな良い作品になると思います。
時間をおいて、何度か読み、手を加えてみてください。もちろん引き算も足し算もお願いします。
このたびは「村の娘」に評をくださりありがとうございます。またタイトルをおほめいただけました。嬉しいです。
以前雨音様から、私の作品の良さは無欲さだと言っていただいたことがあるのですが、
最近、いろんな欲が出てしまって、いけないなあと思っています。
でも今回は、すごく満ち足りて幸せな気持ちのときに「私はもう何も望まないから、生まれ変わったら村の娘になりたいな」と思って書いた詩です。いつもこのような風に考えられるわけではないので、このときの気持ちを忘れずにいたいと思います。
「ルーマニアの村娘」を踊ってらっしゃる子供時代の雨音様を想像し、微笑ましい気持ちになりました。きっとノリノリでうきうきで、本当にかわいかったと思います。詩の中の「ヨーロッパの小さな村」はドイツでもイギリスでもフランスでもなくて、まさにルーマニアあたりの国を想像しながら書いたのでちょっとドキッとしました。素敵なエピソードをありがとうございました。
佳作、直すところもないとのこと、とても嬉しいです。これからもよろしくお願いいたします。
* * *
一日遅れてしまいましたが、お誕生日おめでとうございます。
素敵な一年になりますように。