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島秀生さま 評ありがとうございます。
作者の中では最初からある程度、
具が入ってぐつぐつ煮込んでいるところから始まっています。
最初思い浮かんだイメージがそこからでした。
読んでいる人の頭にも同じようにイメージされていると
考えちゃうんですね。これは悪い癖かもしれません。
もっと客観的に見る目を養わなければと思いました。
今回も私の詩に丁寧なご感想を頂き、誠にありがとうございます。佳作
との評をくださり、とても励みになります。
そうですね、人間が生み出す物品も、性能の良いものは無駄なく美しいものである
ことが多いですね。特に陶芸の分野ではその点を強く感じます。
今後とも、どうかよろしくお願い致します。
三浦 志郎様
ご講評頂きありがとうございます。また、佳作の評価も励みになります!
舞台はアフターアワーズのバーです。製造会社は某音楽会社の子会社なのですね!また、作中ドイツ女と書いていますが、ウィーンが産地でした。これは私の勘違いでしたが、音楽に特に造詣のない主人公のミーハーさの強調として入れておいてもいいかもしれないと思いました。取り敢えず調べることは大事ですね、、
またご講評頂ける機会がありましたら、よろしくお願い致します。
三浦志郎様
評とご感想、ありがとうございます。
冒頭上席佳作とのこと、とても嬉しく思います。
あれこれ詩を良くしようと、ここ最近スランプに陥っていましたが、希望の光が見えてきた気がします。
技巧的なところに拘るより、何を述べたいのか、思いを強く、濃縮させて、イメージそのままを言葉にしたのが今回の詩です。
考えて作った詩ではないので、このタイプの詩、数は書けませんが、また、挑戦したいと思います。
今後も、ご指導のほどお願い致します。
やまいに伏していた
病室の窓を開けたら
草原のふりをする都市が
地平線に連なるやまの
足元にひれ伏していた
その腹にのしかかる
かみなりの積乱雲
医者からは
「病は現象だ」といわれた
(俺が病なのか)
悩ましさが怒りの稲妻に変わり
目まぐるしく腹を鳴らした
おそれおおくも
神になろうとは考えていない
しかし、とこしえの空に憧れていた
この小さな体が
影響を与える大空ではなかった
怒りは、やがて空腹に変わる
巡るように変わる天候のようだ
初めて食べ物以外のものを
口にして腹に入れた
無力な存在である俺だ
決して満たされるものではない
完璧を目指すことを手放す
やめる俺をうやまうのだ
無力を抱えて俺は鐘を鳴らす
病と共に生きる
それが健やかな俺だ
1 佐々木 礫さん 「フリータ、美女の遠景を描く。」 8/22
小説寄りの散文詩。そういった位置付けでしょう。男とピアノの物語。場所・時・登場人物(物質)が絞り込まれ、一場のストーリー要件が満たされています。ベーゼンドルファー。この詩の主人公であり語り手の相手役。そして何より「楽器・ピアノの擬人化」女性。ピアノを匂わせつつ、女性名としても魅力的。貴婦人といった感じです。背景はアフターアワーズのピアノバーでしょうか。ジャンル的には“なんでもアリ”の感じか?「その後」の気だるい雰囲気といい、ふたりのやり取りといい、とてもいい雰囲気が醸されています。ちょっと退廃的で女性的表現で言うと「アンニュイ」といったフィーリングが似合いそうです。僕自身は読んでいて楽しく面白かったのです。佳作を。
アフターアワーズ。
極上ピアノの世界でスタインウェイと並び称されるベーゼンドルファー(YAM×HAもあるけど)。
調べたことをご報告致します。①極上品はスタインウェイより高い!(生産台数少ないから)
②有名ジャズピアニスト・オスカー・ピーターソンが「ベーゼン弾き」 ③ベーゼンをもってしても日本の楽器メーカーYAM×HAの
組織上完全子会社。
2 aristotles200さん 「手を握る」 8/22
ああ、いいですねえ。冒頭上席佳作と致します。このかたがこういった詩が書けることを、充分認識して、そのことを表明しておきたいと考えます。人間の感情伝達の手段として言葉の他に「目と手」があるように思います。今回は「手」。出会いと別れに手を振る。
深い感動・同意に親指立てる。しかし究極は、この詩の通り、「手を握る」。極上の触れ合いコミュニケーションです。人間に、たとえ、悲しみ、怒りがあったとしても、それは過程でありたい。最後だけはこうありたい。しかも、この詩は自己の誕生から成長、老成に至るまで、全てを包括する優しさと感謝に満ちています。ひところ、手は離れる、が、気づかされる、あまり時間はないのだと。
それは家族、一族、縁のある人々に繋がっていくでしょう。、詩は利害打算、是非、巧拙を越えて、万人が無条件で感動する部分をパーセンテージとして持っています。この詩はその部分を照らしています。今、評者はこの詩を読みながら最後に、こう語りたい。「此処に連なる全ての人に読んでもらいたい」。ありがとうございました。
3 埼玉のさっちゃんさん 「週末の予定」 8/22
僕は埼玉のさっちゃんさんの“あっけらかんとした裏にある詩情”が大好きなんですよね。
(今回もそうだな!)
「自分を大切にしてから貴方の事を考える」―ここ、正直。 いいじゃありませんか。
「貴方を誘ってみよう/どこかへ行きたそうだったし」―“いいヒト”がいるみたいですね、
「仕事に身が入る午後の一時」―これ、大事です。詩を最後に締めてます。人間、先の楽しみの為に今を頑張る。この感情もわかるしー。いい。甘め佳作です。
アフターアワーズ。
逆にアドバイスをこちらに。 終連「一時」は「ひととき」と読ませたいなら表記は「ひとときorひと時」がいいでしょう。もっと具体的にしたいなら「仕事に身が入る午後一時」。どちらか、でしょうね。
4 じじいじじいさん 「ずっとずっと」 8/22
こういった物語的アプローチは今まで、ありそうでなかった気がしてます。バリエーションに加えてもいいでしょう。これ、小道具や背景がけっこう効いてるのがいいですね。まずはひまわりのゆかたとお祭りの様子です。夏らしい映像が浮かびます。次に物語のきっかけになるイカやきですね。タッくんもその女の子が好きだから、チョッカイ出してくるわけです。そしてハッピーエンドな花火です。涙の感じ方の違いがこの作品を脇から支えているかのようです。あと「タッくん」って名前が僕は妙に好きですね。何が言いたいかというと、なかなか考えて詩的造形しているな、ということです。
幾つくらいの子かなあ、と想像しながら読むのも楽しいですね。これはいいと思います。甘め佳作です。
5 温泉郷さん 「O文具店の単語帳」 8/23
えー、付箋の少し大きい白紙の束がリングで止められてるヤツですよね。すいません、僕はまるで使ったことがありませんでした。
この詩は学生時代ではなく、現在、仕事か何かの必要に迫られてのことと思われます。自己の知識への律儀さが感じられます。しかも、ちょっとマニアックな入れ込みようが感じられて面白いです。読むにつれ、なんか、そののめり込み方が、この詩の骨格であり面白い所なんですね。奥さんとのやり取りが出て来ますが、そうなんです!好みというのは、なんでも本人にしかわからないものですねー。最後は文具店閉店のくだり。ちょっぴり寂しい、哀しい。だけど、そこに思いあり、詩情あり。この詩、ちょっと特殊なアフェアーなんですが、それだけに、詩に乗せると興味深かったです。佳作を。
アフターアワーズ。
文具店閉店のくだり。思いがあります。小中学校の頃、学校の近くや通学路に、必ずと言っていいほど個人経営の文具店がありました。よく買いました。今は全く姿を消しています。読みながら、そんな感慨がありました。今は駅ビルなどに企業系が多いようですね。本より利益率が高いので書店も多く扱ってますね。
6 相野零次さん 「宴」 8/24
「実際の夢見を詩にしたかのようです。連想ゲームをするようにフィーリング一発で詩行化しています」―大変失礼ですが、そういったことは言えます。そういった要素があるのも事実です。特に前半はそんなニュアンスが濃い。ただ後半「生まれる。~」以降に注目しましょう。なかなか骨太で深い思考があるのがわかります。「生まれる~亡くなる~失われる」つまり世界の人間の生死の連続性こそが、この詩のテーマでありタイトルの「宴」だと考えられます。それは世界中での同時多発。それは人間の最後の一人が死に絶えるまで続く。つまり終わらない。ENDLESS。「いったん片付けてまた続く」それさえ押さえておけば、後付けで、いろいろ書けるわけです。ウサギ、豚、牛やって来る、国旗、ビールがぶ飲み、オーケストラ、他の道場まっさかり、神様もたくさんいる……。繰り返すと、この詩はやはり後半を重く読むべきです。総じて、読んでいて面白いということはありますね。しかし深さもある。このあたり、評価の判断が難しいです。佳作一歩前といったところでしょうか。
7 静間安夫さん 「蜘蛛」 8/25
第一印象を書くと、「二つの激しく違う属性を上手くしまい込んだ対象を上手く書いているな」といった感じです。
前半はその作り出すものの芸術性。それだけを見ると巧緻に美しい。後半はその芸術が持つ他の生き物への地獄の装置といった点です。で、やや皮肉なことに、後半のほうが断然面白いのです。この詩を読んで、もっと高邁な思考に辿り着く人もいるかもしれない。たとえば「美と残酷について」―そういった契機もこの詩は差し出しているようにも思えます。そういった異なる二面性を持った蜘蛛とは一体何ぞや?文中から拾いましょう。「芸術家」「ハンター」「賢者」。全て当たりでしょう。「自然の理の全てをわきまえた」これが正解と思われます。自然の理が蜘蛛に上記三つの役割を与えたのでしょう。その意味で、終わりの2連は大変重要、結論でしょう。
「自然が生み出すものは常に合目的的で、しかも美しい」 佳作ですね。
アフターアワーズ。
自然界に限らず、人間が生み出す物品もそのようなものである、というのを聞いたことがあります。
性能の良い物は、多くの場合、無駄なくシェイプされ、美しいものである、と―。
評のおわりに。
「ある看護師さん」
私は月一回、高血圧で医者通いをする。薬をもらう。
かかりつけの町医者である。いつもの医師。そして、
いつもの看護師さんである。診察が終わって、私は
いつも通り椅子に座って会計に呼ばれるのを待って
いた。「三浦さんー」。声がした。見ると、私の椅子
の隣にしゃがんで、いつもの看護師さんである。
小声で言った。「わたし、此処をもう少しで辞める
ことになりました。今までありがとうございました」
私は此処に月一回しか来ないので、その間に彼女は
退職するのだろう。私は病院でこういうことで声を
かけられるのは初めてだったので少しどぎまぎした。
「そうでしたか、こちらこそお世話になりました」
そんなことを答えていたと思う。そういった資格・
職歴があれば、充分に社会を生きていけるだろう。
会計が終わって出口に向かった。ここで私はいつも
釣銭や領収書、処方箋や次回の予約書など区分けす
るのだった。その日もそのようにしたが、その後も
何か去りがたいものがあった。あの看護師さんのこ
とである。最後にもう一度挨拶したかった。出口で
逡巡していると、その看護師さんがもう一度会計前
ロビーに立った。私は自分でも驚くほど深くお辞儀
をした。彼女も両手で手を振ってくれた。笑顔だっ
た。薬局で薬を待つ間、ハタと気が付いた。先ほど
の看護師さんのことである。私は彼女の境遇―独身
か既婚かーや名前すら知らなかったのだ。しかし世
間とはそんなものなのだ。もう会うこともあるまい。
ところで私はいつかこの世を去る。十年後か十五年
後か?私の生死もわからずにその看護師さんは自ら
の時間を過ごすことだろう。それはごく自然な事。
世間とはそのようなものなのだ。
今まで、どうもありがとう。
* * *
―では、また。
島 秀生様 今回も丁寧にお読みいただき、ありがとうございました。ご指摘いただいた点、改めて読み返してみて、最後の部分が浮いている感じが分かりました。本当は、ここを一番書きたかったのに、イメージが伝わらないままになっていると思いました。作者自身はどうなのか、という部分が薄くなるというご指摘はこれまでにもいただいていたと思うのですが、難しいものだと感じます。「毎週の儀式」は推敲しているうちに、最後に付け加えてしまった部分で、足し算が失敗した反省例として、今後の糧としたいと存じます。 なんだか、毎年、夏が直線的に暑くなっていくようで体調管理が大変ですが、くれぐれもご自愛いただきますようお願いいたします。
評をいただきありがとうございます。
読み返してみると確かに言葉の重複が目立ちます。
以前に他の方にいただいた評でも同様の指摘を受けたことを思い出しました。
以降、詩を書く際にはこの点を意識するようにしたいです。
ご指摘ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。
求めるものが天にあるなら
空を仰いで手を出すがよい
雨も陽射しも恵みのものよ
祈り焦がれてひれ伏すがよい
要らぬものが天からくるなら
空を仰いで願うがよい
嵐も虫も災いのものよ
祈り倒してひれ伏すがよい
求めるものが地にあるのなら
手間隙惜しまず手を入れるがよい
手塩にかけた産物なれど
感謝忘れずひれ伏すがよい
要らぬものが地からくるなら
土地を鎮めて願うがよい
堤築いて災い阻め
そして祈りひれ伏すがよい
わたし的には、
ツクツクボウシ → 虫の声が聞こえ始める → 秋
というステップなんですけどね。
そういえば、夜になってもまだ虫の声が聞こえない。
(耳鳴りは聞こえてるけど)
長いですよね、夏。
来週後半になったら、ちょっと季節が進むのかなあー
一時、誤情報とされましたが、数々の良い詩集を出された書肆山田は、本当に廃業した由です。
書肆山田の既刊本も、もう書店ルートで取り扱いされていません。
創業者のお一人が亡くなれた影響が、やはり大であったようです。
●司 龍之介さん「輝く泡」
いい詩ですね。しかも、あったかい。これ、司さんの最高傑作ではないでしょうか。
2つの話が同時進行していて、最初は、両者かけ離れているかに見える、「私とあなた」(奇数連)対「迷子の子猫さんと犬のお巡りさん」(偶数連)なのですが、連を追うごとに両者は近づいていきます。終盤では、「迷子の子猫さんと犬のお巡りさん」が翻って「私とあなた」の比喩であったことがわかるとともに、両者は一体のものとなっていきます。
同時に人生観が語られ、人生の短さは泡のようであること、しかしながら二人の温もりの元に過ごせば、その泡は金色の輝く泡となれることを説いています。
5~6連の体言止めの連続のあとの、7連「あらなんと」の切り替えも鮮やかでしたね。いいリズム感で、はまりました。
また、3連の「感謝だけは忘れずに/生きていこうと思います」の言葉もいいね。人間はすぐ慢心しがちなのだけど、一人だった時の孤独感を忘れずにずっといれば、自然と相手に感謝の念は湧いてくるというものです。
司さんの人生観や思考といったものにも、賛同したいものがありますね。
名作&代表作入りを。
些細なこと1点。
ここの場では( )付き記載となり、ルビは振れないんですが、初連3行目の「何時」は、(なんどき)のルビを振った方がいいでしょうね。たぶん、「いつ」ではなく、そっちで読ませたいはず。
●温泉郷さん「サボテンと秋を待つ」
文体はもう完全にできてますね。内容をおいても、まずもって全文を読むだけで文学の香りを味わえます。
とりわけ前半、とてもいいですね。朝鮮半島からの引き揚げ。途中亡くなる人、殺される人も多い中で、命からがら引き揚げてこられたのがわかる。と同時に、冒頭の「手記」の内容が、この時の話が書かれたものだとわかります。
また、4連のほかの植物がなんなのかはわかりませんが、このシャコバサボテンだけは、自分の人生の手記に絡んで頂いたものだけに、自分の人生を知ってくれてる肉親の作者に託したかったんでしょうね。(加えて言えば、ほとんど手間のかからないこのシャコバサボテンであれば、あまり面倒をみない作者でもなんとかなるだろうと思われていた部分もあるかも、ですが。)
施設に入るにあたり、大切に育てていた植物を整理されたのも、家との別れの覚悟と言いますか、もの悲しいものがありますね。この詩は、お母さんの人物像がとてもよく察せられる形に書かれていると思います。そこが、この詩の一番いいとこですね。
ただ、この詩の印象については、一つぼやけるものがあるのです。
11連で、サボテンのしなっとした様子が後ろめたさとして書かれていますが、
ここがね、ちょっと引っ掛かるんです。8月に訪れた、この日が一番ひどいことになってた。とか、いつもなら戻るのに戻らなくなってたという最悪な状態を隠してる、と言ってもらった方が、11連の意味はわかりやすかったのですが、
7連の「毎週の儀式」の言葉が結構ジャマをしていて、5~6連の様子が、「毎回こんな感じ」みたいに読めてしまう。そこで、そう読んでしまうと、11連で隠しているものも、毎回そんな調子の常態化したものを隠してる、ということになって、ちょっと意味が変わってくるんですよね。
正直なところ、そもそも「毎週の儀式」という言葉がなかった方が、この詩はスルッと読めたんですけどね。この言葉があるために、5~6連の様子が、8月に行ったらとびきり状態が悪かったの意か、いつもこんな感じが常態化してる意か、メリハリをつける必要が出てきた、ということです。
そこでメリハリがついてないと、11連で「隠してるもの」がぼやけてしまって、11連のインパクトがなくなるんですよね。
なので、この点だけ改善を図って下さい。
現状でも名作ですが、ここの改善を図ってもらったら、代表作入りも可能。
●こすもすさん「時間という川」
うむ、こすもすさんは、途中のプロセス部分をきちんと書かれるのが、いいとこですよね。そこの丁寧な書きぶりが、詩全体の豊かさにも繋がります。
また、基本の起承転結の構造をきちんと守って書かれてるのだと思う。そこも良いとこですが、ラストだけ、もう少しインパクトを持ちましょうかね?
終連に行くまでに、「速く」「遅く」はすでに3回使われているので、4回目はもういいと思うんです。また、「流れ」という言葉も都度都度使ってこられてますから、伏線は充分といいますか、「流れ」という言葉も、もう抜いて大丈夫な状態です。
ついてはラストでは、そこを踏まえて、もう一段ステップアップした表現にしませんか?
ひとつ前の連から行きます。
決して
流れが止まることはない
時間という川
そんな川の中を
私は今日も漂っている
ラストはこれでいいと思うんです。一考してみて下さい。
いいとこまで来てますけどねー。秀作半歩前としましょう。
●相野零次さん「鍋」
抽象の鍋。その鍋に放り込まれるものは何か? 放り込むべきものは何か? そこを突き詰めるドロドロ感がいいですね。発想も語彙力も豊かに、粘り強く書き込まれているのがいい。秀作プラスあげましょう。
1点、どうしても気になるのが、
1行目がね。2行目の形容ではなくて、1行目だけでワンセンテンスの終止形に見えるのですよ。特に、「ぐつぐつ、ぐつぐつと煮えたぎる」という言葉のせいもあって、鍋の映像が浮かぶのです。もっと言えば、もう具材が入ったあとの、煮えている鍋の図が浮かぶのです。
ところがね、2行目以降が、これから切り刻んで入れていく様子が描かれているので、結果と工程の図が、逆転して見えるのです。順序が逆転して見えるのですよ。(書いてる本人にはわからないかな? 推敲時には頭を一回クリアにして、客観的に見る必要があるのだけど・・・。)私はこのギャップを残したまま、ずっと続けない方がいいと思う。解消してから次に行った方がいいと思う。
それで、1行目を主行とした逆転を、4行目までで一度切って、冒頭4行をプロローグ的にしてはどうか? という案を提案しておきます。「最終的には僕自身が具の一部となるのだろう」という、詩の終盤で出るべき言葉が先に出てきてるのも、これで同時に解消できます。こんな感じです。
ぐつぐつ、ぐつぐつと煮えたぎる生命の音がする
愛とか蝶とか、春とか光る朝とか
生命そのものを味わうための具を選ぶ
最終的には僕自身が具の一部となるのだろう
闇のナイフで切り刻む
腐ったキャベツや熟れ過ぎたトマトを
生命そのものを脅かすような輩を全て切り刻む
そうして煮込んでいる鍋にぶちまける
生命そのものの疑問全てをぶちまける
(以下同文)
この方が、全体構成が見える形ではあります。ご一考下さい。