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今回も私の詩にお目を通していただき、誠にありがとうございます。佳作
との評をくださり、とても励みになります。
女性の年齢の描写についてご助言をいただいた上に、作例をお示しくださり、
大変参考になりました。こうすることで、流れがずっとよくなりますね。
今後とも、どうかよろしくお願い致します。
1 人と庸さん 「天泣そして天弓」 11/15
タイトルがどうしてこうなったかはひとまず措きます。本文のほうは自分なりに概ね感知することはできそうです。これは一種の寓話詩と捉えました。「電車」はこの社会、この世界と見ます。しかも冒頭にあるように、停滞して硬直化した社会のようです。そんな中で人々はルーティン化した日常、ステレオタイプ化した価値観で生きてゆく。そして、相互に無関心で相互に“孤独な群衆”なのでしょう。どうも、ここに出て来る人々や事物は、うなだれて、ひどく疲れているように思えます。現代の日本を思わせます。しかし、時に文中「その人」のような人も存在します。こういう状況に耐えきれず、飛び出す人。「その人」は誰でもいい。不特定多数・匿名的人間。何もかも踏まえながらも、敢えて飛び出したのです。ここも非常に寓話的です。虹という一筋の”社会的光明(?)“を見たのかもしれませんが、でも、その人は知っています。(それが何になるんだ、何もなりゃしない!)―そう簡単には変わらない、ということです。彼は元の枠組みに戻っていきます。こんな風に読みました。この詩のどこかには、どうも社会学の素地がある気がする。もし、そうであるならば、と考え佳作とします。
2 上田一眞さん 「祐の成長」 11/16
アイゴを調べましたが、ホント、棘が凄そう。個性的というか、不気味というか、ちょっと好き嫌いが分かれそうなものを感じました。それを上手く使った冒頭エピソードです。「たけすて~」はケッサクですね。上田さんは山口ですが、息子さんは千葉におられて、上田さんが息子夫婦を訪ねた折りでしょうか?これは実話でしょうね。二度目の「たけすて~」は昔を思い出してからかったのでしょうね。悲劇はスマホを落としたこと。その後も各種見舞う不運です。それにもめげず、粘り強く探す祐さんです。しかし不運の末の幸運。海中からスマホを掬い取るのは至難の業でしょう。冷静にひとつひとつ手段を用意していた。諦めない意志力もある。あと器用な気もしますね。思わぬ出来事から息子さんの成長を見た。子ども時分を知っているだけに、思いもひとしおだったのでしょう。
詩としての純度を求めたものとは少し違う、エッセイ詩といったところでしょう。すでに上田さんは詩モチーフというか傾向によって書き分けているので、これでいいのです。 佳作半歩前で。
アフターアワーズ。
釣り具用語が多少出て来るので、それらも注釈付けてもいいかも?
3 松本福広さん 「水兵ソデビーム氏の愛」 11/16
「* 本来、ここまで書かない方がいいとは思いますが」―いえ、書いてもらってよかったのですよ(笑)。いやあ、勉強になります。普段見たことはあっても何の感興もわかなかった。読んでみて、(ああ、そういえば―!)といった感覚です。名があるのも知りませんでした。もちろん、その役割すら、です。逆に言えば、こういった物に目が行き素材として連れてくる松本さんの傾向、属性には驚くばかりです。なかなかこうはいかないものです。どの連も感動的ですが、僕にとっては、とりわけ4連・5連でしょう。「氏」は人知れず立つ。いざとなれば、自分の姿かたちがゆがんでも、へこんでも、人を、車を、物を守る。これを「無償の愛」「至上の愛」と呼ばずして何と呼びましょうや。(あ~ナンカ、興奮してきた!) 生身の個人はこうはいかない。擬人化された物品ならではの精神でしょう。最後の「信仰」が象徴的ですね。その信仰とは、人に振り向かれず、なすところなく、ただ、立ち尽くすのが、すなわち彼の幸福・人々の幸福と信じることでしょう。物品でありながら、すぐれてヒューマンな素材と詩でした。そこが魅力の佳作。
4 白猫の夜さん 「雨の味」 11/17 初めてのかたなので、今回は感想のみ書かせて頂きます。
どこか童話的、ファンタジー的です。2連~4連の論理性がややこしいです。1~2回読んだだけだと、よくわかりません。読み手側からすると、―けっこう大事な部分なので―論理性をスーッと通してやったほうがいいでしょう。とにかく、結果、この少女は亡くなるわけですが、この詩は、やはり寓話的で、現代の悲劇、つまり孤独や懊悩の末、亡くなってしまう人々と、無関心で優しさ無しの周囲の人々との関係を説いたもの、そんな風に評者は受け取っています。それをファンタジー風に味付けしたものと考えていますが、そうすると、3連は全体ファンタジーの中にあって現代という“地”が出てしまっています。ここは違和感を感じますので、上記した論理性も含めて、再編成したいところです。今回を参考にして、また書いてみてください。
5 じじいじじいさん 「ありがとう」 11/17
いやあ~、こういう詩は弱いんですよねー。たとえ想像やフィクションで書かれたとしても、これは世の常にありがちな場面。ある種リアリズムです。いいと思います。
まず褒めておきたいのは、子ども自身の独白である点です。気持ちを素直に出せるでしょう。良いチョイスですね。次に子供の気持ちが素直に直截に出た言葉の表情をよく捉えている点です。いわゆる”なりきって書いている“のがよく伝わってきます。死というものがどういうものか、まだよくわかっていない。そこに幼さを感じさせます。こどもの幼い年齢を考えると、「じいじ」は比較的若いおじいちゃんかもしれない。文中通り「おもいびょうき」だったのでしょう。この詩はそこまで考えさせてくれます。悲しみがいっそう存在する。ゆめのくだりは、じいじが夢で最後に会いに来たのでしょう。起きてみて写真が置かれていたのは、ママの心づくしでしょうか。じいじは亡くなられました。
タイトルを「じいじの~」とかせず、「ありがとう」―これは詩のタイトル特有の付け方ですね。良いと思います。甘め佳作を。
6 まるまるさん 「絵本の読み聞かせをしています」 11/17
私事になって恐縮ですが、僕はある詩人会に入っているのですが、ご高齢者には、この詩と同じような心情になることはあります。
(つい先日もM氏にそのように思いました)。
端的に言えば―この詩文中から拾うと―「来てくれる回があるだけでいい」
たとえば、病気でのドタキャンにしても、運営側としてはその人を気遣いながらも、正直、困惑するわけです。ただ、この詩は、そういった地点とは別の処に立っていることが理解されるのです。ここで気持ちの切り替えが行われています。それが、詩中二度出て来る「来てくれる回があるだけでいい」この詩を代表する言葉です。「残念は あるはずもない」もいい言葉ですねえ。こういう気持ちの切り替えを、人は普通、優しさと呼びます。ある日の読み聞かせサークルを背景としながらも、これは気づかいの詩。まるまるさんに相応しい。こういう事例は現場で経験した人が実感を以って共感できるでしょう。甘め佳作を。
7 相野零次さん 「ありがとう」 11/18
これは良い意味での、語り手の得体の知れなさが面白いですね。このことが最後まで読ませる要素に繋がっていると思います。この詩もファンタジー的、寓話的。けっこう「論」も多用されてますが、けっして押しつけがましくもなく小難しくもない。それはこの語り口のおかげ。あくまで優しく軽くフレンドリーなんです。場面の差し込み方の量もバランスもタイミングも考えられていますね。
思うに、相野さんが普段、感じ思い考えていること、そんなフィーリングを、ちょっと奇妙な場面、世界に託して語った、これはやや変形ながら相野さんの独白と捉えてもいいかもしれない。「いえいえ こちらこそありがとう」以降、なんかホンワカして、安心して眠れそうです。甘め佳作で、おやすみなさい。
8 静間安夫さん 「イートイン」 11/18
冒頭から恐縮ですが、助言です。この奇妙な女性の年齢の描写があったほうがいいんです。そうすることによって、時代背景が鮮やかに立ち上がって来るからです。説得力も増すでしょう。「学生運動やってた頃は」で、大体察しはつくのですが、まあ、戦前・戦中の話も出てきますが(単に知識として知ってたのでしょうが)、なかなかリアルなので、時代感覚において僕には軽い錯覚があったのです。年齢らしきものを入れると「学生運動」と呼応して傍証が二本立てになります。すっと入って行きます。
幾つくらいだろう?
女性の歳を言うのはけっこう難しいが
七〇半ばくらいか
―などと、ニュアンスをつけて綴っても可です。
さて、なかなか面白い場面設定です。実話かフィクションかは問わず、ストーリーのみ注目しましょう。かつては女闘士として、行動のみならず、なかなかの理論派でもあったようです。前半は明らかに回想を含めた独り言なのですが、後半、彼女が席を立って「わたし」に話しかけるくだりから、流れが少し変わるようです。ヘルダーリンの詩がポイントになってきます。前回、話した「詩と哲学」の関係が、今回はかなり近寄ったのがわかります。そして、その格言めいた詩行も、その硬さも含め、良い味になりました。この言葉こそが主役。極端に言えば、この言葉を表現するために、この詩はあったとも言えるでしょう。僕が最終的に思うところは、静間さんの思いを、この奇妙な老女に託して語らせた。そのニュアンスこそが、この詩の身上と思うわけです。さらに言うと、コンビニのイートインという現代性と、この老女の型破り性。その対照の妙も見どころ、読みどころ。最後の主人公の心情も爽やか。物語が詩に乗せて結ばれました。長く書いた価値ありにして佳作。
評のおわりに。
「QUINCYな夜」
“Have you met Mr JONES
ジョーンズさんに会ったかい?“
*
その人が亡くなった
―と聞いた
九十……? 何歳だったか
「愛のコリーダ」
マイケル・ジャクソンとのコラボレーション
その頃の彼の仕事は
私にとっては
実はどうでもいい
見つめていたいのは
その人が終生持ち続けた
JAZZの根幹
ブラックのために
過去のメモリー
未来のデザイン
彼は
ブラックミュージックの「今」を掴みながらも
いつでもJAZZに還るハートを持ち合わせていた
BASIEをボスと仰ぎ
作曲とアレンジに明け暮れた若さへ
私は
“JAZZ顔”を持っていた頃の
彼に会いに
酒と共に渡り歩いたが
そのサウンドはきりがない
苦笑
半ばであきらめ
眠りにつくのだった
瞑目
QUINCYと酔った夜
QUINCYを悼んだ夜
“R。I。P。 Mr JONES
おやすみなさい ジョーンズさん“
では また―
拙作に対し過分なお言葉を頂き恐縮です。
また、読んで頂いて「あったかい」というご感想も頂けてとても嬉しいです。
「絵本にもできそう」ということですが、書きながら絵が浮かんできて、私も絵本にできたらいいな。と思っておりました。
とても励みになる評を頂きありがとうございました。
評価をありがとうございます。
最初の4行を消して読んでみて、少しですが島先生の仰ることがわかりました。
確かにこちらの方が表現したいことがまとまっています。
ご指摘ありがとうございました。
またよろしくお願い致します。
お疲れ様です。上田です。
詩において、こころ模様を伝えることの難しさを痛感しています。
自分の中にはどうしようもない修羅がいて、幼い頃よりそれに苦しんできました。対人関係を構築出来ない辛さを味わい、長じてはうつ病の形で発露して、こころを更に捻じ曲げられ、寛解に近いとはいえ、今も死への誘いが顔を出します。
そんなとき、山や海に行き、一人になって自分に問いかけるのですが、それを詩として、いざ説明するとなるとなかなか困難です。
茸を焼いて食べるという行為、これにはご指摘を受けて、ああなるほど、自分の中にあるものと、世間の感覚は違うのだなと思いました。私は老いて世の中に置いて行かれているようです。
焚き火は私にとって、幼い頃より慣れ親しんだ行為ですから説明が必要ですね。
島さんの評を読んで、ご指摘いただき得心がいきました。
ありがとうございました。
島 秀生様 拙作に評をいただき、ありがとうございました。名作との評価をいただき、うれしい限りです。奥様が車に轢かれたネコを助けようとしたエピソードを拝読し、私の母と共通するものを感じました。こうした言動は、それまでのその人の人生経験や生来の感性の豊かさや優しさが咄嗟に現れるものなので、なかなか身に着くものではないと思いますが、少しでもそれに学ぶことが大切だと思っております。まあ、私の母はドライなところもあり、「どうせ、お前には無理だろうけどねえ」と言っているように思えて、「悲しい教え」となった次第です(笑)。今後ともよろしくご指導いただけますと、誠に幸いです。
今回の件、心からお詫び申し上げます。
申し訳ございません。
言い訳は致しません。
ただ井嶋様へ与えてしまった、不快なお気持ち、ただただ反省しています。
申し訳ありません。
自分へのペナルティとして、投稿は控えます。
本当にすみませんでした。
島 秀生さま コメントありがとうございます。
体調のほうもすこぶる悪くなって、一か月休職したのですが、
おかげさまでちょっと復活してきました。
詩のほうもまた書けるようになった感じで、嬉しいです。
島様 本作につきまして、私の今のところの代表作と褒めて下さり感謝致します。以前8月頃、「ロールキャベツ」で島様から頂いた評の中で、「私のベースが抒情系の側にあるので、抽象系になればなるほど混合体に行ってしまう」とのアドバイスを受けてから、抒情系である認識を持って描くよう心がけてきました。本作も抽象表現への誘惑を断ち切りながら推敲を重ねましたので感無量です。今後とも精進致します。
加えて、「躱わす」について、交わすと意味が異なる場合は、わざと「ひらがな」で表記することもあるのは存じ上げませんでした。
私の詩は、同音語を多用しますので覚えておきます。ありがとうございました。