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(あのーー、私が言うことでもないんですけど、詩は自由を旨としていますから、どこにでも投稿しようと思えば、投稿できないところはないんですけど、いきなり大きなところに挑戦しても、世の多くのものがそうであるように、ポッと書いて、ポッと通用する、ポッと賞が取れる、なんてことは、まずありえないことというか、相当に稀有な話なのです。
やってみることは止めませんけど、大きなところのノー・レスポンスにがっかりしたら、
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編集・削除(編集済: 2025年01月02日 01:55)

青島江里様  評の御礼です 温泉郷

青島江里様  いつもご指導ありがとうございます。昔のお豆腐屋さん、懐かしいですよね。友人とはかなり長い間、直接会えていなかったので、少しばかりショックを受けました。どういうわけか不運が重なる人がいます。昔から決して泣き言を言わない人だったので、かえってつらく感じました。希望がない中でも人生は続く、そんな感じになってしまいましたが、少しでも救いを感じていただけたならうれしいです。今後とも宜しくお願い致します。

編集・削除(未編集)

雨音さまへ、評のお礼  秋さやか

お忙しい中、評をいただきありがとうございます。
せっかく「雨音」というタイトルで詩ができたのでぜひ読んでいただきたかったです。
隻手音声という禅語が好きで、そんなところからも浮かんできた詩だったので、その感覚まで伝わったような気がしてとても嬉しいです。
こちらは昨日は雪でした。雨の音も、雪の無音も不思議と落ち着きますね。
また宜しくお願いいたします。

編集・削除(未編集)

きぼうに縋って  白猫の夜

青い月を描いて
赤い夜空を描いたその日
父から腹を殴られて
母から頬を叩かれた

小言を言いながら暴れる大人を
ただ息を潜めて眺めていたら
いつ間にやら気が済んだようで
残されたのは自我を消された部屋だった

ふと窓の外を見上げると
3階のベランダから見える
満天の星空と煌々と照る月
カラカラカラと窓をくぐって
ベランダに降り立つと
片方が働かない耳がひろう
隣の団欒の笑う声
何も感じなくしたはずなのに
流れる涙とこぼれた嗚咽

この手すりを乗り越えて
ここから飛び降りたら
……なんて

震える手と腕と
わななく足元
勇気を出したくて
ふと見上げた揺れる星の中
ぽつと光った"きぼう"の光

ISSの人工の光
あの人らの吸っている煙草の名前
夢見がちな人間の語る
ありえないほどの作り話

馬鹿らしい……馬鹿らしい!!
どうしてこんな時に限って
嘲るように蜘蛛の糸を垂らすのだろう!
これで私は希望にすがって
まんまと明日へと歩んでしまう
単純な私は喜んでしまう!!

ああ そうだ
今はどうかと耐えるしかない
薬とハサミを手に握る
菓子のように噛み砕いて
腕を引き裂いて
酩酊と痛みで鈍らせて

そうしたらいつか
消えてなくなってくれるはず
嘘が本当になれるはず
そうすればいつか
平穏に生きていけるはず

少し期待を諦めた
なまぬるい風のふく夜のこと
その風のなんとあたたかいこと

黄金の月を描いて
濃紺の夜空を描いた日
両親共々に頭を撫でられた
それを歪と思う自分を
薄れる意識の中
私は薄ぼんやりと眺めている

編集・削除(未編集)

雨音様 評のお礼 こすもす

評をいただきありがとうございます。
感情を抑えて淡々と語っている点が良かったとの言葉を見て嬉しくなりました。
さらに色や音を加えると詩に立体感が出てくるとのご指摘ありがとうございます。
今後詩作する時に色や音をどのように表現すればよいかを考えようと思います。
これからもよろしくお願いいたします。

編集・削除(未編集)

◎2月18日(火)~ 2月20日(木)ご投稿分、評と感想です。 (青島江里)

◎2月18日(火)~ 2月20日(木)ご投稿分、評と感想です。


☆五分前の世界  上原有栖さん

時間というものは刻々と過ぎてゆきますよね。しかも待ってくれないですよね。過ぎてしまうとすぐに過去になっちゃうんですよね。五分過ぎればもう過去の世界、タイトル通り、五分前の世界になっちゃいますね。五分前に呼び出しですか。話があるから校舎裏に来てって言われるなんて、かなり意味深ですね。なんだか読み手の私もドキドキしてしまいました。

一連目。「五分前」の事項について三点書かれていますが、時間軸について、少し躓いてしまいました。「校舎裏に呼び出し」はリアルに起きていることですよね。「三段重ねのアイスを買ってもらった」のもリアルに起きていることかな?それとも別々の三つの例えの中の一つとしてなのかな?仮に、校舎裏に呼び出された時に、三段重ねのアイスを買ってもらっていたとなると、五分前に同時に起こることは考えられないので、野球のシーンはリアルにあったことでなく「例え」になるのかな?ということについてです。野球のシーンが気持ちの「例え」なら「五分前/それは/まるで」にするとわかりやすいのではないかと思いました。

作中の中での「三段重ねのアイスクリーム」は、過ぎていく時間の表現の立役者として、とてもよい役目を果たしていると思いました。どんどん溶けてゆくアイスは、時間が過ぎてしまうと、落ちてしまうかもしれないというドキドキ感、砂時計のような細やかな時間を示してくれるようなものを、作中にもたらしてくれると感じました。そして重ねて例えている野球のシーン。これもかなり迫って来る緊張感を表現するのに、とてもよい効能を示していると思いました。

最終連。どっちに転んだのかは読み手の想像におまかせという着地。最後の最後までドキドキ感を与えたままに完結という場面も、中途半端にならず、すっきりと読み終えることができました。最後の一行、時間についてきっぱりと言い切る「時間は進む 戻ることはもうできない」は納得の一行。その通りのことをきっぱりと言いきってしまうことで、更に緊張感が上がりました。

書きたいことが、無駄なくきちんと整理されている作品。時間についての例えについても、言葉のからくりがもたらすようなもの感じさせてくれる作品でした。




☆色  樺里ゆうさん

特別なところであっても、そうでなくても、私たちが暮らしている景色というものは、何とも言えない美しい色を見せてくれますね。

人間の記憶と言うのは、何もかも100パーセント記憶できるというものではないので、この景色を忘れたくないという思いを叶えるには別の手段を持って記憶を繋げることが必要となってきますね。ある人は写真を撮るかもしれない。ある人は絵をかいて残すかもしれない。作者さんは言葉を持ってその記憶を保とうとしましたね。詩を書くことが好きな人間にとって、自然な行為なのでしょうね。そこからも、作者さんの言葉愛のようなものを感じることができました。

景色の例えも、作者さん独自の感性が伝わってきました。「レモン味のドロップを散らしたような」→レモン色としないところがオリジナルですね。レモン味とすることで酸っぱいような、切ないような気持ちにもさせてくれるところがよかったです。たった一文字で随分と読み手に与える感覚がちがってくるものだなぁと思いました。他にも「ターコイズブルーを 暗く 暗くしていくと」→とても暗いターコイズブルーとするよりも数倍わかりやすいですね。「暗く、暗く」と表現することで、微調整していくような繊細な色の表現が、これもまた印象に残りました。

「夕焼けを写し取った水たまりの」→水たまりに夕焼けが映っているのではなく、水たまりが夕焼けを写し取っているのだという表現は、水たまりがまるで生きているようで、どことなく自然の息吹を感じさせてくれました。

十二月の放課後 誰もいない廊下の窓から差し込んでいた
うす黄色の日差し
まぶしいのに 目が離せなくて
息をひそめて 見つめていた

こちらの連もかなり印象的でした。うす黄色の日差しと言う表現はどこにでもある感じがするのですが、「まぶしいのに 目が離せなくて」とすることで、冬の弱い陽ざしのイメージは一気に消えて、今日だけの特別な力強い日差しのようにも思わせてくれました。

後半では「脳内で必死に言葉を探しながら」「あの色たちを/どうしても言葉にしたかった」「たとえ人間の記憶が/簡単に書き換えられてしまうような/頼りないものだったとしても」「ずっと 覚えていたかった」→目の前で遭遇した美しい景色を言葉で表現してとどめたいという気持ちがはっきりと伝わってきます。人間の記憶の頼りなさを塗り替えてしまうような、作者さんの、言葉の力を信じているというような強い、熱い気持ちがジンジンと読み手にも伝わってきました。

どこにでもある日常の中で、本人だけが遭遇し、感じたもの。それらを自分なりに大切にしてゆきたい。そんな気持ちがたっぷりと込められた作品だと思いました。佳作を。




☆両想い 喜太郎さん

恋愛という内容を念頭に置いて「天秤」と言う言葉を聞くと、たいがい発想するのは、相手の浮気ネタだったりします。つまり「両天秤」という意味合い。しかし、こちらの「天秤」はそれとは全く逆の「天秤」でした。どちらの愛情が深いのかを量る「天秤」でした。発想がとてもユニーク。

発想はとてもユニークでいいのですが、中盤の内容を見ると、「好きが増える」や「好きが大きくて重い」など「好き+量りの単位或いは関連用語」というような言葉の足し算のような表現に頼り切っているようにも思えてしまいました。なので、この足し算に頼らずとも、雰囲気でもわかるような場面の設定や表現を、幾つか増やしていくことが必要なのかなと感じました。

終盤では、愛情の深さの比較だけでなく、思いすぎて相手に負担をかけてしまうような重い好きの意味にまで言及していました。そんな風にならないように気を付けるなんて言ってしまっています。「溢れ出ちゃうんだよ」とまで言ってしまっています。ここまで表現されると「もう、とんでもないくらい好きなんだなぁ、しょうがないなぁ、もう」というところまで、いい意味で読み手を走らせます。右も左も、「私」の景色は視界に無く、ただ真ん中に見える彼女のことばかりなのだと思わされてしまいました。甘ったるすぎることもなく、重すぎることもなく。今回の作品の中でのこのような表現は、この作品の中での一番の良さなのかもしれないって思いました。

ちょっと気の弱さを感じさせる、だけど見守ってあげたくなるような「私」のまじめな心の表現が気持ちに残る作品。今回は佳作二歩手前を。



☆心のつぶやき  埼玉のさっちゃんさん

歌詞のワンフレーズが思い出せないこと、ある、ある、ありますよねぇ。思い出そうとすればするほど、思い出せだせないんですよねぇ。そういう時って。作中のモヤモヤは、そういう感じの心のモヤモヤなんですね。なかなか答えに辿り着けない、足りない心の何かを表現しているようにも感じました。

そうこうしているうちに気がついた椿のつぼみと花の様子。場面転換。その様子を見て「今まで見過ごしてゴメンネ」というところは子供のようでかわいらしかったです。このかわいらしさが、後の行の「素直」にかかってくるのだなと思いました。うまくつながっているのですが「素直になることも必要なのだと感じる」からの「まっすぐ帰宅して感謝の言葉を言おう」は、少し唐突な感じがしました。間に言葉をおいてみるのもよいかなと思いました。たとえば「~必要なのだと感じる/いつも苦労をかけている大切なあの人にも/今日はまっすぐ帰宅して/感謝の言葉を伝えよう」……このような感じで、花にも素直に声をかけて謝ることができたように、大切な人にも素直な気持ちを伝えたいというようなことが大意になるように意識すると、もっとスムーズに繋がるように思いました。

終盤の「玄関のドアを開けたら/歌詞のフレーズを思い出した/ありがとう」ですが、素直になるといいことがあるのだよということを表現してくれているように思いました。もう少し深読みすると、何事も難しくとらえすぎたりすると、見失うものがある、色眼鏡をつけたような心にならぬよう、素直に生きていけたらいいなという願いのようなものも感じました。サラリと最後に言った「ありがとう」は、とっても無垢な子供が放つような響きでした。はたとひらめいた歌詞のフレーズ。この偶然を同時に持ってくるところも、この詩の楽しいところでした。今回は佳作一歩手前で。



☆偉大なる人よ  ふわり座さん

タイトルの「偉大なる人よ」の偉大なる人はお父さんのこと。日本人ってシャイなのがそうさせるのか、自分の身内のことを、なかなか偉大だって言い出せないような傾向がありますよね。たとえば、一生懸命家族を支えている妻を、人に紹介するにあたって、旦那さんが「いやぁ~こいつは、ちょっと抜けている奴でして~」など、褒めるどころか照れ隠しみたいに下げてしまうところがあるなぁって思ったりしていました。でも最近の話題の中では大リーガーの大谷選手が妻のことを「僕の美しい妻」と何かではっきりと言っているのを聞きました。その時、アメリカの方でははっきりと、褒めるところはストレートに伝えるんだと思いました。同じような思いを、この作中のタイトルから感じたのです。さっぱりしていて、どこか気持ちのよさを感じました。

二連目の「どうか羽ばたいて」ですが、一連目では父が天国に行くということをしらせていないので「羽ばたいて」だけでは、存命のままの世界で違うことにチャレンジするような、キラキラした意味にも捉えられてしまう可能性も出てくるので「どうか心配しないでください」くらいに抑えてもよいかなと思いました。

三連目の「とても素晴らしいものだった」ですがこのままでもいいといえばいいのですが、素晴らしいと大きな意味に広げてしまうよりは「尊敬」という意味に焦点を当てる方が、より深く父の存在を浮き彫りにできるのではないかと思いました。

六連目からの父と僕との心のやり取りの描写は、とてもよかったです。貯金をはたいでも、僕は見たいと思わせる現地のオーロラへの旅。父の存在の大きさを浮き立たせてくれました。言葉の力、愛情の深さも同時に感じさせてくれました。

オーロラをみることが願ったことを綴る連では、飾らないそのままの感動が素直に綴られていて、好感を持てました。「それはまるで空の支配者のようで/小さな事など全て吹き飛んだ/なんだかプラスのエネルギーが/心と身体に流れ込んだように感じた」……そして、その感情がそのままに父の僕に言いたかったことに繋がったという展開も、空と地に離れて暮らしていても関係のない、親子の絆のような、深い愛情のようなものを感じさせてくれました。

終盤では、父とオーロラの存在が一体化しているように表現されています。流れ的にも、全然、違和感がありませんでした。旅立った父と空のオーロラの一体化、それは、最終連での「顔を上げて歩く」という所作に繋げることに成功していると思いました。

この先も僕は忘れはしないだろう
人間は決して弱い生き物ではないということを
そして大切な人を失っても
悲しみだけではないということを

さあ歩こう
しっかりと顔を上げて

この二連の部分ですが、静かに続いていく想いを強調したいなとするのなら、位置を逆にすると、もっと余情的なものがアップするのではないかなと思いました。リアルな行動の描写ではなく、かたちの見えない心をラストに置くという方法です。あくまで個人的な見解ですが。

どこにいても親子は親子というような心も感じさせてくれた作品でした。
今回は佳作半歩手前を。




☆窯の中の休息  温泉郷さん

お豆腐屋さん。小さい頃、クラスメートの家がお豆腐屋さんを営んでいらっしゃって、私はそこのお豆腐が大好きでした。店の奥には大豆を煮る大きな窯がありました。大きくなってからお店を閉められたのですが、こちらの作品と同じように、ご家族がお二人とも倒れられたとご近所の方にききました。

詩の内容。お豆腐屋さんが閉店されたことから浮かんでくるのは、小売店が大手の企業にのまれてゆくことや、商店街に衰退、親の介護問題などでした。現代社会周辺についての悩みや難点についても考えさせられました。

介護士の資格を取って帰れば自分の親を介護するという旧友さん。心身ともに相当過酷な状況で暮らしているということが伝わってきました。

慣れてしまうと
慣れてしまうんだ
この先に何があるのか
そんなことはもう考えない

この連の言葉に今の社会についての状況が言い尽くされていると思いました。七連目の「今日も明日も~もしかしたら3年後も」という言葉の中にも、同じく、胸の中にずしんと沈んでくる辛さを感じました。

拝読してかなり辛くなる状況の中、読み手の私は、まさかのことで救われました。大豆を煮る窯が息子さんの心を抱擁する役目になるなんて。そして、弱くて泣き崩れてしまいそうになってもおかしくない心を隠してくれる秘密基地のような存在になるなんて。

ただの窯ではないのだ。地元のみんなが知っている老舗の豆腐屋の窯なのだ。湯気が立ち上っていた窯なのだと、生き生きと暮らしていた思い出が立ち込めるような、まるでタイムカプセルになるような存在になっていたなんて。このようなお話を作者さんは聞き逃さず、隅から隅まで言葉で映し出してくれました。この受け取り方や、表現する言葉の一つ一つは、旧友であるからこそ表現できるのだと思いました。付き合いの浅い人間なら、なに窯に入っているのだと嘲笑されてもおかしくないですから。最初の方の連の「お前には一度見せておきたかった」の言葉がこのシーンで輝きました。

最終連の「お前も~天井だけが見えるんだ」がひときわ、作者さんと旧友さんの友情の深さを感じさせてくれました。「天井だけが見えるんだ」のひとことにこめられたもの。それは、二人にしかわからない深いものがあると思わせてくれました。このような友情の表現もあるのだと感じさせてくれた心の作品。佳作を。

**********************************************************

気温20度越えになったと思えば、また真冬の気温に。あったかくなったり、寒くなったりするのは、
この時期にはありがちと思いますが、極端すぎてついていくのがたいへんだなぁと思うこの頃。
外で、丸々とからだを膨らませて過ごす小鳥のたくましさに、元気をもらいました。

みなさま、今日も一日、おつかれさまでした。

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三浦志郎様 評のお礼です  白猫の夜

三浦様、評をありがとうございます。
佳作を頂き、嬉しく思います。
今後も励もうと思います。
「幼い貴方」とある5連目が、幼少時代を振り返る連なので、伝わりやすようにここを丁寧に書いてみます。
ふたりの死の描写は、先生のおっしゃる通り、曖昧にとれるように書きました。
読み取っていただいて嬉しいです。
また、どうぞよろしくお願いいたします。

編集・削除(未編集)

雨音様 感想のお礼です 松本福広

感想ありがとうございました。

最後の方に書いてくださった「いろいろ大変」。
そこを少しでも描けなかったのが心残りでした。
清濁あわせ飲んだ上で、対象を肯定的に書きたいので、ご指摘いただいたガーナからの視点など描けば出来たのかもしれないなーと思いました。

バレンタインという日ということでしたので気持ちが走りました。
これがクリスマスとか、大晦日でも同じようなことをすると思います。
どの日であれ、その日その時書けるもの。たった今、自分の中の素材で何が描けるか。

暖かい感想をありがとうございます。
バレンタインという日に
バレンタインの詩を書きたいという気持ちが
スッキリしたので
次は寝かせたり整えたもので励んでいかないとですね 苦笑

編集・削除(編集済: 2025年03月03日 18:25)

雨音様 評のお礼です 上田一眞

お疲れ様です。上田です。
なるほど二つの視点の混在ですか。自分としては全く意識していなかったので、目から鱗の感覚を持ちました。
改めて読み直すと納得です。ご指摘くださり、ありがとうございました。
今後はこの点にも留意して詩作に臨みます。

編集・削除(未編集)

評ですね。2月14日〜17日ご投稿分  雨音


「センスを閉じて、光の方へ」荒木章太郎さん
荒木さん、こんにちは。今日は朝から雨が降っていて、静かな光の日です。
この作品にはとてもたくさんの要素があって、そして、荒木さんらしい一作だなと思いました。長めの作品ですがよく工夫されていて、さらっと読ませながらもとても深い思考を感じます。佳作です。この作品は細かいところをとやかくいうのは野暮だなと思わせる何かがあって(本当はわたしのやるべきことだと思うけれど)だからその心の声に従うことにいたしますね。少しだけ。

最初にタイトルを見た時に、「センス」というのは五感なのかな、シックスセンスかななんて考えていました。ですが、斜め上の「扇子」と「あなたセンスあるわね」の「センス」でした。これはシックスセンスの方のセンスに当たるのかなと思います。その前の「寂しい」「錆びつく」「さびしい」「さみしい」の流れから繋がってきますが、少し言葉遊びをしながら、センスの話がぐっと本題に入っていきます。それは斜めから入っていくようでいて、背筋を伸ばしてまっすぐ切り込んでいくようでした。最初に出てきた沼に戻っていきますが、この後半の部分でとても感銘を受けました。誰もがそうですが、傷つくことはとても怖いです。傷つきたくないから、色々な方法でそれぞれ身を守っているけれど、そのことで沼に足を踏み入れるような気持ちになっていく。実際はそうして守ってきた自分が背筋を伸ばして進んでみようとしている、このことを「さみしいをやさしいに変えていく」ことに繋げたことがすごく素敵だなと思いました。

「バレンタインデー」松本福広さん
松本さん、こんにちは。今日は感想のみ、ということですので、感想だけお伝えしますね。
価値観って本当に人によって違いますよね。人と人で違うのですが、そこにはやっぱり生まれ育った国の価値観というものも作用しています。そこから後進国のカカオ生産、国境を溶かすチョコレート、という描き方はとても良かったと思います。特に、日本ではバレンタインとチョコレートは切っても切れない関係ですから、バレンタインにこだわり過ぎたと書かれていましたが、バレンタインだからこそ書くのに意味があるもの、という捉え方をわたしはしました。日本人から見た景色があるように、ガーナから見た景色や価値観、幸福感、などもあると思いますので、そちらに思いを寄せて想像できる要素が加わるともっと良いかもしれませんね。今、マーハチョコレートはいろいろあって大変なようですね。そういったことを考えると、経済界の問題というよりも、国それぞれ固有の政治的歴史的背景もあるようです。

「雨音」秋さやかさん
さやかさん、今朝は雨音で目を覚ましました。そして、今も雨が窓に当たる音に気持ちが落ち着きます。作品、なんだか勝手にラブレターみたい、と読ませていただきました。
そういう私情を差し引いてもとても素敵なストーリー、目線の作品でした。佳作です。

何よりも素敵だったのは、「何かと触れ合って/はじめて音を奏でる」という部分です。言われてみればそうだなあと深く共感しましたし、それによって相手によって「それぞれの音」を奏る代弁者として扱っているところもとても心に残りました。さらにそれは雨だけのことではなくて、いろんなことに想像を広げて、人生観のようでもありますね。自分の声も相手の声も、響き合っていく、そういったハーモニーが繋がっていくのが雨の美しさと相まっていました。

「かつての私へ(一人暮らしI)」樺里ゆうさん
樺里さん、お待たせしました。こんにちは。
この作品はサブタイトルに「Ⅰ」とついているので、もしかしたら、Ⅱがあるのかもしれませんが、この作品だけで十分に伝わってくるものがありましたし、しっかり完結していると思います。とても良い作品だと思います。佳作です。
良い点はたくさんあります。まず、一人暮らし、自炊、を通して主人公が自然と前を向き始めて視野が広がっていることが、自然な流れの中で感じ取れます。健康って、食べる、寝る、がやっぱり支えていて、その部分に変化があったことで、自尊心が増えていったことが伝わってきます。また、他動的ではなく、自分で自分を救っていったことも伝わってきます。そして、最終連は胸にぐっとくるものがありますね。変わりたいと切望していた自分というのは、変わることで自分を救ってあげたかったはず、そして、変わったけれど自分自身はたった一人であるから、やっぱり地続きなんだ、私は私なんだ、というメッセージが伝わってきます。過去の自分への「あなたは大丈夫だよ」というメッセージが詰まった作品、とても心に残りました。
余談ですが、きっとこの主人公は過去もそのままありのままで十分に素敵だったと思います。一生懸命精一杯頑張ってきたんだなと。そんな読後感でした。

「とても優しい過去の僕」森山遼さん
森山さん、こんにちは。また雨が強くなってきました。
樺里さんが今の自分から過去の自分へ、という書き方をされていますが、森山さんはそれが逆になって、過去の自分が今の自分を見つめている、というあまりない視点から描かれていますね。これは私にとってはとても新鮮な感じでした。
今の僕は過去の僕をがっかりさせないように認めてもらえるように頑張っています。それは大変なことだと読者である私は思いますが、作品の中で、それは大変なことではなく、過去の僕はとても優しいんだ、と重ねて描かれています。とても優しい母親を持つ子供が、その優しさに応えようと頑張り続けてアイデンティティをなくしてしまう、ということがありますが、それともまた違うようです。そう考えてみると、これもやはり自助の一つなのかもしれないですよね。
この作品はこの独特の視点とストーリーがとても良いです。とてもまっすぐに書かれています。一方で読者である私はどこか危うさを感じるのですが、その度に、安心させるような言葉が挟み込まれています。これは読んでいる人が過去の僕を誤解しないように、過去の自分を守りたい、という今の自分の優しい気持ちなのだろうと感じています。視点は逆転していますが、別々なようで一人の自分ですから、肯定感がそこには存在していました。佳作一歩手前です。一歩ですが、もう少し連を分けていくと読者がすっとこの世界観に入っていきやすくなると思います。連を分ける、というと呼吸でということもありますが、整理していくという意味もあります。やはり伝わりやすく、というのも大切ですので、推敲しながらやってみてくださいね。

「悲しみと希望」こすもすさん
こすもすさん、こんにちは。今日は一日雨降りのようです。
悲しみがあって、希望もある、日常はそうやって作られていきますが、時折とてもやるせなくそのマーブル模様が浮かび上がっていく。そんな作品にまとまっています。この作品の良い部分は、淡々と語られていることです。つい感情的になってしまうそうな内容ですが、とても抑えてサラッと書かれています。そこに見え隠れするたくさんの想いは、極力感情を抑えて、悲しみと希望という言葉のみで書かれています。このままでも、抑えたままの作品としての形は出来上がっていると思います。そして、それはこの作品の良い部分です。だからそれは残したまま、もし手を入れていくとしたら、悲しみや希望の色や音、何かそういった質感のようなものを加えてみると立体感が出てくるかもしれません。このままだとちょっとだけ勿体無いかもしれないなと私は思いました。一つ一つ状況が違いますから、悲しみ、と言っても例えば色で表現したら、ちょっとづつ違いますよね。そういった作者の感じ方を、感情的な言葉を使わずに間接的に少し加えてみるとさらに良くなると思います。その方法だと直情的な感じではなくさらりと今の感触を残したままで少し変化をつけられそうです。こすもすさん、とてもポテンシャルのある作品ですので、試してみてくださいね。

「みいちゃんとおケラ」上田一眞さん
上田さん、お待たせしました。今、天気予報を見たら、今週は雨が多いようです。(この地域)
母と妹と兄のとても心が温かくなる、おけらはちょっとかわいそうだったけれど、そんなストーリーです。なんと言っても上田さん独特の滋味あふれる世界観が横たわっていて、堪能させていただきました。まず、みいちゃんの無邪気で愛らしい姿が頭に浮かんできます。お兄ちゃんのことがとても好きなことも伝わってきますし、場面描写も美しいです。桜貝のお墓というのも、事実だったのかもしれませんが、弔いに柔らかさを加えています。やはり上田さんにしか書けないだろうな、と思わせてくれるところがなんと言っても素敵でした。そう言ったことを考えると、佳作なのですが、今回は佳作ちょっとだけ見直してね、です。詩なので、小説と違って視点というのはあまり気にしなくていいような気もしますが、2連目が少しだけ気になりましたので、参考にしてください。この作品は、一連はみいちゃんの視点、二連もみいちゃんの視点、それ以降は兄の視点で描かれています。混在していますが、*で仕切られているので構わないと思います。二連の冒頭ですが、そう考えてみると、「妹に手渡した」というよりも「みいちゃんに手渡した」の方が良いと思います。妹に手渡した、だと兄の視点になってしまうからです。みいちゃんの視点のままにしておくと、みいちゃんの感情が描かれていることにも違和感を感じないので、その方がすんなりとしていると思いました。そこだけご一考くださいね。

「電車でのあの出来事」まるまるさん
まるまるさん、こんにちは。お待たせしました。そういえば、今日はひな祭りですね。
体験、として読んでしまいましたが、もし違うようでしたらごめんなさい。電車の中が汚れていた、誰もが避けるようなその汚れを20代の女性二人が片付けてくれた、という体験はなかなかありませんよね。もし私の目の前でそんな光景が広がっていたらどんな気持ちになっただろうと思いながら拝見しました。
この作品の良い部分、というか以前から思っていますが、まるまるさんは本当に過不足なくまとめるのが上手ですね。そして、構成がとても良いです。最低限の言葉の範囲で比較的短い作品の中に大きな世界観、主人公の感情が見えます。そして、あくまでもそれは日常から生まれてきます。また今回のような場合も手放しで賞賛しているのではなくて、聞いてみたかった、どうしてだったんだろう、という気持ちの描写もとてもしっくりときます。確かになかなかできることではなく、またそれを自らやっていた二人にどんな気持ちや事情があったのか気になります。年配の人が「ありがとう」じゃなくて「えらかったね」と言い残したり、主人公がティッシュを差し出すところも、と一つの作品としてのバランスがとても良いと感じました。佳作です。

終わりに:::
お待たせしました。
バレンタインデーに寄せて投稿数が多かったのかなと最初に思ったのですが、チョコレートでも恋愛でもなく内観的な作品がとても多かったことに驚いています。そしてどなたもとても良い作品ばかりでした。ありがとうございました。

編集・削除(未編集)

井嶋りゅう様 評の礼です  佐々木 礫

遅れましたが、「開花」への佳作の評価と、丁寧な読み及び講評をありがとうございます!
自分の中で一つの形として完成したと判断した上で投稿したとはいえ、もっと良い構成や修正があることは確かで、作品内の繋がりを幾許かでも読み取って貰えたことに少し驚きと感動があります!
また、書き方によって評者の方を選ぶと良いとの助言、ありがとうございます。

編集・削除(編集済: 2025年03月03日 13:46)
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