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地表を鏡とせよ
その瞬間、180°展開が始まる
向こうに私はいる
ここは鏡像の世界、裏側の世界
くぐもった音、そこはかとなくする匂い
私以外、誰もいない
地面は透けていて、本当の世界の真実が見える
下を向いて世界を見てみよう
道を歩いている大勢の人
中身はー空っぽ、皮だけが歩いている
自分で考えない、考えれない
電車が定時に駅に停まるような
決められた、それだけのもの
ビル街が広がっている
誰も住んでいない
コンクリートの廃墟
見栄とか
踊らされた無機質のマネキンが置かれている
温もりはなく、底冷えする冷たさだけ
ひび割れた、マネキンの崩れる音が聞こえる
ガラスとコンクリートの巨大な墓標
道は森に向かう
樹木は、表も裏も変わらない
あちこちに化学薬品が染み付いている
汚染された世界にあらがう植物たち
剥き出しの地表に荒野が広がり
その上に
人工の、作り物の
自然が、薄っぺらく置かれている
沈黙と、大いなる存在の怒りが満ちている
ここは鏡像の世界、裏側の世界
透明な階段を見つけた
光の搖らぎで、全体が見える
遥かな天空まで階段は続いている
その先には、新しい世界があるのだろうか
今日はやめておこう
きっと、帰ってこれなくなる
中身のない、本質の失われた、人工の世界
何もかも、プラスチックで作られた
偽物の世界
いつから、こうなったのだろう
人間は、何処に向かっているのだろう
私は誰だろう
私は、再び唱える
地表を鏡とせよ
180°展開する
原色の世界に戻ってきた
どちらが、私の世界なのか
何処も居場所じゃない、そんな気もする
微かに記憶に残る、家族の笑顔
家へ、まだ、帰らねばならない
待っている人がいる限り
呼ぶ声がある限り
私は、私である
平均台の上で
アクロバティックに
振る舞っても
君は平均値に見える
監視塔の上からでは
君は、ただのデータだ
君の頭上に
一本のロープを渡し
綱渡りをしている男がいる
彼は正しいのか
悪者を探しても
俺の皮膚は反応しない
ああ――
植物だった頃に戻りたい
もっと感受性が豊かだったはずだ
いや、神経質すぎたのかもしれない
敏感肌で、泣き虫で――
強くあるためには
鈍感にならなければ
無神経にならなければ
死刑執行などできない
それでも、
秩序を守るという理由で
四角四面におさまり続けていると
このままでは
石になってしまう
義母を見舞って
静かな帰り道
馴染みの
公園のカリンの樹
妻がふと見上げる
ひとつだけ
Y字の枝に挟まっている
落下できずに
地上に落ちた仲間を見る
初秋の風が撫でていた
あれは可哀そうね
鳥は来ないのかしら
秋から冬
冬から春
カリンは
黄色から
褐色に
そして
斑に黒ずみ
やせ細り 縮み
Y字に かろうじて
くっついていた
白い鳥が
くればいいのに
5月の連休
彼女は
無言で
土を確かめるように
ゆっくりと
踏みしめて歩く
見上げると
枝のカリンは
新しい芽吹きとともに
消えていた
きっと
白い鳥が来て
きっと
土に落ちたわよね……
君がばらばらになったら
どこから手をつければいいだろう
やっぱり頭?
いや手が先かな
意外と内臓からの方がいいかもしれない
天のお星様が僕に告げたんだ
君に会いにいけってね
そしたらそうなるかもしれないんだって
動物なんてみんな似たり寄ったりだから
たぶん僕もばらばらになるかもしれない
そしたら足からにして欲しいな
サッカーボールを蹴りたいから
あとはそうだなあ
川に流そうよ
あちこちぶつかってきっと楽しいよ
そしていつか出会えるさ
暗く深い海の底で
国道16号線沿い 横に目をやると横田基地
歩く歩道の先には小さなドーナッツ屋
店先に鉄製の白いベンチが置いてある
太ったな初老の外国の方が
コーヒー片手にドーナッツを頬張っている
空はどこまでも青くて雲ひとつない五月晴れで
その風景は絵になるなと感じて その絵に加わりたくなった
僕もドーナッツとコーヒを注文してしまう
片手にコーヒーで軽く会釈をして隣に座り
ドーナッツをガブリと頬張る
柔らかくてふわふわしている雲のよう
独特の甘さが口いっぱいに広がり
口のや周りは粉砂糖 思わず笑顔になってしまう
それを見ていた彼が膨らんだ頬のまま可愛い笑顔で
少し砂糖の付いた親指を立てて
こちらに向ける
僕も思わずドーナッツを摘みながら同じポーズで返す
お互いに笑顔 美味しさには言葉なんて必要ないんだな
コーヒーのほろ苦さが
青空を眺める穏やかなひとときを演出してくれる
彼はやがて立ち上がり手を振り歩き出す
僕は思わず「bye」と言葉を投げかけていた
彼は振り返り「bye」と微笑みながら返してくれた
少しの間がありものすごい爆音と共に
目前の滑走路に軍用機が着陸する
目の前に国道とフェンスを隔てて基地があり
さっきまでドーナッツ屋に笑顔の可愛い彼がいたリアル
軍用機が着陸する外国の基地がある事もリアル
青空の下 基地もドーナッツ屋もこんな近くに存在していて
できる事ならこちら側の穏やかな日々が続いたらと
ふと考えながら残りのドーナツを頬張った
残りのコーヒーを口にした後に
はドーナッツの甘さより
コーヒーのほろ苦さが口の中に残っていた
心の中にも目の前の基地のリアルが
何故か苦味のように残っている
立ち上がり店主に頭を下げて五月晴れの下歩き出す
リアルとリアルの間 国道16号線沿いの歩道
空はどちらのリアルにも同じ五月晴れが広がっていた
僕は
毎日毎日
何も見ず
何も感じることがないので
結局何も表現することがない
だが しかし
僕のなかには確実に生の重要な何かが
こころに引っかかっていて
それは表出を求めて
僕の疲れた自我を苦しめる
いつか表現し切るまで
あるいは
いつか
自分が自己とうまく一致して
何らの不快感もなくなるまで
僕は言葉を使って
苦しみ続けねばならない
雨が降る
ぽつぽつ
静かに弾ける音が優しい夜に溶ける
音は生活のリズムと不思議と調和していた
星ひとつ見えない寂しい夜空に
雨粒が街路灯に照らされ
日常の流星群
水たまりになれば
地上の夜景を切り取るけど
水玉ひとつぶなら何かを写していたりするのか
ぽつぽつ
雨と町あかり
窓からの夜景は
冷たいままで気持ちよかった
一階の居間から
テレビの特番で家族に向かって
大声でああでもない、こうでもないと
日頃の鬱屈を語る祖父の声が聞こえてくる。
ぽつぽつが夜空の景が破られるように
祖父の現実への観念が滂沱のように流れ込む
雨が地面に軽い音を打ち続ける今
祖父の静寂の星粒を裂くラッパのような声
短歌を詠みたくなった
今この時を切り取りたくて
─雨粒の言葉が降る空が夜色に じいじの好きな時事ネタ嫌い─
他の人からの評価なんてわからないけど
日常を切り取った言葉が
日常のリズムに流れて
ボトルメールのように誰かに届けば
口ずさんだ短歌は雨粒に
誰にも届かず水たまりに溶ける
空へ届いて また明日に夜降りますように
三浦様、評をありがとうございます。
今回の詩も、お忙しい中丁寧に読み取っていただいてありがとうございます。
先生の仰る通り、これは女性同士の確執じみた出来事がベースにあります。
「成長過程」の内容を上手に表現できなかったので、もう少し考え直してみます。
ご指摘ありがとうございます。
精進します、また、どうぞよろしくお願い致します。
《僕には藝術がわからないんだ》
僕は詩を書く
昔々は絵も描いた
美術展には現在も行く
絵が好きだ
フェイスブックの誌面で
OK氏と知り合ってからは
写真も観るようになった
音楽はクラシックからロックまで
そして初音ミクまで聴く
歌姫である初音ミクは
中古でCDはほぼ全て買い集めて
そして約4年間というもの
初音ミク以外は聴かない日が続いた
でも、巡音ルカが実は好きだ
(♪ミックミックにしてやんよ~~~っていい度胸してるわね?)
僕は荘厳な絵画からポップアートまで
好きなものは好きになった
また荘厳なクラシックから初音ミクや巡音ルカまで
好きなものは好きだ
特に僕の気持ちを
ハイにハイにハイにしてくれるなら
なんだって聴いてきたし
先は短くてもこれからも聴くだろう
ところが僕には
藝術がどうしてもわからないんだ
自分の好きなものだけを
自分の周りに集めただけでいたから
(大友克洋氏の劇画「童夢」の悪役主人公のジジイのようだ)
キライなものを勉強といって
観たり聴いたりなんてしたコトがない
ただヒトに薦められて聴いて
ハイにハイにハイになってしまったなら
話はまったく別である
そして言うにコトかいて藝術だと?
藝術としての絵画、写真、音楽なんかそんなもんは
さっぱりわからん
詩にいたっては自分で書くくせに
なんにもわからない
なぜ詩が好きかなんて
考えたコトなんてないし
説明しようとしたコトがない
と、言うコトは必然的に
文学なんてまるでわからない
文学?
僕にはなんもわかりましぇ~~ん
文学なんて好きな人が語ってればいいんである
僕は先が短いからつまらんコトで足踏みしたくない
本当に藝術がさっぱりわからないんだ
わからないまま
そのまま老いてしまった
だから僕は自分のコトを
藝術不感症なのではないかと思っている
僕の中では
ただ好きなオンガクや絵や写真に囲まれていたいと
ず~~っと思ってきたワケだ
そして困ったコトに
そのまま老人になってしまったワケだ
寄る辺なき老人
ハイにハイにハイになってその末に
目覚めたら哀しい老人だった
実は今現在
こうしてスマホの画面をぽちぽちとして
書いているこの詩だって
藝術を意識したりして書いてなんかいない
ただ僕の身体からぽこぽこ湧き出す言葉
頭蓋の中からじゅわじゅわと溢れ出す言葉
ハイにハイにハイにしてくれる焔だ
そうした噴火のごとき言葉が書かせるんだ
昔から激しい影響を受けた作家がいる
詩人ではなくて小説家の大藪春彦氏である
彼が描く暴力と性行為と銃火器の表現が大好きだ
急上昇するジェット戦闘機のエンジンのように
アフターバナーを炊いて
股間から飛び出し脳ミソをぶち抜いて
宇宙へとブッ飛んでゆく僕である
ハイにハイにハイにしてくれる大藪春彦氏!
それを真似て消化して昇華して詩として描くのがとても大好きなのであった
さすがに性行為を大藪春彦氏風に剥き出しのままで書けば
詩軟派師であった僕は困るのだった
女の子が僕の詩に感動してセックスしてくれなくなるからだ
詩軟派師はまあ色々あって
まあやってはいけなかったのだろうが
まあ若き日の下半身は
まあそれはもう別人だったワケで
まあそのコトはまた別な物語
とにかく大藪春彦氏の小説が好きだった
いや
「野獣死すべし」という彼のデヴュー作(1958年)が
狂おしいほど好きなのだ
現在の僕のデモーニッシュな部分の原型は
大藪春彦氏の「野獣死すべし」だ
確かに筒井康隆氏や小松左京氏などの
日本SFの黎明期の作家群の作品には
ひどく影響を受けていたが
ハイにハイにハイにしてくれたのは
大藪春彦氏なのだ!
大藪春彦氏が日本の文学界からは
大きく外れていて
しかも氏も
そうした界隈には
何の魅力も感じていなかったのだろう
だが銃火器やライフルでの猟のコトなどを
ただただ
夜が明けるまで
同好の士である作家と語りあいたかったのではないか?
アラスカでのヘラジカ猟の際の
自分を極限においた生命のやり取りを
同じ作家として語りあいたい
その表現の一字一句について語りあいたい
そう心の奥で思っていたとしても
いったい何を恥じると言うのか?
ハイにハイにハイに登りつめるのだ
でも大藪春彦氏は一人立ち尽くしていた作家だった
大藪春彦氏は自身の作中人物のごとく
孤高のヒトであった
だが、その寂しさは痛いほど胸を突き上げる
僕は藝術がさっぱりわからないんだ
孤独な詩人が
作品に向かい合う時のように
独りポツンと
それが二、三人そろって
小さな呑み屋でおでんをつつき
静かに肩を寄せあって
語り合うのもいいんじゃないか?
あははははは
いわゆる一匹狼協同組合だな
それは何も産まないだろう
だが滋養には必ずなる
そう信じていいではないか?
肩を寄せ合おうがそれを夢見ようが
僕はアルコール依存症者だ
断酒中だから
(今年で断酒歴33年になる)
同じように酒を酌み交わせない
誠に残念無念
とは言えもう老人だからこのままでいいや、とも思う
僕は藝術がちっともわからないんだ
だがそれがどうした?
書きたいものを書く
描きたいものを描くだろう
思えば僕はあまり多くの詩人を知らない
精通してわずか一年足らずの
中学二年生の時に読んで
「僕は詩人になる!」と決意させたのが
カール・サンドバーグ氏作安藤一郎氏訳の
詩の「シカゴ」だ
今から思えば少年に成り立ての時に感動し
そしてその感動を誰かに書いて見せたいと思ったのだ
棟方志功氏の「わだばゴッホになる」を彷彿とさせるとは褒め過ぎだろう
でも僕は昔から褒めれば伸びるタイプなんである
ただ当時はスポ根時代だったから
伸びなかったねえ
そして十五、六歳の時に激しい同志感を持って読んだのが
藤森安和氏の詩集「十五才の異常者」だ
もちろん裸で走りながらの「ユリイカ!」なんかでない
「その藝術を組み立てを知り味わいを共有しよう」なんてコトでもない
理解なんかどうでもいいんだ
同志感が巻き起こす高ぶりの風だ
そして
ハイにハイにハイにしてくれる速度感!
他に面白いと思った詩人はいるにはいる
草野心平氏は好きだ
(夜の蛙の合唱がハイにハイにハイにする魂! しかも最後には冬眠するんだぞ?)
厳密には詩人でないらしいが
僕にとっては詩人である稲垣足穂氏
彼の「一千一秒物語」には
どえらく影響をうけた時代がありました
中原中也氏は、でも過ぎ去る詩人だったなあ
そう言う詩人も考えればうらやましい
スペインの詩人にして劇作家のロルカは
父の親友が諳じていた詩人で
それで好きにはなったが
やはりコイツら欧州人は
大便が臭いと思ってしまうから
ちょっと距離を取ってしまう
他は知らない
たとえば詩集を古本で買っても
結局最後まで読めた試しがないのだ
詩ではないが
初音ミクだ!
初音ミクの歌詞を書いている
若者たちが大好きだ
ハイにハイにハイにしてくれる若者たちの熱!
その歌声と歌詞は
同じ若者だけでなく
老人の僕の心をも撃ち抜くからだ
やはり若者の剥き出しの感性は素晴らしい
たとえ頼りなくぷるぷる震えるものであっても、だ
詩ィだ
詩ィなのだ
詩ing
詩ィか?
詩ィでなくてなんだ?
詩ィ詩ィと赤ん坊の排尿を促してどうする?
僕の作品は
詩ィと名づけたから詩ィだ
ハイにハイにハイにしてくれる詩ィ
(僕は大阪人だから「詩」は「詩ィ」と発音する。共通語で書くのは多くの人と「分かち合いたい」から。おっとっと「標準語」と言って鼻高々な東京人、それ、ただの幻想ですから)
僕が詩と名付けたから詩以外のなにものでもない
詩でなきゃ詩でないなにか
キリリでキルルでハララななにかであっても
ちィ~~っともかまわない
(昔の角川文庫の「谷川俊太郎詩集」を引っ張り出して答え合わせ。文庫の背の糊がさすがに弱ってしまっていて、本の前半がバラけてしまう。その文庫の表3に「1975年6月25日アベノ旭屋書店にて」の書き文字あり。ちょうど50年前!)
いっそのコト
ゆあーんゆよーんゆやゆよんと
オノマトペでだけで名づけてヨシだ
(これも角川文庫の「中原中也詩集」引っ張り出して答え合わせ。記憶が正解の時の嬉しさよ!)
なんだっていい
書きたいものを書く
けれどふと
自分の立脚点がわからなくなってしまうが
そんなコトはしょっちゅうだ
確かすぐソコだったはずだがな?
「僕はどこ?」
ああ! この出だしは中三の時の僕の詩ではないか!
この沸き上がる寂しさだ
何十年をも俯瞰する老人の寂しさ
夜
深夜に書く
詩ィを書く
ノオトにボールペンを突き立てるようにして書く
あるいは
スマホの画面割れよとばかりに親指を叩き上げて書く
夜中に書き上げる
そして
最初の読者は僕だ
なんたる光栄!
突き抜ける快感!
ハイにハイにハイにどこまでも駆け抜けてゆく白馬!
たとえ翌朝、再読して不快に打ち震えようと
何ら問題はない
僕の詩の立脚点はここだ
すぐ傍だったのね~~
ただの自己満足?
おお、自己満足上等ではないか!
なんだって? それは自慰だ、だと?
自慰のいったいどこが悪いんだ?
表へ出ろ!
そして僕は大藪春彦氏が掲げた
松明(たいまつ)の明かりの中を歩くだろう
果てしない弾丸のやり取りが続いている
僕は禍々しい悪鬼のごとく次第に闇に沈んでゆく
それでも
僕の左手には火を吹くベレッタ92F
右手にはボールペンだ
僕には藝術がさっぱりわからない
だが今の所、わからなくて困るコトはない
きっと今晩、寝て死なないかぎり
明日からも生きていくだろう
だが明日死ぬとしても
今現在それで困るコトはない
ハイにハイにハイに死なないかぎり
ハイにハイにハイにゆく
ハイにハイにハイにゆくのだ!
僕には藝術がこれっぽちもわからないんだ
だから藝術は照明のカクテル光線を浴びなから
ばたばたばたと明後日の方向へ飛ぶだろう
僕は詩と一緒に今、旅が出来ればそれで充分だ
自分の心音を辿ると
蛇足のような地下鉄の
路線図を眺めるように
心がどう歪んで経巡ったのか
わかってしまうのです
暴力性が散見する自分の姿が
悪意にとらわれてしまった獣のようで
あなたの白い夏服に
僕がうつってしまうのが
とてつもなく いやだ。
引力が
あなたと引き合った
その大いなるあたたかさだけが
僕にもあなたにも必要です。
ねむるためにも。
おきるためにも。
健やかな欲望で
あなたを抱きしめていたいのです。
健やかな欲望で
「自由がほしい。」と
あいまいに踊るのではなく
しあわせになりたい と
朝飯のあとは
あたりまえのように吠えていたいのです。