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編集・削除(編集済: 2024年09月10日 18:37)

青島江里様 評をありがとうございます。

いつもご丁寧な評をありがとうございます。
「執着」が、いがいがしていますか。最近、題がつけられなくて、悩みます。
私には「執着」が、湿度の高い情と繋がって居る気がして、もっとカラリとした気持ちになりたいものだと思いながら、題にしました。
年を重ねたら、軽い気持ちになるのかと思っていましたが、若い頃より欲深くなってしまうこともあるようです。

編集・削除(未編集)

感想と評 10/4~10/7 ご投稿分 三浦志郎 10/13

1 上田一眞さん 「肥前山口」 10/5

肥前山口駅は現在は江北駅に改称(2022年 9月)されていますが、これは過去の詩ですから、当然山口駅でいいわけですね。詩は2つの「*」を設けて、いわば3章に分かれます。
1章と3章はーヘンな言い方ですが―過去の中の現在。2章のみが、さらに遡った子ども時代の過去。この明快な区分けはこの詩にとってけっこう大事で、物語がくっきりと立ってくる。読み手にも親切。1章では、多分に衝動的ではありますが、旅の動機が語られます。辛さを癒す旅の始まりです。駅名を聞いて、たちまち蘇る幼い頃の想い出です。2章ではそれらが宝物だったように語られています。みいちゃんも登場です(微笑)。3章は再び”過去の今”に戻って。1章と違うのは、心がやや上向くこと。2章によって癒され勇気づけられたのでしょう。過去という時間の最も意義深いものが手助けしてくれた、と言うべきでしょう。終わり2連にそれが表れています。2章~3章に共通するものがあって、佐賀平野の自然の良さと愛着です。わずかで地味ですが、この詩にいい味を与えています。その代表と目されるのが「クリーク」と「和蘭芥子」でしょうか。前者は佐賀(筑紫)平野にとって特別のもののようです。後者はオランダガラシ、いわゆるクレソンのことだそうです。
前回に比べ、良いと思います。そもそも前作は本作とは方向性が違うものですが、僕は本作のほうにより詩性を感じました。心の状態、その変遷が活写されているからです。そこにロマンを感じるからです。これは正に佳作です。

アフターアワーズ。
僕は佐賀は殆ど知らず、とっさに思い浮かんだ言葉は「鍋島~江藤新平」くらいでした(汗)。
「和蘭芥子」―(なんだ、クレソンのことか)僕はこの野菜がパセリよりも好きです。だいいち、この野菜、名前といい姿といい、ロマンがありますよ!付け合わせだけではもったいない。おひたし、あえもの、主役的にしたサラダもけっこう“いける”のですね。


2 荒木章太郎さん 「卑怯者のうた」 10/5

前回は「ちょっと地味で損した」みたいなことを書いた記憶があるのですが、今回はどうでしょうか?今回はそんなことはありません。むしろインパクトを感じました。ただ、その要因がタイトル「卑怯者」という、やや負の心情から来ている点です。もちろんそれは評価の軸を左右するものではありません。生身の人間ですから、そういうこともある。立派に詩になるものです。では内容を見てみましょう。まず「君と俺」の人間関係があります。そして俺は飛行機に乗って何処か旅に出るらしい。
そして、それは君から離れていくこと。そして考えてみれば、今までも心が離れていた。疎遠だったのかもしれない。どうやら親子間の深刻な何からしい。そのことで俺は忸怩たる思いである。しかし、離れているからこそ見えてくるものも、あるいはあるのかもしれない、そんな風に感じています。そんな心理作用が忸怩から新たな思考へと変容することもあるでしょう。すなわち最終連です。細かい事情はよくわかりませんが、もちろんそこまで書く必要はありません。重い心からの重い決断。それが伝わればいい。もう一度インパクトに話を戻すと、この詩はタイトルと共に詩行全体の心の動きも、それになっているのが知れるのです。佳作を。


3 秋乃 夕陽さん 「充足」 10/5

佳作です。上田さんと同様、前作よりも凄くいいです。前回は、「トピックが欲しい、具体的な作物を入れるなどして、肉付けをしましょう」みたいなことを書いたのですが、全て解消!自己の気分も描かれました。それでいて作物の状態、技術にも触れられていますよね。そうこなくっちゃ!
中間部に野菜名を入れたのも利いています。僕は固有名詞を適宜使うのは、詩を活性化しアクセントになり面白くする、と思っています。人物とかは難しいところもありますが、物品は問題なしです。「柔らかな可愛い手のような」が凄く可愛い。作物に励まされて一生懸命やってるうちに、ついつい時間を忘れた。丹精すればするほど、結果(実り、発育)が返ってくる。結果としてのこのタイトル。喜びに溢れています。ここには趣味共通の醍醐味が表されています。このフィーリング持続を。

アフターアワーズ。
小松菜は東京都がけっこうな産地だったりします(ミョウガもそうみたい)。それもそのはず、江戸時代の東京小松川が発祥だとか。丈夫で育てやすいのでしょう。ほうれん草に比べ地味めだけど、栄養満点。触ってみても頼もしげ。関東では正月のお雑煮には必須。もっと使われていい野菜ですね。


4 じじいじじいさん 「一粒目 二粒目」  10/7

以前、「ニッチ」(物事・対象の隙間)という言葉を書いたことがありましたが、この詩はじじいじじいさんの中で大人詩~子ども詩の中間(隙間)をカバー(あるいは狙った?)したものとして評価できます。思春期にある心の動きや事情や場面の詳細が上手く描けていると思います。
前半の「告白したい~恥ずかしい」と後半の「悲しい~嬉しい」の対比が骨格を成すのは悪くない構成ですね。若さらしい心の動きを捉えています。この詩の際立ったところは、涙の粒のところです。1粒目(悲し涙)。2粒目(嬉し涙)。この変化の描き方にあります。そしてもっと言うと、タイトルです。「彼~」とか「好き~」みたいなものにせず、“そっち”へ持って行った。これはセンスとしか言いようがないです。よくつけました。ところで、1篇の中でたちまち大願成就するのが、ちょっと予定調和に過ぎて”いかにも”感がしないでもないですが、まあ、いいでしょう。長期的に観ての、あくまで参考ですが、

1作……「あの人が好き!」の内面だけで止める。
2作……いろいろな経緯やモーションで止める。
3作……努力の甲斐あって、「俺も前から好きだよ」獲得のフィナーレ。

まあ、こんな風に書くと3作は書けるわけです。一粒で三度おいしい!? これだと連作風になってしまいますが、そんな構成的エッセンスを他作で活かしてもらうといいと思います。
しかし今回はそれはそれ、これはこれで―。要は今後、急ぎ過ぎず、あまり詰め込まないことでしょうか?本作は冒頭「ニッチ」カバーの性格を重んじて甘め佳作です。



5 静間安夫さん 「再審」 10/7

「袴田氏・死刑から無罪確定」に影響を受けたものでしょうか。そういう製作動機は大変重要なことだと考えられます。「水滴~ポタッ ポタッ」が重く不気味に響き、この作品の通奏低音となって背景を作っています。雰囲気にぴったりです。その場の描写は非常に詳細、克明に書き込まれています。実際こんな感じなのでしょう。教誨師は囚人への集合教誨もやるようですが、死刑囚には普段から最期まで専属につくようです。このあたりよく調べていると思います。リアルと思って非常にシリアスに読んできましたが、「閻魔大王」が出て来るあたりで、(ああ、これは……)という気持ちになりますね。このあたりが、この詩の特性であり、ちょっと限界といった言葉もちらついてきます。教誨師は良い方向のように詭弁を弄しますが、”幻想ストーリーの中のリアル”で言うなら、この人は死刑になる運命なわけです。その寸前で夢から覚めるといった設定でしょう。いぜん「水滴~ポタッ ポタッ」は継続され、脇役ながらこの詩を最後まで世話するかのようです。夢と現(うつつ)を結ぶ秘密の通り道かもしれません。全体のストーリーの流れとオチは、ちょっと定まったコースといった気はします。佳作一歩前で。

アフターアワーズ。
東京裁判でのA級戦犯に付き添った花山信勝(しんしょう)という教誨師は特に有名でした。


評のおわりに。

急に寒くなった気がしてます。なるほど、10月もすでに半ば。季節の境目は人々の服装ウオッチングがおもしろい。
すでに厚手の人、いまだ半袖Tシャツ人(若者!)、さまざま。ちょうどいいのが僕の服装!(笑) では、また。

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◎2024年10月1日~10月3日ご投稿分、評と感想です。  (青島江里)

2024年10月1日~10月3日ご投稿分、評と感想です。


☆「しんせきじゅうのおねえちゃんたち」森山 遼さん

にぎやかな様子が伝わってきます。人と人が仲良く暮らして笑いあえるって、簡単なようで実は難しかったりするのではないかと思ったりするのです。朝から晩までスマホとイヤホンに繋がっている最近の社会の様子をみていると。なので、このような詩の風景は貴重な風景のように思えました。

たくさん人が集まっているのですが、「」の会話がひとつもなしで、強力なにぎやかさを表せるっていうところがすごいです。大勢の人の中の中心に持ってきた「はくしょくれぐほん」が威力を発揮していますね。それに「はく・しょく・れぐ・ほん」って区切りながら力を込めて読んだりすると、たんたんたんという響きも面白く、朗読にもいいかもしれないですね。ただひとつ、白色レグホンは、鶏の種類だったりしますが、日頃は聞き慣れていない方も多いので、詩の欄外に白色レグホンとは何かという注記をいれるのもよいかもしれないですね。メインになっているワードが何かわからないままだと、楽しめる比率が減ってしまうので。もうひとつは「鳥生のたっちゃん」です。おそらく鶏肉店の名前だと思うのですが、こちらも一瞬、どういうことを言っているのかなと考えてしまったので、鳥生商店など、言い方を変えてみたり、パッと見てわかりやすくするのもよいかと思いました。

白色レグホンがみんなの頭にとまるところからのおおわらい、からの次のワード、「あかるいあおぞら」がよいですね。青空は本来、爽快で明るいものですが、あえて「あかるい」を重ねることでより爽快な明るさを感じることができました。このような言葉の扱いでさらに良かったなぁと思ったのは「しんせきじゅうのおねえちゃんたち」です。「じゅう」に「たち」ですよぉ。「しんせきのおねえちゃんたち」と比べてみると、全く人のいる感じが変わってきますよね。最終行の「とってもしあわせなしんせきじゅうのおねえちゃんたち」ですが、あえて改行し「とってもしあわせな/しんせきじゅうのおねえちゃんたち」として、おねえちゃんたちの様子を強調してみるのもよいかもしれませんね。あふれんばかりの集う人間の明るさと和の感じが伝わってくる作品。今回は佳作半歩手前を。



☆あの花の名前  喜太郎さん

その時は、そんなに大切な思い出になるなんて思わなかったということに、生きていると遭遇してしまうことがあります。戻りたいと思っても戻れない時間。とてつもなく寂しい気持ちになるでしょう。この作品はこのような戻れない時間に対しての切なさを、飾り立てたり、取り立てて美化することもなく、ただただありのままに、呟くように描かれています。そんなところが、より一層の現実という、今ある姿や場所を感じさせるのだと思いました。

描かれていることは、いつもの道を散歩して、一輪の花を見つけて好きな人を思い出すという内容になっています。同じ場所で、同じ花を見つけるということに、一連の季節の流れを感じさせます。秋風と青空というワードは、季節感を表現する秋の言葉のワンセットとしてもとらえられますが、哀愁と輝きという明と暗という対比的なものとしても捉えることが可能で、悲しみや寂しさという枠組みを浮かび上がらせる役目も果たしていると思いました。

この作品で、一番印象深かかったのは、以下です。

一人歩く公園 立ち止まる僕
しゃがみ込む 同じあの場所
花は咲いてる 可愛い花だよ

一人になっても同じように季節は流れてゆくという時間の厳しさ。好きな子はいなくてなっても、同じように花を見て、いなくなった子に教えてあげるように語りかけてあげるという優しさ。そこに輪をかけて、好きな子が可愛いといった花の名前がわからないということに続いてゆくという流れがなんともいえない現実の辛さを感じさせるのです。

三連目。「隣に無い」のあとの二行「寂しさが辛い~一人だけの時」は、説明せずとも充分伝わると思います。省略されたほうが、更に寂しさを伝えられるようにも思えました。

最終連の涙が零れないように上を向いた時に見た自然の美しさ。鱗雲は秋特有の上空の高いところに発生する雲。季節感を感じさせてくれると同時に、いくら背伸びしても届かないところにいる、広々とした青空の上のどこかにいるあの子を彷彿させて、印象深いラストでした。今回はふんわり甘めの佳作を。



☆ぼくよりおしゃべりなしっぽ  松本福広さん

読み始めは、しっぽという言葉が使われているということで、家族の猫や犬が浮かんでくるのですが、最終連の「てをあらっておいで」で、人間の子供かぁって、なるところが面白いですね。しっぽの題材って、個人的な感覚になりますが、かなり詩と相性がいいのではないかと思うところがあります。実際、私自身の個人の詩のノートや、こちらの新作紹介欄に提出したものにも、いくつか「しっぽ」を扱った作品があるなぁと、ふと、思ったりしました。

人間には尾てい骨というものがあり、それはしっぽの名残のようなものといわれたりもしますから、人間としっぽって、無関係な世界ではないですよね。むしろ、見えないけど見えているものを例えること自体がしっぽに繋がっていくと思うと、かなり親密な間柄になるかもしれないです。一、二連目は、その見えない心の感覚を、しっぽを通じてうまく描いていらっしゃるなぁって思いました。

二連目から三連目にかけてのしっぽ関係の言葉遊びも楽しい雰囲気を味合わせてもらいましたし、言葉遊びの連は、川崎洋さんの、たんぽぽの単語を色々な名前に変えてゆく、「ぽぽんた」「ぽたぽん」で有名な「たんぽぽ」を連想させてくれました。連想させてくれるだけではなく、この言葉遊びが詩の中で良い効果をあげているのです。それは何か?「ひとりでおるすばん」という設定です。寂しさを紛らわすためのひとつとも受け取ることができるからです。

最終連ではおかあさんの帰宅でほっとしていますね。こちらでも見えないしっぽのシーンが効果を発揮しています。「しっぽがすこしゆれていた」こちらの表現では、帰ってきてくれてホッとして嬉しくなった気持ち。ちょっと寂しかったという気持ちをおかあさんにみられたくないという二つの気持ちを感じさせてもらえました。びゅんびゅんとしっぽを振って飛びつく様子が犬だとしたら、「ぼく」は猫に近い感じの性格なのかなという想像も楽しかったりしました。しっぽという言葉からのアプローチが個性的な作品ですが、突飛でなく、人にも生き物にも重なる心と姿を、やわらかい言葉でつないでくれました。佳作を。



☆執着  津田古星さん

時間がたくさん流れて呼び名を変える時、時代という大きなまとまりに変わる時、その時にはすぐ届きそうだったものが、遠いものに感じてしまうことがある……作品を拝見し、そのような積み重ねられた心のひだを感じました。

時間が経って残ったものを濾紙やろ過、学校に行っていた頃にしかできない理科の実験にたとえているところが、青春時代に反映していて、ある意味、大きな一つの枠を作り上げているように思いました。

本当は機会があれば、もっと若い頃に会いたかったかもしれない。けれど、仮にあったとしても、変に恋の方向を意識してしまったり、何かの拍子に縁がとぎれてしまうかもしれないという不安も感じられました。会うまでも行かなくともギリギリの線でいいから交流したいという気持ちが、手紙やメールを使用するというやりとりの描写から伝わってきました。

最終的には自分の認めたくないものに突き当たったとなっていて、その表現からは時の流れの壁のような高さや分厚いものを感じさせられました。会うということを現実にしたいけれど、淡い恋ではなく欲のようなものが残るようになったのだというところには、虚しさという言葉が浮かんできました。

タイトルの「執着」ですが、少しイガイガがあるようなイメージ。こだわりの強さがアピールされている方向にかたよりぎみにも感じられるので、あと少しやわらかめの言葉を選んでみるのもよいかなと思いました。恋のようで恋でないもの。或いは恋と呼びたいけれど、恋と呼べないもの。思い出を大切にするあまり、壊したくないから自分に理由をつくって会わないと言い聞かせる気持ち等、複雑で繊細な心の動きが描かれている作品だと思いました。今回はふんわり甘めの佳作を。



☆あずさ号の恐竜  温泉郷さん

「出張の帰りの電車のから外を見ていると、恐竜の親子のように見える樹木を見つけた」という内容なのですが、詩って面白いよなぁって思わせてくれたのは、作者の想像力です。見たままの現状を書くと先頭の文章になってしまい、はい完結!となるところですが、ここは作者の想像力が入るだけで、あら、あら、どんどん様子が変わってきてしまいますね。

想像したことだけを書くと、こんな想像をしたのかと思っただけになったり、一歩間違えば、とってつけたような物語になってしまうところですが、こちらではまた、作者の描写するお力をみせていただきました。本当に自然な流れになっています。こちらは、恐竜に見えたという想像に車窓のスピードという現実をうまく混ぜ合わせたところにあるのだと思います。

ああ ごめんね
僕が見てしまったら
親子は動かなくなった

おまけに、作者のこんな温和な気遣いまであったり。

なんだかんだ、身近にある自然っていいよねっていう気持ちが、読み手にも伝わってきました。大人社会。仕事で疲れて帰る途中で、自然のゆったりした風景がもたらしてくれたものを、すんなりと受け止めることができた作者の、子供のような純粋な心を感じさせてもらえました。それからもうひとつ。ゆうるりとした詩の流れの中で、人間の自然破壊から逃れてひっそりと生きている命についても、考えさせてもらえました。最終行の「ただ 願うだけだ」という声が、うっすらと、やまびこのように響いてくるようにも思えました。佳作を。



☆ラブレター  愛繕夢久さん

登場人物の「僕」が愛する「あなた」…
僕が愛するあなたは、とても人柄の良い方なのだということがよく伝わってきました。しらとりと耳にすると、色白ですらっとした清楚な女性という見た目から入ってしまいそうですが、作者は伝えてくれました。日頃の生きる姿勢にひかれましたと。あなたはどういう人なのかを、しらとりの生活の様子に重ねて描こうとしてくれています。しらとりのふだんの生活の様子もしっかりと描くことができていてわかりやすかったです。

お話は変わりますが、後半の部分に、ひとつ、もったいないなぁ思うところがありました。

しらとりがみずかきのついたあしを
からだのしたでひっしにかいておよいでいる
あなたのえがおはそんなすがたににている

タイトルは「ラブレター」ということで、愛情を誰かに伝えるという意味が多大に含まれます。個人的に想像してみたのですが、仮に、とりが、みずかきのついた足を、水の下でかいて泳いでいるような必死さを感じさせない笑顔が好きです。というようなことを言われたとしたら、素直によろこべるかなぁと……他の行の、あなたに対する愛情の表現もきれいだし、しらとりの生活に対する気持ちの表現もきれい。だけど、ここだけひっかかってしまいました。どうしてだろうと考えてみた結果、「水かきのついた足を必死で」という言葉と「あなたのえがお」という言葉を繋ぐ距離が近すぎるだけなのだと思いました。或いは直接繋げることで悪影響を及ぼしているからではないのだろうかとも思いました。

けっしてらくではないしごとを
ほほえみながらこなしていくあなたは
みなもをおだやかにすすむしらとりのようだ

一連目にこのようなメインになるとても素敵な言葉があります。なので、この言葉が活かされるような詩の位置を考えてみてもいいのかなと思いました。

「しらとりのようなあなたがすきです」⇒しらとりの暮らしぶりを思う僕の様子⇒メインの言葉⇒「しらとりのようなあなたがすきです」など、水かきのついた足がクローズアップされないような位置を考えるとよいかと思いました。他にもいろんなパターンが見つかりそうです。

人のしたがらない楽ではない仕事を率先して、しかもほほえみながらこなしていける人をみつけることができたなんて、僕の目もうつくしいのだろうなと感じさせてくれます。純白感広がるきれいな作品だと思いました。



☆小鳥はいつしか羽ばたいて  ふわり座さん

巣から落ちた小鳥は本当にかわいそうです。見上げても巣に帰ることはできないですよね。なんらかの力を借りずには。

三連目。小鳥のようでという並列の後に、子猫が出てきますが、後の連でも登場しませんし、タイトル自体も小鳥メインなので、省略された方がいいかなと思いました。

一連目では世の中からの挫折のようなたとえが並べられていく中、五連目では、変わった展開がなされ、遠い日の約束、君を迎えに行くという約束になっています。こちらの勝負という内容がどのようなものかがはっきりしない分の整理や補足が必要な気がしました。君を迎えに行く⇒お互いに愛し合っている関係なのかと思えば、どちらかが先に本気で愛してしまったら負けという、ゲームのような空気感もあり、ややミステリーです。二人の間柄がどのようなものか、わかりやすくしてもらえると、読み込みやすくなると思いました。この部分がはっきりすると、「僕は負けた」からの後の言葉は地続きになっているので、一気にこの詩の世界の内容についてひらけることができると思いました。

ラストの「ああ カラスがうるさいなあ」の着地は面白かったです。せっかく鷹になりたいっていうまで気持ちは上がっていたのに、横から入ってきたカラスの声に気分が萎えてしまったのか、一気に現実にさらされてしまってため息をつきたくなってしまったのか。「なかなか現実は自分思い通りにいかないんですよ。みなさん、そうは思いませんか?」などという裏メッセージを感じさせる部分がありました。予想外の着地。とてもユニークでした。負けっぱなしではいられないという強い気持ちと、現実に萎えてしまいそうな気持ちと。人間っぽい空気感が漂う作品。今回は佳作二歩手前で。



++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

酷暑もようやくやわらぎの兆し。急に朝晩、肌寒さを感じることも。
秋ですね。先々の小さい秋をみつけたいですね。

みなさま、今日も一日おつかれさまでした。

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暗転  秋乃 夕陽

夜中の二時前
布団の上で俯きながら枕に頬杖ついて上半身浮かせ
スマホのワードアプリから今この詩を打っている
頭の左隅っこがジンと響いて痛い
なぜこうなったのか
これからこの痛みについてどう対処すれば良いのか
わからぬまま文字を打ち続ける
とたんにガタンと眠気が襲う
天幕が降りて晦冥が視界を覆った

ガヤガヤと人の囁きや物音と共に視界が開けた
眩しいほどの輝きと共に突如舞台が現れ
ヨーロッパの街中を再現したセットを背に
人々が楽しそうに踊り歌っている
(芝居の途中で眠ってしまったのか)
役者たちは皆生き生きと笑顔を浮かべ
誰もが手を取り合いながら
高らかに生きることの喜びを力強く謳う
その圧倒的な力は点すら揺るがすほどだ
私は半ばその代え難い力に魅了され酔いしれる

突如壁が剥がれ落ちるように場面は変わり
爆音と銃声が耳を劈いた
建物は崩壊し人は血塗れで倒れ
女性は悲惨な表情で泣き叫んでいる
私は何が起こったのかわからず混乱しながら
辺りを見回した
目に留まったのは白い土壁の民家の前で
他民族の兵士が民衆に銃を向け
耳を劈くような銃声と共に
悲鳴を上げる民衆の目の前で土煙が上がった
兵士と同じ民族の入植者の男たちが
兵士の物陰に隠れながら
不気味な笑みを顔に貼り付けながら眺めている

これは地獄だ
この世のものとも思えないほどの悪夢が
繰り広げられている
私はずんとさらに重苦しくなった頭を抱えながら
俯いた
俯いた先の地面は白くひび割れて
もはや土なのか砂なのかわからないほど
乾き切っている
歯を食いしばりながらぎゅっと目を瞑ると
再び冥闇に覆われた

私は柔らかい布団の上で
枕を土台にして俯き加減に頬杖をついていた
どうやらいつの間にか眠り込んでしまったようだ
あまりの惨状を目の当たりにしたばかりに
ホッと胸を撫で下ろす
心なしか心臓がどっどっどっと激しく鼓動している
夢でありながら急激な場面転換と
あまりにもリアルで生々しい状態に
心身ともに疲れ切ってしまっているようだ
私は大きく息を吐きながら寝返りを打ち
スマホを枕の横へ裏向きに置きながら
苦しみ喘ぐ民衆の身を按じた
遠くから微かに響くサイレンの音を耳にしながら

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岬にて  上田一眞

 ♫時には母のない子のように  *1

カルメン・マキの歌声が
耳に響く

異郷の空
小糠雨がそぼ降るなか
とぼろ とぼろ と
岬の浜辺をひとり歩いた

砂に残った一筋の足跡が雨に濡れる
雨音はない

 ♫母のない子になったなら
 誰にも愛を語れない

天涯に去った母の
受難を噛みしめ
あなたの息子はここにいますと
涙雨に濡れながら
手を伸ばす

届かぬわが手
わが想い
母は遠きところへ行き賜う

   あなたの元へ
      行きたいのに
   あなたへの愛を
      語りたいのに

雨粒が次第に重くなり
砂地に 深く突き刺さる

無言の雨に峻拒され
ずぶ濡れになりながら 岬にて   
滴る雨を 振り払う

渦巻く想念
母の声を思い出せぬまま
偲ぶ歌を 口ずさむ  

 ♫時には母のない子のように
 大きな声で 叫んでみたい




*1 時には母のない子のように 寺山修司作

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紗野玲空様ありがとうございます。 松本福広

こちらでは、はじめまして。
評ありがとうございます。
評者で作品を選ぶのはよくないのかもしれませんが、今回はちょっと悪戯をしました 苦笑
夢見たものは通販で購入しています。クリスマス号も楽しみにしています。実はそこにも引っかけました。
他国から見た日本の紹介。異文化紹介って、たまにズレを感じられ、それが面白かったりします。
そのツッコミどころを再現してみました。

クリスマスに引っ掛けったっていうのは、クリスマスが伝播して日本独特の形になっているんだろうけど、向こうの人から見ると、おかしく見えるんだろうなと。
人間からしたら魔女は時に怖い扱いをされるけど、もしも魔女がいたら人間の方が怖いかも?
なんて……なんて想像を飛ばしました。
サンドリヨンについては変身と可愛らしいイメージから採りましたが、もう一工夫考えたいですね。

さてさて、悪戯の種明かしはこんな感じです。
ご容赦いただければ幸いです。次回からは描写を選ばない作品を投稿いたします。
よろしくお願いします。

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紗野玲空様 評をありがとうございます。

読んで頂き ありがとうございます。
丁寧に汲み取っていただき、大変嬉しく思います。
最後がやはり迷いました。ない方が良かったかとも思いましたが、オカリナで始めたので、メロディーという言葉で終わらせました。
「軽やかなメロディー」に乗せるのは、まだ自分のなかで難しいと感じている部分があるのだろうと、ご指摘をいただいて気づきました。

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紗野玲空様 評のお礼です。  荒木章太郎

 佳作の評を頂きありがとうございました。金目鯛の事は存じ上げませんでした。なんだか私の無意識が解釈の光に照らされたようで救われました。
 そう、精神分析を受けることで得られた洞察のような清々しさを感じます。私は逃げている訳ではないのですね。
 前作「彼岸花」では、自分で考え、体験から学び得られる救いを表現しました。本作では前作の答えを、紗野さんの本作に対する評によって得ることができました。自分自身の作品に対する洞察が進み癒されたのです。
そして、私は詩を書くことで救われていることに気づいたのです。感謝しております。
 まだまだ私は作品の中で自分を卑下しているようです。きっとそれは、周りの評価を気にする恐れからきているのだと思います。
もっと私の中にある光にも目を向け、私の中の葛藤が表現できるようになりたいです。

編集・削除(編集済: 2024年10月11日 10:07)

雨音様 「登校」の評の御礼 ベル

雨音様、「登校」の評をありがとうございました。評にありました、バックミラーかサイドミラーか、ですがバックミラーであります。とても幸せそうな、でも女の子を送り出すことを本当に心配しているのだと感じ、気になって、バックミラーで後方を見たのです。車種にもよるのでしょうが、サイドミラーですと前方から目を逸らす角度が急すぎて、運転席からちょっとだけ左上にあるバックミラーで様子を見ました。また、素敵なアドバイスもありがとうございました。また、よろしくお願いします。

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10/8〜10/10 ご投稿分の感想です。  紗野玲空

都合によりお先に失礼致します。
10/8〜10/10にご投稿いただいた作品の感想・評でございます。
素敵な詩を沢山ありがとうございました。
一所懸命、拝読させていただきました。
しかしながら、作者の意図を読み取れていない部分も多々あるかと存じます。
的外れな感想を述べてしまっているかも知れませんが、詩の味わい方の一つとして、お考えいただけたら幸いです。


******* 


☆「許される」 喜太郎さま

喜太郎様、こんにちは。御投稿ありがとうございます。

喜太郎さんって、女性の心がよくわかってらっしゃるなあと、感心してしまいます。
許すことの裏側にある苦しみや優しさを理解してくれるパートナーがいたら幸せですし、自らも許せる人間でありたいと願いながら、拝読させていただきました。
連毎に味わっていきましょう。

1連目…笑顔で許すこと、その裏にある優しさには大きな傷が伴うことが語られます。
2連目…その優しさを軽んじていると、その人を失うことになるという暗示が綴られます。
3連目…2連目を継いで、失ってからの手遅れ〜後からその人の優しさ、大切さに気付くものだと語られます。
4連目…失ったものの大きさ〜「もう二度とあなたは許されないのです」と結ばれ、最終連に続きます。

私は恋愛指南として拝読させていただきましたが、恋愛だけではありませんね。
よくよく味わうと、人間関係全てにおいて言える、普遍的かつ大切なことを詩を通して教えていただいたように感じています。

問題は、こういった普遍的で重要なことを「許される」という題のもとに、いかに詩として表現されているかということです。
「許す」をキーワードとして大きく捉え直しますと、

「許してくれる人をただ優しいと思わないでください」
  ↓
その人は傷ついて「笑顔で許している」
  ↓
失ってからでは
失ったものも人もかけがえなく
「あなたは許されないのです」

となります。

「許される」を題とするならば、あとほんの少しだけ、「許す」「許される」ということに重点をおいてみたらどうかしら…と感じました。

  優しさと冷酷さは紙一重
  紙一重なんです

と結ばれているのを拝読しますと、喜太郎さんが「優しさと冷酷さが紙一重」であることを強調したいのがわかります。
優しさと冷酷さ〜ここに「許す・許される」のキーワードを盛り込み、もう一捻りしてみてはいかがでしょうか。
優しさとはその人の優しさ。
冷酷さとは、許すことに疲れてしまったその人の優しさにようやく気付いたあなた自身の冷酷さなのか、許しに重きを置かなかった二人の間に横たわる冷酷さなのか…。
許すという優しさは愛すること、信じることにも通じると思います。

一貫して抽象的にまとめられていますが、具体的なことを少し挟んでもいいかもしれません。
喜太郎さんだから書けるのであって、とても難しいテーマだと思います。
一つ一つの詩行がとても胸に響きます。
だからこそ、より喜太郎さんらしい調味料を加え、少し煮込んでみてください。
寒くなってきたことですし、詩も煮込んで冷めた処で味がしみて、また温めるとぐっとおいしくなると思います。

人生訓として得る処多い、佳き作品でした。
御作、佳作とさせていただきます。
ありがとうございました。


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☆「とある魔女のハロウィンについての説明」 松本福広さま

松本福広様、こんにちは。御投稿ありがとうございます。

ハロウィン〜毎年10月31日に行われる夜の祭りですね。
カボチャなどをくり抜いて作る「ジャック・オー・ランタン」を飾ったり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪れてお菓子をもらったりするのが、現在、一般的に言われるハロウィンの風習のようです(日本では渋谷辺りの乱痴気騒ぎが毎年話題になりますが…)。

本詩のハロウィンに登場するのが、魔女と孫の見習い魔法使いのサンドリヨン。
ハロウィンを題材とするに相応しい面白い設定ですね。
題も面白いですね。「……説明」とした処が興味深いです。

初連の導入は昔話のはじまりのようで、一気に引きつけられます。
お話は魔法の世界の楽しいハロウィン…本来あるべき姿のハロウィンとでもいうべき、ケルトの風習を踏襲した行事を思わせるハロウィンと、人間たちのハロウィンに分けて語られています。

さて、サンドリヨン=Cendrillonとは、シャルル・ペローの童話の主人公、日本語表記される処のシンデレラを指すのでしょうか。
0時になると魔法がとけて、元の姿に戻ってしまうシンデレラ〜松本さんの詩文を拝読しますと、0時が子どもとおとなを分ける一つの区切りとして設定されているようですし、やはり、魔法と0時とシンデレラ…これらの言葉は本詩の核心を左右するようです。

人間たちのハロウィンはね……に続く連は、人間の格好をしたモンスターである我々の世界を皮肉っているのでしょうか。
歩んでいるレールも回転速度も、時に無茶苦茶になるアトラクションのような社会で、我々は生活をしているのではないかと気付かされます。
魔女から見れば、人間のハロウィンはハロウィンの日だけに限ることでなく、実は仮面を剥がした顔もまたモンスターなのだと…。
サンドリヨンへの魔女の語りは、人間社会に対する批判として読み手に響きます。

最終連が、松本さんが理想とされるハロウィンなのでしょうね。
魔女の世界だけでなく、人間の世界にも、感謝と祈りを主とした本来のハロウィンを思い出す魔法をかけてほしいものです。

ハロウィンという行事にシンデレラの物語をかけ合わせ、0時を境に子どもとおとなを描きながら、現代社会も風刺する…。
ハロウィン特有の楽しさや近年のハロウィン顔負けの狂気じみた出来事も色々想起させる…。
楽しく、興味深く拝読させていただきました。

ただ一点、欲を申し上げるならば、サンドリヨンが灰かぶり姫であるシンデレラであるのならば、ガラスの靴や南瓜などのモチーフを更に重ね、もう一捻りされるとより深みが増すのではないかと感じました。
御一考いただけたら幸いです。
楽しい佳き作品でした。
ありがとうございました。


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☆「視覚優位の病床で」 荒木章太郎さま

荒木章太郎様、こんにちは。御投稿ありがとうございます。

1連目から、素敵な詩句が並びますね。

  鱗雲が金目鯛の大群のように
  金色の尾鰭をひらめかせながら
  誇張された言葉の波が打ち寄せる
  秋の夕暮れ
  私は双眼鏡を手放さず
  情報の波に飲まれて、ただ眺めるだけだ

この連、個人的にとても好きです。
夕焼けに染まる鱗雲を金目鯛にたとえる面白さ。
そこから双眼鏡を手放さず(遠くまでしっかりと見ようとするんですね)…、しかし、「情報の波に飲まれて、ただ眺めるだけだ」という、この連の最終行に漂う一種の虚無感は、単なる情景描写の美しさに留まらない、次に待ち受ける展開への期待と、詩の奥行きを感じさせます。
素晴らしい初連だと思います。

2連目、双眼鏡で覗き見ることについて、詳しく記されますね。
そう、ああ、…嘆息しながら、監視、観察、批評をするものの…「行動することを恐れ、」「逃げ道を探」すとは、私自身も常々自省していることであり、身につまされました。

3連目はこの詩で一番伝えたいメッセージですね。
詩句も、一語一語、章太郎さんらしい言葉で、苦心されて選び抜いたことが伝わってきます。
四角いなどの図形表現は、前作の「彼岸花」でも月を四角と表わされていたように、章太郎さんの表現の特長とも言えるでしょう。

四角という画一的な世界に閉じ籠もり、目で見えることを主体(視覚優位)として、各々が自らの頭で考えることを放棄し、民主主義を寝たきり状態にさせている……。
問題の先送りの行く方が明日の雲なのは、明日のことは誰にもわからず、雲はただ流れ行き、曖昧に消えてしまうからでしょうか。

短い詩ながらも、展開の素晴らしさ、無駄のなさが読み手を引きつける作品だと感じました。
社会的問題への提起も感じられました。佳き作品でした。
ありがとうございました。
御作、佳作とさせていただきます。

一つだけ申し上げるとするならば、章太郎さんは逃げ道を探しながらも、実際は決して逃げてはいないと思うのです。
明日も雲が浮かぶであろう空を睨みながら、失った言葉を眠りから覚まそうともがいているはずです。
その葛藤を読んでみたくなりました。 

余談ですが、金目鯛は海中では全体的には銀色に近く、釣り上げられた後に赤くなるのだそうです。
大きな丸い目の奥には反射層があり、わずかな光でも感じ取れるために深海でも生息できるんだとか…。
金目鯛の色の変化、金目がわずかな光の中に見る世界〜視覚優位の病床にあって、何かの緒になりそうな気もいたします。


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☆「解放」 津田古星さま

津田古星様、こんにちは。御投稿ありがとうございます。

素直に直接胸に響いてくる、とても素敵な詩だと思います。
初連のオカリナの導入がとても活きていると感じます。
土笛の温かさ、指先に伝わる息の温度や震えが、この詩全体を優しく包み込んでくれているようです。

若い頃の恋が主題を引き寄せているようですね。
二十歳で出会い、互いの魂の響きを感じていたのですね。
しかし、二人は別々の世界に生きることを選んだようです。
離れてしまえば、共に生きた時も幻想のように感じます。
魂の響きを手がかりとして、時の流れと私とあなたの関係の変化がよく描かれていると思いました。

5連目まで読み進めて、私からあなたの前を去ったことに気づかされます。
6連目で、実はあなたが私の思いを退け、私は自ら去らざるを得なかったのだろうと察します。
そして、二人は一生、肉体が魂を離れる時まで、魂を震わせることがないだろうということも…。

あなたは私のふるさとを見ることはなかったけれど、私はあなたのふるさとを知っている…。
あなたの真摯な生き方や、あなたが歩んだ道が必ずしも平坦ではなかったのだろうと私が振り返ることができるのは、私(津田さん)のあなたへの優しさ、信頼の深さであり、そこには、私のあなたへの変わらぬ魂の震えが感じられました。

終連は、離れてそれぞれの人生を生き切る決意の詩文の中に、清々しさすら感じられました。
「解放」とはそこに見出された題なのでありましょう。
おめでとう…互いの人生に最終的にそう言えるのは素敵ですね。

一点だけ、気になった処を申し上げます。
「軽やかなメロディーに乗せて」
一番最後の詩行だけに、強く印象に残ります。
あえて、「軽やかなメロディー」とされたのでしょう。
一方で、少し勿体ない感じもするのです。
初連のオカリナの響きが、本詩には常に響いているように感じられます。
それが最後にどのように響くのか、「軽やかなメロディー」に乗せてみてはどうかしらと感じたのです。 
更に欲を申すならば、私(津田さん)の魂の振動の細かな変化についても、もう少し読んでみたいと感じました(祈りに形を変えたのでしょうか)。

オカリナを吹いたら、会えなくても、おめでとうと思っていても…
やはり魂は何かしらに反響するような気がいたします。
御一考いただけたら嬉しいです。

素敵な佳き作品でした。
ありがとうございました。


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以上、4作品、御投稿いただき、誠にありがとうございました。
それぞれに、素晴らしい作品でした。
十分に読み取れていなかった部分も多かったかと存じます。
読み違いはご指摘いただけたら嬉しいです。

急に肌寒くなってまいりました。
しかし、能登の復興も進まず、悲惨な紛争は続き、季節が変わっても、変わらねばならぬものは変わらずに停滞しております。
ある方が「ひとりの人間のすることに限界があることは分かっていても、それでも書くことには、それなりの意味があると信じたい」とおっしゃっていました。
無力に絶望する毎日ですが、それでも、表現に悩みながらぽつぽつ書き続けてまいりたいと思っております。
実り多き秋となりますよう、皆様お健やかにお過ごしくださいませ。   紗野玲空

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