◆ここは「MY DEAR掲示板」です。
詩をある程度の期間書いている方、詩に意欲的に取り組みたい方、詩人に向け成長を目指す方はこの掲示板をご利用下さい。
あなたの詩をしっかりと読み、評や感想を、しっかりと書かせて頂きます。
ここから詩人として巣立った人は数知れず、です。あなたの詩を継続的に見守り、詩の成長を助ける掲示板です。
(あのーー、私が言うことでもないんですけど、詩は自由を旨としていますから、どこにでも投稿しようと思えば、投稿できないところはないんですけど、いきなり大きなところに挑戦しても、世の多くのものがそうであるように、ポッと書いて、ポッと通用する、ポッと賞が取れる、なんてことは、まずありえないことというか、相当に稀有な話なのです。
やってみることは止めませんけど、大きなところのノー・レスポンスにがっかりしたら、
あきらめてしまう前にMY DEARに来ませんか?
MY DEARは投稿された作品全部に評をお返しします。
本来、こつこつ実力をつけてから、賞などに挑戦するのが、スジだと思いませんか?
MY DEARはあなたのこつこつを、支援するところです。)
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お先真っ暗な
フューチャー
その先の先にあるはずの
光へと向かって
目の前が
真っ暗闇だろうと
何度でも
キリヒラク
お先真っ暗な
フューチャー
その先の先にあるはずの
光へと向かって・・
先ずは評のお礼でございます。ありがとうございます。
実体験ではありませんが、自分でも上手く表現できていないかな?と思っていたところを、端的に、そして素晴らしい表現法を教えていただき、誠にありがとうございます。とても勉強になりました。
これからも励みたいと思います。
ありがとうございます。
窓を開けると小雨が降っている
どこかの国では晴れている
どこかの国では雪かもしれない
どこかの国では嵐かもしれない
朝食のトーストを食べる
誰かはご飯を食べているかも
誰かは何も食べれてないかも
誰かは食べる物さえ無いかも
普段通りの電車に乗る
誰かは歩いているかも
誰かは出かけないかも
誰かは逃げているかも
パソコンに向かい仕事をする
誰かは汗をかいて仕事かも
誰かは何もしていないかも
誰かは銃で戦っているかも
家への帰り道に家族を思う
誰かは一人の部屋に帰るかも
誰かはずっと家にいたかも
誰かは帰る家は無いかも
風呂に入りベットに潜り込む
誰かは一日中 寝ていたかも
誰かはこれから起きて身支度かも
誰かは明日生きているかも分からないかも
それでも地球は回っている
どこかの国に朝が来て
どこかの国に夜が来る
どこかの国に争いがある
どこかの国に貧困がある
どこの国にも人はいる
どの国のどの人にも笑顔であってほしい
そう願い眠りにつく
水無川 渉様、評ありがとうございます。
確かに私の不注意というのか、言葉を捏ねくり回す悪癖のせいで、意味が重なっている二重のものが三つありました。
例えば「異様に暑い酷暑」などは酷暑では何かもの足りず異様に暑いという形容詞をくっつけてしまうのは私の悪癖です。
ご指摘ありがとうございます。
佳作一歩前、納得です。
ありがとうございます。
遠い灯のことを想う時
誰も道に迷わぬように
抱いて
抱いたまま
抱きしめて
そのままで
傍目には奇妙でも
離さないで
歩き難くても
どっちが前だかわからなくても
とりあえず進んで
進むしかないの
足がもつれて
転びそうでも
どっちに向かってるの?
抱いてと言って抱いてくれたから
こちらも抱かれるしかなくて
くっついたまま
愛しているから
愛されたくて
そしたら愛してくれたから
離れられなくて
よろめきながら
何もかもがもう
どうでも良くなって
危ないと誰かが叫ぶ
元から危ない恋だから
抱いて
もう抱いてるよ
いいから抱いて
お願いだから
離さないで
離れたくても
このままで
食事の時も一つの席で
それは私のパスタ
あなたのはペペロンチーノ
トイレぐらいは一時離れて
でもまたすぐくっついて
お会計の時も二人は一つ
どっちの家に帰るの?
もう薄暗い夜道
くるくる回るのやめて
駅は階段あるから
足下よく見てね
自動改札はちょっと厄介
みんな離れて見てるけど
気にしないで
抱いて
抱きしめて
お願い道を開けて
車は止まって
信号は無視で
警察まで来たみたい
回りながら逃げて
遠い灯のことを想う時
二人が道に迷わぬように
知らない誰かが迷ったとしても
私たちが結ばれるのは
これからだから
細かなところまで読み取っていただけてありがたいです。
秀作嬉しいです。
励みになります。
風景描写が欠けていることで、広がりのない詩になってしまっていることは自分でも感じるところです。
「言葉が痩せる」、「言葉が細る」に対して「言葉を増やす(豊富にする)」知らない言葉でしたが、とてもわかりやすい的確な言葉ですね。
勉強になりました。
風景のことは自覚もありますがあまり得意でないのだと思います。
ですが、それによって広がっていかないことも感じています。
これから少しずつチャレンジしていって、より良い作品にしていけるようにしたいと思います。
今回も評をくださりありがとうございました。
いいぞ、よく言った。それで十分だ!
死を探し歩くのは辞めなさい。死を悼みなさい。生を讃えなさい。
徒に死を唱えるのも辞めなさい。生気に満ちた赤ん坊を起こしてしまうから。
同情し、よく嘆きなさい。生けるもの、生きる意志を。より多くを生かし、唯の一つの死を、寧ろ哀しみなさい。
一つ一つの死体を秤に載せてはいけない。その行いは、酔い覚めの水としてはあまりにも冷たいから。
もしも、鼻を突く死の匂いを受けたなら、その場で叫び声を上げなさい。
それから、我らで狂乱状態になって騒ぎ立てよう。一つの死が受け止められてしまわないように。
死人よりもむしろ生者が叫ぼう。死人は口を聞けないのだから。
死の絨毯を我らが踏み上げようではないか。
そして、より多くの生を、我々の勝利と呼ぼう。生きてさえいればそれでいいじゃないか!
返信が遅くなり申し訳ありません。
島秀生様、「稜線」に評をいただきありがとうございました。
確かに言われてみれば紫陽花は合わない気がします。ちょうど書いてた時期がそれくらいの時期でしたのでついつい。今改めて読むと全体的に緊張感が一定の密度で保たれていない気がします。締まりがないといいますか、何か書くべき所と書かざる所が呼吸が合ってない気がして、おそらくご指摘いただいた部分はそれが遠因になってる気がします。一言でいうと推敲が甘いということなのですが。
始まりの部分などは特にリズムを意識するあまり引きずられてしまったのかもしれません。どうしてもムードが優先してしまって、細かいご指摘ありがとうございました。非常に参考になります。また次回よろしくお願いいたします。
水無川渉様、「私とマドリ」に評をいただきありがとうございました。「ブレードランナー」ですか、なるほど、冒頭のシーンは覚えてませんがとても詩的な行間のある映画だったような気がします。一生答えの出ないような問いかけが読み手に向けて出来るそんな作品が出せたらなあ、と思っているのですが。
最後の部分は、あれ外しちゃうと主語が大きくなってしまう気がして、あくまで「私」の中だけで終わらせたかったので。結局普遍的なものって私的なものの中にしかないような気がしてるんです。なので最後の最後だけは共感を求めない形で終わりたくてああしたのでした。丁寧に読んでいただきありがとうございます。また次回よろしくお願いいたします。
鈍い痛みが僕を襲う
時々のいつものように
行方知らずの想いが
頭の中でぐるぐる回り
ムカムカした胃で飲み込む
伝えたいのはこの痛みなのだろうか
幼稚な空想に僕は笑う
度々のいつものように
頭の中で勝手につくった君が
今の君と噛み合わなくて
ムカムカした胃から吐き出す
君に相応しいのは僕ではなかった
時の流れが
紛れもない真実を僕に突きつける
人前では無関心に振る舞う
あたかも冷たい人のように
君を通して大事にしたいのは
僕自身なのだと
大人の僕が諭す
何もかも投げやりにしてしまえと
子供の僕が戯れる
そう、伝えたいのはこの痛みなのだ
どこまでも子供な僕が
どこまでも美しいと思い
どこまでも愛したいと思った事実なのだ
二度と現れないかもしれない素直さなのだ
だけど
全てあなたには関係のない出来事
あなたを冷たい人だと思い
そんな僕をひとりでに呪うのだ
そして僕は無関心を装う
あたかも冷たい人のように
私は言葉を失う。反権威は今や権威。
弱者の味方の筈が、弱者を守る文化の根本である想像力をカウンターカルチャーの世界に生きる人々が否定している。私も貴方も、見えない壁があり、その世界を通してしか真実を語ることは出来ない。
救うべきだ、壁を押し破るべきだ、自らの殻に閉じこもるのをやめるべきだ。
それは違う。壁の向こうで正しいことを言い続けることはエネルギーのいることである。
博愛主義は誰でもいいと言うことではない。誰も彼もと壁を作りながら、その上で妥協出来る人間のことだ。
人生で大切なものはバランスだと主張する人もいる。
私も一瞬そう思い始めたが、バランスを失っている状態は不健全であろうか?
私はその考えに敬意を表し、その上で言いたい。人生で大切なものはイマジネーションであり、想像である。
想像力。つまり愛だ。独房の中でさえ私は自由だ。私の病的な想像力と頭の中。それこそ真実。本当のリアルである。