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もうひとひねりの必要性
身に染みていますが
なかなか
形にできていない状態です。
意識を持ちつつ少しづつ。
技術の向上目指し
精進して参ります。
この度も評をいただきありがとうございました。
ありがとうございます。まだまだ勉強不足で全体な整理ができてないところ、これから気をつけて精進します。その上での評と感想、誠にありがとうございます。
ガラスケースの中
少女は笑う
僕が見つめるたびに
少女は『また見てくれたね』
そんな笑顔で僕を見る
ガラスケースの中
私は笑う
あなたが私を見つめるたびに
あなたを独り占めしてるから
私は嬉しさに笑う
もしも君が話せたら
僕になんて言うのだろう?
寂しさを癒してくれるかい
悲しみを慰めてくれるかい
もしも私が喋れたら
あなたに愛しさを伝えたいの
寂しさに包まれないように
悲しみに涙しないように
ガラスケースの中
狭くはないかい?
君は外の世界を知りたくないかい?
ガラスケースの中
私は幸せなの
あなたのそばで あなただけを見つめていられる
ガラスケースの中
君は笑う
私は笑う
ダム湖に映る里山
霜月の半ばを過ぎても
紅葉にはまだ早すぎた
宿を出たものの寄る店もない
吹き荒ぶ風に
ムーミンの夢は崩れて
亀の形に姿を変える
だんだんと暮れかかる上総亀山
私は元来た道を戻りながら
静かすぎる秋の夜を味わうのだった
歌が歌えなくなる程
疲れてしまった時には
いっそ何も無いところへ
行きたくなる
そんな場所は
どこにも無いと
知っているのに
歌が歌えなくなる程
疲れてしまった時には
手当たり次第に
思いついた事をするだけ
順序立てる事も
有益な事も
分からなくなる
生まれてきた責任は
きっと私にある
細胞分裂を繰り返して
地図を渡されて来た
小さい頃から
いつも一番後ろを歩いていた
追い抜かされて
追いつけなくて
歌が歌えなくなる程
疲れてしまった時には
それでも地図を頼りに
歩いて行くだけ
かつて こんな新聞記事があった。
相武新聞
一九八五年(昭和六十年)十月二十八日(月)
朝刊 社会面
「神奈川県三浦市初芽町三津浜台地で
旧海軍の地下通路見つかる
そこに遺されていたものは?
町長が明かす戦後四十年の秘密」
*
この新聞記事より少し以前、
ここは神奈川県三浦市三崎警察署。
今、初芽町の浜野正春町長が菅野清文署長を訪問している。
これは これは 町長 いつもお世話になっております
今日はどんな御用件ですか?
こちらこそお世話様です 実は 私自身のことで……
三津浜の野菜畑に元飛行基地の地下通路がある
署長さんはそんな話を聞いたことがありませんか?
ほう いきなりですね ええ 何やら少し聞いた事はありますな
しかし単に噂でしょう それが何か?
戦時中の地下通路は現存します
そこには飛行機の胴体と二体の白骨遺体があります
四十年間私はそれを知りつつ秘密にし 関わってきたのです
何ですと!?四十年……遺体…… よくわからないが—
それは本当ですか?全てを詳しく話してください
菅野署長は驚き犯罪の匂いを感じている。メモの用意をした。
すでに険しい表情に変わっている。
*
昭和二十年の四月 あそこで旧海軍の飛行基地工事が始まりましたが
終戦で頓挫しました 地下通路だけは完成して
私の父・浜野正風は海軍大佐で この基地開設の総指揮官でした
父は基地未完成と敗戦に絶望し一人の部下と共に地下で自決したのです
その遺体がまだ地下にあります
私は父の遺書を尊重し現場も遺体もそのままにして
長い間秘密にしてきたのです 供養はしてきたつもりです
もちろん犯罪なのは覚悟していました
信じられん そんなことがあるなんて……
遺体は二体ですね もうひとつの遺体は特定できますか?
貝塚新介という部下です 初芽漁業社員の貝塚新吉氏の父です
その息子さんも私と行動を共にしていました
ふぅむ 初芽漁業の……凄い偶然だな
町長 それだけの理由で四十年は不自然ですね 何か他にも?
さすがですね お察しの通りです
金を探していました 金の亡者になっていたのです
もともと浜野家は三津浜地域の大地主。その基地予定地も浜野家の所有地で、
海軍はその土地を買い上げ、浜野正風にその接収地代と基地開設の軍用資金
を預けていた形跡がある。それらは莫大な金額にのぼるはずだった。息子の
町長・浜野正春と貝塚新吉はそれぞれの父親の遺体を守りつつ、地下でその
金を探していたのだった。
浜野町長 私の着任以来 あなたにはいろいろ良くして頂いた
だが それとこれとは話が別だ
死体遺棄の疑いがありますぞ
わかっています そのつもりで来ました
貝塚さんにもその事は伝えてあります
ただちに実況見分する必要がある
戸田君 すぐに鑑識係を呼ぶように 事情は私が話す
それから初芽漁業の貝塚新吉氏に任意出頭するよう要請してくれ
*
貝塚さん、今日の出頭理由はもうおわかりですね?
ええ、浜野さんから聞いています。
浜野さんとはどういう知り合いですか? いつ頃から?
今回のこと、知っていることを全て話してください。
貝塚新吉です
昭和十六年(1941)七月九日生まれ 四十四歳
住所 神奈川県三浦市初芽町石田三丁目一六〇〇 シープラザ成島三五
職業は漁業会社社員 単純に言えば漁師です
私はもともと三崎で生まれました
四歳の時に海軍にいた父が戦死したので
父のことは殆ど記憶にありません 写真で見るくらいです
叔父―父の弟―が初芽町三津浜で小さな漁業会社を始めたので
高校卒業後 私もそこに引っ越し入社しました
最初は小さな漁船一艘からの始まりです
浜野さんと知り合ったのは昭和四十年頃(1965)で私は二十四、五歳でした
当時 仕事で漁業協同組合へはよく行きました
そこで浜野さんは営業部渉外担当で働いていました
最初 彼から声をかけてくれて馴染みになりました
仕事以外にも一緒に釣りをしたり飲みに行ったりもしましたね
父の死についてはちょっと引っ掛かる点があったのです
東京からの軍需物資を横須賀に運ぶ輸送船に乗っていて
浦賀水道でその船が撃沈されての戦死と聞かされていました
ですから遺骨はありません でも どこか不自然さは感じました 父の日記が出
てきて一番最後に「昭和二十年三月二十六日 三津浜開設分遣隊副長を拝命す」
とあったので その任務上の戦死は確かなようでした
それで一応納得はしたのです
ところが ある日 浜野さんに喫茶店に誘われました
そう あの日のことは はっきり憶えています
**********
つづく。(次回 12/1)
大変遅くなりまして申し訳ありません。
先日は「街を歩く」という作品に評をいただきまして誠にありがとうございました。
いただいたアドバイスを参考に推敲を重ねていこうと思います。
良かったと言ってくださった14連は一番思いが強く入った所だったので嬉しかったです。
ありがとうございました。
またどうぞよろしくお願い申し上げます。
それは最初は音だった
一つ一つの音が連なり
いつしか旋律となった
旋律は滑らかに
高低を繰り返し
時に休み 時に連なり
一枚の楽譜となった
ああ、また印象的な
あの主題が現れる
私は音宇宙と一体となる
私の想念は今や
宇宙空間へと自由に放たれる
主題はやがて変奏される
教会の大伽藍を震わせるほど
高らかに鳴り響く
絶妙なそして的確な
和音が添えられる
和音は更なる音を積み上げ
幾層にも積み上げられ
夢幻の響きに誘う
その上を旋律は走り抜ける
楽譜を二枚三枚四枚と
何秒か突然の静寂
あまりに静かすぎて
空気の漂う音が聞こえそう
そしてゆっくりコーダが始まる
主題の展開を受け継ぎ
ため息まじりに
音が紡がれていく
繊細なタッチの旋律は
バロックの如く絡み合い
やがて聖堂に最後の一音を落とす
それは最初は音だった
ある一つの音だった
ロバートジョンソンは、たった一人で、誰も聞き手がいなくても歌ったんじゃないかとエリッククラプトンは分析する。
私は決められた場所で、求められる歌を歌える幸福が手に入らないなら、歌を歌わないと決められる表現者をどこかで信用出来ない。
本当に、心が、歌と想像力の世界に生きる人間なら、精神病院の中でさえ、歌おうとしてしまうのではないか?
沈黙を守り続けると独白気味になる。意味や辻褄は合っていないけれど、どこかで意味をなしているような、そんな精神病者の話を聞いたことがある。
立川談志が、現場を無くした時、沈黙を守り続けられただろうか?
承認欲求の世界に生きる表現者は、無難な表現が丁度いいと思ったから、都合良く内容を調整したと語る。
それが受けてしまうと、私の行き場は塞がれたようなものだ。
演じている。キャラでやっている。そう言った似非者を、プロであり職人であると大人が言い出した時、一人語りの世界に生きた人々が懐かしい。
孤高のブルースメンが、悪魔と契約して、利益社会に本物のアートの門を開け開いた。
悪魔と契約する前、歌は決して人を選ばなかった。どこでだって歌う。誰とだって歌うし、誰にだって歌う。それが本物の歌だったろうに。