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編集・削除(編集済: 2024年09月10日 18:37)

蝉時雨 荻座利守

青々と繁る
木々の天蓋より
降りしきる
儚い命の蝉時雨

長い暗闇の生より
羽ばたき出でた蟲は

ただ今このときを
生きるため

己が生存のすべてを
自らの発する
声そのものと化し

聴くものすべての魂に
永遠の中のこの瞬間に
その存在を刻み込む

木々の天蓋より
降りしきる蝉時雨

時と命とを繋ぐ
忘れていた
永遠からの呼び声

儚さの内に宿る
大いなる流れ

完結する
久遠の円環

編集・削除(未編集)

島秀生様、評のお礼です。  妻咲邦香

島秀生様、「市」に評をいただきありがとうございました。前半の七五調は、書いていて途中から意識し出したような感じです。雑多な感じを出したかったのでその対比として使ったのですが、ちょっとやり過ぎ感もあって今ひとつ締まり切れてなかったような気がします。ちなみに老夫婦の下りはそのまんまの実体験です。終了間際にまけろと言って来たと思ったら奥様に凄い勢いで叱られてました。あるあるです。
初連の後半と5連に関してはまさにご指摘の通り、当初書いた時は無かった部分です。投稿直前に何か物足りない気がして追加したのですが、余計なことしない方が良かったですね。楽しさをわかっていただけただけでも嬉しいです。もう伝えたいのはそれだけですので。秀作もありがとうございました。また次回よろしくお願いいたします。

編集・削除(未編集)

夏、失意の中で  U.

今日、夏が来た
独り砂浜に寝転ぶと
空高く雲が湧いていた

見失った微笑みを探しに
ここに来た
波打ち際の砂に、埋もれていない?
白けた桜貝の間に、落ちているかもしれない
おかあさん、ありますよね

おかあさん
あなたが読んでくれた絵本が好きでした
  向日葵は、太陽の涙
  大きな空からこぼれて
  花となりました

夜、空は雨
探し物はまだです
雨は音もなく皮膚に滲みこみ
喪服の少女達が遊ぶ
黒いベールの震えが、風を呼ぶ
風は夏だと云うのに、氷の粒の流れ

水銀灯に揺れる影は、黒い壁に閉じ込められた
一匹の蛾が、光の粒に戯れる
手ごたえのない戯れに疲れきり
朝日の昇る頃、燃え尽きた水銀灯の下に
ぼろぼろの死骸だけが
軟らかい陽の中で、朝露に濡れるでしょう

そして、私の中の琴線が切れた
ポロンとやけにまろやかな音と共に切れた
深い夜の闇にこだまして
ころころとこだまして
メフィストを呼んでいる

でも
私はまだ生きているよ
まだ生きているのだよ

編集・削除(未編集)

評を頂きありがとうございます。

島様。
忙しい中、丁寧な評を頂きありがとうございます。見直し、推敲、時間を置いてー。私の課題を的確に指摘して頂き、ありがとうございます。心掛けていきます。秀作を頂いたことも嬉しいです。作風を持っているとのお褒めの言葉も嬉しかったです。これからも頑張って書いて行きたいとおもいます。これからも指導をよろしくおねがいします。

編集・削除(未編集)

白楊 冬本広嗣

朝焼けにたたずむ白楊の
天を突かんばかりに梢を張る
くり抜いたばかりの青が空を染めてゆく

木々の間から一点の朱が現れ
足踏みしながら悠然と登ってくる

どこまでも続いていく並木道を
薫風が一瞬に吹き抜け
草花のせせらぎや鳥のささやきを乗せ
高く宙に放り上げる

大いなる力を受けた雲たちも
幾百里 幾千里への
躍動を始める

編集・削除(未編集)

島様 評のお礼  荻座利守

この度は私の詩の「孤独な空」に丁寧な評をいただき、ありがとうございます。
名作との評をいただき、たいへん嬉しく思います。
最近、空の広さを忘れていたことに気づいて、この詩を書きました。
終連の「私は」を一行にするということは、「私」を強調して、視点を空から孤独を感じている私に再び戻すことで、締めとしてより効果的なのだなと思いました。
八木重吉や星野富弘にも、空を題材とした詩がありました。彼らもまた、強い孤独を感じていたのかもしれないと、おこがましいようですが、ふと、そんなことを思いました。
今後とも宜しくお願い致します。

編集・削除(未編集)

島様、評のお礼。 プラネタリウム

丁寧に読み込んでいただき、ありがとうございました。いただいたアドバイスを元に、もう一度書き直してみようと思います。

編集・削除(編集済: 2022年08月06日 13:46)

評、7/22~7/25、ご投稿分。  島 秀生

きょうは、広島77回目の原爆の日ですね。

世界は、核開発にしのぎを削るような、あやまった世の中に向かおうとしてますが、
彼らにいま一度言いたい
「核戦争に、勝者なし!!」
なんの根拠があって、自分だけは助かると思ってるんだか、気がしれない。


●プラネタリウムさん「鯨」

この詩は、全体像はすごくステキですねー いい詩だと思う。
ただ、せっかくのステキな全体像を、表現しきれてないとこが、すごくもどかしい詩でもあります。

大きくは2点です。
まず前半の4連は、テクの問題だけなので、3~4連を、

 成長した夢はさらに形を変えた
 誰もが舌を巻くすごい奴になりたくなった

 大人になったら
 夢は色を失くした
 目立たずみんなと同じでありたくなった

こんな感じに整理したら、済みます。
問題は後半4連なんですが、こう考えませんか? 鯨と、鯨に憧れた作者とは、存在を別にする。
鯨は、作者の中に住んでいたけれど、陸に上がって見た世界に絶望する。そして海に帰っていく。
一方、作者の方は、一人、陸に残されて、

 ……これでいいのかもしれない、と
 鯨に憧れた小さき者は空を見上げる

と、空を見上げる。
で、終連は、自分のことでなく、鯨の方のことを書く。鯨の本当にあるべき居場所のことを。

 夢は苦くて温かい
 鯨はいつまでも
 大切な子供たちの傍に在る
 大きな存在であり続けるべきなのだ

と、結んではいかがでしょうか?

まあ、1つの例ですけど、こういう構造に両者を分離した方が、くっきりするかなと思いました。
全体像がとてもステキな詩なので、自分でもうちょっと書き直してみて下さい。改善余地とてもアリです。というか、まだ大きくなれる詩なので、もったいないです。
いちおう、全体像を買って、おまけ秀作にしておきます。


●もりた りのさん「世界の果ての境界線」

うーーん、もりたさんて、やっぱりどこかで書いてた人なんじゃないかな。うまいねえー
ベースとなっている情感の持続にまず感心しますし、案外とテクニシャンでもあるんです。
風・音・光の3点の展開もツボを得ているし、

 何もない世界
 何でもある世界

 どこにもいかない
 どこにでもいく

の反対語の重ねも、終盤の、非常に感極まったところで使われていて、非常に効果的です。また、この文体だから、使えるところのものです。
うーーん、これはシロウトの作ではないねえ。
桜のはなびらを追いかけて、追いかけて辿り着く、世界の果て、異世界の映像もステキですね。美があります。また、ユートピアというよりは、宇宙的なところがモダンです。
また上記詩行には、死生観とまで言わないまでも、言葉使いに現実離脱的な情感を感じることもできます。

うむ、これは完成品ですね。名作あげましょう。現時点、もりたさんの代表作ですね。


●エイジさん「眠れない貴方に」

これって、番組の終了とともに、眠りについてる感じなんですね。マスネの「タイスの瞑想曲」は、番組の最後であるとともに、眠りへの合図でもあるかのようです。この曲で眠りについたら、本当に安らかに眠れそうですね。
これはリアルの話なのか、曲の構成は創っているのか、わかりませんが、エイジさんの眠りのお勧め曲としても、伺っておきたい気がしました。
ステラ・バイ・スターライトは、いろんな人が演奏してて、いくつか聞いてるんですが、私は原曲を聴いていないということにハタと気がつきました。この詩を読んで、初めて聞きました。感謝です。

寝る前のスマホはマジでいかんらしいですね。早めに切り上げないと、安眠の邪魔をするらしい。ラジオに癒されるのもいい案だと思います。深夜のラジオは別に笑わせてくれなくていい。気の利いたDJのおしゃべりもいいと思います。エイジさん自身が、眠りにつきにくい経験者だからこその、「眠れない人へ」のお勧め法なんでしょう。効能がありそうな詩ですね。
文体もこなれてきましたね。いいと思います。読みやすかったし、曲やラジオなど、この詩のエッセンスには、そのチョイスに主張がありました。むしろチョイスの主張は、なめらかな文体の中に包まれていた、と言ったほうがいいかな。マイルドでした。
エッセイ風になりすぎないように注意は必要ですが、こういう詩、アリだと思いますよ。

うむ、不備もありませんし、秀作プラスあげましょう。


●おおたに あかりさん「プリンの素」

私見ではありますが、そのプリンが一番おいしいと思います。
コンビニでも、いろいろプリンを買うけれど、それはそれでおいしいのだけど、家で作るそのプリンにはかなわないと思う。私見ではありますけどね。
でもメーカーもさるものだから、逆に完成品流通ものでは出せない味の路線を行ってるはずだから、私の私見も、そう間違ってないはずですよ。あれは絶対、おいしいです。

作品ですが、
まず2連の、
 問うてみなければ

ですが、ここでこの言葉を使った意味が、3連で述べられていて、鮮やかです。料理が苦手ゆえ、自信がないので疑念が生じ、「問うて」いるわけですね。
で、今の3連が「問う」の理由を述べているところで、「問うて」を実行にうつすところが6連なんですが、

 出来上がったプリン
 ちょっと激しく揺らしてみる
 お皿の上で
 小学一年生のぎこちなさで
 気をつけしている

この後ろ3行、ステキですね。たぶん、部分的な表現力の面において、この詩でここが最高のところですので、大事にしましょう。
まず、前2行「ちょっと激しく揺らしてみる」の主語は、「自分」ですので、後ろの3行と主語が違います。したがって、後半のどこかで、新たな主語「プリン」を出す必要があります。
また、この「気をつけ」ですが、揺れたあとにとどまってる図なので、「気をつけ」の前に、少しだけ揺れを入れたいですね。
なので、例としては、

 出来上がったプリン
 ちょっと激しく揺らしてみる
 お皿の上で ゆらゆら
 プリンは
 小学一年生のぎこちなさで
 気をつけをする

こんな感じでしょうね。
「ちょっと」と「激しく」は一面において反対語なのですが、「ちょっと」の言葉には怪訝さの想いが入っているので、敢えて残しました。「短時間」の意と受け取ってもらってもいいしね。

それと、この6連までの図を頭の中で思い描くに、どうしてもプリン1つに対して、睨んでる図が浮かぶのです。すると、気になるのが、

 大きな口でひと口味見

の言葉で。
1つしかないのだとしたら、これでプリンは半分方なくなってしまいますね。すると子供はかわいそう、ってなことなってしまいますので、ちょっと言葉を変えさせて下さい。

 大きな口でひと口味見 → わたしの分でひとくち味見

に。
いやまあ、子供の分を食っちゃうなんてことはないはずなんですけどね、些細なところ、気になったので。

終盤、小さな子が待てなくて、すがりつくところも微笑ましいし、

 日曜日くらいは
 手作りおやつを!と

の心意気も、ステキです。
おおたにさんの詩はいつも、自分の味をもっていてステキですね。案外と自分の詩風をしっかり持ってる人だなと思っております。
とびきりの表現も1つあったし、バックボーンとなる生活感も出ていたので、秀作プラスにしましょう。

書き方はこれでいいですよ。詰めが甘いところがあるのは、あくまで書いたあと、推敲の時にちゃんと見れてるかどうかの問題なので、書いたあとの見直しは、その時だけでなく、時間をおいて(あるいは日を変えて)、もう一度してみて下さい。


●朝霧綾めさん「ビスケットサンド」

それくらいペロリだろう!(←なにを煽ってるんだか)
おっと、自分と一緒にしちゃいけません。私もそれ、小腹がすいた時にチョイスのアイスです。夏場の、日中汗だくになった日の会社帰り、このままでは家に辿りつけんと、疲労と小腹を癒すのにチョイスしてたアイスですね。会社は始発駅だったので、折り返しの電車を待つ夜のホームで、食べてたアイスの1つです。モナカ状のアイスは、ちょっとした待ち時間の合間に食えるので、助かります。

作品ですが、半分に割って、多い方を子供に残してるという詩行が、親の気持ちを細やかに伝えているところで良かったです。そしてそれは案外と子供の気持ちとすれ違う。現実的な一場面ですね。
この詩のいいところはどっちかというと、そういうところですね。

1~2連で書かれている、きょうは何も進まなかったという、作者にとって本題とするところについては、そのあと、何もまとまってないと思う。アイスへ八つ当たりしてる??? くらいにしか、読めませんよ。そっちについては全然書けてないと思う。
まあ、こういう感じで始まってもいいんですが、にしても話はまだ序章状態というところです。1~2連を命題とするならば、ホントはここから先を書かないといけないんだと思う。

アイスを介して、親子の気持ちがわかるところは良かったですけど、
うーーーん、一歩前かなあー、今回は。
もしかしたら、書いてる途中で、作者が迷子になってる(テーマを見失ってる)のかもしれません。結局のところ、1~2連の話にも、アイスの話にも、どっちにも寄っていけてない(深まらず)です。


●荻座利守さん「孤独な空」

まず8連の、
 その広大さ故に
 空もまた
 孤独であったことを

の言葉に、発見と感動がありました。
そうだったのかと、ハッとする想いでした。

9連の「空は」を主語とするところのセンテンスの述語は、実は14連の「寄り添ってきた」まで行くんですが、この間の物語が壮大で魅了されます。
また、9連に出る「雲」「陽光」「月」「星々」は、10~12連でそれぞれ具体的な美の瞬間となって、展開されます。
センテンス長いけど、圧倒されるほどの内容に溢れているので、むしろ壮大な部分に思え、この長さは却って効果的で良いくらいです。

16連と17連(終連)は、前者は「空」側の孤独、後者は古代から続く「人」側の孤独を表わしていて、対照的であると同時に、包括的です。
いちおう前者で終わる手もあるんですが、作者的にはその両方が帰結なのでしょう。それはそれで良しだと思います。

一点言うと、終連、
「私は」で1行にして、「空を通して」は別行にしたほうがいいかなと、読んでいて、間合い的に感じました。その点だけです。

うむ、荻座利守さんは、思考優先で書ける稀有な人なのだけど、今回は自身が孤独を感じた瞬間から始まって、孤独を有するものたちについての考えから、時空を大きく広げることで、孤独を感じるのは自分一人ではないのだとの想いに、包まれていくようです。
珍しく感情の比率が高い方の作だなと思いましたが、これはこれで良いなと思った。
名作を。


●cofumiさん「そのままで」

ああ、介護してた人が、亡くなったのかな。
ベッドの上がかたづけられて、誰もいなくなって、その代わりに化身のように虫がとまっていたのでしょう。それを、窓を開けて、空に離してあげた。
そういう詩に、私は読みました。

今は、そんなところはないのかもしれないけど、昔、病院で、病状の重い人ばかりの病棟があって、ベッドから人がいなくなるのは、退院じゃなくて、亡くなっていなくなってる確率の方が高い病棟があったなと思い出しました。そこに母が入院して、見舞いに通ってたから知ってるんですが、次、見舞いに行くとね、突然四人部屋の向かいのベッドが空いてるんですよ。退院できるはずがない重い病状の人がね、いない。そういうことが何度かあって・・・。
この詩読んで、あの時の、突然かたづいてるベッドを思い出しました。

うーーん、この作品、私は読めたけど、他の人が読めるかな? ちょっと難しいかもしらんな。もうちょっと、ヒントがいるかもです。

この詩の謎は、
2連で、なぜ泣いているか、ですね。初連の「枯れた花の様に」は、おばあさんとその認知症の様子を比喩してて、いい比喩だなあと、初連は初連で感心するものがあったんですが、全体の脈絡としては、初連は「立つ」元気があって、ピンピンしてる感じですから、この初連から2連の展開に行くのは、急すぎて、ついて行けんもんがありますね。あいだを繋ぐ言葉が何か入りそう。

あるいは初連は、「そういう人だった」という意の過去形にして、2連を現在形として語るか、ですね。
もっといえば、ある程度長くお世話をした人だから、悲しいのだろうから、過去として書く初連であっても、その一緒にいた時間の長さのようなものも、共に表現してほしいと思う。そういう意味では、最初は1連でなく、2連必要な気がします。
また初連の「傷ついた心に手当もせず」についても、認知症であること以外の意味合いがもしあるなら、補足説明要ですね。妙に意味深に書かれてるので、認知症以外にも何かあるのかなと、勘ぐってしまう行なんですけど、勘ぐるだけで、なんのことかわからないから困ってしまう行なんです。

それと原文の2連についても、今どきはずっとコロナ対応ということがあって、なんでもかんでも消毒してる時代なので、

 消毒したタオルで
 貴方の身体を拭きながら

が、亡くなった人の身体を拭いている意と、ほとんどの人はわからないので、ここの表現についても、もうひとこと補強が必要でしょうね。

3連以降は、このままでもだいじょうぶと思います。

全体像としては、とてもいい詩なんですが、短い詩なので、1~2連で問題抱えてると、前半分で問題抱えてるということになって、比率的にキツいんですよね。短い詩でミスるとダメージが大きいんですよ。
それに、短い詩というのは本来、中身の詳細までわかってて、その上で省略技法で略して書くものなんですが、
早いうちから短い詩を書くと、そもそも中身が曖昧なまま、それで良しでかたづけてしまうクセがつくので、私はあんまり好きじゃないんですよね。
そのあいだに、どういった言葉が略されているのか、書いてる自分がわかってないという事態になります。なので、私は短いより、長めに書くことを勧めたいです。

まあ、全体像はステキな詩なので、おまけ秀作にします。


●江里川 丘砥さん「子どもとして生きられなかったわたしへ」

読んでいて、ああ、これは心を病んでしまうパターンだと思った。すっかり無表情になってしまった小さな子供が、ポツンと立っている姿が、読んでて頭の中に浮かんできました。無事で良かった。生きてただけで、上出来です。

4連の、
 嫌だ、苦しい、辛いと感じても
 どうにもできないことだったから
 感じることをやめました
 感じていても見て見ぬふりをしていたら
 本当の自分がわからなくなりました

まさに、このへんの考えから、「無表情な子」になるんですよね。でも、この「無表情な子」というのは、心のバランスがすごく危ない状態なんです。よくご無事でした。生きてて良かったです。

初連の、
 子ども時代を
 子どもとして生きられなかったわたしへ
 自分がかわいそうだと嘆くことは
 けっして愚かなことではありません

この提言は、一般論的には、一見独善的に見えて、逆なことを書いているようにも見えるのですが、1~2行目のような前提を持つ人にとっては、正しく、必要なことなのです。
それは自暴自棄から脱却して、自分を好きになる、第一歩となるからです。初連のこの言葉が必要となる人が、世の中には少なからずいると、私は思う。

また7連、
 それによって得たものを数えるとか
 人生経験が増えたとか
 ひとの痛みがわかるとか
 そんなもの要らないから
 普通の人生がほしかった

これはまさに、肉声ですね。それらの綺麗事は、なんの慰めにはならないという、心の叫びです。

ラストから2~4連の、「子どもとして生きられなかったわたしへ」で始まる3連続の連は、ちょっと泣けました。(←トシヨリは涙もろい)
ステキな詩でした。同じ境遇、似た境遇の子供時代を過ごした人たちに、共感を呼ぶとともに、勇気づける詩だと思う。
また、しっかりと書き切ってくれた作でもあると思う。名作&代表作入りを。

前回気になった、同じ接続詞や強調語の多用については、今回は解消されてきましたので、OKです。
次の課題といってはなんなんですが、その時その時の心模様を反映した風景が、ところどころでいいので、ちょっこっと入ると、ステップアップになると思います。これは一朝一夕にはいかないものなので、長期的な課題として、まずは意識に置いておいてもらえるといいですね。ぼちぼちでいいです。
  

●小林大鬼さん「雨の焼きそば屋」

そういえば、水海道市の名をしばらく聞かないなあー、と思ってたんですが、平成の大合併で、「常総市」になってたんですね。水海道が常総市なんだ。やっと繋がりました。私ら世代には、水海道と言われた方が、まだおおよそ場所がわかるので、良かったです。

作品ですが、昔は栄えていたのであろう商店街の一角に残る、食堂の風景が、どこか子供の頃の懐かしい記憶に繋がる風情があって良かったです。お婆さんの雰囲気もとても出ていました。そこの部分はよく書けていたので、おまけの秀作としましょう。最近、丁寧に書かれるようになったので、小林さんは良い傾向に行ってるなと思って、見ております。

ただ、言いますと、この作品は完璧ではないです。2つ欠陥があります。
1つは、ふつう「祖母が亡くなった」言われて、行動として一番先に思うのは、当然ながらお葬式のことです。ところが作者は、急いでお葬式に駆けつけるのかと思いきや、そうではない。ここにすごく違和感があります。
これはおそらく日にち的に、お葬式の日を経過してから話を聞いたからなんだろうと思いますが、そこの、行き先が何故お葬式ではなかったのかの、理由となるものが書かれてないのは良くない。
2つ目は、2連では「店」を探しています。この時点で、目的は「店」です。では、その「店」を探していた理由はなんですか? それがない。
終盤で、店のお婆さんに祖母の姿が重なったことが書かれていますが、これは結果論というか、あとから起きたことですね。最初から、そうしたお婆さんがいると知って、お婆さんを目的に、店に行ったわけではないはずです。そうではなくて、その「店」自体が、亡くなった祖母との思い出あるお店だから、その店を探したのでしょう? その記述が全くありません。
だから、言えば、祖母との思い出の店に行ったら、偶然にも、祖母を彷彿させるようなお婆さんと出逢ったという、それが大筋なのではないでしょうか。

あのーー、書く時はのめり込んで書いたらいいんですが、推敲の時には、ちょっと自分を突き放して、客観的に見る目も持ちましょう。そうしたら、こういうミスは自分で気づくようになると思う。
店内の様子を書いた表現に良いところがあったのでおまけ秀作にしますが、この作品は2ヵ所欠陥つきなので、そこは自分で修正しておいて下さい。


●妻咲邦香さん「市」

たぶん、初連2行目の、
 麓の広場に突如と市が現れる



 麓の広場に突如として市が現れる

と書かなかったあたりから、もう七五調に入っていった感じで、七五で書くのは基本、賛同できませんが、一方で、七五だったから、2連がこれほどの圧巻の長さで続けられたという側面があり、2連に免じて許しましょう、というところです。

部分の表現で感心したのは、4連の、

 戻らぬ色も新たな光沢手に入れて
 また塗り重ねし歴史の下に
 私は聞き耳を立てる

この3行ですね。七五であってもなくても、この3行は非常に優れた詩行だと思いました。

つまるところフリマなんですが、ちょっと余談になりますが、3連のような老夫婦って、絶対来ますね。これには2つのパターンがあって、散財コレクターのダンナさんを押しとどめる奥さんのパターンと、もう1つは、ダンナさんが認知症入ってるパターンです。昔の記憶と重なるもの、なんでも買おうとするパターンの認知症があって、これも家族が慌てて、押しとどめます。

終連の着地も、良い!と思いました。
また、コロナ禍でなにかと中止が多いなか、フリマも過去何度か中止があったんじゃないでしょうか。フリマが無事開催され、またこれは作者自身が楽しめてないと書けない詩なので、そうしたにぎわい・楽しさを読者にお裾分けしてくれて、嬉しい詩でもあります。
秀作プラスを。

1点いうと、初連の4~7行は空振りしています。「市」と言ってもいろいろな種類の市があるので、そこが定まっていないこの段階で、走り過ぎた感です。はっきりいうと、一度全部読み終えてから、もう一度初連を読み直すということをやると、やっとわかるという感です。
そういう意味で、初連4~7行をもったいなく思ったので、5連のアタマの4行は、
初行の
 週を繋ぐは日曜日

だけを生かして、あとは初連をリフレインさせてもいいなと思いました。初連の段階では空振りしてるので、ここでもう一度味わい直せ!って感じの意図です。惰性のリフレインにはなりません。5連の5行目以降については、現行のままです。
まあ、お好きにして下さい、の案ですが。

編集・削除(編集済: 2022年08月06日 15:59)

三浦様、評のお礼 麻月更紗

三浦様
この度も評をありがとうございます。
佳作まで!

お言葉嬉しいです。
昔、山登りをしたことを思い出しながら書きました。
それがいかせてよかったです。

編集・削除(未編集)

三浦さま  ゆき

三浦さま、お忙しい中「破片」を読んでくださりどうもありがとうございました。
久しぶりに書いたものですが改めて読み返してみると、三浦さまの仰るように5連が他としっくりこないのが分かりました。自分では言いたい事が分かっているのですが、表現力の乏しさをもどかしく思いました。 詩では、自転車で坂道を走っている時に手を離したい。とありますが、それは実際に自分がした事です。土手に突っ込んでしまい大怪我をしましたが、怒られるどころか母が気づいたのは自転車が壊れたのを知ってからでした。
幼い頃にあまり母親に構ってもらえなかった事もあって、鳥籠の中の鳥のようであってもそうなりたいと思っていた時期がありました。そして反抗期には、詩のようにこんな風に母に言ってみたい。とも。
他の方々の素晴らしい詩をもっと読んで、推敲ももっと時間をかけて良いものが書けるように頑張っていきたいと思います。どうもありがとうございました。

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