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編集・削除(編集済: 2025年01月02日 01:55)

三浦志郎様、島秀生様、評のお礼です。  妻咲邦香

三浦志郎様、「今」に評をいただきありがとうございました。
「ぷっぷかぷー、ぺっぺけぺー」の部分を読んでいただけただけでもう何も言うことはありません。それが全てです。あの部分に不穏な響き、違和感を感じ取っていただければ。正直申しますとこの2フレーズが書きたいがために書いたような詩でもあります。ずっと隠してきたものをいきなりバッと見せるようなそんな感じです。
直喩の部分は最近たまにやる書き方で、まさにフリーハンド状態です。もうひと工夫あると良かったかもしれません。
ありがとうございました。ピックアップ評法面白いです。また次回よろしくお願いいたします。

島秀生様、「園」に評をいただきありがとうございました。
まずは名作との評価をありがとうございます。島様の感じてることはすごくよくわかります。私も薄々それを感じていました。ただ得意だからといってそういったものばかりを出すわけにも行かず、いろいろ勉強させていただきたいので不得意なものも出させてください。そして遠慮なく厳しいご意見をお願いします。私の中ではこの抒情詩的感覚と現代詩的感覚はいつか必ず何処かでリンクするだろうなという見通しを持ってまして、早くその箇所を見つけ出したいと思っております。
また次回よろしくお願いいたします。

最後に萩座利守様、秋冬様、遅ればせながら免許皆伝おめでとうございます。詩は生涯の友であり師となり得る存在、慕えば慕うほどに新たな道が開けるように思います。どうか益々のご活躍を。

編集・削除(未編集)

感想と評 2/7~2/9ご投稿分  水無川 渉

お待たせいたしました。2/7~2/9ご投稿分の感想と評です。コメントで提示している解釈やアドバイスはあくまでも私の個人的意見ですので、作者の意図とは食い違っていることがあるかもしれません。参考程度に受け止めていただけたらと思います。

なお私は詩を読む時には作品中の一人称(語り手)と作者ご本人とは区別して読んでいますので、作品中の語り手については、「私」のように鉤括弧を付けて表記しています。ですが、「私」=「作者」の場合はもちろんそのように読み替えて読んでいただければ幸いです。

●じじいじじいさん「おんなじ」
じじいじじいさん、こんにちは。「雑草という名の草はない」と言いますが、花も人間も、生きとし生けるものすべてに優劣はなく、みな同じいのちなんですよね。この主張には心から賛同しますし、特に社会の格差が拡大し、自然環境が破壊され、さまざまな種類の差別が横行する現代において、とても必要なメッセージだと思います。

そのことを大前提として申し上げた上であえてコメントさせていただきますと、他の評者の方々も言われていることですが、誰もが賛同する「正論」をただストレートに書いただけでは、詩としてのインパクトは薄れてしまい、せっかくのメッセージが読者に伝わりにくくなってしまうと思います。(偉そうなことを書いていますが、私自身も自分の詩について反省することが多いポイントでもあります)。なので、その大切なメッセージはそのままに、それを包む表現にもうひと工夫していただくと、もっと良い詩になるのではないかと思います。

具体的な提案としては、一般論ではなく個人の体験に落とし込んだ形で書くこと、描写をより具体的にしてみる(たとえば1連では一般的な「はな」ではなく具体的な花の名前を使ってみる)ことなどが考えられると思います。参考にしてみてください。

あと1箇所だけ、終連初行ですが、「いのちを差別してはいけない」とは言えますが、「いのちに差別はない」という言い方は日本語として不自然に感じます。「いのちにちがいなんてないよ」のようにしてみてはいかがでしょうか。ご一考ください。評価は「佳作半歩前」となります。

●秋冬さん「アート」
秋冬さん、こんにちは。改めまして免許皆伝おめでとうございます。ということで、私が評をつけさせていただくのも今回が最後になりますね。私が評を担当させていただいてまだ3回目ですが、そのすべての回に投稿してくださり感謝します。次回からは新作紹介で秋冬さんの詩を拝読するのを楽しみにしています。

さて今作ですが、「アート」は日本語の外来語としては一般に芸術や美術を指す言葉ですね(英語ではもっと広い意味もありますが)。けれどもこの詩の中で「わたし」はこの言葉を独自の意味で使っているように思います。「わたし」にとっての「アート」とは、芸術であれ人間であれ、自分の感性をかき乱すような得体の知れないもの、理解不能なものの総称と言ってもいいのかもしれません。初連にあるように、人は未知のものに名前をつけることによって安心するということがありますね。この詩は全編がこのように「わたし」流に再定義された「アート」をめぐって展開していきます。

「わたし」は自分に理解できない「アート」に対して嫉妬や憧憬を感じますが、全体的には肯定的に捉えているようです。けれどもジレンマも感じている。

わたしは
アート
になりたいが
わたしは
アート
にはなれない

の一連はとても気に入りました。「アート」を「他者」と言い換えても良いかもしれませんが、そうすると定義からして自分自身は「アート」にはなれないということですね。そして、世界にそんな「アート」があふれている現実をある種の諦めをもって受け入れる、という結論になっています。

(これは評から離れて個人的な感想になりますが、そういう「アート」との出会いは新鮮な驚きを生む機会として肯定的に捉える事もできるかと思いました。さらに、もしかしたらそういう得体の知れない「アート」は、自分自身の中にも潜んでいるのかもしれません。)

手垢のついた言葉に新しい意味を吹き込んで蘇らせる、というのは詩の持つ力の一つだと思います。ただし、それが読者に説得力をもって伝わらないと、壮大にすべってしまうリスクも伴うアプローチでもあると思います(私自身は怖くてあまり手を出せません)。この詩はそのような困難な課題に挑戦してクリアしているように思いました。評価は「佳作」です。

●たかあきさん「かえる」
たかあきさん、こんにちは。初めての方なので、感想を書かせていただきます。

かえるは昔から日本人の感性に触れる身近な生き物で、詩中にもあるように芭蕉(「古池や蛙飛び込む水の音」)や芥川(「青蛙おのれもペンキぬりたてか」)の俳句にもなっていますね。

まず初連がとても良かったです。雨の日の屋外でしょうか。ふと気づくと鮮やかな緑色のかえるが目に飛び込んできた様がよく表現されています。ここから終連の「どこかへ/消えた」まで、たぶん時間にしては短い間だと思いますが、かえるについての語り手のいろいろな思考が展開されていきます。それが生物学的な生態から食材としてのかえる、文学の題材としてのかえるに至るまで、いろいろな角度からなされているのが面白かったです。

一箇所だけひっかかったのが、最後から2連目の「ペンキ塗り立てか」です。過去作を拝見すると「ペンキ塗り立てみたいな/ガマガエルの体」という表現がありました。もしかしたらたかあきさんお気に入りの表現なのかもしれませんが、本作では芥川の俳句に言及されていますので、あからさまにかぶる表現は避けたほうが無難かと思います。芥川へのオマージュであることが分かるような書き方にするか、あるいは思い切って割愛した方が良かったかもしれません。

全体として親しみのあるいい詩でした。またのご投稿を楽しみにしています。

●侑輝。さん「曖昧・ミー」
侑輝。さん、こんにちは。初めての方なので、感想を書かせていただきます。

まず、英語のI, my, meをもじったタイトルがいいですね。「あいまいな私」という意味なのでしょう。(余談ですが、タイトルを拝見した時に私は大江健三郎のノーベル文学賞受賞講演「あいまいな日本の私」を思い浮かべました。たぶんこの詩とは関係ないと思いますが。)

詩の本文ではタイトルどおり、「あいまいな私」について最後まで語られていきます。最後から2連目の、ぽつんと置かれた「私」の一文字が、語り手の孤独感を表しているようで気に入りました。

一つ分からなかったのは、ところどころに出てくる対話が「私」の自問自答を表しているのか、それとも具体的な相手がいるのかです。恐らく後者だと思いますが、その場合はその相手との関係性がもう少し見えてくるように内容を補うともっと良くなるかと思いました。

気持ちがぐらぐら揺れて定まらない、そんな曖昧さ、不安定さは誰しも経験することだと思いますが、そんなとらえどころのない気持ちに言葉を与えて形にするところから詩は生まれてくると思いますので、目の付け所としてはとてもいいですね。また書いてみてください。

●森山 遼さん「コットンのセーターが好きなの」
森山さん、こんにちは。自慢にもなりませんが、私にはファッションのセンスや知識はありません。そんな私がこの詩にどんな評がつけられるのか、いささか心もとないですが、頑張ってみます。

冬には寒すぎて着ることができないコットンのセーターに対する愛着が綴られる短い詩ですが、お気に入りの服は、季節的にもう着られないと分かっていても、なかなか仕舞うことができないものですよね。そんな日常の一コマが垣間見られるような、いい詩だと思います。

この詩は他の森山さんの作品にも見られるような優しい語り口で書かれています。「僕」の「妻」に対する心遣いも感じられて、ほのぼのした気持ちになりますね。「~ね」「~の」という語尾もいい味を出していますが、全編にわたって繰り返されるとさすがにくどく感じる読者もいるかもしれませんので、もうすこし抑え気味に使うといいかもしれません。

一つ気になったのは、この詩が誰に向って語りかけているのか、という点です。親しげな語り口からすると「僕」の身近な人物かと思いますが、「妻が」とあるので子どもでないのは確実です。友人かとも思いましたが、男友達、女友達いずれもしっくり来ませんでした。いっそのこと、コットンのセーターに語りかける、という設定にしてもいいかと思いました。参考にしてみてください。評価は「佳作一歩前」になります。

●鯖詰缶太郎さん「そして、ちぐはぐなセッションはつづく」
鯖詰缶太郎さん、こんにちは。初めての方なので、感想を書かせていただきます。

この詩は「私」と「そのひと」との微妙な関係性がうまく描かれていて、とても面白く拝読しました。「そのひと」は職場の上司あるいは先輩でしょうか。人情味があって面倒見もいい、けれどもどこか抜けていて頼りない。悪気はないけれども有難迷惑なところもある。でも憎めない。そんな人、確かにいますよね。うんうんと頷きながら読み進めて行きました。

「私」は「そのひと」に恩義を感じているので、間違った作業工程(細かい点ですが「行程」ではなくこちらが正しい表記だと思います)だと分かっていながらそれに合わせている。そんな「そのひと」と「私」の「ちぐはぐなセッション」が丁寧に、絶妙に描かれていきます。最後の一行も含みのあるいい終わり方だと思います。またのご投稿を楽しみにしています。

●cofumiさん「流るる泪」
cofumiさん、こんにちは。常連さんの一人ですが、私が担当するのは初めてですので、感想を書かせていただきます。

具体的な理由は書かれていませんが、語り手は深い悲しみの中にいるようです。一滴二滴こぼれ落ちる泪くらいだったら指で拭き取ることができるけれども、それでは済まない。後から後から流れてくる泪をどうしたらいいのか。

語り手はその悲しみをガンジス川に流す灯籠のように手放そうとします。灯籠流しというと日本の風習のように思いましたが、ガンジスではヒンドゥー教の人々による灯籠流しも行われているのですね。私は今回調べて初めて知りました。自分を超えた何か大きな存在に向って悲しみを手放すことによって、心にやすらぎが与えられる。たとえまた泪することがあっても、それはガンジスの聖なる水のように清らかなものに変えられるということでしょうか。この作品はそんなスピリチュアルな雰囲気を持っている詩ですね。

初連の氷柱から滴り落ちるしずくといい、透明感のあるイメージに満ちた美しい詩でした。またのご投稿を楽しみにしています。

●成城すそさん「霧が晴れるまで」
成城すそさん、こんにちは。私は初めての方ですので、感想を書かせていただきます。

コンパクトで無駄のない構成と展開、二人称の話法でとてもうまく作られている詩だと思いました。「僕」はその語りかけている相手(密かに好意を寄せている人物でしょうか)に対して、なんとかかんとか理由をつけていっしょにいようと呼びかけていますが、4連でぽろりと本音が出てしまった感じですね。ここはくすりと笑いながら拝読しました。

全体としてくだけた語り口と繰り返しのパターンでテンポよく進んでいく詩ですが、そんな中でも「僕」は相手がいつかは去っていくことを予感しているようです。最終連の「まだ」と「時間はあるから」の間のスペースに、語り手の深く切ない思いが込められているようで、とても良いと思いました。またのご投稿を楽しみにしています。



以上、8作品です。今回も味わい深い詩の数々をありがとうございました。

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島様、評のお礼  朝霧綾め

島様
このたびは「魔法使いの血」に丁寧な評をくださり、本当にありがとうございます。
数か月前のお礼で、「自分でも名作と言い切れるような作品を投稿する!」と宣言してしまったため、それから投稿するのは気が引けて、時間が空いてしまいました(笑)
少し久しぶりですが、名作をいただきとても嬉しいです。もう少し推敲していい作品にしたいと思います。カレーのところはおっしゃる通りシチューにすることにします。やさしく教えてくださり、ありがとうございました。

みんな魔法使いだったらいいのにな、という他愛もない妄想をふくらませた詩ですが、あたたかく読んでいただきほっとしています。
『この詩を読んでるあいだ、ファンタジックな夢を見させてもらっている気がしました。』と書いてくださったことが一番嬉しかったです。
これからもよろしくお願いいたします。


     *   *   *
萩座利守様 秋冬様
遅ればせながら免許皆伝おめでとうございます。これからも楽しみに拝読させていただきます。
お二人の詩が大好きです。

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免許皆伝おめでとうございます

荻座利守様 秋冬様

この度は免許皆伝おめでとうございます。
今までの投稿では色々学ばせていただきました。
これからは新作投稿でさらに学ばせていただきます。

改めて、本当におめでとうございます。

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「1分1秒」  水野 耕助

体験する1分1秒
そのすべてに
違和感をおぼえ

自分のもののはずの
この人生が

まるで
そうでないかのように
私にフィットしない

どこまでも
ついてまわる
違和感は

耐え難いほどに
不快で

できることならば
1秒でも早く

私は私から
抜け出し
自由になりたい

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島 さまへ、評の御礼です。  ロンタロー

お忙しいところ、拙作への評・感想のほうありがとうございました。
仰るとおり、梶井基次郎の名作「檸檬」をモチーフとさせていただきましたが、
私自身、勉強不足を痛感した次第です。作品の出来はマイナス120点でした。
「檸檬」は大好きな作品ですが、表面的に理解をしていただけかもしれません。
今後とも引き続きよろしくお願いいたします。

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島様 詩の評のお礼  エイジ

島様 詩の評をありがとうございました。

ツイッターのある方の全然自分とはスタイルが違う詩を見てインスパイアされて書いたのがこの詩でした。
2度とこういう不穏な雰囲気の詩は書けないかもしれません。それほど僕にしては珍しい詩でした。

いつも本当にありがとうございます。次も出来うる限り頑張ります。

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三浦様 詩の評のお礼  エイジ


三浦様 詩の評をありがとうございます。

「太陽の軌跡」を書いた後、あのテンションを持続させなければならないということで、この2か月必死に詩に取り組みました。
でも集中力も気力も体力も、前のようには持続できませんでした。そして今非常に疲れております。ちょっと無理しすぎなんだと思います。そのことになかなか気づかないというのがメンタル疾患を患う原因だと聞きました。
当然のことながら、特に優れた閃きもないまま書いております。その中でも一番出来がいいかなというのがこれでした。

とても残念な気持ちはありますが、しばらくは感情の波に飲み込まれることなく、ただ淡々と書いていきたいと思います。

本当にありがとうございました。

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島様、御礼  秋冬

この度も温かな言葉を頂き、ありがとうございます。

井嶋りゅうさんの作品を読んで、こういう書き方もあるんだ、そして「散文詩」と分類されることを知り、散文詩(らしきもの)を時々書くようになったのですが、島さんに散文詩を投稿するのは初めてでした。そもそも散文詩なのかどうかも分からず、挑戦している段階ですので、手直し頂けて大変勉強になりました。そして、急ぎすぎというアドバイスも、今後の詩作に活かしたいと思います。

引き続き、よろしくお願いします。

編集・削除(未編集)

評、2/3~2/6、ご投稿分、残り。  島 秀生

敵基地攻撃能力って、盛んに言いますけど、
仮に、運良くうまく敵基地に着弾したとして、
それが基地を攻撃してきただけで、ほかは攻撃されないんだー 国が攻撃されたわけじゃないんだー 
なんて、お人好しなこと、いったいどこの国が思ってくれるんですかね?

ものすごく手前味噌な、オメデタすぎる論理だと思いますよ。
絶対、倍になって返ってくると思うけど。



●朝霧綾めさん「魔法使いの血」

日常の中で、ふとデジャブ―のような既視感に襲われることがありますね。
この詩も、真冬の風にコートがひるがえると、ふと祖先の記憶が蘇るというふうです。それは魔女の血脈であるようです。
デジャブ―にも似た、その日常の取っ掛かりから始まったところも良かったし、魔法使いの血脈について古代や原始の時代まで作り込んできたとこも良かったです。いかにも、それらしきルーツのあるお話として出来上がってますから、素直に騙されたい気持ちで読みます。
特にオリジナリティとして、

 人々はみな
 山々を箒で飛んでいた
 魔法使いの子孫なのだから

と、一部の血脈ではなくて、全員がそうだ、と言い切るところがいいですね。
もしも私にも魔法の記憶のカケラが残っているなら、魔法を思い出してみたいものですね。全員にそのチャンスがあるというのが、なんか嬉しい・・・。
この詩を読んでるあいだ、ファンタジックな夢を見させてもらっている気がしました。
名作を。
この詩、お話を綿密に詰めてきてるのに感心しました。代表作にしていいと思います。

一点だけあります。4連目、

 台所でカレーをよそっていると

は、カレーって、オールシーズンなとこがあるんで、やっぱり冬場のものの方がいいんじゃないでしょうか? たとえば、シチューとか。それと「よそっている」んじゃなくて、やっぱりかき混ぜている方がいいと思う。
なので、そこの2行は

 他にも
 台所でシチューを煮込んでいると

こんな感じの方がいいと思います。一考下さい。


●ロンタローさん「失われたヒト」

梶井基次郎の「檸檬」に材を取っているのはよーくわかるんですが、

米軍が第二次世界大戦で使用していた手榴弾である、マークⅡ手榴弾が、あだ名を「パイナップル」と言ったため、後継のM26手榴弾は「レモン」のあだ名で呼ばれたんです。このM26手榴弾(「レモン」)は、ベトナム戦争で一番多く使用された手榴弾です。

と、いうことも知っておいて下さい。
質的に違うことを書いてるのはわかっていますが、それを勘案したとしても、
この詩、あんまりシャレにならないとこがあるんです。

梶井基次郎の「檸檬」は、もうちょっと違う形で使って欲しい。
「檸檬」が、これまで、こういう形に引用されてこなかったのには、理由がある、と思って頂けたら。


●江里川 丘砥さん「美しい世界に生きている」

ステキだねえーー
これは江里川さんの叙景編としては、一つ完成を見ましたなあー

まず、

 美しい世界に生きている

の1行独立連の使い方、会得しましたね。

次に4連、

 遠くで生まれた人と
 なぜか出会い親しくなる
 積み重ねた過去や目指す未来が連れてきたと
 思い当たるのは先のこと

これ、上手に処理しましたね。まだ見ぬ人へのロマンチックです。
とりわけ、これは偶然ではなく、「積み重ねた過去」があるから連れてきてくれるものであるということ。この思考がステキです。

6連、

 朝見た桜が夕方には散る
 水面にうつる空
 夜光虫でひかる海
 丘一面に咲く花を
 ゆするように風が吹き
 どこかで鳥の羽ばたく音がする
 満月に照らされたわたしの影に手を振り
 青い夜空を見上げている

この並列も、しっかり吟味した詩行の数々でステキです。
連前半に関しては、桜の花びらの行方で、川から海へとずっと辿る手もあるのですが、
それすると後半が困るので、このままでいいです。
2点だけ。
まず2行目は、3行目の「海」に繋ぐためにも、「水面」より→「川面」の方がいい。
次に終行、ここ「わたしは」をもう1回入れた方が、しんみりしていいと思う。
以上をまとめると、

 朝見た桜が夕方には散る
 川面にうつる空
 夜光虫でひかる海
 丘一面に咲く花を
 ゆするように風が吹き
 どこかで鳥の羽ばたく音がする
 満月に照らされたわたしの影に手を振り
 わたしは青い夜空を見上げている

こんな感じ。この方がいいかと思う。

終連もしっかり書けてます。
このために生きてきたのかと、思える一瞬に出会うため。
そうかもしれないなあーと思った。

うむ、良いと思います。叙景だけで一本、完成させましたね。
名作を。

昔の花鳥風月とは違い、今を生きてる現代人に味わえるものが並ぶ。現代人だからの感覚が生きてます。


●大杉 司さん「ひたすらに歩く」

うーーん、私は決して陰気な人間ではないんですが、1日の言葉数が、もともとそんなに多くないんです。結構、笑うんですけど、1日言葉数の総量そのものが少ないんで、カウントすると、たいした回数じゃないんじゃないかな。そのせいなのか、どうなのか、ワアワアと言葉が溢れているところも、たくさんの笑い声が溢れているところも、わりと苦手ですよ。
だから、この詩で書かれている耳から入ってくる感じ、聞こえ方、なんかわかる気がします。

ところでこの詩なんですが、

 人の笑い声や
 電車の通過音

をかいくぐり、歩いて歩いて、歩き続けて、なにか光明と出会うのかと思いきや、その先にあるものも、

 人の笑い声や
 電車の通過音

で終わります。
最初と何も変わらない最後が待っていて、かなり絶望的な詩に感じました。
こんな終わり方もアリなのか?と、意外でした。
大杉さんは、私は初回だと思うので、今回、感想のみになりますが、この詩はマルですよ。思いがけない、孤独を背負った詩でした。


●秋冬さん「消える」

おもしろいですね。消臭剤をたくさん配置したら、臭いのみならず、気配まで消えたという話で、さらには、消したかったのは気配ではなく、自分だったのかもしれない、という話ですね。

1回目の

 消臭剤を芳香剤に変え、柑橘系の香水を軽くふるようにした。

のところなんですが、元が「消臭剤」一点なので、一点の交換、消臭剤と芳香剤の交換しか目に留まらなくて(それで終わりだと思って)、次の「香水」を、初見ではスルーしてしまいました。あとで香水をやめる話が出てきて、自分が最初、読み飛ばしているんだということにあとで気がつきました。そんな具合なので、ここ、やっぱり、二つ目も追加されてることを強調した方がいいと思います。

 消臭剤を芳香剤に変え、さらには柑橘系の香水も軽くふるようにした。

こんな感じの方がいいと思います。
あと、「気分が優れない。」のあとを、連分けした方がいいと思います。
理由は、「気分が優れない」その余韻を持たせるためと、以降の内容が、2連の内容を反芻する形で振り返り、意味をより深く考える部分であるからです。
切り離した新・3連は、以下のような感じです。

 もともと存在感が薄いのに、臭いを消したから、気配が消えたのだ。
 しかし私が消したかったのは、臭いではなく私なのかもしれない。
 残り少ない会社生活のため我慢、と割り切るつもりだったが、やは
 り強い臭いに納得いかず、芳香剤を消臭剤に戻し、香水もやめる。

こんな感じです。この方が、前後が繋がりやすいんじゃないかな? 一考下さい。

うむ、やり方はこれで合ってますよ。
ただ、練度が足りないというか、散文詩用の文体に慣れてないので、内容を急いだところがあって、ゆっくりやれば、もっといい作品になったのにな、の惜しいというか、もったいない感があります。

まあ、そのへんはこれからですね。狙いはおもしろいんで、おまけ名作くらいにしときます。


●山雀詩人さん「雨」

ふーーーん、ステキな詩ですねー
最近、会話調を手に入れましたなー

時をおいてわかる、終盤もキレイ。
匂いがわかるようになった頃には、もう、あの子はいない・・・。
ちょびっとだけ、好意があったかな? 終連もキレイに書きましたね。

これ、いいね。名作且つ代表作を。
たしかに、「不思議???」を感じる子って、時々いるんだよね。読者それぞれに、そんな子を想いだして、読んでくれるでしょう。広く、読んでもらえる詩です。グッド!!

余談ですが、
私の近くにも、雨が降るのがわかる子がいます。
偏頭痛がするようです(気圧かよっ)。

編集・削除(編集済: 2023年02月18日 15:16)
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