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編集・削除(編集済: 2024年09月10日 18:37)

靴  入間しゅか

人間とそれ以外を見分ける方法は簡単だ
靴を履くか履かないか

われわれが二足歩行を手に入れた時
ぼくは靴を履いていた

歩くのだ
夜となく
昼となく

一歩ずつ
踏み出す度に
靴音が目減りしながら
足趾に語りかける

これまでの道のり

かつてぼくは
われわれが
遠い昔を
思い描くように
おぼつかない足取りで
暗闇のなか
気が遠くなる距離を
素足で歩いてきた

白んでいく空
間もなく日が昇る

ほどけそうな
靴紐を結び直して
あくびをひとつすれば
ぼくは靴に連れられて
勢いよく
玄関を飛び出す


一年近く投稿してませんでしたので
かなり久しぶりの投稿です。よろしくお願いします。

編集・削除(編集済: 2022年07月09日 08:57)

免許皆伝おめでとうございます

galapaさん
ピロットさん

免許皆伝おめでとうございます。
「自分では書けないなあ雰囲気だなあ。羨ましい」とお二人の作品を拝見して
勉強させていただいております。
これからは新作コーナーの方でよろしくお願いいたします。

今後ますますのご活躍を!

改めてこの度は免許皆伝おめでとうございます。

編集・削除(未編集)

評、6/24~6/27、ご投稿分、その1。  島 秀生

お待たせしております。
残り7作は、きょうの深夜に。


●山雀詩人さん「もやもや」

ああ、飛蚊症! 私もです。
ふだん見ている軌道と、違う方の軌道を描いているのが、ホンモノの蚊なんだと思って叩きます。ややこしいです。まあ、だいたいは、空中で漂ってる時でなく、身体にとまった時に叩くので、そう困りませんが。蚊はネズミ算で増えるものなので、その一匹が、その後の何十匹、何百匹を防ぐことになるので、私は積極的にころす派です。
ちなみに、日本の蚊は病原菌を持ってることはめったにないですが、国によってはヤバイのです。世界規模で見た時に、人間をもっともころしてる動物は、実は蚊ですよ(病原菌媒介による)。

余談はそれくらいにして、作品ですが(← 余談がいつも長いねん!)、

「1から1」「1から0」の論議

パチン前=両手+蚊の体+蚊の命
パチン後=両手+蚊の体

このあたりの思考は、非常におもしろいですね。思考で語るユーモア、という感じ。このあたりの出色が、この詩を支えています。
また、終連は、
あの世に行っても楽しく暮らしてやる。あるいは、あの世になんか行くもんか。永遠に漂っててやる。みたいな意気込みがあって、ステキです。
なんていうのか、苦労の多い現代ではあるんですが、そんな中にあっても楽しみを見つける名人でありたい、と。そんな人生観を感じさせてくれます。好感が持てます。

トータルでまとめてきましたね。ちょっと甘いかもだけど、秀作プラスを。
やや冗漫な文体に見えるんですが、こう見えて不備はないんですよねえー
天井にも、窓にも、立体的に視点展開していて、作品の作り方はさすが、です。


●紫陽花さん「縫う」

ゴメンナサイ。私、波縫いしかできません・・・。
私ちょくちょく、バラの棘を手に刺してしまうんですが、たまに棘の先だけが折れて、皮膚の中に残ってしまうことがあるんです。その時、皮膚に入り込んだ棘を出すのに、皮膚をほじくるために、針は時々使ってますよ。ああ、全然、針の用途の違う話でした・・・。

子供が学校へ持って行く雑巾しか縫ったことがないって人も増えてますから、針仕事ができること自体が、凄い!と思いますよ。

作品ですが、お母さんは針仕事が得意な人で、針仕事をよくされていたから、作者が針仕事をする時、お母さんをついつい思い出してしまうのでしょうね。ある意味、最もよく思い出すタイミングが、針仕事をされてる時なのかもしれません。
そして誠に不思議なことなのですが、若い時は全然似てないと言われてたのに、歳を経てくると、なんでか親にだんだん似てきている自分に気がつきます。
目がかすむというか、老眼は、歳食うとまあ誰でもなんですが、むしろ手が似てきているのかもしれません。


針仕事は女の仕事だ
それが口癖だった母

針仕事は女の仕事だなんて
誰が決めたのか

ぼつぼつと縫い込んでいるのは
母の記憶
ぐいぐいと縫い込んでいくのは
女たちの記憶


終連の「いる」と「いく」の違いに、意志が反映されてて、とてもいいですね。
この後ろの3連は、パーフェクトと思います。

うむ、良かったですよ。また書いて下さい。
紫陽花さんは私は初回ですので、今回感想のみとなりますが、この作品はマルだと思います。


●荻座利守さん「時の窓」

これは私の、この詩への鑑賞の仕方ではありますが、
認知症がひどくなって施設に入ってた親に、話しかける時の気持ちで読みました。私が誰かもわからなくなってる親、経験した昔のいずれかの時代にトリップしたままの親を、現実・今に引き戻すために声かけしている時の気持ちで読みました。
はたして作者がその意図で書いたものかどうかはわかりませんが、私にはその図を思い起こすとピタリと嵌まる詩でした。
いい詩ですね。

ところで、この詩の4連をどう扱ったらいいのか、なんだか私に聞かれている気がする。ご本人もわからなくて、そこを解決しないまま、こっちに投げられた気がする。
私の回答としては以下です。初連から行きます。


何もない白い空間に
あなたはときどき
時の窓を切り出して
それをじっと
眺めていることがありますね

まるで自分を包む時間が
全てその窓に
吸い込まれてしまったかのように

まるであなたの発する体温も
全てその窓に
飲み込まれてしまったかのように

その微動だにしない固まった背中へ
声をかけるとき
私は
極北の氷に触れたときの
鋭い剃刀で切りつけられたような
冷たさを感じてしまうのです

その窓の内では
ときに過ぎ去った過去だったり
ときに未だ到来していない
未来だったりする時が
渦巻いているけれど
どちらにしても
そのときあなたの存在は
窓に取り込まれてしまって
あなたは時間も体温も持たない
脱け殻になってしまっているのです


5連まで、こんな感じでどうでしょう?
ドアノブを出すと「窓」とややこしくなるので、そこも別のものにしました。

なんていうか、身体はこちら側にあるのに、意識はあちら側に行ったままになる時間が増えてくる。そんな認知症が進んだ親に、声をかけ続ける。それが今・現在へと戻って来させる、打ち鳴らす鐘となるよう願う。
そんな想いを強く感じた詩でした。感動がありました。また、「時の窓」のアイデアが、単に表現ということでなく、とても想いの籠った比喩で絶妙、インパクトもあって良かった。
上記の修正案を参考に、そこ一考頂くことを条件に、名作としましょう。いや、そこできたら、代表作の列に加えてもいいかもな。感動ありました。




●麻月更紗さん「馬を飼う」

馬は足を骨折しちゃうと殺処分になるからなあー 皮膚が柔らかくて、直接寝転べないんですよ。自分で立てなくなったらアウトだからなあ。この詩はそういうことを書いてくれてるんでしょう。
(成績が上がらなくて、どこかに安く売られちゃうこともあります。牝馬はまだいいんですが、牡馬で成績の上がらない馬の末路も悲惨です。)

いなくなった馬に寄せる終連の想いはいいなあーと思って読みました。
でも、問題はその前ですね。

この詩はねえー、私、ものすごく悩まされました。
なぜなら、この詩でいう「窓」が、ものすごく謎なのです。
馬房ではふつう、馬は通路側を向いているものなので、窓はそもそもお尻側にしかないから、お尻側から見てるのか?になるし、しかも乗り越えられないように、少なくともクビから上くらいの高い位置にしかないのがフツウです。簡易な一列タイプのものでは、ドアの上・下が別々に開くようになってるものもありますが、あれの上側を窓って言うかな? 少なくとも「窓」って言われて、頭に浮かぶような形の窓ではないですから、だとしても説明は必要でしょうね。
この詩は作者がどっから見てるのか、どう馬と対面してるのか、「窓」がものすごく謎なのです。これが作者の位置を不明にしてるから、「窓」の語は抜いたほうがいいですね。馬房で直接対面してる感じで書いた方がいい。
それと対面してる時は作者の方を見てる時ですから、そのタイミングで、「池の方を見てる」なんて書いちゃダメですね。別のタイミングにしなければ。
これ、もしかしたら、馬房ではなく、もっと離れた、別の建物の窓から見てるのではありませんか? だから、馬は作者の方を見てないのではないですか? その可能性も思うし、となると作者の位置もさらに変わってくるから、やはり「窓」は書かない方がいいですね。

また、何度もそうやって訪れてる、見に来てるから、ある日いなくなったこともわかるわけですから、詩の中盤以降に、その「何度も見に来てる」感も、書いたほうがいいです。季節の移ろいでもいいし、こちらの気持ちのいろんな折に、ということでもいい。それによって、それだけ長くその馬を見てきたんだという愛着が表現できます。自分との関わり具合、愛着表現が事前にあってこそ、終連が生きてきますよ。
そうところも、ちょっと考えてみて下さい。

うーーん、たぶん、この話自体が創作で書かれてる部分が多いのだと思いますが、創作で書くにしても、場の設定が曖昧すぎるってことなんだろうと思います。
半歩前です。



● 藤代望さん「初夏の廂」

おや、スタイルを少し変えようとしているのかな? 思い切りましたなあー

 太陽光線の音がする
 弾けている

 葉脈が廂をつくると
 川縁に居場所ができた

このあたりの表現のアイデアはとてもいいです。ここは断片として評価します。
ただ、はっきり言いますが、短い詩にまとめるには技術が足りないです。この書きようでは、まだ無理です。言うと、半分以上書き直しになる感じです。
藤代さんは、ストーリーを持って、ある程度長く書いたほうがいいです。要するに、中くらいが一番書きやすいんですよ。短いのは、省略技法をわきまえてないといけないので、逆に難しいのです。
また、ストーリーを持った方がいいと言ったのは、別の意味もあって、
いい感性をお持ちですが、全部を感性で書けるほど天才ではないです。藤代さんだけじゃない。ほとんど全部の人がそうなんです。だから感性と感性のあいだは、思考(ストーリーはその人の思考でもある)で繋いで下さい。たとえば、

 僕の居場所でもあって
 他の誰かの居場所でもある
 今日は夏がそこにいた
 そこに 飛び込みたくなった

こういうところは、
①前2行は不要で、最初から、「夏」を風景の中に探したら、そこに発見したから、そこに飛び込んだ。とストーリーにするか、
②逆に1行目のみをクローズアップして、そこに自分の場所を見いだしたから、そこを私は独占する、みたいなことで、
いずれにせよ、どれか一つに成りきることで、ストーリー化したらいいと思います。

私は藤代さんは感性を生かしつつ、全体としてはストーリーで書いた方がいいと思います。実際にやってなくても、想像で成りきって、書いたらいいと思います。

最初に言った箇所だけ評価して、一歩前です。



●秋さやかさん「幼少」

篠田教夫さんの件は良かったです。へーえ、気がついてくれるもんですね。作者ご本人から褒められたら、最高の詩だったってことですよね。すばらしい!!

今回の作品なんですが、繊細な表現があるところが秋さんならではですねえー 部分的には惚れ惚れする表現がいくつかあります。
グレードが高い作品なので、そこまでできてるなら完成形にしたい私の気持ちもあって、さらに欲をかいてしまうのですが、
全体ストーリーに関わるところで2点気になるところがあります。
一点が「出口を探した」の意味合いです。これ、出口が見つかりにくいから「探す」わけですが、それは夏草の背が、自分が隠れてしまうほどに高かったからかしら? それともそこの原っぱが平面的な方向としてだだっぴろかったから、出口がわかりにくかったのかしら? 「出口を探す」前に、そのどちらかの要因を仕掛けておいた方がいいような気がします。「出口を探す」のところで、どういう探し方の図になるのか、わかりにくいのです。
もう一点は、

 最後に見た
 母さんの顔は
 笑っていただろうか
 泣いていただろうか

ここの「最後に」が、重いのです。意味がいくらでも重く取れてしまう。例えば、ここで子供時代からふっと現在の自分に戻って、現時点で亡くなってるお母さんのことを想ってるみたいにも受け取れる。「最後に」が、お母さんの亡くなった最後をも意味するようで、意味重すぎるのです。
もし「ここ(原っぱ)に来る前に見た」くらいの意味で書いているなら、そのように軽く書いてほしい。「今朝見た」くらいで。たぶん子供ごころの、親から一定時間離れると、漠然とした不安感を感じてしまうみたいなシーンに思うのだけど、
もし今言ったどれでもない事情があるならば、事情を少し書いてほしい。それは読者の想像のつかない範囲のものになるので。

大きくはその2ヵ所です。
あと細かいところ、グレードの高い、秋さんだから言うけど、

 震える鼓膜
 を伝わって
 揺れ始める胸の奥

 不器用に羽を
 馴染ませながら
 風の中へ帰ってゆく

この2ヵ所はこうでしょうね。

少し注文をつけてしまいましたが、無敵の膝小僧が充分に美しい詩ですし、

 痛そうなほど 
 あかあかと滲む
 夕暮れの空

 皮膚に纏わりつく
 生温い風が
 自分と世界の境目を
 絡めとってしまいそうで

このあたりの表現はすばらしいです。秀作プラスを。





●雪柳(S. Matsumoto)さん「海の記憶」

砂浜がなくなるについては、いくつかのケースが考えられるので一概に言えませんが、私が一番先に思ってしまうのは、東日本大震災の津波で、砂浜が消えてなくなったケースです。この詩のお話がそれかどうかはわかりませんが。

子供の頃の楽しかった思い出には、一つ象徴的な風景があるものです。その象徴的風景が今はなくなっているという消失の感覚が、2~3連における無常観を生みます。風景ですら消えるのですから、ましてや人間の命も移ろうものであり、永遠のものなどないという感慨になります。

 存在すること 生きていることは
 夕暮れがつくる影のように儚くて

この表現ステキですね。
終連はその時間軸をダイナミックに引き延ばした上で、いつか巡る再会が描かれていて、その発想や良しで、ステキな言葉が並んでて、いいセン行ってるんですが、ちと問題あるとすればここですね。

 きっと 同じ幸福な時間を刻むだろう

までは、主語は「海は」なんですが、

 いつか未来の 時のどこかで
 また会ったねと
 懐かしげに
 昔語りを聞かせるように
 時が繰り返す はるかな物語の中で

これの主語はなんでしょう? 流れで行くと、引き続き「海は」が主語でいいとこなんですが、最後の「時は」が主語に変わってるのかもしれません。もし「時は」が主語ならば、この部分は連分けした方がいいでしょうね。

もう一つの方法は、

 生まれては消える そんな中の
 もうひとりのわたしのような
 誰かの記憶

と前半でかなり曖昧な定まらないものにしているので、後半でまた、

 いつか未来の 時のどこかで
 また会ったねと

と曖昧にすると、「曖昧」×「曖昧」の構造になって、情感が定まらなくなりますよ。
もう前半で充分に曖昧にしてるので、後半は、

 時のどこかで また会ったねと

これだけでいいと思います。
こちらの方法は、ここだけ変えれば連分け不要。あとはそのままでOKです。
こちらは、最後まで主語は「海は」が、続いているという解釈になります。

でもスケール感の大きい詩で良かったです。時間かけて書いてくれてるのがわかる。
秀作プラスを。
雪柳さん、久々でした。

編集・削除(未編集)

免許皆伝おめでとうございます!

galapa(滝本政博)様 ピロット(紗野玲空)様

このたびは免許皆伝おめでとうございます。

galapaさん
今年は梅雨明けが早く、以前読ませていただいた「麦わら帽子」が必要な季節がやってきましたね。
galapaさんの詩、これまで沢山読ませてもらいましたが、あの少年の夏の一日を描かれた作品、今でも大好きです。
galapaさんの心が真ん中にあって描かれる鮮やかな詩の数々、これからも新作紹介で学ばせてください。
おめでとうございます。

ピロットさん
初めまして(?)。作品は掲示板で拝読していました。
造詣の深さから生み出されるテーマと、その内容を自己の表現にして昇華できる文体。何よりどの作品も最後の結びが美しいなと思っていました。
これからも新作紹介で学ばせてください。
おめでとうございます。

澤 一織

編集・削除(未編集)

追悼  島 秀生

オバマさんがアメリカ大統領として
初めて広島に来て、
安倍さんは日本の首相として
初めてパールハーバーへ行った。
あれは歴史的な偉業で、本当にすばらしかった。

安倍元首相のご逝去に
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

編集・削除(未編集)

三浦 志郎様  まるまる

「菜箸の威信」に評をありがとうございました。
正直に素直に書け、自分の分に合うような気がしていたので、
小さなテーマでしたのに「強さと説得力」やタイトルについて評価をいただけたこと、
とってもありがたく、嬉しく思いました。
お忙しい期間とお聞きしていたのに、台所まで検証に足を運んでくださったのですね、恐れ入ります。
飾り無しの菜箸なら「躊躇がない」ということもフォーカスしていただきました。
三浦さんの「血を沸かせ、肉躍る」ようにできたなんて、震えてしまいますが、
「やったー!」です。今回もありがとうございました。

安倍元総理の訃報に接した日に、こんなにも喜んでしまった自分に違和感を覚えつつ

編集・削除(編集済: 2022年07月08日 23:56)

三浦志郎さま  批評のお礼です  galapa(滝本政博)

わたしの詩「新米のレジ打ち」を読んでいただき、批評をありがとうございます。
レジ打ちを頑張っています。
今回の佳作は、そのご褒美佳作だと受け止めました。
もう評してもらうことはないのだと思うと淋しいですが、これまでのご指導に恥じない作品を書いて行こうと思います。

編集・削除(未編集)

三浦様 評のお礼  荻座利守

この度は私の詩の「眠る種」に丁寧な評をいただき、ありがとうございます。
佳作との評をいただき、たいへん嬉しく思います。
仰るとおり、頭に浮かんだイメージのまま「記憶の海」という表現をしましたが、やはり種という対象上、「地中」のような言葉がよかったかもしれません。ですから、
「遠い記憶の海を漂っていた」
というところは
「深い記憶の地層を往還していた」
のような表現のほうがしっくりきたかもしれません。
ご指摘ありがとうございました。
今後とも宜しくお願い致します。

編集・削除(未編集)

感想と評② 7/1~7/4 ご投稿分  三浦志郎  7/8

7 朝霧綾めさん 「猛暑日」  7/3

この詩の発想は実におもしろい(=興味深い)です。まず初連。熱気を地球のパワーと感じて嬉しがる、これだけでも凄いんですが、2連。この猛暑は地球のお産のことだと言う。ここが冒頭感想の核になります。とにかくユニークのひと言です。いっぽうで熱中症になるくだり、ここはちょっと展開を急ぎ過ぎた気味がありそうです。2連を受けて、もうひと山、もうひと連あっていいようです。
あと「雨がぽつぽつ」のくだりは1行空けて始めたい。佳作一歩前で。

ぼくもここに立っていなきゃ

そんなひとり言が虚ろに響いた
ぼくの好きな太陽が
視界の中で
だんだんと閉じられていく
ゆらゆらと ぼやける路上
せみが鳴いている 気がした
世界が小さくなって
あとは忘れた

とたん~~


みたいな。参考までを。



8 エイジさん 「旅人かへらず」  7/4

この詩を読んで、(エイジさんというかたは、今を含めて考えると、その生き方は波乱万丈であるなあ)―そんな思いがあります。さしあたり、今、この時はこの詩世界に特化して考えたいと思います。
1週間くらいアメリカに行っただけでも想い出深いのに、3回目、1年半も滞在すれば、思いはひとしおで、生き方にも影響を与えるものであったでしょう。ここに書かれていることはほんの一部のような気がします。この詩はやっぱり終連が深くポイントになるでしょう。前半3行は実感を伴って共感することができます。僕もこんな風に思ったことがありました。今もその残余はあります。僕の場合は国内ですが。西脇引用の二つの部分を解釈したいと思います。こんな風に……。

「生身の自分はこうして此処にいるが、もう一人の自分は幻影の人となって、今もかの地にいる。
いつまでも居残っている。その旅人は今も幻影となって帰ることがない。 旅人かへらず」

甘め佳作を。

アフターアワーズ。
西脇順三郎の引用、ありがとうございます。僕を詩の世界に誘った(あるいは連れ込んだのは)
全くもって、この人でありました。


9 まるまるさん 「菜箸の威信」  7/4

日常的・現実的作品ですが、おもしろいところを掬い取っています。僕にとっては思いもよらないアイテム登場なので、急いで台所に行き見てみました。先がギザギザし上半分に緑の細かい縞模様付き。材質は木でした。そういえば、子どもの頃、紐で繋がったのを見て不思議に思ったことがありました。ちなみに菜箸で塩をつまもうとしても上手くいきませんでした。家内に聞いても「殆どしない」とのことでした。それはともかく、この詩は実践に即しているため、強さと説得力があります。
おそらくこういうことだと思います。
「食用箸で逆を使うのは、臨時に取り分ける時くらいで、使用頻度は10%にも満たないでしょう。そこへいくと、菜箸は両端使える。昔ながらの飾り無しならなおのこと。躊躇がない。シンプルさがもたらす効用のようなもの」
そんな風に感じています。「シンプル イズ ベスト」とは僕は必ずしも思わないんだけど、これは
、そんな例の気がします。この詩の華は「端から端まで」以降、、もっと言うと、終連です。
これは実用がもたらした佳作。

アフターアワーズ。
昔のCMに「お箸の国の人だもの」というのがありました(確か、三田佳子だったと思う)。
そのお箸の国が見出し育んだ”優れ道具“でしょう。そこに”箸族“の威信、矜持、プライドがあるかのようです。タイトル秀逸です。特に「威信」。この言葉、血沸き肉踊ります。「威信」だけで、僕の中では、すでにして半分、佳作は取れていたのです。「菜箸を詩箸ひとつまみ、掬い取り」



10 ピロットさん 「葡萄に栗鼠」 7/4

ピロットさんの詩を読むことは評者も勉強することに等しい。今まで数々の作品において、そうして来ました。さて、今回はタイトルにもある通り、伊達家菩提寺・瑞巌寺御成玄関の欄間に彫られた「葡萄と栗鼠」です。画像で見ると細長いスペースに施され、ちょっと目立たない感じですが、それこそが好事家(こうずか)的で、あの島崎藤村でさえ感動し「若菜集」に収めたとか。左甚五郎も諸説あるだけに興味深く登場させています。最後の「*」以降にオリジナリティを濃厚に感じました。
この彫り物は考えようによっては妙な取り合わせの、珍しい構図なのですが、このあたりの描写や感受性を上手く働かせて個性的な解釈を達成しています、このあたりがピロット流。すなわち……、
「潜ませている・待っている」から「しっかりと掴む」へ。このことは「静から動へ・受動から能動へ」
とも解釈できるのです。そしてその事は、眺めていたピロットさん自身の心の動きや願いを投影したものとも解釈できるのでした。それが、この「きっと」の置き方。佳作を。

アフターアワーズ。
この稿を書いている時点で皆伝昇格が決定しています。詩を長い道のりとするならば、これはひとつの通過点であります。通過祝福佳作を。そして、これからの「KEEP ON ~ING」を。



11 もりた りのさん 「旅人の音楽」  7/4

最近、物語的な詩が好きな評者としては、大変興味深く読んだのです。寓話的、ファンタジー的手法で読ませますね。対象が僕にとっても関心事であることも言えます。この寓話が提示するエッセンスを考えたいと思います。王は人知れず旅人の音楽を聴きに来て感涙するほどに感動しています。ところが、あくる日の、掌を返すような過酷な仕打ちです。ここで話題を変えます。先日大河ドラマで源頼朝の乳母が頼朝に向かって、こう言います。「立場はひとを変えますね」―この詩のこの場面は、まさにそれであるという気がします。一私人の感性VS国を統べる王としての体面や立場。もうひとつ考えられるのは、この音楽家が国や王を称える曲、勇気や好戦を説く曲を奏でたとしたらどうでしょう。彼はこの国でしかるべき地位を得たかもしれません。この詩から僕が感知したことは以上です。前者は人が生まれついて普遍的・後天的に持つものかもしれず、後者を含め両者は戦前、戦中、日本でもあったことです。非常に大事なことを含蓄豊かに書かれました。一点だけ言うと―個人的傾向になりますが―タイトルは王様寄りにしても、おもしろいかもしれない。もちろん、これでもいいのですが。 すいませんが、僕はまだ、もりたさんを読んで日が浅いので、佳作一歩前でお願いします。

アフターアワーズ。
急に思い立ったので追加します。音楽のある人、音楽のない人、それら両者を想像するのも興味深いところです。


評のおわりに。

今、安陪元総理が銃撃され重体というニュースでもちきりです。安陪元総理の評価は分かれますが、僕の学校の先輩で二年間ほど一緒でしたが、もちろん面識はありません。ですが、校内ですれ違ったことがあったかもしれません。民主主義を暴力で揺さぶろうとするのは、どんな理由であれ許されることではありません。元総理の回復を祈っております。では、また。

編集・削除(未編集)

感想と評① 7/1~7/4 ご投稿分  三浦志郎  7/8

1 じじいじじいさん 「こころ」  7/1

小売業・サービス業・接客業では接客七大用語というのがあるんですが、この詩はこころ表す三大用語といったところでしょうか。前者は制度化、規律化されたものですが、後者はあくまで自然な感情の表出であり、この詩もその範疇にあります。1連目「かんしゃ」が、この詩の設定年齢の子どもが使うかどうか、少し引っ掛かりますが、それはスルーしましょう。2、3連で「みとめる」が重複するので、3連は「はげます」くらいにして、バリエーションをつけたいところ。一番注目したいのは4連ですね。この相互性は早いうちにわかっていてほしいものでしょう。ここ大事ですね。恋愛の「すきだよ」はまた違うものであることは、歳と共に、おいおいわかってくるものでしょう。
終連はシンプルにまとめ。いいでしょう。甘め佳作を。


2 麻月更紗さん 「テッセン」  7/1

調べたところによると、クレマチスとテッセンは詳しい人が見ないとわからないくらいに“似ても似つく”んだそうですが、とりあえず
テッセン花びら6枚。クレマチス花びら8枚~
のようです。しかし「似ても似つかない」とはこの花、何でしょうねえ?島さんならたちどころに答えを出しそう。花の色とか形を書いてもらってもいいですね。名称の勘違いも含めて、この詩のお母さん、いい味出してるじゃありませんか。「愛すべき初心者ぶり」と言ったところか?かくいう評者も最近、園芸の真似事を始めたのですが、まんま、お母さんと一緒で、親近感というか、妙に励まされたというか。ひまわり植えたのも一緒。
いっぽうで、「一応、言って」みたけれど、どこか気後れ気味の主人公さんもなかなかの雰囲気。
両者の醸す、釈然としない感、あいまい感、不思議感、あっけら感が、かえって愛すべき詩に仕上がったと思います。いや、楽しく読ませて頂きました。佳作一歩前で。


3 妻咲邦香さん 「雫(しずく)」  7/1

前回と今回、妻咲さんの中で作風変換のようなものがあったように思います。それで僕のほうも少し変更します。つまり、今まで無関係性の中で、それでも輝いていたようなアクロバット的比喩、そういったものを期待していましたが、それらを少し後方にさげて論じたいと思います。
さて、この詩、まず光のあり方です。擬人法とは少し違うのですが、それを何か、生身の、生あるもののように捉えていること。次に「私」です。これは普通に人間と捉えていいでしょう。両者はファミリアーな関係にあるけれど、どこかよそよそしい、決定的に何かが違う。もうひとつ絶望的に違うものがあって、それは光と星。もちろん、この詩の本心は全くわかりません。ただ大づかみに言えば、そんな感じなんです。終わり近く、二つの光が離れていくさまが描かれますが、星を目指したのでしょうか。しかし「すぐに~戻って来る」という。それは前記、光と星の決定的な違いに由来するものでしょうか?結局、この詩は意味の全貌を掴めないまま、終わります。仕切り直しの意味を込めましょう。
佳作一歩前で。


4 galapa(滝本政博)さん 「新米のレジ打ち」  7/1

まずもって「おつかれさまです!」と本心ご挨拶したいです。
評者は若い頃、10年ほどスーパーに勤めていたので、レジの大変さ、重要さがよくわかるのです。
詩は1、2連のリアル。レジ打ちになった背景とその実務。特に2連ですね。覚えることの多いこと。臨場感あります。レジシステムとは複雑化と軽減化のせめぎ合いの場。加えてスーパーのレジは「行列が常態」です。これに耐え得る心理が大変でしょう。当初は当然のように3、4連でしょうね。結果としての終わり2連です。還暦過ぎて、瞬時の判断、行動が必要で、ひとつとして同じ事例がない職種とは本心畏れ入りました。これはですねえ、詩の優劣やモチーフの良否を越えている。この環境への挑戦はGREATと言う他なし。技術論で言うならば、galapaさんの作品群では、裏も表もない、額面通りの詩なんですが、そんなことはどうでもいい。上記したように“越えて”います。
今回、免許皆伝を得ました。大変喜ばしいことです。過去の作品が皆伝達成を雄弁に物語っています。それら作品が激励・祝福しての佳作です。


5 cofumiさん 「それは10年前の恋」  7/1

タイトルは10年前ですが、7年前から“こっち”に来てるのは、何かわけがあるのかな?
そんなことを思っていましたが―。まあ、深くは考えますまい。年ごとに連分けされてるのに、アイデアを感じました。それぞれに個性的な味付けの詩行が並んでいますね。初連は粋でおしゃれな感覚だし、2連の後半3行はドキッとさせられますが、これも、まあ、深くは追いますまい。
ちょっと奇妙に思ったのは5年前は、「昔の男のことなんて/忘れてしまった方がいい」なんですが、
3年前では仲睦まじい感じなんです。(ここ、何だろか?)

紙切れのような恋だったと
燃やした振りをした

ここの表現、好きなんで書いてみました。ただ、ここ、「燃やした」の解釈の仕方なんです。

A……紙切れのイメージから→燃やして捨てちゃった(恋を止めた)
B……紙切れのようだけど→だからこそ、逆に心を燃やした(恋、継続中)

文脈から言って、Aと思いますが、Bと取れないこともない点、どこかに意識されて損はないと思います。終連はなかなかです。終わった恋とは、こういったものかもしれません。詩行はなかなかいいんですが、それを支える事情の骨組みは少し整理してみたい気がします。佳作一歩前で。


6 荻座利守さん 「眠る種」  7/3

出た、来た、佳作です。作者と評者が一発で出会った。そんな気持ちでいます。
なるほど、種は「時間」の別名ですね。化身していくその過程。それが前半。「何故なら」の連、ここは植物にとって、種がいかに始原であり発祥であり吉祥であり、美しい結果であるか、を詩的に気づかせてくれています。そんな内面を抱えながら、じっと待っている描写もいい。この詩は俯瞰的に読むといいかもしれない。要は概念をできるだけ大きく取って。すると、この詩は種とは全ての存在を包むもの、全ての舞台を用意するもの。そんな感覚が伝わってくるのです。荻座さんの持ち味がナチュラルに出たイメージがあって、論理の筋・量も過不足なし。これ、いいです。蛇足で言うならば、好み上で言うならば、「海」でもいいんですが、対象上「地中」みたいなほうがいいかな、など思いました。「地中という沈黙に耐え」とか「遠い記憶の地中に鎮まり」みたいな。聞き流してもらって問題ありません。


つづく。

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