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最近 雨が多いなあ
学校 行きたくないなあ
唐突に
梅雨は死んだ
何故なんだろうね 突然姿を消した
すぐに見えなくなって でも来年も来るわけじゃなくて
もうこの先も一生会うことはないと思うと
ちょっぴり寂しくて
好きと嫌いの二項対立
本当の君を知ったのは
梅雨が明けた7月だった
6月の蒸し暑い部屋の中
毛布に包まり、汗をかき寝ていた
遠いあなたを、見つめながら
独り、猫になって寝ていた
なにもかも、このまま続くと信じていた
それが、ただの思い込みだと分かっていたのに
続くと信じたかった
気付けば、あなたは遠い
寂しさの中に舞い戻った
独りの頼りなさ
自らの存在の確たる位置付けが欲しいのに
どうしてこんなに白けちゃうのでしょう
独りで生きていけない私は
何をすれば良いのか
何ができるのか
何処かで私を待っている人がいるのでしょうか
猫になった私を見つめているのは私
泣いているね
もう、頑張らなくていいよ
充分頑張ったのだから
額の珠の汗
詰まる寝息は言葉を包み
泣きながら血を吐いた
あなたとの日々を
あなたへの思いを血にして吐いた
そして、佇む
この道は渡れない
血を吐いた私は渡れない
だから、道の向こうのあなたに
さよならの代わりに右手を挙げた
島秀生様へ
評価を有り難うございます。
詩の書き方を変えてみたい。と思い書かせて頂きましたが、まだまだ勉強不足でした。
また評価を宜しくお願い致します。
お忙しい中、『消えた街/消えた足』への評をありがとうございました!
素直に佳作嬉しいです。
この詩、三浦様がおっしゃってる通りウクライナの街を自分なりに切り取り(ニュースやネットで見て)書いたものです。
悲しいかな、女性や子供の被害も多く、心痛めていたので少し立ち位置を変えて言葉にしてみました。
三浦様の評を読むたびに、そーそー、そーなんです。伝わりましたか!?とそんな心の声がこだましてます。
いつも丁寧に丁寧に読み込んで頂き、本当に感謝しています。
ありがとうございます。
これからも宜しくお願いします。
嘗ての英雄たちに評を頂きありがとうございます。
この作品は胸の痛みが強いので敢えてイノセントに書きました。
これは一冊の小説になり得る題材です。
でも詩でどのように書いたらいいのかわかりませんでした。
真剣に書くと僕以外の人は白けるし苦肉の策で無邪気さを出しました。
これからもよろしくお願いします。
戦場の子は投稿してから間違ったかなと思いました。詩ではなくなっていますからね。論じているわけではなく素直な気持ちを書きました。僕の考え方が前面にでてしまった失敗作でしたね。反省します。どうもありがとうございました。
皆さん無事に移動してきてくれてるみたいで、良かったです。
ホッ!
ちなみに、このカラーリングは私の趣味ですので、あきらめて下さい。
●もりた りのさん「糸を離す」
ふーーん、よく書けてるねえー ぎゅっと詰まってます。
初回も思ったけど、やっぱりもりたさんは、なかなか上手だね。最初から長いのも短いのも両方書ける人、なかなかいません。すでにどこかで活動されてる方じゃないんでしょうか? かなり力量あります。
でもちょっとだけたどたどしいのと、映像をきちんとスロー動画で追いたいのでちょい変えましょう。
ぴんと張ったあなたとの糸は切れ
放たれた糸は高い空を漂う
あなたはつむじ風に糸を連れて消えた
涙に霞む目をぬぐうと
切れた短い方の糸がひらり
手の上に落ちてくる
つながっていた糸を指が
まだ握っているからだ
ふわりあげても指が糸を離さない
離さない 離れない
指はわたしのものなのに
こんな感じです。この方が映像が動画で追える感じじゃないでしょうか?
短い詩は切っていくのがポイントですよ。文体自体はできてます。
それと「すぐに切れ」だと、もともと切れやすい状態だったみたいで、それよりも「ピンと張った状態」が恋人たちのあいだの一つの状態を表わしていると、見せたいと思いました。参考にして下さい。
恋人が逆立ちするような格好で、空に飛ばされていって、シャガールの絵みたいでした。
この詩は、もうそこで、ぐっときます。この詩の魅力の半分は、ここと言っていい。「つむじ風」と相俟って、別れをこんなロマンチックに表現できるのかと、むしろこちらに感心しました。
ちょい甘め秀作にしておきましょう。
●ピロットさん「晩翠先生」
土井晩翠の居宅には行ったことがありませんが、現存してるんですね。往年の大詩人、大作家と言われる人の居宅は、中身は違えども、どこか共通項があるんで、他の人の居宅の記憶と重ね合わせて読むと、雰囲気とても伝わってくるものがありました。
あまり他所にない意外な一点はベッドですが、翻訳もされてたことを思うと、海外渡航もされてたはずで、不思議でもないのかもしれません。
あと、いつも思うのは窓から何を見てたんだろうという点ですが、どうやら中庭のようです。
いろいろ興味深いですね。ピロットさんは多岐にわたって見識が深いですね。
ところでピロットさんの場合は、自身のおばあさんが住んでいた旧家の記憶と、すごく重なった様子です。私はこの詩のポイントの半分近くは、そこでもある気がしているので、お祖母さんの登場シーンは、くっきりさせたほうがいいと思います。
そこで思うのは、3連の後ろ2行も、(ただいま)(また参ります)と同様に、( )で括っていいと思いました。
本当は( )部分こそを字下げしたいところなんだけど、詩(句)の一節を入れる部分で字下げを使ってるんで、それに遠慮しての( )付けなんでしょうね。
また、その字下げ部分は、「 」部分の引用とも分けているようなので、こっちはオリジナルということなのでしょう。
してみると、詩の長さのわりに、ちょっと盛りだくさんなことになりましたね。
そのせいかもしれませんが、今回はトータルで味わうに至らず、かいつまんでおいしいとこ味わったというのが、正直なところです。
秀作プラスを。
あと、「馥郁な香」はちょっと違うなあー
良い香りが漂う様を言うんだけど、「馥郁たる香り」「馥郁とした香り」あるいは逆並びの「(香りなどを)馥郁と放つ」に使われ方が限定されているもので、なんていうか、必ず「香り」を伴って、それを良い方に増幅する役割の形容詞的性質のもので、
「馥郁」自体は名詞のはずではあるんですけど、名詞として独立してないというか、名詞として扱われることがないというか、実際の使用法としては「馥郁たる」「馥郁とした」の形容詞しか、存在していないと、考えてもらった方がいいです。
ですから一般的な名詞のように、それを形容詞化した形の、「馥郁な」の使用はアウトだと思います。つまるところ「馥郁」は、ちゃんとした名詞じゃないから、ふつうの名詞的使用はアウトなんですよ。
●江里川 丘砥さん「空白-父の日に-」
これは凄いな、いい詩だねえーー
自分が大人になる前に亡くなった父の話は、詩でもちょくちょく目にするけれど、記憶にないほど小さい時から父がいない立場からの詩は、初めて読みました。いや、実際、こういう立場の子供もままいるはずなんだけど、そういう人は口に出さないし、ましてや詩にもしないから、その立場からの父の不在を、正面から見つめた、というのが、この詩の凄いとこですね。
ぐっと昔、戦争さなか、昭和18~20年あたりの生まれの人で、そのあと父が戦争に行って、そのまま帰ってこなかったから、父の記憶がないという人(きっと今のウクライナの赤ちゃんたちも、少なからずそうなります)の詩は、目にすることがあるんですけどね。こういう現代を生きる若い人の今の声で聞く詩は、初めてですね。現代性という点でも価値があります。とりわけ、同じ立場で、普段は口にしない人の共感を多く得そうです。なんていうのか、成長過程で父を失った人とはまた違う、「そもそも記憶にない寂しさ」というのは、独特のものだと思う。そこに向きあってるのが、この詩のすばらしいとこですね。
でもそれは決して特殊なことではなく、翻って現代社会を思うに、いま日本の離婚率は35%前後、3組に1組は離婚する時代なので、親と親とのあいだに挟まれて、こういう子達が増えるというのは、現代日本のれっきとした側面かもしれません。
ところで詩中もいい表現がいっぱいですね。
昨日今日 空いたわけでもない
もう傷口でも むき出しでもない
くり抜かれた部分には
草木が生えて
風が通り抜ける
これ、状況を知るにわかりやすいです。
また、これの発展形のリフレイン
「空いたままの穴から/遠く入り江まで吹き抜ける風~」の連もよかった。
また、結びの部分となる
父は空白により
私の人生に問いかけた
大きな存在を不在で示し
世界を広げ
感情を深めた
この穴からしか見えない景色
それを知るのが
あなた由(ゆ)えの私
これらの連の帰結も良かったです。
名作を。そしてこれは江里川丘砥さんの堂々たる代表作ですね。
すばらしかったです!!
一点だけ。
詩の原稿って、印刷物としても、たいてい1行25字は取ってくれるので(30字までOKのとこもあり)、1行20字に無理におさめなくていいですよ。たとえば、
愛だけでは一緒にいられなかった
恋人のように
は
愛だけでは一緒にいられなかった恋人のように
でも大丈夫だし、逆に間を取りたかったら、
あるいは
愛だけでは一緒にいられなかった
恋人のように
としてもいいですよ。
もちろん、今のリズムで自分が合っているなら、そのままでOKです。
ムリに1行20字以内におさめなくていいんだよ、ということだけ知ってて下さい。
●朝霧綾めさん「夜風」
質感があっていいですね。五感全部を使って書いてる気がするし、ひとつひとつを丁寧に書いてるのがいい。
一点だけ、
木の奥にある電灯のオレンジ色が
星のような針を
いくつも出して回転する
これ、フツウの外灯じゃないのかしら? 「回転する」の言葉が決定的にわからなくします。
フツウの外灯は回転せんからね。「回転する」がなければ、凝った表現かな?で済むんですが。「回転する」となると、なにかのネオンだったのかしら? となって、読んでる側に映像が浮かばなくなる。「回転する」は説明必要レベルですね。
そこだけです。あとは良いと思いますよ。いいセンスお持ちです。
また書いて下さい。初回ですので評価つけず、感想のみとなります。
●じじいじじいさん「たいようとせんせい」
後半、ちょっとだけ変えましょう
たいようのごきげんで
あつかったりさむかったり
あめだったり
どれかにしてよ
やんなっちゃうよ
がっこうにいるとき
せんせいのごきげんで
たのしかったりつまらなかったり
せんせいもごきげんたいようみたいだ
せんせいにおねがい
たいようじゃないんだから
しっかりしてよ
3連に「さむかったり」を足したのは、1~2連で半袖か否かの論議があるので、脈絡上「さむかったり」が抜けないと思ったからです。
4連の変更は、いっそ「ごきげんたいよう」にした方が、先生にあだ名つけてるみたいで、子供ごころに近づくかな?と思ったからです。
詩のタイトルも「ごきげんたいよう」」にしてしまってもいいですね。絵本にもそういう子供の造語のタイトル、よくありますからね。
うむ、今回は良かったです。秀作を。いつもこんなふうに粘り強く書きましょう。
●エイジさん「梅雨の楽しみ」
この詩の一番いいところは、皆が嫌がる梅雨にも、いいところがあるよという、ちょっと逆の発見があるところですね。
公園の中で1ヵ所屋根のあるところも知っていて、そこで雨を楽しむという、リアルな臨場感がよく、読んでるこちら側も楽しませてもらえます。
木々や葉の表情を描いてるところもいいね。秀作を。
うむ、だいぶ叙景の腕が上がりましたね。
あと、もうひとつやってほしいのは、オノマトペです。
「ポツポツポツ」と「ザーッ」のところ、ありきたりの擬音でなく、別の音表現を考えてみて下さい。こういうふうにも聞こえるよという、オリジナルの擬音を作るのです。これができるともう一段上がれます。
最初はちょっと難しいかもしれないけど、試していってみて下さい。伝わるか不安があれば、「屋根から滴る」「本降りだ」みたいにそれぞれ補足の言葉をつけて、2行立てにしてもいいです。
叙景のうまい詩人は、必ずと言っていいほどオノマトペを巧みに操るので、エイジさんも次の課題にしていって下さい。叙景だと毎回出さなきゃいけないってわけでもないんですが、「もし擬音を出すならば、オリジナル」ってことですね。
私の詩「祝祭」を読んでいただき、批評をありがとうございます。
気に入っていただけたようで、過分なお褒めの言葉に、嬉し恥ずかしでございます。
お忙しい中、時間を割いていただき感謝しています。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
新しい掲示板をありがとうございます。
私はパソコンから投稿していますが、書体、行間等、とても見やすいです。
今回もオレの作品を読んで、さらに評を下さって、ありがとうございます。
箱のイメージは安部公房の『カンガルー・ノート』や『箱男』、村上春樹の『蜂蜜パイ』などの
小説から影響を受けました。
ジオラマも一つの箱庭だと、書いた後に気づきました。
ちなみにですが、ジオラマという言葉は、歌手の米津玄師さんのアルバム『diorama』より、参照しました。
現在の楽曲のような洗練さはあまりありませんが、その不完全さがもつ叫びに似たなにかに共鳴したからです。
「愛をくれよ、愛を」は書いていらっしゃるように陳腐です。オレはその陳腐さをバカにしたかったのです。
オレは最近、オレが存在する理由を考えてしまいます。
他人(魔女の物語)に自分の存在理由を求めている奴らを、オレはバカにしたかったのです。
バカにすることで、なんとか自分を保ちたかったのです。
自分だけは気づいているという、特別感(存在理由)が欲しかったんです。(←その考えも陳腐だというのを承知で。)
オレは、自分は間違っている、他人とは違う、ということを存在理由にすることで、自分を保ちたかったのです。
(すみません。今、精神がやや末期を迎えています。また変な詩を送り付けてしまってすみません。)
今回、詩に意味を持たせることで、作品全体をつらぬくなにかが生まれると思いました。
しかしやっぱり、意味によって言葉の羅列を統制するのは、オレにとっては本当に難しいのだと実感しました。
改めて、考えます。
追記:オレはブルースを一切聴いたことがないのですが、こうやって言葉が自分から切り離され、
三浦様のもとで再構築され、ブルースに行き着いたことに、小さな感動を覚えます。
また、今回、掲示板という開かれた空間が生まれ変わったことに、敬意と感謝を。
この度は私の詩の「向日葵の花色」に丁寧な評をいただき、ありがとうございます。
秀作との評をいただき、たいへん嬉しく思います。
この詩は時間をテーマとして書きましたので、ウクライナのことは全く考えていませんでしたが、その視点から、もう一度考えてみようと思います。
今後とも宜しくお願い致します。