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テッセンの花が咲いた
母が言う
けれどネットで調べたテッセンは
庭に咲いている花と
似ても似つかない
母が丹精込めて
手入れした庭は
ごちゃごちゃしている
植えている花も鉢植えも
ばらばら
寄せ植えなんか
めちゃくちゃ
色合わせも
バランスも
あったものじゃない
テッセンだという花は
ひょろり背が高く
空にのびて
まわりは背の低い花ばかり
異様に目立つ
もう少しバランス考えたら
言っても無駄だとわかっていても
一応、言ってみる
次はひまわりを植えようかな
聞こえなかったようだ
あの背の高い花は
本当はなんという名なのだろう
ありがとうっていえるひと
みんなにかんしゃのこころをもっている
ごめんなさいっていえるひと
わるいことをみとめるこころをもっている
がんばれっていえるひと
みんなをみとめるこころをもっている
すきだよっていえるひと
みんなにすきっていわれるこころをもっている
ありがとう ごめんなさい
がんばれ すきだよ
すなおなこころをもっているから
いえるんだよね
斎藤純ニ様、「光」に評をいただきありがとうございました。
まずこれをMY DEARに上げてよいものかどうか迷ったのですが、解釈はともかく言語的な意味だけは通っていると思えたので取り敢えず投稿させていただきました。
想定していた解釈とはちょっと違ったりするんですが、それはどうでも良くて「僕」の存在はともかく「君」という存在をもう一人の「僕」と捉えた解釈は見事といいますか、さすがあっぱれと唸りました。こういった自由な解釈が出来てしまうのが詩の本来の醍醐味のような気がします。
減圧に関しては確かに確かに、でもまあこの詩自体が息抜きみたいなものですから、と言って逃げてないで、風景描写みたいな遊びとかあると良かったかもしれませんね。ありがとうございました。またよろしくお願いいたします。
齋藤様、「話し相手が欲しかったんだ」への評をありがとうございました。
書いた後に音読してるい時は、(自分では)軽やかに読んでいたので、ご指摘されてから改めて読んでみると…あ〜確かに。違う。このタイトルはズレてるかも。そんな気がして、早速、終盤の二連を書き換えました。
愉快な詩の世界を一緒に愉しんで頂けて、とても嬉しかったです!
今後も宜しくお願い致します!!
最近
歩き方を
忘れました
飛ぶことは
そもそも
できません
先日
人の褒め方を
教わりました
人を貶すことは
知らぬ間に
覚えていました
泳ぎ方は
知っていますが
泳いだことはありません
呼吸を
時々忘れます
恋と愛の違いが
分からないのは
人を好きになったことが
ないからかもしれません
二足歩行よりも
四足歩行が楽な時があります
何をし
何を覚え
何を忘れて
何のために
生きるのかは
知らないのに
今日も
しぶとく
生きている
僕は
僕だけど
僕ではない
ときどき
僕ではない僕が
僕になりすます
何年経っても
自分の携帯番号を
記憶できません
自分の名前を
すっかり
思い出せなくなりました
ですから
名乗れませんが
よろしくお願いします
初めての詩作に評をいただきありがとうございます。
稚拙な作の中にも良い所を見つけようとのお心づかいに感謝します。
新しいものができましたら、また投稿させていただきます。
今後も評をいただけましたら幸いです
「ナンジュウにも猫を被って
生きているんですよ」
ある人がそう言っていたのです
聞いていた詩人は手を叩いて
「何十猫って面白い!」
私は
「何重も被っていたら
さぞかし暑くて重くて辛いだろう」
気の毒で心配になりました
もし、丸裸になるのなら
キミから何十剥がして
わたしは何重脱げばいいだろうか
そんなこと考えていたら
詩人が
「これは詩になるね」
とメモを取り始め
「お役に立てて光栄です」
何十猫か何重猫か
どう書くのかわからないけれど
その人は目を細め、喉をぐるぐる
嬉し気に鳴らしているのでした
すっかり猫そのものになって
冒頭のところは書き上げた後、手を加えようか少し迷いましたが、全体的なバランスなどを考えあまりいじらずにおいておきました。
しかし、もう少し手を加えればもう一つ面白くなったかもとも思っており、その部分のことを言われ少しぎくっとしました(笑)
本人の思い残しがあるところは、人から見た時目立ってしまうのかな、と。
引き締めていかねばなりませんね。
甘めですが佳作をいただき嬉しいです。
今回も評をいただきありがとうございました。
雨音様、厳しいご指導ありがとうございます。
前回投稿に関わるギャグまで入れて戴いて恐縮です。(笑)
今回のご指摘についてよく吟味し推敲してみたいと思います。
天性の音痴のせいでしょうか、リズムやテンポに弱いようです。(笑)
こんばんは。この度は支離滅裂な詩となり、申し訳ありませんでした。にもかかわらず、丁寧に読んで頂きありがとうございます。
いつもは詩の内容について触れないのですが、あまりに支離滅裂だったと反省して、「後だしじゃんけん」みたいな反省を述べさせて頂きます。
友人に話す際に、私は共感して欲しいという思いがどこかにあって、おかしかったこと、かなしかったことを話して一緒に笑ったり、泣いたりして欲しいと思うのに、話力に自信がないので伝わらなかったらどうしようという不安も抱えており、共感して欲しいと思う時は「笑わないでね」「泣かないでね」と前置きする傾向があります。本当は笑ったり、泣いて欲しいから、笑ったり、泣いてくれたら嬉しいのだけれど、前置きした手前「文句」を言い、前置き通りに笑ってくれない、泣いてくれない、という場合も「文句」を言う。「後だしじゃんけん」は、こちらが何を出しても負けるので、相手が反応しても、反応しなくても「文句」を言う前置きは、ある意味で「後だしじゃんけんみたい」かなぁ、と思って使ったのですが、最初に言う訳ですから「前置きは後だしじゃないじゃん」というのは最もだと頷いております。
素直に「一緒に笑って欲しい」「一緒に泣いて欲しい」と言えたら、もう少し楽に生きられるのに、という願望も込めたのですが、結果的に支離滅裂になってしまいました。
割とまっとうな、というか辻褄の合う詩を書くことが多く、ちょっと挑戦してみよう、捻ってみようと思って書いてみましたが、能力不足だったと実感しています。
引き続き、よろしくお願い致します。