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私の詩「祝祭」を読んでいただき、批評をありがとうございます。
気に入っていただけたようで、過分なお褒めの言葉に、嬉し恥ずかしでございます。
お忙しい中、時間を割いていただき感謝しています。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
新しい掲示板をありがとうございます。
私はパソコンから投稿していますが、書体、行間等、とても見やすいです。
今回もオレの作品を読んで、さらに評を下さって、ありがとうございます。
箱のイメージは安部公房の『カンガルー・ノート』や『箱男』、村上春樹の『蜂蜜パイ』などの
小説から影響を受けました。
ジオラマも一つの箱庭だと、書いた後に気づきました。
ちなみにですが、ジオラマという言葉は、歌手の米津玄師さんのアルバム『diorama』より、参照しました。
現在の楽曲のような洗練さはあまりありませんが、その不完全さがもつ叫びに似たなにかに共鳴したからです。
「愛をくれよ、愛を」は書いていらっしゃるように陳腐です。オレはその陳腐さをバカにしたかったのです。
オレは最近、オレが存在する理由を考えてしまいます。
他人(魔女の物語)に自分の存在理由を求めている奴らを、オレはバカにしたかったのです。
バカにすることで、なんとか自分を保ちたかったのです。
自分だけは気づいているという、特別感(存在理由)が欲しかったんです。(←その考えも陳腐だというのを承知で。)
オレは、自分は間違っている、他人とは違う、ということを存在理由にすることで、自分を保ちたかったのです。
(すみません。今、精神がやや末期を迎えています。また変な詩を送り付けてしまってすみません。)
今回、詩に意味を持たせることで、作品全体をつらぬくなにかが生まれると思いました。
しかしやっぱり、意味によって言葉の羅列を統制するのは、オレにとっては本当に難しいのだと実感しました。
改めて、考えます。
追記:オレはブルースを一切聴いたことがないのですが、こうやって言葉が自分から切り離され、
三浦様のもとで再構築され、ブルースに行き着いたことに、小さな感動を覚えます。
また、今回、掲示板という開かれた空間が生まれ変わったことに、敬意と感謝を。
この度は私の詩の「向日葵の花色」に丁寧な評をいただき、ありがとうございます。
秀作との評をいただき、たいへん嬉しく思います。
この詩は時間をテーマとして書きましたので、ウクライナのことは全く考えていませんでしたが、その視点から、もう一度考えてみようと思います。
今後とも宜しくお願い致します。
まず新しい掲示板、とても新鮮な気持ちになり
ドキドキしながら書き込みします。素敵な居場所を用意して下さりありがとうございます。秀作まで頂き、小躍りしています。推敲して書き直してみます!アドバイスありがとうございます。また頑張ります。
そばかすは
星屑
シミなんかでは
なくって
歳が
寄る度
増していく
星の屑
お昼にたくさん
にらめっこした
お日様が
わたしの頬に
きらきらと散らばって
星の屑にかわる
もったいないから
かくさずに
夜毎拾いあつめては
シーツの波に
ささささと
ふりまいて
遊ぶのです
花いちもんめした
星の屑が
仲間ハズレにされた
と
戻ってきて
よしよし
私がママですよ
また頬にはりつけ
朝を迎える
そばかすは
星屑なのです
お待たせしております。
残り6作も、ほとんどできているので、
明日の朝に。
●長森 正樹さん「祈り」
戦争を始める者は理念で始める(今回も非ナチ化とか言ってます)のだけど、実際、戦闘が始まると人の命がどんどん亡くなっていく。すると肉親を殺された者が黙っていられるわけはないから、私怨が広がり、やり返すことになる。戦闘の規模が大きくなれば大きくなるほど、長期化すれば長期化するほど、私怨はどんどん広がっていって、私怨同士が泥沼になり、停戦はますます困難になっていく。そして戦争を始めた人は、いつだって一番安全なところにいるのです。こんなバカな話はない。戦争を始める者、始めた者こそが、一番先に最前線に行って戦ってこいと思う。だけど、そんなやつに限って、いつも一番安全なところにいるんですよ。
プーチン政権が変われば、軍を引く可能性があるので、それが一番近道に見えるんですけどね、ロシア国内も旧東ドイツみたいな言論統制がしかれていて、なかなか動きません。今は一刻も早い停戦を祈るばかりです。
戦闘がやめば、その時こそ日本の出番。ウクライナの復興に積極的に尽力してほしいと思う。鉄道やインフラの整備、東南アジアで実績ある地雷・不発弾の撤去、そして戦車でなくトラクターを支援することこそ、日本の役目のような気がします。
長森さんの詩を読むと、ジョン・レノンのイマジンが流れるようでした。
また書いて下さい。初回ですので、感想のみになります。
●おおたにあかりさん「しんぞう」
うむ、おもしろい着眼から、よく突っ込んで書いてます。
おかあさんからなにをしてるのと聞かれたり、おかあさんよりいそがしいと比較してみたりするのも、子供らしくておもしろいです。
そして意外にもテーマは理科系。心臓の不思議を子供の視点で描いています。
終連だけイマイチなんで、終連に変えて、次の3連でどうでしょう?
だまっててあげるよ
ひみつにするよ
だからときどき
わるくちくらい言って
いいからね
しんぞうのはなしを
きいている
ありがとう
ぼくのしんぞう
しんぞうは
いそがしい
こんな感じで着地にしてはどうかな? と思います。
おもしろい着眼でした。秀作にしましょう。
●荻座利守さん「向日葵の花色」
これ、ヒマワリがウクライナを暗喩してるようで、途中までおもしろく読んだんですが、ラストの2連、なんで「私は」に帰ってきちゃったんでしょう??? それがガッカリでしたね。 このままウクライナとのダブルイメージで進み、ウクライナへのエールで着地させればいいのにと思ったんですけどね。
「私」に帰ってきちゃうと、なんだか話全体が、商店街のシャッター通りに書かれてる絵を見てた、みたいなことになって、スケールダウンしてしまいました。
せっかく途中まで良かったんで、うしろ3分の1くらい、私が言った構想で、まとめ直されたらどうかな?と思いました。ちょっともったいないです。
でもまあ、秀作はアリです。
失われた
あえかな色の欠片は
深い深い
光の届かぬ未来の底に
音もなく降り積もってゆく
ここ、とてもステキだったです。
●妻咲邦香さん「ジェリービーンズ」
少し意識して書かれてるかもしれないけど、これはセンテンスの主語が明快で、登場人物が二人ということもあるけれど、キャラが立ってて、キャラ同士の関係性も明快です。やはり創作性の高いものの方が、却って脈絡がしゃんとしてる気がする。もしかしたら今回はそのへんを気合い入れたのかもしれないけれど(逆にほかのところはぐっと抑えたかもしれないけれど)。
「ジェリービーンズを知らないのか?」から「ならわかるでしょう、その美味しさを」までの話のスライド具合がおもしろいです。まったく理屈になっていない理屈で、こちらを説き伏せようとするかの感で、このあたりのセリフ展開は上手です。
うむ、今回はこのままでOKですね。終連もひと味出しました。秀作を。
(ものすごく余談ですが、私もたまーに、ゼリービーンズが食べたくなるメンドクサイ客の一人です。あれ、しょっちゅうはいらないんだけど、なんでかたまーに(年に一、二度)食べたくなるんだよね。たぶん、チョコミント好きな人間は、ゼリービーンズも好きだと思います。あっちが元祖みたいなもんですから)
ところでこれ、いろんな菓子を買いに来る客を、シリーズ化するのもおもしろいと思う(同じ菓子でも食べられ方が違うケースもアリだし、現実にはあり得ないような空想の菓子を買いに来る客もアリ)。妻咲さんなら、何作かシリーズで書けそうに思うよ。おもしろいと思う。
●キングウルフさん「理解されない」
ちょおっっっと、範囲が広すぎますねえー
どこで、どういう場面で、こうなったかのヒントがまるでないので、どういう場面を想定してこの言葉の意味を噛み締めたらいいのか、というのがわからない。
わからないというか、あっちもこっちもいくらでも場を想定しうるので、無限大に範囲広すぎて、どういう場面の元に、この言葉が発せられてるのか、読者側として選び出しようがないです。
具体的にいうと、たとえば3連構成の詩にして、終連に今の詩を持ってきたら良い。
でもって前の1連と2連は、そこに至るアプローチです。どんな場所で、どんな場面・時に、そうなったか、映像的なヒントとなるものを、1~2連で書いてみて下さい。
結論だけ書くのでなく、最初からか、途中からか、書く、ということです。アプローチがあるから、結論が生きるのです。結論だけで何か伝えようとするのは、元来ムリがあります。
今回は一歩前です。でも、
理由の無い涙は
ムダですか
このフレーズはステキだったです。
●埼玉のさっちゃんさん「殻」
最近どういう詩を読まれてるのかわかりませんが、これ、前3分の1くらいは、ユーモアを入れる詩人の書き方に思えます。ユーモアで始めて、ウイットで終わるタイプの詩(たとえば初期の高階己一さんとか)に見える。そういうタイプの詩の場合に、「自分自身の成長の証に」なんて終行はまず来ないですね。
なんていうか前の方の趣と、終行の趣が、合ってないんですよね。
卵の殻を一枚ずつ剥いてゆく
薄皮まで丁寧に剥いでゆく
それは
新たな自身の誕生か
それとも
めくるめく出逢いが待っているのか
出逢うべくして出逢う
出逢えなくても出逢う
全ては繋がっている
理由もある
時の狭間を旅して戻ると
タマゴサンドとコーヒーができあがっている
はたして探し物は見つかるか
脱ぎ捨てた殻を土に置いてみる
これ、前3分の1からすると、本当はこういうふうに着地する詩でしょうね。
最近読んでいるであろう詩の読解が、まだちゃんとできてないと思います。
狙いはとてもおもしろいとこ突いてるんですが、あとの組み立てを理解してないから、間違えた方向に行っちゃってるの感ですね。
うーーん、まあなんでもしばらく取り組んでみることです。こだわり続ければ、何か生まれますから。一歩前です。
●西条紗夜さん「戦場の子」
うーーん、端的にいいますが、「(物事)~は、~だ」風に書くのは、論調の書き方になるので、論で書くと、反論されたら終わってしまいますよ。
論には、当然、反論が来る。反論された時に、この詩は耐えられるのか、詩として残るものがあるのかってことになってしまいます。
論だけで詩にできる人もいるにはいますが、そういう人って、物凄く卓越した思考力と見識を兼ね備えた人ですよ。ちょっとやそっとで反論されないだけのものを書ける人だけが、論で書けるのです。
私だって論をメインで詩は書かない。一般人のアタマでは到底その域に行けませんからね。
論で書くというのは、そういうことですから、「これはこうだ」「これはこういうものだ」的な、あまり大上段に構えた書き方はされない方がいいと思いますよ。論で書いたものは、反論で否定されたら終わりますから。
一方、「私はその時こう感じた」「それは私にとってはこういう気持ちだった」的な、折々の個人の感情や感慨の部分、前後の事情を含めた個人的な物語メインで書けば、
そもそも個人がどう思うかどう感じるか「気持ち」というのは個人の自由ですから、否定されません。「論」に対しては「論」で否定されますが、個人の「感情」は自由ですので否定されません。
なので、書くスタンスを、そういう風に変えられた方がいいと思います。
第一に、物事を主語にして書くのでなく、「私(自分)は」を主語にして書くこと(実際に「私は」を書かなくても、「私は」が主語のつもりで書くということ)。また、結論が大事ではなく、前後の自分の感慨こそが大事と思って書いて下さい。
次は、いまお話したように、スタンスを変えて書いてみて下さい。
私は初回ですので、感想のみとなります。
この度は私の「いつかのきらり」に評をいただき、ありがとうございました。
タイトルをはじめ、自分でも気に入っていた最後のフレーズなどたくさん褒めていただき、嬉しくありがたいです。
ご指摘いただいた通りで、貝殻の裏側は何色もあって、角度も変わればまた変わるところから、心もこうかもしれないなと思い結び付けてみました。
また書いてみたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
この度は私の詩の「朝の通勤電車」に丁寧な評をいただき、ありがとうございます。
今まで重く硬い感じの詩を書いていましたので、もっと軽い感じの詩を書こうと思ったのですが、詩全体の抑揚が薄くなりすぎてしまったようです。
軽い感じでいながら、ポイントをしっかりおさえることにも挑戦してみたいと思います。
今後とも宜しくお願い致します。
新掲示板、僭越ですが、お先に失礼致します。
1 galapa(滝本政博)さん 「祝祭」 6/3
僕の好きな詩人の、作風という意味において、最も抒情的で、最も“タイプ”な作品のひとつでしょう。何の無理もなく、諸手を挙げての佳作です。「ふたり」であることの祝祭。その中で、いろいろな事を思い、いろいろな事を行動し、周囲の様子もふたりを寿ぐように豊かです。それらを綴る詩文は豊穣と美に溢れ、適度な幻想性も纏っています。よくないところがひとつもない。例として、単語だけ並べますが、それを含む行全体と思ってください。「くちなし、ナイフ、饒舌、庭園、噴水、引き潮、憧れ」―これらは全てが“galapa印”。印象的なのは終わり近い炎の部分でしょう。祝祭の火。ここでふたりは一夜を分け合うのでしょう。バーを上げるというよりも次の段階が来ているのではないでしょうか。
祝祭のような―。
2 雨宮800さん 「ジオラマ」 6/3
まず詩の構想、発生要因は薄っすらわかる気がします。比較的高層のマンションの窓から見える景色、それがタイトル。初連最後にも顔を出します。なるほど、そのように見えることもあるでしょう。
「ジオラマ」の持つ語感がマニアックかつユニークかもしれない。そこから詩は心の在り処をイマジネーティブに探検していくかのようです。「罪」意識が主要部分になりますが、これは具体的な犯罪を指すものではなく、生きる、ということを「罪」の側面から模索した、そこから立ち上がってくるような世界観のようなものを感得しました。綴られる単語は、どちらかと言うと、やや危険で背徳的なイメージで彩られるかのようです。その結果、この詩はひとつのトーンを獲得していると言えます。
なかなか奥深げな抽象性があります。そんな中にあって、一点言うと「愛をくれよ、愛を」は、ちょっとベタというか、陳腐な気はするのですよ。ここだけ、今一歩推敲したいです。セリフが思いつかない場合は、怪しげな仕草描写でもいいと思います。
こういう詩って評価が難しいんですよね(笑)。うーん、とりあえず、一歩前で。 いつかミメ手が来るでしょう。
“評的、私的”アフターアワーズ。
読み手は自己の自由のもとに読むものですが、そういった感覚で私事から―。
最近、黒人スローブルースに“ド”ハマリしているのですが、書いてる今もそういったものが鳴っているのですが、この詩、そんなブルースフィーリングにとても合ってる気がするんですよね。前作とは違う。とても黒っぽい感覚がある。これでブルースソングができるかもしれない。それには、も少しセンテンス短めのほうがいいのかも……。そういう場合は「ボク」でなく「オレ」でしょうね。そんな勝手な想像です。
ともかくヨタ話です。聞き流してください。
3 西条紗夜さん 「嘗ての英雄たち」 6/3
前回のコメントで、たしか、父上のことに触れられていたことを、この詩を読んで思い出していました。そんなわけで、主に「お父さん」について触れたいと思います。2連目に注目です。
デキる男は、“あっち方面”(女関係)もしたたかでしょう。「みんなを苦しめ」たことは事実でしょうが、「やっぱりすごかったよ」と思わせてしまう。それも父という嘗ての英雄の、他愛ない偉大さだったかもしれません。時代もよかった。「男の甲斐性」などと半ばうそぶいた時代です。
この詩を読む限り、父上は仕事も遊びも達人だった、そんな気がするわけです。そこが修辞上「英雄」と言われる由縁でしょう。そういう部分がひとつと、この詩の肝は、もうひとつあって、すなわち「僕ら(英雄の子供たち)」の―父たちと比べての―不甲斐なさのような事です。このことは評者も実感を以って賛同できます(アフターアワーズで後述)。この詩を読むと、ちょっと大げさですが、巷間、たまに言われる“二代目の悲哀”のようなものも感じることができるのです。まあ、お互い嘆いても仕方がない。僕らの子供世代が(親父はすごかった)と思う時もあるかもしれない。世代とは、一面、そういったものでしょう。素朴ですが共感度高く、甘め佳作を。
アフターアワーズ。
おそらく、父上は「何でもできた」のでしょう。ウチの父もそんなところがあって、家の一軒でも建てかねない勢いでした。おそらく戦争に行った世代とは、多かれ少なかれ、そんなだった気がします。
これは推測ですが、戦争とは物理的に、あらゆる処理能力を総動員する環境であり、それによって鍛えられたことがあると思います。次に心理的に(あの戦争に比べれば、平和な世間のことはたいていはしのげるさ)―そんな自負・気概があったように思えるのです。やはり、人間、時代によって造られるようです。
4 cofumiさん 「消えた街/消えた足」 6/3
この詩は日常という衣に下に隠された凄み、でしょう。あるいは悲しみ、と言ってもいい。
2連から、そういったものが見え隠れするように設定されています。流れ星が見えるのは、普段の窓辺などではなく、例えば、天井が破壊されて見えているような―、しかもそこにあるのは爆音と(おそらく破壊的な)光だったでしょう。そして猫のペペロンチーノ「名前を呼んでも」はおそらく死んじゃったのでしょう。続く粗末な寝場所。大穴から見える「燃えている夜」。あるいは消えた教会。
何処にも書かれていないが、これは、ズバリ、ウクライナの街の惨状、文字通り「消えた街」、と見ます。終連が極みです。これは幻想などでも何でもなく悲しいリアルでしょう。地雷でしょうか。
この詩の真価と僕の評価は総て、冒頭にあります。「何気なく、淡々と書かれていますが、実は・・・・・・」。そういった筆致力にあると思っています。佳作です。
5 荻座利守さん 「朝の通勤電車」 6/5
初連~3連まで、柔らかく順当な書きぶりが麗しいですね。もう通勤電車に乗らなくなった僕には、なぜかとても懐かしい。実景叙述といったところでしょう。「ひとりひとり」「ひとつひとつ」を継承し考えを深めていく、その広がり方、深め方はいつもの荻座さんですね。すなわち6、7連です。ここが肝。ひとりひとりがそうであり、自分も又、そのような境遇にあるといった実感が滲み出ております。
「義務・責任→願い→未来」―この言葉の連鎖が上手く代表されました。今までの作風からすると、
少しライト感覚に振られています。モチーフのせいもあるでしょう。それもアリでしょうね。ただ、も少しテンションがあってもいい気はしました。例えば、ピンポイントの個別のようなもの―ふと眼がいったある人物でもいいし、個別には荻座さん自身も入ることでしょう。
佳作一歩前で。
6 南 ほたるさん 「いつかのきらり」 6//5 初めてのかたなので、今回は感想を書かせて頂きます。
よろしくお願い致します。
まず、タイトルが粋ですねー。予感のようなものも感じさせるし。3連の直喩群がいいですね。とりわけ「貝殻の裏側~夕焼け色」のくだりです。「外にいこうよ」の連がひとつの転換点。「カメラ」という小道具も利いてます。
パーセンテージで測れない あなたの貝殻の裏側で
水滴が一粒 きらりとするかもしれないから
ここが3連を受けてフィナーレにするにふさわしい名フレーズでしょう。「貝殻」の件は作者さんも気に入って再度出したと思われます。そう、パーセンテージで測れないものに「心」があるでしょう。
詩はそのことを充分に感じさせるし、偶然をも呼び込んで、祈りが叶うことを希求する、そんな詩です。文体は会話的なものを感じさせるほど、柔らかくリラックスしてやさしさがあるようです。前作にもそんな感覚を得ました。個性でしょう。ささやかではありますが、なかなかいいですね。また書いてみてください。
7 紫陽花さん 「人魚姫」 6/5 初めてのかたなので、今回は感想を書かせて頂きます。
よろしくお願い致します。
最初から申し訳ないのですが、初句、「大きな山の~」と全体との繋がりがよくわかりませんでした。
端的に言えば「何故、山なんだろう・」といった疑問です。あと、擬音の「ぼとぼと」は、少し柔らかいものに替えておきたいです。奇妙に思ったのは、その2点です。推敲を重視すると良いでしょう。
この詩のモチーフへのアプローチとして、3つほど考えられそうです。
① 一般的イメージとしての人魚
② アンデルセン童話に出て来るキャラとしての人魚(つまり物語に沿ったような)
③ デンマークはコペンハーゲン港にある人魚像
僕としては①だろうと推測できますが確信はありません。「岩に座った」で③もチラつくのですが。人魚自体が想像の存在なので、①で、ファンタジー的な出会いと会話、と捉えるのが最も順当なようです。様子を見ましょう。また書いてみてください。
アフターアワーズ。
コペンハーゲンの人魚像はちょっと可哀そうです。有名ですが、小さ過ぎて見物人ががっかりするそうです。あと、岸辺近くにあるせいか、汚されたり傷つけられるので有名なようです。
8 朝霧綾めさん 「湖」 6/5 初めてのかたなので、今回は感想を書かせて頂きます。
よろしくお願い致します。
「美しいものに傷つく」を、軽い驚きで読みました。詩的にもけっこう刺激される言葉で、深いところへ誘ってくれるものがあります。そしてこの考え方が、ある意味、この詩のメインの思考になっているのを感じてしまいます。ここには「湖・あの子・水」と3つの存在が認められますが、「あの子」も冒頭書いた心境の対象になるでしょう。幼女がイメージできます。推測される意識の流れとしては、
「傷つく→心に刻まれる、留められる→うれしい」。真ん中にある気持ちが「映している」に繋がる可能性は考えられるでしょう。僕にとっては、その両端、および冒頭の言葉が、当面、美しい課題として残りそうです。過去作も軽くレビューしましたが、比較的短めが多いようです。いろいろと、また書いてみてください。
9 緋夢灯さん 「返礼」 6/6
ありがとうございます。この作品はイコールご挨拶と理解して、評価は外し、寛いで書きたいと思います。緋夢灯さんが(旧)掲示板に初めて来られた日のことを想い出しています。
たまたま、僕が当番でした。確か漢字ばかりの意志表明のような作品でした。資料はとってあります。探せば必ず出てきます。今だから言えること、当時の気持ちを正直に書くと、その異様な詩、異様なペンネームと相まって「ちょっとヘン、ちょっとコワイ」と思ったことでした(ごめんなさい!)。今は昔。今となっては微笑ましいエピソードであります。互いにとって“慣れる”ということは、とても魅力的なことです。
コメントにある通り、旧掲示板の末期に立ち会い、新掲示板にも最初の一歩を印した。その橋渡しを僕は大変嬉しく思っております。
緋夢灯さんは思考あり、抒情あり、礼儀あり、ユーモアあり、の人材です。作品は旧掲示板、感想は新掲示板という変則ではありますが、これからもよろしくお願い致します。
10 もりた りのさん 「もう死ぬというのなら」 6/6 初めてのかたなので、今回は感想を書かせて頂きます。
よろしくお願い致します。
すでに5~6作書かれているかたですね。過去作も軽く当たらせて頂きました。なかなか多くの“引き出し”をお持ちのようで、多彩なモチーフ、多彩なスタイルに対応可能な属性を感じています。
サイズでも言えそうです。長めあり、の中の、今回の連なし短めです。比較的”強い“書き方をしているので、おのずと伝わるものは大きいです。そして考えさせるに深いものがあります。
ところで人間は―身も蓋もない言い方をしてしまうと―死に向かって生きている。同時に、詩を含む文学の重要な課題のひとつです。どうせ一度は死なねばならないなら、この詩から感知されるのは「だったら、その時が来たら積極的に死んでやる」―そういう感覚が「最後の力を振り絞って」「内側から閉める」「飛んで行く」「生まれない」等に窺われるのです。結果、僕の感想としては上記“強い”に至るわけです。意志力としての発想が面白い=興味深いわけです。
バリエーションを伴って、書き慣れた人でしょう。また書いてみてください。
11 ピロットさん 「古地図は語る」 6/6
東北学問の雄、東北大学の「東北大学総合学術博物館」が、この詩の大きな容器としてあると思います。調べると「企画展・ヨーロッパ古地図にみる世界と日本」というのがヒットしました(現在は終了)。それの見聞詩、印象詩ではないかと思われます。
この詩で主に描かれているのはクローバー図とテイシュイラ日本図でしょう。前者では中心にエルサレムが描かれ、科学というより宗教思想が支配していたことが窺えます。そのことを自己の言葉で詩化した5連が注目されます。やはり最も興味深いのは後者を描いた第二単元でしょう。時代で言うと織田後期~豊臣末期。宣教師という知的外国人が数多く入って来たとはいえ、僕はよく日本の原形を捉えていると感じました(北海道は無いにしても)。布教(その先にある征服?)目的があったにせよ、彼らの知的探求とそのレベルの高さには驚かされます。
第二単元終わり3連にも自己の考え方が述べられ、オリジナリティを感じました。そうですね。彼らの都合、傾向、野心も仄見えるかのようです。第三単元「東北大学博物館」。これがないと、この詩は意味を成しません。いいと思います。最後に持って来たのがおもしろい。フィナーレは他の展示物にも触れ、幻視、幻聴を交えながらトータルに終わっています。単に解説ではなく、詩になっている由縁でしょう。今までより少しモチーフを微調整したのも効果的にして魅力。佳作です。
アフターアワーズ。
今回、登場した二図の他に、オルテリウス「世界の舞台」1570年には驚かされました。
殆ど合っているではありませんか。現代地図の原形と言ってももいい。今回の詩に触発されて
調べた結果、久しぶりに詩的に、知的に興奮を覚えました。ありがとうございました。
評のおわりに。
やってまいりました。詩的引っ越しを終え、新しい掲示板であります。大変喜ばしいことです。
―ですが、古い方の掲示板の話をします。僕が「MY DEAR」掲示板を初めて訪れたのは、2001年6月。どの作品を出したかは忘れました。以来棲み続け、「生国は何処?」と問われれば―、「MY DEAR国は、掲示板の住人!」と名乗ることでしょう。
初期・中期は「新作紹介」にも投稿していましたが、何故か僕は掲示板にばかり出すようになりました。ひとつには、自分が寡作になったからです。積極的理由としては、ここのデイリー感、ライブ感、ワークショップ感が好きなのでしょう。あるいは「実作⇔評担当」を、ワンセットで把握しているのかもしれません。
さて、新しい掲示板です。そして初めての評であります。皆さんと共に、ここで新たな歴史を切り拓いてゆくことになるでありましょう。そして、皆さんの作品も常に輝き新しくありますように―。今後ともよろしくお願い申し上げます。 では、また。
朝起きて今日も頑張ろうとする
だが頭が働かない、眠ろう眠ろうとしている
最近はいつもそうだ
頭に釘を刺してしまいたい
勢いよく刺した、一命は取り留めた
打ちどころが良かったのか
アルジャーノンのように私は覚醒した
高等数学が容易に解けた
物理学の最先端で起こっていることが理解できた
それ以上に私の話す政治や宗教の言葉は人々を魅了した
遠くから私を崇めにきた
それもこれも私に潜在能力があったからだ
多くの人が開花せずに死んでいく
世の中のことは容易なのだ
覚醒した目で世の中を見よ
その巨大な脳は眠るためにできているのではない
覚醒して世のため人のためになるのだ
さあ、早く頭に釘を打ちつけろ
アルジャーノンが死んでしまう前に