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体験する1分1秒
そのすべてに
違和感をおぼえ
自分のもののはずの
この人生が
まるで
そうでないかのように
私にフィットしない
どこまでも
ついてまわる
違和感は
耐え難いほどに
不快で
できることならば
1秒でも早く
私は私から
抜け出し
自由になりたい
お忙しいところ、拙作への評・感想のほうありがとうございました。
仰るとおり、梶井基次郎の名作「檸檬」をモチーフとさせていただきましたが、
私自身、勉強不足を痛感した次第です。作品の出来はマイナス120点でした。
「檸檬」は大好きな作品ですが、表面的に理解をしていただけかもしれません。
今後とも引き続きよろしくお願いいたします。
島様 詩の評をありがとうございました。
ツイッターのある方の全然自分とはスタイルが違う詩を見てインスパイアされて書いたのがこの詩でした。
2度とこういう不穏な雰囲気の詩は書けないかもしれません。それほど僕にしては珍しい詩でした。
いつも本当にありがとうございます。次も出来うる限り頑張ります。
三浦様 詩の評をありがとうございます。
「太陽の軌跡」を書いた後、あのテンションを持続させなければならないということで、この2か月必死に詩に取り組みました。
でも集中力も気力も体力も、前のようには持続できませんでした。そして今非常に疲れております。ちょっと無理しすぎなんだと思います。そのことになかなか気づかないというのがメンタル疾患を患う原因だと聞きました。
当然のことながら、特に優れた閃きもないまま書いております。その中でも一番出来がいいかなというのがこれでした。
とても残念な気持ちはありますが、しばらくは感情の波に飲み込まれることなく、ただ淡々と書いていきたいと思います。
本当にありがとうございました。
この度も温かな言葉を頂き、ありがとうございます。
井嶋りゅうさんの作品を読んで、こういう書き方もあるんだ、そして「散文詩」と分類されることを知り、散文詩(らしきもの)を時々書くようになったのですが、島さんに散文詩を投稿するのは初めてでした。そもそも散文詩なのかどうかも分からず、挑戦している段階ですので、手直し頂けて大変勉強になりました。そして、急ぎすぎというアドバイスも、今後の詩作に活かしたいと思います。
引き続き、よろしくお願いします。
敵基地攻撃能力って、盛んに言いますけど、
仮に、運良くうまく敵基地に着弾したとして、
それが基地を攻撃してきただけで、ほかは攻撃されないんだー 国が攻撃されたわけじゃないんだー
なんて、お人好しなこと、いったいどこの国が思ってくれるんですかね?
ものすごく手前味噌な、オメデタすぎる論理だと思いますよ。
絶対、倍になって返ってくると思うけど。
●朝霧綾めさん「魔法使いの血」
日常の中で、ふとデジャブ―のような既視感に襲われることがありますね。
この詩も、真冬の風にコートがひるがえると、ふと祖先の記憶が蘇るというふうです。それは魔女の血脈であるようです。
デジャブ―にも似た、その日常の取っ掛かりから始まったところも良かったし、魔法使いの血脈について古代や原始の時代まで作り込んできたとこも良かったです。いかにも、それらしきルーツのあるお話として出来上がってますから、素直に騙されたい気持ちで読みます。
特にオリジナリティとして、
人々はみな
山々を箒で飛んでいた
魔法使いの子孫なのだから
と、一部の血脈ではなくて、全員がそうだ、と言い切るところがいいですね。
もしも私にも魔法の記憶のカケラが残っているなら、魔法を思い出してみたいものですね。全員にそのチャンスがあるというのが、なんか嬉しい・・・。
この詩を読んでるあいだ、ファンタジックな夢を見させてもらっている気がしました。
名作を。
この詩、お話を綿密に詰めてきてるのに感心しました。代表作にしていいと思います。
一点だけあります。4連目、
台所でカレーをよそっていると
は、カレーって、オールシーズンなとこがあるんで、やっぱり冬場のものの方がいいんじゃないでしょうか? たとえば、シチューとか。それと「よそっている」んじゃなくて、やっぱりかき混ぜている方がいいと思う。
なので、そこの2行は
他にも
台所でシチューを煮込んでいると
こんな感じの方がいいと思います。一考下さい。
●ロンタローさん「失われたヒト」
梶井基次郎の「檸檬」に材を取っているのはよーくわかるんですが、
米軍が第二次世界大戦で使用していた手榴弾である、マークⅡ手榴弾が、あだ名を「パイナップル」と言ったため、後継のM26手榴弾は「レモン」のあだ名で呼ばれたんです。このM26手榴弾(「レモン」)は、ベトナム戦争で一番多く使用された手榴弾です。
と、いうことも知っておいて下さい。
質的に違うことを書いてるのはわかっていますが、それを勘案したとしても、
この詩、あんまりシャレにならないとこがあるんです。
梶井基次郎の「檸檬」は、もうちょっと違う形で使って欲しい。
「檸檬」が、これまで、こういう形に引用されてこなかったのには、理由がある、と思って頂けたら。
●江里川 丘砥さん「美しい世界に生きている」
ステキだねえーー
これは江里川さんの叙景編としては、一つ完成を見ましたなあー
まず、
美しい世界に生きている
の1行独立連の使い方、会得しましたね。
次に4連、
遠くで生まれた人と
なぜか出会い親しくなる
積み重ねた過去や目指す未来が連れてきたと
思い当たるのは先のこと
これ、上手に処理しましたね。まだ見ぬ人へのロマンチックです。
とりわけ、これは偶然ではなく、「積み重ねた過去」があるから連れてきてくれるものであるということ。この思考がステキです。
6連、
朝見た桜が夕方には散る
水面にうつる空
夜光虫でひかる海
丘一面に咲く花を
ゆするように風が吹き
どこかで鳥の羽ばたく音がする
満月に照らされたわたしの影に手を振り
青い夜空を見上げている
この並列も、しっかり吟味した詩行の数々でステキです。
連前半に関しては、桜の花びらの行方で、川から海へとずっと辿る手もあるのですが、
それすると後半が困るので、このままでいいです。
2点だけ。
まず2行目は、3行目の「海」に繋ぐためにも、「水面」より→「川面」の方がいい。
次に終行、ここ「わたしは」をもう1回入れた方が、しんみりしていいと思う。
以上をまとめると、
朝見た桜が夕方には散る
川面にうつる空
夜光虫でひかる海
丘一面に咲く花を
ゆするように風が吹き
どこかで鳥の羽ばたく音がする
満月に照らされたわたしの影に手を振り
わたしは青い夜空を見上げている
こんな感じ。この方がいいかと思う。
終連もしっかり書けてます。
このために生きてきたのかと、思える一瞬に出会うため。
そうかもしれないなあーと思った。
うむ、良いと思います。叙景だけで一本、完成させましたね。
名作を。
昔の花鳥風月とは違い、今を生きてる現代人に味わえるものが並ぶ。現代人だからの感覚が生きてます。
●大杉 司さん「ひたすらに歩く」
うーーん、私は決して陰気な人間ではないんですが、1日の言葉数が、もともとそんなに多くないんです。結構、笑うんですけど、1日言葉数の総量そのものが少ないんで、カウントすると、たいした回数じゃないんじゃないかな。そのせいなのか、どうなのか、ワアワアと言葉が溢れているところも、たくさんの笑い声が溢れているところも、わりと苦手ですよ。
だから、この詩で書かれている耳から入ってくる感じ、聞こえ方、なんかわかる気がします。
ところでこの詩なんですが、
人の笑い声や
電車の通過音
をかいくぐり、歩いて歩いて、歩き続けて、なにか光明と出会うのかと思いきや、その先にあるものも、
人の笑い声や
電車の通過音
で終わります。
最初と何も変わらない最後が待っていて、かなり絶望的な詩に感じました。
こんな終わり方もアリなのか?と、意外でした。
大杉さんは、私は初回だと思うので、今回、感想のみになりますが、この詩はマルですよ。思いがけない、孤独を背負った詩でした。
●秋冬さん「消える」
おもしろいですね。消臭剤をたくさん配置したら、臭いのみならず、気配まで消えたという話で、さらには、消したかったのは気配ではなく、自分だったのかもしれない、という話ですね。
1回目の
消臭剤を芳香剤に変え、柑橘系の香水を軽くふるようにした。
のところなんですが、元が「消臭剤」一点なので、一点の交換、消臭剤と芳香剤の交換しか目に留まらなくて(それで終わりだと思って)、次の「香水」を、初見ではスルーしてしまいました。あとで香水をやめる話が出てきて、自分が最初、読み飛ばしているんだということにあとで気がつきました。そんな具合なので、ここ、やっぱり、二つ目も追加されてることを強調した方がいいと思います。
消臭剤を芳香剤に変え、さらには柑橘系の香水も軽くふるようにした。
こんな感じの方がいいと思います。
あと、「気分が優れない。」のあとを、連分けした方がいいと思います。
理由は、「気分が優れない」その余韻を持たせるためと、以降の内容が、2連の内容を反芻する形で振り返り、意味をより深く考える部分であるからです。
切り離した新・3連は、以下のような感じです。
もともと存在感が薄いのに、臭いを消したから、気配が消えたのだ。
しかし私が消したかったのは、臭いではなく私なのかもしれない。
残り少ない会社生活のため我慢、と割り切るつもりだったが、やは
り強い臭いに納得いかず、芳香剤を消臭剤に戻し、香水もやめる。
こんな感じです。この方が、前後が繋がりやすいんじゃないかな? 一考下さい。
うむ、やり方はこれで合ってますよ。
ただ、練度が足りないというか、散文詩用の文体に慣れてないので、内容を急いだところがあって、ゆっくりやれば、もっといい作品になったのにな、の惜しいというか、もったいない感があります。
まあ、そのへんはこれからですね。狙いはおもしろいんで、おまけ名作くらいにしときます。
●山雀詩人さん「雨」
ふーーーん、ステキな詩ですねー
最近、会話調を手に入れましたなー
時をおいてわかる、終盤もキレイ。
匂いがわかるようになった頃には、もう、あの子はいない・・・。
ちょびっとだけ、好意があったかな? 終連もキレイに書きましたね。
これ、いいね。名作且つ代表作を。
たしかに、「不思議???」を感じる子って、時々いるんだよね。読者それぞれに、そんな子を想いだして、読んでくれるでしょう。広く、読んでもらえる詩です。グッド!!
余談ですが、
私の近くにも、雨が降るのがわかる子がいます。
偏頭痛がするようです(気圧かよっ)。
三浦志郎様
読んでくださってありがとうございます。
今回は本当に中学生の娘が登校した直後にごめんなさいという気持ちを伝えきれなくて、いっそのこと、作り直して学校に持って行きたい気持ちを抑えて(やったら間違いなく娘に怒られる)、どなたかに聞いていただきたくて書きました。
評価なしのお気遣いありがとうございます。
島様、お忙しい中、評をいただき有難うございます。
今回まさかの添削なしに驚きました。
いつも添削していただいて、そこを直して安心するという形に甘えていたので。
おっしゃる通りで、俳句だと細部まで観察し続けて、溢れたものを削って削っての作業ですが、詩ではそこを昇華していくことができます。シンフォニー、なるほどと思いました!音楽に疎い私は、写真とショートムービーの違いのように感じていました。
心が凧のようだという感覚は、何年も前に恩師だった方が闘病していた時に感じたものでした。すぐには駆けつけられない距離、してやれることは抗がん剤治療の送り迎えくらいで。あぁ、いまここにあるものを大切にして過ごすことくらいしか私にできることはないなぁと、ふと納得した瞬間がありました。
それでも日々どこかに心が飛んでいきやすい性格ですが。。
どうにもできないことに心を痛めることの多い社会ですが。
お孫さんを想像していただいたこと、本当に光栄でした。
また宜しくお願いいたします。
なんとか季節工場の春が浮かんだので少しずつ書いてます。
遅ればせながら、荻座利守様、秋冬様、免許皆伝おめでとうございます!
いつもお二人の素敵な詩を読ませていただいていました。
私にはない知識や感覚がとても勉強になります。
今後のご活躍も楽しみにしております!
この度は私の詩の「静電気の季節」に丁寧な評をいただき、ありがとうございます。
秀作プラスとの評をいただき、たいへん嬉しく思います。
仰るとおり、最後の盛り上がりがやや弱かったようです。
今後は、起伏の高低、メリハリ、あるいはコントラストといったことを、全体のバランスも考慮しつつ、適切に配分して書いてゆこうと思います。
ご指摘ありがとうございました。
今後とも宜しくお願い致します。
えーーーと、残り6作は、明日の晩に。
●荻座利守さん「静電気の季節」
電子を奪い取って、帯電。そうでしたね、学んだこと、忘れてました。
冬場の乾燥した季節のごく身近な話題、「静電気」を、科学的、哲学的な香りで論じたあと、人々の営みへとブレイクダウンしてくれました。荻座利守さん、ならではの詩ですね。
中盤までいいんですが、終盤のシメていき方ですね。2通り、手があります。
一つは、多数から個人へと落として終わる。たとえば「(だから)私も、あなたに」というレベルの行為に落とすと、身近に迫って終われます。
もう一つは、今のスタンスのまま、情感の要素を増して終わる方法ですね。
互いに
惹かれ合いながらも
引き離されたものが
再び結びつくときの
歓喜の閃光であり
凍える人々を暖め
暗闇に惑う人々を導く
篝火を燃す種火とも
なり得るのだから
寒風吹きすさび
乾いた想いが流れる
この静電気の季節でも
人は触れることへの
恐れや痛みに抗い耐え
再び出逢う
煌めきを
悦びを
追い求めるだろう
こんな感じです。情感アップで終わってます。参考にして下さい。
身近な「静電気」という題材を、高次に高めてくれたのは、荻座さんならではワザで、良かったです。
荻座さんはハードル高めなので、秀作プラスを。
●喜太郎さん「嘘笑い」
決して、人を騙そうとする悪意からのものではないのだけど、対人関係が苦手な人は、つい作り笑い、しちゃうんだよね。
なんか、わかる気がします。
でも、見破る人がいたんだ。
私の勝手な想像でいうけど、なんか恋の予感だね。
全体的に自虐的なモノローグが、鬱々と続く詩なのだけど、最後に、ポッと温かいものが流れます。
最後に舞台の明暗がパッと反転して、サッと終わる。ここで終わった、思いきりの良さはグッドでした。
読者にも、気持ち良いものが残りました。秀作あげましょう。
一点だけ。
8連2行目、こういう時の「あたたかい」は、「暖かい」じゃなくて「温かい」の方の漢字を使った方がいいです。人肌というか、体温というか、そういう質の温かさですからね。
●理蝶さん「サラリー」
ああーー、サラリーマン哀歌ですねー。よーく、わかります。毎日くたびれて、寝に帰るだけ。家と会社の往復が続くだけで、自分を見失いそうになるけれど、この詩はかすかな希望を見いだそうとしています。
偉大な愛すべき
時々滑稽にも思える
この世界は回っている
それぞれの縮尺で
皆なんらかの歯車となって回転している
でもいつか出会う
僕達を幸せにする歯車と噛み合う日が来る
僕は穏やかな太陽に向かい祈る
その日が来ることを
この思い、この見識、このあたり、うっとりするほどステキです。
狭い世界にいるけれど、広い世界を見ている。「僕」ではなく、「僕達」と言う。こういうハートが、とてもステキだと思います。
途中、大きなミスもありませんし、名作を。
あの、敢えて言いますと、文体のグレードがバラついているので、1~2年してから、もう一度、この作品を見て、全体を整えたらいいと思います。大事な部分はきちんと書けてるんでOKですけど、完成形と言えない部分もあります。とはいえ、ステキなハートが不動にある。残すべき作品ですね。
順番に行きますと、この詩、初連でもって、この詩の概要をかなり述べてくれているところがあります。大雑把な言い方すると、初連=2~5連という関係で、あとからその詳細を述べてくれている感じです。それはそれで、プロローグとして用を成してくれている初連とも言えます。
ただ、3連は帰路となる通勤電車の中で、4連で電車を降りて、以降、時系列でストーリーは続くんですけど、初連と2連、というのは、このストーリー上に乗らない内容に見えてて、作者の位置取りがよくわからないんですよね。
初連のカラスは、作者はどの位置から見てるんだろうというのが気になるんですが、おそらく作者は駅のホームにいて、ホームの真ん前の電線だから、3行目、「電車はまた止まるから」の表現になるんでしょうけど、これは「止まる」という表現が成立しうるのが、この可能性しかありえないので、私の直感で思うところであって、そもそも読者には作者のこの位置が見えてないと思って下さい。
だから、この「止まる」の表現がものすごくわかりにくいんです。
なので、この3行目は、
電車はまたやって来るからすぐ
くらいにしておいた方が無難です。
同じく2連ですが、「繰り出す若い女」という言葉が、「出す」という語のニュアンスもあり、私は、駅から出てくる人、あるいは駅に入らず、駅前付近で横道に逸れていく人のイメージで読めてしまうのです。そうすると、3連以降の全体ストーリーの中で、この2連も、作者の位置取りがどこなのか、わからなくなり、浮いてしまうのです。
想像するに、もしかしたら、これもホーム上の話をしているのではありませんか?
すると、初連も2連も、やっぱり帰りの電車を待つホーム上だということを、最初に入れておいた方がいいと思います。
現状、この作品を読むと、初連、2連の、作者の位置がわからなくて、この冒頭2連だけが、ストーリーの中で浮いてしまうところがあるんです。パズルのピースをどこにはめたらいいか、わかんない状態なんです。
まずは、そこを直しておいて下さい。
●妻咲邦香さん「園」
うむ、妻咲さんは、このカタチの方がいいかもしれませんね。
少なくとも抒情詩において「虚構」というのは、隠喩であったり、暗喩であったり、一見関係がないように見えても、あるいは全く距離が遠いように見えても、最後はテーマに吸収されていって、比喩関係を結ぶもの(図でいうと、渦潮の渦のような、台風の目のような、全てが中心核へ収束ないし回収されていく関係)なんですが、妻咲さんの「虚構」は、ちょっと違う。ときどき、比喩関係を結ばない(比喩の線上にない)フェイクみたいなものがあるんです。あるいは逆方向にさえ、ひっぱっていくものがある。それがたぶん、作者の意図を読み違えられる原因になってるんだろうと思う。
抒情詩の詠み方っていうのは、近くても遠くても比喩関係があるから、全部をつなげて読むんだけど、妻咲さんのは、ときどき繋げちゃいけないもの(繋いで読むと意図を読み違えるもの)が入ってる。混ざってる。
だから妻咲さんの詩を読むのって、ものすごく時間がかかるんです。どれが本体か、読む側として、わからないから。
たぶん「虚構」に関する考え方・詩論が、抒情詩のそれじゃないんだろうと思う。
一方、今回の詩というのは、設定をリアル風にせず、最初から架空に置いています。まあ架空に置いて、暗喩関係を図ってるわけですが、ともあれ設定を架空に置いていることで、読む方も、最初から距離感を持って読めます。距離感を持って読むから、全てを100%で繋げて読まない。%を低くして、ものによっては0%にも近い形で繋いでいくから、(比喩関係を結ばない)フェイクがあっても、邪魔にならない。
言いたいのは、私は妻咲さんの詩は、こっちの方が読みやすい。妻咲さんはこっちの方が合ってる気がします。
なんていうのか、妻咲さんの詩は絶対、ポジションが違うような遠いものが混ざり込むので、日常性で書くと、極端な遠近が発生して読む方が混乱する。
対して今回の詩のように前提として全体の距離感がある方が、却ってそれと近づくことになるので、距離感がむしろ均等化する。結果、私はこの方がおしなべて読めるので読みやすいです。
ということで、名作を。
●秋さやかさん「凧揚げ」
終連の美しさは、短歌をやってる人ならではの美感に思いました。絶句するほど、美しい。
そして短歌だと終連を描くだけで精一杯ですが、詩だから、前提となる場の情景や、アプローチまで、きれいに描いてくれています。ちょうどシンフォニーの、4楽章に対する1~3楽章の関係みたいですね。
うーーーん。
2連の、泳ぐ凧が「心のようだ」という比喩も。
3連の、遠くの人を思うほどピンと張る、も。
4連の、それは永遠じゃないから、も。
6連の、糸じゃなくて、心を手繰り寄せよう、も。
7連の「鎖骨」をキーに、8連で日常に入ってくるところ、も。
終連に入る前の9~10連、
そういうものたちが
ささやかに
わたしに寄り添い
わたしを形作っているのだから
この手が届くものたちを
愛おしむことさえできればと
この情感と、庶民の当たり前の願いが、社会におけるか細さを知っているがゆえの、愛おしさ。
全部、ステキですね。
間断なく、酔わせてくれます。うーーーん、スキなし。
名作を。
言うことないです。凧揚げの、この詩への入りやすさも良いから、共感してくれる人も多いと思う。私は、この詩を読んで、走ってきた孫を抱きしめた気持ちになりました。堂々、代表作入りの作です。
●エイジさん「ある気配」
まあーー、ホントのとこは、その感覚は別の理由によるものでしょうけど、
仏壇のお父さんのところに話を持ってきたのはグッドだったです。とてもおもしろい話になりました。いつも作者を見守ってくれているんですね。お父さんが守護霊かも、です。
背中に感じる視線の不思議が、公園の風景とも相俟って、前半でしっかり書いてくれていることが、終盤をより引き立てました。
良かったと思います。秀作プラスを。
ちょっとだけ、あります。
5連5行目「覗いてみると~」からの4行は、連分けした方が良い。
その上で、
その前にはお経が書かれてある
縦長の表紙が付いた本が置かれている
の部分については
その前には
縦長の青い表紙がついた経本が置かれている
に、修正する方がといいと思います。
一考してみて下さい。
●小林大鬼さん「身延線」
街の景色は様変わり
大人はまるで子供のように
の詩行があり、鉄道仲間と言っても、それなりのご年配の集まりだっていうのはわかりますね。
また、はしゃいでいる様子、楽しい鉄道旅だっていう雰囲気が感じられるのが、この詩のいいとこで、そこはちょっと羨ましいくらい楽しげなのが伝わるんですが、
他方、雑なとこもあって、
山道を抜けて
眼下に広がる河原と山々
ここなんか、近くの山と遠くの山をちゃんと書き分けるべきです。もちろん眼下に「山々」があるわけではありませんから、「山々」を置く位置も悪いですね。
また、身延線といえば、富士山をオモテからウラまで見えるって感じが特徴的なのですが、
富士は曇って見えないが
のたった一言で、かたづけですよね。そもそもこれはてっぺんが曇って見えないだけで、少なくとも五合目から下は見えてるはずですよ。大雑把に過ぎますね。
車内の雰囲気の楽しげはいいんですが、それってたぶん、どこの線に乗ったって、その集まりはそんな感じなんでしょうし、そこが書けてても「半分」のデキっていうか、身延線らしさをどこかにきちんと描写しないと、タイトルの「身延線」にそぐわないです。
叙景に不備アリ、ということは言っておきます。
まあまあ、雰囲気だけは伝わるんで、おまけ秀作とします。