「忘れねばこそ思ひ出ださず候」とは、目からうろこの佳き言葉ですね。
素敵なお言葉を遺されたぴのこさんのお母様のご冥福をお祈りいたします。
今日は和裁の集まりの日。玉露が手に入ったので煎れてあげると、KとSが、一煎目より四煎目の方が美味しいという。難しいなあお煎茶は。そのうち上手になるかしら?手術で白内障の治ったKは、ほどきものさえ嬉しそうにしてくれる。
葉桜や鋏ひとつのほどきもの 檜紀代
ぴのこさん、「好きなことをして行きたいところに行き、会いたい人に会いなさい」というお母さんの言葉は身に沁みますね。母だけがひとつ身がふたつになる経験を持つ「おまえはわたしの子だ」といくつになっても子を子として見守る目を持つ唯一の人間ですから良いお母さんをお持ちになりましたね。過去とは思い出すものではなく思い出されるものですから、毎日を自分に誠実に生きることの中で母とは「忘れねばこそ思ひ出ださず候」という存在であることを生きることになるでしょう。お母さんの御冥福をお祈りいたします。
おはようございます😃
福岡の母が亡くなって一週間が経ちました。その間投句だけは休みませんでしたが、喪に服していました。今日から日常に戻ります。父母がいなくなった故郷山口は、空き家が残るのみ。
>親が生きていてこその故郷であり、いなくなればいつか家は朽ち、お墓だけになるだろう。
全くその通りで、母の納骨を兼ねての四十九日法要は、故郷山口の菩提寺で行います。私も、若い頃から自分の歳を間違えるほど年齢を数えないし、過去を慈しむより、明日の事を考える(ただし未来の計画を立てるほど計画的ではなく、カルペ・ディエム「今日に集中し、今を生きろ」)人間。
過去は時々、良きことのみを思い出すのみ。コロナ禍で三年以上会えなかった母。最期にも間に合わなかったけれど、母の安らかな顔を見て、母の「好きなことをして行きたいところに行き、会いたい人に会いなさい」の言葉を座右の銘の一つにして、これからも毎日を悔いなく大切に生きていくのが、母の供養と思えました。
という事で、今日から、またよろしくお願いします♪
東日本大地震で那珂湊と隣町の平磯を繋ぐ沿岸道路も崩れて不通になったが、小学生の頃は山の上から崖の道を下りて「姥の懐(うばのふところ)」と呼ばれる海中プールに下りたものだ。それが不便だと、崖下に堤防を作り歩いてプールまで行けるようになったが、波の荒い時は堤防に波柱が立って、引き波の時を狙って堤防を駆け抜けたものだ。
コロナでここ四年ほど帰郷していないが、大洗の親戚で同世代で生き残っているのは数人になってしまった。親が生きていてこその故郷であり、いなくなればいつか家は朽ち、お墓だけになるだろう。わたくしは長男なので大洗の父母の墓に入ることになるが、それも長いことではあるまい。ただ、生きている間は生きているのであまり考えたことは無い。だいたい自分の年も考えたことはないので、死ぬまでは生きているだろうという程度である。淋しいという感情がかなり皆無に近いので、晩飯に何を食うかが一番の関心で、迷うなあ、うまいもんばかり冷蔵庫に揃っているから。むふふ。
BSの養老先生と15歳の猫の生活「ネコメンタリー」も、お吟さん好きなのよね。ぼそぼそぼそぼそ辛辣なつぶやきをしているのが。散歩に連れて行ってやっても、↓このどすこい座りを始めたら、てこでも動かないそう(笑)。
やどかりのこてんこてんと洗面器 馬場龍吉
猫髭さんのお料理が美しくもあるのは、包丁たちのせいでもあるんですね♪
立夏が近いので、龍吉さんの『ナイアガラ』の夏の句を読んできました。繊維産業の盛んなお吟さんの町は「せんい祭り」で騒々しいので、隣町の図書館へ避難。カフェのカレーが似合う句集ってのも珍しいかも(笑)。
夕凪へ枝移りして老鶯は 馬場龍吉
遊船のかならず戻るさみしさよ
銭湯の富士の裾野にゐる端午
わたくしの使っている包丁は京都の「有次(ありつぐ)」に上と刻印のある「安来鋼 青紙」という鋼材を使用している買ったときから一生ものの三徳包丁で、もう四十年近く使っているが、切れ味が鋭すぎて手を切ると血が噴出すまで気付かないのでカミサンは切れない文化包丁を使っていたほどだ。値段は23000円。わたくしは会社のそばの日本橋の「木屋」の包丁を使っていたが、切れ味が「有次」に劣るので乗り換え、出刃は築地の「東源正久(あずまみなもとのまさひさ)」の出刃包丁(本打 青紙二号鋼)15000円と柳刃 包丁(本霞 白紙二号鋼)17000円を使って、自分の砥石も三種類持っている。ただ、調理免許や衛生士免許はとらなかったので料理人としてではなく自分や家族が美味しいものを食べたいがために調理するので、味覚も好みも違う赤の他人のために作る気は毛頭なく、何でも出来るが免許と云うのは持たずに来たので、そういった向上心は地位や役割を向上させて偉くなってしまうのでわたくしの無名で終わることという生き方と相反するので、あくまでもアマチュアの余技である。
さて、さすがに昨夜のカレーパスタで四日分のカレーは食い尽きたので、さて何を食おうか思案橋である。大根と手羽先でも煮込むか。
