親の介護で見送りまで済ませた者です。
兄弟と孫である甥姪達はいるけど、親の生前は正月と葬式だけに彼らは顔を出すだけで、葬式では一丁前に家族面をして泣き顔を見せるだけでした。
私はなんだかんだでほっとしていました。
タイトルですが「金も手も出さないが口は出す親戚」という兄弟に対して摘便含めて日々を費やした私とで、人生の帳尻が合うのかの不満がずっと溜まっています。
特に2026年の正月が近づいているからピリピリしています。
介護界隈によくある「金も手も出さないが口は出す親戚」の類語を検索したら、
作家パトリック・オロークの「みんな地球を救いたがる。でも、誰もおふくろの皿洗いを手伝おうとはしない。」
(私の提示した意図は、介護に口だけという理想やお題目を掲げ、実際には介護から逃げ、葬式の時にだけ泣いて嘆くという理想主義者な兄弟への皮肉や恨みの念が具体化した格言だと感じたからです。)https://exe-time.jp/execolumn/before-2
反面教師としても、
ゲーテの「すべての人が玄関を掃き掃除させれば、全世界がきれいになる。」「太平の世における愛国心は、庭前を掃除し、家業に勉励し、世務に努力するよりほかに道はない。」
(ゲーテの2つの格言も、口先より行動をして示すことで、手の届く範囲が変われば大きな世界も少しずつ変わっていくという、理念や理想より先ずは行動する方が大切だという意味を私なりに感じたからです。)
オロークの格言から口先だけ出す奴は空虚で信じられない者。
ゲーテの格言から世界を救うのは身近な課題へ行動をした者。
私的にはそう慨しました。
なので、親の看取りという最も近しい者への務めを果たした私に福音は来るはずだと思いたい。
親を見捨てて自分たちの人生を一人前の家庭として謳歌している逃げた兄弟たちは天罰が下るはずだと願っています。
この「罪と罰や因果応報」の考えとタイトル「真面目に生きる事の是非」を疑念に思っている心境は安全と言うか大丈夫なのか気になって精神の専門家の竹川先生に伺いの投稿をさせていただきました。
(ちなみに、2026年の正月は未定ですが、どこか外出して兄弟たちと顔を合わせたくない行動を取りたいと思っています。)
こんにちは、いつも投稿ありがとうございます。
介護大変でしたね。見送りとは看取りのことでしょうか?
親御さんも最後まで頑張ったのだと思います。
介護の相談というのは私の外来でも非常に多いですよ。
まあこれから我が国は超高齢化社会を迎える訳ですから、
これから多くの人が経験することになるでしょうね。
親を介護する時に一番大事なことは
「親の介護は子供の義務ではない」ということです。
現在は介護保険制度がありますので、一人暮らしの老人で、
介護者が居なくても、着替えと 排泄さえ自分でできれば
往診 訪問看護 デイサービス ヘルパーの利用で自宅で生活できますよ。
家族が介護者にならなくてもいいんです。
排泄着替えが出来なければ施設入所になります。
財産があれば、全てお金に換えて有料老人ホームに入所、
財産が無くても生活保護にして特別養護老人施設に入ることが可能なんです。
福祉制度世界一の我が国の強みですね。
自宅で家族が介護する場合は、少しでも「親の面倒を見てあげたい」という気持ちが必要です。
まあ、「親の財産を相続したい」という目的でも良いと思いますが、
その様な気持ちが無いのに嫌々介護をしてしまうと、
どうして自分だけがこんな目に遭わないといけないんだという不満から
親に陰性感情 恨みつらみが増幅し、暴力 虐待に発展することが多いです。
そして「自宅で完璧な介護は不可能」であると自覚し、
自分の生活を壊さない程度の線引きが必要ですね。
そもそも24時間 一人の人間を見張る 世話するのは不可能でしょう。
ここまでは自分を犠牲にして面倒を見るが、これ以上は無理、
それで何か事故があったら その人の運命、天命と割り切ることが大事です。
兄弟間で介護に割く時間が異なる場合は、死後の財産の分配を変えましょう。
皆で話し合うか、親に遺言状を書いてもらうと良いですね。
一番面倒を見た人が多く貰うのは当然の権利です。というか、それで不平等感を割り切って下さい。
ゲーテの詩、、良いですね。
いつも言っておりますが、世の中には良い人と悪い人が混在しております。
全ての人が真面目で美しく生きる世界なんて存在しません。
勤勉さを徳と考えるか、愚行と考えるかは人それぞれであり、
大事なのは他人の価値観ではなく、自分の価値観ではないですか?
私は他人の不幸を願う時間は無駄だと思います。時間が勿体なくないですか?
そんな時間があったら、自分の幸せを願いましょう。