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🔶お知らせ・・ロケット掲示板とRara掲示板は同時運営しております

このロケット掲示板の『葵新吾"大好き大川橋蔵ファン広場”掲示板PARTⅡ』と
Rara掲示板『大好き大川橋蔵ファン広場PARTⅡ掲示板』【 https://rara.jp/fanhiroba/ 】は同時進行で運営中です。
使い勝手からどちらも一長一短はありますので、できる限りは同時並行で行くようにしてまいります。
どちらを見ても大丈夫なように管理者が責任をもって投稿記事は双方に分かるように掲載していきます。

🟨この掲示板は無料版の掲示板にしましたので、広告が入りますので見ずらくなってしまいました。ご容赦ください。

編集・削除(編集済: 2023年04月07日 07:42)

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱あの時代が懐かしいなあ、ちらほらと✱ #2018.1.2

皆様、お正月をどのようにお過ごしですか。
今日明日は、毎年恒例の箱根駅伝・・・今日は富士山もくっきりと空も晴れわたっています。苦しくても、襷をつなげるため一生懸命走る姿は感動ものです。

明日からは寒気がまた入り込み北海道、北陸は吹雪と大雪に、関東も強風が吹き荒れるという天候に変わります。これからが真冬本番になります。ご注意ください。

さて、夜のテレビは何があるか、NHK Eテレで本日初日の東京歌舞伎座と大阪松竹座を生中継で結んでの初芝居があるけれど、最近の歌舞伎俳優にはどうも襲名の重みが芸から感じられないし、若手も芸に新鮮さがないので(一応録画をしてみるか)気乗りがしない。
暮れに”俳優祭り”をやった時のを録画でやっていたけれど、これも面白味が私にはなかった。橋蔵さまが出演していた時代の”俳優祭り”は歌舞伎俳優、歌舞伎から映画俳優になった人達が出演しての壮大なものでした。あの時代は本当に良かったことがよくわかります。
そう言えば、お正月のテレビ特番フジテレビで「新春かくし芸大会」をやっていたことを、覚えている方や知っている方は少なくなったでしょうね。
審査員で、橋蔵さまが出ていた時のことを覚えていらっしゃる方はどのくらいいるかしら。まさか、審査員として出てくるとは思ってもいなかったから見逃した方もいらしたのではないかしら。また、何気なくチャンネルをかけていたら、「あらっ」橋蔵さまだとラッキーだった方も。
橋蔵さまが審査員の席にいた時は、芸能人がかくし芸をしているのはどうでもよかった。審査員席が移るのや審査員に感想を聞く時に集中していましたわ。何となく橋蔵さまのあの時の笑顔は覚えているような・・。2回位審査員で出たような気はしているのですが・・おぼつかない記憶です。

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振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱2018年も橋蔵さまとご一緒に参りましょう✱ #2018.1.1

🎍 あけましておめでとうございます
今年も橋蔵さまと皆さまと一緒に楽しい一年にしていきたいと思っております。
橋蔵さまに思ったことなどを皆様とお話していきましょう。

表題は「若さま侍捕物帖」のラストからの橋蔵若さま、サブ画像は「おしどり囃子」から菊次さんが獅子舞を舞う支度をしていくところです。
下の画像は、今年の私からの年賀状です。「おしどり囃子」の画像に合わせ、ちょっと遊んじゃいました。
ブログ”美しき大川橋蔵”私の想い出の方もお正月のご挨拶をしていますので
覗いてみてください。
表題画像は「若さま侍捕物帖」から皆で”おめでとう”のところからです。
サイド自由欄には”若さま”の剣が・・邪気を払って私達をまもってくださいますよ。
私の年賀状は、「海賊八幡船」の鹿門様に扮装した橋蔵さまが”宝船”に乗って福を持ってきてくださっています。
今年も、よろしくお願いいたします。

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振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱よい年をお迎えください✱ #2017.12.31

今年もあと少しになりました。
私は、この一年も仕事と橋蔵さまで過ごしてまいりました。
掲示板には、今度は橋蔵さまのどんなことを書こうか、こんなことはみな興味がないだろうと考えながら、いつも橋蔵さまのことで頭の中がまわっていました。
これは来年も続くでしょう。少しでも皆様に映画時代の橋蔵さまをもう一度振り返りながら、より知っていただければと、掲示板とブログに書いてまいります。

さあ、大晦日。この一年の嫌なことは今日で忘れ、新たな年へ向かいましょう。
「若君千両傘」の城太郎様に扮した橋蔵さまがお蕎麦をおいしそうに食べていらっしゃいます。私達も一緒にお蕎麦を食べましょうか。

ブログ”美しき大川橋蔵”私の想い出の方では、
「緋ざくら大名」の千代三郎様に扮した橋蔵さまが、橋の欄干に寄りかかりながらおいしそうにお蕎麦を食べています。よかったら覗いてみてください。
こちらからどうぞ  今年もあと少し、来年もよろしく

このサイト以外に多くの人が覗いてくださっています。掲示板に書いてみたいと思っている方は遠慮なくいらして!!橋蔵さまのことお話いたしましょう。

来年も、橋蔵さまのことを皆様と楽しく語らい、よい年にしていきたいですね。

👆(画像の上をクリックすると画面の違うところで見ることが出来ます)

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振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱ 橋蔵さまを易から見た将来は?・・③✱ #2017.12.6

1957年の秋ごろの雑誌からのお話の最終になります。

★今後の橋蔵さまは・・
今後の橋蔵さんは、持っている良き社交性をもっともつと利用して伸びること、人から愛されることと信用を十分に応用することだ、と言っています。
芸の上でも社交の上でも変な引っ込み試案は禁物で、もっともっと相手の懐に飛び込んでいって何事も相談することが大切。
そして、良き参謀が必要、この影の参謀を得るか得ないかによって今後、特に32才過ぎ(1961年過ぎ)の運命に大きな影響が表れてくる、と言っています。
(ちょうど、演じるものが変わってきたあたりになります。)

一.対人関係として仕事上の共演者のことです。
ひばりちゃんと組んでの映画が多いようですが、この組み合わせはどうでしょう?
勿論、大吉、上々のく見合わせです。この二人が組むことによって映画は一段と面白くなることは間違いなしですが、この組み合わせは仕事上の関係がよいと判断するので、個人生活面では吉とはいえません。
仮の話ですが、個人生活で一緒になった場合、お互いがマイナスになるばかりで、けっして良好な面はでてきません。仕事の面で今後も組むことは良いことであり、組んで永くやって行くことが出来るでしょう。
千原しのぶさんとのコンビが良いとも言っています。

二.古巣の歌舞伎に戻るかどうか
当分復帰しないでしょう。恐らく彼は一生をこの映画の世界で活躍するでしょう。
しかし、もし復帰するとしたならば40才、41才辺りではないでしょうか。それ以外はないはずです。

三.副業
映画人はよく副業をやっていましたが、橋蔵さまの場合はどうでしょう。
運命学の面から観ると、橋蔵さんにとってあまり良いことではありません。特に、商売は大凶です。
✎(ご自宅から近い白川通りに、橋蔵さまは焼肉「橋亭」を経営しましたが、ある時期でやめました。値段はちょっと高かったような話を聞いたような)
橋蔵さんにいえることは、金銭がはいる割合に身につかないことです。ですから、他の俳優さんのように副業をやられることはおすすめできない。
お金が入っても、それだけ損という理に合わないことになるからです。

四.橋蔵さまの健康・・注意すること
橋蔵さんは身体に注意を要します。
体が弱いというよりも、病気になったときに、なかなか治りにくいといった宿命を持っておりますから、特に次の点には気をくばるようにしてほしいものです。
それは、過労による肝臓と腎臓の衰弱です。また、頭部に負傷を受けやすいこと、火傷、擦過傷等の場合には初期の十分な手当てが大切です。
✎(1958年になって、橋蔵さまは1か月ほど立回りができない怪我をしています。原因は謎・・・ご本人が自分の不注意と言っていますから・・それ以上は。今のようなエンタメがあったら大変なことだったでしょう。へたすると、立回りが出来なくなるぐらいの怪我でしたから。そして、治りにくい病魔に倒れます。)

古のことですから、こんなことも・・・と思っていただくだけにして・・・おしまいに。

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振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱橋蔵さまを易から見た将来は?・・②✱ #2017.12.4

前回の続きとなります。

今回は、映画人として、個人としての橋蔵さまを占っています。
当時、ファンが気になっている結婚についても話しています。
私としては、橋蔵さまの結婚について書くことは気が進まないのですが、個人的観念は抜きにして書きだしました。(ああ、やっぱり・・と思うこともありましたが)
しばらくして、橋蔵さまの結婚問題が数年、マスコミを賑わし、ついには橋蔵さまの俳優人生を脅かすまでの記事が溢れました。そして時代劇映画も衰退していき、やくざ路線にいってしまった東映に、橋蔵さまの主演映画はなくなっていました。その頃、家にいて娯楽を楽しめるテレビが時代劇制作をとテレビ界が動いていました・・・フジテレビが、その時おかれていた立場の橋蔵さまのいろんな面から、いいチャンスと思ったのでしょう?か、橋蔵さまにもオファーがありました。でも、しばらく東映側も橋蔵さまも断っていたようです。・・・しかし、いつまでも、時代劇映画が撮れないのでは・・・フジテレビは橋蔵さまがだめならと、ある俳優さんに声をかけてもいましたが・・。周りの人もこれからはテレビだと言い、橋蔵さまも当時おかれた状況から将来を考え、踏み切ったのでしょう。橋蔵さまがテレビに行くということを耳にした東映の人達や俳優陣は、何故、やはり、と陰でいろいろな事が流れたようです。お茶の間に出るには、身辺を綺麗にしなければならなかった。そのため、慌ただしくマスコミに正式に結婚という場を設け決着をつけました。
✐(数年かかって橋蔵さまが出した結論でした・・当時聞いて喜ばしいことなのですが・・・)

では、当時の易からの橋蔵さまの今後の人気と結婚は
★今後の人気
今現在(1957年 28才)盛運の一途をたどっており、まだまだ伸びます。
年齢的には、50才(1979年)迄は好調ですが、特に、42才(1971年)迄素晴らしい運気を持っています。ただ、昭和34年(1959年)は、彼の個人的にみた運気の一大変化のある年ですから、よい意味にも悪い意味にも充分の注意が必要で、これはファンに変わって橋蔵さんに一言申し上げておきます。
勿論、33年(1958年)、34年(1959年)は橋蔵さんにとって発展の時ですから、ファンからみた人気のめんでは今よりも素晴らしいのですが、橋蔵さんには一つの個人的変化の時となるのです。おそらく、芸の上の悩みと家庭(結婚)の問題でしょう。
昭和34年(1959年)は芸の上で転機を迫られる年です。
自分から成長への一つの大きな飛躍の年で、(聡明な彼のことですから)文句なしによい意味の一大変化をとげ、芸の上でも人気の上でも、大きな成果をあげることでしょう。
昭和35年(1960年)、昭和36年(1961年)は、橋蔵さんにとって注意をする年、即ち健康に注意することです。

★結婚は
橋蔵さんの結婚はどうでしょう。
昭和34年(1959年)に結婚問題がおこる可能性があります。しかし、この年の結婚話はまとまるまとまらないという点は別として、多少の問題がおこります。
前のも述べたように、昭和34年(1959年)の変化期はこうした意味からも大切な時期といえます。結婚は恋愛結婚、社交的で明るい性格のわりに、考えは地道で堅実。
ですから、遊戯的な恋愛でなく、微笑ましい清純な愛をもって結婚へゴールインすることでしょう。
結婚後は、映画人にありがちの乱れた家庭生活を送らない、非常に家庭的な生活を送る、女性の誘惑に負けない、ことなどの美点が判断されます。
(橋蔵さまのよき相性となる結婚相手の生れ月2通り、そして容貌からはふっくら型とほっそり型があげられています・・省略)
どちらかというと、橋蔵さんのようなタイプの人には、ほっそり型の方がうまくいくものです。映画を例にとって夫婦見立てをすると千原しのぶさん、嵯峨三智子さんのような人になります。
このような人と一緒になれば、彼の内向的な性格と表面の明るい社交性を、十分にくみ取って内助の功百点という恵まれた家庭生活を送ることになります。

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振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱橋蔵さまを易から見た将来は?・・①✱ #2017.11.27

今回は、当時橋蔵さまを易からみた場合のお話で、書きながら私も少し真面目に当時に返って考えて見てみました。

📖「鮮血の人魚」が封切された後の1957年の秋ごろの雑誌からのお話です。
「バラ色の栄光につつまれたトミイの明日はどうなる!」「昭和34年(1959年)こそ、一大躍進の秋と易にあらわれたトミイの運命は?」
雑誌の”明日の肖像コーナー”で美空ひばりさん、中村錦之助さんを占った方が、橋蔵さまを占ってくださいました。
当時、このコーナーを目にした時、橋蔵さまの将来は大丈夫だろうか?ドキドキしながら読んでいったのではないでしょうか。
今、橋蔵さまを思い出しながら読んで見ますと、なるほどと頷くところ、ここはあたってほしくなかった、と思うことさまざま・・橋蔵さまを改めて想いおこしてしまいます。
皆様も読んでいて、あるときのことなど橋蔵さまを想うことがあるかもしれません。(筆者の文章を私なりに要約し、私なりにまとめております)。

では、まず、橋蔵さまは舞台から映画に来ましたので、そのあたりからいきましょう。
「東映の人気者、大川橋蔵さんは錦之助さんと並んで現在の若手を代表する花形です。橋蔵さんのあのにこやかな容姿が、大型画面に現われると、ファンは思わず溜息をつきます。この明るさは、映画人にとっては何にもかえがたいもの。すべての芸も人気も、この明るいそしてにこやかな魅力がもととなってあらわれるのです」と書きだしています。
筆者は、まだ橋蔵さまが映画入りをしなかった頃の舞台を観た時の印象が瞼に残っていると言っています。
それは、三越劇場での菊五郎劇団若手歌舞伎興行でのことでした。「三社祭」の善玉悪玉に、橋蔵さまと坂東光伸さんが扮して一幕を踊りぬいたことがあったその時の印象が瞼に残っていると言っています。
橋蔵さまの踊りそのものよりも、舞台一面にあふれる活気と明るい華やかさに心をうたれたのです。その時、この人はきっと素晴らしい役者になる、最も明るい芸風を持った日本一の人気者になると思った、と言っています。
「ある歌舞伎評論家は、その時の橋蔵さんの踊りを見て、「まるで機械体操だ、あのポキポキした踊りは」と、貶すようなことを言って、橋蔵さんの、舞台を明るくする魅力には気がつかなかったようです。
それがどうでしょう!!器械体操のような踊り手は、今をときめく東映の花形になり、人気と名声はとみに昇るばかりです。そして、若手随一の立回りのフォームの美しさ、スクリーンいっぱいにあふれる明るさと華やかさ、このようになるとは誰が想像したでしょう。
歌舞伎の名優十五世羽左衛門がちょうどそうでした。舞台に出るとパッと明るくなったのです。橋蔵さんもこの羽左衛門のような魅力をそなえた人です。羽左衛門は若い時代には大根だといわれていたのです。
橋蔵さんは勿論、大根などとはいわれませんでしたが、歌舞伎の批評家の言葉は、役者としての明るさや魅力を見ずに、踊りの型ばかりに目をつけた心無い一言でありましょう。
橋蔵さんも羽左衛門と同じく、いまの人気と名声を築きあげたことは、単に映画界に入ったからだけではありません。若手歌舞伎時代から、今日のすばらしい人気を得る魅力があったからです。」

舞台時代も見ている方の易から、橋蔵さまの明日を覗いてみましょう。
この記事掲載が昭和32年(1957年)ですから、昭和36年(1961年)あたりまでの橋蔵さまをみていってます。(当たるも八卦当らぬも八卦といいます、・・・頷くところが、多々あります。)
まずは、
★橋蔵さまの魅力
橋蔵さまの素晴らしい魅力はどこから生まれてくるのでしょう。
一言でいうと、橋蔵さんの温厚な性格からきています。
橋蔵さんの顔を人相学から観ると、鼻と口に特徴があります。鼻は如何なる困難をも打ち破る意欲的なことを示し、時によってそれが過ぎた場合に、そのゆき過ぎを柔らかにカバーするのが口もとです。
✐(橋蔵さまの口もとは、ほんとに魅力があります。口もとは、その人の品位、育ちをも物語るのです。)
次に、橋蔵さんのふっくらとした下瞼の豊かさは、情の人ということをあらわしています。
✐(私は、映画でも思いましたが、テレビでの銭形平次の初期の作品で、そのふっくらとした下瞼が非常にはっきりと綺麗であったことが記憶にあります)。

人相学から総合的に見ていきますと、交際が非常に広く、どことなくおっとりしていて、あらゆる階級の人々から愛される性格をもっています。おっとりとしていることは、決して苦労がないというのではありません。人一倍苦労をしてきた上の温和さが橋蔵さんの人気の原因なのでしょう。
活動家という点では、人の何倍も働くタイプで、自分のためというより人のために働くという事が多く、物事をまとめる才能もあります。性格上の美点が人気と信用という形になってあらわれてくるのです。

如何ですか、皆様も当時に返って、またそれ以後の橋蔵さまを思い出し、同じように思ったことはあったでしょうか。

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振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱長々と・・他愛もない話ですが✱ #2017.11.3

今日は文化の日・・世間は3連休で、紅葉を見に出かける人達で、山の方は賑わうことでしょう。私は、静かにして・・?年末にかけての仕事に取りかかりながら、橋蔵さまのブログを少し進めます。

お時間がある方は、またまた、他愛もない話にお耳 をおかしください。
いやぁ、随分長くなってしまいました。単なるおしゃべりなのでつまらないかも・・です。今の人たちには、つまらないことなのですが、この当時は、このような記事でもファンにとっては大事にしたいことだったのです。

ある雑誌が読者ファンからの要望にこたえての希望対談というコーナーをもうけていました。1957年夏に、皆様が是非と望んでいた夢の対談が実現しました。
私なりに省略して短くしようと思いましたが、三人の対談は珍しいことだったので、思い切って雑誌 約4ページ分、 パソコンを打つのも腕がくたびれて疲れましたが、雰囲気が伝わるように頑張って忠実に書いてみました。書くのが長くなりましたので、誤字などありましたらお許しください。

🍀忙しいためなかなにか実現しなかった初顔合わせでの三人のおしゃべりの話題はどんなだったのでしょう? 釣りの話、結婚の話・・・
橋蔵***ねえ錦ちゃん、マミイって、ずいぶん綺麗になったと思わない?  (感心し
     てひばりさんを眺めます)
ひばり**あら、トミイったら、それ皮肉?
錦之助**ひばりちゃんは、逢うたびに綺麗になってゆくね、ほんとに。
ひばり**意地悪っ。二人して・・。私はね、今日は司会役なんだから、うんといじ
     めてやるから。
橋蔵***お、こわい、こわいぞぉ(笑)
錦之助**(座り直して)やあ、ひばりちゃん、こんにちは(笑)
ひばり**だめだめ、いまからご機嫌とってもおそいわよ(笑)
橋蔵***冗談はさておいてさ。
ひばり**なにさ、トミイ(とニラム)(笑)
橋蔵***なにさ、トミイって(ニラム真似)(笑)ぼくはね、いま、この記念すべき集
    いについてさ、一席弁じようと思っていた
    のさ。(笑)
ひばり**どうだかわかんないわ。トミイは。(笑)
錦之助**だけど、ほんとにこの顔ぶれは珍しいね。こうして三人が集まって話をす
     るなんて。初めてじゃないかな。
ひばり**お互いに忙しいし、撮影所ではいつもチラッと。
橋蔵***やあ、こんにちは。(笑)
ひばり**ほんとにそのくらいですものね。こういう会は楽しいわね。
錦之助**そうそう、そうこなくてはウソだよ。
橋蔵***大いに旧交をあたためようよ。
ひばり**もうどのくらい経つかしら・・トミイと知りあって?
橋蔵***えーと、(指折り数えて)もう一年と八ヵ月になるよ。(笑)
錦之助**ぼくはまる四年かな、ひばりちゃんとは。
ひばり**あら、もうそんな?
橋蔵***「笛吹若武者」で初めてお目通りしました。(笑)
錦之助**拙者は「ひよどり草紙」でお付き合いをねがいました。(笑)
橋蔵***ぼくの第一回作品だよ。「笛吹若武者」は。
錦之助**不思議だね、ぼくもはじめての「ひよどり草紙」で、ひばりちゃんと共演
したんだ。
ひばり**あーら、大変大変。光栄のいたりで、もう胸がいっぱい。(笑)
錦之助**だからさ、今日のこの集いは、今流行の言葉でいうとね、決定的瞬間のひ
と時だよ。(笑)
ひばり**ふふ、二人ともおおげさね。(笑)金ちゃんはいま何を撮っているの?
錦之助**「ゆうれい船」があがって、こんどは「水戸黄門」だよ。
ひばり**あら、私と同じみたい。「番町皿屋敷」で、私初めて幽霊の役やったの
よ。(笑)
橋蔵***ひばり変化だね。だけど、ひばりちゃんのお化けじゃ、ちっとも怖くない
よ。毎晩出てもらってもいい、うんとご馳走してあげるよ。(笑)
ひばり**千代ちゃんとし一緒だけど、フーフーいってたわよ。回想のシーンでね、
私を抱いて井戸の所まで歩く所があるの。
 「ひばりちゃんは重いなぁ」って、汗びっしょり。(笑)お気の毒にね。
そのシーンのテストが十数回、私こんどご馳走してあげなくちゃ。(笑)
橋蔵***「ひばりカツ」か「ひばり寿司」がいいよ。(笑)
錦之助**横浜のお店、繁盛してるそうね。
橋蔵***ね、マミイ、この間、錦ちゃん面白かったんだよ。
ひばり**なに?なにかあったの?
橋蔵***この間ね、淀へ釣りに行ったんだよ。左手に煙草をもってさ、右手に釣ガ
ラをたらしてさ、ゆーゆーと太公望を決め込んで
    いたらね、なんと帰りにはタモ網にウントコさお魚がいっぱいとれたん
だ。
ひばり**あーら、錦ちゃん、なかなかやるじゃない?
橋蔵***おいおい、違うんだったら・・それはぼくの話なんだよ。(笑)
錦之助**その話を聞いてさ、ぼくも行ったんだ、瀬田川へね。ぜんぜんダメなの
さ、夕方までかかって、たった五匹しか釣れないのさ。(笑)
ひばり**あ、の ネ、短気な人には釣りはむかないのよ。(笑)
錦之助**まあ次を聞いてからにしてもらいたいね。それから名誉挽回というので
さ、今度は宇治川だよ(笑)五十匹も釣っちゃったんだぞ。(笑)さあさ
あ、今度は富成さんの発言だよ。(笑)
橋蔵***やんなっちゃうな、こりゃ、やぶへびだ。(笑)じつはネ、それを聞い
て、今度はぼくが宇治川へ行ったんだ。(笑)
錦之助**釣った、釣った、富成さんはものすごく釣ったんだよ。
ひばり**どのくらい・・百匹・・?
橋蔵*** (小さな声で)ノー・アウト。(笑)だってさ、錦ちゃんがみんな捕っちゃ
った後だもの、仕方がないよ。(笑)
錦之助**アハハ、これでおあいこだよ。(笑)
ひばり**面白そうね。こんど私も連れてって。
橋蔵***ひばりちゃんが行ったら、大変だよ。
ひばり**どうして?
錦之助**瀬田川へ行った時ね、子供がワンサといるんだ。ぼくは黒眼鏡をかけてい
たんだよ。子供たちがウジャウジャいてね、あれ、このオジサン錦之助に
似てるなあ」(笑)
ひばり**いやーん、(笑)で、どうした?錦ちゃん?
錦之助**かまやしない。「なにい錦之助だ?あんな嫌な奴ってないな」(笑)そうい
ってさ、おい坊主、あれ持って来い、これ持って来い、ほれ竿が動いた。
(笑)バケツ持って来い。(笑)夕方まで使い通しちゃったんだ。(笑)面
白かったな。(笑)
ひばり**いいとこあるわ、錦ちゃんは。
橋蔵***マミイ、ちょっとはぼくのこともほめてほしいね。(笑)
ひばり**トミイはね、几帳面なところエライわよ・(笑)
橋蔵***いやだなぁ、お義理みたいだ。(笑)
ひばり**あら、ホントだったら。
橋蔵***言われないうちに言っちゃおうかな。だけど、短気は損気よってね。どう
だい?そう言いたいだろう。(笑)
錦之助**富成さんとは、ぼくとそこんとこがよく似ているよ。(笑)
ひばり**お二人とも、なかなか正直でよろしおます。(笑)
錦之助**やんなっちゃうな、知ってるんだからね。有名でございますか?
ひばり**すこーしね。(笑)
錦之助**ひばりちゃん、聞かせようか?「港町十三番地」・・うまくなったぞぉ。
(笑)
ひばり**いやーん(笑)トミイ、錦ちゃんたらいけないのよ、私の十八番みんな取
っちゃうのよ。
橋蔵***錦ちゃんは、暇さえあれば歌ってるんだ。
錦之助**ぼくのお得意を知っている?「ひばりのマドロス」(笑)それから、富成さ
んの「江戸っ子囃子」・・よく歌うよ。
橋蔵***いやーん(笑、ひばりちゃんの真似をする)まみい、錦ちゃんはいけない
のよ。(笑)
ひばり**あら?
橋蔵***なに?
ひばり**フフフ・・トミイの頭、それいつもと違うんじゃない?
橋蔵***(グンとイバル)そうさ、新型を発明したんだ。(笑)
錦之助**グッと、慎太郎バリだな(笑)音羽やぁ(笑)
ひばり**いやだぁ、おかしいわ。
橋蔵***どうしてさ。これでもいいって人がいるんだぞ。(笑)第一、気分が変わ
るからね、いつもおんなし頭だとさ、爽やかな恋もできないよ。(笑)
ひばり**どんな恋? 爽やかな恋って・・(笑)
橋蔵***子供には、わかんないよだ。(笑)
ひばり**あら、私はもう二十歳よ(笑)
錦之助**富成さんは、ムズカシイんだ、理想がね。(笑)
橋蔵***錦ちゃんはズルイ。(笑)自分のこと棚に上げてさ、ぼくは当分、ひとり
だよ。結婚なんてしないよ。(笑)
錦之助**よく聞かれるだろう、理想の女性はってね・・そんな時になってみなくて
はわかんないよね。ぼくは「心の美人」ならいいや。(笑)いつのことか
なぁ結婚って。(笑)
ひばり**結婚、結婚って、私もデマばかりとばされるけど、まだまだずっと先のこ
とだわ。
橋蔵***ひばりちゃんは、結婚したら女優をやめるかな?
ひばり**そうね、私って案外に古いのよ、だからそんな時には、女優をやめちゃう
かも知れないな。
錦之助**富成さんは、モダンでおとなしい女性が好きらしいんだよ、ひばりちゃ
ん。
橋蔵***錦ちゃんは、グッと日本的なひとが好きらしいんだよ、ひばりちゃん。
(笑)
ひばり**男の人って課って。(笑)
橋蔵***ハイ1司会者、話題を転換・・(笑)
ひばり**まあ許してあげるわ、この位で。(笑)それより錦ちゃん、どうして現代
劇続けないの一本だけでしょう?
錦之助**楽しいんだよ、時代劇が・・。
橋蔵***チャンバラがあるだけでも面白いもの。(笑)
錦之助**映画ってさ、理屈抜きで楽しめるものがいいと思うんだよ。と、なると、
夢や活劇がある時代劇っていうことになっちゃう。
橋蔵***この間「縮みゆく人間」ってアメリカ映画を見たんだ。
錦之助**だんだん人間が小さくなっちゃう話ね。
橋蔵***変な霧を浴びた青年が終いには猫より小さくなっちゃってね、いろんな危
険と闘うんだよ。ぼくね、あれを時代劇で演ってみたいな。きっとスリル
とユーモアがあって面白いとおもうよ。
錦之助**ひばりちゃんがお姫様でね、恋人役の富成さんが、一寸法師みたいになっ
ちゃうのね。(笑)
橋蔵***そうそう、それだよ。(笑)
ひばり**あら、いやだ。それじゃ恋も語れないじゃないの。(笑)
橋蔵***ハッと目が覚めたら夢だったということにすれば、語れるよ、ラストシー
ンでさ。(笑)
錦之助**ぼくの夢は、三枚目をやることだな。だけどなかなか会社でやらせてくれ
ないんでユーウツだよ。
ひばり**錦ちゃんは何を演るの?ぬ「水戸黄門」で?
錦之助**どうも相変わらずの二枚目らしいんだな、これが。
ひばり**贅沢な悩みね。(笑)・・トミイ、こんど千代ちゃんも入ってもらって、
こういう会を持たない?とっても楽しかったわ。
橋蔵***それはグッド・アイディアだね、釣りコンクールでもしようか?
錦之助**あれ、ホントにいいんですか?(笑)
ひばり**四人で黒眼鏡をかけてね。(笑)やりましょう、やりましょうよ。

👆(画像の上をクリックすると画面の違うところで見ることが出来ます)

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振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱茶飲み話・・美剣士たちはどんなお嫁さんを?✱ #2017.10.29

いつの世も、人気のある結婚適齢期の方たちは必ず結婚問題についての話が絶えません。
1957年夏の頃の雑誌だったと思います。理想と現実は違いますから、過ぎ去ったことはどうでも良いのですが、結婚適齢期の4人の時代劇スターの”理想のお嫁さん”について、その当時どんなことが書かれて、ファンの皆様が一喜一憂していたかをご想像ください。当時ファンのあなたはどうでしたか?
(私なりに編集して載せています)

中村錦之助さん・・僕の女性論はとても簡単「心の美しいひと」。
         容貌とかスタイルなんかはあんまり考えないほう。
         趣味もご本人まかせ、まあ、純日本式で地味な女性が理想。
         俳優という仕事に理解があり、家庭的なら文句なし。
         少しぐらい喧嘩をしてもよいが、雨後晴れで、すぐパッと明る 
         く笑えるひと。

東千代之介さん・・(35歳までは仕事一本やりでゆこうと決めている)
         スタイル、趣味、すべて日本的なひと、というのが第一条件。
         料理が上手く、べらべらおしゃべりしない静かなひと。
         古風かもしれないが”良妻賢母型”で、家庭を憩いの場所にして
         くださるひと。

市川雷蔵さん ・・女らしくて、明るくて、しっかりしたひと。
         歴史上の人物でいえば、山内一豊の奥さんのようなタイプ。
         私の仕事がデリケートな神経を使うので、家庭生活は大変難し
         いと思います。
         ですから、家庭をよく守って、後顧の憂いのないしっかりした
         ひと。

大川橋蔵さん ・・聡明なひとが好き。
         健康で、静かで、そして、家庭的ならこれに越したことはな
         い。
✐(橋蔵さまの場合は希望の内容は詳しくは言っておりません。この後、様々な雑誌で聞かれることが多くなった 時にいろいろ話しております。和装も洋装も似合うひと・・、どちらかと言うと橋蔵さまは、グラマーなタイプがお好きでしたのですよね・・。)

いつでしたか、橋蔵の好きなタイプは”短い髪の女性”とある雑誌にでたら、わざわざショートカットになさったファンが、今度は別の雑誌に、”髪は長い方ほうが”とまるで反対が書いてある、それですっかり憤慨されたという何ともお気の毒な話がございました。 私は、髪形やスタイルにはこだわらぬほうですから、念のため申し添える次第です、と言っていました。

ファンというものは、有難いですが、中には橋蔵さまにご自分の存在を認めてほしいという、ファンとしての節度を間違ったひともいるわけで、人気者は気を使います。

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振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱どうしても難解なところあり「鮮血の人魚」✱ #2017.10.15

関東は、この一週間は梅雨のような曇りと雨の日が続くようです。私は昨日はエアコンとセラミックヒーターで暖を取りながら、11時から、またもや「鮮血の人魚」を鑑賞いたしました。
ブログも書く時期がそろそろやってきますので、そのことを頭に入れながらの鑑賞となりました。

この作品は、やはり画面が暗いところが多いのが難点なのと、私の中ではどうしても解せないところがあるのも難点です。前の画面では完全に夜という感じで暗かったのが、時間的に夜のはずが・・空が青すぎて雲がくっきり、月明かりにしては明るすぎるし、それじゃ、設定は夕方なの・・・それはおかしい。
花火が終わった後なのに・・、寺でうつぼ姫に会って、そう時間がたっていないのに「じゃお休み」と言って出て行ったのだから・・設定は夜よね。映画ですから、それなりに見ていれば疑問はもたないと思うのですけれども・・。実際のところ、空の明るさと時間設定に、何回見ても疑問が残ってしまうのです。

若さまの差している大小の刀の鞘の色が気になっていたのですが、モノクロの時は、普段差している刀の鞘は黒に見えていたのですが、カラーのこれを見ると少し赤っぽい茶でした。黒の葵の紋が付いた着物の時は黒鞘に模様の入ったいい感じのものは想像通りでした。普段に差す刀の鞘は、次の「紅鶴屋敷」から使うものが素敵かな。
橋蔵若さまも、肩の力が抜け気負いが無く、自然なセリフがいいですね。
「若さま」で千原しのぶさんとの絡みは2度目ですね。今回も敵側を裏切って若さまに肩入れをする役で、若さまが好きなのですが、若さまはその思いを知ってか知らずか、という役で息もぴったりで見ていて安心感があります。

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振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱「緋ぼたん肌」撮影のころのお話です(2)✱ #2017.10.13

今回は、たわいもないお話です。
1957年頃は、錦之助ブーム、橋蔵ブーム、裕次郎ブームと、この時のスターの世界は時代劇、現代劇を問わず若返りになっていたようです。
映画会社もこれからを背負っていく若手スターをいかに売ろうかと、非常に気をくばっていたようです。
東映の場合、人気上昇中の橋蔵さまに、なんとか新鮮なコンビを作りたいと新人女優を物色?(失礼)していました。その結果、雑誌平凡のミス平凡に選ばれ、1956年に東映ニューフェイスの第3期生であった大川恵子さんにしようとなり、「緋ぼたん肌」で共演することになりました。
早速、このコンビをマスコミのブームにのせることにして、「橋蔵・恵子の大川コンビ」と発表したところ、大変なことになりました。東映にたちまち抗議のファンレター??手紙が殺到したのです。
「大川社長の肝いりだろうと思いますが、私達に黙って私のトミイを結婚させるなんて、もってのほか。夫婦コンビの橋蔵、恵子なんて・・・」といった具合のものが・・沢~山。
当の橋蔵さまは、この手紙を見て、目を白黒させていたとか・・?。
慌てた宣伝部は、「このコンビは姓に関係はありません。漫才でも同姓コンビは他人ときまっています」と苦しい言い訳をしてしまったようです。
や~れ!や~れ!でしたね。

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