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このロケット掲示板の『葵新吾"大好き大川橋蔵ファン広場”掲示板PARTⅡ』と
Rara掲示板『大好き大川橋蔵ファン広場PARTⅡ掲示板』【 https://rara.jp/fanhiroba/ 】は同時進行で運営中です。
使い勝手からどちらも一長一短はありますので、できる限りは同時並行で行くようにしてまいります。
どちらを見ても大丈夫なように管理者が責任をもって投稿記事は双方に分かるように掲載していきます。

🟨この掲示板は無料版の掲示板にしましたので、広告が入りますので見ずらくなってしまいました。ご容赦ください。

編集・削除(編集済: 2023年04月07日 07:42)

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱久しぶりの四方山話です✱ #投稿日2017.7.1

只今、「若さま侍捕物帖・魔の死美人屋敷」の放送中、かけながら書いています。
まだちょっと痩せぎみの若さまですけれど、江戸っ子弁のべらんめえ口調もスムーズで、表情も出てきたので、安心して見られるようになってきました。

橋蔵さまが、映画界に入って、1年以上経った頃の雑誌に「ぼくの食道楽」と言う題で書いたものから私なりにまとめましたので読んでみてください。

この当時は橋蔵さまの自宅は東京にありましたから、独り者の気楽さから一軒家を借りてという気はまだなく、旅館の二階の一間を借りて住んでいた時です。
「京都住まいも一年以上になり、生活の法則もすることが決まってゆくようで、人暮らしのため実に単調でした」と言っています。
多くの時間はスタジオですから寝ることと食べることしか楽しみはないと。
「まず、京都で求めているのは食べ物かもしれない。しかし、食べ物となると、いろいろ好き嫌いがあるし、取捨選択が難しい。」
仕事で追いまくられる京都での生活のなかでは、食べ物に興味の対象をおくことが楽しいし気分を変えてくれる大切なことになっていたようです。

1年ぐらい前(京都に来たばかり)のこと、橋蔵さまが肉好きと知って撮影所の係の人が「カツレツ」をお昼に頼んでくれて、それが大変美味しかった。「明日のお昼も頼むよ」「へい、おおきに」と言う具合で、毎日お昼には”カツ”ばかりを食べていました。そのお昼の”カツ”の常食が半年も続いたのです。そこで「毎日カツばかりでは飽きるでしょう。何にしましょうか」とたまりかねて言ってきたそうです。「何が出るんだい。美味しいものは」と聞くと「エビです」と言ったので、その日のお昼は”エビフライ”が楽屋に届いたそうです。その「エビフライ」がまた美味しかったので、また「エビフライ」を一年間も常食してしまったことがあるということです。「食堂の人はきっとびっくりしたことだろう。じつは我ながら驚いた。」と言っています。
(このことは橋蔵さまが後日、徹子の部屋などでも話したので、有名な話になっています。)
この時期「そんなことは、今ではもうやっていない。いくら好きでもこの辺で結構である。」と橋蔵さまは言っています。

橋蔵様は旅館生活でしたから、朝の食事は宿、お昼は撮影所、夜はどこか美味しいものを求めて出歩くようになっていました。京都の町は狭いので足の向くところは決まってしまったようです。
橋蔵さまは肉好きなので、四条川端の肉のオイル専門の店にはよく行きました。「やわらかい肉を鉄板の上に置き、油で焼きながらたべるのだが、大根おろしをつけながら食べるとたいへんに美味しい。」
祇園の近くの花見小路にある洋食屋で美味しいのは、「コロッケ」「ビフテキ」「水たき」。「どうしても、肉好きの僕であるから、こういうところに落ち着いてしまう。」と言っています。

この2,3か月前から釣りを始めたらしく、桂川に行った時、10センチぐらいの「はいじゃく」という小魚を、川の流れを耳に聞き、舟の上でジュージューという魚の焼ける匂いを嗅ぎながら食べるのが楽しかったようです。
この時、錦之助さんも釣りを始めた頃で、どちらが上手いかを証明するためのコンクールをしていたそうな。
「普段の生活が忙しい僕たちであるから、たまの暇をみつけて釣りに出かけることは空気もよいし疲れを取ってくれるので、一石二鳥の楽しみだ。」

「京都生活は、だいたいこんな余暇を楽しんでいるが、食べることと眠ることが一番の愉しみになってしまうのも、忙しいせいと一人暮らしの「つれづれ」からだろう。ひとり暮らしの便利なことは、思い立った時にしたいことができることである。」と言っています。

夏の京都は、とりわけ暑く夜などなかなか寝つかれない蒸し暑い日が続くことが多いですから、橋蔵さまはそんな時、京都から車で30分の山中越えに、ひとときの涼を愉しんだようです。その峠には展望台があり、そこからの夜景がとても美しいかったと言っています。
「その展望台の一隅に、くっきりと浮かぶだらりの帯姿の舞妓さんでもいようものなら、これは天下の絶景である。だらりの帯の舞妓さんはいつどこで見てもいいものだ。」(うむっ、橋蔵さま・・・)

祇園の近くにある喫茶店にもよく行ったようです。
夜12時以降に行くことが多かったようですが、このお店は遅ければ遅いほど、舞妓さんがやって来てにぎやかなことが京都で有名な店だったそうです。
優しさのある京言葉と京らしい風情を眺めながら「コーヒー」や「ハイボール」を注文し、友人と談笑するのもなかなかよいものだったようですが、夜遅くなると映画人が多く、「「やあ、お疲れさん」と、必ずこの店には知った人がいて、まずもってここへきて退屈したことはない。」と橋蔵さま。

こんな風な毎日で、映画スターとして賑わしてきた橋蔵さまの京都の2年目が過ぎていったのですね。

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振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱62年企画にあがった予定作品見たかったな✱ #投稿日2017.6.24

橋蔵さまは、1961年には、シリーズもの「新吾二十番勝負第一部、第二部」「若さま侍捕物帖 黒い椿」オールスター、セミオールスターもの「赤穂浪士」「幽霊島の掟」大友さんとの共演「南蛮鮫」「濡れ燕一刀流」そして橋蔵さまの娯楽作品として「江戸っ子肌」「富士に立つ若武者」「月形半平太」「橋蔵の若様やくざ」といろんな役柄で私達を楽しませてくださいました。
このころ、先日書きました1962年の橋蔵さまの公開予定の企画作品がでていました。
毎年そうですが、企画に上がってもいくつかは没になってしまうものです。今月と来月の東映チャンネルでの橋蔵さま作品は、ちょうど62年に封切られた「美男の顔役」と「まぼろし天狗」がありますので、この時期に没になった作品を見つけてみました。

61年後半、「赤い影法師」と「美男の顔役」の公開が予定され、この後待ちに待った「恋や恋なすな恋」の撮影に入ることが決まりました。その間に本当は舞台劇「なよたけ」だったのが「恋や恋なすな恋」が1月から撮影に入ることが決まっていたので、同じものが続いてはということで「天草四郎時貞」が撮られたようです。
橋蔵さまは、毎年お正月は地方ご挨拶の巡業が入っていましたから、橋蔵さまが本格的に「恋や恋・・」に取り組んだのはその後からになりました。相手役は岡田茉利子さんでと言う話が大々的に出た時、五社協定でだめになってから随分経ちました。
改めて相手役を探すまでに時間がかかりました。
「恋や恋・・」は人形浄瑠璃の「蘆屋道満大内鑑」(あしやだうまんおほうちかがみ)と清元の「保名狂乱」をもとにした大作です。「保名狂乱」の場面は歌舞伎の『保名』そのもの、ラストは歌舞伎の『蘆屋道満大内鑑』そのままの保名と葛の葉狐が暮らす庵の場面になり、映画の中に歌舞伎そのままの舞台が出てくるということで、歌舞伎の知識があれば分かりますが、ないと理解に戸惑ってしまうかもしれない作品でした。

「恋や恋・・」の時に橋蔵さまご自身でも、次の企画作品には名古屋山三と出雲お国とのラブロマンスの「戦国若衆」に入ることになっているといっていたのですが、消えてしまいました。
そして、62年には大作企画作品の予定がずらりと上がっていたのですが・・・。

このようなものが上がっていたはずです。
松山善三さんの脚本、家城己代治監督で徳富蘆花原作「灰燼」(かいじん)
西南戦争をバックに、近代日本のあけぼのに散った青春像を描いたもの。橋蔵さまの魅力の憂愁さを生かせる作品となるのでは・・と言われていました。

小国英雄さん脚本で「静かなる大地」
北海道を舞台に大部分を北海道ロケでという、脱藩者とそれを追う二人の侍の男の友情を描いたもの。
橋蔵さまが脱藩者で、それを追う侍役には用心棒、椿三十郎と時代劇に出演していた仲代達夫さんが予定されていたようです。
橋蔵さまは仲代さんとの共演はなかったですね。錦之助さんは仲代さんと映画で共演しているのですよね。

「新吾二十番勝負 完結篇」
新吾シリーズもこれでお別れとなり、武田一真との対決はどうなるのか、お鯉の方と親子の対面は出来るのであろうか、気になるところでしたね。これはちゃんと1963年に作品になりました。

大屋典一原作の「孤雁」
一刀流の伊藤弥五郎のちの伊藤一刀斎と柳生石舟斎の宿命の対決を描いたもの。
橋蔵さまの新しいシリーズものとして期待して企画されたようですが、この映画は1963年に松方弘樹さん主演「孤雁一刀流」で映画化になりました。

王朝ものとして、前々から話が出ていて1961年に実現できなかった「源氏物語」や室生犀星原作の「山吹」や円地文子原作「やさしき夜の物語」」そして舞台劇「なよたけ」などが予定作品にあがっていたようです。

現実は厳しいものですね。橋蔵さまの役柄も思いもよらぬ方向に傾き始めてしまったのです。ということで、過ぎ去ってしまったことは仕方のないこと、でも惜しかったですね。

さあ、気を取り直して、橋蔵さまが私達に残してくださった作品を、思いっきり堪能いたしましょう。

私も、橋蔵さまの作品について一生懸命書いていきます。
ブログの方は、次回からは第23作品目「若さま侍捕物帖 深夜の死美人」に入ります。これからの作品は、どんどん橋蔵さまの魅力が画面いっぱいに映しだされていくものばかりですから、一作品一作品を細かく見つめて、気を引き締めて書いていこうと思います。
皆様もテレビ放送やお持ちになっている作品で、橋蔵さまの笑顔と爽やかさで、うっとうしい気候を乗りきりましょう。

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振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱ 異色作品の企画はすべて×に✱ #投稿日2017.6.15

「まぼろし天狗」喬之助のニヒルさといい目の使い方といい、素敵ですね。
周馬もうぶな風でよいのですが、私もやはり喬之助の方がよいですね。

「まぼろし天狗」・・私はやはり何回見てもここは捨てられないところです。
逃げ込んで来た周馬をかくまい通すときの喬之助。
細い崩れ落ちそうな橋の上での不気味な按摩との凄絶な立ち廻り。
すれ違いざま、仕込杖から白刃をひらめかして斬りつける按摩を一刀の下に切り倒す凄絶な立回りが、橋蔵さまが今まで見せなかったスピーディーな立回りで息を飲みます。
暗闇でやくざ達に襲われるが、掘割に叩きこんで「そこでしばらく頭を冷やせ」と言って小唄を歌いながら行くところ、良いですね。
周馬に惚れているお艶を周馬になりすました喬之助が騙していたが、落ちた洞窟で周馬と思い愛を打ち明けるお艶が喬之助の体にもたれかかった時、違うと分かる場面・・橋蔵さまと桜町さんのくどくない絡みも良いところですね。
この場面の前後で喬之助が着ている着物の柄・・・素敵ですよね。よ~く見てください。さすが、橋蔵さまは着こなしてしまいます。

前にも書きましたが、この時の橋蔵さまは、「橋蔵のやくざ判官」をそろそろ撮り終えるころで、6月の暑い日に作品の最終で見せる立回りときちっとした紋付き長袴でのお白洲の撮影、そして東映歌舞伎の打合せと忙しい時でしたね。
「天草四郎時貞」「恋や恋なすな恋」と芸術づいた橋蔵さまが、娯楽時代劇に戻った1962年8月の作品です。まだ、1962年は橋蔵さまの作品も良かった。この後から、時代劇のたどる方向がおかしくなっていきます。橋蔵さまが演ずるような綺麗な時代劇では映画館にお客様が足を運ばなくなっていきます。
そこへもってきて「天草四郎時貞」は興行失敗 。この作品の失敗で、大島渚監督は映画界からしばらく遠ざかりテレビ界に移ったはずです。
本当は、松竹から東映への移籍しての橋蔵さまで撮る第一作は秋ごろに撮影に入る戯曲で有名な「なよたけ」だったらしいです。でも、「恋や恋・・」が前もって決まっていたので、同じような作品が続いてやってもということで没になったようです。

京の都に住む青年の文麻呂は、ある日友人から恋の悩みを打ち明けられるが、文麻呂も友人が恋している人に恋してしまう。
この腕になよたけを抱いたは夢なのか?若者の愛と幻想から生まれた「竹取物語」。
日本最古の創作物語である「竹取物語」はこうして生まれた。作者未詳の、いわゆる「かぐや姫」として親しまれている物語は、いったいどのように生み出されたのか。石ノ上ノ文麻呂という青年の魂の彷徨を、みずみずしく豊かな想像力で構成したものがたり。現実の人生のなかで現身のなよたけを失うものの、「竹取物語」を完成することによって、永遠のなよたけを手にいれる・・・・。
この作品であったらどうだったのでしょうか。
この作品で大島監督が橋蔵さまの魅力をどのように描こうとしたかは分かりかねますが、「天草四郎」のようにはならなかったのではと・・・。この作品が映画化されていたら、その後の橋蔵さまの作品はどのように変わっていったのでしょう・・・。見てみたかったです。

1962年後半から、橋蔵さまに予定されていた異色作品が5~6つ候補がありましたが、全部作品にはならなかったと思いますが。どんな原作が候補に上がっていたか、そのうち何かの機会に書きますね。
題名から、原作から、素晴らしいものがありましたのに残念でした。どの俳優さんも同じですが候補作品は幾つあっても、脚本がうまく作れないものは商品になりませんから。

私は、今日はリアルタイムで11時から「血槍無双」見ていましたら、ちょうど吉良邸討入のところで会社の子が来まして、この作品を見たいと言いますので、急ぎの仕事が一段落したところで「血槍無双」を一緒にもう一度見て過ごしました。
十平次が吉良の思い人お欄のもとへ行き、吉良が松坂町にいる日を聞き出すために、お欄の愛に答えようとしたところまで・・やはりここまでが私の好きなところです。夜泣きそば屋としての町人の町人言葉と所作、武士と分かっての町人姿での言葉と所作は、橋蔵さまの素晴らしいところですもの。ここは何度見ても飽きません。

画像は、「血槍無双」から町人としての平次(十平次)です。橋蔵さまのこういう感じいいですね。
(画像の上に👆が出るものはクリックすると違う画面でも見ることが出来、拡大されている画像もあります)

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✱茶飲み話で~す✱ #投稿日2017.6.13

茶飲み話🍰☕ 、 ・・です。その当時、う~ん、いつ頃だったでしょう。👂耳 にしたお話の一つから。

大川橋蔵の”刀折れ剣法”と呼ばれた剣法があったことをご存知でいらっしゃいますか。
抜けばピカリと光る竹光を、上段、下段に振りかぶり、バッタバッタと悪人どもを斬り捨てる大立回りのシーンが続いていくと、力余って刀がポキリ。
「はい、お代わりを・・」と受け取ってしばらくするとまたポキリ。それをを称して”刀折れ剣法”といったらしいです。
この剣法が始まり出すとスタッフ一同の神経もピンと張りめぐらされたというのです。
折れてはすっ飛ぶその竹光に異様な迫力がみなぎっているから、斬られ役の人達も殺気を感じてピクリとしてしまったそう・・・??ですよ。

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✱地方公演ご挨拶からのひとこま✱ #投稿日2017.6.2

今日も昨日と同じく突然の雨、雷、竜巻と、どこで起きるか分からない天候のようです。いよいよ6月梅雨がそこまでやってきています。晴れ晴れとした気分で過ごしたいものです。
そうそう掲示板に掲載しようと思っていて、雑用が多く忘れていました。
「修羅時鳥」の撮影が終わった、1957年2月初め、橋蔵さまこの時の恒例の地方公演は・・北陸金沢のご挨拶でした。
橋蔵さまを迎える2、3日前から雪が降り積もり、大雪になるのではと、現地では心配していたようですが、当日はからっと晴れわたり良い天気になりました。
橋蔵さまは、福井からタクシーで金沢入りしたので、ゆっくり雪景色を見物出来たのは嬉しかったが、泥んこドライブウェイのため、体のスプリングがおかしくなってしまった、と橋蔵さま得意の・・調子で言っていたそうです。
キャーという声援が飛び交う中、橋蔵さまは紺のダブルに蝶ネクタイで現れました。終始ニコニコとファンに接しました。
ブログにもちょこっと、国際劇場のあと、京都へ向かう夜行列車で指をちょっと怪我をした事を書きました。
司会者の方が、その指の怪我について聞いたそうです。すると、橋蔵さきはユーモアたっぷりに「寝台車では眠れないので、ちょっぴりウィスキーを飲んで良い気持ちになり、窓を閉めようとした拍子に手を挟んでしまった」と答えたそうです。いろいろお話して最後に、「りんご村から」(三橋美智也)と「江戸っ子囃子」(大川橋蔵)を歌ったようです。
画像は
控え室で開演を待つ橋蔵さま。
舞台で花束をいただき満面の笑みで答える橋蔵さま。
旅館で寛いで東映制作部長とメイ人戦中の橋蔵さま、果たして結果は・・?
(窓から見える庭は雪景色ですが、部屋の中はあったかそうだということが橋蔵さまのお顔から察しられます。)
(画像は古い資料からなので見ずらくてごめんなさい。画像は金沢ご挨拶からのもの)

そのご挨拶から京都へ戻ってすぐに「鮮血の晴着」の撮影に入りました。
クランクアップ(2/24)の予定があるので、京都独特の芯まで冷たくなる底冷えに悩まされながら連日夜間撮影が続いたそうです。
作品を見ていても、白い息がはっきりと見えて寒そうなのがわかります。

「修羅時鳥」では、橋蔵さま立回りはよくなってきているのが分かります。でも、当時はやはり喜怒哀楽の表情にちょっとまだ納得出来ないものがありましたね。喋る前に口をあく癖は少しなくなってきましたがまだ見ていて気になる時期です。そして、歩き方、綺麗なのですが、ちょっと跳ねるようなところがありました。武士としての完成度はまだまだ。次の若さま侍捕物帖は、橋蔵さまのよいところが発揮でき、橋蔵さまも安心して取り組めるもの。「鮮血の晴着」での橋蔵若さまの成長に期待してじっくりいま見ています。

(画像の上に👆が出るものはクリックすると違う画面でも見ることが出来、拡大されている画像もあります)

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✱「レジェンド・トーク 松方弘樹」から(1)✱ #投稿日2017.5.27

皆様は見ましたでしょうか、橋蔵さまには関係ないから見なかった?かしら。
今月東映チャンネルで再放送「レジェンドトーク」の松方弘樹さんのものをやっていたのですがどうしても放送時間を忘れてしまい、ぎりぎり夜中仕事をしながら見ることができました。松方さんですと、時代劇のお話も出てくるのではないかと期待を持って・・・橋蔵さまのお話も出てきましたので見てよかった。中村錦之助さんを錦兄と慕っていた松方さんですから、錦之助さんとのお話が多いのかと思って見ていた(聞いていた?)のですが、今回のお話は多面に渡ってのものだったので、楽しく途中笑ったりして面白く聞いていました。(急いで書きましたので、誤字脱字がありましたらゴメンナサイ。)
1時間ものから、時代劇に関するところを私なりに編集して書きました。短くしようかと思いましたが、橋蔵さんのこと、東映時代劇のことなど面白いこと言っていましたので、長~くなってしまいました。
松方さんの話した通りを基本にして載せました。(うまく伝わればよいのですが。)
松方弘樹さんの父親は近衛十四郎さんということは、皆様ご存知でいらっしゃいますね。
松方さんは、歌手志望で、父親と親友の上原げんとさんの教室で歌の勉強とカバン持ちをしていて、歌手としてのデビューも決まっていたそうです。
17歳の時、近衛さんについて出かけて行った時、大川博社長から声をかけられ、1960年現代劇「17才の逆襲暴力をぶっ飛ばせ」でデビュー。歌手希望だったので映画には全く興味がなかったそうです。

司会者のこの映画の中で2曲歌っていますから、それはそれでよかったのでは、という問いに、当時映画で歌を歌うのが流行っていた。東映では、はしりは高田浩吉さん、鶴田浩二さん、美空ひばりさん。
歌を歌ったことがない錦之助さん、橋蔵さんも歌わされ、当時は映画と同時に歌をやらされていた。

当時の映画は1時間20分ものと1時間ものの2本立て。撮影日数が少ない時間で撮るから朝から夜中までと、家にも帰れない日が続く。とんでもない会社に入ったと思った。
・・・・・・・・・・・
現代劇で時代劇の扮装をするシーンがあり、カツラをかぶったら似合うということで大泉から太秦にスカウトされ、18才で京都太秦へ。その当時、京都と大泉を行き来して両方に出ていたのは千恵蔵御大とひばりさんだけ。
・・・・・・・・・・・
撮影所の規模的には、大泉が3人とすると太秦は15人いた。
大泉には・・・高倉健、水木襄、大村文武、梅宮辰夫、千葉真一、曾根晴美がいた。まだ鶴田浩二は東映に入っていない。
太秦には・・・千恵蔵御大。右太衛門御大、中村錦之助、大川橋蔵、東千代之介、高田浩吉、近衛十四郎、月形龍之介、大友柳太朗、そうそうたるスターがいた。
一年両方で192本撮っていて、そのうち太秦の方は130~140本撮っていた。
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🐧<錦之助、橋蔵との思い出は>
錦之助さんのセットは時間があったら、ほとんど見に行ってました。。
橋蔵さんは、セットは勿論見にいったし、よ~くお風呂で会いました。
撮影所の1階のお風呂は、いろんな方が入れるようになっている。2階の部屋は俳優会館というのがありまして、2階のお風呂に入れるのは、レベルが上でないと入れない。(当時松方さんはかろうじて2階のお風呂に入れてもらえたそうです。)
松方さんが入っていると、橋蔵さんが「入るよ」と言ってよ~く一緒になりました。
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🐧<ここから東映歌舞伎の話が出てきます>
橋蔵さんには、その当時、明治座で東映歌舞伎というのをやっていて、橋蔵さんが座長として、千恵蔵、右太衛門の両御大が出るし、大友さん、高田さん、近衛さんも出るし、昼夜で6本出し物がありました。
舞台のお芝居のことは、橋蔵先輩から、いろいろ教えていただきました。怒られもしました、もちろんね。
(舞台で)橋蔵さんが何か(セリフですね)を言った時に、うなずいて(松方さんは)リアクションをするわけです。映像の世界なら当然なのだけれど、お芝居の世界では、橋蔵さんがお芝居をしている時に、僕(松方さん)がもし動いたらお客さんの目はピューンとこっちにくるんですね。鼻がちょっとかゆいなと思っても、自分のセリフまではじっとしていなければならないし・・・。
橋蔵さんに言われたのは、
「弘ちゃん、よけいな動きはしちゃダメよ。ぼくがちゃんと弘ちゃんにセリフを渡してあげるから、そしたらあんた十分芝居やりなさい」
歌舞伎を観ていると、それの繰り返しなんですね。ですから、舞台の芝居というのは、大川橋蔵さんに教えていただきました。
映画、テレビとは全然違いますから、それができないと行儀が悪い俳優と言われます。(松方さんの言うことにうなずいたりしている司会者に)、でも、普通は、うなずいたり、リアクションしてしまうでしょう。僕(松方さん)がこう喋っている時に、じっと聞いていなけりゃいけない、息もしちゃいけない、まばたきもしちゃいけない、舞台ってすごく大変なんですね。
そういうことを、大川橋蔵さんには、ほんとに教えていただきました。
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東映歌舞伎のお客さんの入りは、多分明治座の歴代№1でしょうね。扉が閉まらなかったですから。(消防法が今のように厳しくなかった頃の事ですから)
あの当時の映画館でも扉が閉まらなかった。スターさんがとんでもない数で出ているわけだし、スクリーンでしか見られない人がライブで見られるわけですから凄いですよね。
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🐧<舞台でのエピソード>
大友柳太郎朗さんのいくつもあるエピソードから2つ。
◎大友さんて、ちょっとおっちょこちょいでして、舞台が花道から90度曲がっています。
丹下左膳で90度片手片目では曲がれないので桟敷に入ってしまう。どうしても、曲がれない人なんです。毎回桟敷に落っこちるんですが、ある時そこにおばあちゃんが座っていて、おばあちゃんの上へ乗っちゃったら、おばあちゃんろっ骨折っちゃって、休憩になって、救急隊がきておばあちゃんを運んで、そのあと舞台が再開した。
◎ 本舞台に大川橋蔵さんと桜町弘子さんがいたんですね。二人ですから・・
大友さんが、花道の七三でぱっと「しっかり握ったその手と手、けっして離すんじゃねえぞ」というセリフです。
二人しか舞台にはいませんから・・、大友先生は毎回ですよ、「しっかり握ったその手と手と手」・・・三人いるんですね。
あとで頭取がきて、毎回
頭取「大友先生、すみません」
大友「はい、なになに」
頭取「あそこのセリフは、しっかり握ったその手と手、でお願いします」
大友「うん、わかったわかった」
返事はいいんです、すごく。でも毎回「しっかり握ったその手と手と手」と言うんですよ。
橋蔵さんも舞台で(くっくっく・・)体が揺れてんのね。
本人は大まじめです。お客さんは気がつかない。30回やって、お客さんは誰も気がつかない。でも、裏方と楽屋にいる僕たちはくっくっくと笑っているわけです。
あまりにも面白すぎて嘘みたいな本当の話ではあります。
・・・・・・・・    ・・・・・・・・
🐧<ここから立回りのことについて>
立回りの特徴的なのは、月形さんほか2名あげました。剣の速さは近衛さんが一番速かったかなと思っていると言っていました。
近衛十四郎さんは、我々が使う刀より20㎝長いものも使っていました。
柳生十兵衛の時、1カットをやるのにわれわれが殺陣師と30~40回やらせてもらうのを椅子に座ってみているだけ。僕に頭に入ったかと言って、本テスト1回、「軽くあわすだけだぞ。はいっ、ここは曲がって、1234、ここは速いぞ。ここまたちょっとあって、5678910は速いぞ」と言いながらやっていて、すぐ本番なんです。
なんでこんなに速く覚えられるのかなと思ったら、
「刀は見ていない、足をみている。足をみていたら自然に手(刀)はついて来る」
刀は振り用は米の字しか振りようがない。あとは突くしかない。足はいろんな動きがある。
・・・・・・・・     ・・・・・・・・
🐧<ここで、斬った時の格好について>
(ここで、松方さん、立ち上がり動作を実演してみせますので)
普通こう切った時はこのようになる。
大川橋蔵さんの場合は逆足で、
こう斬ったときに、普通はこうなるわけですね。近衛さんにしても俺にしてもね。
(1の画像)
橋蔵さんはそうじゃないんです。こう斬るんです。(2の画像)
(司会者「あぁー」
着流しの時の格好がものすごくいいんです。
勿論、普通に斬った方が男っぽいんですけど、着物が割れて太ももが見えたりして・・(司会者「はいはいはい」) (3の画像)

✱「レジェンド・トーク松方弘樹」から(2)✱ #投稿日2017.5.27

「レジェンド・トーク松方弘樹」から(1)からの続きになります。
勿論、普通に斬った方が男っぽいんですけど、着物が割れて太ももが見えたりして・・
  ⇩
橋蔵さんは必ずこう、(4の画像)で、こう(5の画像)、こう(6の画像)。
(司会者、なるほどといったように、松方さんの動きのポーズに「あー、あー、あー」)
こういう違いがあって、それはそれぞれ俳優さんで自分の型をもっているんですね。

当時、剣会も120人ぐらいいて、千恵蔵御大に絡む特A10人、右太衛門御大に特A10人、ABCDといって10人ずつ10組。最後の20人は死骸専門。大部屋の人達も何百人といましたが、駕籠かきは専門の駕籠かき、お小姓さんは専門のお小姓、どの作品を見ても決まっている。プロフェッショナルの集団だった。

ということで、時代劇についてのお話は終りになりました。
昔の東映時代劇撮影所の様子を語れる唯一の東映スターがいなくなってしまいました。

(画像の上に👆が出るものはクリックすると違う画面でも見ることが出来、拡大されている画像もあります)

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✱素敵なやくざ姿をまたまた見てしまった「大喧嘩」✱ #投稿日2017.5.24

「大喧嘩」をリアルタイムで見ていました。
何回となく見ていますので、流れは追っていますが、自分の好きなところ、見たいところは分かっていますので、見逃さないようにテレビに集中します。

それにしても、ラストの田んぼの中や、道をかけながらの大立回りは、どこまでが打ち合わせなのか、大変ですね。逃げながらの立回りは追う人達がいますから、走って逃げる橋蔵さまも転んだり、斬られたり、足げりされたりと大変です。コマ撮りでもどこまでが台本があってのことなのかどうかは・・・。血塗れで何回見てもこの場面は綺麗ではありませんが、臨場感があり橋蔵さまと一緒に逃げている気持ちになってしまいます。
橋蔵さまのやくざ姿は、若い時から年を重ねてからも素敵です。
ラスト立回りから、画像のグレーで囲んだ人が橋蔵さまです。

(画像の上に👆が出るものはクリックすると違う画面でも見ることが出来、拡大されている画像もあります)

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✱土日、久しぶりにじっくりと橋蔵さま✱ #投稿日2017.5.21

土曜、日曜と頑張って橋蔵さまにリアルタイムでお会いしました。DVDを出してこなくてもどれを見ようか考えることもなく、自分ではなかなか見ることがない作品も、こうして見ているといいものです。
昨日は、あまり休憩のない感じで、16時から22時半まで続けざまでした。
新吾十番勝負第一部から完結篇と若君千両傘。本当に久しぶりの新吾十番勝負を通しで・・・テレビ放送はスキップや早回しができませんから、それはそれなりに。

私にとって”新吾”は大大好きという作品ではありません。ちょこちょこと感心できないところがあるもので、手放しに好きだとは言えません。どうしても常に見たいというものではないのです・・・どうしてかな~ぁ。今月はもう一回見ることができますので、橋蔵さまの当時と私自身が当時として見た時にはどうなのだろうと、検証?してみたいと思っています。

今日日曜は「荒木又右衛門」でした。
内容が仇討ちものですから笑みを見られる場面は少ない。その中で、ここ・・・
(右上の画像)・・仇討ち前夜、甚左衛門がルートを変えたのを考えて「狙いは他にもある。無益な駆け引きは止めて、いっきに勝負をつけようと言う魂胆だ。それがこの逆戻りとなってあらわれた」と相手の動向を見抜いた又右衛門の表情どうですか・・ちょっと笑いを浮かべ・・よいでしょう。
(右下、左の画像)・・鍵屋の辻の茶店で、数馬にいわしを食べるように言って、数馬が食べると、「首のないイワシか。又五郎討ち取ったぞ」と言って笑みを浮かべます・・この時の笑み、本当に良い。今まで堪えていたものが、決戦を前にして・・やっぱり橋蔵さまだ、と愛しくなりました。(この笑みが素敵なのです、橋蔵さまなのです。・・何度見てもこの笑みに救われます。)

この作品では、目の動きも抑えています。じっと目が動きません。目を見開くか遠くを見るような眼差し、そして伏し目がちがつづきます。でも、茶店で甚左衛門と又五郎を待つときに、数馬が震え出したところから、橋蔵さまの目が動きだすのです。あっ、これから橋蔵さまの違う場面が見られるのだな・・とわくわくしてきます。
血が飛び散るたちまわりの場面ですが、殺陣が素晴らしいし、橋蔵さまの殺陣が綺麗なので残酷さは感じません。

(画像の上に👆が出るものはクリックすると違う画面でも見ることが出来、拡大されている画像もあります)

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振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱「修羅時鳥」本番前のある表情✱ #投稿日2017.5.19

5月も半ばを過ぎました。ここ数日寒気が日本列島を暴れまくっていたと思うと、今日から数日夏の気候がやってくるようです。梅雨も目の前までやって来ているし天候が読めなくなっています。皆様、体調にはお気をつけください。
私も忙しく仕事に追われていて、脳裏から橋蔵さまがちょっと遠のいていました。やっと一段落しましたので、橋蔵さまを想いながらの毎日で行きたいと思います。
ブログの方も「修羅時鳥」について書き終えましたので、よろしければ読んでみてください。寒い中でのロケ撮影、橋蔵さまご苦労様でした。

「修羅時鳥」の荘太郎が処刑場面の撮影時の時の橋蔵さまのスナップを載せますね。(撮影者はマネージャー)
✎(コメントは私が橋蔵さまを感じて書いてみました。)

右下の画像・・・馬に乗り処刑場に向う時の撮影前、橋蔵さまニッコリして・・いざ・・刑場へ。橋蔵さま、そろそろ神妙な顔をしてください・・ご出馬です。

右上の画像・・・カメラがまわる前、メーキャップを念入りになおします。橋蔵さまは女優より鏡を見るのが多いといわれていました。橋蔵さまのカットの合間のお化粧
直ししているところの写真て多いですよね。お化粧の崩れには人一倍神経を使っていたのです・・・荘太郎、処刑の時でも綺麗な顔で・・武士のたしなみですね。この後、はい本番でカメラがまわり、橋蔵さまのアップになるわけですね。

左の画像・・・監督と打ち合わせをして、処刑の場面。おや、橋蔵さま長い舌をペロリと出し、後ろにいる方も少しニヤリとしています。何かあったの?どうしたの?・・橋蔵さま?・・何があっても動じない、余裕ですね。

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振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱不知火新三の化粧は納得出来なかった箇所あり✱ #投稿日2017.5.11

今日明日の日本列島は夏がやって来たような気候のところが多かったようです。
東映チャンネル5月放送の橋蔵さまの作品はひと通り見ることが出来ました。

「不知火小僧 鳴門飛脚」は兎に角、大衆娯楽作品。ひょうきんな面もあり、にっくきと言うまでの悪役は出てこない、楽しめる作品ですね。お夏坊を阿波まで連れて行く破目になった不知火新三が、お夏坊が持っている書付をめぐっての痛快篇。頭の中を空っぽにして見られる作品です。
私は、この作品を以前にも見ているのですが、どうしてもこの作品の橋蔵さまのお化粧が前後の作品と違って強調されて、数か所気になるところがあるのです。ちょっと白塗りが強く写っていますので、余計に強調されてしまったのでしょう。カラー映画はこの頃には定着していると思うし、採光の計算もしているはず、この作品はそういう意味から少し???があるように思えました。どうしてもその点が何回見ても私としては見ていて気になってしまうのです。(「旅笠道中」の場面にも、二カ所ぐらい気になったところがありましたが。)橋蔵さまは、それはとても綺麗なのですよ。

橋蔵さまは被り物がよく似合いますから素敵です。特に義賊の被り物は今までにも見ていますから、皆様もあのような感じねとお分かりいただけると思います。
黒装束の義賊での走り方、忍び方は、橋蔵さまは決まっています。カッコいいでいね。
つけてくる侍を撒くために木の上にも。
作品の中ではちょっとですが、大阪商人や白鬚の老人と変装をして私達の目を楽しませてくれます。
そして、この作品でも走る走る。タフな橋蔵さまです。

「若君千両傘」は「鳴門飛脚」より前の作品で、これも花園ひろみさんとの共演でした。この二作品を続けて見ていますと、「若君千両傘」の方があとの作品のように感じてしまうのはどうしてでしょう。
オールスターの「忠臣蔵」の出番としては美男であったという岡野金右衛門は橋蔵さまには妥当な配役で、安心して見ていられる作品ですね。
皆様は、連休から、橋蔵さまとの時間は作ることができましたか。

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