このロケット掲示板の『葵新吾"大好き大川橋蔵ファン広場”掲示板PARTⅡ』と
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どちらを見ても大丈夫なように管理者が責任をもって投稿記事は双方に分かるように掲載していきます。
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✱それぞれに思うこと✱ #2020.2.25
蜷川幸雄さんが橋蔵さまについて書かれていた内容は私も読んでいます。
橋蔵さまが、もう少しこの世にいらしたら蜷川さんの演出で世話物の演目や思いもよらぬものがなされ、大川橋蔵の魅力が倍増していたかもしれませんね。銭形が終了した翌年からは、舞台出演のオファーも来ていたようですから、橋蔵さまはさらに今まで踏み入れることが出来なかった分野への意欲を燃やしていたことでしょうし、ご本人は本当に残念で悔しかったことでしょう。私たちファンもその分野を期待していましたね。
橋蔵さまは作品の中で、端唄、小唄等口ずさむ場面が多々見受けられましたね。小唄は習いおばあさまに聞かせていたようですから、節回しはお手のもの。
その意味で、作品「花吹雪鉄火纒」「「いれずみ半太郎」「用心棒市場」での中の歌声は橋蔵さまらしく、あっているかな。
惜しかったのは「月形半平太」の詩吟のところ。橋蔵さまはこのために詩吟の稽古はして吹込みはしたはずです。ただ、詩吟は難しいもの、練習時間が足らなく、最終的には
別人の吹込みをかぶせて完成にいたった作品になりましたね。歌いながらの殺陣のところは、どうにかして橋蔵さまの声でやれたらよかったのにね。
レコード吹込みの感じでちょっと・・・橋蔵さまはやはり歌っていると、声の出し方節回しにちょっと声が太くなるところがあり、長年習ってきた謡の調子が出てきてしまっているように思えます。「泣きとうござんす」は、その歌い方をしないような曲調で作られているように思われるのですが、そのため鼻歌のように軽く歌いすぎて、メリハリがなく、ご本人も情けないと言っていたような感じになりました。
声がよさそうだから歌を・・?人気があれば、歌わせよう・・そうはうまくはいかないのものです。歌を聞いてゲンメツを感じた俳優が沢山います。
現在でもそうですね。視聴率を取るために若者達に人気の歌手をドラマに。
橋蔵さまの雪之丞は少し暗い感じが強く、反対に闇太郎は橋蔵さまの得意中の得意の軽妙さと明るさで見てても気持ちが良い。私はダンゼン闇太郎が好きです。
橋蔵さまが「雪之丞変化」の作品の中で口ずさんでいるところは、皆様もお分かりと思います。小説では、あのような情景での口ずさみではないようです。
吉原冠り、下し立ての麻裏の音もなく、平馬の後からついて行く闇太郎、河岸は暗し、頃は真夜中、いい気持ちそうに、弥蔵をきめて、いくらか、しゃがれた、錆びた調子で、 ・・・
たまさかに 一座はすれど 忍ぶ仲
晴れて 顔さえ 見交わさず まぎらかそうと
やけで飲む いっそしんきな 茶碗酒
雪になりそな 夜の冷え
などと、呑気そうな、隆達くずしが、しんしんと、更け渡るあたりの静けさを、寂しく破るのだった・・・とあります。
隆達とは小唄の隆達節のことになります。
小説「雪之丞変化」は歌舞伎「白波五人男」の弁天小僧や「三人吉三」のお嬢吉三からヒントを得た創作もので、長谷川一夫さんの三部作で映画化され、このときの主題歌が「むらさき小唄」でしたね。甘美な歌舞伎の世界を背景に、侠盗や女賊や将軍の寵姫などを縦横に活躍させて飽きさせず、また日本人の好きな仇討ちものとくるのですから最高の大衆小説。千代之介さんのデビュー作品で「雪之丞変化」3部作を撮って時期が経っていない時でしたし、橋蔵さまの年齢からしてあの時を逃しては・・だったのでしょう。それにしても大映で大ヒットした「雪之丞」を新人デビュー作品として持ってきた東映にはびっくりしたことでしょう。これだけのスケールの大きい物語はやはり85分では完全に伝わってはきません。そのため、橋蔵さまの作品の内容は、大分筋書が変わっていますし、コンパクトにおさまってしまっています。橋蔵さまだけを見ているのだからいいのよ・・・という人もあったでしょう、・・というより、そういう人が大部分だったのでは・・と思います。今になれば、雪之丞と闇太郎の絡みがもっと見られるしっかりとしたストーリーでの作品が残っていれば・・・・また何かが違っていたかもしれません。
✱ご挨拶✱ #2020.1.1
今年も、皆さまと橋蔵さまのお話を、ざっくばらんに楽しく語り合える掲示板にしていきたいですね。どうぞよろしくお願いいたします。
私は転居したところで初めてのお正月を迎えました。昼食にお赤飯、お雑煮、おせちが少しずつですがでてきました。
ご来光はベランダが西なので見ることは出来なかったですが、富士山のてっぺんが少し見える部屋なので、ああ太陽が当っていてきれいだろうなあ、と思っていました。
テレビの生中継でWダイヤモンド富士を見ることができ満足としました。
皆様の中には、2020年の年明けを「銭形平次」の放送で迎えた方もおありだったのではないでしょうか。
残念ながら私はCSを見ることができない環境にあるため、橋蔵平次さんと一緒の時間は持てませんでした。
でも、見たいテレビもないので、ブログに載せる作品を見て、先へ先へと進んでおこうと思い、
”美しき大川橋蔵”私の想い出のほうは、掲載は先になりますが、「恋山彦」の構成に入ったところです。「新吾十番勝負第一部と第二部総集版」の構成で、画面から消失しているところの構成をどのようにしていこうか、と時間がかかってしまっていたのですが、やっと「恋山彦」までストックできそうです。
心の軌跡・忘れえぬ人*大川橋蔵*のほうの雑誌は1959年1月号までは整理ができストックOKです。
雑誌掲載記事は、私の手元にはほんの一部しかないのに・・・当時雑誌を買っていた人は大変だったと思いますね。
今年掲載できればなあ・・・と思っているのは、近代映画の作品特集版をあげていきたいことです。お時間の許す限り気長にお付き合いください。
今年も橋蔵さまの作品が多く放送に流れますように期待して。
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✱橋蔵さまの素敵さは・・・✱ #2019.11.19
東京では、気象庁の予想で、こがらし1号が吹きそうだといわれながらまだ吹いていないのですが、そろそろ吹きそうな寒気が日本列島にかかってきています。
インフルエンザも流行し出しましたから、健康には気をつけることにいたしましょう。
橋蔵さまの素顔の素敵さについて・・・私もちょっと・・・、
雑誌やファンの前で見せる笑顔には、どうしてもつくられているところがのぞいて本当の笑顔の魅力をあまり感じない、変な言い方ですけどすまし顔で、考えている顔で、動いている橋蔵さまがステキに思えます。
何やかんや言っても、私はやはり、扮装した化粧顔で、話をしたりしているときに見せるあの目での笑顔の橋蔵さまが一番好きですねえ。
「雪之丞変化」での鷺娘はもう少し作品の中で見たかったものです。
橋蔵さまの舞踊は、各舞踊の発表会などを入れれば、相当な数をおどっていらっしゃるでしょう。
私たちファンが存分に橋蔵さまの舞踊を見ることが出来たのは、茶話会、そして特別公演の舞台でしたでしょう。特別公演では、45分以上踊っていたはずです。
日本舞踊を習ったことのないわたしですが、歌舞伎の世界で舞踊を見込まれていた橋蔵さまだから、これほどの歌舞伎演目の舞踊を踊ることが出来たのだと思います。
おきょう様がお書きになった「お夏狂乱」「春興鏡獅子」「船弁慶」のほか、いっぱいあるのでその中から私が好きなものを・・・「紅葉狩」「京鹿子娘道成寺」「「手習子」「蝶の道行「雪げしき恋の狐火」「高尾」「鏡獅子」「傾城音羽獅子」「鷺娘」「道行旅路の花聟」「賤機帯」「藤娘」「恋恋慕」「屋敷娘」「秋の色種」「あやめ浴衣」「幻椀久」「汐汲」「浅妻船」「十二段君が色音」「紀州道成寺」、その他橋蔵さまの芸者姿や男姿での明るく楽しい「お祭り」も好きでした。
映画館での大スクリーンで見てきた橋蔵さまが何ともいえないくらい素敵でしたからファンになった私です。が、舞台で踊る橋蔵さまはそれ以上でした。表情や指の先の動きがよく見える席で、毎回見ることが出来ていたからでしょうが、30分から40分は至福の時間でした。歌舞伎舞踊の世界にひき込んでいくその人は・・そこに歌舞伎俳優としてのプライドがあったのでしょう。そんな橋蔵さまが大好きでした。
✱様々な思いを抱く✱ #2019.10.18
「銭形平次」の18年間を過ぎ、映像で見る橋蔵さまの作品は三作品・・・円熟味ある橋蔵さまの演技・・・になりました。
1年毎に制作した三作品を私達ファンは見ていくことになったわけです。
それと同時に一年経った橋蔵さまを見ていくと、やはり病のきざしが見え、橋蔵さまの頑張りが切なくなってきます。
ある時期からの「銭形平次」の立廻りでもそうでしたが、三作品での立廻りには勢いとスピードがありますし、そうとう橋蔵さまは頑張ったな、と思います。
「鯉名の銀平・雪の渡り鳥」は前半は若ものの恋を描いているわけですから、やくざになって帰って来て恋人だった人との再会場面では、完全に橋蔵さまに年齢を感じてしまってちょっと残念な思いがあります。
美剣士、二枚目の作品を沢山残してくださったことはうれしいことですが、もう少し早く、もう少し長く、そのときの橋蔵さまにピッタリの作品をもっと見たかったです。重みのある役がこれからという時に逝かれてしまったのですからとても悔しいです。
私は、当時映画館で見たという橋蔵の作品は数少ないです。それでも、橋蔵さまのファンでずーっとこられたことは何だったのでしょう。
「銭形平次」は学生時代から社会人の時で、テレビの前にはいられないときでした。救いは、”大川橋蔵特別公演”の舞台がかかっていたことで、後援会の仕事をお手伝いしながら、映画では見ることが出来なかった橋蔵さまの”舞台”という新しい魅力を味わったことでより深くファンになったのだと思います。
もしかしたら、私が橋蔵さまを大好きなのは、”舞台人”の橋蔵さまのほうが強いかもしれません。
映画作品は全部揃ってはいますが、ビデオもVHS、DVD、BDに対応して画像も変わっていっているのもあるのでなかなか大変です。
本格的な大衆時代劇を作れなくなった現代、若い人々には到底分かるものではなく、映画になる時代劇はアニメに描いたスリルを味わえカッコいいものに動かされますし、また同じ年代の中でも、時代劇は別ものなのだと思います。
時代劇黄金ブームは10年位でしたし、同時進行で日活の現代劇が旋風を起こしていましたから、カッコよさはそちらの方に移っていったと思います。
橋蔵さま50代のスペシャル三作品は、見る人によって様々な思いを抱かせるものだったのではないでしょうか。
初めてご覧になった場合の印象は複雑な思いがかけめぐると思います。
荒木又右衛門を除いての二作品は、若い時に演じたものがあれば、50代では同じものでも橋蔵さまがどんな風に演じたかったかがよりわかったのではと思います。
沓掛時次郎も鯉名の銀平もある程度若い時に演じるとどのようにでもストーリーを生かせるものではないでしょうか。
以前この二作品については、長谷川一夫、市川雷蔵、中村錦之助が映画で演じているものを見て、橋蔵さまがもう少し若かったときなら、あの場面はあんな風にこんな風に演じたのではと想像をして見てしまいました。
重みを感じる年代に、映像でこの二作品に初めて挑戦したわけですが、沓掛時次郎の場合は親子2人を守りながらの道中もので情愛を描いていますので、橋蔵さまの抑えた演技の持ち味もふんだんにみられ、違和感なく入り込める作品になっていたと思います。
橋蔵さまとしては、「雪の渡り鳥」はどうしてもやっておきたかった作品だったと思います。
それだけに、も少し早くやってほしかった!
秋らしくなりました、でもここ2日ぐらいは冷え込んで寒い。私の部屋は暖房でエアコンがずっと動いています。
Microsoft officeの無くしてしまった私の登録キーナンバーが引越し整理をしていた中から見つかりました。1か月前からあと何日で入れなければ使えなくなるよ、と毎回エクセル、ワード、メールを開けるたび脅されてきたものでしたが、よかった、これで一安心。
ブログも先へ先へと書き溜めできるのでよかった。
✱円熟味が出てきた30才✱ #2019.9.25
10月からの消費税10%、軽減率8%が混在するということで、エンタメでも盛んに取り上げています。一律10%にすべきという意見が専門家筋にはあり、ぎりぎりになって10%でいくのではないかという考え方も出ていましたが、国は混乱を招く10%と8%という税率を選択したようです。
経理筋の立場からも混在は非常に手間がかかり大変な仕事になります。そこへキャッシュレスなら5%還元とか、買物をするにも、タクシーに乗るにも、何をするにもクレジットカードが必要だという風な時代になってきました。
私は今、世間の風からは少し離れた生活をしていますから、テレビで世の中が変わってゆくのを見ているだけ。ただネットで買い物はしますので、経済面からは目が離せません。
映画「天下の伊賀越 暁の血戦」での本田大内記の橋蔵さまは、30才の時の作品ですから貫禄も出てとても良いですね。
右太衛門さんも立回りは舞い的ですから、このお二人の絡みはやりやすかったと思えます。
テレビでの橋蔵さまの「荒木又右衛門 鍵屋の辻」でも本田大内記に伝授する場面がありますが、迫力に欠けているのでチョとがっかりします。
新吾二十番勝負第二部の画像は30才で「天下の伊賀越 暁の血戦」と同じ時あたりに撮影したものなのですが、円熟味が出てきた年齢に入ったので、新吾のような役になるとそれが邪魔をし、少し違和感を感ずるところも出て来て当然だと思います。
橋蔵さまらしい他の魅力がどんどん出てきている時ですからね。
1981年~1983年の2時間テレビドラマ時代劇は、銭形平次以外テレビで時代劇をやらなかった橋蔵さまが、私たちに残してくださった貴重な時代劇ドラマとして残っていってほしいと思います。
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✱美への意識が左右✱ #2019.7.30
私の住む関東地方も梅雨が明け、厳しい暑さになりそうな空を眺め朝食を済ませ、今病院での最後のリハビリを終えたところです。
作品「天草四郎時貞」が現在youtubeにアップになっていますので、久しぶりにこのようなお話を・・。今まで描かれてきた天草四郎のイメージは覆され、この作品を初めて見たときの心象はと聞かれたとしたら、何も言えないくらいのショックがありました。「この首一万石」もしかり。大人になって、冷静な面持ちで見ていても、私の中では厳しい批評しか出てこない作品になります。
錦之助さんが名ある監督と汚れ役?にも魅力を出したいくつもの制作作品が時代に乗り変わって行くのに対し、やはり橋蔵さまとしてもライバルの錦之助さんに対抗意識がなかった?とはいえません。年齢的に美剣士をやっているわけにもいかないのですから、一度組んでみたいと思っていた大島渚監督と力を入れた作品でしたが、会社の思っていたイメージとは違い、また大島監督に橋蔵さまの新しい面を見出してほしかった思いが、かみ合わない作品になってしまったのですね。大島監督の意図するところは・・・橋蔵さまを意識してのものではなかった。
私は橋蔵さまのファンだからこそ、駄目な面はダメと言います。どんなところでも好きなんていう人はいないと思いますもの。そう見ていって、好きでないところにもその人の良さを見出していくのが真のファンとして大事なことではないかと思っています。私はこのようにして作品を見ていきたい。
橋蔵さまの場合、娯楽時代劇時代が廃れ始めた映画では、美形が邪魔し作品としての深みが出にくくなっていたような。根本的に汚れ役でも外面的な美の意識が出てきてしまうためだったのではないでしょうか。
ですから、お化粧をしない顔での役や汚れ役の化粧顔は作品から見ても魅力がないように思えてしまいます。橋蔵さまが、意識をして錦之助さんに挑んでも、錦之助さんの内面から出てくる表情と役の変化を表す化粧には、残念ながら及びません。
また「海賊八幡船」でも、海の男になった逞しさを出すためのお化粧が濃すぎるところもあり、橋蔵さまの場合何回も言うようでもうしわけないのですが、内面的からの表現の難しさが目立ってしまうようね。
反対に、橋蔵さまが内面に持っている三枚目的役は、素顔に近いお化粧でやっても魅力が出ています。
錦之助さんと橋蔵さまは、物ごころついた歌舞伎の世界からライバルでしたね。
お二人が持っている魅力は全然違うもの、はっきりしています。
歌舞伎時代やはり演技面では錦之助さん、誰もが認めていたようで、橋蔵さまは女形としての美しさと舞踊での方でした。
映画界でもやはり錦之助さんの魅力は素晴らしいものでしたね。作品ごとに違った魅力を出してくる、監督たちも錦之助さんに傾くのは当然。これは、橋蔵さまファンの私も認めるところです。
橋蔵さまの錦之助さんに対するライバル意識が強くなってきます。二枚目路線から脱皮した錦之助さんには負けたくない?・・そうすると、同じような役をやっていきたい・・ライバル意識が燃えるのは当然でしょう。
✐(一時結婚問題が起こった時も、錦之助さんとライバル意識が見えたと言われていたくらいですから・・?)
さて、
私事ですが、病院の方は今日30日に退院し、その後9月に将来の生活を考えての所が決まるまで、老健の方でリハビリを兼ね過ごすことにいたしました。
老健の方には、入所しても仕事をすることのOKをとっていますので安心して行くことが出来ます。しかし、インターネット、wi-fiの設備がなく、モバイルwi-fiならOKですということなのですが、そのモバイルがうまく電波をとらえられるかわからないので、もしかすると、しばらくPCを使えなくなりそうです。
✱新吾に大人を感じる✱ #2019.7.22
蒸し暑くすっきりしない日が続いています。夏 を感じるのは今週中頃からでしょうか。
9階からここ毎日、霧にけむった空や高層ビルを見ています。
そう言えば、食事をとるラウンジの外の手すりに、トンボが来ていました。何物にも邪魔されず、飛び上がっては手すりに止まり・・とのんびりしていました。
19日放送だった「富士の夜襲」は橋蔵さまほんの数カット、当時のセミオールスター映画に出演でしたが、当時映画館で見ていたファンとしては、こんな程度という気持はあったのではないでしょうか。この映画の役柄からして橋蔵さまにぴったりなのですが、決して心象深く焼きつくものではないように思います。
「新諸国物語」でもそうですが、錦之助さん、千代之介さんが主演級の青少年もの作品には橋蔵さまは似合わない、そんなところが見受けられたと思います。
昨日放送だった「新吾十番勝負第三部」の新吾は・・・「第二部」の新吾からは、だいぶ大人を感じさせます。
京都所司代を出立し江戸に向かう白馬に乗る新吾、新吾が夢に見た世継ぎとしての衣冠束帯姿には父松平頼方を彷彿させる風格が見られ、江戸城に入った新吾は・・・違った面を見せられたようで印象に残るところです。こういう風格の新吾をもっと見てみたかったと思う気持ちが私にはありました。
う~ん、橋蔵さまは悲しみの顔・・泣きが苦手ですね、自然さがなくどうしても作った顔が表れてしまいます。残念だなあ。
新吾を好きな女性二人の間に挟まり、言いあいに本当にあきれ顔の新吾、ここのところの目つきがとってもいい感じ。よく見ると、とても意地悪さがある目の動きにもなっているように見えますでしょう。
「新吾二十番勝負第二部」は、ここまでが楽しく見られるところでしょう。この後は、将軍の子としてのガードがない世間にもまれていく新吾が描かれていきますね。
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✱新吾の相手織姫は・・・?✱ #2019.7.7
今日は🎋 ”七夕さま”東北と関東では天の川は望めそうにもありません。
夜、新吾十番勝負第三部と完結篇が続けての放送があります。
新吾は毎回女性にモテモテ!こんなに持てたら困ってしまいますね。
第三部では、おきくから愛を告白され、綾姫からは別れなければならないと涙ぐまれ、お縫には幼馴染の思いがあり、新吾はどの女性が一番好きだという気持ちを持ったのでしょう。
完結篇では、多加に魅かれる新吾、由紀姫には・・どうなのかしら、好きなんですよね。第二部であ咲に初めて自分から恋をして、しばらくぶりに恋心を十番勝負完結篇で前よりも自分の心を出してきたのですからこれは・・・と思いきや覆されます。
一真を倒すことが新吾の生きる道、と決めた以上、母のことも女性のことも今の新吾には考えてはいけないこと、新吾は果てしない旅に出かけるのです。
“七夕さま”なので、新吾の気持ちは・・と思いめぐらし?ちょっと遊んでしまいました。
皆様は、作品を見て、その時の新吾の表情から、彼の心情を察して見てくださいね。
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✱歌と笛の音にのせての”せつなさ”✱ #2019.6.30
「ふり袖太平記」作品の配役は一番目で主演に美空ひばり、最後に準主演で大川橋蔵。ポスターはどれにも、大川橋蔵が主運のようになっています。
「ふり袖太平記」のときには、ひばりさん主演と橋蔵さま主演のポスターが刷られています。こんなことがあったようですね。橋蔵さまの人気があがり、ひばりさんで観客動員するよりも考えた東映宣伝部が、橋蔵さまに主演で出していいか、と打診したところ橋蔵さまもOKを出したような。
それがひばりさん側から、誰のおかげで・・・ということで東映側にクレームがあったようで、とりあえず東京方面と関西方面でそれぞれの主演のポスターを貼ろうとしたのですが、あるすじから耳に入り、結局はひばりさん主演でおさまったということがあったような・・・。
思惑の歯車が少しずつ狂い始めたとき、まわりの状況が思いもよらぬことを誘うものです。
この作品にも好きなシーンはいくつかあるのですが、その中でもいつも私の心に響きジーンと胸打つシーンは何気ないところ・・・
裏の川原から百合姫の吹く笛の音と、畷之介が吹く笛の音が呼び合います。
このシーン歌につられ見ていますが、とっても心に響くのです。
♫ 風に流れて ゆく笛の音は 遠く山越え 川を越え
縋りたいような 今宵の思い 知っているのは 知っているのは 月ばかり ♫
畷之介の笛を吹くこのシーンは、「笛吹若武者」以来のものですが、この作品では畷之介の笛を吹いている光景は凛々しい中に、何となく哀愁が漂い、その姿にひき込まれていってしまいます。このシーンの前に二人が手を取りあってお互いを確かめ合うところがありますが、私は何気なくひばりさんの歌にのせてのこちらのシーンに心を動かされます。このときの畷之介の表情も好き。
「笛がお上手ですね」、「いやぁ、姫こそ美しい歌声」
「この笛を吹きながら月を見ていると、阿蘇の山に囲まれた、菊池の城を思い出すのです」
「私も、この扇を見るたびに、戸隠の父が恋しくて、明智の城で泣きました」
「気丈な姫が泣かれたか」
📌(余分なことながら、橋蔵さまは笛はお手のもの、笛を押える指の動きのしなやかさが良いですね。)
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✱ラブシーン場面の一コマ✱ #2019.6.10
「花笠若衆」の作品はひばりさんのファンが好んだ若衆姿と姫君姿と楽しめるものですね。そこに、相性の良い橋蔵さまの若殿との恋模様を織り込ませ、両人のファンをやきもきさせるストーリーで、ひばりさんの歌とともにヒットしました。
夢があり何度見ても飽きない作品だと思います。
「花笠若衆」の楽しそうなセット撮影から、読んでいて、顔がほころんでいただけるかしら。ある日のあの場面のセットへ行ってみましょうか。
ひばりさんと橋蔵さまといえば、いつも兄弟のようで、言いたいことをいう間柄、その二人がラブ・シーンをやるわけですから、照れるのも当然ですかね。
そんないくつかの場面から、
「背中がかゆいの」「どれ・・」と言う場面をのぞいてみましょう。
「さあ、ひばりちゃん、次のカットに行きましょうか」と監督が声をかけますと、
ひばりさんが「いやだなあ、ほんとにやるの?」というと、「さあ、行きましょう、行きましょう」とからかうように橋蔵さまが言います。「あら、意地悪ね、トミイったら」とひばりさん。
監督の合図で始まったシーンは
背中がかゆいというひばりさんに、橋蔵さまが傍にいって、ひばりさんの背中に手を入れるのです。
監督から声がかかります。「橋蔵さん、そこでひばりちゃんの背中に手を入れてくださいよ、いいですか・・その調子です、その調子です」
ひばりさんが「いやだあ、トミイったら・・・」とゲラゲラ笑い出しました。「どうしたのさ、どうしたのさ」と橋蔵さまがとぼけます。
「だってえ、ママ―。いけないんですよ、トミイったら・・・あのね、笑わすのよ」そこで、セットの中は大笑いになりました。セットの隅で、ひばりさんのママがニコニコしてその様子を眺めていました。
「じゃあ、もう一度テスト行きます」と監督の声がして、あちらこちらで「テストでーす」と声がしてセットの中がシーンとしました。
「背中がかゆいの・・」「かゆい?・・どれ・・」すると
クスクス、クスクスと・・・「いやだーん、おかしくて、おかしくてえ」「ははは、とても我慢できないねえ・・ははは・・」
ひばりさんと橋蔵さまが笑い出してしまいました。
笑い上戸のひばりさんとお茶目な橋蔵さまのことですから無理もありません。
2、3回きり返してやっとOKが出ました。
記者がひばりさんにラブ・シーンは苦手のようでと聞くと、「ぜんぜんにがてなのよ。それに相手がトミイでしょう・・」と。そこへ橋蔵さまが寄って来て「また、何か言ってんじゃないかな、いいですよ、どうせ悪口に決まっているんだから」とふざけます。
「違うんだったらあ、あのね、ラブ・シーンは苦手だって話していたのよ」「ああ、そうか、ごめんごめん。ラブ・シーンは、僕も大の苦手だな。そういう経験がないからねえ」「そりゃそうね。ま、認めてあげるわ」
そこで、また大笑い。
こんな調子で、セット撮影も無事終わりました。
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