MENU
206,832
固定された投稿

🔶お知らせ・・ロケット掲示板とRara掲示板は同時運営しております

このロケット掲示板の『葵新吾"大好き大川橋蔵ファン広場”掲示板PARTⅡ』と
Rara掲示板『大好き大川橋蔵ファン広場PARTⅡ掲示板』【 https://rara.jp/fanhiroba/ 】は同時進行で運営中です。
使い勝手からどちらも一長一短はありますので、できる限りは同時並行で行くようにしてまいります。
どちらを見ても大丈夫なように管理者が責任をもって投稿記事は双方に分かるように掲載していきます。

🟨この掲示板は無料版の掲示板にしましたので、広告が入りますので見ずらくなってしまいました。ご容赦ください。

編集・削除(編集済: 2023年04月07日 07:42)

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱令和3年1月放送スケジュール✱ #2020.12.24

東京の空はどんより曇っています。部屋の中でも何となく肌寒さを感じます。
クリスマスイブ、クリスマスですね。この時期です家庭で静かに静かに ・・・楽しんで下さい。
今年も、ほんとうに残り少なくなりました。私は、あいも変わらずの同じような年末年始を迎えることになりそうです。

橋蔵さま作品、2021年(令和3年)の幕あけは、テレビ2時間ドラマが三が日となっています。初めてご覧になる方、何回も見ている方、といろいろでしょう。
やはり橋蔵さま晩年の貴重な3作品ですから、思いはそれぞれにおありと思います。
そして、「雪之丞変化」は楽しめる娯楽作品、こういう時代劇作品が生まれていた時代が、また遠く遠くなっていきます。

👆(画像の上をクリックすると画面の違うところで見ることが出来ます)

引用して返信編集・削除(未編集)

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱この時期ですが・・本格東映時代劇✱ #2020.12.19

テレビの方では、時代劇専門チャンネルは今月~来年3月まで「中村錦之助劇場」で、チャンネル初の作品が毎月一本放送になります。そのうちの2月は「「新諸国物語 七つの誓い 黒水仙の巻」です。
この作品は今月東映チャンネルが放送中ですね。
同じ作品が続きますが、テレビ関係、映画関係も、現代の人々に、俳優たちのものとして残していきたいと考えているところはある意味で同じということなのかもしれません。

「赤穂浪士(196)」は、忠臣蔵ものとしては残されていく作品でしょう。橋蔵ファンの心理からいえば、この作品本当は内匠頭が何故そのようにまでなったのか、という成り行きがもう少し描かれていたら、と思うのですが、それは欲ばりかもしれません。この作品で描かれている内匠頭の場面は、歌舞伎調であるからこそ、橋蔵さまの持ち味が見事に描かれ、少ない出番でも感動を与えたのだと思います。
目の動きで心理を見せる・・・これは橋蔵さまお手のもの。渡り廊下での別れのシーンもよいですが、私は、歌舞伎調で訴えるこの場面の表情と目の動きに牽き付けられます。
多門伝八郎が「一時の乱心による所業と思うが(画像上段左)・・・」そうだろうというように促し、念を押すように目でうったえます(画像上段右)が、内匠頭は「乱心として・・」と心遣いに感謝するが、「内匠頭が吉良殿を斬った意趣が立ちませぬ(画像下段)・・・」

1959年の岡野金右衛門の橋蔵さま、若いからきれいですね。絵になります。
オールスター映画になれてきましたけれど、まだ十分でないところが見えます。お芝居的な動きがちょくちょく見えています。
1959年1月の「忠臣蔵」以降、橋蔵さまの演技力も変わってきていますね。
オールスターものに出ることは、人気のバロメーターでもありますが、俳優のスキルアップを図るのにいいことなのですね。
もう一作品、橋蔵さまの違った役柄での忠臣蔵が見たかったと思います。

👆(画像の上をクリックすると画面の違うところで見ることが出来ます)

引用して返信編集・削除(未編集)

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱「赤い影法師」について②✱ #2020.11.14

(部分的に抜粋し、私なりのニュアンスと解釈で要約し掲載しております)

1962年度からは東映の封切制度が変わったときになりますので、新春のスクリーンを飾った「赤い影法師」頃までの撮影は橋蔵さまも何かと忙しかったときですが、この後は少しはじっくりと作品に取組める余裕が出来てきたと思います。
今月放送されている「赤い影法師」は、橋蔵さまのこれまでの作品のキャラクターとは違い、取組み方も違っていらっしゃったようです。
てすが、私としては柴田錬三郎さんの原作ものは、どちらかというと好きな方ではないため、今になっても「赤い影法師」はあまり受け入れられない作品になっています。しかし、橋蔵ファンの私としては、ブログの方でこの作品を紹介するまでには、ここは・・・というところ、を探したいと思っています。

そこで、この作品に取組んだ当時の橋蔵さまの抱負を拾って見ました。
なにしろ後にも先にもはじめての忍術映画なので大いに張切っています。小さい頃は、印を結んで呪文を唱えればドロンと煙りと共に消える忍術ものの主人公に憧れたものです。、幼い頃に憧れたものは何時までも心に残っているもので、映画界に入りいろいろな仕事をやっているうちに、映画のトリック技術を存分に生かした忍術映画を是非やりたいと考えていたので、「赤い影法師」で実現して、ほんとうに子供の頃にかえったような気持ちで楽しんでやっています。
といっても、忍術を見せるための筋運びの内容では僕もやる気がしませんし、ファンの皆様もばかばかしいと思われることでしょう。「赤い影法師」はストーリー自体ががっちりしたものになっている点、大いに期待をしているわけです。原作が柴田錬三郎先生のものですし、シナリオがベテランの比佐さんのものなので、この点安心して見ていただけると思っています。
正月ものとしては、いままでになかった異色作になると思いますが、立派なストーリーの一本の作品として、それだけで楽しんでいただけるものに、東映の技術を総結集した忍術場面をサービスするという形にしたいものです。
問題の忍術のトリックは、なるべく荒唐無稽なことはやらない方針らしいですが、そうかといってリアル一辺倒で押し通しても夢のないものになりますので、その点がなかなか難しいものだと思っています。

橋蔵さまが「赤い影法師」のシナリオを読んで、一番ステキだなと思ったのは、主人公若影がこれまでの忍術映画のような、単なるドロン・パッの忍術使いではないということでした。名を轟かす剣豪たちを相手に死闘を演じるだけに、立廻りの稽古も並大抵のものではなかったのですが、それ以上に、橋蔵さまが苦心したのは、愛情と復讐の板挟みに悩む若影の悲劇を、どれほど映画の観客に訴えられるか、ということだったといいます。
決して強いだけではなく、血も涙もある若き忍者の苦悩をわかっていただければ、嬉しいことはないのですが・・・とおっしゃっていました。

👆(画像の上をクリックすると画面の違うところで見ることが出来ます)

引用して返信編集・削除(未編集)

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱「赤い影法師」について①✱ #2020.11.13

(部分的に抜粋し、私なりのニュアンスと解釈で要約し掲載しております)

「赤い影法師」の前に、橋蔵さまと小沢監督がご一緒した作品は「復讐侠艶録」「若さま侍捕物帖・鮮血の晴着」「新吾十番勝負・第二部」「右門捕物帖・南蛮鮫」となっています。

その小沢監督というと、お正月映画はお手のものなのですが、「赤い影法師」は本格的な時代劇だけに、単に面白いものにというわけにもいかない、といって、肩の凝るようなものにしても・・と、気楽には撮れないので難しいといっています。

橋蔵さまの役は、三代にわたる宿命を負わされた忍者という、大変デリケートにもの。原作の持っているニュアンスもある程度は出さないと、小説を読んでいるファンに失望されてしまう。そのため、橋蔵さまにもいろいろ無理な注文をつけたりしたといっています。
しかし、「橋蔵さんのイメージのなかには、明るい面と共に、沈んだ陽影というものがある。だから、それをひきだすのは、割に楽なんです」と監督はいっています。
勿論、シナリオは正月映画の基本的な狙いとしてのダイナミックな劇的展開を強調しているから、しつこいまでに母影、若影、服部半蔵の三者の人間像を描いてみるつもりだと意欲の一端を語っています。
「赤い影法師」はお正月向きの題材と単純に割り切れるものでなく、本格的な運命劇といってもよいものでしょう。それだけに監督の苦労も並大抵ではないようです。
「ちょっとドラマが重苦しすぎる、笑えるところがまずないんですからお正月映画としてお客さんにどうかな、それだけが心配です」と馬鹿に慎重です。
「橋蔵さんにしても、こうした本格的なドラマというのは、本当に久しぶりなんで、たいへん意欲を燃やしてくれています。橋蔵さんの演技の歴史にとって、画期的なものになるんじゃないですか」と小沢監督はいいます。
「しかし、煙が出てパッと消えるという、いわゆる忍術映画じゃなくて、忍者の動きをリアルに描いてゆく。リアルな動きや、立廻りの面白は、思いきり盛り込んでゆくつもりです」
そういうことから、小沢監督は、日本古武道連盟の中島正義先生に、忍者の歩き方、走り方から、基本的な手ほどきをしてもらい、これを映画的に料理するという周到さも、その狙いからに他なりません。
「だから、俳優さんもリハーサルがたいへんなんですよ。普通の立廻りと違って、ちょっとした動きにもリアリティを要求されますからね。橋蔵さんも熱心にやってくれています。あの人の稽古熱心には感心しちゃいました」
母影の小暮実千代さんも本格的な立廻りの稽古をやっていたそうで、セットでも手裏剣を握っては投げる手つきを繰り返していたそうです。
監督が、一番難しいと語ったことは、「原作はベスト・セラーとして多くの読者をもっていますから、読者の期待も裏切りたくはない。しかし、柴錬さん独特の官能描写ね。あれは、ちょっと画には出来ませんので・・・」ということでした。
そしてラスト描写について、こう語っています。
「シナリオの比佐さんの狙いは、ラストに一抹の哀愁というか、余韻を残して、後味のよしものにしたい、というーうんです。ラストにおける、三人の感情表出のために、全ての伏線が張られてきたわけなんで、私もラスト・シーンは押すだけ押したいと思っているんです」
皆様は「赤い影法師」を見て、どのように感じましたか、脚本家と監督のめざした作品のラストへ向かう行程に心響きましたでしょうか。
気持ちを新たにしてこの作品を見直すこともいいかもしれません。

引用して返信編集・削除(未編集)

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱当時、記者さんのアドバイスから✱ #2020.11.2

1958年後半ごろ、橋蔵さまの雑誌の特集企画にこのような記事があったのを思い出しました。
新聞記者の座談会からの一部分を抜粋してみました。当時歌舞伎時代から見ている記者さんのお話、東映時代劇を担う、歌舞伎出身の錦之助さんと橋蔵さまの違いなどにも話が盛り上がっているのですが、ここではそのうちのほんの少しをご紹介と思ったのですが、文章にするとものすごく長くなってしまって・・・。ゴメンナサイ 。興味ない方、面倒くさい方はスルーしてください。
***** *****
---橋蔵のいいところは、あの江戸前だね。お色気があるし、ユーモアがある。
そんなところを年寄も可愛がっているのだから、ファン層というものは広いと思う。
---僕はこの間、長谷川一夫さんに会った。そして話が鶴田浩二の話になった。
鶴田さんの持っている甘さは、自然の甘さで後からつけたものではない。そういう甘さを持っている人は、芝居でも映画でもザラにはいないという話になった。そして”前だれもの”つまりお店の若旦那ができる役者は甘さがなければできない。いま、それが出来るのは、橋蔵さんですね、と長谷川さんは言うのだ。”前だれもの”は、そこはかとない甘さを持ち、何かしら若い層のファンを掴む一つの要素があると思う。雷ちゃんにはない。錦之助も”前だれもの”の役者じゃない。やはり橋蔵です。その甘さを、はたして彼が知っているかどうか。
---今年の6月でしたかな。彼が悩んでいたのは・・・。
---そうなんだ。東映で同じようなものばかりに出て、立廻りをしながら左右を
見てニッコリ笑う、マンネリズムじゃないかと彼自身が言うのだ。 そこで僕は言ったんだ。冗談いっちゃいけない。君が立廻りをしながらニッコリと笑う。あれが、君をスターにしている原因じゃないか。それを堂々とやるべきだ。第一、君がああだ、こうだというのはまだ早い。お客様あってのスターであり、人気である。人気のあるスターであれば会社も無理をきくんだ、と言ったんですよ。そうしたら彼は、じゃあ割り切りましょうと言っていたが、割り切るべきだと僕は思うね。とかく芸術に走りたがる人が多いけれど考えるべきだ。
---橋蔵の出演本数を見ると、まだ43本ですね。さっき谷村さんが話したけれど、
今年の6月頃の彼の悩みは深刻でしたね。谷村さんの話で、結局、彼は納得したわけでしょう。
---彼は、その場では納得していた。
---芸術づいて、例えば汚レをやりたいとか言っていたけど・・・
---いけない。いけない。いま、彼のファンの大多数は、あの江戸前の甘さに拍手
を送っているんじゃない? 何か申告がってやったら彼のファンは逃げちゃうんじゃないかな。
---とかく役者というものは芸術づくでしょう。そして汚レなんかやる。その後
というものは、ずっと人気が落ちてしまいますね。人気は上昇していかない。娯楽に撤しなければいけない。
---その深刻劇のなかで張切るスターもある。しかし、橋蔵なんかの魅力は時代
劇のヒーローとしての魅力じゃないかな。みんなが橋蔵、橋蔵というのは・・・。
---彼は大衆娯楽劇の王になり得るスターだと思うんですよ。それをはっきり認
識した方がいいと思う。そういう役者も必要なんだもの。
---それがいちばんじゃない? さっきの”前だれもの”にしてもやはり橋蔵さん、鶴
田さんじゃないですか。
---僕もそうだと思う。
---ほかにいませんものね。よその会社を見ても・・・まあ、新東宝の中山なんか
は、案外いけそうだけれど。
---彼はお侍だな。その点、橋蔵というのは、侍もできて、町人も、イナセもで
き、殿さまも出来るんだから、その意味で芸の幅は広いよ。歌舞伎の女形でいろいろ苦労したというのは、錦之助同様、映画の世界でものをいってるんじゃないの。
---話がちょっと、飛躍するけれども、橋蔵君は東映に入ってよかったですね。
錦之助というライバルがあったから今日まで来たんだけれど、東映に入る前に、そうとう某社が妨害したそうだが。
---某社に行っていたら、今日の橋蔵はではなかったよ。
---そうですよ。北上弥太郎さんみたいなものですよ。影がうすれちゃって・・・
そういう点、東映は人を使うのがうまいし、人物を見る目があったんでしょうね。とにかく錦之助はいる、千代之介もいる。そういう中に後から入って来たんだが、なにも遠慮する必要はないからね。自分が伸びようというのに、先輩、後輩の別はないんだからね。とにかく、二先輩に肉迫して、いまや錦之助、橋蔵という、時代劇を二分するだけの勢力を持ってきたということは、彼の勉強の賜物でもあるわけですからね。
---自分の持っている甘さに気がつかなければならないのだ。彼は、自分ではそ
れを出しているつもりなんだろうけれども、もっと強く出さなければいけないと思うのですよ。その色気を、出しながら増やすという方法でいかなければならない。今は、演劇とは何かとか、演技とは何か? などということを考えちゃいけないと思うんだ。
---本当にそうですよね。
---ほんま、橋蔵のもっているファン、その大部分を占めているティーン・エイ
ジャーの娘さんたちが、おばあさんになるまでついてくるような娯楽映画とい
うものに撤してもらいたいな。
---ひばりと橋蔵の共演が多いようだが、ひばりは、錦之助とも、千代之介とも
共演している。そして、ファンはひばりとの共演を望んでいるようですね。ひばりファンが同時に橋蔵ファン、という例が多いようだ。結局、ひばりというのは、大へん偉いんじゃないかな。みんなを売り出しているといえる。
---ということで、ファン層の求めているものがわかるじゃないの・・・橋蔵も、
それを知らなければいけないと思う。それで生活しているんだし、庶民以上の生活も出来るというもんだ。同時に、六代目の息子ということを、あまり考えちゃいかんな。ある意味では六代目のものをとることは、もちろん必要だけれど、それを意識しすぎて、ちょっと固くなるところもあるんじゃないかしら。あすこは各兄弟が、色が違うからね。梅幸、九朗右衛門、それぞれ色がちがっている。
---三人三様だし・・・
---そういうことを考えて、人気役者大川橋蔵というものを、自分自身が知って
おけばいいんじゃないかな。
---僕は橋蔵の映画を見ていて、六代目的なセリフの間のとり方とか、捨てゼリ
フとか、そういうものをときどき感ずるのですが、どんなものでしょう。
---僕は六代目的セリフということを考えると、それは、錦ちゃんの方が六代目
的になってきたなと思う。あの間とか、捨てゼリフを流す時の感じがね・・・その六代目をいちばん尊敬し、そういう役をし、また身につけようとしている中村勘三郎を、錦ちゃんが尊敬しているんだ。つまり、勘三郎を尊敬するということが六代目に通ずることになる。そこで最近、錦之助のセリフが、六代目のニュアンスに似てきたといえる、と僕は思うのです。
---捨てゼリフのうまさは、錦之助にかなわないでしょうね。橋蔵も・・・。
---最高やね。錦之助は、六代目的なものを、勘三郎を通じて身につけてきた。と
同様に、播磨屋(吉右衛門)の持っていた喜劇的なセンスも錦之助の血に流れているんですよ。?右衛門には、喜劇的なセンスが大へんあるんです。この二つのものを錦之助は持っている。そうなったら、今度は、橋蔵君がもうちょっと頑張って、親父、これは義理の養父になるけれども、六代目的な、サラッとした味をどうして身につけないのかと思うのですよ。この点、橋蔵はタンカもきれる江戸前だと言いながら、もう一つ、サラッとしたところがちょっと足りないんじゃないかな。
---しかし、いままでの状態からいって、そこまでゆくのは、ちょっと無理だか
らね。これから身につける必要があるんじゃないか。彼の今後の課題だね。そうですね。いずれ、そのうち自然に身についてくると思うんですよ。---大川橋蔵でございます、という一つのスピード・ボールだけでいいと思う。錦ちゃん、雷蔵みたいな変化球は、いまの彼には必要じゃないよ。ピッチャーの型がちがうんだから・・・素質がちがうんだから。同時に、橋蔵君は、もう少し社交的にならんといかんね。普段の彼は非社交的だからねえ。
---たしかにそれは言えますね。どういうのかな。暇がないのか。本人の気持ち
がそうならないのか・・・。
---歌舞伎の世界の体臭が抜けきれないんじゃない?
---往年の阪妻さんみたいだよ。
---遊びは面白いよね。僕は偶然、いっしょになって、今日は裃をとってあそぼ
うよ、ということになって、一緒に遊んだ。ところが、面白い面白い・・・なんでもするんだ。あの気持ち、ああいう態度がいつもの彼だったら、なお一層いいんじゃないかと思った。『若さま侍捕物帖』の若さまみたいな遊びをしているよ。イキな・・・自由で明るいところがあってさ。
---遊び方は、よく心得ているよ。
---もちろん、彼は下町生まれで下町で育ち、歌舞伎の世界で育ったんだから、
そういうところで身についたきさくな明るさがあるんだ。あんまりくよくよし
ないで、愉快にやったほうがいいんじゃろないかな。
---ほんとうに、役者ぶらないところはいいね。はじめは、芸者さんがきたら固
くなったけれども・・・そのうち酒が一口二口入ったらぜんぜん違うの。芸者
に向かっても「おい、お前」式ですよ。
---そう。『加賀鳶』もいいしなんだってありますよ。第一、いままで、錦之助、
橋蔵二人の共演ものはないだろう? これはぜひやってもらいたいと思う。きっ
と面白いものが出来ると思う。
---オール・スターものはありますね。
---殺陣にしても、二人それぞれの良さをみせていますよ。橋蔵は、刀のさばき
がきれいで、剣先の鋭さは見事なもんだ。カブキ出身者は”型”が一応できても、剣が生きていないという弱点があるものだけれど、橋蔵には、その弱点がぜんぜんないしね。『若さま侍捕物帖』でも、切り返すヤイバの美しさは、彼独特のものをもってますよ。そして一方、錦之助の剣は、むしろ”型”のないところが良いんですね。橋蔵は生きた剣のサバキを見せるけれど、やはり、それなりに彼らしい型が出来ている。反対に、錦之助の立廻りは、つねに”型”のない魅力がありますよ。八方やぶれというか剣のサバキは、自然の持つ美しさをかもし出している。
---殺陣の場合を想像しただけでも、二人の組み合わせは、たのしいですね。
---そうですよ。色気の魅力も変わっているし、お互いにね。セリフだって変わ
っている。何しろ名門という金看板をふりすてて裸一貫で映画界に入った二人だけど、カブキの伝統を十分に生かしながら、映画の世界にとけ込むだけのいい素質があったわけですよ。ぜひやってもらいたいですね。ああ、いいなあ、というものを、見せてもらいたいですよ・・・。
***** *****
本当に、映画での完全な”前だれ”もの見たかったです。
橋蔵さまが歌舞伎の世界にいらっしゃったとき、先輩の舞台で見て来たと思います。それを自分のものにして、橋蔵さまが持っている甘さと哀愁を映画の中に描いていたら、素敵だったのではないかと思います。何故、橋蔵さまで制作なされなかったのか・・・。それは考えても仕方のないこと。そう言えば、鶴田浩二さんと橋蔵さまって、時折比較されていましたね。ここでも、話されている甘さですが、私も映画を見ていて、鶴田浩二さんは、自然体のセリフのなかに独特な甘さがあり、演技の中に必然的に入り込めるようなところがあります。
橋蔵さまの甘さは、表現をすることにより視覚的に訴える甘さというように思います。
殺陣の場合、よく”リアル”さで評価が分かれますね。様式美の橋蔵さまの殺陣は流麗でここというところでキメがあります。見ている方としては気持ちのよいものです。錦之助さんの場合、綺麗さはありませんね。でも、現実的で力強さがあり、迫真の演技が見ている側にドキドキ感をもたらします。
でも、その人により感性が違いますから、それぞれにご批評して良いと思います。

私の場合は、橋蔵さまは小学低学年からの永遠の恋人です。長い間のファンとして、映画の中に見る橋蔵さまのすべてが良いというはずはないはずです。だからこそ、好きなところは勿論のことお話していきますが、ファンですからいやなところは言いたくはないというのが心情ですが、そこはスルーしないでいこう・・・それも今は亡き橋蔵さまへの真のファンの優しさとお察しくだされば幸いです。

👆(画像の上をクリックすると画面の違うところで見ることが出来ます)

引用して返信編集・削除(編集済: 2022年04月23日 16:26)

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱ ちょっと雑談で✱ #2020.10.30

今月31日と11月初めにオールスター作品次郎長映画第3作「任侠中仙道」そして最後になる「勢揃い東海道」と、ムシリが乗るズラではありませんが、橋蔵さまの魅力がひかる作品の放送があります。
若さま侍、新吾という役は勿論素晴らしいことは私も同感ですが、どちらかというと”やくざ役”の橋蔵さまに、どうしても魅かれる率は大になってしまいます。

1958年後半ごろの雑誌の橋蔵さまの特集企画から、ちょこっと抜粋し私流で書いてみました。今回は橋蔵さま「やくざ役」について。
脚本家の比佐さんは、1954年ぐらいに東横ホールで公演した橋蔵さまの舞台写真を新聞で見て、「これはモノになる」と思いマキノ光雄専務に東映獲得の進言をしたひとりなのは、古くからのファンならご存知のことでしょう。
『笛吹若武者』のスチルを見て、ご自分のカンは狂っていなかったことに自信を持ったということです。そして、比佐さんの書いた『旗本退屈男謎の決闘状』で、橋蔵さまに”つむじ風の半次”という役を振ってみた・・・イキのよい半次をどうこなすであろうか、期待した・・・いささか心配もあったが、初日の撮影を見て、舞台くささはあったが半次はピッタリで成功であったといっています。
撮影が進むにつれ、カメラなれをしてくると、同じ半次の役であるのに、永く身にしみついた舞台での芝居から映画の演技になって来たのには感心したそうです。そして、ムシリのズラがよく似合う、やくざ役に非常に良いということを発見して、橋蔵さまの個性を生かした「股旅映画」を書いて見たい・・・ムシリが似合う、お色気はある、やくざの姿、土足裾取り、のスタイルも綺麗、・・・『喧嘩道中』を書いたということです。そして、『喧嘩道中』『旅笠道中』で見当がついたので、次の作品は・・・芸からみると、片岡千恵蔵さんと長谷川一夫さんの中間的線をゆくのではないだろうか。長谷川さんの美しさと艶、千恵蔵さんのキレのよさと明朗さを併せ持っているのではないだろうか。
そんな線で、橋蔵さまに一度冒険をさせて見ようと、『喧嘩笠』を書いたということです。

比佐さんが見逃さなかった橋蔵さまの”やくざ役”の素晴らしさは、スタイルからも、セリフまわしも、哀愁に含まれたお色気も、他の俳優には決して劣らない、橋蔵さまの個性が思いっきり出て来る作品になっています。
橋蔵さまの”やくざもの”もっと放送して欲しいものです。

引用して返信編集・削除(未編集)

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱またまた茶飲み話です✱ #2020.10.6

沢島忠監督はチーフ助監督をやっていた時に「江戸三国志」で橋蔵さまと初対面だったそうです。そして監督になり橋蔵さまとの初めての作品は「若君千両傘」でしたね。しかし、撮影途中で、橋蔵さまの思わぬ怪我で一ヵ月のブランクが出来てしまい、封切予定までの時間がなく、思うような作品に出来なかったようです。その沢島監督が、しばらくぶりに橋蔵さまととりかかったのが、スリラー時代劇風の「若さま侍捕物帖 紅鶴屋敷」でした。
この撮影時に雑誌のインタビューに橋蔵さまについていろいろ語っているなかで、「一番印象に残った作品は」と聞かれたところで、先日掲載しました佐々木康監督と同じような感想を述べています。

・・・・・「笛吹若武者」というのは、
橋蔵さんには水もしたたる美剣士や、斬りまくる剣士役より、橋蔵さまの”あの甘さ”はラブロマンスの主人公の方が似合っている、しみじみとしたロマンチックな悲劇作品のような物、世話物、情緒細かなお店物がふさわしいと思うこと。
そして、「笛吹若武者」の時は「どうせこの一本きりで、歌舞伎の世界に戻って行くんだ」といった気持ちが、演技の上にいい意味で、ありありと現われていた。ズブの素人の持っているよさ、万事を佐々木監督の指導に任せ、素直に自然に動いていた。無欲、無垢の淡々とした芝居が、実に新しい魅力だったと思います。・・・・

あの沢島監督から見ても・・・なーるほど・・・監督の見解は同じものですね。

引用して返信編集・削除(未編集)

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱ 編集していて確認・・運転は苦手✱ #2020.9.29

ブログにあれも載せたいこれも載せたいと、いろんなコーナーに少しずつ手を出して増やしてきていますが、橋蔵さまのすべてのものを均等に掲載していくことはなかなか出来なく、すべてが中途半端になっているような気がしています。
次に取組もうとしているのは、別冊近代映画等の特集もの雑誌を掲載していこうと。
33冊あるので時間がかかりそう。現在目を通し、チェックし掲載できるように編集出来たものは、「若さま侍捕物帖・鮮血の人魚」「花吹雪鉄火纒」「花笠若衆」の3冊、現在4冊目の「大川橋蔵特集(紅鶴屋敷)」にとりかかっています。
問題は、どの時点で掲載していくか、ということ・・・こう見ると先は長―い。

橋蔵さんが車を購入したというような記事が載ることがあり、橋蔵さんは運転が出来るの・・・ときかれる方が多くいます。
たまたま整理していた別冊近代映画「紅鶴屋敷」の特集の中にファンの皆様に向けて書かれたファンへの手紙”というコーナーがあります。その中で「股旅ものの企画」について話しているところに、橋蔵さま自身が車の運転のことについて書いていますので、その部分を下記に取り出してみました。

📚若さまものも大好きですが、股旅ものもいいものですね。桜の花がちらちらする街道を、鼻歌歌いながら、ぶらぶらするなんて・・・。ちょっと、このスピード時代には味あえないのんびりした風景ではありませんか。
大きな川を渡るにも橋がなくて、いちいち渡し舟に乗らねばなりません。
つい百年、二百年前に生まれ変わったような、のんびりした雰囲気にひたれるんですから、思えば有難い今の商売です。
スピード時代といえば、私もとうとう9月に、自動車を一台買いました。55年型の黒いビュイックです。渋い車ですが、私自身は運転ができませんので、もっぱら運転手さんまかせです。
どうも私は、歌舞伎の世界とか時代劇の世界にばかり住んでいるせいでしょうか、こういう車の運転は苦手のようです。チャンバラをやったり、のんびりした三味線を弾いたり、日本舞踊をやっているせいでしょうか、機械類をいじりつけないのです。
思うままに、自分で運転ができたら楽しいだろうと思う時もありますが、それは単に思うだけで、運転を習おうなどという気にはなれません。また、そういう暇もないことも事実ですが・・・
時々、ドライブがしたくなって六甲の方に車を走らせることもありますけれど、いつも運転手さんまかせです。やはり、私は、古い型の人間なのかも知れませんね。
錦之助さんもキャデラックを買ったようですが、彼は運転ができるんではないでしょうか。
また、千代ちゃんも運転が出来るんじゃないかしら。千代ちゃんはサイクリングが好きだから。

以上、このように書いていました。

📷画像は別の雑誌からのもので、
自家用車ビュイックに乗るところの橋蔵さまを撮ったスナップになります。瞬間的なスナップに納まった橋蔵さま、何ともいえないいい感じで、私の好きなスナップの一つです。
👆(画像の上をクリックすると画面の違うところで見ることが出来ます)

引用して返信編集・削除(未編集)

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱雑談になりますが・・・✱ #2020.9.14

やっと秋を感じる陽気になりました。
今日は雑談でお邪魔します。

毎週日曜日、ホームでの夕食時間には「ちびまる子ちゃん」を見ることにしています。ちびまる子ちゃんのキャラクター憎めない、好きですね。今までアニメは絶対に見なかった私ですが、「郷に入れば・・」で若いスタッフと楽しく見ています。
昨日、見ていたらまる子が祖父の友蔵さんが見たい番組を見せてあげていたのが終わったところなんです。
そのテレビの番組は、寛永通宝の通貨に銭形平次と書かれた絵があらわれたから「えっ、何だ」と思いましたよ。
ちびまる子ちゃんは1974年から1975年のさくらももこさんのお話ですが、祖父の友蔵は「銭形平次」の大ファンだったのね、一緒に見ていたまる子ちゃんもファンでいたんだろうな、と嬉しくなってしまいました。テレビの銭形平次が終わった後、まる子ちゃんと友蔵さんが大声で”男だったら~銭形平次”と歌い始めたから、私も心の中で歌って楽しんでしまいました。

先週土曜日に、にっぽんの芸能「蔵出し名舞台 四世中村雀右衛門 五世中村富十郎」を放送するというのでチャンネルを合わしました。
語り継がれている最強コンビ、四世中村雀右衛門・五世中村富十郎の「二人椀久」の名舞台をアーカイブスで振り返った時間でした。

普通なら見なかったと思います。しかし「二人椀久」と聞いては・・・歌舞伎界でも素晴らしいと言われている舞踊を見ずしては何も語れないですもの。それに、橋蔵さまが藤間紫さんと踊った舞台、1974年5月明治座夜の部で踊った「幻椀久」が脳裏に浮かんできましたからなおさらです。(他にもスチールあるのですが、手っ取り早く筋書より1画像を掲載します)

どちらがどちらというものでなく、それぞれに持っている芸風がありますから、・・・それを重きにおいて鑑賞、・・・やはりすごいと感心させられた時間でした。
立方そして踊りの名手、若年時は上方で二代目中村扇雀と扇鶴コンビとして人気を博し、関西歌舞伎の大物たちを育てた武智鉄二さん演出による歌舞伎に参加し古典の品格や解釈を学び、終戦後は母の吾妻徳穂と共にアメリカ、ヨーロッパで日本舞踊の公演を行ったことが、その後に何らかの影響を与えたといわれます。
二代目尾上松緑から荒事や舞踊を学び、六代目尾上菊五郎の舞台に魅せられ、写実的な世話物の系統を、すべてにおいて学んだということです。

その富十郎さんの生年月日は1929年6月橋蔵さまとは2ヶ月違いなのですね。橋蔵さまが歌舞伎の舞台で本格的に活躍していたら、後々東西歌舞伎でのお二人の舞踊が見られたかも?しれませんね。

👆(画像の上をクリックすると画面の違うところで見ることが出来ます)

引用して返信編集・削除(編集済: 2022年04月23日 14:47)

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱9月作品放送スケジュール✱ #2020.8.19

「御金蔵破り」は、石井監督の初の時代劇でフランス映画『地下室のメロディー』をイメージする演出は面白いサスペンス時代劇となっています。東映ではポルノとアクション映画を量産した監督だけあって、この作品にも石井監督らしい作風が見え、この時代の東映の時代劇の路線もはっきりと見えてきています。脇をかためているのは、丹波哲郎、杉浦直樹、今井健二、待田京介、安部徹という東映ヤクザ路線のベテラン面々です。このような中での、半次という役柄に橋蔵さまの持ち味が十分に生かされていないと言えるかもしれません。
当時話題の二人のラブシーン場面、なるほどここまでラブシーンを入れて来たのも監督の得意とするところ、会社側のスキャンダルを利用しての観客動員も狙ったものでしょうが、憧れの橋蔵さまのイメージは砕かれ、時代劇のラブシーンとしては異様に長すぎて、ある意味での美がなく半減してしまいます。
「主水之介三番勝負」は殺陣がみごたえがありますね。筋的には印象はあまり残らないほうかしら。
その点、お決まりの展開なのですが、何回見ても、任侠やくざものオールスター作品は痛快そのもの、東映時代劇ここにありというところでしょう。

画像は「御金蔵破り」のラストシーンより3枚掲載してみました。
👆(画像の上をクリックすると画面の違うところで見ることが出来ます)

引用して返信編集・削除(未編集)
合計885件 (投稿771, 返信114)

ロケットBBS

Page Top