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✱作品それぞれに思いあり✱ #2019.3.10
春3月は本当に気候が激しいですね。今日から明日にかけ大雨、暴風と大荒れの天気になりそうです。北海道はここ2,3日雪もふるということ、ですからお気をつけください。
今日は、東日本大震災から明日で8年のためのテレビでいろいろ放送しています。あの時何をしていただろう・・と、東京でも大変な揺れに、そして余震が幾度となく・・あの恐怖感は今も鮮明に思い出されます。大地震は起きてほしくないですね。
その中いやな事を吹き飛ばしてくれるように、春の草花が咲き競うようになりました。さくら、梅、モクレン、チューリップ、芝桜、スイートピー、ガーベラ等いっぱい咲き乱れます。その中、今年はラナンキュラスの色が豊富で、切り花として持ちがよいということで、今人気があるようです。
あなたはどんな花がお好きですか・・橋蔵さまがあの花が・・と言っていたから・・も良いとは思いますが、ご自分を主張出来るようなよい素晴らしい花を見つけてみましょう。
私は平次が始まった時は高校生で、水曜20時にはチャンネルは私の思うままに8chで、受験最中も見ていたのに、内容を覚えているものが全然ないのです。
映画もしかり。私は何を見ていたのでしょうね。そして3月から始まった
1970年から1984年最終回までも同じこと。橋蔵さまのテレビ時代をただ画面を見つめていただけで、内容はどうでも良かったという事になるのでしょう。
209回・・まだよく見ていないのですが、香山さんのお静との絡みが思っていたほど印象に残りませんでした。一回目ということもあるでしょうね。この後、八千草さんとのうぶな感じのお静とは違った平次との絡みを期待しながら見ていきたいと思います。
江戸っ子橋蔵さまにはシとヒは辛いわね。気をつけていて、セリフ回しで誤魔化せる時もあるのだけれど、聞いている私もそんなに気にしないようにしていますが、人の名前の時は、やはり気になってしまう時があります。
「濡れ燕 くれない権八」の時、橋蔵さま自身とても注意をしていたのは分かるのですが、ラストで比呂恵(ひろえ)さんと何回も言うところなのですが・・・比呂恵が権八を好きだという意思表示をして、権八も比呂恵を愛おしく思い抱くのです・・ここでです「比呂恵さん」と2回いうのかな・・それが完全に「しろえ」さんと聞こえてしまうから、折角のところで見ていて吹き出してしまう。そこが脳裏にインプットされてしまって・・江戸っ子にはきつい場面でのセリフだったと思いますわ。
各映画会社がコンビを作って売り出しましたが、トミイ・マミイコンビの魅力は、時代劇という利点をふんだんに使いお二人の魅力がしっくり溶け合ったところに強味がありましたね。十代のひばりさんが各映画会社で共演した人たちから吸収したものと歌手として感情移入が上手いひばりさんですから、橋蔵さまをリードしていくことは上手いものでしたね。橋蔵さまは女形出身ですから、相手を立てることを叩きこまれています。勿論お互いに息が合うことが第一ですが、橋蔵さまの受け身が上手く、ひばりさんがより実力を出してリードし、橋蔵さんは相手が上手い人だとそれに答える魅力をより出してくるのだと思います。
舞台ではお二人の姿を舞踊で見ることはできましたが、ちゃんとした舞台劇での共演がなかったのは残念なことでした。
平次の最終回を見てしまうと、やはり年月というものを感じてしまい、少し長すぎたなという感じが見え残念ですが、これから放送になるのは5年目の平次さんですから、まだまだ大丈夫・・楽しんでください。
若さま侍も、スリラー、ミステリーを強く入れた作品になってきたので、それまでの若さま侍らしき良さが薄らいできたのが残念です。
「若さま侍捕物帖」と「紅鶴屋敷」の2作品が橋蔵さまの若さま侍捕物帖としての代表作として残って行くのでしょうか。
私は、若さま侍として好きなのはモノクロの「鮮血の晴着」・・橋蔵さまの美しさはモノクロでもの凄く引き立ちますね。
地上波、BSで時代劇の放送は、2時間の特別番組で制作したものぐらいしかやりませんし、BSで流しているものもCSと同じように数年前放送したもを何回も同じものを流しているだけ。本当につまらないものですね。
日本全国に流れる地上波とBSで、橋蔵さまの平次を放送して欲しいな。今見ていても見劣りがしない橋蔵平次ですからね。
「花笠若衆」橋蔵さまとひばりさんが、本当にしっくりいった作品ですね。この作品は「花笠道中」の歌と共に残っていくでしょうね。
✱アルファベットでのもの知り手帖」から③✱ #2019.3.3
東京の現在は昨日とうって変わって冷たい雨が降っています。夕方からは本格的な雨になりそうです。
🎎 ひな祭りの日ですが、皆様はどのように過ごしていらっしゃろいますか。
東京マラソンが行われている最中です。普通は2月の最終日曜日なのだけれど今回は流れから3月第一日曜日になっています。それにしても3万8千人、みんなすごいなあ。
オリンピック期待の大迫選手は29キロで途中棄権、何が起こるかわかりません。これからは一般市民ランナーが走っている様子を映して行きますので、チャンネルを変えて・・CSも?仕方ない、十津川警部をBGM代わりにかけて・・。
私は、いつものように橋蔵さまの整理、今日は”鮮血の人魚”の雑誌整理に入っています。 別冊本は、皆さんにお伝えしたい記事が沢山あるので大変だ・・・でも、ブログにおいでくださる人がいらっしゃる間は頑張りますよ。
では、続きのアルファベットでのもの知り手帖」からになります。
P.ペットは東京のお家で飼っている2匹のスピッツです。母犬がバンビ、子犬がチコといいます。純白のペットは、橋蔵さんの純情無垢な動物の可愛がりようにふさわしいもので、東京のお家のサンルームでスピッツを相手に戯れている所は、まことに微笑ましい光景といえましょう。京都のお宿にはファンからのプレゼントのマスコットが、寝起きする橋蔵さんをやさしく見つめています。
Q(.質問)
癖は? 考え事をしている時や困ったことがある時爪を噛む癖があります。
好きな洋服の色は? グリーンか紺です
どんな人にあってみたいですか? 外国スターではソフィア・ローレン、
それに無理でしょうが亡くなった父(六代目尾上菊五郎丈)
行ってみたい外国は? ハワイです、フラダンスをやったり泳いでゆっくり数日過ごしてみたいと思います
R.ラジオの番組は歌謡曲、テレビの番組は舞台中継と、お好きなダイアルはだいたい決まっています。布団にもぐり込んで枕もとのラジオのダイアルを、歌謡曲を探しながら廻すひとときは「これで今日も無事に終わった」という安心感で最もたのしいひとときだそうです。昼間、ラジオを聴いたりテレビを見たりすることはあまりないそうですが、ロケーションに行く時は、自動車のラジオのダイアルを音楽の方に廻してもらうのが普通です。また、ラジオに出るのも好きで、今までにもひばりちゃんと一緒に放送劇に出たこともあり、セリフの勉強にもなるので、時間的な余裕さえあれば、出来るだけラジオ放送には出たいと思ってはいるそうです。
S.寸法帖。身長五尺六寸三分、体重十文貫、足袋の文数十六半・・・等々。
T.東京のお家は、・・・六代目菊五郎丈の未亡人や義兄の尾上九朗衛門さんたちが住んでいらっしゃいます。たまの休みも、後援会の会合や、地方の映画館の御挨拶で忙しく、お家にはめったに帰れませんが、橋蔵さんにとって最も居心地がいいお家だそうです。京都のお住いは・・吉乃旅館の一部屋です。不自由な旅館住いで東京のお家を懐かしがるのは無理もありませんが、この不自由さをしのんで橋蔵さんは頑張っているのです。
U.運動神経は発達している方で、映画入り前は、菊五郎劇団の若手俳優さん達で結成している野球チームに所属しており、大いに野球ぶりを発揮していましたが、この頃は忙しくなったので、野球ともご無沙汰です。ゴルフも身体を使う意味で、映画界入りの前からやっていらっしゃったそうですが、どちらかといえば、野球の方が好きなようです。
V.ビレッジ(村のこと)。もともと東京に生まれて東京で育ったので、いわゆる村の生活などは経験したことはないが、よくロケーションなどで、京都のまわりの田畑のある村落などに出かけると、こういう静かな生活をしてみたいと思う事があるそうです。「気候のよい太平洋の一孤島を借りて、気の合った者同士で一つの村落を作ってのんびりと生活してみたいなァ、魚を釣ったり、川で泳いだりして・・」と夢のような事を時々考えるようですが、忙しい毎日に、こういう想像をするのも楽しいことだとつぶやきます。
W.若さま侍捕物帖は大川橋蔵さんお得意のシリーズもの、長谷川一夫さんの「銭形平次」、高田浩吉さんの「黒門町の伝七」、片岡千恵蔵さんの「遠山金四郎」、市川右太右衛門さんの「旗本退屈男」・・と、時代劇の第スターたちはそれぞれ十八番の当たり役をもっていますが、デビュー直後の橋蔵さんも、31年2月公開された「地獄の皿屋敷」と「べらんめえ活人剣」で、シリーズ作品のスターとをきりました。今回の「鮮血の人魚」で6本目を数え、このシリーズ初めての天然色ワイド作品となったのですが、粋で鯔背で気っぷのよい若さまの推理と剣の冴えは、ますます多くのファンを魅了していくでしょう。・・・
ファンにとって一つの知りたいことといえば、若さま侍には名前がないことです。これはスタートした時から名前がなく、「若さま」という呼び名だけだったので、城先生も、これからは名前のないままにストーリーを書いていくとおっしゃっています。恋人おいとと、船宿喜仙、それに、眼もさめるような正義の剣一文字竜正眼崩しはファンの皆さんすでにご存知のはずです。
X.(Xとは未知数を表します)橋蔵さんの将来はXです。何故って、まだ2年に満たない映画生活なのですから・・。初めて映画に出た時は「一本だけやってみよう」という気持から出たのですが、「もう一本だけ」というわけで次回作に出、そして「おしどり囃子」の成功で、映画スターに一生をかけようという気になったのですが、大当たりの若さまで天下のファンを熱狂させ、むずかしいヤクザものは「喧嘩道中」で見事にやり了せ、一応、橋蔵さんの時代劇スターへの第一期は成功に終わりました。これからが問題だといえましょう。
東映には、中村錦之助さん、東千代之介さん、伏見扇太郎さん、尾上鯉之助さんといったライバルがおり、他社にも、時代劇の王座を狙う多士済々のスターがおります。・・・橋蔵さんのXを輝けるものにするのには、ファンの熱心な支援によるものといえるのです。
Y.友人は美空ひばりさんを第一に押さなければなりません。デビュー当時からお互いに「トミー」「マミー」と呼び合った仲で、その仲の良さは、ファンの皆さんもよくご存知のはず。
その他、歌舞伎時代から、市川雷蔵さんや中村錦之助さんとも仲が良かったということです。それに明るい性格の橋蔵さんの事ですから、東映撮影所で働く全部のスタッフの人達やスターの皆さんと、あらゆる意味での友達となっています。
Z.大川橋蔵さんの「AからZまで」もこれで終りです。「さて、私のトミーにまだ何か聞きたいことがあったわ?」とおっしゃる方は、是非近代映画編集部宛てにお手紙ください。あなたに代わって橋蔵さんに質問し、次の機会にそのお答えをのせることにいたしましょう。
(おわり)
今は、情報過多で皆様ご存知のことが多いですが、当時スターを知るには、大方の人は雑誌からしか情報を得られなかった時代です。その雑誌も小、中、髙生にでは全部買うことは無理だったと思います。
そう思うと、今橋蔵さまのことを何でも知っているかのように、見てきたかのように話す人たちの中に、どれだけスターとしての橋蔵さまを真に語れる人がいるでしょうか。みんな受け売りで話しているのが多いということを、念頭において発言して欲しいものだと思います
✱「アルファベットでのもの知り手帖」から②✱ #2019.2.27
当時、関係者はもとより、橋蔵さまの体調があまりよくないと耳に入ってきていた後援会関係の人達も、「銭形平次」最後・・出演者でのお練り?・・演出に入っていますから、橋蔵平次としての素晴らしい笑顔を残して無事終えられほっとしたことでしょう。最終回となるまで何事もなく、途中で打ち切りにならなくて本当によかった・・しかし18年は長過ぎました。
テレビでの時代劇の内容が変わって来て、正統派の時代劇は視聴率がとれなくなって「銭形平次」も終わりにと決まった次第で、橋蔵さまの健康上もすぐれなくなっていましたから、よかったといえばそうなのですが・・・テレビでの時代劇を決めかねていた時、橋蔵さまの側にいた方からの助言で転向を決めたのが大きかった。やはり、橋蔵さまのことを本当に考えてくださる方が身近にいなくなるという事は・・商業ペースで物事は進んでいきますから、大川橋蔵というスターで視聴率が稼げるときはどんどん押して行けという世界ですから。多分この道を行っていればしばらく生活は安泰という気持がどこかにあったと思います。
その前に大川橋蔵にオファーが来たところの吟味をして、次のステップを築いてくれる人が傍にいてくれたら、違った大川橋蔵が見えていたと思います。
NHKでさえ、舞踊の番組でも取り上げていたし、特別公演の舞台を録画放送もしていたのですもの。
銭形平次で命を縮めてしまったと言われている橋蔵さま、18年携わったことは凄いことですがその代償として・・・、次のステップに踏み込む時期を逸してしまいました。
天の橋蔵さま、つまらないことを述べて御免なさい・・・でも、大川橋蔵という役者、俳優を心底愛している私には、銭形平次の回が最終に進むにつれ、顔や目に輝きが見えなくなっていった橋蔵平次が、最後も映像として残ることを考えてのあの演出。目に焼きついているので、考えただけで悔しい!!そのことを思うと涙が出てきてしまいます。
湿っぽい話はここまで
🌳当時の雑誌記事に目を通していない方たちのために、
「アルファベットでのもの知り手帖」から・・・本日はH~Oまでてす。
1957年”鮮血の人魚”の撮影当時に橋蔵さんに改めてお聞きしたものからの抜粋になります。
(私なりのニュアンスで、私なりのアレンジで書いていきますのでその点ご了承下さい。)
H.初舞台は昭和10年3月、満5才のことで、当時の詳しい事は覚えていらっしゃらないそうですが、今は亡き父君の六代目菊五郎丈と「先代萩」を演じた事は、一生の感激としてこれからも忘れられないことでしょう、とおっしゃっています。
市川男女丸を名乗って歌舞伎役者としてスタートし、子供時代は、どちらかと言うと男の子役を演じ、好きな当時のお芝居には「めぐみの喧嘩」の又六、「重乃井」の三吉などがあります。
I.入野きくさんという方が、橋蔵さんのバアやさんです。橋蔵さんがまだ市川男女丸と名乗っていらした時からの間柄で、東京芝公園のお家で、忙しい橋蔵さんのお帰りを待っています。「あの頃はこうでした、この時はこうでした」と、小さい頃の思い出話をされて、まだ子ども扱いをされる橋蔵さんは、このバアやさんには頭が上がらず、「どうもバアやには勝てないよ」と苦笑します。
それでも、長い間世話になったので、お母様や、その他の肉親に劣らない愛情を持って、病気をしたときなど、わざわざ京都から電話をかけて病状を聞いてくる程なのです。
J.ジョーダンはおまり言わない方ですが、時々傑作を言って、皆を笑わせます。
そんな時には、橋蔵さんお得意の例の豪傑笑いをして、無邪気に語りあいます。
東京の撮影所から大川恵子さんが呼ばれて共演することになった「緋ぼたん肌」の時など、何かの都合でスタッフの人達に大川恵子さんを紹介する時に、「僕の妹の大川恵子です。僕同様可愛がってください」と、緊張している大川恵子さんの気持ちをほぐすようなユーモラスな冗談をいうといった程度の明朗さがあります。
K.嫌いな男性は、物事にはっきりしないネチネチした性格の人です。これは、東京のど真ん中の柳橋で生まれ、礼儀正しい歌舞伎の世界で育った江戸っ子橋蔵さんの性格から当然の事でしょう。嫌いなタイプの女性は、いわゆる女性らしくない人。また、爪を長く伸ばした女性は好きではないそうです。
L.LP、EPと、レコードも沢山ありますが、東京のお家の電気蓄音器のためにレコードを集めるのも趣味のひとつ。ひとり静かに東京の家で好きな市コードを聞くのも、忙しくなってしまった現在、しばらくご無沙汰していますが、こんなひと時は、橋蔵さんの好きな時間のひとつです。
歌謡曲のレコードをかけて、それに合わせて歌をうたうのも好きで、三橋美智也さんや美空ひばりさんのレコードは大好きで集めています。レコードに合わせて歌いそれをテープレコーダーに吹き込んで、お客さんに聞かせて驚かすといった、変わった事をする趣味もあります。好きな曲は、三橋美智也さんの「あの娘が泣いてる波止場」高田浩吉つんの「りんどう峠」ひばりちゃんの「りんご追分」です。
M.ミドル・スクール(中学校)は、東京の蔵前高等小学校から日大三中に進みましたが、お得意の学科は、国語と英語でした。夏休みでも午前中は必ず宿題や予習のために机に向かうという模範中学生でした。
N.日本趣味の橋蔵さんは、歌舞伎俳優として必要な三味線、長唄、常磐津、笛・・・と、一応芸事は習いましたが、踊りは神様といわれる六代目菊五郎丈の薫陶をうけて、立派な腕前、日本舞踊は藤間勘十郎さんの門下で、藤間勘之丞の名をおもちです。
好きなスタイルは浴衣だということですが、こんな日本趣味とともに、実用的だという理由から、普段は洋服をお召になっていらっしゃり、案外モダンな一面も合わせてお持ちのようです。
O.お洒落にはこれといって気を使いませんといっていますが、他人が見ていろいろとこだわりがあるようです。
ネクタイ、ハンカチその他の持ち歩いたり身につけたりするものは、決して自分で選んだリした物以外は身につけません。
お洒落のポイントは「自分にあったもの」ということですが、こんなところから、モダンなセンスで身についたお洒落がにじみ出るのではないでしょうか。
ワイシャツは、汗臭いものやシワになったものは、必ず取り替えるようにしています。こんなお洒落は持ち前の清潔好きと几帳面さから生まれるのでしょう。
✱久しぶりに・・「アルファベットもの知り手帖」から①✱ #2019.2.24
昨日は強風が吹き荒れていた東京ですが、今日は快晴ではありませんが穏やかな一日となるようです。天候が変化するたびに強風が吹き荒れ台風並みの暴風となる「春の嵐」は3月から吹くのですが気象的にはやはり暖かくなっているのですね。
花粉が今年は相当飛んでいるようですので、花粉症の方は万全な対策を。
梅の花がそろそろ見頃なところもあると思いますが、最近は情緒というものが薄れてきたのでしょうか、あまり話題になってきません。都心では3月20日頃にソメイヨシノ桜が開花するようです。
今日は映画から離れて・・・私は今橋蔵さまに関する雑誌の整理がやっと1957年秋頃まで出来つつあります。近代映画の作品の特集ものになると一冊の中から何処の部分を載せようかと四苦八苦して相当な時間を費やしてしまいます。
1ページ1ページと目を通して打ち込んでいくのは負担がかかりますが、その作業のおかげで年代ごとの橋蔵さまをじっくり見ていくことができ、私自身橋蔵さまを振り返って想い出していけるので、橋蔵さまと真剣に向き合っています。
今日は、そのあたりの雑誌より、ちょっとお先に・・・。
橋蔵さまのことなら頭の先からつま先まで何でも知りたいというファンのために、映画デビュー当時からいろいろな質問事項が各雑誌には溢れていました。
1957年”鮮血の人魚”の撮影当時に橋蔵さんに改めてお聞きしたものからの抜粋になります。(私なりのニュアンスで、私なりのアレンジで書いていきますのでその点ご了承下さい。)
この雑誌の記事コーナーを読んだ方もおありだと思いますが、読んだことがない方のためにご辛抱いただければうれしいです。
今になってはそんなこと全部知っているわよ、という方もおありでしょうが、1957年(_S32年)当時、あなたはこれだけの情報をもっていましたか。その当時ファンであった人も、後からいろいろな雑誌に目を通した方も当時の状況を頭に描いてくださると有難いです。
※「アルファベットでのもの知り手帖」から・・・本日はA~Gまでてす。
A.アブラッこい食べ物が好みだったのは皆様ご存知ですね。吉乃旅館に滞在していた橋蔵さん。「肉が食べたーい。一日肉を食べなかったから身体がパサパサになっちゃった」と言って旅館の女中さんを相手に冗談をいったりしています。
アブラっこいものが好きですが、橋蔵さんはどんなに食べても太りません。ファンにとってはとってもうれしいこと、日毎に太ってしまっては”ゲンメツ”を感じてしまいますもの。
B.床屋さんの方から、橋蔵さんの髪の毛についておききしました。
はじめはパーマがかかっているのかと思ったらしいです。橋蔵さんの髪は、少しくせ毛でウェーブがかかっていて、毛はあまり多い方ではありません。
橋蔵さんは月に2回は理髪店に見えるそうです。
橋蔵さんは、カツラをかぶって撮影をしていらしても髪の手入れはおろそかにせず、香りのよい上品なポマードで整髪しています。
ナポレオンの生活を描いた「デジレ」というアメリカ映画で、マーロン・ブランドがしたように、短めの髪を前へたらすようにしていたことがあります。
「どうだい、よく似合うだろう、橋蔵へやー・スタイルとでも名付けて流行らせようかな」なんて言っていましたが、雑誌で見たシスター・ボーイの髪型に似ているといわれ、その日から止めてしまったことがありました。
C.映画のカットから。カット、カットに分けてあっちを撮ったり、こちらを撮ったりする映画の仕事は、「初めから終わりまで通してやる舞台の芝居と違って、どうも上手く気分が出ないで困ります」とデビュー当時言っていた橋蔵さんも二十数本の映画出演で、すっかり”中ヌキ”などの映画制作上のコツも呑みこみ、
意欲満々です。
D.デビュー作の感想をききました。「ただもう夢中で・・、最初のラッシュを見た時にはもう少し上手くできたろうに・・と思いました。それでも、相手役がひばりちゃんだったので、何かにつけて緊張をほぐしてくれたので、割合気軽にやれたようでした」と答えてくれましたが、女形時代に鍛えたカンと、公卿役というおとなしい役だったので、批評は立派で今日のトップ・スターの源を築くのにふさわしいデビューぶりでした。
E.映画鑑賞は暇さえあればする橋蔵さんはですが、外国映画はスリラーものとか西部劇といった娯楽本位の作品が多いようです。日常の話題になる名作とか問題作も見に行きます。日本映画は時代劇を多く見ます。
時代劇スターに一生をかけるのですから先輩スターの時代劇をかかさず見て勉強しています。
F.ファン・レターに必ず目を通すのが日課です。東京の家と京都の旅館には、ひっきりなしにファン・レターの束が舞い込みますが、几帳面で整理好きの橋蔵さんは、地方ロケに出た時以外は、その日に来たファン・レターには必ず目を通します。歌舞伎時代には、ファン層が芸者さんといった粋筋の方が多かったようですが、今ではほとんどが女学生といったところです。なるべく暇さえあれば、地方で開くファンとの茶話会にはこれらの十代ファンで、時ならぬ大騒ぎを演ずるのですが、茶話会に出席した橋蔵さんは、ファンの質問に答えたり、歌を歌ったり、楽しいひと時を過ごすのが、忙しい中にもうるおいのあるスケジュールとなっています。
G.ガール・フレンドは、一万数千人に及ぶ、全国の後援会の女性会員です、といってさしつかえないでしょう。後援会の集まりで楽しそうにファンと語る橋蔵さんのの横顔からは、ガール・フレンドと過ごすひとときを愉しむ満足そうな表情がくみとれます。
理想の女性は、健康で、着物をきても洋服を着ても美しく似合う人、ということです。
今日はここまで次はHから始めますね。
✱ 種々雑多✱ #2019.2.20
皆様の地方は春のきざしは見えてきましたでしょうか? 昨日寒かった東京は今日は暖かだったようですが、今はどんより雨が落ちてきそうな空模様です。まだまだ3月末までは温度差が激しいですから、体調にお気をつけて毎日を過ごしましょう。
映画作品を映画館で見ることが出来る条件が揃う人は限られますから、テレビ放送で旧作品を見ることが出来、録画、DVDで何回も見ることが出来る時代・・・感謝です。そこへ、テレビ画面が壁掛けにするまでの大きいものになってきていますから、 テレビでゆっくりと鑑賞できることは、私のように老いていく者には有難いことです。
そこで、橋蔵さまは芸の上ですべてに美しくていらっしゃいます。
ですから橋蔵さまの全てを知りたい、橋蔵さま側に立ってよき事が書いてあるとその通りと思うのは当たり前のことなのですが、生意気な事をいいますが、そこから自分なりの橋蔵さまを探り出してほしいのです。
古の写真は懐かしさをかもし出すものであり、当時の橋蔵さまを見ていない人には、どうやっても本当のものは通じないものです。動いて感じられるものは・・・映画作品になるわけです。
作品でも大川橋蔵ならこの作品というものの放送が多いのはおわかりでしょう。
役者、俳優も代表作だけが後世のある時まで残っていくわけです。そうすると橋蔵さまが残っていくものは、やはり映画作品になるのです。
この掲示板には、若い方もいらしていただいていますが、橋蔵さまの歌舞伎時代の舞台、そして年3回各舞台をやっていたとは知っていても写真は見たことがあっても、ピンとこないはずです。
何故なら、舞台は数回見ていなければその人の良さは解らないはず、見てもいない人に当時どうのこうのという事は言うことはできないものです。そして、若い人達に橋蔵さまを伝えていただく時、公正な眼で見て伝えていってほしいと思います。橋蔵さまが好きだから、橋蔵さまなら何でも素晴らしいという考えはよいですが、見てもいない良く知ってもいないことを、ただほめたたえるばかりが真の橋蔵さまファンと勘違いしないで、そこは弁えてほしいという事を思います。
うるさいことを長々と失礼いたしました。
では、橋蔵さまの・・・
旧作品の放送を見ていて、違和感なく橋蔵さまが現世にいらっしゃる感覚でみられます。
NHKの当時の「平清盛」の話は、錦之助さんが演られた「春の坂道」に次いで考えていたもののようです。清盛は30年代という若い年齢でなくなりましたから、橋蔵さまの美貌をいかし人気から、老け役をやらなくてよい題材という事もあったようです。
当時のNHKの大河に出ることは、全国に響き渡るわけですから、成功すれば一生ものですし、あらゆる面から取り上げられます。
考えたあげく、橋蔵さまの生き方やりたい事柄・・”銭形”と同時に”舞台”に進出したことで、冒険をすることをやめたような気もするのです。舞台だけの演目で一か月公演で集客するのは困難な事、”銭形”をセットにすればスポンサーもついてくるしテレビ局側もOK。舞台は金銭面で大変ですからそのことも考えたでしょう。橋蔵さまは”銭形”のおかげで安泰、舞台も好きなだけできたし、ファンは長い間我が家で毎週橋蔵さまと会えたのですから、幸せな時だったのです。
話は飛びますが、先日錦之助さんの1991年の「雲霧仁左衛門」を見ていました。
若山富三郎さんが絡んでの内容は面白いものでした。
しかし、時代劇とはいえ年齢には勝てないものです。人は眼に年齢を感じます。他をよく見せても、眼の光までは変えられません。演技の要となるのではないのでしょうか。
そう考えて、橋蔵さまの「銭形平次」とも付き合っていこうと思っています。
テレビの「銭形平次」は、橋蔵さまも家庭を持ちましたから、平次親分のような夫だったらいいなあ、と思わせる箇所を毎回入れて、家庭に入ったファンが平次親分に恋する気持ちを持たせましたね。
映画作品は、橋蔵さまの青春期・・・私達をその若々しい演技で時代劇という夢の世界にひき込んでくださいます。
✱思うこと✱ #2019.1.13
東映だから出来たオールスターの「次郎長もの」、橋蔵さんと共に年代を追って楽しめる作品でした。肌がつるんとした若々しい橋蔵さまから、映画生活にもなれ橋蔵さまらしい魅力を見せてきた時代へと、変化がよく分かると思います。
私は「任侠中仙道」での丘さとみさんが橋蔵さまと良い色の絡みを見せてくれたのにはうれしかったわ。
橋蔵さまもこの頃になるとひと回り大きくなって安心して見ていられるようになっていますしねの。
橋蔵さまとひばりさんのコンビは抜群だと思います、がトミイ・マミイという「花笠若衆」までのような共演がなくなってしまったし、ひばりさんは東映に所属で現代劇にも出ていましたので、その後話題にはあまり登らなくなりましたね。
橋蔵さまの役が、「任侠中仙道」の次に「勢揃い東海道」で吉良の仁吉という少し落ち着いた役になってしまったのが残念ではありましたが、橋蔵さまの持ち味からするとやはりそうなってしまうのでしょう。この作品ではやはり錦之助さんの大前田の栄次郎がいい役で目立ちますね。
普通は仁吉が三下り半を書き直接女房に渡すという内容のものになって二人の別れの場面を作るのですが、「勢揃い東海道」は、やはり橋蔵さまの得意の”泣き”を持ってきて、仁吉の気持ちを切々と説きお新と別れに持っていくという、何となく芝居がかった仁吉とお新の問答になっているように思えます。安濃徳のところから帰って来て、子供の寝顔を見て、お新に「一本つけてくれ」というところは、仁吉にしては、ちょっと女っぽい仕草が・・見方によっては賛否両論でしょう。
私この映画を当時映画館で見ているのですが、何故か覚えているところは、ある一カ所だけなのです。見終った後の感想は、思った程のものでないがっかり、というものでした。仕方ないですね、子供には理解するのは難しいものでした。
NHKの「伝統の至芸」で橋蔵さまがお亡くなりになった後、藤間紫さんがゲストで橋蔵さまのことを語っていました。その中で、橋蔵さまがお亡くなりになる一年前の1983年に放送した「邦楽百選」のインタビューを入れ、その後舞踊の映像をいくつか流していました。義太夫”海女”は全部、あとは部分的なところで、最後のところで”春興鏡獅子”がながれました。
NHKのお昼頃の番組で、俳優の篠井英介さんがゲストの時に、藤間流という事もあり、大川橋蔵さんの舞踊を是非見たいと言うので、少しですが”京鹿の子娘道成寺”が流れました。
「銭形平次」一挙に第888回へ行ってしまいます。最後が見られることは嬉しいのですが、私には心の準備が必要なのです。えっちゃん様も思ったように、顔は化粧で隠すことはできますが、痩せたのが大切な首に表れているので、せつない思いです。
平次の後に5月からの放送になったフジテレビの記念番組「蝶々さんと息子たち」に踊りの家元ででましたね。
私見ていたのですが、いまはっきりとは橋蔵さまを思い出せません。橋蔵さま初めての現代劇に出るので、大丈夫かとドキドキ、体調が悪いと当時聞いていましたから大丈夫なのかなと思ったりで、じっくりと見ていなかったな。今になるとすごーく残念です。
病は思わぬところで体をむしばんでいきます。橋蔵さまはこのドラマの収録中に倒れたようでそこで入院するということになりました。
橋蔵さまの病は、「大川橋蔵特別公演」と銘打って歌舞伎座、新歌舞伎座、明治座と公演を始めて8年目ごろ腫瘍が見つかり薬を飲み治療をしていましたが、1983年頃にはひどく体調を崩し、新歌舞伎座の舞台公演で舞台そでで倒れ込むという光景が見られ、入退院を繰り返しながら(・・銭形平次は888話で最終回と決まり・・そこまではと・・)身体の痛みをこらえながら頑張った橋蔵さまです。
その「銭形平次」の最終回、にこやかな顔でファンが見守る中歩いてゆく姿を見ていると
“橋蔵さまは、すごいな”と思いながら、過去った日々に、紋付きでのご挨拶の橋蔵さまの精一杯の口上を見ていると辛いものがあります。
そこまでして残していった「銭形平次」・・・後世に全作品放送していただけることを願っています。
映画で色々な表情を見せてくださる橋蔵さまの作品が、1が月お休みして、東映チャンネルでまた見ることができます。
大川橋蔵をすべてのファンや人々が何時の世にも実感できるのは映画だけです。
文字で残しても、画像で残しても、それは大川橋蔵の実在した時代を知った人達だけが彼をより確かなものと実感する付属でしかありません。知らない人は、どんなに素晴らしいかということを聞いたり読んだりしても、本当に理解することは無理だと思います。そして、その人達が、素晴らしさを人に伝えても、実際を全然知らないのですから・・どうでしょう。
時代劇が廃れただけではありません、歌舞伎の世界も時代が変わり観客を呼ぶため出し物が変わってきています。これからの人には和の世界は特殊なものになるでしょう。
橋蔵さま生誕90年、没後35年?になる今年~来年、沢山の映画がいろいろなところで見ることが出来ることを願っています。
とりあえず、CS加入の方は2月に橋蔵さまから元気をもらい楽しみ、寒い冬を乗り越えていきましょう。
✱思ったこと、諸々・・・です✱ #2018.12.19
今橋蔵さまのファンであるという若い人には申し訳ないけれど、幼い時に橋蔵さまを映画館で知った私のような年代の人達と、橋蔵さまをある程度大人になってから知った人達とでは橋蔵さまに感ずる思いが、口には表せないけれどどこか違う思いがあると思います。情報も今の様に得られない時代、本屋に行って月に数冊出る雑誌に目を通せる人や後援会に入られた方は良い方です。橋蔵さんが歌舞伎にいたことやいろいなことはわからない。そんな中、スクリーンに映し出される役柄の中から橋蔵さまの素晴らしさに魅力を感じたわけです。いろいろな情報を得ようなどということは思わず、ただただ映画だけに素直な思いでファンになったのです。
思うのです・・・大人になり、ある時期から後援会のお手伝いで橋蔵さまにも近くで会う機会が年に何回か出来るようになった私の場合、やはり橋蔵さまに対しての憧れ的なものが変わってきました。後援会の集いや舞台公演のとき、控室や楽屋での生身の橋蔵さまを見ていますと、ファンの前で見せるあのにこやかな顔とは違う面も必然的に見るようになりますから・・・そして、こちらも一生懸命お役に立とうという考えが強くなりました。
橋蔵さまが亡くなられて、橋蔵さまのことは全部忘れようと、東京の方にあった橋蔵さまに関係するものは捨ててしまいました。でも、10数年すぎた時、テレビ覧で橋蔵さまの映画の題名を目にしたとき、心の片隅にくすぶっていたものが、頭を持ち上げて来たのです。
やはり映画に見る橋蔵さまは忘れられません。舞台公演も明治座、歌舞伎座、時には新歌舞伎座と見てきました。しかし、舞台はその日その日のもの、お手伝いの合間にも何回も所々見たりもしていましたが、その時の体調、そしてお客様の層により又反応の仕方でちょっとずつ違っています。それだけ見て来た私ですが、あの舞台はここがどうでと覚えているものではありません。それに心に残っているところがあっても、なかなかうまく語れるまでの真剣さでは見ていませんから無理だと思います。だってファンとして好きな橋蔵さまを見ているのですから。
橋蔵さまの芝居・舞踊の素晴らしさを少ししか又は全然目にしていないのに見て来たように何かの資料を頭に入れておっしゃる方がいらっしゃるようなことを聞いたことがありますがそれは間違っているのではと感じます。
亡くなられた橋蔵さまの素晴らしさの演技等に対しては作品として放送される映画やDVD等を見てのことが根本で全国の橋蔵ファンの皆様と繋がって行くものだと思っています。
そこの原点を忘れずに、この掲示板は続けたいと思っています。。
来年初めは放送作品が少ないですが、橋蔵さまの出演作品が多く放送されるのを期待しましょう。
今朝、ラジオ番組で、歌舞伎の世界を離れ、劇団新派に入団し、二代目喜多村緑郎を襲名した方が出演していました。バンド活動をしたり俳優をしていたが、やるなら時代劇だ、京都へ行こうという気持を持ち、その前に和を学ぼうと歌舞伎の研修に参加し研修後、そのまま歌舞伎で3年修行し部屋子となったが、ある日新派に憧れ入団し2年前? 多村緑郎を襲名。
新派は古いということはないけれど時代に合わせて、よりお客さまに伝わるよう変えていく必要はあるのではと。40歳を過ぎた頃から時代劇に出演する機会がちらほらあり、時代劇スターになる夢…を持っているようです。
殺陣を覚えるにはやはり時代劇は京都だ・・・東映剣会でも修業をしたようです。
世代が違うと、魅力を感じた殺陣は、中村敦夫さんの木枯し紋次郎、市川雷蔵さんの眠狂四郎、松方弘樹さんのものなど、今の若い人が好んで見る時代劇の中のカッコイイとみえる殺陣のようです。
やはり、映画でもテレビでも、時代劇の殺陣に美しさはいらなくなっているようです。それはそうですね、女の人は自分の髪を使って頭をつくり、それに合わせて男の人も、昔のように綺麗に整った髷ではなくなって、リアル感を出しているのが今の時代劇ですから、きれいな、美しい殺陣は通用しないわけです。昔のような時代劇はもう戻っては来ないのでしょう。
✱忠臣蔵・・いやぁ長かったなあ✱ #2018.12.16
昨日は午後4時から「忠臣蔵櫻花の巻、菊花の巻」をリアルタイムで見ていました。この作品をじっくり見るのも久しぶりです。今回も目に止まるところがちょっとまた違っていたような気がします。
内匠頭と家来の主従関係が一番強く描かれているのはこの作品ですから、やはり前半は引きこまれます。内匠頭と上野介の動向がよく描かれているので、「そうそう、そうなのよ」とやはり引きこまれてはいきます。
錦之助さんの内匠頭はどちらかというと行動的な面と家臣のための忍の両方を出していますから、これはこれなりに、それに似合うよう上野介は高貴な品格よりも憎たらしさを強く引出して描いていますね。
後半は内蔵助がどう動くか、いつ動くのか、というのが見どころ。
前後半に、堀部安兵衛という人物が入ってくるので、ホッとするところがあります。
今回見ていて目が潤むところは、おたかの父橋本平左衛門が自決したところへ内蔵助が「遅かったか」といい、抱きあげ平左衛門の耳元で「殿と一緒に見ていてくれ」と決心していることを平さ右門に囁く場面、今回はジーンときました。
岡野金右衛門は二枚目で剣が立ちますから、橋蔵さまにはピタリな役柄です。オールスター映画で橋蔵さまの東映での位置づけがはっきりと決まったのが分かります。
私が橋蔵さまを見ていてやはり気になるところは、毎回同じところです。
場面で口紅がほかの人達と比べると濃いところがあります、どうしても気になってしまう。米屋の手代で吉良の屋敷に行って、赤穂の侍ではと痛めつけられ、助けてくれたおたかから図面を書いたものを受け取って、大急ぎで吉良邸の門から出て行く時、町人で痛めつけられているからといっても、逃げる格好が歌舞伎的になっているのが気になるのです。OKが監督からは出ているのですから、これは私の思っている橋蔵さまとしてはもう少し何というか・・・出来なかったのかなあと思うあまりの愚痴です・・・お許しくださいネ。
前後半に、堀部安兵衛という人物が入ってくるので、ホッとするところがあります。
そう言えば、14日赤穂義士討入の日という事で、NHKの朝の番組で、時代劇研究家春日太一さんと作家高橋源一郎さんのコーナーで忠臣蔵の映画の話がでました。私は春日太一さんの好む時代劇には賛同出来ないところがあるので好きではありませんが、この日は私の気持ちをラジオに向けてきました。
忠臣蔵の映画やドラマは随分作られて来ましたが、その中でやはり取り上げたいのは1956年の東映「赤穂浪士天の巻・地の巻」。先日私の見た感想は書きましたが、同じくしてこの題材での放送がありましたのでよろしかったら聞いてみてください。この映画が作られた頃、橋蔵さまはデビューしました。もし、この作品に出ていたとしたら、橋蔵さまはどんな役で出たのだろうと考えたことありますか。そんなことを考えながら、機会があったらご覧になって見て下さい。どこに焦点を合わせて作りあげるか、監督、脚本家の作品に対する姿勢はすごいものです。私は東映チャンネルで放送した時やオンデマンドで数回見ております。
✱大映と東宝の忠臣蔵を同時に見てました✱ #2018.12.10
8日土曜日の午後、同じ頃の時間帯で大映の「忠臣蔵」と東宝の「忠臣蔵花の巻・雪の巻」を放送していました両方とも前に見ていますので、録画はせずに同時進行で見ました。
それにしても、今年の12月に放送される赤穂義士の映画、ドラマがオンパレード。基準としたものを年頭において見れば、それぞれの面白味が味わえると思います。
大映は時代劇が出来る俳優が揃っていました。東宝は時代劇と現代劇、その他特撮劇の俳優が沢山いました。甲乙点けるのは野暮なこと。たまには、東映以外の時代劇オールスターの作品を見るのも面白いものです。
先ずは
大映1958年の忠臣蔵
長谷川一夫さんが内蔵助で、大映が創立以来はじめて本格的に映画化した作品の「忠臣蔵」。
大映のオールキャストでの忠臣蔵は、ほんの少しのシーンでも有名俳優が出てくるし、この頃の大映は、大作を制作していたように東映とは違い映画に賭ける金額が違っていて十分に満足感があるものになっている。立回りは劣りますが。
前半は展開が早すぎる感じがします。その展開に俳優も巻き込んで行くので切腹まである約30分が勿体ない感じがしました。先を急ぐ人には無駄なく進んで行くので簡潔でよいかもしれません。
市川雷蔵さんの浅野内匠頭は芯が強そうな面が出ているのでかわいそうには見えません。切腹のときも片岡源五右衛門との別れでは涙なしで会話をしていきます。
後半は丁寧に作られています。吉良邸の図面を手に入れるための鶴田浩二の岡野金右衛門の描き方、京マチ子の間者おるいの描きかたなど東映とは全く違い、こういう金右衛門もありかなと思わせて楽しいところもあります。
長谷川一夫さんの演じぶり、台詞に重みを感じ、正統派の忠臣蔵ファンには楽しめる作品でしょう。いい加減に描いていない細かさが、時代劇をあまり見ていない人達には理解しにくいところもあり、東映のようにリラックス?はできないところがあるかもしれませんね。
この作品は講談調で娯楽性があり、フィクション性があり”忠臣蔵”が初めての人が全体を把握するには分かりやすいです。 それにしても、「早撮りの名人」と言われた渡辺邦男監督が35日間で完成させたようですがすごいです。
東宝1962年「忠臣蔵 花の巻雪の巻」
東宝ファンの人向けの忠臣蔵のようなのですが、出演俳優や脚本、美術等から若い人が見ていて自然に入り込める作品になっています。忠臣蔵として大切なところだけでまとめている感があります。
1962年のものですから、東映、大映とは違った作り方の忠臣蔵で成功したのでしょう。
東宝スターが総出演でどうなるのかなと思って見ましたが、キャスティングが意外とはまっていて華やかになっています。 人数が多いです。そのような中、大石内蔵助に当時の松本幸四郎を持ってきているのでそれなりに。
浅野内匠頭は若大将・加山雄三、吉良上野介に市川中車。上野介の嫌がらせがおかしくて笑っちゃいますし、内匠頭の行動は若大将になっている。
浅野内匠頭の命をかけて守らなければならない対面や吉良上野介の言い分が現代語でわかりやすいし、東映の橋蔵さまの内匠頭がいじめに耐えていてかわいそうなのに対し、加山若大将の内匠頭のナマイキさ喧嘩っぱやさが次第に増していくので、なるほど、刃傷までの行程がわかりやすく、松の廊下の刃傷沙汰もあの静けさはない。行動も言葉も現代に近い感じでこれからの若者が見ても分かりやすいところがよいところでしょう。東宝だから作れたのでしょう。
大映も東宝も美術構成は上手いし、カラースコープも綺麗です。
東映も2作品の放送がありますので、1956年、1959年、1961年を思い出してみました。
『赤穂浪士 天の巻・地の巻』(1956) 東映創立5周年記念作品。
正統・忠臣蔵ではなく、大仏次郎原作の「赤穂浪士」を新藤兼人さんの脚色で構成。堀田隼人と蜘蛛の陣十郎、お仙、十手持ちの金助ら四人組が千坂兵部が送る間者として物語を面白くしていきます。
が、その分浅野内匠頭の切腹や畳替えの場面がなく、瑤泉院も出てこないので物足りないところもあった。
市川右太衛門御大の内蔵助というのもまた良いもの。この作品の一番は大石内蔵助と立花右近が対面する場面でしょう。内蔵助が江戸に下る際に名を騙る「立花右近」役に片岡千恵蔵御大。3本の忠臣蔵を撮った松田定次監督はこの「赤穂浪士天の巻・地の巻」が気にいっていたそうです。
この作品の時には橋蔵さまはまだいなかった時代、錦之助さんの出番も少ない。
「忠臣蔵 桜花の巻 菊花の巻」1959年
この作品は、橋蔵さま扮する岡野金右衛門の絵図面を手に入れるのに、相手側の女間者が出てこないで、金右衛門と恋仲のおたかが間者となり吉良邸に入り込む、と脚色がかなり入れられているので、忠臣蔵は初めてという人達にはちょっとごたごたになってしまうかも。
が、忠臣蔵が完全に頭に入っている人には自決した橋本の娘が恋仲の金右衛門と祝言をあげスパイ活動に入るとかが脚色され変化していると分かるので、赤穂義士伝の根本的なところは形を変えて入っていているので面白くみられます。
その中でも、忠臣蔵でお馴染みの大友柳太朗の堀部安兵衛や山形勲の不破数右衛門の活躍と人間味の描き方が、見ている方に答えてくれるのです。
全体が丁寧に描かれているため長―い時間の忠臣蔵になっていますが楽しませてくれますね。
橋蔵さまの金右衛門の初々しさが印象に残ります。
「赤穂浪士」1961年
「赤穂浪士 天の巻・地の巻」と「忠臣蔵 桜花の巻 菊花の巻」の良いところを取り入れ脚色し集大成させたような作品ですが、前作とは 全然違った描き方を持ってきています。
原作も監督も同じ。スターも完全に揃っての創立10周年としてお金をかけて作った華やかで楽しませる娯楽作品になっている。人間っぽさを大事にした演出で、講談でもなく、歌舞伎的でもなく、どちらかというと浪曲の世界の描き方ではないでしょうか。
この作品は、前にも言いましたが、忠臣蔵に浅い人には何が何だかつながりがわからないところがあります。かなり「忠臣蔵」が頭に入ってる人が見てわかる構成になっています。
東映のものなら前作品2つを見ていれば分かるかな、という風なね。。
忠臣蔵をずっと撮ってきた東映のプロの仕事が見える「赤穂浪士」ですから、”映画で忠臣蔵”と言えばこの作品の名が上がる決定版になっているのでしょう。
さすが東映時代劇黄金時代の集大成・・とにかく出てくる俳優陣がすごい。適材適所の配役が看板スターを引き立てて見せ場を楽しませてくれます。
その中でも、月形さんの上野介にかなう人はいないでしょうし、橋蔵さまの内匠頭を超える内匠頭はいないでしょう。
この作品には、セリフのない感情を内面に抑えての場面が重要な部分部分に使われています。
内蔵助と千坂がばったり出くわす旅籠の場面は、ただ立っているだけで凄いものを感じとれるのです。
田村邸のところは、すべてが無言、源五右衛門が来ていることを内匠頭に教えるところから、見ている私達はセリフがないので、画面に釘付けになります。目を反らすことはできません。ここで、見ている人それぞれが内匠頭の身になり、そして源五右衛門の身になって思いをめぐらしていくのです。
変化があまりないので面白味には欠けるかもしれません・・・これからの人達には正統だけでは飽きられてしまうところもあるかも・・ですね。
私は、辛抱強くありませんので、何回も見ていると長時間になるので飛ばしたくなるところが必ずあります。そのため、リアルタイムで見ているとそれは出来ませんから、何をしていても長時間最後まで頑張ります。
ながら族の癖がついている私は、テレビに向かっている姿勢の時間は少ないのです。
「赤穂浪士」は橋蔵さまが出ている55分間はいつも見てはいますが、それ以降は・・・今回はちょっと真剣に見てみようかな。
✱久しぶりに、四方山話✱ #2018.11.21
今朝は寒かったぁ、札幌、盛岡も雪がふりました。冬 はそこまでやってきていますね。
久しぶりに、四方山話とまいります。
“心の軌跡◇忘れえぬ大川橋蔵”の方には掲載しない分からの『橋蔵こぼればなし』になります。(私のニュアンスと解釈で書いていますので、その点ご了承ください)
◆クラゲまんじゅう
橋蔵さんが、まだ5才ぐらいの、腕白ざかりの頃のお話となります。
腕白盛りと言っても、橋蔵クンは近所の子供と喧嘩をしたり、泣かせたりするような、気の荒いことは出来なかったそうです。下に妹が二人もいたせいもあったのでしょうが、下駄屋のきく子ちゃんと、いつも藤棚の下でおままごとをして遊んでいたような子で、〇〇気が多分にあったのです。
でも時には、泳いでいるクラゲをふんづかまえて、足をちょん切っちゃった頭を、丸めた泥んこの上に乗せ「クラゲまんじゅうだ、クラゲまんじゅうだ」と、近所の子供達に見せびらかして得意になっていたというのですから、男らしさもあったんだそうです。
お兄さんは、その頃小学生でしたが、難しい算術がなかなか解けなくて、お母さんから大分しかられていたんだそうです。ところが、それをそばで見ていた橋蔵クン、お隣の家に遊びに行ってはこう言ったんだそうです。「オバチャン、ボクハヤクガッコウニイケジュトイイネ。チョチタラ、オニイチャンニオチエテアゲジュヨ」
✐(どこの家でも見る風景ですね。弟でも妹でも、兄や姉が怒られていると・・お兄ちゃん思いの可愛い盛りの5才の橋蔵クンをイメージできましたかしら・・・その橋蔵さん、どちらかというと算術は苦手の方であったように記憶していますが・・失礼!)