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このロケット掲示板の『葵新吾"大好き大川橋蔵ファン広場”掲示板PARTⅡ』と
Rara掲示板『大好き大川橋蔵ファン広場PARTⅡ掲示板』【 https://rara.jp/fanhiroba/ 】は同時進行で運営中です。
使い勝手からどちらも一長一短はありますので、できる限りは同時並行で行くようにしてまいります。
どちらを見ても大丈夫なように管理者が責任をもって投稿記事は双方に分かるように掲載していきます。

🟨この掲示板は無料版の掲示板にしましたので、広告が入りますので見ずらくなってしまいました。ご容赦ください。

編集・削除(編集済: 2023年04月07日 07:42)

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱橋蔵さま 男盛りの色気がいっぱい✱ #投稿日2017.3.7 

さあて、「やくざ判官」は私の大好きな作品の一つ。
目を離すわけにはいきません。それに橋蔵さまがいたるところに顔を出しますから釘付けです。
33才の男盛りの橋蔵さまは、男の色気をこれでもかと見せてくれますね。
あそこのここのと言えないほど魅力ある橋蔵さまが出てくるのです。
捕り方棒でひょいひょいとあしらいながらの立回り、綺麗です。樽の上、塀の上にのぼるのは、橋蔵さまご自身が、木に登ったり、高い危ないところに上ったりと、雑誌撮影でもよくやっていた方ですからお手のもの。
二枚目半は橋蔵さま自身魅力を出せる役。
そして、遠山金四郎お白洲も、今までの決まり切ったものでなく、和やかな自然体のもので、決めるところは決める。お白洲での橋蔵さまもいい。

私が一番好きなところは、お白洲が終わったあと、
川べりの木の下での逢引?場面・・・いやぁ、色っぽい、表情はもちろんですが、腰の線からの色っぽさ、着流しだから如実に現れます。後ろを向いていても橋蔵さまは素敵。
マキノ雅弘監督はリメイクものを時代と俳優によって、より素敵に作っていきます。
監督とは久しぶりの作品のものです。
監督は、丘さとみさんと橋蔵さまのコンビの良いところを引出していますね。
何回も見たい、橋蔵さまに酔いしれることができる作品です。

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振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱ 「丹下左膳妖刀濡れ燕」好きな場面✱ #投稿日2017.3.4

久しぶりに見て、この作品でよいと思う場面は、やはりここのところ、変わってはいません。
「丹下左膳」には橋蔵さまは4本出てらっしゃいます。どの作品もよいところが数か所あります。私は1958年「丹下左膳」と1960年の「丹下左膳 妖刀濡れ燕」。どちらをトップにしようかしらと迷うところではありますが。
柳生源三郎という役とひばりさんとの共演というのでは「丹下左膳」。馬に乗って乗り込んだ源三郎は素敵、道場で植木屋の姿での左膳との立ち会う場面は格好いい、あのスタイル、あのかまえですからね。
そして、さまざまな役をこなしての橋蔵さま1960年の「妖刀濡れ燕」。
作品の内容もいいのですが、橋蔵さまが光ります。伊庭道場に下男として住み込んでいる源助、ふとしたきっかけで左膳の太刀をかわしたことからことから、ただ者ではない、と左膳と初めて太刀をかわす場面、そして萩乃を一晩中看病していた左膳の良さを萩乃に言っているのを聞いていた左膳が嬉しくて源助と勝負をしたいと。橋蔵様と大友さんの一対一の太刀さばきが見られる、いいですねぇ。

この作品では、左膳が奥州相馬家に使えていたこと、なぜ片腕、片目になったのかが分かります。
伊庭道場の萩乃に一目惚れした左膳の心情とそれを見た源助の男としての心情が描かれます。
萩乃は父の言いつけで下男の源助をお伴に旅に出ます。(源助と一緒だと聞きがっかりする萩乃。)
足を痛めた萩乃に、(チョビ安が小さい子をおぶるのをみて)、
源助が「お嬢様、あのてでいきましょう」「さあ、こっちも負けずに、ささっ」「おいっ」といっておんぶをするからという格好をするが、(左下の画像)
「まあ、みっともない」とびっこ引きながら言ってしまうので、「えっ」と源助あきれ顔をするのです。
源助が疲れながらも萩乃をおぶってチョビ安たちが待つ茶店まで来た時、萩乃が子供たちが見ているから降ろせと、でも、足が痛くまたおぶえというわがままな萩乃に使える源助、あの表情はたまらないわ。
萩乃「源助」
源助「えぇ」
萩乃「私降ります」
源助「いやぁ、もうそこが茶店でございますから、もう少しの御辛抱で」
萩乃「子供が見ている、みっともないではないか」(上段の画像)
源助「へっっ、足がいてえのにそんな体裁なんか」
萩乃「馬鹿、降ろせ」と頭を押さえつけられ二人とも倒れてしまい、子供たちが助けようとすると、びっこを引きながら一人で歩こうとする萩乃を見て呆気に取られていると、
萩乃「何をしているのです。早く私をおぶりなさい」
源助「えっ、・・へつ」といい、源助もびっこを引きながら萩乃をおぶってあるくのです。
(桜町弘子さんも「若様侍捕物帖 紅鶴屋敷」と「新吾十番勝負」で橋蔵さまとちゃんとした共演をやってきましたので、この作品でのお二人は見ていて安心いたします。)

さらわれた萩乃を左膳が一晩中看病していて、萩乃が目をさまし左膳を見たら容赦せぬと言われしょんぼりと小屋を出て来た左膳と目が合い、左膳の気持ちを汲み取った源助の表情何とも言えません。(右下の画像)
そして小屋に入り、化け物と左膳の気持ちを分からない萩乃に、左膳の良さを説くところ、感動ものです。(この時には、言葉が下男としての源助ではなくなっていますよ。)
萩乃が「好きです」と源助に打ち明けます。
源助「あなたには、男と女の深い思いがお分かりとは思われぬ」
萩乃が私の思いが分からないのかと
源助「私は初めて男のひたむきな心を見た。頭が下がる思いがした」
何のことかと
左膳は昨夜一晩中、萩乃を見つめたまま身動きもせず泣いていたと。
萩乃「あの化け物が」
源助「化け物、片手片腕それ故に化け物か。あの姿になったのも、馬鹿な主人に一途に使えたゆえのものだ・・・」
わたしには関わりのないこと
源助「だからおめえさんには、男と女の情なんかわからねぇと言ったんだい。・・・おめえさん、俺を好きだという・・何故だ、へっ、おれのつらはのっぺりしていて、さっき、ばれたところじゃ、やっとうの腕も立つ。これなら道場の婿にしても・・なんて言うことに違いねぇな」

✎(載せたい画像は他にもあるのですが1回に3枚までしか載せられないので、こんなところで、台詞からも想像していただければ。見ている人はあそこのことねと、まだ見ていない人はこんな所があるのと、想像して出来たらご覧になってね。)

立回りは、この頃になると一段と良くなっていて、美しさの中に力強さが見えて
来ましたし、侍姿、やくざ姿、町人姿と、それぞれの立回りのスタイルが橋蔵様の場合違いますので、見ていて引き込まれていきます。
そして、橋蔵さまの魅力である二枚目半的要素が強く引き出されてきた作品だと思います。
そう言う意味では、「妖刀濡れ燕」の方が、魅力あると私の中では思っています。
必ず、身分を隠してという筋での役ですから、今回も下男の源助は、実は相馬家の世継ぎ源之助、最終場面で素性を明かし、、悪だくみをする家臣を暴いていくというもので、得意の役ですね。
最後は、萩乃が待っているのを見て、少しづつそちらの方に行く源之丞が・・・二人の中はよくなってハッピーでした。。

(画像の上に👆が出るものはクリックすると違う画面でも見ることが出来、拡大されている画像もあります)

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✱その時、橋蔵さまの心に過った思い✱ #投稿日2017.3.19

第一回東映歌舞伎、今回はこの時橋蔵さまの心を過った思いを書きとめて幕としたいと思います。

7年ぶりの舞台。明治座の檜舞台を踏みながら、7年の月日を一瞬のうちに吹き飛ばし、身の引き締まるような感動を覚えたのです。
キイの音と共にスルスルと引き幕が開けられ、シーンと静まり返った客席に潮騒のようなどよめきが起こるあの一瞬。7歳で初舞台を踏んでから、東横ホールでの最後の舞台まで、あの一瞬に俳優としての全てを賭け続けてきました。

芸道の鬼と言われた故六代目菊五郎の養子として育てられ、幼い日の夢も、思春期時代の心のときめきも、すべてが一切舞台によって支えられていました。
物ごころつかない幼い頃から俳優だった祖父に抱かれ、化粧部屋で舞台から遠く聞こえる三味の音を子守唄のようにしてまどろみ、激しい芸への精進をごく当たり前のように受け取っていたのです。
着物を着ていたのでは本当の型が分からないと、寒い冬の日でも裸にして厳しく教え込んだあの養父の芸への闘志。厳しすぎると恨み、激しすぎると泣いた、当時の未熟な自分の姿を、今はいとおしむように思い出しているのです。

こんなにまで愛した舞台への決別。幾晩も幾晩も眠れぬ夜を送った末、未知の世界への果てしない期待に、ついに過去の生活を断ち切る決意をしたのです。
最後の舞台は、東横ホールでの三社祭。若手俳優の集いににつかわしく明るい舞台であったにもかかわらず、僕の目は涙にくもり客席が遠くかすんで見えたのを覚えています。
芝居がはねた後、僕はたった一人で、人気のない舞台の上にたたずんでいました。
じっと耳をすまし、どこからか聞こえてくる客席のどよめきをとらえようと何時までも去りが邸思いにとらわれていました。
久しぶりの舞台に、無ねおどろかせながら、過ぎ去った昔を懐かしんでいるのです。
毎日を懐かしさと熱意でつとめている今日この頃です。

1962年8月からある期間毎年行われた東映歌舞伎を通して、橋蔵さまの舞台に対する思いが強くなっていったと思います。これなら今からでも以前のように舞台を踏むことはできると・・。そして、まわりも橋蔵さまの芸を見逃さなかった。
興行的に歌舞伎役者としての演目もでき、大衆向けの演目もでき、今一番客を呼べる橋蔵さまに松竹はアタックしていたのでしょう。映画界から一歩引いた橋蔵さまを放っておくわけがありません。そうしてテレビの「銭形平次」と共に、橋蔵さまの舞台にかける気持ちも大きくなっていった。ご自分の大好きな舞台で、忘れることはなかった歌舞伎の演目を入れて、ご自分の芸に磨きをかけていくことが出来る。六代目の得意とした舞踊も演じることが出来る。ですから、忙しいスケジュールを押してでも、舞台をやり通したのですね。
やはり橋蔵さまは、歌舞伎役者を自負していたのですね。

画像は、第一回東映歌舞伎「花の折鶴笠」の中での幻想シーンの舞踊から
北条きく子さんとは、この舞台で初めて顔を合わせました。嵯峨美智子さんに似た雰囲気を持つ女優さんが入ってきたということで、育てていかなければとの思いがあったようです。

(画像の上に👆が出るものはクリックすると違う画面でも見ることが出来、拡大されている画像もあります)

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✱ 第一回東映歌舞伎から(4) 撮影日記より✱ #投稿日2017.3.16

1962年7月、8月第一回東映歌舞伎に関してのところだけですが、橋蔵さまの撮影日記から抜粋して載せました。橋蔵さま7/15までは京都で「まぼろし天狗」その合間を見てセリフの勉強や大友さんと打ち合わせとか・・。

7/15 11時からのアフレコで「まぼろし天狗」のボクの出番がアップ。3時には帰宅し、明日の状況の準備。

7/16 東映歌舞伎出演準備のため東京へ。19家30東京液着。早速セリフの勉強にとりかかる。

7/17 ママと一緒に六代目の墓前に東映歌舞伎出演報告をする。もし生きていたら、久しぶりに舞台を踏むボクの姿を見て何というかなぁと思ったら、思わず身の引き締まるのを覚えました・「見ていてください。立派に舞台をつとめてみせます」と心の中で誓いながら・・。

7/18 10時から知人関係へお中元まわり、18時からプレス関係の方たちと会う。  帰宅後「濡れつばめ」の台本が届いていたので早速め目を通す。読んでいるうちに、演技のことなど考えて、気がついたのは19日の午前2時でした。

7/20 今日から、踊りのお稽古を始めました。

7/21 午前中はセリフの勉強。舞台のセリフは発声法から別ですから、工夫が必要です。午後からは、踊りの稽古。

7/22 セリフの勉強と、踊りの稽古で一日暮れました。夕食後銀座へでも散歩に出かけようと思ったけど、明日に備えてやめにする。

7/23 10時から15時まで、「いれずみ判官」の立稽古。15時すぎからは、「濡れつばめ」の稽古。張り切っているせいか、そう疲れもしません。

7/24 9時から17時までブッ通し「いれずみ判官」の舞台稽古。

7/25 9時から17時まで、「花の折鶴笠」の稽古に入りました。17時30分から池内順子さんと対談。対談終了後、20時から「いれずみ判官」の稽古。

7/26 9時から15時まで「花の折鶴笠」の稽古。終了後、三条江梨子さんとカラーグラビア写真撮り。

7/27 「いれずみ判官」の稽古。

7/28 連日の猛稽古で、ちょっと声帯を痛めたので、13時過ぎ咽喉科へ治療にいきました。大したことはないのですが万全を期しました。17時から19時までセリフの勉強をして、今日は稽古はお休みです。

7/29 稽古もラストスパート。10時から16時まで「濡れつばめ」の舞台稽古。

7/30 9時から18時まで、「濡れつばめ」「花の折鶴笠」の総稽古。何時幕が開いても大丈夫です。18時30分から大川社長の招待での夕食。

7/31 17時から24時まで「いれずみ判官」の舞台稽古。残すところあと1日です。舞台で頑張ります。

こうして、第一回東映歌舞伎の幕が開いたわけです。
画像は「いれずみ判官」の伊佐新次役です。

(画像の上に👆が出るものはクリックすると違う画面でも見ることが出来、拡大されている画像もあります)

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✱第一回東映歌舞伎から・・(3)✱ #投稿日2017.3.12

先日は、第一回東映歌舞伎の初日の楽屋裏の様子と記者の見た感想を載せました。
今回は、何日か過ぎた頃、大友柳太朗さん、東千代之介さん、そして橋蔵さまの三人が、舞台の合間に雑誌が設けたおしゃべりコーナーから抜粋、要約して載せて見ました。
ご存知でない方のために書きましたので、ちょっと長くなりますが三人のおしゃべりにお付き合いください。(お茶でも飲みながら・・ネ )
ここから、皆様は何かを感じとれるかしら、感じとれたらうれしいなぁ。

🎤「仲良しトリオ座談会」から
“魅力いっぱい愉しき舞台”三人のたわいないおしゃべりを少し、掻い摘んで載せてみました。
*大友・・・・ こう忙しいと、暑さなんて感じている暇なんかないみたいだ。
*橋蔵・・・・ まったくそのとおり。比較的夏負けしない方だけど、去年あたりは少しバテ気味でした からネ。
*大友・・・・ 君なんか体重が軽い方だから、それほど夏は苦しくないかもしれない。僕はこのボリュームだろう。毎年、いかにして夏を涼しく過ごそうか知恵を絞るのだが、今年は東映歌舞伎で冷汗三斗。涼風いっぱいというところだよ。(笑)
*千代之介・・これ全身冷房完備というわけですネ。(笑)
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*橋蔵・・・・しかし楽しいですねエ。
*大友・・・・全く仰せの通り。(笑)
*千代之介・・初めての学芸会の頃を思い出しましたよ。
*大友・・・・この道じゃ、随分長くメシを喰ってきて、心臓の方も大分強くなっているつもりだが、初日は何となく体が震えてきたからネ。
*橋蔵・・・・先輩のボリュームで震えがきたんじゃ、舞台装置が随分揺れていたことでしょうねエ。(笑)
*大友・・・・そういう君だって、幕が開くまで、てんで落ち着かなかったじゃないか。
*橋蔵・・・・アレエ、バレたか。(笑)
*千代之介・・僕なんていまだに出が近くなるとソワソワしちゃって。
*大友・・・・だからトイレが近いのかナ。
*千代之介・・まさか、それほどじゃありませんけれどネ。しかし、それに遠からずってところですかナ。(笑)
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*大友・・・・舞台っていうのはいいねエ。
*橋蔵・・・・映画とはまた違ったよさがありますからネ。
*千代之介・・ツーていえばカーとくる。
*橋蔵・・・・そうそう、それそれ。(笑)
*大友・・・・泣いても笑っても、そのまま観客の反応がこっちに響いてくる。たまらないねエこの感じ。(笑)
*橋蔵・・・・映画に入ってからは、一本の作品がブツ切りでしょ。後になってフィルムを見て、ああそうそう、あそこはこうだっけと思うけれど、舞台の場合は、最初から最後まで一本で通せますからネ。
*千代之介・・ウン、それが魅力ですよ。映画の場合は、クランク一日目にラストの斬り殺されるところを撮ったかと思うと、翌日はファーストシーンのラブシーンを撮影したり、まきに神業の連続ですからね。その点舞台じゃ死んでしまえばそれっきり。ちゃんと順序通りことが運ばれるからいい勉強になりますよ。
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*千代之介・・先輩の丹下は実に豪快ですねエ。あの殺陣の素晴らしさは、大向こうから掛け声の一つもかけてみたくなりますよ。
*橋蔵・・・・貫禄十分。実にけっこうな丹下でした。
*大友・・・・素直にお受けしましょう。
*千代之介・・先輩は新国劇のご出身でしたネ。
*大友・・・・ウン、僕はもともと大の辰巳先生のファンだったんでネ。芸名の柳太朗は辰巳先生からいただいたんだよ。
*橋蔵・・・・辰巳先生の丹下も迫力があって素晴らしいと思いましたよ。
*大友・・・・殺陣が素晴らしい。男性美の極みっていうんだろうネ。先生が動くと、どんな広い舞台でもとても狭くかんじるから不思議だね。
*千代之介・・芸の偉大さなんでしょうね。
*大友・・・・そうなんだろうな。橋蔵君なんかも、こうやってみると、一見スマートで華奢に見えるだろ。でも舞台じゃ、なかなかのボリュームだからね。やっぱり舞台で鍛え上げた人間は、そういったところに違いがあるんだろうね。
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*千代之介・・橋蔵さんも出ずっぱりの三本じゃ、大変ですね。
*橋蔵・・・・女形と違って身が軽いから、その点は助かりますよ。
*大友・・・・女形ってのは、夏はシンドイだろうね。
*橋蔵・・・・エエ、今から考えると、よくまあやれたと思いますよ。しかし、それが自分の進むべき道だと思えば、大体どんなことでも耐えられるものですね。
*大友・・・・うん。そのとおりだよ。新国劇時代は、修行が厳しかったからね。先輩たちの舞台を幕の袖からジッと見ながら会得していかなくてはならない。それにあの立回りの稽古。これがまた厳しかったねエ。
*橋蔵・・・・亡父の菊五郎は、芸にかけては、あれほど厳しい人はありませんでした。初めは辛くて、辛くて。でもそのうちに、亡父の厳しさは自分自身に対してはよりいっそう厳しいのだな、ということが分かってからは、辛いなんてことは忘れてしまいましたねネ。六代目も、芸は自分で極めるものだという信念の人でしたから、手に手を取ってなんて教え方は決してしませんでした。その代わり、突然、「富成××を踊ってみろ」とか、「どこそこをやってみろ」とか言うんです。出来ずにマゴマゴしていると、お前は、俺の側にいて一体何を見ていたんだ」って頭から怒鳴りつけられる。それが恐くて、亡父の舞台は、目を皿のようにして見たものですが、今考えると、何故、もっともっと亡父の舞台からあらゆるものを吸収しておかなかったのかと悔やまれますよ。
*千代之介・・僕なんか六代目の舞台っていうと、とんでいって見たもんですよ。なにしろ僕は大の歌舞伎ファンですからね。もうあの世界に入りたくってどれだけ奔走したかわかりませんよ。
*大友・・・・でも、いまじゃ、こうやって東映歌舞伎に出られる。千代ちゃろんの初志が実ったってわけだネ。
*千代之介・・断念して映画界に入ったのが、夢の実現への近道だったという次第で。
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*千代之介・・橋蔵君は、二枚目半的要素が多分にありますね、先輩。
*大友・・・・多分なんてものじゃない百パーセント。(笑)
*橋蔵・・・・百パーセントはちょっとひどいですよ。
*千代之介・・フフ・・。
*大友・・・・いやだねエ。思い出し笑なんてエのは。
*千代之介・・失礼、失礼。いやア、橋蔵君の「花の折鶴笠」のオトボケぶりを思い出しちゃったもんでネ。
*大友・・・・ハッハッハッは、ありゃア実にいい、けだし名演技だよ。
*橋蔵・・・・丹下流の笑いで吹き飛ばされると褒められているのか、貶されているのかちょっと分からないけれど、僕は好きだナ。苫の半太郎って役。
*千代之介・・僕も好きだな。実にやりがいがある。あれは長谷川一夫さんが主演で映画化されたんだっ・・。
*橋蔵・・・・そうなんですよ。戦前は「旅の陽炎」戦後は「折鶴笠」っていう題名で二度映画化されています。僕は両方とも見たんですけれどネ、何時まで経っても印象に残っていますねエ。それで今度の演しものをあれやこれやと考えているうちに、そうだこれを、と思い立って作者の犬塚稔先生にお願いし、舞台ように書き直していただいたんですよ。
*大友・・・・小悪党だが、人間味がある。野卑だが愛嬌がある。生まれっぱなしみたいなこの男の野放図さを、よく演じきっているよ。
*千代之介・・つんつるてんの牛方のどてらを着た橋蔵君は、ほんとうに可愛らしい。
*橋蔵・・・・可愛らしいはないでしょう。堂々たる大人をつかまえて。
*大友・・・・「濡れつばめ」がどちらかといえば思い芝居だから、組み合わせとしては最高だね。
*千代之介・・川口先生は、この道じゃあなんといってみ第一人者ですねエ。
*橋蔵・・・・台本をいただくまでは、そりゃア夜も寝られないくらい心配しちゃいましたけどネ。脚本を読ませていただいたとたん、天にも上るような心地。そして翌日からは脚本まけしちゃうのではないかとまたソワソワ。とうとう七月の半ばには東京へすっ飛んで来てしまいましたよ。
*大友・・・・分かるよ、その気持ち。脚本のことや演出上の相談で稽古に入る前に、何度も東京まで飛んできては、安心して京都に帰るのだが、帰るとまた心配になって今度は電話にしがみつく。そんなことを繰り返していたら「そんなに心配なら止めちまえ」って怒鳴りつけられてしまったよ。
*千代之介・・台本もらった時は、何かこう背筋がシャンとしましたからネ。
*橋蔵・・・・撮影所で会ったら、千代ちゃんにっこり笑って「きましたよ」。
*千代之介・・橋蔵君もにっこり笑って「いよいよですね」って・・。
*大友・・・・張り切っちゃったからネ、みんな・・。
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*橋蔵・・・・長い間舞台を離れていると、声の出し方までわからなくなってしまう。
*千代之介・・おなかから出さずに、のどでふりしぼってしまうから、すぐに声が割れる。
*大友・・・・千代ちゃんは長唄で鍛えているから、あまりワレないよ。僕は最初のうちまいっちゃったネ。つい怒鳴っちゃう、のどに力を入れてしまうので、声はワレるしセリフは飛ぶし、初日までもつかと、谷屋先生もハラハラしていたからネ。
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*橋蔵・・・・先輩は、大分早くから稽古にはいられましたネ。
*大友・・・・うん、折角東映歌舞伎と銘打ってお客様を集めるんだから、学芸会みたいな事にしたくないと思ったんでネ。
*千代之介・・そうなんですよ。僕も念願かなっての舞台なんで、毎晩テープレコーダーの前に腰をすえては、賢明にセリフの練習をしました。
*橋蔵・・・・舞台だけはNGがだせませんからネ。その日その日が一本勝負。いい勉強になりますよ。
*大友・・・・これを機にまた、みんな大きく成長するだろうね。
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*千代之介・・東映歌舞伎は若さの集い。
*橋蔵・・・・うまいぞ。(笑)
*大友・・・・東映歌舞伎は青春のシンボル。
*千代之介・・これもイカス。(笑)
*大友・・・・とにかく楽しい。
*橋蔵・・・・理屈なしに楽しい。
*千代之介・・これからますます張り切らなくっちゃ。
*橋蔵・・・・だけど油がのりきったところで楽日ってことになるのだろうナ。
*大友・・・・そうさ、だけどそこが又いいとこさ。
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*千代之介・・先輩なんかは万年青年。
*大友・・・・それはちと、オーバーだけどね。
*橋蔵・・・・白地に梵字を書いた着流しスタイル。愛刀濡れつばめを口にくわえた大友左膳の舞台姿は、まさに青春のシンボルですよ。
*大友・・・・片目片腕の青春なんて、あまりイカサないぜ。
*千代之介・・いや、それがなかなかカッコイイ。(笑)
*橋蔵・・・・千代ちゃんの浪人姿もカッコイイ。(笑)
*千代之介・・橋蔵君の風来坊もカッコイイ。(大笑)
*橋蔵・・・・あれはカッコイイとはいわないの。僕の人間的に良さがにじみ出ているだけ。(笑)
*千代之介・・アレ、随分大きく出たねア。
*橋蔵・・・・まかしとけ、まかしとけ。
*大友・・・・何をまかしとくんだか知らないけど、当分撮影所も歌舞伎ブームだろうネ。

次回も、第一回東映歌舞伎の稽古の時期の橋蔵さまの様子を載せたいと思っています。

(画像の上に👆が出るものはクリックすると違う画面でも見ることが出来、拡大されている画像もあります)

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✱ 第一回東映歌舞伎から・・(2)✱ #投稿日2017.3.2

読売新聞の映画記者 谷村錦一さんが第一回東映歌舞伎を3回見て「舞台見たまま」を書いた記事から抜粋・要約で書きました。

私もそうですが、見ていないファンの人達にとっては、当時、東映歌舞伎が期待されていたことがお分かりになると思います。
値段の高いチケットに驚かされ、東映ファン層からいっても、満員は危うしと予測していたそうですが、いざフタをあけてみると大入満員で、嬉しい驚きであったといっています。
昼、夜ずっと見ていて驚いたのは、主役役者の大きいこと。
「旗本退屈男竜神の剣」の市川右太衛門、「いれずみ判官」の片岡千恵蔵、「丹下左膳」の大友柳太朗の”大きさ"立派さ”にびっくり。
ファンお目当ての大川橋蔵については、あとで語りますと。

現在の(当時です)歌舞伎の世界を見ても右太衛門、千恵蔵の舞台姿と比べてそれ以上に”大きく"感じる人は数えるほどしかいなであろう。
舞台正面諸羽流正眼崩しで見得を切る、引っ込みでにっこり笑いあげ幕に向う右太衛門。「いれずみ判官」序幕でカメが割れて舞台に飛び出した千恵蔵が「背中に彫ったいれずみは・・」と大見得を切るところ、「濡れつばめ」二幕目天野道場で出てくる剣豪天野伝七郎の大きさ。まさしく立派な役者である。大友もまた「丹下左膳」序幕、二幕目、大詰め(駆けつけの姿)など、見事な”大きさ”である。千恵蔵、右太衛門は久しぶりの舞台、新国劇では大部屋だった大友がこれほどまでに大きな役者としてヒノキ舞台で堂々たる芝居姿を見せようとは驚きである。

👑大川橋蔵は、これは大きくなったというよりも、鮮やかに伸びたと言いたい。👑
女形としての橋蔵の舞台はよく拝見していたが、立役、二枚目としては、私は初めての橋蔵の舞台である。
歌舞伎というものには、一番近くまで接していた橋蔵。7年ぶり。それも人気第一の舞台だけに、わたしは逆に歌舞伎役者らしい芝居を頭にしていたら、👑橋蔵はちゃんと”映画スター橋蔵”としての舞台をみせてくれた。👑
はっきり言って千恵蔵、右太衛門にはオーバーなまでの歌舞伎の芝居のムードがある。これもそれなりに面白い。大友は新国劇と映画をミックスした味を振りまく、これまた魅力であろう。
しかし、👑橋蔵は歌舞伎の芝居の仕方から一歩飛び出した映画人らしい演技を見せている。若い橋蔵の可能性の広さである。👑
千恵蔵、右太衛門にはクローズアップの演技が多く、大友は諸先輩とは違っているが、やはりアップの芝居で魅力をだそうとしている。
これに対し、👑橋蔵は、芝居の登場人物を、あくまでストーリーの波の中でつかみ、自分の魅力と役への興味とをミックスしながら演技をしている。👑

この見方は、この公演で、橋蔵が一番いい脚本を掴んだことによって大きく儲けたともいえる。「濡れつばめ」「花の折鶴笠」という”橋蔵もの”には、主役がどんな人物で、どうしてこうするということが、描かれている。他のものには、ドラマとしての人物としては弱く”芝居”つまり”話”としての面白さなど少しもかかれていない。だから、3人の芝居にはスターの魅力には拍手を送るが、芝居としての面白さにはかけた。橋蔵の出し物2つが芝居としての面白さをもっていた。

この東映歌舞伎で久しぶりに、芝居が、そして役者が好きで劇場に来ている”客”を見ることが出来た。一番目の序幕が開くまでに観客席はいっぱいになっている。初日の夜の部の終幕は11時半を過ぎたが客は帰らないでちゃんと座っている。役者が見得を切れば、本当に嬉しそうな客の顔。東宝歌舞伎と違って、派手さはなかった。掛け声や嬌声をあげることにも馴れない映画のお客さんが東映歌舞伎では一生けん命に好きな役者、好きな時代劇にたのしみを感じている。そんな素朴なお客で一杯の東映歌舞伎である。
🌊大衆と舞台がこんなにまで素直につながっている芝居が嬉しかった。
娯楽時代劇といえば小馬鹿にするような人達もいる。通俗結構じゃないか。お客さんが喜んで見てくれることは大衆が求めている慰安への望みを時代劇がちゃんと果たしているからではないかと、胸を張りたい気持ちだ。🌊

✎ (ここからは私の見解です)
芝居も、映画も先ずは、題材選び、演ずる人に合わせての脚本、そして演ずる人の魅力と実力ということになるのでしょう。
この第一回の橋蔵さまの場合、映画で見せる憂いある演目と、橋蔵さまのもう一つの持ち味の二枚目半の演目を持ってきたということは、舞台を見ている私達にとっても意外性と新鮮さがあります。橋蔵さまの、ご自分を発揮する、ファンが何をすれば喜ぶか、ということを計算しての演目、演出だったのでしょう。
舞台は毎日が勝負です。舞台は生きています。撮り直しはできないぶっつけ本番、その人の魅力が日を追って増していきます。
橋蔵さまは、歌舞伎時代、舞台の袖にいて見て常に勉強をしてきた人ですから、お客様の反応を感じとることは自然と身体に沁みこんでいます。
後々を考えても、舞台上での橋蔵さまはいきいきして見えました。
橋蔵さまの精神は”舞台人”だったのですね。だから、東映歌舞伎も長い期間昼夜やってきたのでしよう。
歌舞伎俳優として生きた橋蔵さまに火をつけた「東映歌舞伎」でした。

画像は、第一回東映歌舞伎「濡れつばめ」新選組の若き隊士 藤堂源之丞(左の画像)
「いれずみ判官」遊び人 伊佐新次(右の画像)

(画像の上に👆が出るものはクリックすると違う画面でも見ることが出来、拡大されている画像もあります)

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✱ 第一回東映歌舞伎は・・・✱ #投稿日2017.2.23

東映歌舞伎を生で観たかった。
橋蔵さまの、その後の「大川橋蔵特別公演」の東京公演はある程度見ていますが、「東映歌舞伎」時代は、田舎の中学生~高校生で受験時代ですから、東京へお芝居を見に行くなんて滅相もないこと。
ただ、いつごろか忘れてしまいましたが、ある時期、東映歌舞伎をテレビで舞台中継を録画したものを放送していたので、見ていた記憶があるのです。
銀幕のスターの生の芝居が観られるのですからすごかったでしょう。

1962年(昭和37年)8月2日初日、第一回東映歌舞伎が幕を開けました。
7月20日から稽古入り、本読み、衣装合わせ等、7月30日から明治座での通し稽古、そして8月2日舞台の幕は開きました。スケジュールを合わせてのことですから大変でしたでしょう。
右太衛門さん、千恵蔵さん、大友柳太朗さん、東千代之介さん、大川橋蔵さまと花形スターを軸に、出演者総勢160人、明治座の楽屋には入りきれず、近くの旅館を借り切って女優陣はそちらから明治座へ。(なぜか錦之助さんは絶対でなかったのですよね、あんなものに出られるか、と言っていたという噂も飛んでいたようですが、撮影で時間が取れなかったのかもしれませんが)。
明治座としてはもったいなかったのですが、1等席60席をつぶしてオーケストラボックスをつくり、生の音楽を使って迫力を出したそうです。
昼の部・・幕開けは「勢揃い清水港」次は「旗本退屈男」と舞台は進んでいきます。

舞台では主水之介をやっている時の橋蔵さまの楽屋はどんな感じだったのでしょう。
昼、夜3回の出演とご挨拶もある橋蔵さま。
ファンから送られた贈り物の山また山、3本の出演で台詞覚えも大変、衣装小道具と打ち合わせも慎重で、さすがの橋蔵さまもちょっと神経質そうになっていて、端麗な顔がよけい青く冴えて美しくみえたそうです。
そんな橋蔵さま、「30日、31日と2日間ぶっ通しの稽古だったのですが、1日の日は一日休みが取れたので披露も取れて元気になったんですよ」とにっこりする橋蔵さまでした。
オーケストラの音が大きくなり拍手の嵐のなか「旗本退屈男」の幕が下りようとしています。

さて、次は川口松太郎さん脚本の「「濡れつばめ」・・橋蔵さまの出番です。
浜町生まれで浜町育ちの橋蔵さまは、同じ浜町明治座での公演に意欲を燃やしていたそうです。
この日のために、7月中旬には上京して、気持ちのトレーニングをしてきたということです。橋蔵さまの心意気が分かります。

夜の部・・「丹下左膳」の次は「いれずみ判官」「花の折鶴笠」
いれずみ判官と花の折鶴笠と橋蔵さま続けてのお芝居になります。
「花の折鶴笠」は、長谷川一夫さんで2回も映画化された名作を舞台劇にしました。これが好評でその後映画化されましたので、内容はお分かりですね。幻想場面の舞踊は違いますね。舞台では若衆姿で、映画は少し大人っぽくでした。
こうして「東映歌舞伎」第一回の旗揚げ公演の初日13時間半は無事終了。
この時の座席券の値段は、歌舞伎座での十一代目市川団十郎襲名興行の歌舞伎界最大の行事の時よりも高い千八百円(当時の金額)でした。
それでも大入り満員だったのですから、銀幕のスターはすごいものでした。大成功でした。
そして東映歌舞伎は1967年(昭和42年)まででしたかしら、橋蔵さまは7回目と9回目は出演しなくなりました。時代劇が廃れてきたわけです。
この東映歌舞伎の催しでの橋蔵さまの観客動員する力を見ていて、テレビ移行と同時に、橋蔵さまの「大川橋蔵特別公演」をという話がスムーズにいった一つかも??しれません。
橋蔵さまの第二の転機は、私生活いろいろありましたが、順風満帆でした。
この時代、東京にいたなら、大人だったら、よかったのになぁ。
これだけはどうにもならなかったわね。

画像は昼の部
花の折鶴笠の苫の半太郎玉子を盗むところの橋蔵さま、幻想場面の舞踊での橋蔵さま、舞台終了後ご挨拶する橋蔵さまの画像から。

(画像の上に👆が出るものはクリックすると違う画面でも見ることが出来、拡大されている画像もあります)

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✱こんなこと・・過りました✱ #投稿日217.2.8

皆さまは何かから思い出したり、思ったりすることはありますか。

「笛吹若武者」は橋蔵さまのデビュー作品、原点ですから手元において何回でも見たい作品です。役柄もよかったのでしょうが、新芸術プロダクションの福島社長の橋蔵さまにとの企画も素晴らしい。前にも書きましたが、その一年前に、ひばりさんとの共演にと用意した「ひよどり草紙」、橋蔵さまからよい返事がもらえなく、錦之助さんに行ってしまいましたが、どんな作品なのかまだ見たこともないので、機会がありましたら見て見たい。橋蔵さまがやっていたら筧燿之助はどのような感じになっていたのか、想像して見たい。

ひばりさん初めての恋愛映画だったそうで、映画初めての若手との共演作だったということもあり錦之助さんに尽くすひばりさんは知っての通り。橋蔵さまが相手役になっていたら、錦之助さんとのプライベートの恋愛もなかったかもしれないですね、どうでもいいことだけれど。(失礼しました)

「ひよどり草紙」は少年少女映画対象の強い映画ですから、橋蔵さまの品のある、高貴なイメージには「笛吹若武者」でデビューしたことの方がよかったのかもしれませんね。

「大江戸喧嘩纒」は、最初見た時印象に残るのは、屋根でめ組の纒を必死に守るお雪を助けに行く新三・・お二人のあのシーンは誰もが強烈に残ったシーンでしょう。梯子を駆け上っていくところからの新三は頼りがいがあります。武士を捨てるために肌に刺青を入れる、鯔背な火消し役の第一番目の作品、「大江戸喧嘩纒」では、纒振りはありませんが、同年代の「花吹雪鉄火纒」では市中の油の値上がりを火消に組に入り込んで探索する長次が、袴姿で鯔背な刺青肌、ラスト桜の花の下、将軍家の見ている前で、に組の長次として纏を綺麗に振る橋蔵さまが素敵でした。
1957年1月の「大江戸喧嘩纒」、1957年12月の「花吹雪鉄火纒」
一年でも橋蔵さまの違いが分かってきます。

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✱ 私は記憶に残っていない✱ #投稿日2016.5.9

「新吾十番勝負」のあのシーン、撮影では橋蔵さまが硬くなってしまい随分時間がかかったようですね。橋蔵さまラブシーンは苦手ですから。
このシーンの台詞も実際は随分あったようですけれど、作品の時間の調整で大分カットされたのではないでしょうか。

私は小学生でこういう場面はまじまじ見ることがまだ出来なかったので、記憶の中にはっきりとは残っていません。このシーンそんなに長くなかったのではと私は思いたいです。だって、台詞が強烈ですもの。
と言っても、スクリーンで見た作品一つ一つが半分位うる覚えです。
今は掲示板に作品のことを書きながらじっくりと細かく見ていきますので、私には一石二鳥になっています。その中で、「あっ、そういえばこの場面あったわ」と。
それで「新吾十番勝負」第一部、第二部で一時間何分位無くなってしまっている?カットしている?のでスクリーンで見た筋と描写がどのようだったか浮かんでこない、というのが現実です。

「新吾」を総集編で初めて見る方達は何ヵ所も筋書がポーンと飛んでしまうので首をかしげるところが随分あるのではないかしら。(後世に残せる作品なのに・・なくなるなんてどうしても考えられないけれど、誰かが意地悪していない。これ私の個人的意見、支障がありましたらごめんなさい。)
最初の場面からなくなっていますからね。
武田一真が頼方の剣術の師であることがはぶかれているから、総集編で最初の頃に頼方のもとに一真がいるのは・・??
頼方をお長と庄三郎が仇討ちといって襲うことが出来たのか?場所は鯖江城内ではないだろう?というところが総集篇ではわからない。
仇討ちとかかってきたお長が気を失い、どうしたらよいかと迷っていた頼方がお長の美しさに魅かれ、下屋敷に連れていって・・そして布団に寝かされ縛られているお長との問題のシーンですね。

私は、お長の父を斬った苦悩とお長をおかしてまで自分のものにした頼方の心情をどのように橋蔵さまがスクリーンに演じたのかが今なら冷静に評価できたのに・・と残念です。(このシーン残っていれば頼方がもっとよく分かったのに。そして橋蔵さまの二役も生きたのに。)

(画像の上に👆が出るものはクリックすると違う画面でも見ることが出来、拡大されている画像もあります)

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✱庭は草花のお披露目で✱ #投稿日2016.4.14

先ほど東京でドスンとものが落ちたような後にぐらっと少し揺れました。
そうしたら、今度はあの地震警報の音がラジオから、民間のテレビは遅かったな。どこだろうと身構えてしまいました。九州地方で最大震度7の地震が発生。
掲示板に投稿しようとしてPCに向っていたのでびっくりしてしまって、途中で一時PC入力を辞めてしまいました。マグニチュードはたして大きくはないといっていたので安心なのかどうなのかはわかりませんが・・・
申し訳ないけれども掲示板投稿させていただきました。
🌷 🌷 🌷
気分を新たにして

北白川の旧橋蔵さま邸、今頃は小手毬の花が満開で綺麗でしょう。そろそろ紫蘭も咲きだしていることでしょう。橋蔵さまが好きそうなのがわかりますでしょう…そして優雅・上品・美しい姿が花言葉。
現在主の手入れがなくても草花は自分の生命の限りにお披露目をしているでしょう。
梅の木は小さな実をつけ始めたかしら。

旧橋蔵さま邸の庭の維持には植木屋を入れたとすると相当かかったようです。
橋蔵さまが主のときは、お好きな苔が庭園には敷き詰められていましたし、家周りと庭手入れに携わる人が常時いたほどです。
玄関前はつぶされてしまうでしょうから紫蘭は可哀想です。

画像は旧橋蔵さま邸の正門内側にある紫蘭です。花のところをトリミングしたものです。次の持ち主の方がいらっしゃいますので個人情報というものがうるさいので敷地内の画像を入れられなくてごめんなさい。

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