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✱春待つ!ちょっと一服✱ #2018.2.25
昨日は、各地で春と思える温かさになりました。でも油断大敵、今日明日と真冬がやって来ます。
平昌冬季五輪もやっと終りに、次は3/9からのパラリンピック大会が始まります。
私が好きなのはやはり勝敗が客観的にすっきり分かる競技、その中でもスピードスケート、大滑降、クロスカントリーとカーリングでした。スピードスケートは、3人が一体にならないと勝てないパシュート、今回から種目になったこれも集団で戦うマススタートが見ていて迫力がある。そして、カーリングは、今回日本中が注目したと思います・・頭を使う氷上のチェス、私は数年前から大好きな競技です。北見チームの「そだねー」と赤いサイロのチーズケーキが人気になってしまいました。でも、「可愛かったねー」・・ほんと「そだねー」。
今日は恒例の東京マラソンです 。出場するのに倍率が高いのが信じられないくらい。中には、場所場所に置くおやつを楽しみにしながら、時間内に通過していく人もいるようですけれど。楽しんで走る人のお祭りなので、毎年同じコースで街の様子も飽きてしまっています。
という訳で、今日は橋蔵さまに関して少し整理をしたいものがありますので、仕事の合間にお空の橋蔵さまとどのようにしようかと相談をして見たいと思っています。
🍓話はいっぺんしますが、
東京の湯島天神の梅もやっと見頃を迎えたようです。
橋蔵さまと青山京子さんが、お蔦と主税の雰囲気でのものを雑誌から見つけましたので、この時期に合わせまたまた遊び心で作っちゃいました。(橋蔵さま、京子さん、ゴメンナサイ)
湯島の白梅と歌にも歌われ、本当は白梅にしたかったのですが、画像をはめ込むのに合う幹の形が紅梅してありませんでした。ご勘弁願います。
画像右・・・「あなた、ちょっと休んで行きましょうよ」・・真砂町の先生の目をぬすんでの楽しい二人のあいびきというところですね。
画像左・・・天神の階段を歩いていたら、「あっ・・」そして、こんな甘いやり取りでしょうか。「鼻緒が切れちゃったわ」「こっちへよこしなさい、僕がすげてあげるやよ」「あら、誰も見ていないかしら、恥ずかしいわ」、こんな甘いやり取りでしょうか。
いかがですか。お蔦になった雰囲気で、橋蔵さまとの暫しのデートを楽しんでください。
こういう映画作品も見たかったなあ・・・橋蔵さまもこういうタイプの作品をやりたかった気持ちは多々あったことでしょうに。
👆(画像の上をクリックすると画面の違うところで見ることが出来ます)
✱マキノ雅弘監督お得意の長屋もの✱ #2018.2.18
「橋蔵のやくざ判官」はマキノ監督お得意の長屋ものです。
長屋ものの面白さ落語の熊さん八つあんでお馴染みの、庶民が持つユーモアがふんだんにあり、それでいて貧しく物悲しさがありほろりとさせるところがあります。権力や金力に不快感があり、表面ではペコペコしながら裏にまわれば舌を出すといった人達が集まっていて、その中にその不快感を代弁するヒーローが必ず出てくるものです。「やくざ判官」では、そのヒーローが赤とんぼの文吉ですね。
■ マキノ雅弘監督は、登場人物を上手く使い分け、何でもない場面も飽きさせず見せてゆくのが得意でした。スピーディーに話しが運ばれ、目先が次から次へと変わって退屈する暇がない。マキノ監督のお家芸として定評のあるところです。
一カット、一カットの長さ配合の上手さがスピーディーな表現で見ている私達を飽きさせず快いリズム感を呼び起こさせます。
「やくざ判官」も、普通なら長屋の人達が右往左往しているだけでつまらなく途中で飽きちゃいますね。
長屋ものには、いろんな型の登場人物が大勢出てきます。大勢の登場人物が出てくる映画は、監督の演出さばきがよほど巧くないと処理ができません。
「やくざ判官」は、シナリオのベテラン小国英雄との共同脚本でまず練られ、さらに監督の演出で上手く処理され映画が出来上がったのですね。
■ マキノ雅弘監督が演出している現場を見ていたなら、マキノ雅弘監督の毒舌の激しさに傍で見ていてヒヤッとさせられたといいます。監督の毒舌はきついのだそうです。純粋な京都生まれの京都弁で、それこそスピーディーに毒舌をぶつけたといいます。俳優達にビシビシ、おまけに身振り手振りで自ら演じて見せたのですから、これで俳優が納得しなければ、「アホタレ」ということになるというわけです。
この素早い毒舌が俳優をボロクソにしながら思い通りの作品を作りあげていきました。
📹(マキノ雅弘監督が、演技指導をしているところの画像2枚下記に載せて見ました)
「やくざ判官」は金力にいじめられこれに抵抗を感じる長屋大衆の群像図がテーマであることには間違いないですね。
遠山金四郎のお裁きはいわば話の締めくくりで、見せ場は愉快なヒーロー赤とんぼの文吉とし長屋の人々です。
監督の本領発揮した作品を楽しみましょう。
📍スタジオ撮影現場から少し。
文吉が「太三郎から貰ったものを見せて見ろよ」という場面。
小富が文吉が嫉妬してと勘違いして文吉をじらすために渡すまいと逃げまわります。「見せろったら、見せろよ」「いやだったら、いや」と柳の木のまわりを逃げる小富。
ここで、マキノ雅弘監督から、細かい演技指導の言葉が飛びました。
「本気で逃げるんじゃなくて、掴まりそうで掴まらない、という感じだよ」
そして、飛んできた手裏剣を間一髪身をかわした文吉が、刺さった手裏剣を柳の木から抜き取るところでは、
「向うの気配をうかがいながら、手裏剣を抜きとる、油断のない構えでね」と監督自身が演技をして見せました。
橋蔵さまが「わかりました」と大きく頷き身構えました。
🎤 橋蔵さまも、この撮影の時にこんなことを言っていました。
「娯楽映画の場合は荒唐無稽とも思われるストーリーの展開があって、もっとも面白く見せるためには、技巧を主にした、大変な苦労がいると思うんです。しかも、マキノ先生お得意の長屋ものといわれ、集団演技が中心になってストーリーが展開されるだけに、当然制約もあるので、そのあたりの兼ね合いが頭痛のタネです」
「それに、今度の役は、僕なりの遠山金四郎を創造したいといろいろ工夫や苦心をしています」
🏇 あっ、もう皆様は気がついていますよね。
先日、裃一面に、桜の花模様がちりばめられていることは書きました。
遠山金四郎と言えば、遠山桜という桜吹雪の入れ墨がトレードマークですが、
「橋蔵のやくざ判官」の橋蔵遠山金四郎の背中には桜吹雪に囲まれ、一頭の勇み駒 がいるという図柄になっているのに、気がついていましたでしょうか。
これは「駒が勇めば、花が散る、」という昔からの文句からヒントを得て考案した図柄だったようです。
👆(画像の上をクリックすると画面の違うところで見ることが出来ます)
✱ちょっと一服です✱ #2018.2.10
☕ 戦後派の夫婦現る・・というお話
「丹下左膳」のセットでのこと。柳生源三郎の許婚萩乃の役でセット入りした美空ひばりさんの最初のシーンは司馬道場で剣道衣も勇ましく門弟達に稽古をつけるところから。日本一といわれる剣会の人達を相手に、互角以上の腕前をみせました。
驚いたのは松田定次監督。
「ひばりちゃん、すごいね。いつの間に腕を磨いたの」と尋ねると、ひばりさんはこう言ったそうです。「こんどの映画は化け物(丹下左膳)や乞食(蒲生泰軒)に取り囲まれていじめられるといけないからって、旦那様が一生懸命に教えてくれましたの」と、にっこり。
旦那様役の橋蔵も「なにしろ恋女房ですので・・」
と、やにさがるそばから、化け物とか乞食とか呼ばれた大友さかと大河内さんのご両人、「味方の我々を裏切る橋やん夫婦はまさに戦後派の夫婦じゃよ」(・・後に言う新人類というようなものですね)
✱今日は左膳のように源助に惚れました✱ #2018.2.7
寒波襲来中、日本海側は、大雪、風雪で災害が出ております。お気をつけください。関東地方も寒いです。とはいうものの、暦の上では春に向っての行事があります。
今日は、”初午”でした。五穀豊穣、商売繁盛を願い油揚げを稲荷神社に参拝した後、稲荷寿司を作って食べると言う日でした。私は稲荷寿司だけご馳走になりたかったですが、2日前に食べたばかりなので今日はパス。油揚げを使った惣菜にしました。明日は”事始め”。初めに何かするのによい日とされています。ほしいものを購入したりね。
そうそう、近所の梅の花の莟が少しずつ大きくなってそろそろ開きかけています。橋蔵さまも梅の花の香が風に乗って届くのを待ち焦がれているでしょう。
今日は食事を済まし、「丹下左膳・妖刀濡れ燕」をリアルタイムで一晩中寝ずに萩乃のを見守っていた左膳を、外でずっと見ていて、左膳の優しさを萩乃に言う源助が素敵、左膳が源助が分かってくれて嬉しく惚れるように、私もそんな源助に惚れてしまいますね。
「やくざ判官」は「橋蔵の」とつくように、本当に橋蔵さまでなくては出せない魅力をいっぱい盛り込んだ作品ですね。
作品の中、橋蔵さまの赤とんぼの文吉だけに集中して見ていても、お白洲で遠山金四郎がちゃんと謎解きをしてくださるから安心です。二枚目半の橋蔵さまはよくしゃべります。「清水港に来た男」「若様やくざ」もそうでした。そして、すっとんきょうな面も可愛いし面白い。
1962年の橋蔵さまは男の色気が最高潮の時です。他の俳優さんが同じようにやったならいやらしくなるでしょう、というよりできないですね。
橋蔵さまは、どうしてあのような魅力がだせたのでしょう・・いや、あのような魅力を持っていたのでしょう。
お白洲は、千恵蔵御大に笑われないよう、どのようにしょうかと工夫に大変だったみたいです。この作品のお白洲は、長屋の連中をメインでの取調べになっていて肩ぐるしさがないので、遠山金四郎の穏やかな取調べがとても良いです。
橋蔵さまの口調が、普段話をしている感じになっているので、素の橋蔵さまが出てきているような・・そんな感じを受けてしまいます。
作品の中、遠山金四郎のお決まりの桜の入れ墨は、この物語では必要がない為、お白洲ではもろ肌ぬぎ桜吹雪は見せません・・その代わり、裃の柄が桜の花でうずめられています。
橋蔵さまの色気の場面から3点載せます。皆さまが良いというところは分かりますので、そこをはずしての小富に対しての文吉の画像を。
「右京之介」はあちこちと画面が変わり、人物を把握するのがややっこしいのが難点。右京之介の十代時代の役は、この時期の橋蔵さまにはちょくちょく出来る右京之介が頭を出してしまい無理がありますし、父親伝右衛門役は、若さと綺麗さを消すために化粧を濃くしなければならないという難点等があります。
後篇「紫右京之介」は、父の仇を討つことが目的だけの設定ですから、笑みはなく、女の人も目的のためなら、と眠狂四郎を彷彿とさせるような非情さが滲み出る役は橋蔵さまには合わないと思います。時代劇の画面も汚くなっていった時代のものですから、橋蔵さまのイメージも崩されていきました。南条範夫さんもこの頃は残酷ものを書くようになっていましたから、右京之介もそのような背景での作品になってしまっていたのかどうなのか???
1963.年以降、作品で橋蔵さまがイキイキしているのは、やくざものだけにしか見られなくなったのではないかと思われます。
👆(画像の上をクリックすると画面の違うところで見ることが出来ます)
✱昨日の午後は「丹下左膳」を通しで✱ #2018.2.4
昨日は、午後から続けて「丹下左膳」の放送がありました。シリーズ初めから見ました、長かったなあ、リアルタイムで4本続けてはきついです。と言っても、橋蔵さまが出るあたりからテレビの方を見てという感じではありますが、これも、作品の内容がインプットされているからできることですね。
でも、何回も見ていくと、場面でも違った日に撮影したところというのが良く見えてくるものです。
第一回の「丹下左膳」では前々から特に残っています。場面としてつながっているところなのですが、撮影日が違ったりしているので、特に橋蔵さまの目のお化粧の具合が違っているのは最初に見た時から分かってはいるのですが、それがどうしても気になってしまうところが辛いところです。
1958年の柳生源三郎は、若さがある源三郎ですから、それは素晴らしいのですが、少し気負い過ぎのように見えるところもあるのです。(当時映画館で見ているなら、自分も子供で若い時ですから何も感じないと思いますが。)
私が好きなところは、やはり、司馬道場で左膳と植木屋剣法と言って立ち合うところから、蒲生泰軒に臺を釣りあげられるところまでの道すがらの左膳と源三郎の問答のところ、ここは最高だと思っています。そして、ラスト駕籠行列を見送る左膳たちと手を振って行く源三郎と萩乃のむつまじいあの光景は、流石、橋蔵さまとひばりさんだから出せるので、見ていて微笑ましくなり、自然に見ている方もにこやかなよい雰囲気になりますね。
大部分のファンの方は、①源三郎と萩乃がお互いの愛を確かめ合うことができる、夜の縁側での二人のシーンを外すのはおかしいとお思いになるでしょう・・・でもね、私は、あの時の源三郎は少し硬すぎるし、源三郎を移しだす角度と表情がちょっと気に入らないんです。
②植木屋の格好で司馬道場の様子を見に行った源三郎と萩乃との出会いもいいのにと・・・私もあの場面は好きですが、私の中ではその後の峰丹波との短い場面の方が作品のすじから見ていくと勝ってしまいますので省くところとなってしまいます。
1958年は若い源三郎、1962年「濡れ燕一刀流」の柳生源三郎は安心して見ていられる、橋蔵さま自身も重みが出て来た頃ですから、内容は別として、こちらの柳生源三郎の方が好きかな。
そして、やっぱり一番好きなのは「妖刀濡れ燕」の橋蔵さまですね。1960年、橋蔵さまがいろいろな役柄をやり最高潮の時ですから、表情も口調も殺陣もすべてが生きているように思えますが・・・どうでしょう。
来週は一作品を夜に放送になりますので、飛ばさず、「妖刀濡れ燕」と「濡れ燕一刀流」を見たいと思っています。
今日は立春ですが、春はまだまだ、日本全土を”立春寒波”が襲います。
お風邪をめさないようお気をつけください。
橋蔵さまの出演作品が多い2月、橋蔵さまからぬくもりを頂いて、寒い日を乗りきりましょう。
👆(画像の上をクリックすると画面の違うところで見ることが出来ます)
✱"そこを通って"を期待、橋蔵さまの芸域✱ #2018.2.1
今現在も皆既月食をずっーと見ています。今回はスーパームーンとブルームーンと皆既月食が重なっためずらしいもの。この寒い夜空を3時間20分程見てはいられませんので、うれしいですね、ネットのライブ映像中継なら仕事をしながらみていられますから。
1957年は橋蔵さまの記事が沢山ありました。映画界デビューして2年目になり、人気度も大変なものですからあらゆる面から注目度が高くなっています。
「はやぶさ奉行」頃かしら・・・
後援会誌に「大川橋蔵さんの印象」という特別投稿文がありました。私がちょっと気をそそられましたところを抽出してみました。(私なりの解釈と文章で掲載しましたが、ニュアンスは分かっていただけるのでは、と思います)
初めて会ったのは橋蔵さまが仙台へご挨拶の帰りで、橋蔵さまの初々しさにびっくりした、とおっしゃっています。おとなしく厭味がなく、洋服姿の橋蔵さまは純情なサラリーマンという感じだった、と。
橋蔵さまの初々しさに、人気のもとがあるのではないだろうか・・・そう言えば、ひばりさんにも大スターに似合わない初々しさと甘さがあると。
その理由は純粋さではないかと思う。橋蔵さまの人気の大きな原因はこの純粋さではないだろうか。颯爽とした演技の中に、哀愁もある。
橋蔵さまの「若さまもの」「振袖もの」は今盛んなときだが、無限に続くものではない。やがて、橋蔵さまにも転機が来そうな気がする。
そのうち、橋蔵さまにファンは「しぶさ」「骨っぽさ」を要求するかも知れない。
その時、どういう発展をみせるのかが楽しみだ、とおっしゃっています。
「ここ過ぎて官能の愉悦の園に・・」という北原白秋の詩の一節があります。✎(内容を把握するには、一節だけではちょっと難しいですね)
そこを通って、橋蔵さまはやがて長谷川一夫さんの系列の芸域にせまるのではないだろうか、と。
ある脚本家と盛んに演技論を交わしている橋蔵さまにあったそうです。
「橋蔵さまは勉強しているな」と思ったそうです。
✎(芸道に満足というものはないですね。どこまでも続く道、試練の道です。一作一作が真剣勝負ですものね)
ひばりさんとのコンビは現在ぜったいである。感情移入の見事なひばりさんと橋蔵さまの甘美な品格のある演技は当分の間ファンを堪能させてくれるに違いない、と締めくくってあります。
✎(しかし、このあと、身辺に様々な事があり、お二人主演としての作品は「花笠若衆」が最後に、その後はオールスターや準オールスターでの共演というように)
✱ 四方山話です・・橋蔵さまへの採点は?✱ #2018.1.26
◆お宿での橋蔵さまは満点ですよ◆
1957年の「ふたり大名」の作品が封切られた頃の雑誌からのお話です。
橋蔵さまの表からの魅力は沢山吸収しているファンに、橋蔵さまの裏から探る素顔を是非お見せしたいということで、当時宿泊旅館の女中さんと、同じ宿にいた堺駿二さんが入っての楽しい橋蔵さまに関しての内緒話とまいりましょう。
✎(と言っても、このように記事にしているのですから、内緒の話ではありませんね、失礼。この話はファンならご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、まだ知らない人のために、私なりに抜粋し、解釈し要約したものを掲載します。)
橋蔵さまが初めていらした時からの女中さんAは、この一年半に感じていることは、”とってもいい方”ということですって。それには、皆さん同感、そして、素直で。
ここで、堺さんが出てきました。
堺さん・・そうだね。ぼくが見たところでは、いい年をしてまるで坊ちゃんっていう感じも
するね。(笑)
Aさん・・そんなこと言ったら、悪いわ」
堺さん・・こちらの言葉でいうボンボンね、天真爛漫だね、とっても愉快だね、橋蔵さんと
いると。
Eさん・・台所まで覗きに来ますよ。ご機嫌のよい時はね。
Dさん・・「何を食べようかなぁ」なんて言ってくるのね。
Aさん ・・食べものっていえば、必ず油っこいものばかり召しあがるわね。肉類、天ぷ
ら、 まれにうなぎなんか。
Fさん・・ でも、あまり注文はなさらないわね。たまに「今日は肉にしてくれよ」なんて
おっしゃることはあるけれど。
Aさん・・ 朝は注文なしね。
堺さん ・・ところで、朝はちゃんと起きる?
Aさんがおしえてくれました。
迎えの車が来る1時間前に洗面道具を取りに行き、30分前に声をかけるそうです。橋蔵さまは一度で目を覚ますということです。(でも、二度ほど声をかけたのは2回位ということです。)
Cさんが、堺さんとはちょっと違うわ、と言ったので一同大笑い。
Eさん・・夜遅い時は、ご機嫌がちょっとばかり悪い時もありますね。
Fさんはわからなと、・・お顔には出さないようにしているのねと。
女中さん達が恥ずかしくなるくらいよく気がつくし、几帳面です。女中さんにもお土産を買ってきてくれ、洋服を買ってもらった方もいたようです。「わーっ、いいわね」(笑)
その様子を見ていた堺さんが、「時々君たちは大きな声を出して喜ぶのはどういう訳」だと聞きます。
Bさん・・だって、橋蔵さんが冗談を言うんですもの。それに、時々お尻を叩いたりするん
ですもの。(笑)
堺さん・・それでわかった、橋蔵さんが「ゲラ男」っていうあだ名なのが。
女中さん達、どういう事??
堺さん・・君達の笑い上戸がうつったんだよ。(笑)
Cさんが、橋蔵さんは、時間は不規則でお忙しいので、のんびりできずお可哀想だ。何かできることならしてあげたいという気持ちです、と言いますと、それに対して堺さんが、橋蔵さんはだいぶ同情してもらっているな、ぼくが忙しいのは全然ダメ・・と。(笑)
堺さん・・同じ会社(プロダクション)にいるので特に親しくしているが、こうして同じ 旅館
に泊まっていながら、めったに落ち着いて話をする暇もないものね。
こちらが早く帰ってくると、あちらさんはまだ仕事だし、こちらが遅く帰って
きて丁度いいと思うと、むこうは朝早いのでもう眠ってしまっているという具合
で・・。メロドラマそこのけのすれ違いですね。
Aさん・・本当にせわしない生活ですね。朝なんかギリギリで飛び出していかれますもの
ね。
堺さん・・ところで、ぼくは、橋蔵さんがロケーションかセットの撮影かたいていわかる
よ。というのはね、いつも彼の朝は歌声から始まるだろう。
Aさん・・大きな声を出していつも歌っていらっしゃる。お呼びだとおもってお部屋に
いくと、発声の練習をしていらっしゃったりして。(笑)
堺さん・・その歌声なんだけどね、・・ロケはたいてい8時出発、セットは9時開始だろ
う。だから、6時半ごろ歌声が聞こえると「ははあ、今日はロケだな」7時半ご
ろ鼻歌を歌っていると「9時開始のセットだな」って具合に。(笑)
ここで、Eさんが時間だと言ってそわそわ、橋蔵さんから「ふたり大名」の切符を頂いたということで見に行く時間になってしまってそわさわしだしました。最近は立回りが上手になったので楽しみにしているということです。
最後に、堺さんが、この旅館のお客さんとしての橋蔵さんの採点はどうなのか聞きますと、皆さん100点と。さて、堺駿二さんの採点は・・いかに?
堺さん・・それでは、例の歌でぼくは時々目を覚まされてしまうから、5点減らして95点を
つけてあげようかな。
旅館暮らしも長かった橋蔵さまでした。不便なこと、便利なこと、楽しいこと等いろいろあったでしょうが、のちに橋蔵さまにもよい思い出となったことでしょう。
✱ 橋蔵さまの人柄が・・・ちょっとだけ✱ #2018.1.24
関東地方にも本格的な雪が、雪になれている地方の方には大したことではないのでしょうが、首都圏東京は大パニックになりました。まだ雪は残っています。
それで、何時もなら火曜日は午後から出かける曜日なのですが、車が動けない状態のため、仕事をしながらテレビをあちこち掛けていました。
テレビ朝日のワイドスクランブルをかけ緒お雪の時の状況や白根山の爆発の状況などを見ていて、チャンネルそのままにしておきました。その後、在宅の時には時々見ている番組をそのままかけていました。「上沼恵美子のおしゃべりクッキング」上沼さんとゲストのおしゃべりをいれ、シェフともおしゃべりをしながら料理を作りあげていくと言う番組です。
始まって5分26秒から7分01秒の中で”銭形平次” ”大川橋蔵さん” という言葉が耳に入ってきました。
そこでちょっと話したこと、そう言えば、上沼さんが以前色々な番組で話していたな、と懐かしくおもいました。最近の方は知らないことかと思いまして載せてみました。
動画がアップされましたので載せておきますが、youtubeのものではないので、数日間で消えてしまうと思いますので文章にもしておきます。動画画面の一番下に数日間は載っています。
2018年1月23日放送 沼恵美子おしゃべりクッキング「ステーキソーセージと野菜の蒸し煮」から 5分26秒から7分01秒のところです。
上沼「台詞を覚える仕事ってよろしいですね。苦しいんですけど、頭絶対に鮮明になるでしょう」
神保「と、思いますよ」
上沼「すごい運動しているんですね」
神保「喋りながら、こういう動きをしなきゃという決まりごとがあるんで」
上沼「あのね、皆さん本当に簡単と思っていらっしゃるでしょうけど、影が出てはいけないと、昔はもっと言われていたんでしょうけども、もう、役者なんかの次か3の次で、むかし
銭形平次のレギュラーで行っていたんですよ。まあ、いったら照明さんが一番偉いって感じしました私。監督さんより」
神保「確かにそうですね。一番こわいのが照明さんですよね」
上沼「でも、大川橋蔵さんていう、役者さんがいらっしゃってて、大物・・・。もう、お人柄が最高によく、素晴らしい方で。あの銭形平次の格好で、橋蔵さんとステーキ食べに行ったことあります。あたしらは私服に着替えていたのですけれど、・・ちょっと恥ずかしかったです」(スタジオ大笑い)
神保「そうとう恥ずかしいですよね」
上沼「そうとう恥ずかしかったです。みな普通の格好やけど、・・主役やから着替える暇も・・・。着替えたらよろしいのに、もういいよいいよ、と言って」
神保「でも、可愛がっていただいていたんですね」
上沼「すごい」
神保「それは、すごいな」
上沼「あの、大物の・・神保さんは言いにくいから言わなくていいですけれど、やっぱり、
いい役やっていらっしゃっても。×××やという人柄の人がけっこういらしたんです、昔は。でも、大川橋蔵さんは・・」 (ここまで)
わけ隔てなく誰にでも親しみやすく気取りがなく優しく接してくれた橋蔵さまでした。
✱ 四方山話・「黒い椿」大島ロケ10日間✱ #2018.1.19
来週は日本列島に相当の寒波が来るという、北陸、東北、北海道だけでなく、関東地方も大雪がという天気予報が出ています。気候の高低差も大きいので、体調お気をつけて参りましょう。
養殖で育てる鰻になるシラスウナギの来遊量が少なく、いま漁の最盛期なのですが今年は獲れてないようです。そのため、今年の土用の丑の日のうなぎは高騰になるのでは、このままだと鰻が食べられなくなる日が来るのではないかという危機に来ているそうです。日本人の好きな鰻が手の届く値段で食べられなくなっては淋しいことです。私も大好きです、橋蔵さまも鰻は大好きでした。
では、橋蔵さまに関するお話をしていきます。
「黒い椿」の10日間のロケは三原山のご機嫌がよくなかったようで、橋蔵さまも旅行ができ、好きな趣味も出来ると、期待大で出かけた伊豆大島へのロケでしたが、そう上手く橋蔵さまの思っていたようにはならないのでした。
この作品は8月中頃からかかったものでした。この月も橋蔵さまは大忙しでした。
京都で作品「恋や恋なすな恋」の撮影が始まる準備、「歌舞伎座公演」の打合せを東京で、京都へ帰り、そして「黒い椿」の大島ロケと。そういう中、橋蔵さまの不注意で、「若さま」の撮影開始を遅らせなければならないことになりましたの。
打合せで東京にいる間に起こった失敗談・・・芝のプールに泳ぎに行った時の事です。
橋蔵さまが泳ぎが上手いことは古いファンの方ならご存知ですね。ダイビング妙技も雑誌グラビアでご覧になった人もいらっしゃる事と思います。びっくりするぐらい綺麗なダイビングができた方でした。
その日も見事に飛び込んでいたのですが、どうしたことか、トンボ返りをして逆さに飛び込んだつもりが、鼻を打ち付けてしまったのです。うわっ、痛かったでしょうね。
そのため、メークアップしてみても、いつもの橋蔵さまの鼻とは違っているので、「黒い椿」の撮影開始を少し待ってもらうということになってしまったのです。
17日に橋蔵さまはじめロケ隊は夜行列車で京都を出発し、翌朝18日熱海に着きました。大島行きの船を待つ間、街をぶらりと歩いたそうです。
19日ロケの初日は午前4時開始で、三原山の山頂は濃霧で視界ゼロ。4、5時間待機したようですが晴れず中止となり引き上げました。
橋蔵さまは、その夜東京芝のご隠居様が、必ず願いをかなえてくれるとやっているおまじないを思い出しやったそうです。半紙と墨と筆を用意してね・・・おまじないのおかげで、翌日20日、21日は晴天だったといいます。(おまじないが効いたのかはお天道様に聞かないとわかりませんが)
女中さんが部屋にいっぱいぶら下がっている紙を見てびっくり仰天。その罰か22日、23日は三原山は濃霧で撮影できず、24日は少し晴れてどうにか撮影が出来たということです。
25日は波浮の港での撮影が早く終了、自然動物公園へ・・ゆうかりの木が茂り南国情緒を味わい、多くの猿が放飼いになっている猿が島もあり、人懐こく寄ってきて可愛らしかったようです。
26日、27日と悪天候で撮影出来ず、その夜は夜釣に出かけたようです。港の突堤に腰を据え竿をたれ、アジがなかなかの大漁で、橋蔵さまのご機嫌ななめも直ってしまったようです。
28日は最後の日で晴天。裏砂漠での撮影。午後の船で東京へ向かったのでした。
橋蔵さまは、撮影合間に暇があったら泳ごうと楽しみいっぱいで行ったのですが、電気クラゲがいてさっぱり、1回しか泳げなかったようです。大島の海の底を潜るのを楽しみにアクアラングを持っていった橋蔵さまでしたが、残念でしたね。8月の暑い時ですから、若さまが釣りをしているところの撮影でしぶきを浴びたりした時、海に飛び込みたくなったのでは・・橋蔵さま。
こんな具合の大島ロケでしたので、作品「黒い椿」は大変でした。
ロケ中に5回も上り下りしましたが、晴れ間を待機する日が続きました。
火口付近の砂漠は橋蔵さまや丘さんは馬で横断しました。お二人とも乗馬は上手いですから、地元の馬でもそんなことで、急遽スタジオ撮影の場面が多くなってしまったわけです。
お疲れさまでした。
✱ またまた見方を変えて鑑賞「黒い椿」✱ #2018.1.17
🎥 ロマンとスリラーを・大自然をバックにした人間ドラマ
1960年に入ってからあたりから、東映時代劇には最後までどうなるのかと興味をかきたてられる、要するに面白い映画が少ないくなったといわれたようです。映画を見ていて3分の2ぐらいで席をたってもおかしくないような傾向が見えていたらしいです。東映作品がだんだんひどくなってきた時のようです。チャンバラが5カ所、お色気が2,3箇所、と言ったシナリオ構成をそのままやって作っているのではいくら時代劇が好きなファンでも飽きてしまうでしょうね。私は、東映時代劇ブームが終りに近づいた時は、映画館にはちょうどいけない状況のため、実感はないのですが、大人になってその当時の映画を見てみて分かるような気はしています。
🌼 若さま侍捕物帖「黒い椿」今週月曜日に仕事をしながら、またリアルタイムで見ることができました。若さまシリーズも2月放送が終われば、しばらくは放送がないと思いましたので。私としてはシリーズの中では全体的にはあまり好きな作品ではないので、今回は見方を変えて鑑賞しました。
いつものように、私なりの解釈で、私の感じることを入れながらの文章になりますことご容赦ください。(部分的に引用あり)
そこで、皆様は、若さまの「紅鶴屋敷」を撮った沢島忠監督が描く「黒い椿」に、どんな印象をうけましたでしょうか。
時代劇も背景を変えないと新しいものはできない、いつも江戸の町や京洛の巷の背景では決まりきったストーリーしか生まれない。そこで、選んだところは、時代劇としては未開拓の地であった大島にしたようです。
島という閉鎖性、よそ者を受けつけない島人の白い視線、その風土の中に江戸からフラットと遊びに来た若さまをおき、今までは事件が起こった所へ若さまが乗りこんでいったのを、こんどは、若さまが現れたことにより事件が展開するとしたわけです。
「黒い椿」と題名をつけたのは沢島監督、”黒”はスリラーを、”椿”はロマンを象徴して、この作品をロマンチック・スリラーに仕上げたいと考えたそうです。「黒い椿」の椿は、死の悲劇を招く女お園です。
三原山の火口に身を投げたお君の母は江戸から来た侍と結ばれたため神罰を受けたとみんなから冷たい目で見られていました。そういう島へ、再び江戸から侍がやってきたのですから、また娘たちを惑わし捨てて行く。島人はそういう視線で若さまを見ています。
トップシーン、三原山火口に立った若さまは椿を手に御神火を見つめるお君に好奇心を持ち、やがて同情していくことから出来事が起きていきますね。
夕焼けの浜辺で、お君は母を捨てた父親への憎しみを若さまに話します。しかじ、若さまは、お君のお父さんは決して忘れてはいない。侍というものは、自分の思いのままにならない掟に縛られている、とお君に言います。そういう若さまに、いつの間にか恋心を抱いたことをお君は驚きます。「私はおっかさんのように、江戸のお侍が好きになってしまった」と叫びます。
沢島監督は、ここの場面は、若さまとお君の間に描きだされる、男と女の感情を描くために大島にはいってから、かなりシナリオを書き替えたようです。私は、ここの場面には牽かれるものがあります。
シナリオ通りでなく、そこに立った時に思いつくものが生まれてくることが監督の裁量になります。
ロケは海岸や砂漠の場面の撮影は順調に行ったのですが、火口周辺は濃霧の連続で、作品でも分かるようにセットでの撮影大部分、撮ってきた実風景とのつなぎ合わせとなっています。現地での撮影ができていたら、もっと素晴らしいものに・・と残念でしたね。
ラストお君が火口へ登ってゆくところは朝4時からスタートして変わる天候の中、引いたカメラ映像で、網元殺しの場面は台本通りだと殺したのは作造ではないと分かってしまうので、ラストまで引っぱるのに、カメラワークで作造かもしれないと持っていったようです。
遠方からの映像方法やその当時では珍しいハンディカメラを使っての撮影は、沢島監督独特の技法が効果をだしているというところでしょう。
椿の並木はスタジオに咲かせた造花ですが、あれだけの椿並木は圧巻、素晴らしいものですね。綺麗な椿の花の下での、若さまにすり寄るお園を見ている・・若さまに思いを寄せるお君の感情が静かな中にも激しく悲しく描かれているのですよね。このシーンは見ていてお君の気持ちが分かり悲しく辛いものがあります・・・が、なぜお君がその場面を見てたのかわかりにくいですね。それは、使われたのはお園とのラブシーンのほうだけの映像だけだからだと思います。椿並木で追いかけるように駆けて行く若さまを、お園が呼び止めます。若さまは椿婆を追いかけてきたわけですが、お園は「お君ちゃんを追っていたんでしょう」と言っているように、カットされてしまったところがあるのです。
じつは、お君と若さまが椿のトンネルを背景に語り合い、ほのかな淡い慕情を寄せ合うプラトニックなラブシーンをじっくりと時間をかけて慎重に撮ったようです。見学者からは、思わずため息が漏れると言う感じだったのですって。(その後にラブシーンを撮るためスタンバイしていたお園役の青山京子さんも「あーあ、ヤケちゃうわね」と言ったそうですよ)
お君はずーっと若さまの近くにいて見つめていたのです、そこへお園と若さまの姿を見てしまったから、涙が出てきてしまった・・こう考えられば、なるほどと思われませんか。私なりの考え方ですが、お君はお園に嫉妬をもちました、そうするとお君の若さまに対する心の揺れ具合が分かります。
音楽にも気を使ったようで、テーマミュージックはギターを主としたもの、女の呪いというものを主題としているので、所々に女の叫び声をスローに落したものを挿入したそうです。
島のアンコの合唱には、本当は大島の民謡を使いたかったらしいのですが、気に入ったものがなく、作ってもらったそうです。(そのためか、伊豆の大島という雰囲気が少し薄れてしまっているかな)
橋蔵さまは、「紅鶴屋敷」のようなスリラーをもう一度やってみたいと、口癖のように言っていたので、「黒い椿」で実現でき・・・満足がいきましたでしょうか??
この時期、東映自体の作品、監督求めているものの行く道が定まっていない時で、東映時代劇の限界が見えて来た頃だったと前にも述べました。
橋蔵さまの作品で言えば「海賊八幡船」あたりからも思えることで、鹿門が島へ連れて行かれるところまでは惹きこまれていくのですが、その後は海賊戦の技巧に走ってしまっていて、鹿門が描き切れていません
「炎の城」では、どうみたって正人は最後あの猛火の中で生き延びられるはずはないのに、生きていて帰ることができ現実性がなく、最後の詰めがお粗末でつまらなかった。
それだけに、沢島監督の「黒い椿」に期待をもった人達はいたようですが・・・どうでしたか?