このロケット掲示板の『葵新吾"大好き大川橋蔵ファン広場”掲示板PARTⅡ』と
Rara掲示板『大好き大川橋蔵ファン広場PARTⅡ掲示板』【 https://rara.jp/fanhiroba/ 】は同時進行で運営中です。
使い勝手からどちらも一長一短はありますので、できる限りは同時並行で行くようにしてまいります。
どちらを見ても大丈夫なように管理者が責任をもって投稿記事は双方に分かるように掲載していきます。
🟨この掲示板は無料版の掲示板にしましたので、広告が入りますので見ずらくなってしまいました。ご容赦ください。
✱ 惚れ惚れするなあ✱ #2019.6.3
新吾は二十番には未だ良いところはあるのですが、だんだん筋がいじくりすぎてきているようで、見ていてわくわく感、ドキドキ感がなく、私には新吾への憧れをあまり感じられなくなっていきます・・普通の人になってしまったようでつまらないのです。やはり、「十番勝負」が最高のものでしょう。
「ふり袖太鼓」は前回までの作品とは違い、ひばりさんと大人を感じる恋愛が描かれた作品ですね。このようなお二人が描かれるのをファンは待ちに待ったことでしょう。
白馬にまたがった畷之介は私も好きなところです。橋蔵さまの乗馬姿は綺麗で上手いですから惚れ惚れしてしまいます。
「ふり袖太鼓」から画像3点
👆(画像の上をクリックすると画面の違うところで見ることが出来ます)
✱ 暫くは身体と向き合いながら投稿していきます✱ #2019.4.30
今日は雨が降ったりやんだりと、明日も雨という、10連休になっていますが、皆様はいろいろ予定をお作りになって楽しく過ごしていらっしゃるでしょう。
個人的なお話は、こういうところではしたくない私ですが、金糸雀からの投稿がない、掲示板やブログはどうしてしまったかと、ご心配おかけしては申し訳ありませんので、少し・・・
私は最悪、思いもよらぬ状況から、家の中で膝の骨折をしてしまい、只今 病室から掲示板に投稿しています。ベッドに寝たきりというのは経験者しか分からないものです。
手術が2日になりますので、今回は6月放送の橋蔵さまの作品を書きだすのは失礼させていただきます。6月のスケジュールは大丈夫、書くことは出来るようになると思います。
ブログ2つはゆっくりと更新していきますし、この掲示板は皆様とのお話を楽しみにして療養をしてまいります。CSが見られないので、折角書いてきました「銭形平次」はとりあえずお休みをします。
病室にパソコン2台とプリンターを運び入れ、仕事に必要な資料を沢山運び込みました。仕事の方は他の人では出来ないものが全てなので、時間を見て少しずつ頑張っています。あまりない骨折の仕方をしたようで、車いすの生活が待っているようです。出来てしまったことは悔やんでもしかたがないこと、現実を受け止め、その現実を少しでも楽しく明るく出来るように、これからも橋蔵さまと向き合っていたいと思っています。
少し投稿が遅くはなりますが、橋蔵さまのものは今まで通り進めていきますので、皆様も今まで通りお付き合いくださいませ。
放送がリアルタイムで見られないことが非常に残念!
その分、パソコンに入っている橋蔵さまが沢山あるので、疲れない程度に付き合っていきます。
その中でも、皆様とお話しできることを励みに楽しみにしていきます。
あの頃小学生だったファンには、「新吾十番勝負」は、やはり新聞の連載小説のもので、大人の読みものでしたね。
橋蔵さまも、大人の愛憎を演技に求められる30代になりましたとき、新聞連載で人気のあったものを是非東映で映画化の日参したことは有名なおはなしです。若き頼方は血気盛んだったのでしょう。犬の切れ味は人間を斬るのと同じ、と犬で試しますが気に食わず、明日の行列の駕篭には乗らないという訳で、家臣の装束で道中していったわけですね。言われ剣の技術を会得してもやはり人を斬った時の凄さと本当の剣の威力は身をもって味わなければ分からない。
ただ、その欲望が強く、家臣が止めるのも聞かず、いくら大名行列に笠が飛んで来たとしても町人を黙って斬る行為は許せません。その頼方を仇と狙ってきたお長、当身をくらって気を失い頼方にかかえられたお長を見て「美しいやつ」・・部屋に縛って監禁し、自分のものにしてしまう。殿様だから許されてしまうこと・・。幸せにしてやればなくなった父親も喜ぶであろうと。自分勝手な殿様です。物語はこの場面がないと、美女丸の誕生はありませんから、複雑なものです。
でも、橋蔵さまが最初にこのような頼方で出てくるから、新吾が非常に引き立っているのではないかと思うのです。
頼方を違う人が演じて、美女丸としてはじめから出て来たら、美女丸の印象が違ったと思うのです。
物語から離れてですが、海を家臣たちと遠泳するところはもう一度見たかったところです。それに、大人になった私たちが今あそこの場面を見たら、どのように思ったかしら、普通のラブ・シーンでも苦手な橋蔵さまでしたからね。撮影の時も数時間かかったらしいですから、今見てこちらが恥ずかしくなってしまうかも・・・ですね。
美女丸が初めてスクリーンに登場したときね、私はやはり年齢を感じてしましました。橋蔵さまは綺麗だけれど、やはり十代でもこの年齢のときには無理があったと思います。
新吾と言う名をもらってから橋蔵さまと新吾が良いバランスを出してきたのではないでしょうか。
✱若さまの恋心は・・・✱ #2019.4.21
若さまの恋心は・・
「黒い椿」では、母親が島に江戸から来たお侍を好きになり、その間に産まれたお君が、母と同じように、江戸から来た若さまを好きになってしまいます。
椿並木で若さまにすり寄るお園を見て誤解しやきもちをやきますから、お君は本当に若さまに惚れてしまったのですね。若さまにもお君の境遇に関心を抱いたこともありますが、少しは気があったと思うのです。
出なければ、ラストシーン、若さまの胸に飛び込んで泣くお君を受け入れる若さま・・・あそこからは若さまの心も少しは揺れていたと考えたいですね。妹のような感情としても。
「お化粧蜘蛛」では、初めて若さま自身が相手の人を好きになったという感情を見せました。易者に身を落とした元与力の家へ行った時、娘の美音にあったその時に、若さまは美音に恋してしまいました。相合傘での美音の手に若さまの手が添えられ、雨宿りの中、美音も若さまに魅かれています。借金のかたに遊女になったと聞き、若さまが美音を引き取ろうと行きますが、夜桜の辰に「俺の女だ」と強く言われてしまい、好きだから俺のものにしたといわれ、若さまは引きさがります。美音は、好きな人にはしたない姿を見られて何も言えなかったのですが、若さまに何かいおうとする美音の心を、知ってか知らずか。辰の様子からすんなりと手をひきます。
そしてラスト、夜桜の辰は、大目付づきの結城新之丞であることがわかり、若さまは美音の幸せを願いつつ。美音の心はまだ若さまにありましたが、それを知ってか・・・若さまも心の整理にお糸と遠出。
若さま最終回、淡い恋心を抱いた若さまを私たちに見せてお別れになりました。若さまに、真剣に惚れこむ恋をして欲しかった・・・この終わり方は、ちょっと悲しさが尾を引きます。
✱美意識ある殺陣✱ #2019.4.12
明後日14日で熊本地震から3年になります。地震で崩れて見るも無残な姿になった 熊本城がベールを脱ぎ、青空のもと綺麗にお化粧をした姿を見せました。そびえ立つ天守閣は熊本の人達に勇気を与えることでしょう。
私は東映時代劇と映画館でのお付き合いは1958年から1963年の半ば迄で、高校進学のためにいそがしくなってきて映画館には行かなくなりました。それが、丁度時代劇が傾きだしたころでした。その5年間に心に刻まれた、良き時代の時代劇が今日まで心に生き続けているとは、なんと素晴らしいことでしょう。
ついつい・・つられて・・私にも殺陣のことをすこし話させてください。
時代劇は、何といってもチャンバラ時代劇。素晴らしいと息を呑み身震いし引き込まれていきます。殺陣は、それぞれの俳優の持ち味を出すものですから、殺陣師さんも大変だったでしょう。
殺陣が上手かった俳優はというと、中村錦之助さんと近衛十四郎さんは必ず名が上がってきます。
錦之助さんの動きには歌舞伎的要素が入っているように思えます。町人、殿様、浪人、武士と役柄でガラリと変えてくる上手さには感服します。「宮本武蔵」「関の弥太っぺ」「伊達政宗」とそれぞれに見せてくる殺陣はなるほど、時代劇ファンを引きこむだけの魅力があると思います。殺陣は上手く立廻りには凄みと重みはありますが「源氏九郎颯爽記」でのように着流しでの立廻りときの裾さばきがどうも。
近衛さんは錦之助さんのような殺陣ではなく、構えて余計な動きは入れずに一太刀で斬っていくという感じがいいのでしょう。ただ、「主水之介三番勝負」で橋蔵さまと対決をしますが、あそこは映画とは言え近衛さんの迫力に圧倒されてしまいます。
大友柳太朗さんは身体も大きいですから、力強さがあり動きも大きい、やっぱり丹下左膳での殺陣が印象的です。ただ、リハーサル通りの動きをしないときもありますから、剣会の人達や追いかけるカメラは大変だったかもしれませんね。
ということで、他の俳優さんの殺陣と比べても、私的にはやっぱり橋蔵さまの殺陣に魅かれることは言うまでもありません。
舞踊的動きを入れた曲線的な流麗な動きで、他の俳優と違い立廻りのときに頭がぶれないのは、舞踊で鍛えた腰の強さが備わっていたからでしょう。ですから、回転しながら相手を斬ったり、体を反らしながら斬っていく、豪快さはないが身のこなしに優雅と華やかさがあり、そこに、スピード感があったから、そこが橋蔵さまの殺陣の魅力倍増でした。
この動きの合間に、橋蔵さま得意の目を流し見栄をきるのですから、女性ファンが見惚れるのも当たり前でしたね。
橋蔵さまは着流しでの殺陣が多い方です。着流しのときの着付は、激しく動いても崩れないようにしますが、橋蔵さまの場合、動いた後、着物の裾がちゃんと元通りになるように足元にも気をくばっての動きをしますから、裾さばきが綺麗です。ですから、立廻りでもカットは少なく通しでやっているであのスピード感が出たのではないでしょうか。
「若さま侍」「新吾」「草間の半次郎」を始め、クライマックスの立廻りはスピードある長帳場が多いです。やはり初めの頃は重みを感じず、動きが綺麗というところに目にいきます。それでも、「新吾十番勝負第二部」の多門先生を助けに行くのに廊下を走りながらの立廻りは素晴らしいものを感じます。その橋蔵さまの殺陣、構えが違ってきたのは「月形半平太」の時期頃からではないでしょうか。キレと力強さが出てきました。
しかし、先日も書きましたが、リアル路線に時代劇が変わってくると、集団抗争時代劇が多くなってきましたから。作品内容自体が、汚いものになってきてしまう。こうなると、殺陣の美しさは必要でなくなってしまいました。東映は一方では美しさを見せていくべき、それとも汚れたものでいくべきか、迷いがあったろうと思います。
橋蔵さまの作品にしても悩んだでしょう。橋蔵さまの場合は、「月形半平太」やテレビでの「荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻」「鯉名の銀平雪の渡り鳥」に見るように、綺麗なチャンバラの殺陣の中にちゃんと壮絶さが出てきていると思うのです。美意識ある時代劇で、美意識を持つ殺陣でも、凄惨さは作れるのだと思いました。
✱好きになれない作品意外とあります✱ #2019.4.10
橋蔵さまとの作品では、桜町弘子さんは「紅鶴屋敷」が一番彼女の良さが出ていると思います。それにしても橋蔵さまとは甘い関係でハッピーエンドの共演は少なかった女優さんでした。
ひばりさんと絡む橋蔵さまは、他の女優さんとのときとは違いますね。お二人は気が合うのよ、と言ってしまえばそれまでですが、ひばりさんは相手の持っている演技力を上手く引出し自分の魅力をより出してくる、相手は橋蔵さまですから受け身はなれたもの、ひばりさんの魅力を受け止めます。そして橋蔵さまはひばりさんが相手だと遠慮なく自分の演技をぶつけられ、ひばりさんが受け止める技量を持っていますから存分に演技ができる。そこに、ひばりさんの色気と橋蔵さまの色気が上手くマッチしているから、違和感なく安心して見ていられる一つでしょう。
私も、美しい姿の橋蔵さまを、その一方で、意欲作に取り組む橋蔵さま、1963年頃からの素顔に近い化粧で取り組む橋蔵さまと、それぞれに橋蔵さまらしさの良さを見つけ受け入れたい気持ちは多分にあります。
何時までも白塗りをするわけにもいきませんから、ある年齢になったら橋蔵さまも変わっていくのはあたり前なのです。しかし、自分の中に描いた大川橋蔵というものが基本ですから、途中から違う橋蔵も受け入れろといっても、少女時代から橋蔵さまと一緒に生きて来たファンには、なかなか難しいことだと私も身をもって感じますよ。よく、橋蔵さまのものだと全てを把握したようにほめたたえる人がいるようですが、それは本当のファンではないと思っております。橋蔵さまはすべてに素晴らしいのよ・・・いやいや、ここは、これは好きではないということを言えることが出来て本当のファンだと思っています。
私は、1961年までの作品の中にも、綺麗な橋蔵さまでも好きになれない作品が意外とあります。今ブログを書いている以上、好きでない作品の中にもここはというところはないかと探してはいますが。
橋蔵さまも美しいという年代を過ぎたときに、錦之助さんは少年少女映画時代から年代と共にご自分の居場所を見極めて来たのでしょう。錦之助さんが「親鸞」という大作に挑んだとなると、ライバル同志、橋蔵さまも「海賊八幡船」「炎の城」と挑みました。が、世の中は橋蔵さまにそういうものを望まなかった。大衆娯楽作品に戻って行きましたが、時代は大衆娯楽や現実離れした夢のような作品を好まなくなってしまった。
「椿三十郎」のような作品が海外で好まれるようになると、リアルさを重視する映画が作られるようになりました。錦之助さんは「宮本武蔵」などリアルさがある作品を今までもこなしていましたから、すんなりと入り込めましたね。作品も良いものがどんどん来ていました。
錦之助さんは時代の波にうまくのり、「反逆児」「武士道残酷物語」「関の弥太っぺ」と作品をこなしていきます。流石錦之助さんは文芸物もこなします。
それに比べると、橋蔵さまの場合この時期の作品は今までの分野を脱しきれない役柄でした。100本目の記念作品もあの「風の武士」では心には残りません。
大衆娯楽作品を主張してやってきた橋蔵さまですから、大衆作品が受け入れられなくなった映画界では仕方がないことです。
私たちが救われたのは、少し遅かったですが、テレビ界に転身してくださったことでしょう。テレビへの転身を渋っていた橋蔵さまに、これからはテレビだと強くアドバイスしていた○○さんに感謝です・・以前の橋蔵さまが戻って来たのですから。
そして、今こうして古の作品にお会いして好き嫌いと言えることは、贅沢なことですね。
✱生誕日・・大好きな作品で✱ #2019.4.9
今日は、橋蔵さま 生誕日です。
橋蔵さまご健在のときは、毎年お誕生会が開かれ、みんなでお祝いしました。
にこやかな橋蔵さまのお話しを楽しみにしていたものです。
今は、残してくださった作品を見て、私達が橋蔵さまに話しかけていきましょう。
橋蔵さまならではの素晴らしいところがぎっしり詰まっている「月形半平太」私の大好きな作品の一つです。
「ほんまに、もういっぺん、おおておくれやすか?」
「うん・・必ず会う」
「・・うれしいわぁ・・・ほんで、何処で?」
「そう、うーん、場所は三条河原、時刻は四つ半」
「へえ、ほんまどっせ、嘘やったら、いやどっせ」
倒れゆく半平太の思いは・・・約束の三条河原で待つ梅松は・・・この場面が脳裏に焼きつきます。
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✱何も残らないの・・「旗本やくざ」✱ #2019.4.7
東京の桜の花も満開宣言から寒暖の激しさの中でやっといたるところで散り始めています。川面の花筏が見られるところはいいですね。
明日は花まつり。仏教徒の多い日本人の間でも意外とお寺へ出かけ春の花に囲まれたお釈迦様に甘茶をかける人が少なくなりました。
そういう私も仏教とキリスト教の両方を持っていますので、そこは適当にどちらも大切と思っています。
「旗本やくざ」ちょっと辛口の感想?になってしまいますがお許しください。
このような作品がもう何年か前だったら・・作品内容は別として。
橋蔵さまの若さも相まって楽しいものが出来たのではないかと思いますが、そうは問屋が卸しませんかね・・時代の流れというものがありますから。
テレビ時代が来ていたし、東映時代劇の役者さんだけではこのようなコミカルな作品は無理。
この頃になりますと、映画の時代劇を見る観客はぐっと減りましたし、東映はやくざ路線の現代劇が主流、時代劇役者も現代物にチェンジしていきました。橋蔵さまも1965年には先ずは「バラケツ勝負」で様子を見ましたが、これでは現代やくざ路線の方向のものはダメということで、その時代にあった時代劇作品をせめて少しでも撮っていくという状態でしたね。
「旗本やくざ」この時の東映映画作品としては、奇抜ともいえる内容の作品でしょう。中島貞夫さんと倉本聰さんの共同脚色もの時代劇を他社で2本撮っていますが、これもハチャメチャとはいいませんが、そのような雰囲気を持った作品?のような。
「旗本やくざ」ではお二人共同の脚本でコミカルを基本に作り、その中に弱者と強者の関係を描くというもの。最初の場面を見ていると、これは喜劇?と疑ってしまいます。音楽は山本直純さんで、ジャズと和音楽の取り合わせが作品の進行を楽しくしていきます。最初の芝居の背景が廓、そして丁の目の三次達が遊ぶ場が廓、舞台のセリフ回しと同じ感覚で前半は映像が進んで行きます。廓で踊るは当時流行っていたゴーゴーなども取り入れられています。
橋蔵さまの舞台セリフとひょっとこ踊りを見られますからファンには少し満足はいくでしょうが・・・ひょっとこ踊り、橋蔵さまが踊れるということを知らない人たちには、違う人が踊っていると思うでしょうね・・・ずっとお面をつけていますからね。反対に考えると、この場面注目するのは、橋蔵さまに注目するのではなく、酒井丹波守がおかしいと感ずる過程の演出で持ってきているのだと思います。当時の時代劇は主演者だけが引き立つ映画ではなくなっていますから、そこが何というか納得して見ていくのには抵抗を感じる方もいるのではないでしょうか。
そう言う面で、この作品も、たらしの頓兵衛の青島幸夫さん、お囃子の長助の近藤洋介さん、雷の四郎五郎の遠藤辰雄さんの良さが引き立っています。いや、橋蔵さんより目立っているかもしれません。
ある意味で主役は橋蔵さんでなくても良かった作品では・・と思ったりもします。
やはり、橋蔵さまはやはり化粧っけがない顔は何か一つ重みがないです。そして「バラケツ」の時もそうですが、やくざになるとセリフを言う時の口の開き方にいつ見ても違和感を感じてしまいます。そこまで崩さなくても・・・とね。
私は今までに何回か見ているのですが、見終ると「ふーん」といった感じで楽しかったいえる程でもなく、何も残っていないんです。やはり綺麗さ、橋蔵さんでなくちゃ出来ない三枚目?のものでないからかもしれません。
この作品を演っている時には、映画を離れようと決心していたでしょうから、橋蔵さまは、この作品にある思いを込めて頑張った作品だったのだとは思います。でも評価は?有終の美は飾れませんでした。
橋蔵さまと東映がこの時点でテレビに重きを置いたのは結果的には良かったのでしょう。
✱花より団子✱ #2019.3.30
東京の🌸ソメイヨシノ桜 も天候の足踏み状態で、来週まで持ちそうです。
現在は何処のものでも手に入るし売っているから何でも食べられ、地方色もなくなってきましたがね。今頃は、桜に関係した桜餅、道明寺、三食団子、と食べたくなるものばかり。
東京で桜餅といえば長命寺ですが、今は関西の道明寺も京都の三色団子も容易に食べることができます。。
今から58年前の春に、橋蔵さまが撮影の合間にホッとひと息京の春を味わっているときに、こんなことを言っていますよ。
『花より団子といいますが、京都にはピンクとホワイトとグリーンの三色の花見団子があります。その敗色が何ともいえず美しいので、甘党ではない僕もつい手が出てしまいます」
ああ、長命寺の桜餅をお願いしよう、道明寺と三色団子はデパートに売っているものでいいわ。
📺月形半平太」はマキノ雅弘監督ですから、愛や恋を描くのはお手のもの・・よいですよね。丘さとみさんの魅力を引出すのが上手いので橋蔵さまとの絡みがすごくいいですね。それはおいといて、力強い殺陣が見られるのがよいところです。ラスト大乗院での立廻りのときに、相手の刀が飛ぶのですね、脚本にあることなのか、それともそのときの力の入った動きからなのかは別として、ちょっとした一瞬の映像が、大立廻りの勢いを突き付けてきます。
このラストは、皆様ご存知のように、半平太を死なせないようにとの意向であのような終わり方・・「傷を負って、壮絶な斬りあいのため気がふれているかもしれないが、半平太は死んではいないのだよ・・・」というところでしょうか。そして三条河原で半平太が来るのを待っている梅松の姿が・・もしかしたら半平太が来るかもしれない・・という願望を持たせて終わる・・・印象的です。切ないですけれど。ここがあるから後から何回見ても、この作品「月形半平太」は心に残りますね。
1958年頃の話から 一寸・・
😢感激されてこまった話・・・をしましょう
(こちらの掲示板に四方山話を書く時は、私なりのニュアンスで原文に色付けしたりして書いていますことご了承ください)
気軽な冗談をいってよく人を笑わせる橋蔵さまですが、自分でもよく笑うというゲラオでありますが、また大の感激家でもあるのです。
こんな話があります。
東京の家には、橋蔵さまが京都にいようが毎日のように、ファンが押し寄せています。どこからか、橋蔵さまが東京に帰ってくるということがわかったときはそれこそ大変。
久しぶりに東京の我が家に帰って来た橋蔵さまのところに、早くもファンの女学生たちが訪ねてきていました。手に手に花などを持って非常に賑やかな玄関先です。
橋蔵さまは東京に着いてまだ何時間も経っていないので休みもしたいところですが、ファンサービスが良すぎるくらいの橋蔵さまですから、疲れていても気軽に立っていって玄関の戸を開け、「やあいらっしゃい、どうぞ」橋蔵さまは気軽に、賑やかに話している女学生達に声をかけたのです。
とたんに賑やかな女学生たちが、シーンとなってしまってのですから驚きです。そして彼女達はポーッとした瞳を橋蔵さんに釘付けしたまま、動かなくなっちゃいました。
橋蔵さまの方から握手のつもりで手を出しても応じません。これには橋蔵さまも大弱りで、橋蔵さまの方がすっかり照れてしまって、どうしたらよいのかまごまごしてしまったそうです。
女学生たちにして見れば、まさかご本人がすんなり出てくるとは思っていませんし、訪問で今日会えるとは思っていなかったのでしょう。それが橋蔵さまご本人の出迎えに感激のあまり、夢の世界へ・・という訳で、感激家の橋蔵さまが逆に感激されてしまったというのです。
✱ちょっと一服しまね✱ #2019.3.24
今朝は雪がちらついたところが各所であつたようです。桜開花のところには今日はお花見客が出ていることでしょう。
私は、河土手の桜並木、山にピンクに染まっている桜と、どちらかというと、なるべくは自然と溶け込んでいる桜が好きです。
数年前まで、毎週青梅まで行っていた時のあの自然の素晴らしい景色が思い出されます。都心から西方面多摩川を越えると近くに四季楽しめる景色が沢山あります。最近は、いかなければ・・と思うのですが、うまい具合に時間が取れず、ご無沙汰をしている状態です。
では、今日は1958年頃のことからの、
橋蔵さん・・お茶目でソンをした話をひとつ載せてみました。
(こちらの掲示板に四方山話を書く時は、私なりのニュアンスで原文に色付けしたりして書いていますことご了承ください)
橋蔵さまにこんな半面がありましたよ。
撮影で京都近郊の川原にロケに行ったときのことです。
お天気はよいし、なんといっても大好きな立廻りシーンでご機嫌に動き回っていた橋蔵さまでした。休憩になって、ふと目の前の光景を目にしたから大変、橋蔵さまのいたずら心が頭をもたげたようです。
その目の前の光景とは、河原の水量は少なくまたいで渡れるくらいの川幅で向こうが洲になっています。そこで出番待ちの人たちが気持ちよさそうに昼寝をしている最中だったのです。
いま、立廻りで一生懸命動いて来た橋蔵さまにして見れば、何ということ・・。
「人が仕事をしているのに・・。よし渡れなくしてやる」
橋蔵さまは大土木工事?をはじめました。石を運んで水をせき止めたり、溝を掘ったり、と苦労のかいあって川幅は相当広くなり、またいでは渡れなくなりました。
そうしていると、「おーい、出番だよー」の声がかかります。むっくり起き上がった昼寝組が、どんなリアクションを見せるか・・・楽しみにしていたのです。・・・ところが、彼らは広くなった川を、何事もないように水をジャブジャブはね散らかしてカメラの前に行ったのです。
橋蔵さまの苦心の大土木工事など全く気がつきません。みんな困るだろうと、その瞬間を期待していた橋蔵さまはガッカリです。骨折り損のくたびれ儲けの撮影合間の出来事でした。
✐(橋蔵さま・・お疲れさまでした。そんな作業をして、橋蔵さまゆっくり休憩出来たのですか? そのあとのロケ撮影に支障はなかったのでしょうね、心配しちゃいます)
✱金糸雀雑記✱ #2019.3.21
春分の日、東京は予報ほどの雨は降らなかったのですが、強風がすごかった。靖国神社のソメイヨシノも5輪以上ひらき桜開花の発表がありました。でも、明日は北風が吹き、温かさも一時ストップのよう。
今日は私のまわりは静かな一日となりました。
橋蔵さま生誕90年ということも考え、今日はこれからのブログの構想をいくつか練っていました。
午前中はブログ”美しき大川橋蔵”の画像処理。毎回一回の投稿の画像が約20枚、画像の明るさ、橋蔵さまのこれといったところの台詞のところと画像を先ず整理し、その後、サインを入れていく作業と、面倒くさいけれど、これも大川橋蔵の作品をこれから先、いつか一人でも多くの人が見てくれればという思いを込めてやっています。仕事の方が優先ですから、時々は嫌になっちゃうこともあるのだけれど。
作品のブログは、42作品目の「修羅八荒」がそろそろ完了します。私が現在目を通しているのは「新吾十番勝負」は二部と一緒に書くとして、「おしどり道中」がもう少しで完了するところまできました。50作品目までもう少しで、ストックできるところまできました。
でも、先は長~いですね、どこまで出来るやら・・・です。
フリーページにもいろいろ掲載したいので、少しずつ準備をしているものもあります。作品と連携してコーナーを作り、手元にあるのは数少なくなってしまっていますが、後援会誌からも載せて行く予定にしています。
ブログ”心の軌跡”の方は、年代順に手元にある雑誌から目を通し、私自身その年代に見ている気分で活字を追っています。橋蔵さまの特集記事や私が集めた好きな作品の別冊ものになると、どこまで載せようかと一苦労、素敵な橋蔵さまをより多く見てもらいたいと、苦心しています。雑誌「近代映画」からの一部は、”美しき大川橋蔵”のフリーページの方にまとめていきたいと思っています。
いろいろと構想は練っていますが、何しろ時間が思うように取れませんので、少しずつの掲載になってしまいますが、この”大川橋蔵大好きファン広場”の掲示板と一緒に橋蔵さまを思いだす楽しみの一つに加えてください。ブログには載せない記事の中から、ちょっとしたものは、年代順不同になりますが"掲示板"の方に四方山話という感じで載せていくつもりです。