MENU
137,017
固定された投稿

🔶お知らせ・・ロケット掲示板とRara掲示板は同時運営しております

このロケット掲示板の『葵新吾"大好き大川橋蔵ファン広場”掲示板PARTⅡ』と
Rara掲示板『大好き大川橋蔵ファン広場PARTⅡ掲示板』【 https://rara.jp/fanhiroba/ 】は同時進行で運営中です。
使い勝手からどちらも一長一短はありますので、できる限りは同時並行で行くようにしてまいります。
どちらを見ても大丈夫なように管理者が責任をもって投稿記事は双方に分かるように掲載していきます。

🟨この掲示板は無料版の掲示板にしましたので、広告が入りますので見ずらくなってしまいました。ご容赦ください。

編集・削除(編集済: 2023年04月07日 07:42)

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱ 好きになれない「風の武士」✱ #投稿日2017.5.4

昨日「風の武士」夜の放送だったので見ました。
PCから目を休ませようと思い、テレビをじっくり見てしまいまして、目の方は結局は休めずという状態になってしまいました。
この作品は東映チャンネルで前にやった時何回か見て、感動する作品でなかったので、今回は気持ちを新たにして、見てみたいと思いまして・・。だって、橋蔵さまの100本記念映画ですよ。見る方だって力が入ります。しかし、やはり、私には最後まで見てよかったという作品ではなかった。
司馬遼太郎の原作ものだが、橋蔵さまには合わないと思う。
名張信蔵のルーツは伊賀忍者。”にぶつ姫縁起”という絵巻物の地図からしか行く道が分からないという熊野の黄金郷と呼ばれる安羅井。その財宝を狙って紀州家が動いているらしいと、老中水野の密命を受け動くが、思いを寄せているちのが関わっているのが分かると、紀州家も老中水野のことも関係なく、ちののことだけに信蔵は行動する。
少しゆずって、名張信蔵が忍びの格好で紀州屋に乗り込んだところまでの58分まではいいとしますが、これは、橋蔵さまの忍びの姿がカッコいいからであるからです。
道中行列の駕籠にちのが乗っていない。ちのが好きな高力が、恋敵の信蔵にちのの体はもう俺のものだと言われた後の信蔵は好きではない。そこからだんだんと、ミステリアスだった内容が、ちのに翻弄されていくだけの、女を好きになった男のお粗末な内容にいってしまっているように思える。完璧に興味をそそられたのは40分30秒まで。
それにしてもお勢以の方を一度も振り向かず行く信蔵を見送るお勢以の心境つらいですね。絶対にお前のところには帰っては来ないということですものね。

侍の姿での可愛いようなふてぶてしさは橋蔵さまには似合わないと思います。
あと、作品を見ていて信蔵が走るシーンで2ヵ所橋蔵さまでないところがはっきり分かってしまいます。そこまでしてこのようなところを入れる必要があったのか、ということです。
橋蔵さまには、大衆が喜ぶ年相応に綺麗でカッコいい作品で通してほしかったけれど、映画の進む状況に従わなければならない辛い時でした。
この100本目の映画から、大川橋蔵の時代劇が変わりますよと示唆しているような作品でした。
わたしは、嫌いだとは言わないけれど、好きにはなれない「風の武士」でした。

引用して返信編集・削除(未編集)

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱年を重ねるごとに良さが出て来た"股旅もの"✱ #投稿日2017.5.3

大型連休も後半に入りました。多くの方は今日から行楽にお出かけになるのだと思います。出かける予定はなく自分の時間が取れる方で、橋蔵さまのDVDを見られる方は思う存分大川橋蔵の世界に浸ってはいかがでしょうか。

1964年からの橋蔵さまの”やくざ姿”は若い時には出せない、よい意味での凄みと奥からにじみ出てくる優しさがあり、作品内容は別にして私は好きですねぇ。
映画時代の「人斬り笠」「大勝負」「任侠木曾鴉」「天保遊侠伝代官所破り」の橋蔵のやくざには惚れ惚れいたします。
年齢的と時代劇の方向性から、二枚目で綺麗だけのやくざというだけでは受け入れられなくなってきた時でした・・それに橋蔵さまは”股旅もの”のやくざで完璧に変わってきた時でした。
でも、映画は衰退しテレビというそして20時台という家族がお茶の間で見られる時代劇が流行っている時なので「銭形平次」に。テレビでもファミリー時代劇から、長谷川伸、池波正太郎、藤沢周平といった作者のものが放送されるようにテレビも変わってきました。
そして、映画時代から17年後にテレビでの「沓掛時次郎」「鯉名の銀平」で、橋蔵さまの”やくざもの”が戻ってきたわけです。
年齢を経て橋蔵さまのやくざ姿には、感情の表現が実によく、見ている人の心を打つようになりました。そこに持って生まれた品位がありますから、美しさがあります。橋蔵さまは本当に美しく年を重ねて、綺麗というだけの大川橋蔵ではなかったということを舞台でも見せてきましたし、テレビでも、もっと素晴らしい大川橋蔵を見せ始まったところでしたね。
もう少し違った面もどのように演じたか見たかったですね。

引用して返信編集・削除(未編集)

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱国際劇場にて「花吹雪おしどり絵巻」✱ #投稿日2017.5.1

新緑の季節てす。若葉のやわらかい緑色は綺麗でやわらかく、日差しを浴びるときらきらしていていいものです。でも、また寒気が入り込んでいるとかで、今日も強い雨、突風、落雷、雹に気をつけるように天気予報がうるさく言っています。

今日は、「大喧嘩」を見て外出。
少し暗めで村の中を走る走る体力勝負のような作品、好きな方に入る作品ではないが、旅に出て三年、ほとぼりがさめて戻っての秀次郎のやくざ姿=橋蔵さまはカッコいい。それだけを見て良しとしよう。
私には放送時に見なければ、DVDを出してきてまで見ることは少ない作品の一つです。

📌ちょっとブログの方のお知らせ・・国際劇場での様子、のちに橋蔵さまがご自分の歌を聞いた時の事、ちょっと書いておりますので、ご覧になっていただければ・・と思います。
*美しき大川橋蔵*私の想い出・・・トミイ・マミイ顔合わせ公演やっと実現した浅草国際劇場へ・・・

「大江戸喧嘩纒」の撮影が終わり、1957年新春1月6日から13日まで、東京浅草国際劇場に於いて、「花吹雪おしどり絵巻」の公演。トミイ・マミイ”として大人気のお二人の顔合わせでの公演がやっと実現したときのことですが、知っている範囲で書かせてていただきました。毎日が大入り満員で有終の美が飾れると思っていた千秋楽夜で・・・あのような事件が起きるとは・・・誰も考えていなかったでしょう。
(私は、この時はまだ小学低学年、今のようにエンタメもなく、芸能情報は全くと言ってない時、週刊誌を買わなければ内容は分からない。テレビも普及はしていませんでしたからね。知ったのは高校生になってから。橋蔵さまもその時出ていた舞台のことと聞いて、ぞっーとしました。)

舞台で披露するひばりさんとのダンスの練習は十分に出来なかったようで少しどぎまぎ、でも写真を見ていただければ分かりますが、楽しそうに踊っています。初の歌声はどうだったのでしょう。後援会誌とみいでも「お上手とは言えない」という声がほんとうのところでしょう。橋蔵さまの別の声が効けたということで良しとしましょう。その歌「泣きとうござんす」のレコーディングもこの舞台の合間をぬって行われたようです。
のちに、橋蔵さまご自身がこの歌を聞いた時のことなど・・・ブログの方に書きましたので読んでいただければと思います。

引用して返信編集・削除(未編集)

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱感想と思うこと✱ #投稿日2017.4.20

東京は、昨日藤の花が開花したと、今日は関東のいたるところで藤の花の開花という気象庁より開花宣言がありました。今まで藤の花の開花宣言はなかったと思うのですが??4月まつから5月の連休は、藤の花を見に行きましょうと言うことなのでしょうか。つつじや芝桜、ハナミズキも咲き始めています。

📔 ここから、ちょっと感想を・・
「花吹雪鉄火纒」は火消の役としても一番火事場の風景も多いし、火事場での纒振りと最後の裃姿での纒振りがよいところですね。相手役になる油屋のお花は、長次からすると年下で可愛らしいというところで、お花役は中原ひとみさんでいいのだろうと思います。長次がお兄さんのような雰囲気で、お花に接する感じがお兄さんのようで、恋心がハッキリと描かれていないところがよいと言えばよいところです。
「大江戸喧嘩纒」では、若い二人の恋心をひばりさん相手にのびのびと演じていますし、「江戸っ子肌」では、加賀鳶とは犬猿の町火消の妹を好きになってしまい悩み、小いな姐さんに惚れられ、吉五郎も小いなにも少しは気があるような、という恋に悩むところが主旨になっている。それぞれに、橋蔵さまの年齢と共に恋の行方も変わっていきます。

単発2時間ドラマは、橋蔵さまの集大成に相応しい作品になりました。この3作品を残してくださって本当にうれしく思います。これから先も何度となく放送してくださる事を期待しています。それと同じく「銭形平次」も。ただ、大川橋蔵という俳優がテレビで、銭形平次以外単発は3本だけかと思われるのは心外ですね。映画作品も多く放送してもらいたいと・・お客様の声に定期的に書いていかなければいけないわね。

「沓掛時次郎」は哀愁が出せる橋蔵さまにはぴったりですね。時次郎が笑みを浮かべるのは2ヵ所だけ、一緒に私も笑みを浮かべてしまいます。
風邪の病から目を覚まし、「本当は殺そうかと思っていた」という太郎吉がいった時の二人をみる時次郎の表情がよいです。私あの場面大好き。
太郎吉とこころが通い、道中時次郎の方に駆け寄っていく太郎吉を時次郎が受け止める・・ちょっとした映像ですが、心が締め付けられます。
そして、最終、太郎吉の小さな声での「ちゃん」、太郎吉を抱きしめ、そして歩いていく姿、心打たれます。「沓掛時次郎」は長谷川伸さんの股旅小説での映画化ドラマ化はありますが、ここまでの心打たれる作品を美しく哀愁を持って出気得た人は橋蔵さまが一番だと思っています。泣きがうまくなかった橋蔵さまでしたが、やはり年月を経て、このドラマでは顔だけで泣くのではなく、内面からでてくる感情でなけるようになっています。

引用して返信編集・削除(未編集)

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱今日は橋蔵さまの生誕日✱ #投稿日2017.4.9

皆様おはようございます。今日は橋蔵さまの生誕日です。
橋蔵さま生誕88年、おめでとうございます。
今日は何をなさっているのかしら・・・忙しかった日々を過ごしてきた橋蔵さま。
満開の桜が散り始めています・・橋蔵さまが地上に舞を舞いながら降りてくるように。
🍸今日は橋蔵さまのホームバーにちょっとタイムスリップ、橋蔵さまとシャンパンでまずは乾杯を。”おめでとうございます”
あの姿、この表情・・綺麗な殺陣と力強い立回り、美しい優美な所作・・すべてが今見ても素晴らしい橋蔵さま。沢山の時代劇の夢をありがとうございます。
これからも楽しませていただきます。

さあ、お昼は、お蕎麦にしようと思っています・・ 橋蔵さまのお蕎麦の食べ方を見ていると美味しそうに食べるから・・・さあ「若君千両傘」の城太郎さんと食べようかしら、それとも「緋ざくら大名」の千代三郎さんと食べようかしら。うふふっ

(画像の上に👆が出るものはクリックすると違う画面でも見ることが出来、拡大されている画像もあります)

引用して返信編集・削除(未編集)

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱「橋蔵の若様やくざ」良いですねぇ✱ #投稿日2017.4.8

「橋蔵の若様やくざ」・・”橋蔵の”とつくように、橋蔵さまのよいところをふまえた上での好きなように描ける作品です。ですから、橋蔵さまにしか出せない魅力がびっしり詰まっています。他の人も舞台で「若様やくざ」をやったりしていますが、さすがに橋蔵さまの「若様やくざ」のようには出来ません。
あとの作品でも、”橋蔵の”とつくのは「江戸っ子判官」。これだって橋蔵さまの遠山金四郎はこうだよと、他の人には出来ないように描けるのですね。昨今は”誰誰の”と付けて演技者の特性を考えての演出が多くありますが、当時として見れば、すごいことですね。

私は、この作品どこがいいところだとピックアップすると大部分となってしまいますが、今回は絞って。
千秋実さんの阿部川勘蔵との絡みは抜群ですね。
前回に書いたところもほんの一部分ですもの。今日もまたしつこく一ヶ所絶対のところ。めしやのぐず六で、阿部勘とのところ31分10秒から33分20秒はよいところの一つ。その中で、鯛平が「お茶」と言ったので注ぎながら二人でいちぁいちぁしているのを見ていた阿部勘が「女が傍にいると飯がまずい」と言ったので、お雪が席を立っていくのを「おい」と呼び止めるように手を出したところを阿部勘がパチッとその手をはたいた時の鯛平の手を引っ込める時の仕草、とても可愛く、綺麗なのです。手先に注目して・・手の動きが踊りの仕草です。
そこのところ3枚画像載せて見ました。

(画像の上に👆が出るものはクリックすると違う画面でも見ることが出来、拡大されている画像もあります)

引用して返信編集・削除(未編集)

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱長谷川一夫が期待していた"新しい時代の二枚目"✱ #投稿日2017.4.8

橋蔵さまが「海賊八幡船」「炎の城」を撮影を終えた頃の1960年にB5ぐらいの薄い雑誌なのですが「時代映画」というのに大川橋蔵特集がでました。わら半紙?のような紙が使われていたので今となってはぼろぼろちょっとすると粉々になってしまいます。そのため、私としてとっておきたいところは、少しずつ書き写そうかと思っているのですが、なかなか細かいことなのでなかなか・・。先日、長谷川一夫さんについて書いていました時に、その特集本に長谷川一夫さんが、巻頭言を書いていたのを思い出しました。

🍀 二枚目への道   長谷川一夫
時代劇と共に生れ、その時代を守り育てて来た私たちにとって、もっとも心にかかることは、次の時代劇を担う若い人たちのことです。
戦後、各社の時代劇に次々とスターが生れ作られて来ましたが、最近、とくにこの一、二年の間に、単なるスターとしての人気(もちろん、これも必要なことですが)だけでなく、立派な時代劇俳優としての地歩を、しっかりと固めて来た人が目立ち、ほんとうに心強い気がします。
たとえば、東映の中村錦之助君、大川橋蔵君、東千代之助君、大映でいえば市川雷蔵君、勝新太郎君などに、それが著しく見えるようです。
みんなそれぞれが、会社の企画方針で(それも量産主義の日本映画ですから)いろいろな作品でさまざまな役柄を演じているうち、おのずから独自の芸風なり芸境を確立し、花やかにその競い合っている有様を見るのは、かつての第一期黄金時代ともいうべき、戦前の頃を偲ばせる壮観ともいえましょう。
その中で、むかしからのいわゆる二枚目という点で、一番ピッタリするのが大川橋蔵君だと思います。
よく他の人から、橋蔵君の芸風が私の若い頃に似ていると聞きますが、橋蔵君も私も共に歌舞伎の女形出身であること、身体つきが似ている点、そして私自身が以前から橋蔵君のお父さんの六代目尾上菊五郎氏の芸風を慕っていたことなど、いろいろの共通点から、きているのかも知れません。
橋蔵君の二枚目としての魅力は、全身のこなし―特にその眼から発散される色気だと思います。
もちろん、今後も会社の企画方針によって、さまざまな役柄をこなして行かねばならないでしょうが、その中でも特にこの二枚目の線で、橋蔵君の本領を発揮してもらいたいと思います。
私の若い頃に演った役のいくつかを、橋蔵君が再演して好評を得られたと聞きますが、それよりも私が望みたいことは、私が若い頃から演りたい念願を抱いてついに演る機会がなかったもの、あるいは今でももう少し若ければやりたいと思っている素材なんかも、大いにやってほしいような気がします。
このように二枚目としての独自の道を進んでいかれるのが、橋蔵君にとって一番自分を生かす道だと思いますし、新しい時代の二枚目として大成されることを、心から期待しているものです。

📍 いかがですか、長谷川一夫さんからのアドバイスもそう、そして歌舞伎界から映画界に入ってからも、悩んだ時に相談にいっていた仁左衛門さんもおっしゃっていたことでしたが、橋蔵さまの魅力は二枚目が持ち味、何があっても二枚目の線でやり通すこと、と言っていたようですから、映画の流れがどのように変わろうとも、橋蔵さまは二枚目でなければいけなかったのです。会社の方針もあり、ご本人の野心作に動かされる気持ちもあり、1963年頃からちょっと二枚目路線から少し外れてしまいましたね。スターを必要としない作品が多くなり、汚い感じのものが多くなりました。1963年に長谷川さんが映画界を止めて、舞台に行き、1964年にNHKの「赤穂浪士」をやっています。映画スター長谷川一夫さんがテレビへ出てきて視聴率をとっている。1964年はテレビ時代到来、多分この様子を見ていて、フジテレビは先を読んだのでしょう。
フジテレビは東映に持ちかけていた、大川橋蔵での「銭形平次」の話を。だが東映側は断っていた、橋蔵さまも100本は映画を撮りたかったでしょうしね。大川橋蔵がどうしてもダメなら里見浩太朗さんでとフジテレビは声をかけたようですが、里見さんも撮影条件が合わずいい返事をしなかったようなことを聞いたような・・それでもフジテレビは諦めず待っていて実現したけれど、この話をその時受けていたならどうだったのかしら・・・まだ、受けていなかったらどうなったのかしら・・・?
そうそう、東映の東映歌舞伎も、東宝が長谷川一夫さんを中心として、東宝歌舞伎として1955年からやっていたのに感化されて始めたところが多分に多かったのでは。
そう考えて見ると、橋蔵さまの動きは、尊敬もしお手本にしていた長谷川一夫さんが時代の動きを見て動いた道と同じように動いているのです。最後の長編ドラマも「雪の渡り鳥」長谷川一夫さんの当たり役でした。もう少しご存命でしたら、長谷川一夫さんが演じた作品のリメイクをテレビでも橋蔵さまらしくやったのではないかな、と思います。舞踊家として、舞台俳優として、そして長谷川さんと同じく演出家としても活躍なさったかもしれません。
テレビでのお二人の共演もあったかも。長谷川一夫さんの後を受け継いでくれるのは大川橋蔵さまだと、いろいろ教えてくださり、やさしく見守っていてくれたと思います。
大衆を魅了した時代劇の二枚目スターは1984年4月に長谷川一夫さんが逝かれ、同じ年の12月に橋蔵さまが逝かれました。
時代劇がテレビでも下火になってきた時期でした。

引用して返信編集・削除(未編集)

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱大川橋蔵/殺陣の変化✱ #投稿日2017.4.2

昨日は、一日橋蔵さまの作品を作っていましたので、橋蔵さまとじっくりお会いしました。東映チャンネルはちょうど「銭形平次」をやっていましたので流しながら、はっきり言って映画の「銭形平次」は好きでない、ですから、自分で制作した好きな部分だけのものを見ていた方がいい。

1958年後半から、橋蔵さまの殺陣は舞踊の流麗さがあり綺麗なのは皆様ご存知。その綺麗な動きに、どのように表現したらいいのかな、剣さばきに上手さが増してきた、斬れ味がいい、力強さが出てきています。斬ったあとの見得の切り方も綺麗、ああ、惚れ惚れしてしまいます。今まで少し流れていた立回りではなくなってきましたね。

纒を持っているのがお雪と聞いて、新三が梯子を上がるところいいですね。
屋根の上での二人のやりとりは、当時ファンは羨ましい気持ちで見ていたのでしょうね。お雪が新三に体を預け顔を見るところで、「熱いですかい」新三のこの言葉、何とも言えません。

橋蔵さん(新三)が最初上がってきてひばりさん(お雪)を支えるとき、外向きにかかえているから、向きを変えて抱きつく時、ひばりさんが橋蔵さまの手の位置をさっと変えるのですよね・・なるほど、通しで撮影とあらば手の位置を変えないと動きが取れませんものね。

堀川十兵衛と主膳に、もう侍には戻らないと、彫ったいれずみを見せ、お雪が来た時に慌てて隠すところの新三の表情とお妙に自分にもこれといった人に会えたと話すところの横顔が素敵ですね。

橋蔵さまに魅せられるところは皆様それぞれにおありでしょう。
ケーブルテレビでは、今週は、お役者、お殿様でありながらやくざになって二枚目半、べらんめえ口調の若さま、隠密でやくざにと、色々な橋蔵さまが満喫できる週になります。

引用して返信編集・削除(未編集)

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱内匠頭、切腹までの私の中でのプロローグ✱ #投稿日2017.3.25

「赤穂浪士」は、最近ははじめ30分見て終わりになってしまいます。
私が、橋蔵さまの内匠頭としてよいところは、4箇所です。

橋蔵さまの内匠頭は「ワシが我慢できぬ男と思うか」と、じっと辛さを内に秘め最後まで堪え忍ぶことで通します。哀れさが観客を惹き付けます。脇坂淡路守が内匠頭を大変だろうと見舞います。淡路守の明るい豪快な笑いと内匠頭のうちに秘めた微笑み対照的です。家臣が釣った鯛を見ながら内匠頭が淡路守がいるのを忘れたかのように嬉しさを表します。松之丞の鯛の大きさが内蔵助の鯛と変わらないと、うれしそうに話しますね。それは、辛い今を打ち消すかのように・・橋蔵さまのあの喜びようが・・私はこの場面に胸を締めつけられ涙が込み上げてきます。

そして、大目付多門伝八郎が刃傷に至ったのは乱心であったろうと促しますが、大目付様のお心遣い身にしむ思いだが。「さりとて、乱心とあっては、内匠頭が吉良殿を斬ったる意趣がたちません。家臣は不憫と存じますが」・・ここでの多門伝八郎との受け答えのところは、絶対に外せないところだと思っています。ここがとても良いから、切腹に至るまでの課程へと引きこんでいくのだと思います。進藤英太郎さん扮する多門伝八郎と橋蔵さまの内匠頭の場面いいですねぇ。そして悲しみが増してきます。

切腹をいいわたしに来た時に、「お伺いいたしき一時ございます。吉良殿のその後」
それに対する多門伝八郎の内匠頭を思っての言葉、それに対しての内匠頭の「よかった、思い残すことはない」というような表情と深いお辞儀・・ここがまた、田村邸の廊下を渡り刑場へ向かうのをより悲しいものにしていきますね。
田村邸廊下では、すべてが無言。その中での演技ですから、橋蔵さまの目の表情と仕草がものをいいます。橋蔵さまだから表現できる映像ですね。息をのんでしまいます。「このままもう少しいさせてあげて」と誰でもが思うと思います。今までの田村邸のところはあんなに廊下は長くはなかった。あの長い廊下を美しく歩けるのは橋蔵さまだけでしょう。そして、片岡源五右衛門との別れ、内匠頭の表情のアップが全部心情を語っていて、見ている私達が源五右衛門になったように錯覚を起こさせます。
源五右衛門に無言の語り掛けで、左に首を少し向けてから、右手を少し上げ手のひらを上に向け、別れをする。このやま場で心が涙で震えるのです。
橋蔵さまの内匠頭は、あそこまでの堪え偲ぶ様子を熱演でした。

切腹のところは、橋蔵さまの所作の美しさでしょう。橋蔵さまは裃を抜きとって、着物の袂を底から出す時に、自然にご自分で袂の具合をなおすのです。見についた一つ一つがいたるところに、神経がいきとどいているのですね。

さあ、作品から、いろんな橋蔵さまを満喫いたしましょう。

引用して返信編集・削除(未編集)

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱好きな橋蔵さまの表情で満たされ✱ #投稿日2017.3.18

木蓮の花が咲きだしたようです。この花が咲くといよいよ桜が咲く準備をするそうです。 暖かいお彼岸で、お墓参りにいらっしゃる方にはよい気候のようですが、花粉が相当飛んでいるようですのでお気をつけくださいね。

私は、今朝は久しぶりに仕事に入る前のウォーミングアップに自作のDVDを1時間半ほどかけました。「おしどり囃子」「雪之丞変化」2作、「銭形平次」「江戸っ子肌」「幕末の動乱」「緋ざくら大名」、それとあと一つ??(内緒)。
私が好きな場面を集中的に見ていましたら、作品をやはり見たくなってきました。
いろいろな表情の橋蔵さまが・・かわいい橋蔵さま、鯔背な橋蔵さま、凛々しい橋蔵さま、艶やかな橋蔵さま等々・・どの表情にも惚れ惚れします。
今、「任侠清水港」に目を通しているのですが、オールスター映画初出演、追分の三五郎という正当な二枚目で出演でしたね。東映の若手スターとして主役格の石松役の中村錦之助を相手に、次に続くスターとして人気を上げて来た大川橋蔵が静かに持ち味を見せつけています。石松と三五郎の二人の場面多いのも分かります。橋蔵さま本格的やくざは初めてでしたが、すきっとしていてカッコいいですね。

錦之助さんと橋蔵さまはそれぞれの良さを持っていたので、東映時代劇はよかったのだと思います。好き嫌いは別としてね。
それにしてもこの「任侠清水港」から「赤穂浪士」まで、どういう訳か、オールスター映画でがっぷり四つに組む映画がなかったのがどうも不思議なことですね。

引用して返信編集・削除(未編集)
合計815件 (投稿706, 返信109)

ロケットBBS

Page Top