MENU
555,096

さやけしや雲に無限の目的地

きっこさん、猫髭さん、皆さんこんばんは。きっこさんのパソコンが復活してまた賑やかになってきました。お二方の俳句談義を楽しんでおります(^^)。小生の句はちっとも成長しませんが、これからも楽しく投句させていただきます(^。^)。

引用して返信編集・削除(未編集)

さやけしや爽波一筆つかまつる

きっこさんに俳句の楽しさを教えてくださった担任の先生が貸してくださったのが爽波の第1句集『鋪道の花』だったのですか。初めて聞きました。「鑑賞のお部屋」できっこさんと爽波鑑賞でヒール役をやらせてもらいながら爽波全句集の初版を当時は安く簡単に入手出来たので喜んでいたら、馬場龍吉さんにそんなに爽波が好きだったらこのひとの句集を読んどいたほうがいいよと貸してくれたのが波多野爽波の高弟西野文代の句集で、

  なはとびにおはいりやしてお出やして 西野文代

というはんなりとした京言葉の俳句にこんなに自在にお国言葉を遣える俳人がいることに驚いて、西野主宰が東京浅草句会に参加されると聞いて特別に参加させてもらったら東京の会員は全員顔見知りだったという奇縁で、そのまま西野文代主宰の「文」という結社の一年後に終刊する最後の同人として参加が許され、きっこさんの指導で鍛えられていたのでたった一年でしたが結社とはどういうものかという貴重な経験をさせてもらい、爽波の短冊はじめ彼の傍に居た「青」高弟のひとたちにも話が聴けたので、「俳話集」の次の「鑑賞のお部屋」では爽波直筆の短冊や色紙もアップ出来ると思います。中学生で爽波の『鋪道の花』に出会って私淑した爽波ゆかりの結社に偶然か必然か巡りあったのもハイヒールの「縁(えにし)」だときっこさんの告白を聞いて納得しました。お楽しみはこれからだ。(*^▽^*)ゞ。

  漂鳥の雀鷹は翡翠襲ひけり 猫髭

拙句にお言葉ありがとうございます。「雀鷹は翡翠襲ひけり」は俳人としての「定点観測」ではない俳句世間からは身を引いた普通の趣味人としての「吟ぶら」というのんびり散歩をしていてその日の季節と出会うという自然体の詠み方ですが、番いで居たのでカメラマンも「繁殖だろうか」とフィリピン辺りに帰る途中で毎年善福寺川の和田堀公園に立ち寄るのは知っていたのですがいつも単独だったのが今年は番いだったのが珍しく「鳥渡る」という季語が漠然とし過ぎていてわたくしには扱いづらいので「漂鳥」という傍題を選んだのですが「漂流」だと確かに海を渡る鳥なのでそう言い得るとはいえ、あてもなく風の向くまま潮の向くまま放浪生活を送っているようで擬人化の気味があるので、帰趨本能は生きているわけですから、「(フィリピンへ)帰る(渡る)さ(㋐移動に関する動詞の終止形に付いて、…する時、…する折、…する場合などの意を表す。「帰る―」【大辞林 「さ」接尾語】)に雀鷹は翡翠襲ひけり」の事実からすると、

  渡るさに雀鷹は翡翠襲ひけり

が、わたくしの「身の丈」吟かなあと思います。

  漂流の雀鷹は翡翠襲ひけり

だとハードボイルド猫髭になってかっこいいので俳句も喜んでいるのですが、それは20年前なら似合うのですが、今は歯ガボロイド猫爺なので身に余り過ぎる添削かと。(*^▽^*)ゞ。

写真は海の台風荒れがおさまって7月15日以来やっと食べたホウボウの刺身。粗汁もうまかったあ。

引用して返信編集・削除(編集済: 2022年09月29日 20:50)

さやけしや爽波の湯呑漂白す

皆さん、こんばんは。

猫髭さん、「きっこ俳話集」のアップ、ありがとうございます。
本当に、お疲れ様でした。
https://bbs1.rocketbbs.com/Highheelshaiwa

ベテランから見れば青臭くて失笑してしまうような物言いも散見されますが、これこそが飯田龍太の言う「身の丈」だと思います。
20年前のあたしは、20年前のあたしの「身の丈」で、言いたいことを言い散らかしていました。
そのため、今、読み返すと赤面してしまうことばかりですが、逆に自分の身の丈を超えたことを書いていたら、もっともっと恥ずかしかったと思います。
その点だけは、俳句を通して大切なことを教えてくださった飯田龍太に感謝しています。

そして、俳句においてあたしが感謝しているもう1人が、波多野爽波です。
あたしが俳句を始めたころ、俳句の楽しさを教えてくださった担任の先生が貸してくださった爽波の第1句集『鋪道の花』に収められていた「金魚玉とり落しなば鋪道の花」「鳥の巣に鳥が入つてゆくところ」などの句によって、あたしは「俳句って塀の上で日向ぼっこしてた猫があくびをした瞬間をインスタントカメラでパシャッと撮ればいいのか!」と理解したのです。
そして「冬空や猫塀づたひどこへもゆける」という句によって、あたしは俳句という17音に無限の可能性を確信したのです。


>漂鳥の雀鷹は翡翠襲ひけり 猫髭

素晴らしい竪句ですね。
「雀鷹(つみ)」は小型のタカ科の猛禽類、対象を「小鳥」などと逃がさずに「翡翠(かわせみ)」と具体的に詠んだことで、リアリティーが立脚され、自然界の厳しい現実が迫って来ました。
ただ一点、「漂鳥の雀鷹」という表現に感じる「馬から落馬」のニュアンスが残念です。
「漂鳥」にも深い意味がありますが、俳句ではそこまで読み手に手取り足取り説明する必要はありません。
「漂流の」で十分です。

引用して返信編集・削除(未編集)

漂鳥の雀鷹(つみ)は翡翠襲ひけり

8月9日から9月29日までかかりましたが、「きっこ俳話集」正編裏編全91話のハイヒール図書館「きっこ俳話集」への収納が完成いたしました。十年を一昔とすれば二昔前の「若書」ですので、それからのきっこさんの俳話もきっこの日記やメルマガに書かれていることもあり、メルマガは有料なので現時点では掲載できませんが、きっこの日記の俳話は掲載できるので追加していきたいと思います。年なので、ぼちぼちですが(笑)。

引用して返信編集・削除(未編集)

手触りの木表さやか鳥渡る

皆さん、おはようございます。

引用して返信編集・削除(未編集)

閼伽桶にさざなみの立ち鳥渡る

おはようございます(^^)

引用して返信編集・削除(未編集)

小鳥来るひとりの時間ふくらみぬ

おはようございます😃

秋の夜長、懐かしく俳話を読み返しています。

引用して返信編集・削除(未編集)

渡り鳥ひとりぼつちじや飛べないよ

 きっこさん、みなさんこんばんは。
猫髯さん、今夜もいいお話をありがとうございました。
早速、クリックしてその場のみんなと同じように感動しました。
「裏俳」のアップもお疲れ様でした。
ホッとした時にどっと疲れが出るものです。
そんなに急がずに無理なさらないでくださいね。

引用して返信編集・削除(未編集)

Alone Togetherふたりぼつちの降り月

Alone Togetherというのはブロードウェイのミュージカル「Flying Colors」(ひるがえる旗から大成功といった意味)の挿入曲でハワード・ディーツ作詞、アーサー・シュワルツ作曲の名コンビの作った名曲で大橋巨泉が「ふたりぼっち」と訳したので有名で、二人とも一人ぼっちだけれども二人一緒だとどんな困難も乗り越えられるという歌で、ブロードウェイのインペリアル・シアターで1932年に演じられたのですが(この劇場は今もあり2014年に「レ・ミゼラブル」でミュージカル史上最大のヒットとなりました)、マイ・ファニー・ヴァレンタインと同じで余りにも歌が有名になり過ぎて(Billy Joelの「素顔のままで」Just The Way You Areはこの歌を本歌取りして大ヒット)どんなミュージカルなのか歌から想像するしかないので、孤独な男女が巡りあって幸せになるという物語だろうと(笑)、でも、My Funny Valentineも「Baby in Arms」というミュージカル(『オズの魔法使い』の「虹の彼方に」で有名なジュディ・ガーランドが舞台ではこの歌を歌って、相手役が玉蜀黍頭の喜劇役者のミッキー・ルーニー!)も、歌詞が写真写りは悪いし口元はたるんでるしギリシャ彫刻には及びも付かない不細工な恋人を、でも、髪の毛一本変えないで毎日がわたしのヴァレンタイン・デイなのと歌うので、そういう凸凹コンビが恋をして幸せになる物語だとわかるので、My Funny Valentineと同じくAlone Togetherも世界中でジャズ歌手や演奏家に歌われ演奏されて来ました。わたくしは日本人の天才ピアニスト大西順子の1983年の演奏が最高だと思っています(哀愁ではケニー・ドーハムのトランペットが最高)。

そうそう、娘が2月14日生まれなのでMy Funny Valentineの歌に関しては蒐集しまくって多分世界的なコレクターのひとりだと思うのですが、「アメリカズ・ゴット・タレント」という素人が参加して歌や漫才や手品やダンスなどのタレントを競う番組がアメリカだけではなくて世界中にあって、音楽好きのわたくしは凄い才能が世界にはいるんだと驚くのですが、9年前にMy Funny Valentineを歌ったアリス・フレドナムには心底感動して彼女の初めてのCDを輸入したことがありました。彼女はこの一曲だけで審査員から視聴者まで一気にハートを鷲掴みして一夜にしてシンデレラになりました。是非御覧下さい。猫髭の横の矢印をクリック♪

なお、昼間客先で仕事中に意識を失いかけたので、いつお迎えが来るかわからないので、ハイヒール図書館の再構築を急ぎ、投稿制限の第40話までアップしました。多分、「きっこ俳話集」正編裏編は明日には完成予定です。

あ、suzumeさんにつないで、裏俳話集を編集しながら書いていたので杜人さんときっこさんを跨いでしまいましたね。

>あたし自身が、自分にツッコミを入れつつ、猫髭さんがアップしてくださった「きっこ俳話集」を再読しているのですから(笑)

には笑いました。わたくしもツッコミ入れながらアップしています(笑)。

>でも、それが今のあたしに繋がっているのですから、あたしは自分の「黒歴史」を真摯に受け止めます。

それでいいと思います。ありのままの自分を受け入れることからしか先へ進むことは出来ないので、それが出来るきっこさんは大丈夫です。

引用して返信編集・削除(編集済: 2022年09月28日 23:07)

ノ木偏(のぎへん)が火と燃えたれば秋夕焼

皆さん、こんばんは♪

猫髭さん、膨大なデータのアップは大変な作業なのに、その上にお気遣いまで、本当に感謝しています。

正直に言って、当時のあたしは「大好きな俳句を1人でも多くの人に広めたい」と思っていた一方で「どうせ数十人の人しか見てないのだから」という気持ちがあり、当時の俳壇に対する自分の不満のハケグチに「きっこ俳話集」を利用していた一面もあります。

野良猫を残酷な手口で殺した水原秋桜子が、後に大俳人として人格までをもリスペクトされていることとか、純粋に俳句が大好きなあたしには、当時の俳壇に理解できないこと、許せないことが山ほどありました。

中でも特に理解できなかったのが、クソみたいな句しか詠んでいない俳人が、単に「高浜虚子の子ども」だの「高浜虚子の孫」だのと言うだけで、まるで日本の俳壇を代表する大俳人のように持て囃されている状況でした。
あたしの愛する正岡子規の志など1ミリも残っていない「ホトトギス」のテイタラクは、まるで世襲議員を見ているようで、本当にムカつき、悲しくなりました。

そんな当時のあたしの「俳句愛」の発露が「きっこ俳話集」だったのです。
今、改めて読み返すと、赤面してしまうことばかりです。
でも、それが今のあたしに繋がっているのですから、あたしは自分の「黒歴史」を真摯に受け止めます。

これから「きっこ俳話集」を読んでくださる皆さんは、俳句の基本に添ったあたしのアドバイスは素直に受け入れてほしいですが、「おいおい、これはちょっと!」と思った時には、どんどんツッコミを入れてくださいね。
すでに、あたし自身が、自分にツッコミを入れつつ、猫髭さんがアップしてくださった「きっこ俳話集」を再読しているのですから(笑)

引用して返信編集・削除(未編集)
合計7232件 (投稿7047, 返信185)

ロケットBBS

Page Top