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申し訳ほどの鏡台浮寝鳥 爽波

投稿日: 2月 9日(月)08時57分2秒

「姫鏡台」で片付けず、宿屋の小さな鏡台をじっくり写生したことで、旅の不便さを楽しむうきうきした気持ちが伝 わってきます。ちょいちょいと髪をなでつけて、今日はこの湖畔の宿からどこへ出かけるのでしょうか?きっこさんが切れの重要さを言っておられますが、俳句 を愛する者は、切れによって生まれるハーモニーに心を遊ばせているんですね。

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下五の処理と切れについて

投稿日: 2月 9日(月)04時13分37秒

爽波の句の特徴のひとつとして、下五の独特の処理があげられます。

  川に佇つ五月雨傘の裏に蛾が  爽波
  天高しやがて電柱目に入り来
  帰り花この晴天の果ては雨
  蓮見茶屋ドーンと遠き音は何
  避寒して松喰虫とはどんな虫
  紫陽花に吾が下り立てば部屋は空ら
  伐りし竹ねかせてありて少し坂
  干す蒲団ふり廻したり芦を前
  北風に棕櫚が葉鳴らすのみの窓
  翅震ひながら柱を攀(よ)ぢゐる蛾
  ちやんちやんこには猫の爪かかり易
  繕ひし垣より走り出でて湖
  そこらじう落ちゐる厄を嗅いで犬
  戸あくれば冬空に帽とりて客

これらの句の場合は、どの部分に切れを用いているかが重要です。
分かりやすくするために、強い切れには「//」、弱い切れには「/」を入れてみます。
そうすると、次の4つのグループに分けられます。

  【A】
  川に佇つ//五月雨傘の裏に蛾が/
  天高し//やがて電柱目に入り来/
  帰り花//この晴天の果ては雨/
  蓮見茶屋//ドーンと遠き音は何/
  避寒して//松喰虫とはどんな虫/

  【B】
  紫陽花に吾が下り立てば//部屋は空ら/
  伐りし竹ねかせてありて//少し坂/
  干す蒲団ふり廻したり//芦を前/

  【C】
  北風に棕櫚が葉鳴らすのみの窓//
  翅震ひながら柱を攀(よ)ぢゐる蛾//
  ちやんちやんこには猫の爪かかり易//

  【D】
  繕ひし垣より走り出でて//湖/
  そこらじう落ちゐる厄を嗅いで//犬/
  戸あくれば/冬空に帽とりて//客/

このうち、AとBのグループは、通常の名詞止めと同じ、Cは一物仕立の名詞止めや「かな」止めと同じであり、下五の処理は独特ですが、句型としては一般的です。
しかし、Dのグループは、最後の一文字の手前に切れを用いると言う変化球を使っています。
句型としては「句またがり」と言えますが、一般的な句またがりと違い、下五の中に切れを用いて一文字の名詞で止めると言う、とてもオリジナリティーのある句型なのです。

最近の現代俳句は、散文的に感じるものが多いですが、それは、口語体を使っていたり、流行語を使っていたりするからではありません。
俳句の命である「切れ」を軽視しているから、散文的に感じるのです。
ひどいものになると、切れが無い作品を「俳句」として発表している作家もいるほどです。

まずは、定型に収まるキチンとした切れを学ぶことが基本ですが、ある程度、力がついて来たら、爽波のように、オリジナリティーのある切れにチャレンジしてみるのも、自分の表現の幅を広げることにつながるのです。

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こんばんは

投稿日: 2月 9日(月)00時41分35秒

  虚子の忌を明日にぞくぞく海に星  爽波

虚子の忌を明日に控えて句会でもするかと俳人、文人仲間がぞくぞくと詰め掛けているのでしょう。海にきらめく一等星は虚子なのかもしれません。仲間たちを腕を組みながら暖かく見守っているようです。

私も爽波を名前ぐらいしか知らず読もうと思いながら、つい引き延ばしてしまいました。この鑑賞部屋は、とても勉強になります。

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片づけし部屋に昼寝の枕置く

投稿日: 2月 8日(日)23時18分10秒

美しい言葉がなくても、みんなが知らないような難解な言葉を使わなくてもこれだけの広がりのある句になるのですね。

爽波の句に出会えて、とても嬉しいです。
ひとみさん、ありがとうございます♪
きっこさん、ほんと勉強になります。

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片づけし部屋に昼寝の枕置く 爽波

投稿日: 2月 8日(日)09時01分39秒

枕を置いたことで、ひんやりとした畳の固さが強調されます。寝ころべは風の通り道を感じます。天井は高く、庭の緑も目に染みます。美しい言葉がなくとも、昼寝が美しく描けました。夏の句は涼しく詠むと気持ちいいですね。

  両方に髭がある也猫の恋 小西来山

これはこれは、間違えて覚えていたようで失礼しました。
大笑いしてくださった猫髭さんご夫婦の立場はどうなりましょう?
「猫の妻も棄てがたいですね」と一言添えればあなたのお株も上りましょうと、いらない老婆心でした。

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桐の木の向う桐の木昼寝村 爽波

投稿日: 2月 8日(日)01時34分1秒

第二句集「湯呑」におさめられている句です。
上五、中七の描写は、現在ではそれほど突出したものでなく、このような表現は、俳句ではわりと使われています。
音数の少ない俳句では、同じ言葉は繰り返さず、ひとつに省略するところですが、それをあえてリフレインさせると言うのは、逆効果を狙ったテクニックのひとつなのです。
あたしの句でも、

  瓜蝿が瓜蝿を呼ぶ雨催 きっこ

と言う句があります。
このような表現を使った場合は、そのリフレインの表現自体を眼目とすることが多いのですが、現在では多く使われている方法なので、よほど新しく、オリジナリティーのあるリフレインを見つけない限り、それだけを眼目とすることは難しくなっています。
そのために重要なのが、残りの5音の処理なのです。
爽波の句は、下五の「昼寝村」と言う季語の斡旋が秀逸で、この句のイメージ喚起力を一気に引き上げています。

平成12年に発行された宇多喜代子の句集「象」の中に、次の句があります。

  大きな木大きな木蔭夏休み 喜代子

この句を読んだ瞬間、あたしは爽波の「桐の木の~」の句が頭に浮かびました。
類想と言う意味ではありませんが、一句から立ち上がって来るイメージが酷似しているため、爽波の句の世界がオーバーラップしたのです。

俳句の魅力のひとつとして、「たった十七音の言葉が、読み手の頭の中のスクリーンに大きな映像を映し出す力を持っている」と言うことがあげられます。
観念的な表現や主観的な描写からは、なかなか映像が見えて来ませんが、客観写生句からは、たとえ悪い句であったとしても、それなりに映像が立ち上がって来るのです。
ハイヒール句会の相互選で高得点になった句は、どれも一読で映像の立ち上がって来る句ばかりで、逆に点数の入らなかった句は、観念的、主観的な表現をしているため、映像どころか、句意を読み取るのが精一杯なのです。
そう言った句は、一句が文字だけの世界で終わっていて、映像の世界にまで発展して行かないのです。

俳句は文字で書かれていますが、その鑑賞の方法は、絵画鑑賞に近いのです。
観念的、主観的な表現は、どちらが上か下かも分からないような抽象画であり、客観写生は、誰が見ても分かる風景画なのです。
そして、同じ風景を見て写生しても、それぞれの作者の筆使いや色の選び方などで、金賞になる絵もあれば、予選で落ちてしまう絵もあるのです。

爽波が提唱していた多作多捨とは、とにかくどんどん一枚でも多く絵を描け、と言うことなのです。
絵は、描かなければ上手くはなりませんが、俳句も同じことなのです。

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>匿名さん

投稿日: 2月 7日(土)21時24分6秒

匿名さん、その通りですね。
ご指摘をありがとうございます。

  両方に髭がある也猫の恋 小西来山

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小西来山の句

投稿日: 2月 7日(土)21時05分24秒

  両方に髭がある也猫の恋

ではないでしょうか。

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「立てる」

投稿日: 2月 7日(土)20時38分49秒

  ソース壜汚れて立てる野分かな 爽波

「立てる」という措辞から受けた印象は、「静謐」でした。
食卓にある「ソース壜」の「汚れ」は台風が来ている屋外のただならぬ気配を喚起させ、それと対照的に静かに立っている「ソース壜」
ごく一般的な家庭で、台風への備えをした上での食卓の雰囲気。
家(建物)に守られた食卓と戸外の荒々しさとの対比を思いました。

編集・削除(編集済: 2022年10月22日 13:49)

窓を出る煙草の煙花の雨 爽波

投稿日: 2月 7日(土)20時35分34秒

煙草の煙なんてちっともよくないのに、「花の雨」でみるみるしっとりした湯の町が見えてきました。温泉宿の二階の窓の手すり。もう止みかけの明るい雨でしょう。小鳥の囀りさえ聴こえてきます。

編集・削除(編集済: 2022年08月20日 05:31)
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