投稿日: 2月 2日(月)15時02分38秒
句集未収録の平成5年前後の作品です。
「魚島(うおじま)」と言うのは複雑な春の季語で、①産卵のために外海の魚が集まって来る内海の場所のこと、②春の豊漁の時期のこと、③豊漁期の鯛の市のこと、と言う3つの意味があります。
ですから読み手は、その句から、この3つのうちのどの意味なのかを読み取らなくてはなりません。
この句は、①の意味です。
海に面した安宿に泊まっていた作者は、小雨の降る中、ちょっと散歩に出かけます。
宿の玄関の傘立てから、1本の透明なビニール傘を拝借して、外へ出たところで開きます。
すると、前に使った時から干していなかったのでしょう。
ビニールが張り付いていて、バリバリバリッと言う音がしました。
目の前には車道、消波塀、そして大海原。
小雨を舞い上げる海風の遠く、海上のひとところに、白いかもめの群れが乱舞しています。
まさしく、魚島です。
白梅やばりばりひらく宿の傘
これでは俳句になりません。
白梅やしづかにひらく宿の傘
これなら一応は俳句になりましたが、掃いて捨てるような月並みな句です。
やはり、「魚島」であり「ばりばり」だからこそ、目の前に景が立ち上がって来て、そして、そこに爽波がいるのです。
投稿日: 2月 2日(月)14時32分32秒
句集未収録の平成5年前後の作品です。
「青写真」というのは「日光写真」のことで、冬の季語です。
小学校の時、理科の授業で、校庭に出て日光写真を撮りました。
6人のグループごとに分かれ、班長が残りの5人を撮るのですが、長いこと動かずにじっとしていたことを覚えています。
大人になってから、自分の小学校の前を通った時、あれほど広いと思っていた校庭が、思っていたよりもずっと狭く感じました。
あたしの小学校は、東京の真ん中にあり、普通の小学校の半分くらいの広さしかないのです。
それでも子供の頃は、とても広く感じていたのです。
爽波の一句が、あたしを子供の頃に連れて行ってくれました。
投稿日: 2月 2日(月)08時46分19秒
「あるじが好き」ではなく、「ベレー帽が好き」と言ったことで、とたんにあるじの人となりとか猟犬の甘える仕草が鮮やかに見えてきます。感動を物に託すとはこのことですね。つつましい山の暮らしが感じられて読み手を幸せにしてくれます。
走り梅雨麒麟の首のおよぎくる 爽波
きっこさん、これは「走り梅雨」が実に利いていますね、「梅雨さなか」では暗くびしょ濡れすぎます。
炬燵出て歩いてゆけば嵐山 爽波
「炬燵出て」の一言で作者の状況がわかります。私には寅さんの匂いがしてきます。仕事でいつもの安宿に泊っている。動詞を三つも重ねて、いかにも頼りない感じ。宿の着物の裾がすーすーする感じ。ところが「嵐山」をでーんと置いて座りがよくなり、風景が一気に広がります。着物といえば、
セルの袖煙草の箱の軽さあり 爽波
これもひとめぼれの句です。私は仕事柄着物に接しますがまだセルは見たことがありません。もう年配の方しか知らないのではないでしょうか?さらさらとしたウール地のようですね。先輩の句に<この宮のたそがれが好きセルを着て>があります。
投稿日: 2月 2日(月)00時10分13秒
昭和56年の第二句集「湯呑」におさめられている句です。
動物園で、キリンの首が近づいて来る様子を「およぎくる」と表現している部分が眼目のようですが、その眼目を際立たせている「走り梅雨」を忘れてはいけません。
走り梅雨と言うくらいですから、場合によっては傘も不要な程度の雨なのです。
しかし、空は一面の雨雲で、キリンのタテガミはしっとりと濡れています。
近づいて来たキリンの顔を見ると、長いまつ毛に水滴がいくつもついています。
その様子が、水の中を泳いで来たように見えたのです。
湿度をたっぷりと含んだ空気感が、まるでキリンも作者も水中にいるように感じさせます。
季語と描写の織りなす第三のイメージが、読み手を不思議な世界へと誘ってくれます。
投稿日: 2月 1日(日)19時37分24秒
第三句集「骰子」におさめられている句です。
解説など不要な、もう、ほれぼれするような句です。
炬燵を出て、家を出る時の戸は、もちろんガラガラと開く引き戸であり、履いているのは下駄でしょう。
何も言っていないのに、「嵐山」と言う固有名詞が、まるで懐かしい邦画の1シーンのような景を見せてくれます。
こう言う句に出会うと、何も言えなくなってしまいます。
投稿日: 2月 1日(日)12時40分20秒
句集「鋪道の花」におさめられている、昭和16年、18才の時の作品です。
錆びついた頭で語彙や理屈をこねくりまわす昭和の俳人たちの中にいて、これほど、見たままの景をそのまま十七音に切り取った作家がいたでしょうか。
繭玉の句、しかり、対象をしっかりと見て掴み取った小さな発見、気づきは、少年の純粋な目によるものであり、秋桜子などに見られる「読み手を唸らせてやろう」「凄いと思わせてやろう」などと言うスケベ根性、ウサン臭さは、微塵も感じられません。
純粋な写生俳句は、何十年経っても、色褪せることがないのです。
投稿日: 2月 1日(日)09時25分49秒
思い切り字余りになっているのですが、それが猫の自由さをあらわしているようで、いいなと思いました。この場合、家猫でも野良猫でもどちらと読んでもいいですね。あと、「湯呑」という句集の
セルの袖煙草の箱の軽さあり
という句が目にとまりました。セルというと、僕らの世代はアニメのセル画が思い浮かぶのですが(^^;)、辞書で調べると、「毛織物の一種。ひとえ・コート・はかま地用」とありました。ということは、ひとえの着物を着ていた、ということのなのですね。ちなみに、作者はルナという煙草を吸っていたそうですが、そのルナがどんな煙草だか調べ中です。
投稿日: 2月 1日(日)08時54分29秒
カラフルな玩具のようなチューリップだから、「外れ」という措辞が見事に決まっていますね。まるで着せ替え人形の手が外れるような感覚。終わりかけのチューリップを描いて、ユーモラスで瑞々しいです。
繭玉のよく揺るるものを見てゐたり 爽波
きっこさんの言われる
>無意識に選んだのに、一番良く揺れているものを選んで見ていた自分に、ハッと気づいたのです。
5、6回音読すると、なるほどそんな風に思えてきます。
ちやんちやんこには猫の爪かかり易 爽波
煙草盆までとうすみの来ることも 爽波
もう一気に爽波のフアンになってしまいます。ちゃんちゃんこの質感の捉え方、「煙草盆」という具体的なものを置く鮮やかさ、いい勉強させてもらっています。
投稿日: 2月 1日(日)01時02分11秒
倭瑠さん、この句は、初めはたくさんある繭玉を見ていて、そしてその中のひとつを良く見ようとして、無意識のうちにひとつの繭玉を選んで見たのです。
そこで、無意識に選んだのに、一番良く揺れているものを選んで見ていた自分に、ハッと気づいたのです。
たくさんの人が集まっているところを少し離れた場所から見ていて、一人だけ良く動いている人がいたら、自然と目が行ってしまいますよね。
そう言った、人間の本能である「無意識の選択」と言うものに気づいた、と言う句なのです。
投稿日: 2月 1日(日)00時18分3秒
繭玉のよく揺るるものを見てゐたり 爽波
これは自分が自分を見ている客観視の句だったのですね。私は、よく揺れる繭玉の辺りに何かを見出だしたのかなと思っていました。
読み込みが、まだまだですね。勉強します。(-.-;)