投稿日: 1月31日(土)23時49分27秒
句集「鋪道の花」におさめられている昭和18年、爽波20才の時の句です。
繭玉とは、お正月に笹などに飾る紅白のお餅のことで、餅花とも言います。
何かを見て、それを写生した句はたくさんありますが、何かを見ている自分をもう一人の自分が客観視している句は、初めて出会いました。
それほど突出した句ではありませんが、俳句を始めた頃、この句と出会い、目から鱗が落ちたことを覚えています。
投稿日: 1月31日(土)19時59分43秒
第三句集「骰子」におさめられている句です。
「とうすみ」は「灯心蜻蛉(とうすみとんぼ)」、「糸とんぼ」のことで、夏の季語です。
庭への障子とガラス戸を開け放し、文机の脇に煙草盆を置き、原稿でも書いていたのでしょうか。
ふと目をやると、煙草盆の近くにまで、糸とんぼが飛んで来ていました。
部屋を抜ける心地よい風まで、感じることができます。
投稿日: 1月31日(土)15時46分17秒
郵便が冬の空より来てをりぬ
遊起さん、もし「春の空」であれば、誰もが良い知らせと感じるでしょう。
「冬の空」だからこそ、読み手それぞれに受け取れるのです。
嬉しいことがあった人は、この句を読み、広く澄んだ冬空を思い、良い知らせだと感じるかも知れません。
つらいことがあった人は、寒々とした冬空を思い、悲しい知らせだと感じるかも知れません。
俳句を読むと言うことは、作者がどのような気持ちで作句したのかを推測することではなく、その時の自分の気持ちのまま素直に読み、感じたままを受け取れば良いのです。
ですから、「春の空」では柔軟性の無い陳腐な句になってしまいますが、「冬の空」であるために、嬉しいことがあった人の心にも、悲しいことがあった人の心にも、どちらにも響く作品になっているのです。
投稿日: 1月31日(土)14時57分15秒
こんにちは。ひとみさん、はじめまして、よろしくお願いします。
この冬の空は、周りには雪に覆われた山が見える空でしょうか。寒さの中良い知らせの手紙が来たのでしょうか。いいえ、少し、気のもめることが書いてあるように思いますが、どうでしょうか?
投稿日: 1月31日(土)14時49分42秒
ひとみさん、いらっしゃい♪
以前、メールをくださったことがありますよね?
書き込みをしてくださって、どうもありがとう♪
盆梅のそばにカチリと指輪置く 爽波
この句も、第三句集「骰子」におさめられている作品です。
カチリと言う片仮名が、指輪と、そして指輪を置いた棚の質感を見事に表現していますね。
ちやんちやんこの句は、もっとあとの、晩年のものです。
爽波の自在な表現力は、現在でも色褪せることはありません。
ちなみに、爽波は、辻桃子の師ではありません。
辻桃子が爽波に手紙で何度が添削を依頼したり、数回面識があるだけで、爽波の「青」の会員だったわけでもなく、言うなれば、自分の尊敬する俳人のことを一方的に「師」と思っているだけだと思います。
投稿日: 1月31日(土)14時16分16秒
はじめまして、きっこさん。若草色の画面と
冬空や猫塀づたひどこへもゆける 爽波
こちらの句に惹かれて飛び入りさせてもらいました。この「冬空」は薄雲のかかった水色の冬麗の空ですね。自由な猫の特性を配すことによって、春遠からじの広い冬の空が見えてきます。
骰子の一の目赤し春の山 爽波
こちらの二物衝撃は私には難しいです。うまい鑑賞文を読めばわかるかもしれません。
タイトルの句は、辻桃子さんの歳時記から見つけたものです。(爽波は桃子さんの師でしたかね?)ひんやりとした早春の空気と盆梅の姿が感じられて目を引きました。
こんな書き込みでよろしいでしょうか?ちょっと不安です。
投稿日: 1月31日(土)08時04分30秒
これは、昭和61年に発行された第三句集「骰子(さいころ)」のタイトルにもなった句で、爽波の代表句のひとつです。
取り合わせの句の場合は、何よりも描写と季語の響き合いが大切で、つきすぎにならないように、離れすぎにならないように作りますが、その匙加減を計る正しい物差しはありません。
指導者によって、結社によって、その匙加減は微妙に変わり、Aの主宰が特選に選んだ句をBの主宰はつきすぎだと言うことも良くあります。
そんな時に、ひとつの目安となるのが、この句なのです。
この句の描写と季語の距離は素晴らしく、取り合わせの句の理想型と言えるでしょう。
投稿日:1月31日(土)02時50分18秒
まずは、波多野爽波から始めたいと思います。
波多野爽波(はたのそうは)は、大正12年生まれ、平成3年、68才没。
16才でホトトギスに投句を始め、30才の時に「青」を創刊、主宰となります。
この句は、昭和24年の作品で、昭和15年から28年までの作品を収録した「鋪道の花」と言う句集に収録されています。
この句は、字余りが成功している数少ない句のひとつで、猫の自由気ままな姿を字余りで表現しています。
俳句を鑑賞するのに、作者の背景を照らし合わせて読むのはルール違反ですが、参考のために言っておきますと、この句は、爽波が闘病中に作った作品です。
投稿日:2004年(平成16年)1月31日(土)02時44分41秒
ここは、ひとりの俳人の作品を色々と鑑賞し、その俳人について掘り下げて行くお部屋です。
あたしが俳人を指定しますので、その人の作品の中から、好きな句、興味のある句、意味が分からないから教えて欲しい句などをタイトル欄に書き込み、その句について、賛否両論、皆さんで討論して行きましょう。
ある程度、作品や意見が出揃ったら、次の俳人に移ります。
また、「この俳人を取り上げて欲しい」と言う人は、遠慮なく書き込んでください。
※この場所にあった「歳元三つ物」は「きっこランド」へ移動しました。
*図書館註:「歳元三つ物」は整理して「きっこの句集」へ後日移行します。2022年(令和4年)8月17日