投稿日: 2月16日(月)12時48分35秒
戸袋の暗闇と冬の空の青さ。
雨戸の戸袋の中が怖かった小さい頃の私を思い出しました。
得体の知れないものに、
ぬっと掴まれて引きずり込まれるような怖さがありました。
そのときを思い出しました。
怪盗えびすさんのキリストと白菜の鑑賞、とても面白いです。
私も、キリストと白菜のコントラストのことを考えていました。
洋と和、聖と俗、なるほどと思いました。
2月16日(月)00時22分19秒
音楽にたとえていえば 爽波の句は サティのピアノ曲でしょうか(^-^
ジムノぺデイ なんかも 譜面的には簡単で たぶん バイエル程度のひとでも 弾けるのでは と 思いますが。。。
その単純さ ゆえに ピアニストの音色とか 考え方とか 裸にされるような曲なのでは
同様に 読者の読み方をためされるような 俳句かなあ と(^-^
まあ サティも爽波も ためしてやろう とか 思って 作品を 作ってるわけでは ないでしょうが。。。
● キリストのうしろ白菜真二つ 爽波
これは 「キリストのうしろ」の解釈がむづかしいですね。。。
ず~~~っと 考えているのですが。。。
どっか 山村の小さな教会で 村のひとに 食べてもらおうと 教会の外で 鍋の準備をしてます。
なんで 外か というと 教会の中が手狭だからです(^-^
で 信者さんが 白菜を切ってるとこが 教会の裏手
十字架のある 祭壇のちょうど 真後ろ であった。。。
キリスト と 白菜。。。
壁一枚 へだてて 相対する
洋 と 和
聖 と 俗
不思議なコントラスト。。。(・-・)
図書館註:BGMにErik SatieのGymnopédiesとGnossiennesを聴きながら。
Gymnopédies: 1. Lent et douloureux
Gnossiennes: 1. Lent
Gnossiennes: 3. Lent
Gnossiennes: 4. Lent
Gnossiennes: 5. Modéré
投稿日: 2月15日(日)05時24分53秒
まひるまの秋刀魚の長く焼かれあり 爽波(昭和56年)
地玉子とありそのすべて寒玉子 爽波(平成1年)
「秋刀魚」は去年の10月、「寒卵」は今年の1月に、ハイヒール句会の兼題で使いましたので、参考のために、この2句をあげておきます。
両方とも良く使われる季語なのに、取り合わせに逃げず、そのままを写生しています。
それでも、作者独自の発見や表現があるために、写生として成功しているのです。
投稿日: 2月14日(土)08時47分28秒
こういう句を見ると、俳句ってなんていいんだろうと思います。この十七文字の中に原稿用紙何枚分もの風物詩が語られています。「二間つづきの母の部屋」これに下手な季語がつくと「それがどうした」と言われてしまいますね。
朝顔や良き句に大き二重丸 爽波
朝一番の仕事で大きな二重丸がついた。こういう句を見ると一日楽しく暮らせそうです。
投稿日: 2月13日(金)16時52分13秒
第四句集「一筆」におさめられている、昭和62年、64才の時の作品です。
文机に、多くの会員から届いた投句用紙の束を置き、次々と選句しているのでしょう。
赤いサインペンを持ち、良い句には丸を、そして特別に良い句には二重丸をつけて行きます。
とは言っても、厳しさでは定評のある爽波の選句です。
二重丸をつける句など、めったに現れません。
そして、何百句と過ぎて行き、初めて爽波の顔に笑みが浮かびました。
手にしたサインペンは、ひときわ大きな二重丸をつけています。
それは、まるで庭先にひらいた朝顔のような、大きくて立派な二重丸でした。
爽波は、仕事と俳句を両立していましたが、ずっと、俳句だけに専念したいと望んでいました。
そして、還暦を迎えた昭和58年、仕事を定年退職し、以後の8年間は、念願通りに俳句だけの生活を送りました。
この句からは、自由に俳句と関わっていられる作者の喜びが、ひしひしと伝わって来ます。
投稿日: 2月12日(木)18時04分9秒
句集未収録、結社誌「青」の平成3年6月号に発表された句です。
「みそなはす」と言うのは「見行はす」と書き、「見る」の尊敬語で「御覧になる」と言う意味の言葉です。
腰をかがめる、と言うか、お尻を突き出し、小さな柄杓で仏様に甘茶をかけているのは、きっと女性なのでしょう。
順番を待っていた作者は、小さな甘茶仏よりも、前の女性の立派なお尻に目が行ってしまいました。
そして、その女性が去り、自分の番が来た時に、その去って行く女性のお尻を仏様が「みそなは」していると感じたのでしょうか。
「尻」と言う文字をはさむ「健やかな」と「みそなはす」によって、上質なユーモアを感じさせる句になっています。
投稿日: 2月12日(木)09時14分6秒
何か言えば句を汚しそうで、ただただ目をハートにして眺めております。
図書館註:クリスマスと言わずにクリスマスを想起させる名句ですが、爽波主宰の「青」の句会ではこの句を採ったのは西野文代ひとりで、帰り際に爽波が「この句を採ってくれたのはあなただけです」と嬉しそうに耳打ちして行かれたそうです。
投稿日: 2月13日(金)12時13分25秒
爽波には、自らを「前衛かぶれ」、また「放蕩時代」と呼ぶ時期があったため、第一句集「鋪道の花」(昭和31年)と、第二句集「湯呑」(昭和56年)との間に、長い沈黙の期間がある、と言うことを書きましたが、実は、昭和43年に、第二句集を出す予定だったのです。
昭和43年と言うと、40年から始まった爽波の「前衛かぶれ」がやっと一段落し、ひどい字余りの句などが減少して来た年で、翌年(44年)には、定型俳句に戻りました。
つまり、「前衛かぶれ」になる前の自分と、ひと通り「前衛」と言うものを実験してみた自分、その両面を1冊の句集にまとめようとしたのです。
結局、その話は立ち消えとなってしまいましたが、その幻の句集に掲載されるはずだった、旧友、三島由紀夫の書いた文章が、13年の後に出版された第二句集「湯呑」に、そのまま掲載されています。
これは、昭和45年11月に割腹自殺した三島に対する追悼の意味に他なりません。
何故かと言うと、この時に三島が取り上げている句のほとんどが、「湯呑」からは外されているのです。
それらはもちろん、次のような「前衛かぶれ」時代の破調の句です。
靴にうをのめ閉ぢこめて春天の濃さ 爽波
北開く北は痛ましきまでに疵つき 爽波
もし、この幻の句集が出版されていれば、爽波を研究する上では、とても興味深い資料になっていたはずです。
しかし、あたしは研究者ではなく一読者ですので、作者が封印した作品に対しては、鑑賞すべきではないと思っています。
ただ、爽波にもこのような時代があったと言うこと、そして、その時代の作品は、自らが発表に値しないと判断し封印したと言うこと、これだけは知っておくべきだと思います。
投稿日: 2月13日(金)12時14分6秒
これまで、「爽波=写生俳句」と言う観点だけから鑑賞して来ましたが、それは、現在、句集などで読むことのできる爽波の作品が、そう言ったものしか残されていないからです。
多くの俳人が自分のスタイルを模索しながら成長して行くように、爽波にも、写生以外へ目を向けた時代もあったのです。
昭和38年、爽波40才の頃からの数年は、前衛作家たちとの交流が盛んになり、それまでのスタイルからは想像もつかないような作品を作っていました。
後に、また写生俳句へと回帰したため、その時期の作品は自ら封印し、句集などには残していません。
そのため、爽波の句集は、第一句集「鋪道の花」(昭和31年)と、第二句集「湯呑」(昭和56年)との間に、長い沈黙の期間があるのです。
どこも絨緞(じゅうたん)で疲れるホテル星が流れ 爽波(昭和38年)
河豚で酔いベルトのように鋪道流る 爽波(昭和38年)
星を水に近く引寄せ鶏頭立つ 爽波(昭和39年)
これらの句を読んで驚くことは、破調はともかくとして、表記まで現代仮名遣いになっていることです。
後の爽波は、この時代の自分自身のことを「前衛かぶれ」だったと言い、とても恥ずかしがっていたのです。
しかし、この時代があったからこそ、本当の写生へと辿り着いたのではないでしょうか。
投稿日: 2月11日(水)23時34分38秒
俳句は一瞬を切り取るものと教えられた人はひっくりかえるだろう。
秋晴れの空を仰いで身も心も一新。そのあと視界の端に見えてくるものがある。どこにでもあるあの電柱である。その先っぽの、碍子や電線が集まっている最も無骨なところである。解説するとただそれだけである。
「やがて~する」の用法が俳句で使われていいのか。伝統を大事にする俳人はこれは俳句ではないと怒り狂っているだろう。
では彼らはどんな句なら良しとするのか。いくつか考えた。
電柱の上やしばらく天高し
秋天の電柱ごとの高さかな
電柱の真直ぐに立てり秋の空
作ってみるとよくわかる。出来ないのである。どれもありふれている。言葉遊びに陥っていくだけだ。何故か。秋の空と電柱は合わせれば合わせるほど陳腐になる関係である。
しかし爽波はそれを敢えて詠んだ。この誰もが見たことのある平凡な光景を陳腐どころか、新鮮に描写した。いとも簡単に「こう詠めばいいのだよ」と。この骨法は俳句を10年くらいして研究すれば真似できそうであるが、猫髭さんも言われている通り、止めておいたほうが賢明である。俳句の一ジャンルにはなるだろうが本流にはならないと思うから。
爽波には自分の斬新な句にみんなが驚くのを面白がっているところがあるのではないか。でなければこうも次々と驚くような句を出さないだろう。でも爽波さん、ソウハ問屋が卸さないですよ(笑)「やがて~する」の表現はもうご自身も使えないでしょうし、以後誰も使えないのですから。えっ?爽波さんはもういないの?で、誰がその句風を継いでいるのですか、きっこさん。