季康子問う、民をして敬忠にして勤めしむるには如何にせん。子曰く、これに臨むに荘を以てすれば則ち敬あらん、孝慈ならば則ち忠あらん。善きを挙げて不能を教うれば則ち勤めん。
魯の国の若い家老・季康子が、人民を敬虔に忠実に、そして活発に自発的に仕事をするようにするには、どうしたらいいでしょうかと、孔子にたずねた。
孔子は言われた。「それは為政者の心がけ次第です。きちんとした態度で人民に臨めば、人民は敬虔になり、また為政者が親に孝行であり、人々に慈しみ深ければ、人民も自然に忠実になる。また善人を抜擢するとともに、能力に乏しい者を親切に教え導いてやれば、活発に仕事をしましょう。
※浩→季康子は、名は肥で諡が康です。魯の最も有力な豪族・季氏も、家の相続の争いや、執事が強力となって主人を凌ぐものが出てきたりして、家勢はとっくにかたむいていました。どうしたら国民の信頼を博せるかと、孔子にたずねています。
「正しさを人に向かって望むならば、まず自らを正せ」ということになりますが、アドラー心理学には「共同体感覚」という考えがあります。アドラー心理学は、「理論」と「技法」と「思想」という3つの側面を持っています。科学は思想を持たないですが、アドラー心理学は「共同体感覚」という思想を含むために、純粋科学の座を降りて、一理論ということになります。野田先生は、「共同体感覚」という“言葉”は嫌いだそうです。一般に言われている「共同体」とか「感覚」とかと誤解されるからです。他に適切な訳語がないので仕方なくこう言っています。ほんとは、P30とかX27のようなそれだけでは意味がわからない記号のほうがいいのですが、それではあまりに不便で、仕方なくこの語を使われました。実際、さまざまに誤解されているようです。以前、某地域のアドラー学習グループの掲示板に、私が記録保存していた野田先生の質疑応答を引用掲載したことがあります。それを読まれた東京の某アドレリアンが、「ぜひアドラーネットに載せなさい。共同体感覚でしょ」とおっしゃいました。もちろん載せませんでした。それを機にその掲示板への掲載もやめました。共同体感覚は自分が実践してそれを生きるものであって、人にさせるものではありません。アドラー博士がお弟子さんから、「共同体感覚をどうやって人に教えたらいいか」と問われとき、アドラーの答えは“Live it.”でした。「あなたがそれを生きろ」です。
野田先生は、共同体感覚でなく、よく「協力」とおっしゃっていました。これも他の人に「ねえ、協力しなさいよ」と言ったら協力でなくて強制になります。自分が実践することです。
まず「わが身を正せ」です。偽善者だった(今もそうですが)私もアドラー心理学を学んで、まず自分が偽善者だと抵抗なく認めることができるようになりました。偽善者のままでいいから、少しでも何か世のため人のために役立てないか考えて実践したいです。少なくとも「カルマ」がこれ以上に悪くならないように。結局は私利私欲なんです。
第25課 前置詞としての「给gei3」
<スキット>
Jin1tian1 jiu4 dao4 zhe4li ba.
今天就到这里吧。
今日はここまでにするか。
Hao3.
好。
はい。
Wo3 gei3 nin2 pao4 cha2.
我给您泡茶。
お茶を入れますね。
O4, xie4xie ni3.
噢,谢谢你。
おっ、ありがとう。
Wo3 xiang3 gei3 ni3 jie4shao4 yi2 ge ren2.
我想给你介绍一个人。
お前に紹介してあげたい人がいる。
<日本語と逆の単語>
@紹介 = 介绍 jie4shao4
@面会 = 会面 hui4mian4
@限界 = 界限 jie4xian4
<キーフレーズ>
Wo3 gei3 nin2 pao4 cha2.
我给您泡茶。
「主語+前置詞・给+対象者+動詞フレーズ」
@ 给 = ~に
@ 泡茶 = お茶を入れる
<エクササイズ>
私はあなたに電話をします。
Wo3 gei3 ni3 da3 dian4hua4.
我给你打电话。
あとで先生(あなた)にメールを送ります。
Hui2tou2 wo3 gei3 fa1 you2jian4.
回头我给你发邮件。
私たち(2人)にウーロン茶を入れてください。
Qing3 gei3 wo3men pao4 lian3 bei1 wu1long2cha2.
请给我们泡两杯乌龙茶。
<ひと言>
どうぞお気をつけて
Man4zou3.
慢走。
<ピンイン> ü の発音
発音:「ウ」の口で「イ」を言う。
表記:単独か語頭では [yu]と表記、上の点は取る。
@yu3 羽
@yuan2 元
@yu2 鱼 魚
@yu4yue1 预约 予約する
@yu2yun4 余韵 余韻
哀公問いて曰く、何為(いかんせ)ば則ち民服せん。孔子対(こた)えて曰く、直きを挙げて、諸(これ)を枉(まが)れるに錯(お)けば則ち民服せん。枉れるを挙げて、諸を直きに錯けば則ち民服せじ。
(孔子の祖国)魯の若き君主である哀公が、亡命先から帰国していた孔子にたずねた。「どうすれば人民は言うことを聞きましょうか?」。孔子は答えた。「正しいものを抜擢して正しくない者の上の乗っける。ちょうど曲がった材木の上にまっすぐな材木を乗っけて、まっすぐな材木の重さで曲がった材木が矯正されるようにする、そうすれば人民は素直になりましょう。逆に、曲がった材木のような人間を重用して、それをまっすぐな人々の上に乗っければ、人民は反抗しましょう」。
※浩→哀公は魯の君主です。前484年、69歳の孔子は亡命の旅から祖国に帰国しています。孔子は帰国以来政治の表面から引退していたはずですが、こうして君主の下問にあずかっていたことから、いかに信望が厚かったかがわかります。当時は各国で農民の反乱がしきりに起こっていました。それを平定することが各国支配者の切実な問題でした。孔子の答えは、魯国の政治家には悪人が多い。これを整理するのがまず着手すべきことだと指摘したのですが、哀公はたぶんこの政策を実行することはできなかったのでしょう。
上の解釈は荻生徂徠の説にもとづいています。吉川幸次郎先生もこの説がお気に入りです。
組織は管理職が有能か無能かでよく機能するか破綻するかが決まります。野田先生もよくおっしゃっていました。「学校が荒れているんだが、どうしよう?」「それは管理職が無能なんだから入れ替えること」。ずっと昔、横須賀の池上中学校で、当時、教頭だった磯野先生が野田先生から教わったことです。「そういうわけにいかない」「それなら一点突破主義だ」。磯野先生はこれを文字どおり実践されて、学校中の窓ガラスが割れていて、授業も成り立たなかった学校を1年で立ち直らせました。管理職が陣頭指揮をして、アドラー心理学にもとづく運営をされた結果です。現在、無能(と言って失礼なら)、傲慢・専制的な管理職のもとで苦労されている職員がいらっしゃいます。そういう類いの管理職を任命する自治体そのものもまた、有能なトップをいただいていないのでしょうか?
「徂徠豆腐」という落語を聞きました。講談から落語になったネタだそうで、単なるお笑いではなくて物語性が優れています。儒学者・荻生徂徠が世に出る前の極貧のころに、真冬でも1日冷や奴1丁だけを食するという状態だった。上総屋という芝増上寺近くの、夫婦で営む小さな豆腐屋から毎朝、冷や奴を一丁求めた。ちなみに豆腐屋は今も昔も朝は早起きです。江戸時代の川柳に、「豆腐屋の夫婦それからすぐに起き」というのがあるそうですが、この意味のわかる人は「オ・ト・ナ」です。徂徠は「小銭がないから、お代はまとめて」と頼みます。そして残り少なくなったお醤油をかけて食べましたが、そのお醤油もなくなると、豆腐だけをガツガツ食う有様でした。毎日豆腐を買いにくるので豆腐屋が感動します。「こいつあーほんとの豆腐好きだ」と。事情を知り気の毒に思った豆腐屋が「自分ちは夫婦だけでやっている小さな豆腐屋ですが、3杯食べる飯を2杯にして残りで握り飯を作って毎朝お届けしましょう」と言うと、徂徠は「断る!それでは乞食ではないか」。豆腐屋はまたまた感動して、「それならタダ同然の豆腐の絞りかす(=おから)を煮て、毎朝届けましょうということになった。お代は出世払いということで。7日ほど続けて届けたが、豆腐やが風邪で寝込んで代わりに女房が家業を引き受けたが、おからを届けるのが止まった。回復した豆腐屋が久しぶりに徂徠宅を訪れると、空き家になっていて「貸家」の札が貼ってある。女房と「ひょっとしたらおからが来なくなって飢え死にしたかも」と案じた。それから隣家から出た火事で豆腐屋は丸焼けになります。知り合いの家に避難して落ち込んでいたある日のこと、さるお方(猿ではありません)の使いだと1人の男が現れて、十両のお金を置いていった。「さるお方が以前世話になったお礼です」と。男は大工の棟梁で、「丸焼けになったお宅の普請もあっしがお引き受けいたしやす。費用は一切さるお方からいただきます。正月明けには普請にかかりやすので、できしだいお引っ越しを願いやす」。夫婦はあっけにとられて、それでも食うに困る状態だったので、1文、2文とそのお金に手をつけて飢えをしのいでいた。しばらくして、立派な二本差しのサムライがたずねてきた。「豆腐とおからのつけを払いにまいった」……。豆腐屋はそのお金で店を再開しますが、この話が江戸じゅうに広まって、「縁起のいい豆腐」を求めて毎朝、長い行列ができるほどの大繁盛になったそうです。荻生徂徠は江戸幕府にかかえられる大学者に出世していました。
<ジョブキソ11>
#テーマ
はじめての訪問先でゴミ(ペットボトル)を捨てたい。捨て場所がわからないときは?
Would you show me where I can dispose of these plastic bottles?
このペットボトルをどこに捨てたらいいか教えていただけますか?
@ペットボトル= plastic bottle。
※whereのあとは平叙文であることに注意。
「どこにゴミ箱がありますか教えていただけますか?」なら、
Would you show me where the trash can is?
@ dispose of ~ = ~を捨てる(正しく分別し正しい位置に置く)
dispose = 配置する、配列する
#会話
Would you show me where I can dispose of these plastic bottles?
Oh, the receptacle for plastic bottles is out in the hallway.
ああ、ペットボトルのゴミ箱は通路にあるんですよ。
子帳、禄(ろく)を干(もと)むるを学ばんとす。子曰く、多く聞きて疑わしきを闕(か)き、慎みてその余りを言えば、則ち尤(とが)め寡(すく)なく、多く見て殆(うたが)わしきを闕き、慎みてその余りを行えば、則ち悔い寡し、言に尤め寡なく、行(こう)に悔い寡なければ禄はその中にあり。
子帳が俸給にありつける方法をたずねた。先生が言われた。
「できるだけたくさん聞いて疑わしいものを省き、残ったところを慎重に言葉少なく話していると、行動の誤りが滅多になくなる。できるだけ多くの本を読み、あやふやなところを省いて、残ったところを慎重に行動すると後悔することはないであろう。そうすれば官職のほうから自然にやって来るものだ」。
※浩→子帳は姓は顓孫(せんそん)、名は師、字(あざな)は子帳、孔子より48歳年下の門弟です。門弟たちが最も関心を持つ就職運動についてたずねたのでしょう。今ですと、「就活への心得」でしょう。子帳は、押し出しが堂々としていて、議論は達者で、難しい仕事にも取り組むやり手でしたが、誠意に足りないところがあったそうで、孔子は、もう少し慎重にしたらよかろうと暗示したと考えられます。言行を慎重にすると、郷里での名声が高まるので、自然に中央に推薦される道が開けるということでしょう。
吉川幸次郎先生の解説では、「疑わしいものを省き」「あやふやなところを省いて」のところを、「納得のいかない、疑わしい事柄は、将来の問題としてしばらくそのままにしておく」「あやふやなものは残しておき」となっています。不明なことをあくまで追求しようとすると、そのことにとらわれて大局を見失うことにもなりそうです。とりあえず細部は棚上げして、大づかみに全体をとらえて先へ進める。そして、疑問点はどこか心の片隅に「?マーク」を付けたまま暮らしていれば、何かのきっかけで「ガーン、あれはこういうことだったのか」と悟る日もあろうかと思います。アドレリアンには、忘れたことは重要でなく、覚えていることが重要なのです。忘れたことは、自分にとって大して重要でなかったのでしょう。そういえば、忘れえぬことはしょちゅう思い出しますね。「未練」なのでしょう。戦後間もなく大ヒットしたNHKの連続ラジオドラマ「君の名は」では毎回冒頭に、「忘却とは忘れ去ることなり。忘れえずして忘却を誓う心の哀しさよ」というのがありました。失恋でもしたら、しばらくは寝ても覚めても別れた相手のことばかり思い出すでしょう。野田先生は、「記憶力がいいと言うのは物事を美しく言っていて、ほんとはしつこいということです。イヤなことを言われたりするとずっと覚えている」とおっしゃいました。一方で、「バカなことをしたら笑いなさい。だってバカなことなんだから」とか「取り返しのつかないことをしたら忘れなさい。だって取り返しがつかないんだから」ともおっしゃいました。こういう楽観主義のほうが、いつまでもクヨクヨしてじっと留まっているよりも、次の一歩を踏み出しやすいです。楽観主義は楽天主義ではありません。「棚からぼた餅」というけれど、「棚の下までは行かないと」と自分に落ちてきません。私は来年、運転免許更新のための「認知機能検査」に行きます。もう4回目になります。16枚の絵を見て覚えておいて、一旦他の作業をしたのち思い出すというテストがありますが、これまではほぼ満点でした。今度はどうなるか、満点は無理かもしれませんが、まさか認知症に近づいてはいないと思います。