第15課 「~(し)ます」(ヘヨ体)のいろいろな使い方
<キーフレーズ>
また会いましょう。
ット マンナヨ
또 만나요.
@会う=만나다 →会います、会いましょう=만나아요 →縮約 만나요
<2種類の丁寧な言い方>
1,ヘヨ体(会話などでよく使われるやわらかい言い回し)
「語幹+ 아요 / 어요 / 여요」
2,ハムニダ体
「語幹+ㅂ니다/습니다」
<キーフレーズ>
今度食事でも一緒にしましょう。
タウメ シkサラド カチ ヘヨ
다음에 식사라도 같이 해요.
@する=하다 →します、しましょう=해요
お母さんはこの高麗人参のパックにしなさいよ。
オmマヌン イ インサm ペグロ ヘヨ
엄아는 이 인삼 팩으로 해요.
@しなさいよ=해요
<ヘヨ体の動詞>
「~(し)ます」、「~(し)ましょう」(勧誘)、
「~(し)てください」(軽い命令・依頼)
食事でも一緒にしましょう(勧誘)。
シkサラド カチ ヘヨ
싣사라도 같이 해요.
食事でもしなさいよ(命令)。
シkサラド ヘヨ
싣사라도 해요.
高麗人参パックにしなさいよ(軽い命令)。
インサm ペ’グロ ヘヨ
인삼 팯으로 해요.
<練習>
ジソンさん、コンサートのチケットが2枚あります。一緒に行きましょう(勧誘)。
Jisong ッシ コ’ンソトゥ’ ティ’ケッ トゥ ジャン イッソヨ カチ ガヨ
Jisong 씨 콘서트 티겟 두 장 있어요. 같이 가요.
はい、いいですよ。
ネ、チョアヨ
네,좋아요.
ここにマイクがあります。トモさん、歌ってください(依頼)。
ヨギ マイク’ガ イッソヨ トモ ッシ ノレヘヨ
어기 마이크가 있어요. 도모 씨 노래해요.
<問題>
ケンテツさん、景色が本当にいいですね。写真を撮りましょう(勧誘)。
ケンテツ ッシ キョンチ’ガ チャ’m チョンネヨ サジンヌr ッチゴヨ
겐테쓰 씨 경치가 참 좋네요. 사진을 찍어요.
あ、疲れました。
ア、ピ’ゴネヨ
아, 픽곤해요.
ここに座りましょう(勧誘)。
ヨギエ アンジャヨ
여기에 앉아요.
のどがすごく渇きました。
モギ ノム マrラヨ
목이 너무 말라요.
ジュースを飲んでください(軽い命令)。
チュスルr マショヨ
주스를 마셔요.
<ひとこと>
「よくわかりません」
チャr モルゲッスmニダ
잘 모르겠습니다.
親しい間柄では
チャr モrラヨ
잘 몰라요.
「わかりました」
アrゲッスmニダ
알겠습니다.
<ハングル部屋> 激音化
どのように=어떻게 オットケ’ [어떠케]
ㅎが後ろのㄱ、ㄷ、ㅈとひとつになって激音となる。
ㅂ、ㄱ、ㄷが次のㅎとひとつになっても激音になる。
@入学=입학 イパ’k [이팍]
@幸せです=행복해요 ヘンボケ’ヨ [행보캐요]
<スペシャル> 美容院でおしゃれに
髪をセットしてください。
モリ セティンヘ ジュセヨ
머리 세팅해 주세요.
後ろ髪はアップにしてください。
トゥンモリヌン オrリmモリロ ヘ ジュセヨ
뒷머리는 올림머리로 해 주세요.
横の髪は少し下ろしてください。
ヨンモリヌン チョグm ネリョ ジュセヨ
옆머리는 조금 내려 주세요.
この写真のようにしてください。
イ サジンチョ’ロm ヘ ジュセヨ
이 사진처럼 해 주세요.
目が大きく見えるメイクがいいです。
ヌニ コ’ ポイヌン メイク’オビ チョアヨ
눈이 커 보이는 메이크업이 좋아요.
今着ている服に似合うようにしてください。
チグm イpコ インヌン オックァ オウrリヌン ヌッキムロ ヘ ジュセヨ
지금 입고 있는 옷과 어울리느 느낌으로 해 주세요.
アイシャドウはゴールド系にしてください。
シェドヌン コrドゥ ゲヨロ ヘ ジュセヨ
섀도는 골드 계열로 해 주세요.
<フィナーレ>
「一緒に行きましょう」
カチ ガヨ
같이 가요.
「はい、いいですよ。一緒に行きましょう」
ネ、チョアヨ カチガヨ
네,좋아요. 같이 가요.
「トモさん、行きませんか?」
トモ ッシ アン ガヨ?
도모 씨 안 가요?
「行きます。行きます」
カヨ カヨ
가요. 가요.
<おまけ>
大丈夫だ。
괜찮다 クェンチャ’ンタ’ [괜찬타]
子貢がたずねた。「貧乏でも卑屈にならず、金持ちでも高ぶらない。そんなのはいかがでしょうか」。
先生が答えられた。「それもよかろう。だが、貧乏で道(学問)を楽しみ、金持ちで礼を好む者にはかなわないな」。
子貢が言った。「詩経の『切するがごとく、磋するがごとく、琢するがごとく、磨するがごとく』とは、このことを表しているのですね」。
先生が言われた。「子貢よ、これではじめてともに詩を語れるというものだ。ほんとにお前は、一を聞いて二を知るという男だな」。
※浩→有名な「切磋琢磨」です。子貢が引用した「詩経」の詩には次のようにあります。
有(げ)にも 匪(あざや)けき君子は
切するが如く磋するが如く
琢するがごとく磨するが如し
徳ある君子は、工人(たくみ)が対象に対する加工を怠らぬように、常に道徳の修練を怠らない。
切磋琢磨のそれぞれのもとの意味は、骨に対する加工が「切」、象牙に対する加工が「磋」、玉に対する加工が「琢」、石に対する加工が「磨」です。
「切磋琢磨」、いつ聞いても良い響きです。孔先生から「お前は一を聞いて二を知る」とおほめをいただいた子貢は嬉しそうです。未熟な私もかつて、大師匠・野田俊作先生から、何度かこれに類するお言葉をいただいたことがあります。社交辞令の褒め言葉ではないと自分では思いました。まさに「勇気づけ」のお言葉でした。事例検討会で自分のケースを出したときに、先生から「解釈も正対もうまく運んでいて素敵ですよ」と言われたことがあり、超感動しました。1993年の京都総会のときは、まだカウンセラー資格をいただいて1年しかたっていませんでいたが、シンポジストに選ばれました。会場は西本願寺の門徒会館でした。私たちの一座は、なななんと、当時すでの超有名人の鎌田穣さんと高橋さと子さんでした。司会は当時、岡山での野田先生のオープンカウンセリングの常連見学者でもいらっしゃった熊本大学の柴山謙二教授でした。こんなお歴々の中に、いち高校教師で、アドラー心理学カウンセラーになり立てホヤホヤの私が同席させていただくだけでも大変なことです。今思い出しても身震いしますが、のちに野田先生とお話していたら、「声の大きい人がいいと思って推薦した」とおっしゃって、ズッコケました。でも嬉しかったです。コツコツと切磋琢磨の心でアドラー心理学を学び続けて、実践し続けていきたいです。2018年には野田先生の恩師のバーナード・シャルマン先生が亡くなられて、“巨星落ち”、また2020年12月には野田先生が亡くなられて、私たちは偉大なリーダーを次々に失いました。それだけに残された私たちはますます、アドラー~ドライカース~シャルマン~野田先生と、脈々と継承されてきた「正統派アドラー心理学」を維持発展させていく責任の大きさに身震いします。自分は80歳を越えて、一応元気に過ごしてはいます。なるべくお医者やお薬に頼らないで、自分で養生しているつもりですが、血圧の管理はお医者さんとお薬の恩恵を受けています。1995年に母が亡くなるまでは、母の手料理のおかげで、血圧は正常でしたが、亡くなったあとはスーパーなどのお惣菜で済ませるようになり、そのため血圧が上がったのではないかと自分で納得しています。定年退職後は元に勤務校の近所のクリニックでお世話になっていました。そこがさらに西方へ車で10分ほどの南部健康作り病院に併合されたため、通うのが遠くなりましたが、20年ほど通い続けました。この春、思い切って自宅近くのクリニックに替わることにして、主治医さんに「紹介状」を書いてもらっていました。そしていよいよこの20日(土)に、おととし痛風でお世話になった「おきもと内科と外科のクリニック」へ行きました。ネットで9時に予約していたので、9時直前に到着するように行きました。おととしはこの時刻ではまだ玄関が空いていなくて、しばらく待ちました。ところがこの日はなんと駐車場がすでに満車で、チャリ置き場もいっぱい自転車が止まっていて、異様な雰囲気でした。待合室に入ると、ここもすでに順番待ちの人がいっぱいで、椅子が足りなくて補助椅子を床一面にならべていました。「こりゃエラい日に来たな」と少し後悔しましたが、観念して待っていると、予約の御利益か10分少々の待ち時間で、呼ばれました。これまで飲用していたお薬とは銘柄が違う当院独自のお薬をとりあえずひと月分出してもらって、今後お世話になる約束ができました。このクリニックが素晴らしいのは、薬局が院内にあることです。よそへ行かなくていいです。この日順番待ちをしていた人たちはどうも「コロナ関係」のようでした。1人激しい咳をしている女性がいて、空気感染しないか心配でしたが、今のところ私は大丈夫みたいです。いつも買い物をするスーパー・マルナカではノーマスクの人が増えてきています。スポーツジムもマスク派とノーマスク派が混在です。いよいよパリオリンピックも始まりますが、コロナ対策は大丈夫なんでしょうか?
第16課 存在・所在を表す「在 zai4」
<動詞「在」>
@ 在=~が…にある/いる
<スキット>
Ka1fei1ting1 zai4 nar3?
咖啡厅在哪儿?
カフェはどこ?
Jiu4 zai4 qian2bianr.
就在前边儿
目の前だよ。
Li3bianr mei2you ren2.
里边儿没有人。
中に人がいないんだけど。
A2?, Jin1tian1 xiu1xi ma?
啊?今天休息吗?
ええ?(驚き)今日はお休み?
<キーフレーズ>
カフェはどこですか?
Ka1fei1ting1 zai4 nar?
咖啡厅在哪儿?
<「有」と「在」の違い>
#「場所」+「有」+「特定されないもの/人」
この近くにカフェがあります。
附近有一家咖啡厅。
#「特定のもの/人」+「在」
カフェはどこですか?
咖啡厅在哪儿?
※「在」の否定は「不在 bu2 zai4」
<エクササイズ>
トイレはどこにありますか?
Xi3shou3jian1 zai4 nar3?
洗手间在哪儿?
あなたは今晩在宅ですか?
Ni3 jin1tian1 wan3shang zai4 jia1 ma?
你今天晚上在家吗?
私のノートはここにあります。
Wo3 de bi3ji4ben3 zai4 zher4.
我的笔记本在这儿。
私の携帯電話は机の上にあります。
Wo3 de shou3ji1 zai4 zhuo1zi shang.
我的手机在桌子上。
王陽さんは東京にいます。
Wan2 Yan2 zai4 Dong1jing1.
王阳在东京。
<ひと言>
頑張ります。
Wo3 hui4 nu3li4 de.
我会努力的。
<ピンイン> 声調記号の付け方
大原則として、口の開きの一番大きい主母音に付ける。
大 →a→o→e→i→u→ü 小
※声調符号を付ける位置のルール
1.母音1ならその母音に。(例)mā
2.母音が2つ以上なら以下の順番で。
(1)まずa。(例)jiā
(2)aがなければ、oかe。(例)dōu(例)jiě
oとeが一緒に出る音節はない。
(3)iとuが並んだら後ろ側。iuならu、uiならi。(例)jiǔ(例)suì
3.iの上に声調符号をふる時はiの点を取る。(例)nǐ
<街角中国語>
ピータン=pi2dan4 皮蛋
醤油=jiang4you2 酱油
酢=cu4 醋
じゃがいも=tu3dou4 土豆
キウイフルーツ=mi2hou2tao2 猕猴桃
オレンジ=cheng2zi 橙子
りんご=ping2guo3 苹果
鮒=ji4yu2 鲫鱼
子曰く、君子は食飽くを求むることなく、居(きょ)安きを求むることなく、事に敏にして言に慎む。有道に就(つ)いて正す。学を好むと謂うべきのみ。
紳士は、食事にあたって満腹を求めず、住居については安楽を求めない。行動に敏捷であり、そうして言語には慎重であれ。以上のような点に気をつけつつも、自己だけの判断では誤謬に陥るから、有徳の人に接近してその批判を求める。そうした行為をなしうる人物は、学問を好む者と判定してよかろう。
※浩→私の早期回想です。「幼稚園の卒園式のあと、講堂のステージ横の部屋にヘラ台のような細長いテーブルが置いてあった。そこに先生や友だちと並んで座って、紅白のお饅頭をいただいた」。
早期回想というのは、アドラー心理学の性格分析技法の1つです。さて私の在職中にアドラー心理学の学習会を開催していて、終了後には必ず「懇親会」を開いていました。退職後、参加者の方々のご厚意によって、新たに会場を得て、継続することができました。ところが、二月(ふたつき)三月(みつき)経過した時点で、懇親会がないことに気づいて、私は少しスネていました。そでまでの私のライフスタイルですが、言葉ではっきり言わないでスネたりしてそぶりでアピールしていました。それに世話人さん方が気づかれて、私に事情を聞いてくださいました。理由をお話たところ、翌月から毎月必ず懇親会が開催されることになりました。この早期回想でわかります。「通過儀礼のような節目節目の行事を大事にする人」であることがわかります。「紅白のお饅頭」のほうに関心があるのであれば、「食いしん坊」だということになりそうです。確かにおいしいものをいただくのは今でも大好きです。
私は高校までは田舎の本籍地で暮らしていました。父は大農家の末っ子で、本家の近所に一軒家をもらっていました。家の前に大きな納屋がありその中にお風呂がありました。納屋の部分には3台ほどの石臼があり、足でペダルのようなものを踏んで穀物をついていました。のちにこの納屋部分は撤去されてお風呂だけが小さな小屋として残りました。脱衣場はないので、母屋で衣服を脱いで玄関から裸で飛び出して、お風呂場に直行しました。お風呂は金属製の五右衛門風呂で、狭い流し場がありました。当時は水道はなくて、風呂水を家のそばのいつも水を湛えている堀からバケツ運んでいました。水は泥で少し濁っていましたが、今から思えば「温泉」みたいなものです。子どもたちも水運びをしました。飲み水や炊事には井戸水を使いました。竹竿についた釣瓶でくみ上げては、これまた桶やバケツで一々台所の水瓶に運んで使っていました。台所は土間で、流し場は地面に掘っているので、水仕事は母がしゃがみこんでやっていました。もちろん電気釜などはない時代です。ご飯は「竈(おくどさん)」で炊きます。「おくどさん」は関西では「へっつい」と言います。おかずの煮炊きは七輪を使っていました。「七輪」は関西では「かんてき」だそうで、落語で知りました。父はお百姓をしないでサラリーマンになり、日本通運に勤めていました。父の兄たちはみんな、田畑やマスカットの温室を持っているのに、父はこの家と畑だけを持つサラリーマンでした。それでも自宅前の畑には四季の野菜が植えられ、父と母が力を合わせて世話をしていました。キャベツや茄子、トマトや西瓜、トウモロコシや大根、人参と、ほとんど買うことなく自給できていました。今思い返すと、まるで「桃源郷」のようなのどかで平和な生活でした。私が高校へ行くころは、私の進学をめぐってか、両親の意見が対立して、母が強引に私を普通科進学校へ行かせ、学費を稼ぐために、岡山市内に住む従姉妹(いとこ=母の妹の娘、私と妹は「久保田のおばちゃん」と呼んでいた)のアパートに同居して一緒に和裁をしていました。私も、そこで暮らしたり、母の実家(岡山市内で内科を開業する母の兄の家)に一間を借りたり、時には妹が父と一緒に暮らす実家へ戻ったりをくり返して暮らし、大学生になりました。大学時代のことは「自叙伝」に書きました。
田舎の実家での暮らしは、決して裕福なものではありませんでしたが、母が都会育ちで、節目節目のお祝いは必ずしていました。確か、毎月朔日(ついたち)にはお赤飯を炊いていました。春のお彼岸には「ぼた餅」を、秋のお彼岸には「おはぎ」を作り、五月の節句には「具だくさんのちらし寿司」を作り、家族の誕生日はお赤飯を炊き、クリスマスには、子どもたちの枕もとに、サンタクロースのプレゼントを靴下に入れてくれていました。こういう家庭で育った私は、節目節目の行事を大事にするようになったのでしょう。
「行動に敏捷」に関しては、私はとかく“即断即決即破滅”(by野田先生)になりそうで、これは注意しないといけません。何ごとに関しても、結果を早く求める傾向があります。用心、用心。これを防ぐために、「自己の判断での誤謬」がないよう、賢者の知恵をあおぐことがほんとに必要です。
本を読んで学ぶのはもちろん大切ですが、日常の実践において、物欲は控え目に、独り判断に頼らず、有徳者の判断を取り入れて慎重に生きている人は、学問を好む人と言える。 私にとって最高の有徳者はもちろん故・野田俊作先生です。
<ジョブキソ4>
#テーマ:会計で支払おうとしている取引先に「私が払います」と“押し切る”には?
We must pay.ではどうか?→こう言われると、何かのルールがあるのかと思う。その会社ではルールがあって、「こちらが払います」と言うと悪いんじゃないかという感じがする。
mustは「強制力」を示す(よんどころない事情があって抑えている感じがする)。
「そうするより仕方がない、やむをえない」。
☆修正
I appreciate that, but I insist.
ありがとうございます。でも私が払うという気持ちは変わりません。
@insist = 強く主張する(自分の立ち位置から動かないという気持ち)
※感謝の気持ちを伝えるには、
That's so kind of you. ご親切に。
※もしも相手のプライドを考慮するなら、Next time, It's on you.と言ってあげればいい。
It's on me(us). 私(たち)が持ちます(負担します)よ。
#相手の反応
Thank you very much. This time you get it, but next time, It's on me.
それはどうもありがとう。今回は払ってもらうけど、次回は私が持たせてもらうよ。