子曰く、学びて思わざれば則ち罔(くら)く、思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し。
先生が言われた。「ものを習っているだけで自分で考えてみないと、まとまりがつかない。考えているだけでものを習わないと、疑いが出てくる。
※浩→「学ぶ」というのは読書を意味し、「思う」というのは思索を意味します。むやみに読みあさるだけで思索しなければ混乱をきたし、逆に、空な思索をするばかりで読書をしなければ独断に陥る。
ここは、学び方のポイントを簡潔に表している有名な箇所です。ずっとあとの「衛霊公篇」に、「子曰く、吾かつて終日食らわず、終夜寝(いね)ず、以て思う。益なし。学ぶに如かざるなり」とあります。これが、空虚な思索は、たとえ寝食を忘れてのものであっても、読書による経験の堆積には及ばない、ということです。
アドラー心理学の学び方としては、野田先生からは、「読」「思」「修」の3つが必要だと教わりました。本を読んだり講演を聞いたりするのが「読」、自分で納得のいくまで考えてものにするのが「思」、それを実践するのが「修」です。それから、もう1つ、アドラー心理学はひとりでは学べない。ともに学ぶ仲間が必要だということ。多くの方々が、例えば、育児講座「パセージ」を受講されて、そのフォローアップの会などで、さらに情報交換を続けて、学びを深められています。私と相棒のK先生は、日常の何気ない会話の中で、互いのライフスタイルを再確認することがあります。エピソード分析を実際のカウンセリングで実施する機会はそんなに多くはありませんが、2人で日常の会話の中に、私的感覚のマイナス面を見出したときは、それをプラスに肯定文に替えてみるお稽古をしています。願いを肯定文にしてみるとそれが即、仮想的目標になっていることもよくわかります。おかげで少しずつ上達してきたように感じます。傲慢にならない謙虚さも必要ですが、自己勇気づけも大事だと思います。人には言わないで、自分で思うだけなら「僕ってすごい。天才!」と思い上がってもいい。自分と自分は“縦関係”にはならないから。自己嫌悪は最低で何も始まらないし、これは実は「劣等コンプレックス」で、自分から動き出さない言い訳になっているようです。
また、アドラー心理学の育児・教育では、「子どもに選択肢を与える」ことが大切だと言われます。「学べばすなわち固(かたくな)ならず」です。選択の幅が広がるということは、すなわち「自由」が広がるということです。子どもたちにこのことをよくわかってもらいたいです。
「知識は経験とともに始まるが、思惟がなければ盲目となる」として、経験論と合理論を統合したカントの批判哲学を思い起こさせる、と貝塚先生の解説にあります。一方的な立場を固執しないで、絶えず両面からものを眺める態度は、かつてNHKの大河ドラマ「篤姫」で、篤姫の母上が島津家の養女になっていく前に「一方を聞いて沙汰するな」と戒めていたシーンがあったのを思い出します。「独断」と「偏見」はトラブルのもとです。
第20課 「お~ください」「~(し)てください」(丁寧な指示)
<キーフレーズ>
さあ、お入りください。
チャ トゥロガセヨ
자, 들아가세요.
<公式>
「丁寧な指示」は「尊敬の表現」と同じ
・「語幹 + 세요/으세요」
・「パッチムㄹは取って + 세요」
@入る=들어사다 →お入りください=들어가세요
@受け取る=받다 →お受け取りください=받으세요
@押す=밀다 →押してください=미세요
@読む=읽다 →お読みください=읽으세요
@開ける=열다 →開けてください=여세요
@くれる=주다 →ください=주세요
では今日のスキットドラマをもう一度ご覧ください。
クロm オヌレ スキ’ッ トゥラマルr タシ ポセヨ
그럼 오늘의 스킷 드라마를 다시 부세요.
<問題> 食堂にて
ここに座ってください。
@座る=앉다
여기 앉으세요.
服をお掛けください。
@掛ける=걸다
옷을 거세요.
ちょっとお待ちください。
@待つ=기다리다
잠깐 기다리세요.
また来てください。
@来る=오다
또 오세요.
<ワンポイント>
これ何ですか?
イゴ ムォ エヨ
@뭐=何
이거 뭐예요?
誰ですか?=누구예요?
いつですか?=언제예요?
どこですか?=어디예요?
<本願>
@본관 =祖先発祥の土地
僕の本願はキョンジュです。
チェ ポングァニ キョンジュエヨ
제 본관이 경주예요.
@済州の高さん=제주 고씨
@慶州の金さん=경주 김씨
※同じ性で同じ本願(同姓同本)=동성동본 トンソンドンボン
<料理の言葉>
ゆでる=삶다 サmタ
湧かす=끓다 ックrタ’
煮詰める=조리다 チョリダ
焼く=굽다 クpタ
炒める=볶다 ポkタ
<フィナーレ>
お受け取りください。開けてください。
받으세요. 여세요.
これは何ですか?
이거 뭐예요?
<おまけ>
韓国人の姓の数は300弱。日本人は20万。
子曰く、君子は周(した)しみて比(おも)ねらず、小人は比ねりて周しまず。
先生が言われた。「紳士は親しみ合うが、なれ合わない。つまらぬ人間はなれ合うが、親しまない」。
※浩→「周」も「比」も、一般的には親しみ合うことを意味しますが、ここで言われているように、親しみ方に差があることを対照的に強調することもあるそうで、「周」を「親しみ合う」、「比」を「なれ合う」と訳しています。この孔子の言葉がもとになって、君子の交わりは「義」で結ばれ、精進の交わりは「利」で集まり徒党を組むことになるという考えが生まれてくると、貝塚茂樹先生は解説されます。
アリストテレスは知性的徳と倫理(習性)的徳を挙げました。倫理的徳では特に、「正義」と「友愛(親愛)」を重視しています。そして、「正義の人にもなお友愛(親愛)は必要であるが、友愛(親愛)の人にはもはや正義は必要ない。愛するに人に対して悪事を為す人はいないからである」と言っています。なるほど、正義と正義が衝突すると殺人や戦争が起こります。友愛(親愛)という、人と人とを結びつける感情の重要さが痛感されます。どこかの国が国際的な合意事項に違反したら、現在は必ずと言っていいほど制裁措置がとられます。某国の核問題も、拉致問題も、制裁を強化しても強化しても問題は一向に解決する兆しは見えてきません。日本がかつて敗戦したときにセイロン(スリランカ)が仏教精神で「恨みに報いるに恨みを以てしては恨みのやむときはなし。恨みを捨ててこそやむのである」(法句経)を引用して、賠償を請求しなかったことは有名です。制裁対報復措置という構図から抜け出して、まずは粘り強く対話のチャンスを模索して、懸案事項を冷静な話し合いによって解決していける道はないものでしょうか。昔、野田先生から「人類の精神年齢は12歳」と聞いたことがあります。今もそのことに変わりはないようで、国際情勢もまるで中学生が喧嘩をしているよです。今、ウクライナへ侵攻しているロシアの大統領は、失礼ながら、中学生並みなんでしょうか。天変地異の頻発する今、それへの対応だけでも大変です。それなのにまさか本当に戦争を始めるとは、あきれ果てます。 昔勤務した高梁工業高校の校訓を思い出しました。「自律友愛」です。哲学者カントにもとづいています。互いに独立しながら、しかも相互に友情で結ばれる。カントの『永久平和のために』に影響されて、第一次大戦後に「国際連盟」ができたにもかかわらず、第二次大戦が起こり、その後「国際連合」ができました。ところがその仕組みがヘンで、今まったく機能していないようです。現実に戦争が起きているのに、安全保障理事会では当事国が拒否権を発動して、合意が成立しない。戦争を起こして他国へ侵攻しているまさにその国自身が常任理事国で、自国に不利な決議には拒否権を発動します。犯罪者が裁判官で自分の罪を裁かないようにしているようなものです。
ほんとの親しさは付和雷同的にベタベタくっついているのではなくて、相互尊敬・相互信頼の関係ということで、アドラー心理学の話題に戻ります。
K先生と一緒にアドラー心理学を学ぶようになったのは、1991年のことですから、ずいぶん長いおつきあいになります。こんなに長い間、仲良くおつきあいできて、まだまだ今後も続きそうなのは、ある線以上は絶対に相手の領域に踏み込まないという遠慮があるからでしょう。ときどき「目標の不一致」が起こりそうになっても、お互いの理性できちんと調整してきました。だいたいはK先生のほうが「お・と・な」で、先に譲られて、あとで気がついた私が謝るというのが、通常のパターンです(笑)。今日はそのK先生がお世話くださって、岡工講座が開催されます。
第23課 要請や依頼をする(丁寧にお願いする)
<スキット>
Zhe4 shi4 ben3 dian4 de xin1 cai4dan1. Qing3 kan4 yi2xia4.
这是本店的新菜单。请看一下。
こちらは新メニューです。どうぞご覧ください。
Jian1yu2 huo3tui3 chao3fan4. Wo3 yao4 yi2 fen4.
鲣鱼火腿炒饭。我要一份。
鰹節とハムのチャーハンか。これ1人前ください。
Wo3 ye3 yao4 yi2 fen4.
我也要一份。
私も1人前ください。
Hao3 de! Qing3 shao1 deng3.
好的!请稍等。
はい!少々お待ちください。
@ 1人前= yi2 fen4 一份
一份饺子 yi2 fen4 jiao3zi = 餃子1人前
ショウロンポー1せいろ = yi2 fen4 xiao3long2bao1 一份小笼包
<キーフレーズ>
请看一下。 「どうぞ(ちょっと)ご覧ください」
@ 请 = 「どうぞ」←「請」
「请 + 動詞」 =「どうぞ~してください」
@ 一下 = 「少し」「ちょっと」(口調をやわらげる)
<聞き取り>
Qing3 zuo4. 请坐。 どうぞ座ってください。
Qing3 fang4song1. 请放松。 どうぞリラックスしてください。
<エクササイズ>
どうぞ果物を召し上がってください。
Qing3 chi1 shui3guo3. 请吃水果。
ちょっと書いてください。
Qing3 xie3 yi2xia4. 请写一下。
ちょっと住所を書いてください。
Qing3 xie3 yi2xia4 di4zhi3. 请写一下地址。
<ひと言>
ちょっと書いてください。
请写一下。
<ピンイン> i, u, üのピンイン表記
i→yi「一」yi1
u →wu「五」wu3
ü →yu「雨」yu3
ie →ie「也」ye3
uo→wo「我」wo3
üe →yue「月」yue4
uang→wang「王」wan2
üan→yuan
<質問>
「店員さんに呼びかけるには?」
Fu2wu4yuan2 服务员(従業員、ウエイター、ウエイトレス)
Bu4 hao3yi4si. 不好意思。(すみません)
shuai4ge1 帅哥(ハンサムな男性)
mei3nü3 美女(美しい女性)
子貢、君子を問う。子曰く、先ずその言を行う、而(しか)してのちこれに従う。
子貢がたずねた。「君子とはどんな人ですか?」。先生が言われた。「先ず主張したいことを実行し、それからのち主張する人のことだ」。
※浩→子貢は孔子の弟子の中で言論の第一人者でした。孔子は子貢の短所を直接指摘しないで、「不言実行」が大事だということを、そっと促したのでしょう。言葉として表すべきものを先ず行動として表し、その後に言語が行動を追っかけるということであると、吉川幸次郎先生の解説にはあります。
よく「沈黙は金」と言われますが、『論語』でも「里仁篇」に「君子は言に訥(とつ)にして行に敏ならんことを欲す」とあります。口先の巧みさよりも、実際の行為が大切だということです。アドラー心理学でも、「言っていることよりも“していること”を信じるようにと言われます。今の私からは想像もできないかもしれませんが、私は1980(昭和55)年に備前高校から岡山工業高校に転勤してからは勤務中ほとんど無口でした。あるとき校長室に呼ばれて、当時の和田道夫校長から「大森さんはサイレントマンですね」と言われたことがあります。この校長さんにはよく校長室へ呼ばれていました。もちろん、良いことに関してです。
西洋では「有言実行」でしょう。論理実証主義のウィットゲンシュタインは、「語りえないことは沈黙しないといけない」と言っています。野田先生は、「ということは、語れることに関してはしっかり語らないといけない」と解釈されていました。アドラー心理学では、「言ったことは必ず実行し、実行しないことは言わない」と言われます。こうしていると、ほんとに子どもに信頼される親になれそうです。「有言不実行」では、子どもは「うちの親は言うだけじゃ」と思い、親を信頼しないでしょう。先生も、実行できないことは言わない。言ったことは実行する。「やさしく、きっぱり」です。