子禽(しきん)子貢に問うて曰く、夫子(ふうし)はこの国に至るや、必ずその政(まつりごと)を聞く。之を求めたるか。そもそも之を与えたるか。子貢曰く、夫子は温良恭倹譲、以て之を得たり。夫子の之を求むるや、それこれ人の之を求むるに異なるか。
子禽が子貢にたずねた。夫子(先生)すなわち孔子は、その半生涯の遊歴の間に、ある国に着かれると、きっとその政治に参加された。それは先生のほうから要求されての結果だったのでしょうか。それとも向こうから相談を持ちかけられたのでしょうか。
子貢は言った。先生は、温(おだやかさ)、良(すなおさ)、恭(うやうやしさ)、倹(つつましやかさ)、譲(ひかえめ)、この五つの人柄から、そうした結果を得られたのである。先生の要求の仕方は、そう、他人の要求の仕方とは違っているようだ、ね。
※浩→吉川幸次郎先生の解説(「中国古典選3 論語・上」朝日新聞社)では、文末に「か(与)」が3度現れるが、初めの「求めたるか」と「与えたるか」は単純な疑問であるが、最後の「か」は、みずからの判断に疑問を残して、決定を避ける語気である、とあります。
「事実言葉」と「意見言葉」というのがあって、「あなたは恐い人だ」と言うと事実言葉で、「私はあなたが恐い」と言うと、個人的な意見・感想になります。英語では、“I-massage”と“You-massage”と言われます。意見を事実のように言わないように、意見は意見と自覚して言わないといけません。
子貢先生は慎重な物言いをされる人のようです。孔子の人柄だとされる「温・良・恭・倹・譲」もわかりやすく、また私たちも実践したい徳だと思います。
同時代に西のほうでは、ギリシアのプラトンが「哲人政治」を説いて諸国を漫遊していました。彼の説く「四元徳」すなわち「知恵・勇気・節制・正義」には西洋独特のクールさを感じられますが、孔子の人徳には温かみを感じます。自分が東洋人であるための贔屓からでしょうか。文末を「か」で終わりました(笑)。儒教といえば、わが国では封建社会を支える理論のように思えますが、それは江戸時代に徳川幕府が採用した「朱子学」のためでしょう。孔子の思想は、伝統を重んじながらも形式的な固定概念に対して批判的ですから、当時としては反土着思想であったように思います。やがて土着化していきますが。
温(おだやかさ)、良(すなおさ)、恭(うやうやしさ)、倹(つつましやかさ)、譲(ひかえめ)の五つの徳を「おんりょうきょうけんじょう」と音読みで続けると、経文のようになって覚えやすいので、心して実践したいです。人間はどこまでも不完全で、どんなにアドラーの本を読み、講座に参加して学び、仲間と交流しても、完全悟りの境地に達して、一挙手一投足のすべてがアドラーということには決してならないと、野田先生がおっしゃっていました。「おんりょうきょうけんじょう」を少しずつでも実践して生きて、ふと気づくと、じわっとオーラが出ていて、一緒にいる人々が私といることで、どことなくほのぼのと温かく感じられるような、そんなことが今生で起きるかもしれませんが、わかりません。指導者・野田先生は、とかく悪口を言いそうになるのを防ぐためにいつも仏様の絵を持ち歩かれていて、カウンセラー養成講座のとき、それを机上に置かれていました。私がカッとなりそうなときには、妹がいつか「おにいちゃん、お腹を平らに」と言ってくれていたのを思い出すことにします。その後の妹はすでにそのことへの執着はなく、記憶が薄れたのでしょう。言われたほうはしっかり記憶しています。次の故事は、被害を受けた人と与えた人の間のことですが、「倒されし竹は静かに立ち上がり、倒せし雪は跡形もなし」と母がしょっちゅう言っていました。何気なく悪意もなく言ったことでも、言われたほうは傷つくこともあります。言葉は慎重に使いたいです。そのためにも、カウンセリングの学習で教わった、体の反応=認識反射に敏感でありたいです。
第11課 副詞と助詞を使って表現の幅
<キーフレーズ>
「本当にあなたを愛しています」
チョンマr タンシヌr サランヘヨ
정말 당신을 사랑해요.
花があります。
ッコチ イッソヨ
꽃이 있어요.
花がたくさんあります。
ッコチ マニ イッソヨ
꽃이 많이 있어요.
2PMがいいです。
2PMミ チョアヨ
2PM이 좋아요.
2PMがとてもいいです。
2Pエミ アジュ チョアヨ
2PM이 아주 좋아요.
<副詞>
語順を入れ替えてもいい。
「あなたを本当に愛しています」
당신을 정말 사랑해요.
「ヘランさんも一緒に祝ってくれてうれしいわ」
ヘランッシド カチ’ チュ’カヘ ジュオソ キッポヨ
헤란 씨도 같이 축하해 줘서 기뻐요.
「さあ、冷める前にたくさん召しあがってください」
チャ シッキ ジョネ マニ トゥセヨ
자, 식기 전에 많이 드세요.
「これ、とてもおいしいです」
イゴ アジュ マシッソヨ
이거 아주 맛있어요.
「最も愛している人…?」
カジャン サランハヌン サラm…?
가장 시랑하는 시람…?
@같이=一緒に、 많이=たくさん、 아주=とても、 가장=最も
一緒に行きます。
깉이 가요.
たくさん召しあがってください。
많이 드세요.
とてもいいです。
아주 좋아요.
最も愛しています。
가장 사랑해요.
<助詞>
@~に(場所、時間など)=~에
韓国に=한국에
5時に=다섯 시에
10時に=열 시에
@~に(人など)=~한테
お母さんに=어머니한테 オモニハンテ’
@~で(場所など)=~에서
日本で=일본에서 イrボネソ
ソウルで=서울에서 ソウレソ
@~から(人など)=~한테서
お母さんから=어머니한테서
お父さんから=아빠한테서 アッパハンテ’ソ
<問題>
この山は韓国で最も高いです。
イ サヌン ハングゲソ カジャン ノッパ’ヨ
이 산은 한국에서 가장 높아요.
10時に友だちと一緒に出発します。
ヨrシエ チ’ングハゴ カチ チュ’rバレヨ
열시에 친구하고 같이 출발해요.
お母さんに花をたくさんプレゼントします。
オモニハンテ’ ッコチュr マニ ソンムレヨ
어마니한테 꽃을 많이 선물해요.
<ひとこと>
お名前は何とおっしゃいますか?
ソンハミ オットケ ドェセヨ
성함이 어떻게 되세요?
お年はいくつですか?
ナイガ オットケ ドェセヨ
나이가 어떻게 되세요?
同年代や年下の人にたずねるとき
名前は何ですか?
イルミ ムォエヨ
이름이 뭐예요?
年はいくつですか?
ミョッ サリエヨ
몇 살이에요?
<ハングル部屋> 子音字の名前
ㄹ=리을 リウr、 ㄴ=니은 ニウン、
ㅁ=미음 ミウm、 ㅂ=비읍 ピウp、
ㅈ=지읒 チウッ
※例外
ㄱ=기역 キヨk、 ㄷ=디극 ティグッ、 ㅅ=시옷 シオッ
<おまけ> 野菜の名前
白菜=배추 ペチュ’、 大根=무 ム、
ねぎ=파 パ’、 きゅうり=오이 オイ、
じゃがいも=감자 カmジャ
<フィナーレ>
今日はとてもステキですね。
オヌr アジュ モシッソヨ
오늘 아주 멋았어요.
一緒に食事しませんか?
カチ シkサ アネヨ
같이 식사 안 해요?
はい、いいですね。
네, 좋아요.
僕も本当にとてもぜひ行きたいです。
チョド チョンマr アジュ ッコk カゴ シポヨ
저도 정말 아주 꼭 가고 싶어요.
一緒に行きましょう。
カチ ガヨ
같이 가요.
曾子(そうし)曰く、終わりを慎み遠きを追えば、民の徳厚きに帰せん。
為政者が、人生の終わりである死、特に父母の死に対する儀式、つまり葬式を慎重に大切にし、何代も前の自分からは遠い先祖をいつまでも追慕し、祭礼を鄭重にするならば、一般の人民の行為も篤実・誠実な方向に落ち着くであろう。
※浩→為政者が人民のモデルとなるべきことを、ここでは先祖を追慕する儀式や親の葬礼のあり方で述べています。当時は階級社会で、為政者に比べると人民は葬式も先祖祭りも質素だったでしょうが、それでも為政者が儀式を慎重に行っていれば、一般人の風俗もそれに応じて、質素は質素ながら美しいものとなる、ということでしょう。
曾子は孔子の弟子のうちでも、血族間の善意を特に重視する人でした。現代の私たちの世代は、まだ先祖供養とか墓参りを大事にしています。次の世代はどうなっているでしょうか、いささか怪しい感じもします。
私の母は、実家と嫁ぎ先と両方のお墓に厳重にお参りしていました。子どもの私たちも両方へ一緒について行きました。母の実家のお墓は岡山市(中区)東山の墓地にあり、嫁ぎ先の(北区)栢谷の墓は家のそばの山を少し登ったところにありました。父親は信仰心がなかったのかどうかわかりませんが、母子がお墓の山へ登ろうとしていると、「仏さんはどこにでもいるからここから拝んでも同じだ」と言って、私たちと一緒に登ったことは一度もありませんでした。まあ理屈は通っています。仏様は偏在されるという説もありますし、念仏は心で唱えますから。母は毎朝、お仏壇へご飯とお茶をお供えしていました。すると父は、「生きている者が先じゃ」と、罰当たりなことも言っていましたが、これも一理ありますし、父の死後は、母がときどきお仏壇の朝のお供えより先に子どもたちに食べさせて、「お父ちゃんは『生きている者が先じゃ』と言っていたからいいの」と笑っていました。そのおかげで私も現在父のお墓へ行けないときは、自宅の仏前で合掌しています。父の考えはまあ「合理主義」なんでしょうか。妹が帰省しているとき、お仏壇へのお供えを後回しにして私たちが先に食事をしていると、「お父ちゃんは生きている者優先だったね」と大笑いしています。甥や姪たち(妹の子)は「おばあちゃん子」だったので、今でもそれぞれ都合の良いときにお参りしてくれています。親のする子とを見て子どもは育っています。
私はお盆とお正月には必ず妹と一緒に墓参りします。帰りには(北区)横井にある「夜寿司」で豪華なお昼ご飯をいただくのが定番でしたが、最近は駐車場が満車になることが多かったです。待ち時間をたずねると、「予約優先です」と言われて、それ以来そこは利用していません。その後は、美味しいものを買い込んで自宅でゆっくりいただくようになりました。2020年からコロナ禍のため妹は帰省しません。コロナももうそろそろ全滅してもいいのに、最近あちこちでまた増加傾向のようで、学校が休校になっています。私が利用する理髪店の親子が感染して、そのため10日に予約していたのがキャンセルになりました。1週間後で再予約できました。
第12課 「~分(時)間……をします」
<スキット>
Dui4buqi3! Dui4buqi3!
对不起!对不起!
すみません!すみません!
Ni3 gan4huor2 ba. Wo3 xiu1xi shi2 fen1zhong1.
你干活儿吧。我休息十分钟。
さあ仕事をして。私は10分休憩するよ。
Hao3 de, nin2 xiu1xi ba!
好的,您休息吧!
はい、休んでてください!
(洗い物をすませて、テーブルを消毒し終えたら、店長がチャーハンを出してくれた)
Kuao4 chi1 ba.
快吃吧。
早くお食べ。
Dian4zhang3..., xie4xie nin2.
店长……,谢谢您。
店長……、ありがとうございます。
<解説>
@ 干活儿 gan4huor2 = 仕事をする
@ 吧 ba = (軽い命令)~してください
@休息 xiu1xi = 休憩する
@ 分钟 fen1zhong1 = 分間
钟 zhong1 ←鐘
@ 好的 hao3 de = はい、わかりました
※「仕事をする」
仕事全般=工作 gong1zuo4
主に力仕事=干活儿 gan4huor2
<キーフレーズ>
Wo3 xiu1xi shi2 fen1zhong1.
我休息十分钟。
私は10分間休憩します。
※「時間の長さ」は動詞の後ろに置く。
一分钟 yi4 fen1zhong1 = 1分間
三十分钟 san1shi2 fen1zhong1 = 30分間
十五分钟 shi2wu3 fen1zhong1 = 15分間
xiu1xiの「xi」は「xiou」の「o」が省かれている。発音するときは復活。
<練習>
「私は30分休憩します」
Wo3 xiu1xi san1shi2 fen1zhong1.
我休息三十分钟。
「私は1時間休憩します」
Wo3 xiu1xi yi2 ge xiao3shi2.
我休息一个小时。
「私は2時間休憩します」
Wo3 xiu1xi liang3 ge xiao3shi2.
我休息两个小时。
「私は2時間半休憩します」
Wo3 xiu1xi liang3 ge ban4 xiao3shi2.
我休息两个半小时。
「私は毎日8時間仕事をします」
Wo3 mei3tian1 gong1zuo4 ba1 ge xiao3shi2.
我每天工作八个小时。
<ひと言>
「ゆっくり召し上がってください」
Qing3 man4 yong4.
请慢用。
<ピンイン> yiの変調
yiは本来「第一声」。後ろに来る成長で変化する。
・本来の第1声
yi1 一(一)
順番を言うときは、第1声のまま→第一课 di4 yi1 ke4 第1課
・後ろに第1声・第2声・第3声が続く場合、「第4声」に変化
一千 yi4qian1
一年 yi4 nian2
一百 yi4bai3
一直 yi4zhi2(まっすぐ)
一起 yi4qi3
・後ろに第4声が続く場合、「第2声」に変化
一万 yi2wan4
一下 yi2xia4
<街角中国語>
鸡肉咖喱饭 ji1rou4 ga1li2 fan4 (チキンカレーライス)
金枪鱼丁盖饭 jin1qiang1yu2ding1 gai4fan4 (マグロ丼)
拿铁咖啡 na2tie3 ka1fei1 (カフェラテ)
玻璃杯 bo1libei1 (グラス)
筷子 kuai4zi (箸)
勺子 shao2zi (スプーン)
叉子 cha1zi (フォーク)
子曰く、君子は重からざればすなわち威あらず。学べばすなわち固ならず。忠信を主とし、己に如(し)かざる者を友とすることなかれ。過てばすなわち改むるに憚ることなかれ。
紳士は堂々としていないと威厳がない。学問をすれば頑固でなくなる。忠実と誠実を主要な道徳とせよ。自分に劣る者を友にしてはいけない。過失を犯したら、躊躇しないで改めなさい。
※浩→君子(紳士)たるものの心得を簡潔にまとめています。この箇所(条)は在職中に、「現代社会」の授業で生徒に暗唱してもらっていました。「現代社会」の中には政治経済の他に社会学や心理学や倫理学の分野があって、大学で倫理学専攻だった私は「倫理学」「心理学」の分野を省かないで丁寧に指導しました。教科書では心理学の分野はほとんどフロイト心理学とユング心理学でしたが、私は強引員アドラー心理学を追加しました。「現代社会」がスタートしたころは4単位でたっぷり余裕があり、こういう工夫もしやすかったです。1学期間に約10個、古今東西の名文を選んで暗唱してもらいました。古代ギリシャ哲学から古代インド、中国思想まで幅広いものでした。生徒たちは不思議なくらい真面目に取り組みました。次の暗唱文が指定されると、生徒たちはいつもメモ用紙を携えて、廊下を歩きながらブツブツ……、休憩時間に教室内でブツブツ……と覚えて、覚えたと思ったらいつでも私をつかまえて唱えていいことにしました。その熱心さには感服しました。私はいつでもどこでも対応できるように、前もってきちんと覚えておかないといけません。もともと覚えることは好きでしたから、まったく負担には感じませんでした。今でもほとんどを思い出せます。1996年に南輝小学校へ講演に行くと、岡山工業高校土木科の卒業生の秋葉伸介君が子どもさんの保護者として参加していました。講演後、わざわざ校長室をたずねてくれました。岡山工業高校赴任の年の、問題だらけだったクラスの超真面目組の1人です。「先生、あの暗唱のおかげで、大学の哲学で大助かりでした」と感謝されました。
この「君子は重からざれば……」は、紳士としての心得が述べ尽くされていて、日常実践したい名言です。人間としての威厳・風格も必要ですし、学んで知見を広げて心を柔軟にもしたい。学べば心が頑固でなくなるのは、選択肢が増えるからでしょう。いつも真実と信頼を大事にしたい。自分より人間として優る人を友だちに持ちたい。間違ったと思ったら、あれこれ言い訳をしないで、きちんと謝罪もして、自分を改めたいです。