子曰く、千乗の国を導くには、事を敬(つつし)みて信、用を節して人を愛し、民を使うに時をもってせよ。
戦車千台くらいを戦闘に出せる中位の国で、これを治める心がけは、まず、政令を発布するときはよほど慎重に、発布した以上必ず実行すること。次に、政府の費用はできるだけ節約し、人民の身になって考えること。さらに、農民を賦役に借り出すには、農繁期を避けて然るべき時を選ぶことだ。
※浩→知識人は政治への参加を義務とするというのが、孔子の考えであったと言われます。「千乗の国」とは、戦車千台とそれに相応する兵士を出せるくらいの中規模の国のことです。孔子の政治原理は「徳治主義」と言われて、古代ギリシャでプラトンが「哲人政治」を説いたのと似ているようです。哲人は哲学者philosophiaで「知を愛する者」で、知徳合一ですから「仁者」でもあります。プラトンの説いた4つの徳(四元徳)は、「知恵」「勇気」「節制」「正義」でしたが、「勇気」が入っているとことがアドラー心理学を学び実践する者には嬉しいです。何しろ治療・援助のこつが「勇気づけること」ですから。
為政者は、権力によってではなく、自らの「徳」(すぐれた人格)で民を治めるのが理想です。権力で治める人のは「覇者」で、人格で治めるのが「王者」だと孟子は言いました。覇者の道が「覇道」です。「覇道」という言葉で思い出すのは、旧制第六高等学校応援歌『北進歌』です。これは大学時代、わがボート部の愛唱歌の1つでした。「覇道」が出てくるのは次の箇所です。全部はとても長いので、また別の機会にご紹介します。
♪ 覇道は知るや京洛に
結べる夢を吾が駒の
蹄(ひずめ)のあとに破らでは
など北進の戈(ほこ)取らん
もう7年ほど前のことですが、私の「自叙伝」をたまたま読んでくださった、岡山大学ボート部の(学年)同期で4歳上の水野久隆氏(東京在住)から、卒業以来五十何年ぶりに突然お便りをいただいて、それ以後Eメールで艇友たちの動向などの情報を知らせ合うようになりました。彼にとってもこの『北進歌』を懐かしでしょう。
ところで、学校でも校長が人格的に優れた人であれば、職員を力で抑えなくても組織はうまく回るでしょう。実際にそういう校長さんもいらっしゃると思いますが、中には国や教育委員会の権威を背景に、職員に対して強圧的な人もいるようです。
私の在職中にはまだ太っ腹の校長さんがいらっしゃいました。備前高校に勤務していた70年代、ボート部の柿本選手がインターハイで優勝したころの二宮校長先生を思い出します。彼は囲碁が大好きで、職員との対戦には夢中になるし、飲み会に参加すれば翌朝は一時的記憶喪失症になるくらいまでつきあい、翌日は他の職員と同じようにボーッとされていても、それでもほとんど全職員に愛されていました。その校長の前任者が人権に関わる大問題を起こしたとき、当の本人はすでに退職していて責めは当然そちらに行くべきところを、前任者の失敗の責任を一手に引き受けて、教育委員会や人権団体からの追及に誠実に応じられました。その心意気には全職員が感動しました。校長曰く、「責任は私が取る。諸君は存分にやってくれ」。いい響きで。
現在、県立高校では2月と3月と2度、入学試験を実施しています。3月の本試験はともかく、2月の「推薦入試」か「特別推薦」かは、1,2年生はまだ授業中にもかかわらずわざわざ登校禁止にして、先生方は授業を停止して入試事務にたずさわります。これが終わると学校では学年末考査があり、その直後にいよいよ「本入試」というスケジュールです。先生方は、学年末で担当教科の総仕上げ~試験問題作成~採点・評価と、本業だけでも超多忙な時期に、入試業務に釘付けになります。採点ミスでもあれば、当然、教育委員会から激しく咎められます。「民を使うに時をもってせよ」と大声で叫びたいです。少子化で受験生も年々減少していますから、昔のように入試は3月の一度だけでもいいのではないでしょうか。
第9課 「~を…(し)ます」(動詞の表現)
<キーフレーズ>
(僕が)この近所にある病院を知っています。
イ クンチョ’エ インヌン ピョウォヌr アラヨ
이 근처에 있는 병원을 알아요.
踊りを踊ります。
チュムr チュ’オヨ
줌을 춰요.
歌を歌います。
ノレルr プrロヨ
노래를 불러요.
<公式>「~を…(し)ます」
・名詞(パッチムなし) + 를 動詞
・名詞(パッチムあり) + 을 動詞
文末に?を付けて語尾を上げる↑と疑問文
<発展>
あんパンを食べます。
タンパ’ッパンウr モゴヨ
단팥빵을 먹어요.
キムチを食べます。
キmチ’ルr モゴヨ
김치를 먹어요.
グレープフルーツ茶を飲みます。
チャモンチャ’ルr マショヨ
자몽차를 마셔요.
コーヒーを飲みます。
コピ’ルr マショヨ
커피를 마셔요.
新聞を読みます。
シンムヌr イrゴヨ
신문을 읽어요.
料理を作ります。
ヨリルr マンドゥロヨ
요리를 만들어요.
ハングルを勉強します。
ハングルr コンブヘヨ
한글을 공부해요.
<問題>
キムチチゲを作ります。
キmチ’ッチゲルr マンドゥロヨ
김치찌개를 만들어요.
おいしい食べ物を食べます。
マシンヌン ウmシクr モゴヨ
맛있는 음식을 먹어요.
私は中国語を勉強します。
チョヌン チュングゴルr コンブヘヨ
저는 중국어를 공부해요.
※似ている単語
@멀어요 モロヨ=遠いです
@마셔요 マショヨ=飲みます
@건배해요 コンベヘヨ=乾杯します
<ひとこと>
これいくらですか?
イゴ オrマエヨ?
이거 얼마예요?
ちょっと高いです。
チョm ピッサヨ
좀 비싸요.
ちょっと値段をまけてください。
チョm ッカッカ ジュセヨ
좀 깎아 주세요.
<ハングル部屋> 固有数詞
ひとつ=하나
ふたつ=들
みっつ=셋
よっつ=넷
いつつ=다섯
むっつ=여섯
ななつ=일곱
やっつ=여덟
ここのつ=아홉
とお=열
15=열다섯
20=스물 スムr
30=서른 ソルン
40=마흔 マフン
50=쉰 スウォン
60=예순 イエスン
70=일흔 イrフン
80=예든 イエドゥン
90=아흔 アフン
「何個」「何歳」「何時」は固有数詞
5個=다섯 개
5歳=다섯 살
10時10分=열 시 십 분 (分は漢数詞)
個数の1個~4個、20個は形が変わる
1個=한 개
2個=두 개
3個=세 개
4個=네개
20個=스무 게
<フィナーレ>
写真を撮るときは 하나 들 셋
8時5分=여걻 시 오 분 ヨドr シ オ ブン
曾子(そうし)曰く、吾(われ)日に三たびわが身を省みる。人のために謀(はか)りて忠ならざるか。朋友と交わりて信ならざるか。習わざるを伝えしか。
私は毎日、三つの事柄について私自身を反省する。人の相談に乗りながら、あるいはその人のために行動しながら、忠実さを欠いていなかったか。友だちとの交際に、信義を欠いていなかったか。よくのみ込んでいない事柄を人に教えたようなことはないか。
※浩→今日は弟子の曾参(そうしん)の言葉です。曾参は孔子より46歳年下で門人の中では最も年少グループでした。孔子の没後は、魯の孔子学園の長となりました。その門下の子思(=孔子の孫)の孫弟子が孟子です。
科学としての心理学では普通は価値判断をしませんが、アドラー心理学は、仮に共同体にとって有益なことを善(適切)、有害なことを悪(不適切)だと決めました。このことで厳密な科学としての地位を失って、一理論となりますが、払うに値する犠牲だと考えられています。そうして、生きる指針として「共同体感覚を生きるように」という思想を与えられました。野田先生は、「この日本語は変だ」と、よくおっしゃっていました。この言葉の定義づけは大変です。もとはドイツ語で、“ゲマインシャフツ・ゲフュール”です。英語訳は、Social Feelingだったこともありますが、これでは単なる受動的な感覚みたいなため、もっと積極性を重視する Social Interestに落ち着いたようです。「社会的関心」と日本語に訳すと、これもまた変で、まことに扱いにくい用語です。野田先生はいっそ、「X28」とか「P30」のような意味のない記号にしたほうがいいともおっしゃいました。これだと、日本語の思い入れが入らないので、言葉の元の意味に遡って理解できるから。
「他者の“関心”への関心」とも言われます。「自己執着」でないこと。「相手の目で見、相手の耳で聞き、相手の心で感じる」と言われます。競合的でない「協力的な」生き方ということになるのでしょうが、まことに言うは易く行うは難しです。
「ねえあなた、共同体感覚を生きなさいよ」とか「ねえ、協力しなさいよ」と他者に迫るとこれは誤用です。共同体感覚というのはそれを「自分が生きる」ことです。他者に強いると「縦の関係」ですから、共同体感覚は「横の関係」を生きることです。
ボーッと生きていると、このことをすぐ忘れます。論語のこの条を常に思い出しながら日々の「自己点検」を怠らないようにします。
第10課 曜日を言う
<スキット>
Wei2, a4, shi4 dian4zhang3.
喂,啊,是店长。
もしもし、はい、店長。
Ni3 zenm3me hai2 bu4 lai2?
你怎么还不来?
どうしてまだ来ないんだ?
E2? Xing1qi1san3 shi4 xiu1xiri4 ba?
欸?星期三是休息日吧?
え?水曜日は定休日ですよね?
Jin1tian1 liu4 yue4 jiu3 hao4, xing1qi1'er4.
今天六月九号星期二。
今日は6月9日、火曜日だよ。
<今日のフレーズ>
「今日は6月9日、火曜日です」
Jin1tian1 liu4 yue4 hao4, xing1qi1'er4.
今天六月号星期二。
@今天 jin1tian1 = 今日
@月 yue = 月(yuは「ü」)
@号 hao4 = 日(「日」ri4でもよいが、これはどちらかと言えば書き言葉)
「何月何日ですか?」= Ji3 yue4 ji3 hao4? 几月几号?
@星期 xin1qi = 曜
<曜日の言い方>
月曜日:星期一 星期一 xīngqīyī
火曜日:星期二 星期二 xīngqī'èr
水曜日:星期三 星期三 xīngqīsān
木曜日:星期四 星期四 xīngqīsì
金曜日:星期五 星期五 xīngqīwǔ
土曜日:星期六 星期六 xīngqīliù
日曜日:星期天/星期日 xīngqītiān/xīngqīrì
「星期日」はどちらかというと書き言葉、カレンダーにはこれが書かれている。
<練習> 「~は何月何日です」
「私の誕生日は1月12日です」
Wo3 de sheng1ri4 yi1 yue4 shi2'er4 hao4.
我的生日一月十二号。
「あなたの誕生日は何月何日ですか?」
Ni3 de sheng1ri4 ji3 yue4 ji3 hao4?
你的生日几月几号?
「私の誕生日は6月19日です」
Wo3 de sheng1ri4 liu4 yue4 shi2jiu2 hao4.
我的生日六月十九号。
「火曜日に中国語を勉強します」
Xing1qi1'er4 wo3 xue2 Han4yu3.
星期二我学汉语。
<ひとこと>
「ごめんなさい」
Dui4 bu qi3.
对不起。
<ピンイン> 鼻音
ian [yien] üan [yuen]
iang [yang]
@nian2 年 niang2 娘
@qian2 前 qiang2 強
@xian4xiang4 現象
@再见 zai4jian4
<街角中国語>
・hu2luo2bo 胡萝卜 にんじん
・tu3dou4 土豆 じゃがいも
・ning2meng2 柠檬 レモン
・mi2hou2tao2 猕猴桃 キウイフルーツ
・cheng2zi 橙子 オレンジ
・ping2guo3 苹果 りんご
・ji4yu2 鲫鱼 フナ
・li3yu2 鲤鱼 鯉
・mu3li4 牡蛎 牡蠣
子曰く、巧言令色、鮮(すくな)し仁。
巧妙な飾りすぎた言葉、表情には、「仁」すなわち真実の愛情の要素は少ない。
※浩→有名なフレーズです。私は大学のボート部では質実剛健を体得したはずですが、暮らしに少しゆとりができると、見栄を張るようになって、岡山工業高校在職中には、“見栄の大森”という愛すべき?ニックネームをちょうだいしました。それでも、言葉や表情に誇張があったのではないと思っています。「弱い犬ほどよく吠える」というのをフロイト心理学では、「反動形成」と言いました。アドラー心理学では、「劣等感の補償」でしょう。高校時代まではスリムな体型で、胸はあばら骨が見えるようなモヤシ人間でした。手先は不器用でしたが、おしゃべりは得意で、大きくなったらアナウンサーになりたい、と、伯母に話したことがあります。高校では体育の授業で、球技が苦手で特にバレーボールのサーブが下手でした。ところが母は高等女学校でバレーボールの選手だったのに、全然似ていません。ただ、細身で持久力があったので、冬の体育の長距離走になると俄然本領を発揮しました。それから大学に入ると、ボート部に強引に勧誘されて拉致同然に引っ張り込まれてから次第に筋肉がついてきました。就職して生活習慣が変わるにつれて、また高校時代のようなモヤシ人間に戻りました。すると今度は長距離走が復活です。備前高校でボート部の顧問をしていたころは、毎年冬に行われる全校マラソン大会に必ず生徒諸君に混じって走りました。最高記録は「学年2位」です。1位は担任クラスの生徒でしかもボート部員の吉崎伸君でした。西片上の備前高校をスタートして和気道の清水峠で折り返す10キロほどのコースでした。それが、全国のボート部顧問のために日本漕艇協会が開いた筋肉トレーニングの講習会に参加したことから、再び筋トレに燃え、自分も部員とともに実践しました。そうしていると、選手よりもむしろ早く成果が出てまたマッチョに戻りました。一度マッチョになると、元に戻ることへの恐怖心から強迫的にトレーニングに励みます。岡山工業高校に転勤するとボート部がないので、学校近くのジムを見つけて、そこでトレーニングを続けました。私の様子を見て関心を持った生徒が何人か「一緒にトレーニングしたい」と言ってきて、「ウエイトトレーニング同好会」を立ち上げて、2002年の定年退職まで顧問を務めました。退職後も同好会で使っていたジムでトレーニングを続けていましたが、2006年3月にそのジムが経営不振のため倒産して、他のメンバーとともに奥田のジョイフィットに移りました。ここは岡山大学医学部の南にあり、車で30分ほどの距離で不便ながらも週3~4回は通っていました。1年ほどすると、わが家の近くにチェーン店ができて、オープンと同時にそこへ移籍して今日に至っています。年齢の割にはハードなトレーニングを続けています。