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論語でジャーナル’24

 子曰く、その以(な)す所を視(み)、その由る所を観(み)、その安んずる所を察すれば、人焉(いずく)んぞ痩(かく)さんや。

 先生が言われた。「どんな原因によって行動するかを眺め、どんな理由のもとに行動するかを調べ、どんな信念に支えられて行動しているかを推察するならば、人間はどうして自分を隠しおおせようか、どうして隠しおおせようか」。

※浩→その人の行動を観察する。行動の動機を観察する。その落ち着くところ、すなわち行動の目的とするところを考察する。人間を観察する場合、この3つについて観察を重ねれば、その人間の真実は覆うところなく現れて、隠そうとしても隠しきれるものではない。
 アドラー心理学では「目標追求性」と言って、人間は目標追求して生きていると考えます。追求方法には個性があって、ひとりひとりみんな違った生き方をします。そのスタイルを“ライフスタイル”と言います。世間で「性格」と言われているものです。これがどうやってわかるかが、論語のこの章でわかるところが興味深いです。「この人はいったいどんな動機で、どんな目的でこの行動をするのか」と、極めて簡潔に述べられているのを、野田俊作先生が作られた「勇気づけの歌」ふうに言うと、「ある日の1つのエピソードから、感情・思考・行為をもとに、隠れた目標探すべし」となります。人がどんな状況でどんなふうに行動するか?ライフスタイルを知るには、その人の人生での大事件でなくて、日常の何気ない出来事を分析すれば、その人の認知行動のパターンと価値観(人生で最も重視しているもの=私的感覚)がわかります。この私的感覚を知るには文学的センスが必要だと野田先生はおっしゃいました。私も、たくさんの物語を読み、詩歌を味わい、名曲を聴き、お芝居を観て、落語も聞いてセンスを養っています。そうしていると、身近な人のさりげない仕草や何気ないひと言で、その人の「こだわり」「譲れない一線」、すなわち私的感覚がわかるようになってきたように自分で感じるようになりました。もちろん大外れもあります(笑)。
 お正月に妹が帰省していたときのエピソードがあります。もう何年も前の夏、ゴミ出しの日の朝、早起きした私は妹が起きる前に近くのゴミステーションにゴミを出しに行きました。あとで起きてきた妹に、「ゴミを出しておいたよ」と言うと、妹は、「ウン、見えた」とひと言。二階の部屋に寝ていた妹が目覚めてカーテンを開けたら、私がゴミ出しに行っている姿が見えたそうです。私は「こういうときは『ご苦労様』とか言わない?」と言ったら大爆笑になりました。最近はやりの「エピソード分析」で考え直してみました。このゴミ出しのときの仮想的目標は、「ゴミを出しておいたよ」と言うことで「あ、ご苦労様。助かったよ。悪いねえ」とかいう感謝とねぎらいの言葉だったようです。これで私の「私的感覚」が、「人の好意・貢献にはに感謝すべし」だとわかります。感謝を求めてする行為は美しくありませから、まだまだ修業が必要です。昔から「アテごとと○○は向こうから外れる」と言われますし、礼儀・マナーが消滅しつつある今日、そもそも無理な願いかもしれません。人のことはともかく、せめて自分はいつも気にして心がけていくつもりです。自己満足であっても。「共同体感覚」って、自分が実践することでしたし。

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しごとの基礎英語8/15

<ジョブキソ8>
#テーマ
 相手の話が難しい。わかりやすく言ってもらうには?
 理解できなかったら曖昧にしないこと。

#お勧め
I don't get it. Could you explain what that means?
どういうことかわかりません。それが何を意味しているのか説明していただけませんか?

#会話例
相手:The only place you find success before work is in the dictionary. You get it?
自分:I don't get it. Could you explain what that means?
相手:"S" is before "W" in the dictionary, but in real life success, "S" comes after hard work, "W".
辞書の中ではSがWの前ですが、実生活での成功SはハードワークWのあとということですよ。

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論語でジャーナル’24

 子曰く、吾(われ)、回と言(かた)ること終日。違(たが)わざること愚なるがごとし。退ぞきてその私(わたくし)を省(み)るに、またもって発(あき)らかにするに足れり。回は愚にあらず。

 先生が言われた。顔回は、私と朝から晩まで話していても、ちっとも異論を唱えない。まるで低能のようだ。私の前から引き下がって1人になっているところ(私生活)をよく見ると。やはり何か思い当たらせるところがある。顔回という男は、低能であるどころか、大した人間なのだね。

※浩→人間の本当の価値は、その人間の唱える議論だけで決まるものではない。その人の日常生活の中で、その議論がどんなふうに生かされているかで決まる。これが孔子の持論のようです。四書五経の1つである『中庸』第3節に「隠れたるよりも見(あら)わるるはなく、微(ひそ)かなるよりも顕(あきら)かなるはなし。ゆえに君子はその独(ひと)りを慎む」とありますが、こういうことでしょうか。
 私は恩師・野田俊作先生の講義をたくさん聞いて学んでいますが、昔はよく質問していました。そのたびに先生は懇切丁寧に教えてくださいました。その後次第に質問することは少なくなりました。それでも「学ぶはマネぶ」で、ひたすら先生の様子を真似て、それを実践してきました。ちょうど2000年ごろに、アドラー心理学カウンセラー資格取得の条件が改定されて、既得者は再受験することになりました。確か、早稲田大学での総会のときでしたか、休憩時間に、私が先生に「自分は生徒に試験をしているのに落ちたら惨めですね」と言うと、先生は「それもお愛嬌ですよ」とさらりとかわされました。結果的には、私は94年の「カウンセラー養成講座」で全課程を再受講していたおかげで、新基準に達成していたということで、再試験を免れました。野田先生から見られて私はもしかしたら「低脳」だったのかもしれません。
 顔回は孔子より30歳年少で、孔子が諸国亡命以前からの弟子でしたが、41歳という若さで孔子に先だって亡くなりました。野田先生は、私より6歳年少ですが、偉大なお師匠様です。毎年お年賀状をさしあげますが、先生からも毎回お返事をいただきました。2020年にいただいた最後の賀状は、先生が残された「論文集」に挟んで宝物として大切に保存しています。

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ハングル講座8/13

第18課 「お~になりました」「お~でした」(過去の尊敬の表現)
<キーフレーズ>
昨夜(に)はゆったりお休みになれましたか?
オジェッパメン ピョ’ニ シュイショッソヨ
어젯밤엔 편히 쉬셨어요?

このDVDを見る。
イ DVDルr ポダ
이 DVD를 보다.
このDVDをご覧になりましたか?
イ DVDルr ポセヨ
이 DVD를 보셨어요?
ソウルに行く。
ソウレ カダ
서울에 가다.
先週にソウルにいらっしゃいましたか?
チナンジュエ ソウレ カショッソヨ
지난주에 서울에 가셨어요?
本当にすばらしいものをお作りになりました。
チョンマr フrリュンハン ゴr マンドゥショッソヨ
정말 훌륭한 걸 만드셨어요.

<公式> 過去の尊敬の表現
・語幹(パッチムなし=母音語幹Vowel)+셨어요
・語幹(パッチムあり=子音語幹Consonant)+으셨어요
・ㄹ語幹(パッチムㄹは取って)+ 셨어요
 @休む=쉬가 →お休みになりました=쉬셨어요
 @受け取る=받가 →お受け取りになりました=받으셨어요 パドゥショッソヨ
 @作る=만들다 →お作りになりました=만드셨어요  マンドゥショッショヨ
 @過ごす=보내다 ポネダ →お過ごしになりました=보내셨어요  ポネショッソヨ
「楽しくお過ごしになりましたか?」
チェミイッケ ポネショッソヨ
재미있게 보내셨어요?
@合う=맛다 マッタ →合われました=맛으셨어요  マジュショッソヨ
「お口に合いましたか?」
イベ マジュショッソヨ?
입에 맛으셨어요?
 @住む=살다  サrダ →お住まいでした=사셨어요  サショッソヨ
「ソウルにお住まいでしたか?」
ソウレ サショッソヨ
서울에 사셨어요?

<問題>
社長が工場を見学されました。
 @見学する=견학하다  キョナカダ
サジャンニミ コンジャンウr キョナカショッソヨ
사장님이 공장을 견학하셨어요.
仕事が大変でいらっしゃいましたか?
 @大変だ=힘들다  ヒムドゥrダ
イリ ヒmドゥショッソヨ?
일이 힘드셨어요.
先生は席にお座りになりましたか?
 @座る=앉다  アンタ
ソンセンニムン チャリエ アンジュショッソヨ?
선생님은 자리에 앉으셨어요?

<ワンポイント>
どうして(韓国へ)いらっしゃったんですか?
オットケ オショッソヨ?
어떻게 오셨어요?
 @어떻게=どうして、どのようにして(目的や手段を聞く)
観光で来ました。
クァングァン ワッソヨ
돤광 왔어요.

<ハングル部屋> 鼻音化
汁、スープ=국물   [궁물]  クンムr
※パッチムㄱ ,ㅊ ,ㅂなど が次の文字の子音ㅁ,ㄴなどに影響されて、鼻音(ㄴ ,ㄴ ,ㅇ )に変わる。
 @国内=국내 [궁내] クンネ
 @何名、何人=몇명  [면명] ミョンミョン
ありがとうございます=감사합니다.  [담사함니다] カmサハmニダ

<フィナーレ>
今日もたくさん勉強なさいましたか?
オヌrド マニ コンブハショッソヨ?
오늘도 많이 공부하셨어요?
はい、たくさん勉強しました。
ネ、マニ コングヘッソヨ
네, 많이 공부했어요.
気分がよろしかったですか?
キブニ チョウショッソヨ?
기분이 좋으셨어요?

<おまけ>
末っ子=막내 [망내] マンネ

引用して返信編集・削除(編集済: 2024年08月13日 06:50)

論語でジャーナル’24

 子夏、孝を問う。子曰く、色難(かた)し。事あれば弟子(ていし)その労に服し、酒食(しゅし)あれば先生に饌(せん)す。曾(すなわ)ち是(これ)以って孝と為さんや。

 子夏が孝行とは何かとたずねた。先生が言われた。「気持ちを顔に表すことが問題だ。村の行事に若者たちが労力を奉仕する。終わって宴会が始まると、年配の方にご馳走をさしあげる。これと同じように、父母に通り一遍の奉仕をしているのが孝行と言えるだろうかね」。

※浩→「弟子(ていし)」はここでは“郷党”つまり村の青年組合に属する若い衆を指します。「先生」は文字どおり、「先に生まれた人」のこと。郷党の寄り合いは、年齢階級によって秩序づけられている。若者、つまり弟子は先生つまり年輩者に奉仕する立て前であった。そういえば、今の中国語で「先生」はteacherのことではなくて、男性に敬意を持って呼ぶときに使います。teacherは「老師 lao3shi1」です。
 孟子の教えに「五倫」というのがあります。人の守るべき五つの道で、父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友 (ほうゆう) の信です。いつの時代でも、「今どきの若い者は……」と言われるようですが、最近の様子を見ると、若者のほうがかえって礼儀正しくて、大人のほうが不作法だと感じることがよくあります。狭い道を車ですれ違うとき、私も昔はわれ先にと突っ込んでいましたが、アドラー心理学を学ぶようになってからは、「競合」から「協力」へと態度を変えることにしました。必ず自分のほうが待って、相手に譲ります。そのとき、すれ違う対向車を見ていると、ほとんどのドライバーが素知らぬ顔で通り過ぎます。かつてはすれ違うほとんどのドライバーが、軽く会釈したり手を挙げたりして通り過ぎていました。ペットボトルと携帯電話が普及してからこの国からマナーが消えたように思われます。昔は道を歩きながらお茶を飲んでいる人はいませんでした。今は当たり前になりました。スーパーで買い物して袋詰めしたあと、トレイをボーンと放り投げて戻している人をけっこう見かけます。だいたい女性のようです。レイに恨みでもあるのかと思えるくらい乱暴です。ところが、自転車や徒歩の中高生男子が横断歩道を渡ろうとして車の通過を待っているので、私が停車すると、ほとんどの子が一礼して通り過ぎます。これだけでもジーンと感動して、素敵なプレゼントをもらったような気になれます。
 アドラー心理学には相互尊敬・相互信頼というキーワードがあります。アドレリアンの中にも結構不作法な方もいらっしゃるようですが、他山の石で、自分たちはそうならないように心がけます。NHKテレビ「関口知宏さんのヨーロッパ旅行記」でオランダが放映されていました。訪れるどの街も、ゴミ1つ落ちていないきれいな街です。日本にも、儒教の影響で「礼」の教えが入ってきたはずが、今はすっかり消滅したようです。今や「礼」とか「マナー」とか「お行儀」とかいう言葉は死語になってしまったようです。

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