子夏、孝を問う。子曰く、色難(かた)し。事あれば弟子(ていし)その労に服し、酒食(しゅし)あれば先生に饌(せん)す。曾(すなわ)ち是(これ)以って孝と為さんや。
子夏が孝行とは何かとたずねた。先生が言われた。「気持ちを顔に表すことが問題だ。村の行事に若者たちが労力を奉仕する。終わって宴会が始まると、年配の方にご馳走をさしあげる。これと同じように、父母に通り一遍の奉仕をしているのが孝行と言えるだろうかね」。
※浩→「弟子(ていし)」はここでは“郷党”つまり村の青年組合に属する若い衆を指します。「先生」は文字どおり、「先に生まれた人」のこと。郷党の寄り合いは、年齢階級によって秩序づけられている。若者、つまり弟子は先生つまり年輩者に奉仕する立て前であった。そういえば、今の中国語で「先生」はteacherのことではなくて、男性に敬意を持って呼ぶときに使います。teacherは「老師 lao3shi1」です。
孟子の教えに「五倫」というのがあります。人の守るべき五つの道で、父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友 (ほうゆう) の信です。いつの時代でも、「今どきの若い者は……」と言われるようですが、最近の様子を見ると、若者のほうがかえって礼儀正しくて、大人のほうが不作法だと感じることがよくあります。狭い道を車ですれ違うとき、私も昔はわれ先にと突っ込んでいましたが、アドラー心理学を学ぶようになってからは、「競合」から「協力」へと態度を変えることにしました。必ず自分のほうが待って、相手に譲ります。そのとき、すれ違う対向車を見ていると、ほとんどのドライバーが素知らぬ顔で通り過ぎます。かつてはすれ違うほとんどのドライバーが、軽く会釈したり手を挙げたりして通り過ぎていました。ペットボトルと携帯電話が普及してからこの国からマナーが消えたように思われます。昔は道を歩きながらお茶を飲んでいる人はいませんでした。今は当たり前になりました。スーパーで買い物して袋詰めしたあと、トレイをボーンと放り投げて戻している人をけっこう見かけます。だいたい女性のようです。レイに恨みでもあるのかと思えるくらい乱暴です。ところが、自転車や徒歩の中高生男子が横断歩道を渡ろうとして車の通過を待っているので、私が停車すると、ほとんどの子が一礼して通り過ぎます。これだけでもジーンと感動して、素敵なプレゼントをもらったような気になれます。
アドラー心理学には相互尊敬・相互信頼というキーワードがあります。アドレリアンの中にも結構不作法な方もいらっしゃるようですが、他山の石で、自分たちはそうならないように心がけます。NHKテレビ「関口知宏さんのヨーロッパ旅行記」でオランダが放映されていました。訪れるどの街も、ゴミ1つ落ちていないきれいな街です。日本にも、儒教の影響で「礼」の教えが入ってきたはずが、今はすっかり消滅したようです。今や「礼」とか「マナー」とか「お行儀」とかいう言葉は死語になってしまったようです。
第19課 比較の「比 bi3」
<スキット>
Dian4zhang3, zhe4 shi4 wo3 zuo4 de chao3fan4, nin2 chang2chang.
店长,这是我做的炒饭,您尝尝。
店長、これ私が作ったチャーハンです。食べてみてください。
Li3mian4 you3 jian1yu2hua1 ba?
里面有鲣鱼花吧?
鰹節が入っているんだね?
Ng4, xian1weir4 hen3 zu2. Bu2cuo4!
嗯,鲜味儿很足。不错!
うん、うまみがたっぷりだ。なかなかいいね!
Zhen1 de ma? Tai4 hao3 le!
真的吗?太好了!
本当ですか? よかったです!
Ni3 zuo4 de bi3 wo3 zuo4 de hao3chi1.
你做得比我做好吃。
あなたが作ったものは私のよりもおいしいよ。
<キーフレーズ>
Ni zuo4 de bi3 wo3 zuo4 de hao3chi1.
你做得比我做好吃。
あなたが作ったものは私のよりもおいしいよ。
<文法>
「比 bi3」= 「~より」「~と比べて」(比較の表現)
「A + B +形容詞フレーズ」=AはBより~だ
「あなたは私より背が高いです」
Ni3 bi3 wo3 gao1. 你比我高。
<エクササイズ>
Wu1long2cha2 bi3 ka1fei1 gui4.
乌龙茶比咖啡贵。
ウーロン茶はコーヒーより値段が高い。
Hei1se4 de shou3ji1 bi hong2se4 de shou3ji1 da4 yi4dianr3.
黑色的手机比红色的手机大一点儿。
黒い携帯電話は赤い携帯電話より少し大きいです。
今日は昨日より涼しいです。
Jin1tian1 bi3 zuo2tian1 liang2kuai4.
今天比昨天凉快。
※否定文では
今日は昨日より涼しくありません。
Jin1tian mei2you zuo2tian1 liang2kurai4.
今天没有昨天凉快。
上の兄は私より4歳年上です。
Da4ge1 bi3 wo3 da4 si4 sui4.
大哥比我大四岁。
2番目の兄は私より2歳年上です。
Er4ge1 bi3 wo3 da4 liang3 sui4.
二哥比我大两岁。
<ひと言>
「お疲れさまでした」
Xin1ku3 le.
辛苦了。
<ピンイン> 「e」のバリエーション
eは、基本的には「エ」の口の形で「オ」と発音する(「ウ-」に近い音に聞こえる)。
・「オ」に近い音
eng, ueng(weng)
ke3neng2 可能
・「エ」に近い音
ei, ie, üe, uei(wei), en, uen(wen)
xie4xie 谢谢
・「ア」に近い音
①反り舌母音
er
xing1qi1'er4 星期二
②軽声になる場合
Ni3 ne? 你呢?
ミックス:Wei4 shen2me? 为什么?
<街角中国語> 東京スカイツリー450メートル特別展望台から
東京タワー:Dong1jing1 Ta3 东京塔
羽田空港:Yu3tian2 Ji1chang3 羽田机场
ガラス床:bo1li di4ban3 玻璃地板
凄く高い!:hao3gao1 好高!
ワイン:pu2tao2jiu3 葡萄酒
カクテル:ji1wei3jiu3 鸡尾酒
※時節柄
オンライン授業:wang3ke4 网课
テレワーク:yuan3cheng2 ban4gong1 远程办公
子游(しゆう)、孝を問う。子曰く、今の孝はこれ能(よ)く養うを謂う。犬馬に至るまで、皆能く養うあり。敬せざれば何をもってか別(わか)たん。
子游が孝についてたずねた。先生が言われた。「現在の孝行とは父母を扶養することを指している。犬でも馬でもみんな立派に扶養している。父母を敬う気持ちが欠けていれば、どうして人間と動物とを区別することができようか」。
※浩→子游は孔子より45歳年下の弟子で礼儀作法に詳しかった。あまりに礼儀作法の枝葉末節をやかましく言う傾向があったので、「父母に対する尊敬の気持ちがこもっていなければ、いかに礼儀作法がしきたりにかなっていても、孝行にはならない」と、軽くたしなめています。
孝行についての弟子たちの質問に対する孔子の答え方はまちまちで、孔子に一貫性がないと批判する学者もあるかもしれないですが、孔子は「人を見て法を説く」のです。あらゆる政治家、あらゆる弟子に対して、その短所をたしなめ、長所を伸ばす教育的立場から答えています。アドラー心理学で言えば、「不適切な行動に注目しないで適切な行動に注目する」勇気づけでしょうか。野田俊作先生も、相手の立場・経験・能力に応じて、アドラー心理学の伝え方が違っていました。入門レベルの人が少々間違えて、他人の課題の侵害をしたり勇気くじきをしても、「急いで変わらなくていい」と寛大でした。中級レベル以上になると、厳しく接するようになりました。こちらが愚問を発したりすると、そっけなく返されます。無責任なことをすると厳しく追及されました。
私も自分の事例をアドラーギルドの事例検討会に持参して教えを仰いでいたころは、それはそれは懇切丁寧に教えてくださいました。ある時期を過ぎると、そっけなく突き放されたように感じられて、落ち込んだこともあります。ということは、私も初級レベルを脱して中級レベル以上に到達したということだったのでしょうか。カウンセラー養成講座に見学者として参加したとき、休憩時間に先生が「クラシック音楽は視覚的だ」とおっしゃっていたのが耳に入って、近くに座っていた私が、「そう言えばデュカスの『魔法使いの弟子』なんかその典型ですね」と言うと、いたくご満足の様子でした。講義中に「勇気づけの歌」の小冊子を私が、愛用のルーペで見ていたら、野田先生がそれを見つけて、「おー、すごいので見てるね。私も使っているけど」とおっしゃると、みんなが私に注目しました。こういうさりげないことでも私を無視していないよというメッセージを送ってくださっているのかもしれません。K先生はトイレでよく野田先生と並んで小用をなさることが多くて、安倍内閣のころ、“連れ○○○”をしながら、「加計は大変ですね」とおっしゃいました。彼が岡山理科大の出身で、中島弘徳さんの先輩だということをしっかり覚えていらっしゃるんですね。野田先生をとりまいているおばさま連中と違って、K先生と私には先生のほうからも必ず接近してみえました。K先生は癒やし系で、近くにいるだけで安らぐことは、私もしょっちゅう体験しています。彼は今、愛媛県でラグビーの合宿です。8日の地震では揺れたでしょう。このあと、ご実家の薩摩へ長めの帰省です。しっかり親孝行をなさるはずです。私が再会できるのは24日(土)の岡工講座です。薩摩も今回の地震の影響が大きかったです。ご安全に過ごされますように。
<ジョブキソ7>
#テーマ
会議中相手の話が違う方向にそれてしまった。もとに戻すには?
→まず相手の心情を受け止める。
That sound interesting. それは面白そうですね。
I understand that it's an important issue. 重要な問題なのはわかります。
悲しい話だった場合は、
I feel so bad for you, but can we return to the original topic?
お気の毒に。だけどねもとの話題に戻ってもかまいませんか?
※We should get back on track.「もと(の線路)に戻りましょう」では露骨。
#お勧め
自分:(会議の相手に)I feel so bad for you, but can we return to the original topic?
相手:Oh, excuse me. Let's get back on track. ああ、失礼。もとの話に戻りましょう。
孟武伯、孝を問う。子曰く、父母にはその疾(やまい)をこれを憂えよ。
孟武伯殿が孝行の心がけをたずねられた。先生は言われた。「父母にはそのご病気のことだけ気におかけなさいませ」。
※浩→孟武伯は前文の孟懿子の子です。おそらく孟懿子は病身で、生前に武伯が孝行のことをたずねたら、病身の父のことだから「その体のことを心配してあげなさい」と孔子が答えたのでしょう。
私の兄(5歳上)は10歳のとき病死したそうです。そのため母は次の男子である私への期待が大きくなったのでしょう。一般に親は死んだ子を理想化して、何かあるたびに、「お兄ちゃんが生きていたら」などと言いそうですが、わが家ではそういうことはありませんでした。私にそれほど問題がなかもしれません。父親はもしかしたら、兄への期待が大きくて私には失望したのかもしれません。そのためかどうか、私は父に親しめなくて母親べったりだったようです。何かといえば「おかあちゃん、おかあちゃん」と言う子でした。それで「安全なスペースにくつろぐ」のが大好きというライフスタイルもできたのでしょう。
母は、伝記かドラマになっていいほどの大物だったと思います。NHKの朝ドラ『あぐり』の主人公「あぐり」(吉行あぐりさん)や陸上選手の人見絹枝さんと同じ岡山第一女学校の出身です。母はバレーボール部で、人見さんは陸上競技部で、同じ場所で合宿したことがあると母から聞いています。その合宿中に、人見さんが“おなら”をしたことがあって、「人見絹枝放屁事件」として長く語り継がれていたそうで、私と妹は何度もその話を聞きました。
母はおとなしそうに見えますが、文武両道の万能選手でした。スポーツはもちろんバレーボールが得意で、料理も裁縫も大工仕事も庭仕事も何でも楽々とこなしていました。父親も手先の器用な人だったのに、私ひとり不器用なのが不思議です。妹は器用で、何でも母と同じようにできています。小学校の工作の時間に「ベル」を作ることがありました。先生に指導されながら、手順どおりに組み立てるのですが、振動する小さな振り子を取り付けるとき、バネの調整がどうしてもうまくできなくて、私の作品はとうとう鳴らなかったです。“外傷体験”です(笑)。絵は中学までは得意ではないにしても、描くのは好きでした。一度だけ、私がうまく描けないと嘆いていたら、母が見事な独楽の絵を描いてくれて、私がそれに署名して提出すると、先生はすぐに×印を付けて返してきました。バレるんですね、インチキは。高校では芸術は音楽を選択して、だんだん絵画からは遠ざかりました。演劇部に入って、体による演技や口でのおしゃべりの能力を高めることで劣等感を補償していって、今日に至ったのでしょう。今も健在です。