第三 八佾(はちいつ)篇
孔子、季氏を謂(い)わく、八佾(はちいつ)、庭(てい)に舞わす、是(これ)をも忍ぶべくんば、孰(いず)れをか忍ぶべからざらん。
先生が季氏を評された。「八列六十四人を家の廟(お霊屋:おたまや)の庭(広場)で舞わしめたそうな。これをさえ忍べるとすると、天下に何ごとも忍べないものはないではないか」。
※浩→季氏は、魯国の門閥三家老家の筆頭である季孫氏のこと。孔子が魯国の政治を執った五十代時点の当主は、季桓子(?-BC492)で、別名季孫斯とも言います。隣国斉が送った女楽団を主君定公と共に三日間楽しみ、その間政務を執らなかったので、孔子は魯国を捨てて亡命したとされます。
八佾(はちいつ)は、八人が八列を作り舞う舞踊で、論語の時代には、天下の主権者たる天子の特権とされていました。この特権を陪臣の家老の季氏が欲しいままに行使したので、孔子が、分不相応だと大憤慨した。このことは「孔子、季氏を謂わく」のところで、「曰く」でなくて「謂わく」と「謂」という強い批判の意味を含む語が使われていることでわかります。
今でも、自分の立場にふさわしくない派手な行動をすると、「分不相応(ぶんふそうおう)」と言われます。古代ほど固定的・厳格ではないにしても、「時と場合をわきまえた言動」は必要なことでしょう。ものごとの「けじめ」がないとアナーキーになって、とりとめがつかなくなりますから。封建時代と違って、人と人の間に身分の高下はなく、対等な人格として人は尊ばれますが、だからといって、何をしてもいいということにはなりません。野田先生は、人がしたいことをし、したくないことをしない社会は“狂気の社会”で、人がしなければならないことをし、してはならないことをしない社会が“正気の社会”だとおっしゃっていました。どう考えても、今の社会は狂気めいているように感じられます。世界的にもそんな傾向のように感じます。ロシアとかイスラエルの行動からも。アドラーが「より大きな共同体の利益」を考えたことなど、はるか遠くに去ってしまった理想です。
<ジョブキソ13>
#テーマ
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#模範解答
This is a gentle reminder about the invoice deadline.
請求書締切についての確認のお知らせです。
@ gentle = おだやかな、friendlyでもよい。
さらに、Please note it is tomorrow. 締切は明日です(注意願います)。
@ note = 注意する
※書き出しは、
To ~よりもHellow, Mr. ~, (how are you?)がいい。Dearは友だちとか家族に。
#会話
Hellow, Mr. Shinoyama, this is a gentle reminder about the invoice deadline. Please note it is tomorrow.
Thanks for the reminder. I will check on this right away and let you know by 3 p.m. today.
子曰く、その鬼(き)にあらずして祭るは諂う(へつらう)なり。義を見て為(せ)ざるは勇なきなり。
先生が言われた。「わが祖先として祭るべきでない神を祭るのは、卑屈なことである。人間の義務として果たさねばならない場合に尻込みして果たさないのは、勇気を欠くことである。
※浩→「鬼」は死んだ祖先の霊魂のことです。古代の家族的宗教では、死んだ祖先の霊魂は神となり、その血族の子孫の祭祀を受けることによって他界で生き続けると考えられていました。血族でない者は、決して祭にあずかることはできない。日本で政治家が靖国神社に参ると、中国の人が反発するのは、こういう文化的な背景の違いからでしょうか。例えば、大臣が靖国詣でをすると、中国の人は、その大臣の先祖参りをしたと考えるのでしょうか。わが国では、よそのおうちの人であろうと、戦争で亡くなった英霊をお祭しても、違和感を感じないです。刑事ドラマを見ていると、刑事が殺人現場に出向いて死体に対面すると、その死者がどんな人であろうと、必ず合掌します。「悪い人でも死にゃ仏」といのが日本人のやさしさでしょうか。
春秋時代の魯には、新しい神の霊を報ずる女巫(じょふ)の新興宗教が流行していました。孔子のこの言葉は、これを排斥しようとするものです。次の「義を見て……」との続き具合がよくわかりません。この「義」とは、時の権力者が信仰しているからといって、祭るべきでない新興宗教を祭ってはならない、そういうことが義なのであり、権力者の意志に反して新興宗教を断固として排斥することが大変勇気を要したからだと、「世界の名著」では解説しています。
「義を見て為ざるは勇なきなり」は大変有名なフレーズですが、出所はここだったことがわかりました。一般には、オリジナルとはかなり違った意味で使われているようですが、「勇」はアドラー心理学の「勇気」と縁があるようです。「義」のほうは少し慎重に解釈して、ただ「正義」としないで、「建設的なこと」とすると、「共同体に対して建設的なことに向かってそれに取り組まないのは勇気がない」と解釈できます。無理やりこじつけましたが、めでたく決まりました。(「為政篇」完)
第23課 「~(し)ました」「「~でした」(ハムニダ体)
#キーフレーズ
はじめて見たときから気に入っていました(気に入りました)。
チョ’ウm ポアッスr ッテプト’マウメ トゥロッスmニダ
처음 봤을 때부터 마음에 들었습니다.
<過去の表現>
#ヘヨ体
・語幹 + 았어요/었어요
@食べる=먹다 →食べました=먹었어요
#ハムニダ体
・陽母音語幹 + 았습니다
・陰母音語幹 + 었습니다
@安い=싸다 →安かったです=싸았습니다 →縮約 쌌습니다 ッサッスmニダ
@入る=들다 →入りました=들었습니다
・하다語幹;-하 +였습니다 →縮約 -했습니다
#練習
@探す=찾다 チャ’ッタ →探しました=찾았습니다 チャ’ジャッスmニダ
@待つ=기다리다 →待ちました=기다렸습니다 キダリョッスmニダ
<意志・推量の表現>
#キーフレーズ
今行きます。
지금 가겠습니다.
#公式 「~(する)つもりです」「~でしょう」
・語幹 + 겠습니다(直結型)
@行く=가다 →行きます、行くつもりです=기겠습니다
@暑い=덥다 →暑いでしょう(推量)=덥겠습니다
わかりました、承知しました(控え目な表現)=알겠습니다 アrゲッスmニダ
#練習
「ハングルが上達したら何をしますか?」という問いに
「韓国旅行をします」
ハングk ヨヘンウr ハゲッスmニダ
한국 여행을 하겠습니다.
<問題>
1,パーティーは楽しかったです。
パ’ティ’ヌン チェミイッソッスmニダ
파티는 재미있었습니다.
2,この問題はかなり難しいでしょう。
@かなり=꽤 ックェ
イ ムンジェヌン ックェ オリョpケッスmニダ
이 문제는 꽤 어렵습니다.
3,昨夜マッコリを飲みました。
オジェパm マッコrリルr マシッスmニダ
어젯빔 막걸리를 마셨습니다.
<ワンポイント>
これ何ですか?
イゴ ムォエヨ?
이거 뭐예요?
何歌いますか?
ムォ プルrレヨ?
뭐 부를래요?
何食べますか?
ムォ モグrレヨ?
뭐 먹을래요?
<発音> ㅎの弱音化
전화 電話 [저놔] チョノア
ㄴにㅎが続くとㅎはほとんど発音されずさらに連音化してㄴがㅎのところへ移動する。
パッチムㄴのほかㄹ、ㅁでも起こる。
결혼 結婚 [겨론] キョロン
미안해요. ごめんなさい [미아내요]
<フィナーレ>
今日は大変でしたか?
오늘은 힘들었습나까?
はい、でも楽しかったです。
ネ、ハジマン チェミイッソッスmニダ
네, 하지만 재미있었습니다.
ジソンさんも優しかったです。
Jisong ッシド チ’ンジョレッスmニダ
Jisong 씨도 친절했습니다.
トモくんも一生懸命によくやりました。
トモ ッシド ヨrシミ チャレッスmニダ
도모 씨도 열심히 잘 했습니다.
子張問う、十世知るべきか。子曰く、殷(いん)は夏(か)の礼に因(よ)る、損益するところを知るべきなり。それ或いは周に継ぐものは、百世と雖(いえど)も知るべきなり。
子張がたずねた。「十代先の王朝のことを予知できるでしょうか」。先生は言われた。「古代の殷王朝は前の夏王朝の制度を受け継いだ。殷王朝の制度のどこを廃止し、どこをつけ加えたか、自分が平素「礼」で教えたところだから、お前はよくわかっているはずである。周王朝は殷王朝の制度を受け継いだ。どこを廃止し、どこをつけ加えたかもお前によくわかっているはずだ。これをもととすると、周王朝を継承する王朝の制度など、百代先まで予知することができるはずではないか」。
※浩→「殷」は現在知られている最古の歴史的王朝です。湯(とう)王が夏(か)王朝を滅ぼして建てて、紀元前11世紀半ばごろ「周」に滅ぼされました。「夏」は伝説的王朝です。
「礼」つまり制度史の専門家である最も若い弟子の一人である子張が、十代先の王朝の制度を予知できるかとたずねました。現代の歴史学では、歴史は連続性を持ちつつ発展すると考えられていますが、紀元前6世紀に生まれた孔子が、「夏~殷~周」の3王朝の礼(制度)の比較から、歴史の連続性と発展性を理解していたことは注目に値します。「お前もよく知っている礼のことだから、わかるはずだろう」と孔子に教えられると、子張は勇気づけられたのではないでしょうか。とかく人に教えるとき、「こんなこともわからないのか」と言われるよりも、こういうふうに「わかるよね」と言われるほうが、もっと学ぼうという意欲が満ちてきますから。野田俊作先生の過去の論文にたびたび「科学性」についての記述が登場します。科学的であるためには、ただ事象を「説明」できているだけでは不十分で、「予測の力」があることが必要だとあります。アドラー心理学は予測の力があります。臨床面でも、現在の行為の「結末の予測」をして、今後の決断を促します。「予測」と「制御」から代替案が出てくるところが何とも魅力的です。
野田先生が作られた「勇気づけの歌」に次のような1節があります(私が覚えやすいように一部を無断で替えています)。
♪この世を動かす3つの法則
自然と社会と論理の法則
このうち自然と社会の法則は
行為の結果で学び取る
今まで経験してないことも
論理の力で予測して
「そうしているとどうなるか」
考えることで協力できる
人間関係正すには
ある日の1つのエピソードから
感情思考行為をもとに
隠れた目標調べよう